つれづれ日録の題字

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4月12日(金)
 長倉洋海写真展「アフガンの大地を生きる」を、札幌大学(豊平区西岡3の7)展示スペース学長室で見ました。
 着いたときはまだ朝9時になっていなかったけれど、大学の人が電燈をつけてくださいました。
 札大の学長はご存知、文化人類学者の山口昌男さんです。彼は学長に就任したとき、学長室から机やドアを取り払って、ギャラリーにしてしまったのでした。
 さて、長倉さんは釧路生まれのフォトジャーナリスト。アマゾンとかコソボとかいろんなところに出かけていますが、アフガニスタンには80年から通い、北部同盟の司令官マスードとも親しくしていました。
 今回の写真展には、一昨年暮れに富士フォトサロン札幌で開いた個展でも展示されたマスードの素顔をとらえた写真や、兵士たちのスナップなども並んでいます。
 ただ、やはり目を引くのは、近作です。
 タリバーン政権に禁止されていたサッカーに興じる子どもたち、平和が帰り故郷に帰る難民たち、米軍の誤爆の跡、タリバーンが去って喜ぶ女性たちなどなど。
 長倉さんの写真って、どんな悲惨な境遇でも、子どもたちの笑顔が希望を感じさせるんだけど、今回もそうでした。
 ただ、昨年の同時テロの直前、暗殺されたマスード将軍のことを思うと、彼の精悍な顔つきは、やっぱり悲しい。
 残る会期は15、16日のみ。朝9時から午後5時まで。

 札大のキャンパスの北側には原生林が残されていて、なかには小川が流れています。
 これは、西岡排水の源流域です。「排水」といっても、人工の水路ではなく、天然の川です。
 ただし、キャンパスの北の端にある運動場の手前で地下にもぐってしまい、その先も、90年代に入ってから暗渠化されてしまいました。地上にふたたび顔を出すのは、望月寒(もつきさむ)川に合流する直前です。
 大学構内にある川の源流といえば、北大におけるサクシュコトニ川、北星学園大の二里川支流などが挙げられます。いずれも市内であり、やはり札幌は大都会としてはまだ自然が豊かなほうだといえるのかもしれません。


4月11日(木)
 札幌時計台ギャラリー(中央区北1西3)で、時間がなかったので菊地章子個展だけ覗いてきました。
 全道展会友の油彩作家。一貫して抽象です。
 何の法則性もない自由な線と色は相変わらずですが、前回の個展の作品で多かった太い破線はほとんど姿を消し、円い形がずいぶん目立ってきています。
 13日まで。

 美術に全然関係ない話。
 読売夕刊などによると、ロックバンドのリンドバーグが8月の東京でのライブを最後に解散するそうです。
 じつは筆者はけっこうCDを持ってたりするので、ちょっとショック。2、3回ライブにも行ったし。
 ここ数年は、ボーカル・作詞の渡瀬マキの出産にともなう活動休止もあって、人気が下降線をたどっていたので、しかたないのかなあという気もしますが、たとえインディーズになってもバンドは続けていてほしかった。
 渡瀬マキが元アイドル歌手という事情から、正統派ロックファンからはあまり相手にされていなかったようですが、1991年の大ヒット「今すぐkiss me」以降の曲はすべてオリジナルだし、ギター中心の、シンプルで親しみやすいサウンドはもっと評価されていいと思います。とくにアルバム「LINDBERGW」あたりは、どれをとってもシングルカットに耐えうる、秀逸なメロディーラインの曲が並んでいます。
 また、ドラムのチェリーさんの技術は、あまり知られていませんがじつはすごいです。彼なら、優秀なセッションマンとして業界でやっていけるのではないでしょうか。
 ともあれ、残念です。


4月10日(水)
 キヤノンサロン(北区北7西1、SE山京ビル)で、ことしのキヤノンカレンダーに採用された中野耕志写真展 Countryside 谷津田を見ました。
 谷津田とは、千葉県上房地方の、谷あいに広がる田のことです。
 身近な存在であるにもかかわらず、思いのほか豊かな自然と、四季を通じて触れ合えるということに感動しました。
 羽化したばかりのトンボ。いっせいに飛び立つ鳥。田を静かに照らす満月。カワセミ。虫を狙うフクロウ、蛙…。紅葉。霜柱。
 素材もいいのですが、中野さんのうまいところは、マクロの視点と、接近した視点からの写真を、巧みに織り交ぜていることです。霜柱の拡大写真があるかと思えば、航空写真もあります。
 もうひとつは、逆光の使い方が上手なこと。トンボの羽化の写真なんて、夜なのに、光源は向こう側にあります。ストロボをたいたのではなく、街灯などが反対側から差し込む地点を選んだか、あるいは、わざわざ蛍光灯などを撮影のために設置したか。いずれにせよ、かなりの労作に違いありません。
 12日まで。


