展覧会の紹介
第77回 道展 | 2002年10月24日−11月10日 札幌市民ギャラリー(中央区南2東6) |
28、29日の北海道新聞夕刊に載った佐藤友哉さんの道展評のキーワードは「リアリズム」だった。 なるほど、ふむふむ、と思いながら読んで 「これほどまとまった批評が出たんじゃあ、いまさらもう書くことなんてないよなあ」 などと感じたのだが、あらためて昨年、じぶんが書いた文章を読みなおしてみると、なんだ、「油彩」のところでちゃんと「リアリズム」について書いてるじゃん。 ただ、文章の調子は相当ナマイキですね。ことしは控えめにします。 なお、全体の傾向は、1年や2年で変わるものではありませんが、昨年はかなり多かった新人の登場が、いささか少なかったような気がします。 |
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(文中敬称略。地名の記述のないのは札幌在住) |
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▼日本画 昨年、会員の作品が小さいだの迫力がないだの、勝手なことを書いてどうもすいません。 これは、ひょっとすると、たいへんな厳選のなか、1点でも多くの作品を陳列させてあげようというベテラン会員の温情かもしれないのです。 今回も、羽生輝(釧路)、伊藤たけし(旭川)、佐藤弘美子(愛媛県新居浜市)の3人が、完成度はたかいながら、50号を陳列している。 千葉晃世「聚(あつ)むる」。 この人ほどめまぐるしく画風を変える人はめずらしいと思う。昨年はどこかの扉を写実的に描いていたが、今年はほとんど抽象画のおもむき。オレンジの地に、茶色の塊がいくつもそびえている。 吉川聡子「舞い降りた静寂」。 これまで、高い椅子に腰掛けた女性や、隊列をなして飛ぶ鳥といったモティーフを複雑に組み合わせ、高い筆力をフルに駆使して画面を構築していたが、ことしの「北の日本画展」あたりから画面の整理がはじまっていた。今作では、レオナルド・ダ・ヴィンチのデッサンとおぼしき紙の引用こそのこっているものの、女性は板敷きの部屋にたったいま入り込んできたようだ。女性の背後にはすっかり葉の落ちた森と群青の空が広がる。床の上に、野の花と青鉛筆が転がっているあたりはたいへんうまい。椅子を降りた女性がこれからどこへ歩いていくのか、注目したい。 北口さつき「アジアのひと」。 色黒の女性像という主モティーフや暖色のエネルギッシュな使い方は変わっていないが、女性の衣服の文様や、背景の模様に、一種のエンボス処理をほどこしているのが目に付く。これって、日本画ではめずらしいんでしょうか。 平向功一「バベルの塔」。 バベルの塔の前は箱舟がテーマだったから、文明批評的な側面は以前から変わっていないのかもしれない。それにしても、人間も動物もまったく姿が見えず、起重機だけがあちこちで動き続けて、石を空中につるしあげているのは、とても不気味である。これでちゃんと建設されるのだろうか。 遺作が2点。小林満枝「命降る」と、服部真紀「植林の山」。 どちらも遺作ながら、あたらしい生命を祝しているような画題であるのが、感慨ふかい。 なお、ことし帯広でひらかれた小林満枝の遺作展についてはこちら。 会友は9人が皆勤。 陳曦「連」。 新会員。衣服はシンプルながら、日本画の装飾性は、髪飾りと敷物に表現されている。 石田眞理子(千歳)「少年の時間−風に訊く」。虫取り網を持って林のなかをゆく、緑色のポロシャツを着た少年を、仰角気味に描いた作品。少年も、木々の、やや黄色実を帯びた葉も、生気にあふれていて、そして郷愁をさそう。 安栄容子(恵庭)「秋の気配」。 彼女の絵をたんなる植物画から区別しているのは、まさに題にある「気配」にほかならない。夏の盛りが過ぎ、野の草がわずかにしおれ始めるころの様子や、わずかに湿り始めた空気感などが、微細な筆でとらえられている。 