倉敷
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2007年
11月 新転位・21「僕と僕」作演出
9月 演劇学校アトリエ公演「漱石の夕べ」構成演出
6月 新転位・21「ホタルの栖」作演出
4月 二松学舎大学、九段校舎「演劇特殊研究」(木)開始
3月 演劇学校公開稽古「向日葵」の作演出
2006年
12月 国際文化学園 映画「α」を製作上映
11月 新転位・21「嗤う女」の作演出
8月 演劇学校アトリエ公演「夢十夜」構成演出
6月 新転位・21「異族の歌」の作演出
3月 新転位・21演劇学校卒業公演「秋刀魚の味」を演出
2005年
11月 新転位・21「黙る女」作演出
8月 演劇学校アトリエ公演「魚服記」構成演出
6月 新転位・21「砂の女」の作演出
4月 二松学舎大学の講師をはじめる
3月 新転位・21演劇学校卒業公演「東京物語」を演出
2004年
11月 新転位・21「齧る女」を作演出
9月 演劇学校アトリエ公演「東京物語」を構成演出
6月 新転位・21「エリアンの手記」を作演出
4月 右顔面神経麻痺で慈恵医大柏病院に2週間入院
4月〜7月 東京経済大学「身体表現」の講師
4月 たすけ、大津が丘幼稚園に入園
3月 新転位・21演劇学校卒業公演「1/2の少女+α」を作演出
2003年
11月 新転位・21「ジロさんの憂鬱」を作演出
8月 参人芝居「ブドリよ、私は未だ眠ることができない」を演出
6月 新転位・21「パパは誘拐犯」を作演出
4月〜6月 東京経済大学「身体表現」の講師
3月 新転位・21演劇学校卒業公演「ぼくは17才」を作演出
3月 米英による第2次イラク戦争
2月 流山児事務所「青ひげ公の城」の補筆
2002年
11月 新転位・21旗揚げ公演「マーちゃんの神曲」を上演
10月 東京経済大学・講座「身体表現」の講師を勤める(03年1月まで)
9月 アトリエ「とげぬき地蔵」を駒込に新設する
8月 転位・21を新転位・21に改称する
7月 新転位・21演劇学校を開校する
5/6月 トムプロジェクト「また、あした。」を作演出
4月 茶房「ドラマを書く」が開塾される
3月 朝日カルチャーセンター「ドラマを書く」が終了する
2001年
10/11月トムプロジェクト「春」を作演出
10月 国際文化学園芸能演劇コースの主任講師となる
8月 RU+転位・21「女殺し油地獄」を作演出
4月 流山児事務所「ゾンビな夜」を演出
2月 青弓社より書下ろし「俳優になる方法」を上梓
2000年
12月 「俳優になる方法」を書く
10月春秋社より書下ろし「<物語>日本近代殺人史」を上梓
8月 長男太助が誕生する(22日)
5/6月 トムプロジェクト「東海道四谷怪談」を再演
4月 菅由貴子と軽井沢で挙式
東京プリンスホテルで披露宴を行う
1月フォーナイン企画制作「鏡」を作演出
1999年
12月 トムプロジェクト「東海道四谷怪談」を作演出
このとき半田充さん 村山好文に出会う
10月 トムプロジェクト「夏」を作演出
1998年
12月 春秋社より「新装版子どもの犯罪と死」を上梓
8月 春秋社より「少年事件ブック」を上梓
1997年
12月 流山児事務所「愛の乞食」を演出
同舞台で俳優・古田新(新感線)が読売演劇賞を受賞
11月 水戸芸術館運営委員を退任する
10/11月 水戸芸術館「血は立ったまま眠っている」を演出
神戸・酒鬼薔薇聖斗事件起こる
4/5月 トムプロジェクト「風船おじさん」を作演出
1996年
11月 住み慣れた中野から千葉県東葛飾郡(現柏市)沼南町大井へ引っ越す