4月9日(火)
 まず訂正です。
 函館美術館の行動展は1月前半に行われる予定だそうです。ただ、貸し館のためにまだHPにはアップしていないとのことです。
 スケジュール表も直してあります。

 リンク集の「道外のサイト」に、「えかきのき」を追加しました。
 イタリア、ロシアの絵画を中心としたサイトで、テキストが読み応えたっぷりです。
 さいきんはフラッシュやフレームをたくさん使って凝ったサイトをつくる人が多いですが、筆者はじつはこういうシンプルなサイトのほうが好きです。軽いし(^_^;)

 さいとうギャラリー(中央区南1西3、ラ・ガレリア5階)で木村初江うつわ展
 木村さん、先月の大同ギャラリー、2月の丸井今井室蘭店に続きことしで3回目です。すごいなー。
 今回は「うつわ」がメーンですが、前回の大同ギャラリーでのインスタレーション的作品も飾ってあります。
 うつわの方は、灰色の、渋くておしゃれな皿や茶碗などたくさんあります。
「さいきん、ほかの作家の個展に行って、どうも自分の個展の種類や量が多いようだということにやっと気がつきました」
と笑う木村さんですが、あめ色と緑を足して2で割ったような色の皿などもあり、バリエーションが増えています。

 おとなりでは、大橋郁夫&櫻井マチ子 花花展
 ギャラリー側から「空いてるのでやりませんか」と言われて開いたような展覧会(笑い)。櫻井さんは主に水彩で、櫻井さんは油彩で、さまざまな花を描いています。
 櫻井さんの前回・2月に開いた個展はこちら

 いずれも14日まで。


4月8日(月)
 承前。6日のギャラリー巡りの続き。

益村信子「天気予想」 まだ会期が終わってないものから紹介します。
 益村信子2002年展は、大同ギャラリー(中央区北3西3、大同生命ビル3階)で。
 ことしは、上下のフロア両方を使っての展示です。
 下のフロアは、インスタレーション「WEATHER EXPECTATION(天気予想)」がメーン。
 背後には網をつるし、手前には、青く塗ったアルミフォイルの筒や、段ボール箱のすきまに詰める廃物などを配しています。とても、開放感のある作品です。
 なぜ「天気予報」じゃなくて「天気予想」なのか?
 「いまは情報があふれてるじゃない。そういうのに頼るんじゃなくて、下駄を放ったり、西の山を見たりして、自分で判断してみようっていう意味を込めてるんです」
 上の階は「永い寓話」「深呼吸」などの油彩が並んでいます。いずれも、灰色の空に球体が浮かぶなど、宇宙の広がりを感じさせる抽象画です。
 以前のように、複数のキャンバスで、ひと続きの風景?や世界を表現するのはやめ、各タブローが独立してはいますが、
「全体でひとつとして見てほしい」
と益村さんは話していました。
 9日まで。

 舟越桂版画展が、コンチネンタルギャラリー(南1西11、コンチネンタルビル地下1階)で開かれています。
 昨年、道立近代美術館で開かれた「永遠へのまなざし」展にも作品が出ていた、東京在住の木彫作家です。ついでにいうと、先ごろ亡くなった彫刻家・舟越保武の息子さんです。
 しかし、今回は、彫刻は1点もなく、36点すべて木版画と銅版画です。
 舟越さんの場合、木版はプロに彫りや刷りを任せていますが、銅版画は自刻です。
 版画もすべて人物の半身像です。どことも知れぬ遠くを見つめるまなざしや、無国籍的な顔立ち、しゃれた題名(「冬の客」「凍りついた喉」など)は、彫刻とよく似た雰囲気をかもし出しています。いわゆる、彫刻家のデッサンというものから想像される作品とは、かなり異なっています。
 ただ、近作は、上半身というより肖像に近い、空白の目立つ画面になっています。
 12日まで。

