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展覧会の紹介
マン・レイ写真展 | 2003年4月4日-5月21日 道立帯広美術館 2002年5-6月 Bunkamura ザ・ミュージアム/同7−8月 浜松市美術館/同12月−03年3月 山口県立美術館 03年6月4日−29日 美術館「えき」TOKYO |
おもしろい写真展だった。 この人、20世紀の美術史を根底から変えてしまったマルセル・デュシャンと親しかったり(彼の写真をずいぶん撮っている)、ダダイズムやシュルレアリスムに参加していながら、写真じたいはあまりむつかしくない。 むしろ、髪を星型に刈り取ったデュシャンの後頭部などの写真などを見ていると 「あほなことやっとんなあ」 という楽しい印象がある。 自分の首にロープを結わえ付けた「自殺」にしても、あれはリー・ミラーとの破局後のショックが撮らせた1枚らしいけど、それにしては、手前に置いてあるライターの前面に、自分の名前をプリントしたりして、悲壮さというよりはユーモアを感じてしまうのだ。 「解剖台の上のミシンと蝙蝠傘の偶然の出合いのように美しい」 というのは、シュルレアリストが称揚した19世紀の無名の詩人ロートレアモンが書いた長詩「マルドロールの歌」のきわめて有名な一節で、こういう意外でわけのわからん組み合わせを面白がることによって現代の詩というのはそうとうにむつかしいものになってしまったともいえるのだけれど、ともあれその一節をそのまんま写真に撮るんだから、やはりマン・レイという人はそうとうなユーモア感覚の持ち主にちがいないと思うのだ。 さて、この写真展の最大の見どころは、やはり登場人物のおどろくべき豪華さという点にあるだろう。 ダダ/シュルレアリスムのグループにいたから、ブルトン、ピカビア、エルンスト、ツァラ、シュヴィッタース、ミロ、キリコ、ダリ、エリュアールといったあたりはわかるとしても、ピカソ、ブラック、マティス、レジェ、コクトー、マリー・ローランサン、藤田嗣治、ドローネー、ジャコメッティ、さらに現代小説最大の問題作といわれる「ユリシーズ」を書いたジョイスや、詩人のジャン・コクトー、20世紀の女性小説家でもっとも著名なウルフ、写真家カルティエ=ブレッソン、音楽家のシェーンベルクやストラビンスキー、ファッションデザイナーとして名高いココ・シャネル、さらには大女優エヴァ・ガードナーまで、20世紀前半の西洋の芸術をつくった人々の半数以上は彼に肖像写真を撮ってもらったのではないかと思われるくらいのすごい顔ぶれである。 |
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ただ、この写真展をみているあいだ、ある疑問がわきあがってきて、それはいまにいたるまで解決されていない。 その疑問とは どうしてマン・レイはこんなに女性にモテるのか? ということだ。 初めの妻アドン・ラクロワからはロートレアモンやランボーといったフランス文学を教えてもらい、ニューヨークを離れてパリに渡った直後にはエコール・ド・パリで神話的なモデルであったキキと知り合い同棲。だいたいマン・レイがあれほど多彩な芸術家たちの肖像写真を撮ることができたのもキキの人脈があずかっていたからではないか。 さらに美貌の一級モデルにして写真家リー・ミラーと出会って3年間同棲。別れた後は女性シュルレアリストのメレット・オッペンハイムとともに暮らし、ついで南国グアダルーペ諸島出身のダンサー、アドリエンヌ・フィドゥランと生活をともにした時期もある。第2次世界大戦のため米国に帰ったあとジュリエット・ブラウナーと結婚している。 筆者は女性にもてたという経験がほとんどないので、想像しづらい面があるが、それにしても、一般的な男性の感覚からすればこれはうらやましい事態だとしか言いようがないではないか。 しかも、マン・レイは写真家であるから、まだカメラを持つ前であったアドンは別にして、それ以外の彼女たちのヌード写真をたくさん写している。 また、特筆すべきなのは、レンズの前ではみょうなポーズをとらされたり、マン・レイの言うがままな女たちも、じつは多くが芸術の素養があり、むしろ男性のマン・レイを導いたという面もあるということだ。女性の社会的進出が目覚しくなってきた昨今であればいざ知らず、20世紀前半にあっては、これほど「進んだ女」たちとつぎつぎ知り合いになったというだけでもすごいことだと言わねばなるまい。 筆者は芸術家の異性関係を調べ上げたわけではないけれど、これほどまでに華麗な女性遍歴といえば池田満寿夫ぐらいしか思い浮かばない。みなさんはどうでしょう。 ただし「進んだ女」を恋の相手にえらんだことの代償も小さくなかったようで、たとえば性的に奔放で、寝る相手をえらばなかったリー・ミラーとはそうとうけんかもしたらしい。 そもそもこのリー・ミラーという人は、今回の写真展で見ただけでもすごい美人であることがわかるが、経歴もものすごい。 彼女の息子、アントニー・ペンローズへのインタビューが「マリ・クレール」1990年6月号に載っているが(なお、今展覧会の図録巻末の「主要書誌等目録」に、マリ・クレール「1990年1月」とあるのは誤りである)、それによると
たくさんの女性たちのなかで、マン・レイがだれをいちばん愛していたかというのは、たぶん愚問だと思う。ただ、最後の妻になるジュリエットが、マン・レイとけんかしたとき、こっそりリーに電話をかけ、仲直りの方策を尋ねていたというのは、おもしろい。 |
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これで終わってしまっては、「展覧会の紹介」史上、もっともしょうもない文章になってしまうので、最後にちょいと理屈っぽいことを書こう。 といってもたいしたことじゃなくて、たとえば、デュシャンの「L.H.O.O.Q」という作品のこと。 これはデュシャンの「作品」である。 しかし、作品の写真を撮ったのはマン・レイだから、マン・レイの作品ともいうことができる。 これは、デュシャンの「ローズ・セラヴィ」にしても同様である。コンセプトはデュシャンで、それが20世紀美術でいちばんだいじなことになってしまったが、しかしこの「作品」においてデュシャンは被写体になっているだけで、べつになにかを描きのこしたというわけではないのである。そして、やはりマン・レイの作品でもある。 さらに考えをすすめれば、「L.H.O.O.Q」というのはどう考えたってレオナルド・ダ・ヴィンチの作品ではないか。 いったい作者というのは何なのか。これらの作品をパロディーにした森村泰昌のことまで考えると、あたまはますますこんがらかってくるのであった。 |
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