佐藤綾子「この街で」。 うーん。中央の自画像は、ローファーやパンティストッキングの質感までみごとで、あいかわらず筆力の高さをかんじるのだが、背後のマーチ(車)や床の模様はなんだかペカペカしていて、この人らしくないぞ(おっと、控えめにいくんだった、ごめんなさい)。 一般。 朝地信介(留萌)「刻弛(ときたゆ)む」 未来都市を思わせるビルディングが古びている―という逆説的な光景を描き、あっという間に新会友。 西谷正士(後志管内余市町)「海沿いの道」 新人賞。枯れ草に覆われた廃道を丹念な筆致で描く。奥へと視線をみちびく構図も手堅い。 高橋明子「Muse」 ずっと伝統楽器・音楽をテーマにした絵を描き続けてきたが、今回の作品がこれまでで一番まとまっているような気がした。実際に音色が聞こえてくるようなのは、弾いている人を描く筆に情感がこもっているからか。 齊藤美佳「雪華のしらべ」 海の底、ランプなどが置かれたなかを魚がゆっくりと泳ぐ幻想的な光景を、レモンイエローなどの明るい色彩を用いながら描いてきたが、今回は深緑が主体になって、謎めいた感じがぐっと増している。さらに水面を泳ぐカモや、舞い降りる雪の結晶なども描かれ、転換を予感させる。 谷地元麗子(江別)「守人」 彼女の絵にいつも登場するひげ面の男性が左側であぐらをかき、その右後ろで作者とおぼしき若い女性がスリップ姿で横たわっている。左奥に猫。地はまばゆい赤。若いときは、こういう絵を描きたがるもんなんですね。それにしても…。 千葉繁(後志管内倶知安町)「黄金空光彩」 北の日本画展のときは群青が主だったが、こんどは黄金が全面を覆い、豪華な感じ。そのなかを3羽のタンチョウが悠々と飛び、地上には川が黒々と蛇行している。いささか定型的だという人もあるかもしれないが、それがむしろ良さだという見方もあるだろう。 全体的には、抽象や、大胆な構成に取り組む絵はすくなく、たとえば創画展あたりとくらべると、冒険心に富んだ絵が少ないのはいなめないと思う。 |
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▼油彩 冒頭で「リアリズム」のことを書いたが、さいきん擡頭がいちじるしいのは、伝統的な「官展的・印象派的なリアリズム」というよりも、写真と見まごうようなスーパーリアリズムであって、しかもそれが見られるのは、会員ではなく、会友・一般入選のほうなのである。 とくにことしは、会員に昇格した中原宣孝らが出品していないことも手伝って、スーパーリアリズム系が会友・入選にかたよってしまっている。 もっとも、壁面全体からみると、けっしてリアリズム系だけではなく、いろいろな傾向の絵がならんでいることはまちがいない。 伝統的なリアリズムの系譜で見ていくと、 池上啓一「早春の山」 構図が秀逸。画面の結節点となるべき川の頭首工を、縦長の画面の半分よりも上に、有珠山とおぼしき山はさらに奥に配し、視線をさらに奥へとみちびく。ふつうなら、手前のスペースがあきすぎになるが、そこを、雪原と木々の巧みな配置で無理なく埋めている。 鵜沼人士「fafa@はまなす」 おだやかなタッチの女性像はあいかわらずだが、これまで丹念にえがかれてきた室内のようすが省略されて、花や枝がグリザイユのような薄い色あいで散らされているのが新しい試み。 南巖衛(函館)「壁画の前で」 さすがに古代ギリシャの壁画だけでは画面をもたせるのがむつかしいとおもったか、壁画の前に白衣の女性を立たせた。ただし、どちらも、これまでにくらべかなりラフなタッチで処理されており、女性は壁画のなかに溶けていきそうだ。 豊田満「橋への道」 昨年はルオーばりの暗い人間像で目を引いたが、ことしは穏当な風景画にもどったようである。