 青楓舎(南2西24)に久しぶりに行きました。清水しおり・工藤和彦 北のうつわ展が開催中です。
 清水さんは、子どものおえかきのような自由な線が、工藤さんはあたたかい色調が、持ち味です。
 9日まで。

 あとはすべて、会期の終わった展覧会です。

 ギャラリーたぴお(北2西2、道特会館)では、山内孝夫遺作展
 筆者が札幌のギャラリーを見て回り始めたのが1996年ごろなので、最後の発表が95年だった山内さんのことは、昨年11月の「チャオ」での清水一郎さんとの二人展(これも遺作展)までは知りませんでした。昨年8月に、61歳で亡くなっています。
 道立近代美術館がかつて毎年開いていた「北のイメージ」展に出品していたり、戦後の札幌の前衛グループ展として歴史に名を残している「THE VISUAL TIME」「SEVEN DADA'S BABY」「CIRCULATION’85」といった展覧会に参加しています。
 その場限りでなくなるインスタレーションが多かったため、会場にはエスキースの類が多く展示されています。会場中央には、80年代によく用いていた、ぐにゃぐにゃに曲がった鉄線が置かれていました。

 札幌時計台ギャラリー(北1西3)は、3階の利用はなし。
 A室は、外山欽平油絵個展。函館の外山さんは、毎年この時期、アルファベットをモティーフにした抽象画を発表しておりまして、今年は「E」です。
 小文字あり、筆記体あり、90°ひっくり返った字あり、180°ひっくり返った字もありで、かなり自由です。
 緑の地。図となる英文字は、フラットな塗りの赤や青にレモンイエローの細い線が走る―という基本構造は変わっていませんが、以前に比べて緑の地の塗り方が薄くなり、にじみやぼかしが美しく深みを感じさせるものになっています。色じたいはどこかナマっぽいのに、不思議な感じがします。

 札幌市資料館(大通西13)では、「ちゃんぷるぅ」という、4人による写真展を見ました。
 沖縄に行ってきました、住んでみました、大好きです―という写真が多いですが、五十嵐正弘さんの旅日記だけはちょっと違った、長い一人旅特有の疲労感と至福とが入り混じった感覚が写真からも添えられた文章からも伝わってきました。とりわけ、最後の、アイルランドの列車内で、たまたま向かいに坐った女性を撮った写真と文章は、国木田独歩の「忘れえぬ人々」を思い出させました。

 this is gallery(南3東1)では、河田理絵展
 石膏に白い顔料を塗った小さな彫刻100個を床に並べ、さらに小さな数センチの白い彫刻を壁にびっしり貼っています。
 なんだか、雲のかけらをそのまま固めたみたいな、心和むフォルムです。1個ずつ、大きさも形も違い、小さなガラス玉をくぼみに乗っけたものもあります。文鎮に良さそう。癒やし系、かも。
 河田さんは札幌高専在学中の若手です。

 市民ギャラリー(南2東6)では、第16回北海道墨人展を見ました。
 墨象の団体です。極太の筆でえいやっと書いたパワフルな作品が並んでいます。
 馬場怜さん(後志管内余市町)「渕」の構図のよさ、福士佳子さん(同)「爪」のユニークな構成、ひび割れも語彙の一つとしているかのような久保昭さん(札幌)「凱」のダイナミックさ、米道知之さん(美唄)「囚」のカーブの美しさなどにひかれました。

