展覧会の紹介

第57回 全道展 2002年6月19日〜30日
札幌市民ギャラリー(中央区南2東6)

 ことしは出おくれちゃったうえに、吉田豪介・市立小樽美術館長の簡にして要を得た評が道新に出ていたから、筆者ごときがなにかをつけくわえるタイミングを完全に逸してしまった。
 ゴースケさんと筆者は、すべておんなじ見かたというわけではもちろんないし、着目した作家にもけっこう違いがあるとはいえ、むこうは40年以上も継続してきちっと見て、しかもわかりやすい文章にできるんだから、正直言ってかないっこない。くらべることじたい、おこがましいってもんです。
 道外の人のために、文末に「全道展とは」をまとめてありますから、参照してください。 

 じゃ、順番にだらだらといきます。
 絵画。
 会員は、ほとんど作風に変化がなく、これまでの仕事を熟成させたという人が多い。
 夜と裸婦を組み合わせてしゃれた画面をつくっていた岸葉子が、ビリジアンで画面を埋め尽くして木を描き、重量感ある人物像の木村由紀子が表現主義的な抽象に転じたが、そのような劇的な変化は少数。
 灰色などを重々しいマチエールで塗りたくっていた川本ヤスヒロの色遣いがぐっと明るくなったが、前景を圧するように置かれたしゃれこうべはこれまでとおなじだし、藍色系の多かった外川ムツ子がまばゆい赤を全面につかっているのもおもしろいが、激しいタッチによる海景という基本は変わっていない。
 目を引いたのが遠藤ミマン。80を過ぎて100号のキャンバスに向かい合う意気の高さにまずおどろくが、これまでほとんど斜めの直線だけで画面を構築してきたこの画家が、カーブを画面に取り入れたのはほとんどはじめてではないか。モティーフもあまり整理されておらず、かえっておもしろい。
 高橋三加子は、あいかわらず中間色の配色に絶妙の冴えを見せる群像画を出品してきているが、これまで行儀よくならんでいた人物の配置がややばらけて、表情などにもやや不安の影が見て取れる。画面に見られた調和が薄まっており、あたらしい方向を示唆している。
 徳丸滋は、自然を見つめる透徹なまなざしに、ますますみがきがかかってきた。月夜にすっくと立つダケカンバは、静謐さと凄みを併せて表現しているかのようだ。
 輪島進一は、今回だけを見ていると、昨年の変奏曲に見えるが、題を見ると「都市図部分1/8」とあり、どうやらでかいたくらみがありそう。
 渡辺貞之「黒い羽根の天使・予感」は、この画家が数年取り組んでいるシリーズのなかでも、かなりまとまっているほうだとおもう。モノクロームの顔で三連画のなかをうつろう天使たちは、人間社会をどう見ているのだろうか。
 このほか、木村訓丈「九月の或る夕空」は、題の通りのシンプルな、ドイツロマン派ふうの風景画だが、この人が色の着いた作品を全道展に出すのは何年ぶりのことだろう。
 ことし101歳になる小川マリの健在ぶりもうれしい。
 ほかに、すがすがしいまでのスケール感にあふれた谷口一芳、曲線だけを使って躍るような抽象画面をつくる大谷久子、卵型都市に風が吹いて動感が生まれてきた斎藤矢寸子、文章を風景画に導入する森弘志、さらに矢元政行、野本醇、菅野充造、板谷諭使、大地康雄、富田知子らに注目した。
 久守昭嘉、夏山亜貴王の遺作が展示されていた。ご冥福をおいのりします。