ただ、以前にくらべるとタッチは粗く、線はスピーディーで、あの道庁赤れんがの絵のような画風にはもう帰らないかもしれない。 道川順也(岩見沢)「北東の風」 オレンジのコートを着たふたりの大人と、黄色い上着の子供が、はげしい吹雪におもわず風を避けて顔を袖でおさえているだけの、シンプルな絵だが、吹雪の激しさをよく表していて好感がもてた。 このほか、岸田賢治「追憶」は、1944年協会賞受賞作家であることを思うと、その健在ぶりにはおどろかざるをえない。 西田陽二、村上陽一(帯広)、伊藤光悦、木嶋良治、佐藤道雄(旭川)、越澤満、野田恭吾(小樽)といった顔ぶれも安定している。 本来ならスーパーリアリズム系だった木滑美恵(旭川)「A stage set U −闇から光へ−」は、紺色の闇の中に群像が溶暗していくような絵になっている。 抽象では、千代明(日高管内門別町)「舞」に注目した。乳白色の地に、淡いピンクの輪がかすかな黄色を交えながらとけていく一瞬を表現したこの絵は、ひじょうに現代的な面も持ち合わせた一枚だと思う。 長岐和彦(上川管内美深町)「FIELD 2002−4」は、地の白さがもどってきた。ひっかかれて描かれた黒い線は、一見自由奔放で、緻密に計算されている。 物故会員は、和泉俊廣、中山教道(歌志内)のふたり。 ことしは、計7人もの遺作が展示されている。これは、図録の巻末の年表によると、久保守らが逝去した93年の8人以来のことであるようだ。 会友。 会員の絵の上になったりして、見づらい作品も多いのだが、なかなか粒ぞろいの絵がそろっている。 新会員は、末永正子(小樽)、八重樫眞一、中井泉、鉢呂彰敏。 うーん、末永さんが協会賞を得たのはついこないだのような気がしていたが、4年前のことであったか。 「女(ひと)−T」は、デフォルメされた人物像はますます勢いのある筆致に覆われるようになり、ほとんど抽象画となっている。それでもどこかに人物の余燼をのこしているのがおもしろい。 八重樫の「日々に映るX」は、立ち尽くす人物を配した構成画で、人物と街景のスケールが合っていないところがユニーク。 中井「comfortable silence-oct」は、直方体の色面を組み合わせた抽象作品。 鉢呂は、スーパーリアリズム系の人物画である。 この系統には、茶谷雄司、武石英孝がいる。 工藤英雄(小樽)「鳥」 工藤は、錆びた歯車などの堆積を執念深く、しかしどこか明るさののこる明快なタッチで描き続け昨年会友になった。今回は、鉄錆び色の歯車の前に、鳥の止まったコンクリート塊を三つ配して、あたらしい展開をみせている。9月の「作家集団『連』展」のときにくらべ、有刺鉄線などを描き足しているようだ(記憶が不確かですいません)。 河野満美子「みずとすな」 青やピンクといった明るい色彩の下地の上に、風景などを重ねるこの作家独特の技法にはますます磨きがかかってきた。今回は、砂浜にいる女性と馬の絵と、青やピンクの水玉模様とが重なって見え、夢幻的な絵画空間をつくっている。労作。 河瀬陽子(芦別)「マリオネット」 昨年までピエロのモデルに描いていた清水一郎さんが亡くなり、椅子の上に置いた人形から作者のかなしみがつたわってくるようだ。会友賞 内田佳代子「爽風」 湖畔の木々とボートをうまくまとめている。水色を主に、明るいグリーンなどをくわえ、文字通りさわやかで、開放的な空間を構築している。 浦隆一(砂川)、今泉真治(伊達)も、例年と同様の、他の追随を許さない個性的な絵を描いている。 協会賞は22歳の山川彩子「遥か彼方へ」。 若い受賞者とあって、ふだんなら取材に来ないテレビ局などが会期初日にずいぶんやってきたという話を聞いた。 まばゆい色彩と、若い人物像のポリフォニーは、1999年に河野満美子が協会賞を得たときのことを思い出させる。わずか3年後に、よく似た絵に協会賞をふたたびあたえてしまうことに違和感がなくもない。