 同じ会場では、第24回日陽展も開かれていました。
 所属にこだわらず親睦を深めようという集まりで、道展や新道展の会員クラスもけっこういます。
 いやー、こういう“ふつうの絵”を見ると、ほっとするんだよなー。
 でも、個人的にはことしはちょっとざんねんなとこがあったなー。
 というのは、昨年の道展などでいっぺん見た絵が多すぎたからです。濱田五郎、阿部政毅、西尾よし江、日塔幸子、小林政雄、柴田登貴子、曽我部芳子、野田敦子の各氏は、既発表作のようです。
 ま、そんなこといちいちおぼえてるほうがおかしいのかも。この展覧会のために新作を仕上げるというのもしんどい話だし。
 伊藤哲さん(赤平、道展会員)「雪の空知川」は、風景画の王道をゆく作品。青い川の流れが、凍りつきそうに冷たそうです。
 近年はざるなどをモティーフにした静物画が多かったベテランの種市誠次郎さん(札幌、同)「配置」は、この画家にはめずらしい抽象画。まるでレースのカーテンみたいに、紫の地の上に赤や青の点を並べています。色や形の配置ということでは、関心のありかは静物画とおなじということなのでしょうか。
 また、道展にはもっぱら人物を描いている濱向繁雄さん(赤平、同)の「河畔の樹林」は、雪景色を、ごく明るい色を平坦に塗って処理しています。影の部分は、灰色や黒ではなく、水色や薄紫で表現しており、ぜんたいにさわやかです。
 河瀬陽子さん(芦別、道展会友)はずっと、昨年8月亡くなった清水一郎さんのピエロ姿をモデルにしてきましたが、今回の「想い」も、清水さんを描いています。缶コーヒーを手にホッと一息ついている姿です。合掌。
 水彩では、近藤健治さん(札幌)「紅葉の石山緑地公園」、近藤武義さん(札幌、日本水彩画会会友)「教会のある街」が、じつに丁寧なタッチで写実的に風景を描いており、好感がもてました。
 深山美枝さん(小樽、日本水彩画会会員)は、コーラ瓶をじっくり見つめています。
 日本画は、大野文雄さん(美唄)「津軽範兵を待つハウカセ」が、17世紀ごろのアイヌ民族のリーダーを力強く描き、洋画的な表現を知る前の日本人がかいたような素朴な持ち味が魅力的でした。
 昨年の日陽展のようすはこちら

 とりあえず、展覧会のスケジュールは、道立6館と、芸術の森、木田金次郎、市立小樽、釧路市立でスタートします。


4月6日(土)〜7日(日)
 風邪をひいて更新が遅れております。ごめんなさい。

 6日に、例によって札幌市内のギャラリーを回ってきました。
 いちばん見応えがあったのは、丸井今井札幌本店(中央区南1西2)大通館8階ギャラリーで開かれている神谷ふじ子金属造形展でした。
 会場の性質上、でかい鉄の彫刻はさすがにありませんでしたが、緑青や七宝を用いて奥深い世界を表現しています。一両日中に「展覧会の紹介」にアップします。
 10日まで。

 Free Space PRAHA(南15西17)で2日から開催中の、Week End ±0Cafe ±0Cafe history & future and then...?
±0cafeの終了にあたってパンダのような引っ越しルックで臨む白戸麻衣ちゃんと谷川よしみちゃん 白戸麻衣さん(写真左)と谷川よしみさんが、1年余りにわたって毎週末、Free Space PRAHAの1部屋で「カフェ」という形態によるコミュニケーションアートの可能性をさぐってきましたが、その総括にあたる展示です。
 まあ、いじわるな見方をすれば、若い連中がギャラリーの片隅でお茶してるだけじゃん、ってことになりますが(^.^)、わざわざこういうかたちをとって他人とのつながりをもとめる若い世代の心性がのぞけるような気もします(って安直なまとめ方だな)。
 会期中は毎日、訪れた人にコーラをのんでもらうなどの趣向を準備していたのですが、来場者がほとんどなかったそうです(T_T)。それで、ふたりして、貸しビデオをぼーっと見てたんだとか。
 筆者が訪れたときも、闇鍋の準備をしていましたが、まだほかにだれもいませんでした。でもなあ、いくら闇鍋といっても、蒟蒻畑はそのまま食ったほうがうまいとおもうぞ、おれは(-_-;)…

 展示会場には、活動をまとめた冊子が3冊、それに階段とスロープが設置されています。
 ようするに、いったんFree Space PRAHAの建物の外にでてまた戻ってくるすべり台です。
 会場を気軽に出たり入ったりするというのは、カフェのアレゴリーになっているようです。
 さて、カフェ終了後、着せ替えまいちゃんこと白戸さんは帯広に期限付き移住。デメーテルカフェに住み込むのだそうです。デメーテルとは、7-9月、帯広競馬場をメーン会場に開かれる国際現代美術展ですが、若手として乱入ってとこでしょうか。
 谷川さんは留年し、道教大の大学院に残ります。どうりで、卒業展に出品してなかったわけだ…。
 きょう7日午後7時からは打ち上げで、DJパーティーなんかもあるそうなので、みなさんお越しください(筆者は行けないけど)。