 会友は、ここ数年の大量昇格で、88人の大所帯になってしまった(会員は94人)。この全員がいずれ会員になれるともおもえず、処遇をどうするのだろう。筆者が気にしてもしかたないんだけど。
 池田緑と本庄康伸が退会し(図録には記載なし)、田中ヨミスが逝去している。
 境進と門馬よ宇子のふたりが会員に推挙された。おめでとうございます。ふたりとも大ベテランである。
 さて、人事の話はこれくらいにして、個々の絵にうつる。
 石本本子「ツイン・バベル・タワーT」。黒く塗った使い捨てカイロを大量に板に張った、真っ黒の平面作品。これにかぎらず、昨年9月11日の米国テロ事件にインスパイアされた作品が、今回は散見された。
 というか、全道展と平行して個展を開いていた尾澤和子や盛本学史を全道展で見ると、どうもいちばん暗い作品を選んで搬入してきているように見える。もしかしたら、数ある出品作のうちから会員が暗いのを選んでいるだけなのかもしれないが。どうも、出品者の間にも、全道展は暗い絵のほうが評価されるという認識があるのではないか。でも、暗い絵が多いと、明るい絵のほうが目立つんだけどな。
 杉吉篤「植民」。いつもはロボットが踊っているような楽しい絵を描くこの作者も、今回は暗い印象だ。水辺の洞窟の手前で交叉する二つの大きな管。片方からは滝のように水が吹き出ている。左の丸いスクリーンに映し出される怪しい黒衣の二人。さらに左端には、なぜかレールや、とんがった山があって、その上にも、3人を写した大きなモニターがある。
 塚原貴之「過ぎゆく時の中で」。モノクロームで処理された街景の導入が印象的。
 友井勝章「河原風景」。とうとう人物もいなくなって、木のないさびしげな河畔に鳥とキツネがいるだけになった。平坦に塗られた水や空が特徴。
 羽賀夏子「シンフォニー」。画面が整理されてきた。
 吉田周史「崩壊からの脱出」。あいかわらずすごい描写力である。木馬は、よく見ると鮮やかな色の細い線の集積で表現されている。頭部を複数描くことで、時間による経過もあらわしている。

 一般は、吉田豪介評の枠組みを使わせてもらうと、昨年めざましい印象をのこした新鋭が、ことしも着実な成果を挙げているということがいえる。
 代表は、協会賞に輝いた波田浩司「風評」。クリアでポップな画風は、全道展のなかではめずらしいタイプ。
 若手の山本真純、久野志乃も進歩の跡がうかがえる(ただ、久野の作品は、賞をあたえるにはでかすぎたのではないだろうか)。石垣亜希の群像画は、矢元政之や遠藤彰子とはちがう、人間が大勢登場する絵の可能性をかんじさせる。
 昨年は入選にとどまった人のうち、門屋武史が今回道新賞に、會田千夏が奨励賞に選ばれたのは、人物を大きく描き、構図を整理したのが効いたのだろう。校庭であそぶ子どもたちを描く成澤正子も例年とおなじような絵だが、前景を大きく描いてメリハリをつけたのが功を奏していると思う。
 奨励賞の清水公子「Corn'02」は水彩。ほとんどモノクロームに近いが、リアルな筆致で強い印象を残す。
 水彩といえば、中橋るみ子「丘の風景(美瑛)」が、画面全体に白い点を配して、やわらかいトーンを出しているのがおもしろくかんじられた。
 どこともしれぬ西洋のふるい街並みを描きつづけている中井孝光は、何回も入選をかさねてきて、はじめての入賞。より輪郭があいまいになり、抽象の度合いがたかまっている。
 山本恒二「風人」は、明快な色彩と動感があり、まとまっている。それにしても、この配色、何度見てもスイカをおもいだすよなー。
 入賞は逃したが、松田知和「コドモのひ」は、暗くだだっ広い室内に置かれたみすぼらしい寝台に若い女性が腰掛けてこちらを見つめているという作品で、みょうに心にのこった。
 ほかに、線でぐるぐる巻きにされた物体と背後の風景の落差がおもしろい大熊敏弘、いやみのない若さがある大泉隼人、シュルレアリスム的な中川治、地上への階段と人間群像をダイナミックに組み合わせた中村真紀らに注目した。
 それにしても、片山美代の「オイ 新しい時代が来たゾ」にしろ、小林耀子の「丘の上の街・シチリア」にしろ、笹尾ちえ子の「晩秋湿原」にしろ、坂下美恵子「光に向って」にしろ、佐々木祥子「弧愁」にしろ、どれも個展やグループ展でいちどみたときはなかなかわるくない絵だとおもったのに、公募展でまとめて見ると、ワナ・オブ・ゼムにすぎない。たくさんの人がその1年の成果をふりしぼってかいてくるわけだから、よほど光るところがないと入選はともかく入賞はおぼつかないということだ。