山川の絵が、河野の絵ほど風景画的な空間のひろがりをもたない一方、色の配置などの面で、おなじ住所に住む道展会員で教育大教授・山川真一のより強い影響下にあることは、否定できないように思われる。 佳作賞のうち、寺島寛之は昨年、協会賞で鮮烈なデビューを果たした若手。 今回の「想空」は、ひび割れた空の前で、球体を手にしながら中空にうかぶ若い女性をスーパーリアリズムで描いたもので、じつに達者。筆者は、ひび割れる空から、帰ってきたウルトラマンを思い出してしまった。こんどは複数の人物が出てくる絵を見てみたい。 芝桐子「WHO IS JOKER?」 ふつうなら洋画の題材にならないような、若者の集まる店の中などを題材にした絵を2年つづけて発表していたが、今回は、香港のフィルムノワールの一場面のようなシーンを描いている。トランプをしている男女の、男のほうに、べつの若い男が拳銃を突きつけているのだ。芝居がかった内容には賛否がありそうだが、木の床、テーブル、革靴、ガラスの灰皿といった小物の質感を描く力量はずばぬけている。 前田信與「秋樂譜」 昨年までも秋の枯れた植物を細緻な筆で描いていたが、ことしの絵が、それまでと一線を劃する出来になったのは、風による動きをつかまえたからだと思う。一陣の風が紅葉の枝々を揺るがし、背景のススキや笹を揺るがす。笹は風に沿ってきれいなカーブをつくり、紅葉はばらばらにはためく。そのあざやかさ。佳作賞。 新見亜矢子「市場・夕暮れ」 一般的には風景画で阻害要因となる電線や高層マンションが、画面を有効に構成する線として働いている点におもしろみを感じた。新人賞。 長内さゆみ(渡島管内大野町)「水辺の秋(T)」 高いテクニックで水面と、そこに浮かぶ蓮などを描いてきて、ようやく会友に推挙された。毎年、第1室にかざられていたが、いつも上の段だったので、下の段でつぶさに見られたことがうれしい。水面に反射する光の粒が、手前だとちいさく、奥だとぼけたように描写されているあたり、ほんとに「フォトリアリズム」だなという感じ。会友推挙。 佐藤順一「漁船集う」 小樽派、健在なり、の写実絵画。佳作賞。 この系譜で、飯嶋政雄「春を待つ」も、漁船員たちの群像と船を描き、気持ちの良い作品。 加藤貢「はしけ舟」 油彩の項目に入れられているが、精緻な鉛筆デッサンで、小樽運河とおぼしき寂しげな風景を克明に描写しており、これもスーパーリアリズム的作品といえよう。 柿崎鈴子「崩壊U」 小樽派があるなら、赤平派もある? 同様に堅実なリアリズムが多いなか、コンクリートの崩落した中に埋もれたワイシャツを描いたこの絵は、炭鉱事故の記憶を普遍的な地平に押し出すことに成功していると思う。ちなみに、赤平からの出品者には、会員・竹内辰義、濱向繁雄、伊藤哲、入井峰生、一般・森武悦子、曽我部芳子、小西美根子がいる。 青柳優子(十勝管内芽室町)「仮りそめの舞台」 鉄板を折ったようなかたちにデフォルメされた三人が、それぞれ赤、黄色、青に塗られ、一輪車に乗りながら楽器を演奏しているという、見ようによってはキュビスムへの皮肉ともとれなくもない絵。すくなくても、人間への風刺にはなっている。 谷藤茂行「廃虚−初秋」 個展の紹介でも書いたが、マチエールの追究ぶりはハンパではない。 後藤優子「アパートメント」 高層住宅の9つのフロアを真正面から描写。繰り返しのリズムがおもしろいし、人間社会を描いてもいるが、すでにだれかが似たような絵を描いているような気がしないでもない。 ほかに、飯田信幸、岸本春代(後志管内黒松内町)、塚崎聖子、久津間律子(江別)、柴田亜希子にも注目した。小川智は、講評では酷評されていたが、筆者は佳作だと思う。 最後に、会員の種市誠次郎「浮遊(めぐる)」について。 この会員は、ざるをモティーフに、これをどう配置したらどうなるか、傾けるとどうなるか、などということを、愚直なまでに追求してきた。今回は、ざるの周囲の空中にワイングラスをたくさんうかべている。けっして画面を器用にまとめるタイプではないが、「もの」そのものに迫ろうとしている数少ない人だと思う。ほとんど取り上げられない画家なので、あえて書きました。 |