4月 三一書房より「現代犯罪詣で」を上梓
3月 水戸芸術館「あの大鴉、さえも」を演出
1995年
11月 当番弁護士制度を支援する会に「当番弁護士さん、出番ですよ」を書く
10月 水戸芸術館「サティアン」を作演出
芸術館や市長へ抗議の電話が殺到し社会問題となる
上演が危ぶまれたが受付で観客のバッグ等を検査するなどの
異例の処置をとり上演を強行する
5月 春秋社より「いじめ考」を上梓
水戸芸術館「ぼくらが非情の大河を下るとき」を演出
水戸芸術館「眠っちゃいけない子守唄」を演出
3月 オウム真理教の地下鉄サリン事件起こる
報道が沈静化するまでテレビ出演が相次ぐがオウム擁護派とみなされ
自宅にまで脅迫の手紙 電話が絶えなかった
同時に視聴者 読者からの励ましの手紙を多数もらう
1月 阪神淡路大震災起こる
1994年
11月 近代文藝奢り「きのうきょうあした」を上梓
転位・21の活動を休止 中野の稽古場をたたむ
3月 転位・21「エホバの使者は現れず」を作演出
1993年
12月 転位・21「ボブと学校」を再演
11月 春秋社より「平成事件ブック」を上梓
5月 転位・21「ボブと学校」を作演出
4月 水戸芸術館の運営委員になる
3月 思潮社より山崎哲戯曲集6「ぼくは17才」を上梓
3月 新宿朝日カルチャーセンター「ドラマを書く」の講座始まる
1992年
5月 転位・21「ぼくは17才」を作演出
1991年
11/12月 転位・21「骨の鳴るお空」を再演
6月 思潮社より山崎哲戯曲集5「骨の鳴るお空」を上梓
5/6月 転位・21「骨の鳴るお空」を作演出
このころから「日本近代殺人史」を書きはじめる
1990年
11月 春秋社より「恋愛事件PART2」を上梓する
6月 転位・21「ホタルの栖」を再演
6月? 劇団第七病棟に「羊たちの沈黙」を書き下ろす
6月 思潮社より山崎哲戯曲集4「1/2の少女」を上梓
5月 春秋社より「恋愛事件PART3」を上梓
5月 思潮社より山崎哲戯曲集3「マーチちゃんの神曲」を上梓
5月 思潮社より山崎哲戯曲集2「エリアンの手記」を上梓
5月 思潮社より山崎哲戯曲集1「子供の領分」を上梓
3月 晩成書房より「浮遊する殺意」を上梓
1989年(昭64/平成1)
12月 春秋社より「恋愛事件PART1」を上梓
10月 春秋社より「事件ブック」を上梓
10月 転位・21「1/2の少女」を作演出
8月 連続幼女誘拐殺人事件の宮崎勤逮捕される
6月 美空ひばり死去
このころテレビ朝日の深夜番組「プレステージ」で
竹中労さん 池田満寿夫さんらに知己を得る
1988年
11/12月 転位・21「パパは誘拐犯」を作演出
同舞台を最後に木之内頼仁が退団する
6月 転位・21「マーちゃんの神曲」を作演出
このころ朝日カルチャーセンターの受講生とともに
「事件を読む会」が発足し以後、公私ともに世話になる
同時に芹沢俊介さんを介し藤井東さんに知己を得る
1987年
12月 転位・21「異族の歌」を再演
12月 春秋社より「子どもの犯罪と死」を上梓
6月 未来社より「犯罪と家族のあいだ」を上梓
5-8月 転位・21「ジロさんの憂鬱」再演
1月 「エリアンの手記」「ジロさんの憂鬱」「まことむすびの事件」で
第21回紀伊國屋演劇賞個人賞を受賞する
1986年
10/11月 転位・21「エリアンの手記」を作演出
5月? 思潮社より「エリアンの手記」を上梓
4/5月 転位・21「ジロさんの憂鬱」を作演出
このころ東京タイムズの中川さんを介し詩人谷川雁さんに知己を得る
4月 アイドル歌手岡田有希子が投身自殺し 後追いがつづく
2月 中野富士見中学校事件起こる
