日本地図の原点は・・・
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林道怖い体験 その1: 玄倉の濡れた足跡 この体験は、怖いといえば怖い、さほどでないといえばさほどでない、その程度のものです。 6月のいかにも梅雨時らしい天候の中、休暇をとったので、かねてから気にしていた西丹沢方面のトンネル、 特に玄倉林道のトンネル取材に出かけた。善波トンネル、神縄トンネルと箒沢トンネルのそれぞれについて 新旧のトンネルはそれぞれ無事取材できた。そして玄倉林道にはトンネルがたくさんあることがわかっていたので、 たぶん素掘りであることを期待してぜひ見てみたかったのだ。 丹沢湖の東のはずれから玄倉林道を2kmほど入るとゲートがありここの広場に車をおいた。 そして歩くこと約15分、最初のトンネルがあらわれる。「境隧道」である。このトンネルを堺にして、 この先は舗装が切れ、ジャリ道になった。 不思議なものはこのトンネルの中で見たのだ。ここまでの舗装路は雨に濡れていたが、 トンネルに入ると当然ながら路面は乾いている。そしてそこには濡れた足跡が点々と続いているのであった。 妙にしっかりと、つまり自分の登山靴の足跡と比べてみてもそれほどの足跡はつかないくらいびっしょりと ついているのだった。そのときは、たぶん釣客が濡れた長靴で通ったばかりなのであろうと思った。 駐車場にはパジェロもあったし。 さらに進んで、二つ目のトンネルに近づいた。「青崩洞門に続く青崩隧道」である。 ところがどうしてもこのトンネルに入る気がしない。特に霊感が強いわけでもなく、大抵のところはなんともなく 入ってしまうのだが。 しばらく立ち止まっていたが、どうにも気が進まなくなってきびすを返した。 (このトンネルの上には「仏岩」というのがあるのを後から県別マップルを見て知った) さて、最初のトンネルに戻ると、先ほどの濡れた足跡,まだ鮮明に残っているではないか。 30分は過ぎている、しかも自分の足跡はとっくに消えているのに。この間、誰にも会わなかったし。 へんだ、おかしい。 つまり、あの事故をしっかりと思い出させてくれた出来事だった。 (玄倉川水難事故の濡れたキャンパーが今も歩いているのかと) その2:小川谷林道の怪 平成12年10月○日、奥多摩小川谷林道から酉谷山に行ったときのことだった。 紅葉シーズンの日原街道が混むといやなので朝、暗いうちに出発した。林道終点についたのが7時ごろ。 すでに一台のワゴン車が止まっていた。登山靴に履き替え、ザックを背負って酉谷山へ向かった。 登山道はここからいったん沢に向かって降りてく。樹林帯の中でなんとなく暗い中、足元に注意しながら 降りていった。やがて、沢に近づいたころ向こうの方から近づいてくる一つの白い人影が見えた。 カーブをいくつか回ったころ、もうそろそろすれ違うころかなと思いながらもなかなかやってこない。 へんだな〜。どこいったんだろう。ついに沢にかかる橋のところまできてしった。 おかしい、まさかこの辺で休んでいるのではなかろうな。と思いつつ、うす暗いあたりを見まわしたが その気配はない。同時にゾワーッと鳥肌が立った。あの白い人影はなんだったんだ? じつは、沢の向こう側の登り方向の道が正面に見えて下り方向と紛らわしかったため登りの 人と見間違えたのだろうそのときは納得した。さらにそのすぐ先には先着のワゴン車であろう、 おばさん一人を含む3人のキノコ狩りパーティーがやぶの中にいたのでその勘違いと納得し、 そのあと酉谷山まで無事往復した。 で、下りてきてからもくだんの場所に例のパーティーがいてキノコ洗いをしていた、が、 よく見るとその中に白い服装の人はいなかった。あれはなんだったんだ? 不思議な体験だった。 |
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じつは、この年になるまでずっと山手線には踏切がないものと信じきっていました。
ところがつい先日、それが誤りであることをある雑誌の記事で発見してしまったのです。
しかも2つもあるらしいことがわかりました。
都合をつけてまず最初に見に行ったのがこの左の写真。目白駅と池袋駅の間で 西武池袋線が山手線と埼京線の上をまたいでいる地点です。目白駅から線路沿いに歩いて数分、 西武線のガードをくぐったところに「長崎道踏切」というのがありました。 朝の9時ごろ、十数分いただけのことですがこの間踏切りは一度も開くことはありませんでした。 そしてもうひとつが駒込駅と田端駅の間にあるもので、駒込駅からやはり線路沿いに歩いて数分の 宇都宮線・高崎線の上をまたぐところの山手線側に「第二中里踏切」があります。 ちなみにとうの昔に廃止されましたが、少し駒込側に行ったところに「第一中里踏切」という 歩行者専用踏切もあったそうです。 (2002.1.11) その後、新聞を見て山手線「長崎道踏切」が閉鎖になったことを知りました。 2005年1月12日未明の最終電車通過を以て、山手線にわずか2カ所しか残っていなかった踏切のひとつが 閉鎖されたのです。朝晩のラッシュ時にはほとんど開くことのない、いわゆる開かずの踏切でしたが、 近くに人道橋ができて閉鎖の運びとなったのです。残るは、駒込駅−田端駅間にある「第二中里踏切」 のみとなりました。 |
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