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▼水彩 宮川美樹(岩見沢)「刻」の、無常観すら漂わせる卓絶した技巧と静寂、白江正夫(小樽)「黄陽」の、黒い輪郭の強調と、直線を意識した画面つくり・・ と、ここまで書いてきて、毎年おんなじようなことを言っていることに気がついた。 みなさん、じぶんの分野を掘り下げているのだろうから、外野からとやかく言われる筋合いはないと反論されそうだが、その外野から見ると道展の水彩分野はいささか変化と冒険心に乏しいのではないかという気がしないでもない。 そのなかでは、深山秀子「新緑」が、これまでの具象と抽象の組み合わせから、さまざまな円形を浮かべた完全な抽象に移行しており、このほうが以前の画風よりも合ってるように思われる。 また、安田祐造が「北の森の主」で佳作賞を得たのも朗報であろう。この人は、印象派以前のアカデミスム的な技法には以前から定評があったが、なかなか受賞にむすびつかなかった。今回は、冬の森の老樹をリアルに描き、迫力がある。微妙な明暗がうまい。 高松秀人(上川管内東神楽町)「象山と船小屋たち」も、勢いある描線と均整の取れたダイナミックな構図で、会友推挙は妥当なところだろう。 いまひとりの佳作賞、三村克彦「エンジン14」は、対象に迫る真摯な視線が、好感をいだかせる。 おなじ理由で、遠藤直子(帯広)「樹幹冬」も良い作品だった。題材で、安田と重複してしまい、損をしているが。 会友では、あいかわらず、北野清子、三留市子(小樽)、志賀迪がまじめに風景を追っている。 ただ、一般入選では、写実的な作品が大半で、こちらをびっくりさせるような絵はすくない。札幌時計台ギャラリーで水彩連盟展などが開催されているが、それが描き手たちに刺戟をあたえた痕跡はほとんどみられない。栗山巽が孤軍奮闘、抽象に取り組みつづけている。 |
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▼版画 ことしの版画の展示コーナーはずいぶん隅っこだった。版画部よ、怒れ! さて、これまでリアリズムだなんだと書いてきたけれど、全道展と比較すると、版画部は唯一、抽象的でややむつかしい作品がならぶ。全道展のほうが、写実的でわかりやすい作品が多いのである。 会員では、金沢一彦が、めずらしくサンドブラストの多色刷りではなく、エッチングの単色作品を出している。 また、更科eの「焼き鏝」作品は、かなり板についてきたようで、今回の「ボーダーの街」は、歯車の焦げあとにも、明暗がついている。 会友では、渡邊慶子が会員推挙。実績から言って申しぶんのないところ。 石川亨信(石狩)が会友賞を得ている。 村田由紀子はフォルムがあいまいになり、かなり変化を見せている。 一般からは岡本葉子が会友に推挙。ことしの「fragile T」は、余白を大胆に生かした作品で、昨年の佳作賞作品に比べてもそうとうすっきりした印象を受ける。 佳作賞は、落ち着いた作風の三島英嗣と、昨年鮮烈なでびゅーを果たした横山郁美(根室)。横山は若い世代の生理をフルに生かした大画面を木版画で構築し、昨年の新人賞がフロックではなかったことを証明した。 ほかに、後藤由紀子の「遥かなる時代(とき)へ」が、巨大な亀をモティーフにして、圧倒するパワーをまきちらし、神田真俊のシルクスクリーン「ぐるん」は、ことしもポップでめくるめく感覚を味あわせてくれた。 鳴海伸一も、「都市奔走〜coamic wing〜」の題の通り、スピード感にあふれた構図と線が目を引いた。 |
