展覧会の紹介
回想・北海道の25人 北海道美術の輝く個性 |
2002年10月23日(水)〜12月8日(日) 道立近代美術館(中央区北1西17) |
(この稿、敬称略) | |
最初にお断りしておきますが、この文章は、あるいはこういう展覧会もあったかもしれないというひとつの思いつきであって、今回の展覧会を批判、否定するものではけっしてありません。 この展覧会は、道立近代美術館が開館25周年を迎えたのを記念したもので、開館以来回顧展をおこなってきた北海道ゆかりの美術家たちの所蔵品を1ないし2点紹介しています(松樹路人のみ、個人蔵の絵が1点)。 いわば、北海道の美術センターとしての役割を果たしてきた美術館による「ベスト・オブ・北海道美術」というべき展覧会になっています。 ポップミュージックでいえば、コンピレーションアルバムみたいなものなので、各アーティストについてほりさげて紹介できない制約はもちろんあるでしょう。その反面、各作家のエッセンスだけをとりあげているため、入門篇として手堅い内容になっているということができます。 取り上げられている作家は、つぎのとおりです。 ◆日本画 岩橋英遠、片岡球子、菊川多賀、本間莞彩、森田沙伊 ◆洋画(油彩) 居串佳一、上野山清貢、小川原脩、神田日勝、木田金次郎、国松登、久保守、小谷博貞、砂田友治、田中忠雄、田辺三重松、中村善策、難波田龍起、深井克美、松樹路人、松島正幸 ◆版画 一原有徳、北岡文雄 ◆彫刻 佐藤忠良、砂澤ビッキ このうち、いまも現役なのは、片岡球子、松樹路人、一原有徳、北岡文雄、佐藤忠良の5人のみであり、しかも松樹をのぞく4人はすでに80−90代という高齢です。 また、おもに道内を拠点にして作家活動をつづけたのは、半数にみたず、生後まもなく東京にうつりすんだ難波田、妻の実家があった関係で戦後の数年間住んでいただけという北岡などがふくまれています。 このことからわかるように、今回の展覧会は、実作によって北海道内の美術の変遷を振り返るというよりも、すでに一定の評価を確立した作家たちの回顧展のダイジェスト版だといえるでしょう。道外ではまったく無名という人はすくなく、或る程度“全国区”という作家が大半を占めているといえます。 リストに当然入っていてもいいのに抜けている名前を、わたしたちはすぐに3人挙げることができます。 それは、三岸好太郎、本郷新、中原悌二郎の3人です。 この3人については、それぞれ三岸好太郎美術館、札幌彫刻美術館、旭川市彫刻美術館という立派な個人美術館を有しており、わざわざ道立近代美術館で取り上げるまでもないということなのでしょう。 また、地方の美術館や芸術の森美術館で回顧展をひらいた作家たちには、かならずしも光があたっているとはいえません。おもいつくまま挙げていくと、赤穴宏、因頭壽、箱根寿保、伊藤正、岩船修三といった名前がうかびます。能勢眞美、佐藤進、一木万寿三はどうでしょう。 さらに、近代美術館や、その前身の道立美術館で回顧展を開いた作家でも、山崎省三や菊地精二の名前が落ちています。近代美術館で毎年1冊出している「ミュージアム新書」にモノグラフがはいっているのに、今回取り上げられなかった日本画家として、山口逢春がいます。実力的には申し分ないのに、意外と評価が遅れている画家として大月源二の名をここで挙げておくべきかもしれません。 しかし、この人選には、道立近代美術館が、あるいは“世間”が「美術」という名のもとに考える視覚芸術の範囲が、はからずも露呈しているといえなくもないように、筆者にはおもえます。 たとえば、国立近代美術館がおなじような企画をひらいたと仮定します。 そこに、白髪一雄や李禹煥の作品がなく、梅原龍三郎や安井曽太郎の絵が中心になっているという事態は、ちょっと考えにくいことでしょう。 そうです。道立近代美術館が挙げた25人には、いわゆる「現代美術」の作家がひとりも入っていないのです。 もし、世界的に知られた北海道ゆかりの美術家を一人挙げなさい、という問いがあれば、その答えはきまっています。