心と身体の談話室
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−森田療法(1)−

ここで森田のお話を少しさせていただく.
まぁ,「あるがまま」の森田療法で神経症が治るのか?という議論もあるが,そうでない人にとっても,心がちょっとは楽になる考え方だと思うので,ここでご紹介.「森田療法」の本もいろいろあるけど,私は岩井氏のものが非常に共感できたので,ほとんど引用的にお話しようと思います.

考え方の原点

 神経質(症)者の不安・葛藤と,日常人の不安・葛藤は連続的なもの.
 その不安・葛藤をいくら除去しようとしても,異常でないものを除去しようとしているのであるから,除去しようとすること自体が矛盾である.
 つまり,不安・葛藤とは,本来,人間性に付随している心理状態だということ.

神経質(症)者の傾向

 神経質(症)者は,理想が高く,「完全欲へのとらわれ」が強いために,常に「かくあるべし」という自分の理想的な姿を設定してしまう.しかし,我々が住む不条理の現実には,そのような都合のよい状態はないので,そこで「かくあるべし」という理想志向性と,「かくある」という現実志向性がもろに衝突してしまう.そのために両者の志向性が離れれば離れるほど,不安・葛藤が強くなり,神経質(症)者は現実と離反してしまうのである.
 そこである者は,自己否定的になって,劣等感に陥り,現実の苦悩に耐えられなくなって,逃避的な態度をとるようになる.

「あるがまま」

 「あるがまま」とは,事実をそのままの姿で認めるということ.例えば苦手な上司と面接をしなければならないときに,会って自分の構想をよりよく披瀝しようと考える一方で,あの上司は苦手なんだからなんとかその場を繕って逃げてしまいたいという考えも浮かぶ.
 これは両者ともに,その現実と直面している人間の欲望.一方では苦しくても自己実現したいという欲望と,他方で苦しいから逃避したいという欲望と,両者ともにその人に付随する人間性
 この後者を「そのまま」=「あるがまま」にし,前者をとって実践するとき,人間には進歩がある.
 苦手な上司と会うとき,どうしても苦痛が優先し,万事が逃避的になってしまうと,日常生活を歪め,ひいては自閉的な生活を送り,社会活動から逸脱.これの状態を「神経症」と呼ぶ.
(岩井寛:森田療法,講談社(1986))
「そんなこといったって,そんな簡単にいかないよ!」って?そうだよね.
これができない,嫌な方にとらわれるから問題なんだって?
境地とでも言おうか.すべてにおいて,これを実践できたらホント神様かよ,って私も思う.

でも,こういう考えを前提に置いておくと,後,どうしていけば楽になれるのか,ヒントにはなるでしょ.
そういう意味で,ここで小難しい話をさせていただきました.

じゃあ,どうすればいいかって?
それは,これから,ゆっくりと,ここでお話していきましょう.
だってここ「談話室」なんだもん.そう結論,急がないでよ(笑)

ちょっとだけヒント!
  • あんまり理想を高く持たないこと
  • 理想,完璧を追求しないこと
  • 「・・・すべき」と教条的にならないこと
「普通の人は・・・,だけど自分にはとってもできないよ.」???
「普通の人」ってどんな人?み〜んな,おんなじだよ!


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