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▼彫刻 いきなり遺作からというのも異例かもしれないが、会員・丸山隆の「不可視コード」を見ると、 「やはり彼はまだどこかで生きて仕事してるんじゃないか」 と錯覚してしまうぐらいに、彼がまさに、功成り名を遂げた大家ではなくて、現在進行形の作家であったことを、まざまざと感じてしまう。彼の不在で、道展でもっとも活気のあった部門である彫刻部門―作品の質ということではいろんな意見があるだろうが、活気ということではやはり彫刻だったと思う―は、大きな穴が空いてしまったようだ。近年の受賞者のうち、菱野史彦や長谷川裕恭といった、かなり型破りな作品をつくる若手の姿がことし見られないことが、不在の感覚をよけい深くしている。 くわえて、実力がある会員たちが、個展などで多忙なためか、わりあい小さな作品でお茶をにごしており、まあしかたないとは思うけど(たとえば、丸山も昨年は出品していない)…。 その点、「北の彫刻展」と出品が重なりながらも、しっかりと存在感ある大作「始まりの石 2002」を出した菅原尚俊(江別)はえらいと思う。 山下嘉昭「譜〜47」 彼の作品が石膏で出来ていたとは、ショックだった。ずっと木だとばかり思っていたのだ。表面の知的な処理で見せる作品でありながら、マッスを決して失っていないのは立派。 秋山知子「記憶のほとり」 例年ダイナミックな裸婦をつくる。ことしは、台に腰掛けた姿。そのせいか、両足は、この人立てないんじゃないかと思っちゃうくらいに細いが、それでいて貧弱な感じはまったくない。 丸山恭子「脱出計画」 やはり力強い裸婦。毅然と上を向く姿が、じわりと感動を呼ぶ。 木彫では、高橋昭五郎(室蘭)、板津邦夫(旭川)、小石巧が、自己模倣を回避しつつ、きちんとまとめているのが心強い。 裸婦では、やはりパワフルな作品をつくる桂充子が会員に昇格した。 会友・加藤宏子の作品が、図録に掲載されていないのがざんねん。 竹居田圭子(空知管内南幌町)の作品写真もない。彼女は、ことしも予備展示室に押し込められていて、あまり会員から評価されていないのではないかとうたぐってしまう。なにか人と変わったことをやってやろうというこころざしはかんじられるのだが、いかんせんコンセプトがよくわからないので、評価のしようがない。 一般。 具象では園田陽子「言葉の芽」がよかった。佳作賞。 ずっしりとした存在感がある。 一方、期待していただけに、ほんらいの実力をじゅうぶnに発揮しているとは思われず、ちょっとざんねんだったのが、賀川麻理子と森大輔。 抽象では、新人賞の伊藤千尋(恵庭)「ADULT STEP」は、錆びた鉄の立方体を組み合わせた。軽快な形態と重々しいマチエールのギャップがおもしろい。大谷卒、23歳の若手であり、今後が期待できそう。 武蔵未知(渡島管内森町)が会友に推挙された。 富原加奈子は昨年まで具象をつくっていたのではなかったっけ。「丘の風」は、荒削りな中にも繊細さの感じられる木彫だ。 |
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▼工芸 この項は、たぶん筆者に基礎的知識が不足していて、あちこちで誤ったことを書いているかもしれないので、そのときは指摘をよろしくお願いいたします。すいません。 漆芸 会員はどれも見ごたえがあるが、浜口秀樹「warp」のダイナミックなフォルムに感服。漆イコール平面という固定観念を、さわやかに打ち破ってくれている。 安田律子(旭川)「夏草’02」はいつもながら叙情的な画面づくり。 山本恵美「紅かほり’02」は、革に漆をかけたのだろうか。 三上知子の作品がないのがさびしい。 一般では、渡辺和弘が新会友推挙。「創想華」は、たくさんの色を大胆に配していて、おもしろい。題名はわかりづらいけど。 