川俣正です。 道内の現代美術でいえば、岡部昌生、楢原武正、端聡といった作家たちが、第一線で活躍しているといえるでしょう。そこに、阿部典英や杉山留美子、艾澤詳子らの名前をくわえることもできるかもしれません。 ただ、今回の展覧会は、物故者か、高齢ですでに一定の評価を確立している作家ばかりなので、「現代美術」の作家は「まだ早い」ということになったのでしょうか。 今回リストアップされた作家は、吉田豪介の分類によればほとんどが「正統」の側であり、「異端」はやはり「異端」であったということも可能でしょうが、現在の道立近代美術館の学芸のトップである鈴木正實が「正統と異端などという区別はない」と断言している以上、このような批判はおそらく「のれんに腕押し」で、成立しないのでしょう。 美術館としては、昨年の「Art for the Spirits」展で岡部昌生をとりあげるなどしており、館としてわすれているわけではけっしてないことは、筆者も重々承知しております。 まったく等閑視されている分野には、工芸もあります。 たしかに、道内陶芸の基礎をきずいた小森忍にしろ山岡三秋にしろ、けっして全国区の作家とはいえませんし、日展・工芸部門の重鎮である折原久左エ門やガラス作家として評価の高い米原眞司はいまだ評価を固めるには早すぎるのでしょう。 このようにして思考をめぐらせていくと、この美術展がいかに“狭義の美術”の内部で構成されているかに、だんだん気付いてくると思います。 そうですね、書道もひとりも入っていません。 昨年亡くなった金子鴎亭は、近代詩文書を創始した人です。20世紀の書家を5人挙げるとすれば、おそらくかならず入る1人でしょう。道立函館美術館では常設コーナーがありますが、そのぶん近代美術館では書の分野は函館にまかせきりという感がなくもありません。 戦後、日本人の「北海道」イメージの形成にもっとも大きくあずかった人のひとりは、まちがいなく栗谷川健一でしょう。彼の観光ポスターが秘境・北海道のイメージをつくりあげることに大きく寄与したことは事実でしょうが、「デザイン」分野は、近代美術館の“美術”の範疇にははいっていないのでしょう。 近年で、もうひとり、日本人の「北海道」イメージを大きく左右したものとして、前田真三の富良野の風景写真が想起されます。彼の写真の芸術的価値はいまはわかりませんが、それにしても、近代美術館で「写真」を「美術」の一分野として考えているというきざしは、いまのところまったくみられません。 もともと北海道、とりわけ函館は、日本の写真史においても特権的な土地であり、木津幸吉、田本研造、武林盛一、横山松三郎らの名前は、96年に函館美術館でひらかれた「冩眞渡來のころ」でも出ていたはずです。これら写真家の活躍は、画家の活動よりもはるかに前のことです。 さらに、岩合徳光、嶋田忠、繰上和美、住友博、田村茂、長倉洋海、服部冬樹、深瀬昌久、吉田ルイ子といったゆかりの写真家の名前を挙げることは可能でしょう。 たぶん、これらの写真家のうち、何人かについては、どこかの施設でオリジナルプリントの収集をしているものだとは思いますが。 このほか、建築の分野もありますね。これについては筆者はまったく無知なので、具体的な名前は挙げませんが。やや話の広げすぎになるかもしれませんが、マンガというのも視覚的表現の一種であり、この分野では北海道は日本を代表する作家をたくさん輩出しています(ということは、世界的な土地であるということであります)。 ことし「ミュージアム新書」の1冊として「田上義也と札幌モダン」が出たり、昨年の帯広美術館で「北海道はなにを記録してきたか」と題して栗谷川健一や梁川剛一などをとりあげるなど、道立館自体が、絵画・彫刻以外の分野を忘却しているということではけっしてないのだと思います。 30年、50年のときに、どのような企画がたてられ、“美術”という概念がどれくらい拡張されているのか、たのしみであります。 |