東京乾電池に「まことむすびの事件」を書き下ろす
この年?ある雑誌の対談相手に芹沢俊介さんを指名
以後、公私ともにお世話になる
1985年
11月 洋泉社より「犯罪の向う側へ」を上梓
11月 転位・21「水の柩」を作演出
10月 宮崎NHK「若山牧水紀行」のロケーションを行う
9/10月 状況劇場「ご注意あそばせ」を演出
3/4月 転位・21「ホタルの栖」を再演
このころ?東京タイムズの中川さんを介し
谷川雁さん、朝倉喬司さん 糸井重里さんらに知己を得る
1984年
11月 転位・21「ホタルの栖」を作演出
6月 新水社より「異族の歌」を上梓
5/6月 転位・21「ゼロの神話」を作演出
5月 深夜叢書社より「失語の現在形」を上梓
3月 グリコ森永事件起こる
2月 清水宏治プロテュースに「大菩薩峠」を書き下ろす
1月 三浦和義ロス疑惑報道はじまる
1983年
12月 李礼仙・高橋ていこふたりコンサート「駅で…」を演出
高橋ていこさんを介し詩人谷川俊太郎さんに知己を得る
12月 思潮社より「子供の領分」を上梓
11月 転位・21「子供の領分」を作演出 本多劇場での初公演である
このころ海藤夫妻を介し三枝成章さんに知己を得る
6月 転位・21「勝手にしやがれ」を演出
3/4月 日劇ミュージックホール「’83ソドムの市」を作演出
3月 白水社より「勝手にしやがれ」を上梓
2月 転位・21「漂流家族」を紀伊國屋ホールで再演
劇団第七病棟に「おとことおんなの午後」を書き下ろす
斎藤慎爾さんを介し詩人吉本隆明さんに知己を得る
1982年
11月 本多劇場の柿落とし
唐十郎作「秘密の花園」に殿の役で出演
俳優としては最後の舞台となる
10月 西武劇場「好色一代男」を作演出
作家吉行淳之介さんに知己を得る
海藤春樹・木内みどり夫妻に出会う
6月 転位・21「異族の歌」を作演出
3月 深夜叢書社より「砂の女」を上梓
2月 「うお傳説」「漂流家族」で第26回岸田國士戯曲賞を受賞する
2月 深夜叢書社より「うお傳説・漂流家族」を上梓
1981年
11月 転位・21「砂の女」を作演出
斎藤慎爾さんを介し作家小島信夫さんに知己を得る
6月 転位・21「うお傳説」を下北沢ザ・スズナリで再演
本多一夫さんが新設したザ・スズナリの実質上の柿落としで
大勢の観客が押し寄せ、以後 ザ・スズナリが知られるようになる
公演後 中野区中野1丁目谷戸小学校前に事務所兼稽古場を構える
(中野区中野1-27-16tel.03-371-1872)
春?深夜叢書社の歌人斎藤慎爾さんに出会う
2/3月 転位・21「漂流家族」を作演出
このころ岸田秀さんに知己を得る
1980年
11月 金属バット殺人事件起こる
7月転位・21「うお傳説」を作演出
イエスの方舟事件起こる
2月ころ 転位・21を結成する
1979年
11月 演劇団に「浅草カルメンU」を書く
友人の島利之が喉頭がんで他界 同時につんぼさじきを解散する
7月 「新選組始末記」を作演出
4月 演劇団に「勝手にしやがれ」を書く
1978年
10月 演劇団に「犬の町」を書く
1977年
9月 「シェルブールの雨傘」作演出
同作品を機につんぼさじきの活動を小休止する
4月 「第三病棟のドグラマグラ」を作演出
1976年
12月 「地獄に落ちた天使たちの肖像」を作演出
4月 「白鳥の騎士」を作演出
1975年
12月 「愛の歌謡ショー」を構成演出
10月 「新選組・傷だらけの墓標」を作演出
6月 「昭和放浪記」を作演出
このころ?内田栄一さん 金子正次に出会う
3月 「笛吹童子」を作演出
1974年