 2階に上がると、版画の会場だ。
 なんだか今年はおおいなー、と思ったけど、実際は昨年とおなじ81点が展示されている。
 会員は、昨年も書いたけれど「プロ」が多いこともあって、安心して見ていられる。大井戸百合子、尾崎志郎、佐野敏夫、手島圭三郎、萩原常良、平塚昭夫、森ヒロ子、渡會純价、和田裕子といったあたりは、作品世界に揺るぎがない。
 北岡文雄は、ここ数年の華やかささえあった風景画にくらべ簡素な画面だが、エビ網の斜め模様には軽やかなリズムがある。
 一原有徳が、またあらたな展開をみせている。白い紙に黒の点がちらばる「FET」。ストーブの煤を紙の上に散らばしたみたいにも見える。
 佐藤克教の描出するきみょうな物体はこれまでとおなじだが、さらに得体の知れない背景がくわわって凄みが増した。
 大本靖「ソラ」は、羊蹄山の上に、黒いふしぎな雲のようなものが広がり、しずかな不気味さをただよわせる。
 水落啓「CRYING EARTH」は、昨年9月の米国テロを受けて制作された。シルクスクリーンの明快でポップな色調との落差がかえって、事件の悲惨さを際立たせている。

 会友は、福原秀貴『柔らかな翼」が独自の世界。
 山内敦子、吉田敏子も、渋い。
 全体的には、木彫のおちついた作品が多いような気がする。
 札幌美術展で筆者大絶賛だった鈴木涼子の作品は、一目見ただけではよく分からなかった。すまん。

 一般は、バラエティーに富んだ作品がそろった。
 とくに友野直実「時を見るところ」は、静かで深い世界を表現して比類ない。斉藤美和子「残象A―隙」も、明と暗のバランスを生かした佳作。
 坂井笙子のファンタジックな色遣いもみがきがかかってきた。
 入選では、夏堀真一の大胆な色彩、佐野志都香の配置の妙に惹かれた。

 会員の佐々木悦子が逝去、遺作が展示されていた。

 彫刻。
 一昨年、一気に3人の会員を喪い、昨年の道新賞の受賞者がことしは不出品―と、あわただしい全道展彫刻部。
 ただ、ベテランは、昔ながらの人体や首を作る人が多い。
 そんななかで、岡沼淳一と橘井裕は、スケールメリットというのか、大作で会場を睥睨しているようだ。
 会友は、展示場所で損をしていたが、阿部俊夫の木彫「Forest-To The Moon」がおもしろい。
 清楚な首というか胸像をつくる石河真理子の姿がないのがざんねん。
 いちばん元気なのは、ことしあたらしく会友になったり、受賞しているあたり。世代交代を感じさせる。
 昨年初出品で協会賞を受けた小川誠ははやくも会友。
 シャープななかにもユーモアを漂わせる石の野村裕之と韮沢淳一も会友になった。
 道新賞の井上加奈も、叙情性としっかりした造形を兼ねそなえていて注目した。
 ただ、これにつづく一般入選クラスが、あまり特色のない裸婦や首ばかりなのが気になる。

 *

 工芸は、会員が2人、会友が4人一気に増えて、ふたたび部門としての活気を取り戻しつつある。
 やはり陶芸が多いが、ガラスの出品なども出てきた。

 全道展
 第2次世界大戦直後の1945年、東京から道内に疎開していた画家と、道内在住の画家たちが、北海道新聞社の協力を得て発足した公募展。戦前に発足していた道展(北海道美術協会)が戦後のどさくさで本格的に復活しておらず、一部移ってきた画家もいた。
 創立会員は、上野山清貢、田辺三重松、木田金次郎、国松登、田中忠雄、山内壮夫、川上澄生ら21人で、うち小川原脩と小川マリの2人が健在である。
 現在は、絵画、版画、彫刻、工芸の4部門。日本画はない。
 一般、会友、会員の3段階である。
 戦後は長く、道展とライバルとして競い合ってきた。作風に、それほど明確な違いがあるわけではないが、強いて傾向をまとめると、道展に学校の教諭が多い一方、全道展にはプロ画家や版画家の所属が比較的多く、中央の公募展と掛け持ちする人もかなりいる。独立が有力で、行動、二紀、自由美術、国画、春陽、日本版画協会などで活躍中の画家・彫刻家も多い。日展・二科・一水会・日陽はほとんどいない。
 筆者はほかの県展を知らないが、中央の公募展で会員に推挙されていながら全道展で会員にまだなれない場合がかなりあり、水準はかなり高いといわれている。
 会員には、木版画界の長老である北岡文雄、異色版画家の一原有徳のほか、さいきんはほとんど出品していないが彫刻の佐藤忠良、安田侃も名を連ねる。本郷新、難波田龍起、斉藤清、赤穴宏もかつて会員だった。

昨年の全道展の紹介

表紙へ   つれづれ日録へ    前のページ       「展覧会の紹介」さくいんページ