木工 大塚哲郎(岩見沢)「躍」 いつもながらスキのないフォルム。 一般では、米沢香奈(江別)「グルグル」が、ことし工芸部門に新設された畠山賞。ただ、どこか大塚作品に似ているような感じ。それ以上に、後継者がすくないのがざんねん。 陶芸 工芸の中ではもっとも多数派である。 会員では、もともと表面の貫入など景色を追求していた(とおもわれる)安藤瑛一(北見)が、近年はフォルムのうつくしさをも探求している点で、注目している。ことしの「白亜屈折面器」も、なかなかおもしろい形だ。 フォルムといえば、坂東豊光(旭川)「古代の詩」も独特。 土橋絹枝(図録には土橋陶媛となっているが)「三大(地・水・火)」は、編み上げの技法によって、複数の陶土からなる器を、円筒、四角錘、三角錐のセットにしてつくった、たいへんな労作だ。 一般では、毛利萬里子(北見)が「地の再生」で、山中佳寿美(帯広)が「流氷の岬−夜明け」で、それぞれ新会友に。いずれも、斬新な表面処理が目を引いた。 ことしも例によって、古山容子、重富民子、柳原光代といった、北見の女性陣が奮闘している。ただ、あたらしい作風にもチャレンジしてほしいと思う。 七宝 とりくんでいる人口は多いはずなのに、出品はそうでもないようだ。 田辺恵子(江別)のような大作となると、しり込みしてしまう人が多いのか。 人形 小林逸男「期待」は遺作。 昨年は出品数が極端に少なく、心配だったが、ことしはすこし盛り返した。 会員の橋本紀比古、会友の山内真美子(江別、「睡蓮」で会友賞)、一般の堀江登美子(岩見沢、「未練」で小林逸男賞)、厚谷智恵子、剣持小枝の計6作(遺作含む)が展示されている。 革工芸 会員の明本モト子(函館)と、会友の吉田良子(函館)のみ。 金工 すでにお伝えしたとおり、かつて「道展三羽烏」のひとりといわれた畠山三代喜が亡くなり、遺作「靴の詩」が陳列されている。 人物を表さず、向かい合うローファーとブーツだけを表現することで、親しい会話のようすを想像させる、たのしくしゃれた作品だ。手前にいる小鳥3羽もよいアクセントになっている。 ただし、全体的には、立体のほうが、元気な作品が多いような気がする。 小林繁美「或る英雄の眠り」はこの作家らしい、土俗的なパワーに満ちているし、中堅・佐々木けいし(石狩)「撚」、若手の武田享恵「無の存在」も、形状にたくましさを感じる。 望月建(石狩管内厚田村)「環」は、シンプルながら、曲線のかたちをつなぐことで、全体を想像させる佳作である。 ちょっと分野はちがうかもしれないが、長谷川房代(函館)「有線七宝蓋物“ヤドリギ”」は、いつもながら繊細な仕事である。 田辺隆吉(江別)は、以前の個展と同様、板や古い農機具をそのまま使って表面を加工した作品を出している。 平面では、会友の渡辺浩希(江別)「楕円盆銀雪六花」。雪の結晶をあしらった、シンプルかつモダンながら、伝統もふまえた作品であると思う。 染織 西本久子「ふぁー」 以前のレインボーカラーから急速に色彩が簡素化している。独特の軽やかさは健在だ。 戸坂恵美子「海華」 これはあるいは失礼な物言いかもしれないが、戸坂が道内の染織界で占める役割は大きいが、それは第一に、多彩な技法をおびただしい後進に教授してきたことにあると、筆者は認識していた。ところが、道展の昨年あたりから、実作も急に深みを増してきたような気がしてならないのだ。ことしも、色と色のかさなり、にじみが、うつくしく表現されているのに目を瞠った。 一般では、本間輝子(帯広)「清命(せいめい)」(たぶんろうけつ染)が、清新な発色で佳作賞を得たが、竹田園子「型染め着物」もここで記しておきたい。ジュースの入ったグラスというモティーフは、「和」の題材の多い着物の世界ではとても斬新だと思う。過剰とも思える繰り返しもふくめ、旧来の発想をやぶる着物だと思った。 全体として、染織のレベルは高くなっているように感じられた。 |