10月 「贋作・あしたのジョー」を作演出
7月?「暗殺」を演出
3月 「君の名は」を作演出
1973年
2月 「愛の里祭唄」を構成演出
11月 オイルショック起こる
9月?「新撰組・国境は燃えている」を作演出
8月? 表現劇場に「暗殺」を書下ろす
7月 「涙の連絡船」を作演出
3 月「紅孔雀」を作演出
1972年
12月 「白馬童子」を作演出
8月 「新選組」を作演出
7月 情報誌「ぴあ」創刊
5月 「さんたまりあ四番崩れ」を作演出
鈴木忠士さんに知己を得る
3月 「暁の殉教列車」を作演出
2月 浅間山荘事件
1971年
冬 「闇魔女交響詩」を作演出
この時から渋谷の天井桟敷館を常打ち小屋にする
同時に寺山修司さんに知己を得る
7月 「異形マリア譚詞」を作演出
5月 つんぼさじき旗揚げ「黄色い涙のマリアの物語」を作演出
同公演の最中に演劇団の流山児祥に出会う
1970年
11月 三島由紀夫割腹自殺する
秋 劇団つんぼさじきを結成
武蔵小山に事務所兼稽古場を構える
このころ福田善之さん 菅孝行さんに知己を得る
3月 劇団状況劇場へ入団する
よど号ハイジャック事件起こる
3月 広島大学を中退し上京する
1969年
8月 状況劇場の広島公演を手伝う
広島大学紛争
10月 「赤いマリア」で初めて作演出する
演劇研究会を解体し、学校枠を超えた広島演劇センターをつくる
6月「大麦入りのチキンスープ」を演出
春ころ 唐十郎に出会う
2月ころ 卒業しないことにし
提出済みの卒論「椎名麟三論」をチューターに返却してもらう
1968年
東大紛争 日大紛争と学生運動が激化していく
1967年
2月 「根っこ」を演出
6月 「家主の上京」を演出
1966年
12月 「第三の証言」で初演出
6月 「寒鴨」に出演
広大生のころ毎年数度上京し、神田 早稲田などの古本街を歩く
1965年
2月 劇研「島」に出演
9月ころ演劇研究会に入部
先輩の黒柳さん 榊敏正さんに世話になる
6月ころ リハビリを兼ね卓球部に入部する
4月 入院中に母シナヲ死去する
4月 広島大学文学部国語学国文科へ入学
大学の近くの平野町にアパートを借りる
入学式当日の早朝 急性盲腸炎で入院し 手術
腹部が化膿し1カ月入院、秋ころまで通院する
3月 県立宮崎大宮高等学校を卒業
1964年
12月下旬 母 脳卒中で倒れる
高2から高3にかけて1年ほど?大淀川近くに下宿する
1963年
高2 演劇部に入部する
OBに東映の女優・緑魔子さんがいた
午後の授業をさぼりよく映画を観る
1962年
4月 宮崎県立大宮高等学校へ入学
陸上部 テニス部 バスケット部などを転々とする
3月 宮崎市立鏡洲中学校を卒業
1961年
中3 県立図書館の読書感想文コンクールに応募、「坊ちゃん」で入選
1960年
安保闘争起こる
1959年
4月 宮崎市立鏡洲中学校に入学
担任は3年間新任の椎博光先生
中学時代は野球、バレーボール、駅伝、卓球などのスポーツに興じる
3月 鏡洲小学校を卒業
1957年
小5 県立図書館の読書感想文コンクールに応募、「ロビンソンクルーソー」で入選
1953年
4月 宮崎市立鏡洲小学校に入学
1946年(昭21)
6月21日 宮崎県宮崎市鏡洲に生まれる
父三義 母シナヲ 7人兄弟の7番目
後年 弟誕生し8人兄弟となる
父のほんらいの仕事は農業なのだろうが精米所を兼ねた小売店を営んでいた
母は日南海岸の漁師町・内海の出身で父の車に乗せられてよく遊びに行く
また自宅の庭で旅一座の芝居や映画をよく見る |
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