 続きは追ってアップします。

 リンク集に、道立の函館、旭川、帯広、三岸好太郎の各美術館と、市立小樽美術館を追加しました。
 道立の各館は、新年度からHPを開設したようです。


4月5日(金)
 4日付け読売新聞などによると、写真家の佐藤明さんが亡くなりました。71歳。
 佐藤さんは1959年、東松照明、奈良原一高、細江英公、川田喜久治、丹野章の各氏と、セルフエージェンシー集団「VIVO」を旗揚げ。61年解散までの短い間でしたが、戦後の写真の歴史に残るグループでした。98年には写真集「フィレンツェ」で、日本写真家協会年度賞を受けています。

 展覧会のスケジュールに「芸術の森美術館」を追加しました。

 あすは例によって大量更新の予定。


4月3日(水)
 何日も古いネタで引っ張ってすいませんが、道立近代美術館(中央区北1西17)のこれくしょん・ぎゃらりいでは、木田金次郎展も開かれています。
 出品されているのは、油彩28点、デッサンなど25点。ほかに、有島武郎の淡彩画など10点が出品されています。
 これだけの展示を、木田金次郎美術館札幌芸術の森から作品を借りずにやってしまうのですから、キンビは物持ちだなー。もっとも、油彩はこれでぜんぶということです。
 木田金次郎といえば、激しい線ですね。これは筆者のシロート考えですけど、近代絵画には、印象派がいったん破壊した現実空間の再現をどのように行うかという一大問題があって、ゴッホは短く押し付けるようなストロークの線を導入し、ゴーギャンは太い輪郭線と補色の強調、セザンヌは形態の発見など、各画家がさんざん苦労しています(大ざっぱすぎるまとめ方ですけど)。
 木田は長く激しい線によって、もともと印象派ふうだった自分の絵画空間を再構築したような気がします。もっとも、空間は作り出しえましたが、線の活躍に反比例するように、モティーフの形態の再現は断念せざるを得なかったのですね。

 あすはたぶん更新しません。


4月2日(火)
 道内美術館スケジュールに木田金次郎美術館を追加しました。

 31日に、道立近代美術館(中央区北1西17)のこれくしょん・ぎゃらりいを見ました。
 ガラス−新たな地平は比較的あたらしめの作品が多かったです。3年前のGlass skin展に出品されてそのまま同館に買い上げられた作品(マレシュ「卵」、アイシュ「インター=ネット」など)もあります。
 それにしても、ジェイ・マスラー「街景」はいつ見ても美しいなー。


4月1日(月)
 年度が変わり、道内の美術館スケジュールも新年度のものに差し替えました。
 ただし、まだ道立近代、三岸好太郎、釧路市立の各美術館と、釧路芸術館しかアップできていません。どこにも資料がないので、お手上げであります。
 資料が入手できしだい、書き加えていきますので、ご諒承ください。

 美唄市郷土資料館の「特別展 人民裁判事件記録画」の続き。

 さいきん、1973年生まれという超若手の研究者が書いた「現代アラブの社会思想」という新書を読んだのですが、本筋とは別にいちばんショックだったのは、マルクス主義の階級闘争とか人民とかいう言葉を、議論の前に略述していることでした。サイードの「オリエンタリズム」は、説明抜きで引用しているのに、ですよ。

 おじさんの世代くらいまでは、ある程度本を読む人なら、マルクス主義的な発想というのが頭にしみついてしまっているといっても過言ではないとおもいます。つまり、世の中には働く貧乏人と、生産設備を持つ金持ちがいて、貧乏人は働いた分の賃金を得られずに搾取されているので、団結していつの日か革命を起こし、働く人の世の中をつくらなくてはいけない−という思想であります(うーん、すごい単純化だ)。
 そっかー、いまの若い人には、こういう考えって、前提じゃないんだー。でも、当たり前だよなー。
 ちょうどこの研究者(池内恵=さとし=)が生まれた73年あたりが時代の曲がり角だったんだなー。だいたい世の中が豊かになってきて、革命なんかおこさなくても暮らしていけるようになった。と同時に、連合赤軍事件なんかが起きて、左翼の行き詰まりがめだってきたわけです。

 筆者は、この「人民裁判事件記録画」が描かれた1946年2月の、時代の空気は知りません。ただ、戦争直後の急速な民主化の時代で、労働運動が高揚し
「いまにも革命がおこりそうな雰囲気だった」
としている回想を読んだこともあります。闇市などが横行し、アナーキーな時代だったんでしょう。
 翌年の占領軍のゼネスト中止命令などで、そういう機運もだんだん薄れていくんですけどね。

