戦前のWEBRING鉄塔
南北の佐久線が分かれる鉄塔はWEBRING鉄塔になっています。
この鉄塔は背が低くて小さく、しかも古い鉄塔です。
ここから北佐久線と南佐久線と1回線の送電線になります。
北佐久線70号鉄塔です。
珍しい事に左右の碍子が違います。
建設は昭和2年です。
北佐久線102号です。 プレートの年は昭和5年です。
北佐久線はこの後、軽井沢で北軽線と2回線になります。
南佐久線42号です。 プレートの年は大正10年です。
南佐久線はこの後、しばらくして東信線と2回線になります。
年がバラバラで南佐久線の大正時代の繋がりがよくわかりません。
鉄塔の形からしてそのまま軽井沢方面に行っていた可能性が高いです。
ちなみに、北軽線は大正9年の建設です。
黒部幹線、島川原線、上信線は2回線の電線路です。
ここは中部電力の配電管轄内の為、東京電力からの大口需要家供給や配電用供給は
一切有りません。
佐久方面の電力系統図の公開は終了しました。