 さて、この絵は120号の油彩。穏当なリアリズムのタッチが採用されています。同じ傾向の画家としては大月源二がいますが、もちろん彼ほどはうまくありません。
 中央には、斜めにテーブルが置かれ、こちらに顔が見える角度で坐っているのが労働者側の代表。背中を向けて坐っているのが会社側の代表です。テーブル奥の演壇には議長席のようなものがしつらえられ、舞台のそでには「民裁判」の張り紙が見えます(「人」の文字は隠れて見えない)。労働者側の背後はもちろん、会社側代表の右手にも、議論の行方を見守る労働者や家族がとりまいています。
 この交渉スタイルは、1960年代末の学園闘争で流行した「大衆団交」に似ています。革命運動の立場でいえば、人民の勝利するただしい交渉のあり方なんでしょうが、人民が勝利するまでカンヅメにさせられる「権力」側の人々にとってはタマラナイでしょうね。

 さて、彼らは、いくつかのプラカードをもっています。
「五円・三円の手当をよこせ」
「米をよこせ」
「定額制を実施せよ」
「天皇制打倒」
 いまは雅子さんが子を産むと、共産党がお祝いを言う時代ですからねー。隔世の感アリ。
 しかし、この「人民裁判」が行われたのは、あの悲惨な戦争が終わって1年たっていないときのこと。「天皇陛下万歳」と言って死んだ人(この当時はまだ、「殺された人」にまではあまり想像力はいっていなかった。残念ながら)が大勢いたわけで、「天皇をどうする」というのは、日本の未来のあり方を決する非常に切実な問題だったに違いない。
 というわけで、絵の技法がどうのこうのというより、ある時代の証言として貴重な絵なんだなー、とおもいました。

 参考出品として、ゆかりの画家8人の絵も展示されています。

 このうち、白田良夫(1926-78)、前田常男(1926-)、鷲見哲彦(1928-)、平山康勝(1930-)の各氏は、記録画を共同制作した人だそうです。

 一緒に制作に当たったとされる坪川光雄さんについては、出品がありません。当時の「三菱美唄」のスクラップが貼られているだけです。

 鷲見さんは現在、東京・立川市で芸術のまちおこしに取り組んでいます。今回の出品作「HORIZON’02 2」は、ハードエッジの抽象でした。
 平山さんは札幌で、グループ「六翔会」などで筆を執っています。かつては、鷲見さん、大月源二(1904-71)らと「北海道生活派美術集団」を旗揚げしました。「人物エチュード」(49年)「春待つ鉄工場」(66年)「ぼたん」(2001年)の3点が並びます。

 白田さんは「黒い川」(1960年、62年)と題した作品が2点。アンフォルメルの影響が感じられる作品です。
 前田さんは旭川の新ロマン派美術協会で活躍中だそうです。「秋の炭住」(61年)「ズリ山」(同)。

 大月源二は「早春の流れ」(52年)「タケシマユリ」(66年)。いずれも芸術の森美術館の所蔵品で、すくなくとも後者は、先ごろ亡くなった坂野守さんの収集品です。
 中居定雄(1905-67)は「破船」(55年)。暗い色調です。
 富樫正雄(1919-90)は「芽吹く新緑のニレ」(87年)。葉よりも幹や枝振りをしっかりと描いて巨木のスケール感を描出しています。
 高田文男さん(1929-)は、8人のなかでただひとり、現在も美唄在住です。「冬の炭礦街」(55年)「カンテラの回想」(71年)「雪解の郷」(2000年)。道展会員でもあり、近年は、スキー場などの風景を描いています。

 こうしてみると、炭鉱労働の現場を描いた絵が意外とありません。まあ、ふだん見慣れているものを、わざわざ絵でも見たくはないってことかな。

 展示は7日までです。無料。
 スポットライトがたくさんすえつけられていますが、どれも絵ではなく、その下の床を照らしています。主役の絵も、後ろに下がって見ようとすると別の展示ケースにぶつかっていまい、あまり見やすくありません。
 こちらのHPで、案内文を読むことができます。

 ところで、いちばん上の写真は、美唄の中心街で撮ったものです。
 見づらいですが、鳥居のマークの下に「小便禁止」と大書した張り紙が、右側の建物の壁にありました。久々に見ました。

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