衛人


「とーさん。じっちゃん。つなで。せんせ。じらいや。おろちまる…」
 暗部の訓練に放り込まれて以来、付けるようになった口布の下で呟く。呪文のように何度も唱える名前は、おそらく、自分の精神的支柱だったんだろう。彼らに逢いたいと、死にたくないと、その感情だけが自分を支配していた。
 それでも、子供としても忍としても、俺の順応力は随分と高かったんだろう。
 然程苦労することなく訓練や状況に慣れ、3ヶ月も経つと実戦で使えるようになっていた…らしい。子供故の身軽さと、子供らしからぬ状況判断の早さで規定の水準をクリアし、終には実戦配備される事になった。
 …まぁ、死んだところで問題もなかったんだろうが。
 もしかしたら、俺を探す保護者達の追跡の手が伸びてきていたのかもしれない。
「…チビ、何してる。行くぞ」
「いまいくよ」
 比較的面倒見が良いらしい男に声を掛けられて付いて行く。顔を合わせるのは初めてだったが、それまでに見た暗部の誰よりも雰囲気が良かった。
 そして。
「…そういやチビ。お前、名前は?」
 男にとってはただの気まぐれだったんだろう。それでも、連れてこられて以来、初めて訊かれた問いに、ふと緊張が解れた。
「…カカシ」
「え?」
「カカシだよ」
「カカ…シ?…はたけ、カカシか?サクモさんの息子の」
「うん。とーさんのこと、しってるの?」
 あまりの驚いた様子に逆に驚いてしまう。それでも、父を知っている風情に軽く、安堵する。
「…あぁ。知ってる」
「このにんむおわったら、あえるかなぁ?」
 二度と逢えないかもしれないと、どこかで思っていたのだろう。ポロリと零れた言葉に、相手が息を飲むのが判った。
「そうだ、な。──────── …カカシ」
「ん?」
「…生きろ。敵を殺そうとか、変な事は考えなくて良い。ただ、生きる事だけ考えろ」
「?うん」
 いきなりしゃがんで、視線を合わせたかと思うと、真剣に言ってくる。その、静かな声を不思議に思いながらも頷く。合図があれば、個別に動く事になる。ここ3ヶ月冷たい声の主の命令しか耳にしていなかった俺には、彼の声音はかなり新鮮に響いていて。だからこそ素直に頷く事も出来たのだろう。
「そしたら、逢えるからな」
「うん」
 くしゃりと。
 保護者達にされていたのと同じように頭を撫でられて上を振り仰ぐ。既に暗部面をつけた相手の顔は判らなかったが、何故か笑った気がした。
 それも、戦闘開始の笛の音に意識を奪われる。
 甲高い笛の音を耳にした刹那。
 意識は朱に染まった。




(…いきて、る)
 永遠にも感じた戦闘。
 終わったらしい時には全身に血を浴びて、動く事も出来ずに座り込んだ。指1本動かせない程に体力は消耗していて、ここで敵が現れたら為す術もなかったろう。
 生き残ったのは、多分、間合いの所為。大人と違う間合いのお蔭で、相手が崩れ易かった所為だろう。もっとも、戦闘中はそんな事は思いつかず、ただただクナイや手裏剣を投げ、忍刀を握っていただけだったんだが。
「…とー、さん」
 怖くて。
 死ぬのが怖くて。
 他の事は何も考えられなくて。
 常々言い聞かされていた大事な事は全て頭から抜けていて。
 心が絶望に染まりかける。

──────── …シ」
 朱から闇に染まりかけた意識を戻す音。
「カカシ!」
 叫びに似た声にのろのろと頭を上げる。
「と…」
「…った…。無事で、良かっ…」
 相手を認識し、呼びかけようとする間もなくきつく抱き込まれる。苦しげに安堵の色を滲ませて呟かれる言葉に硬直してしまう。
 感情を隠さない父を初めて見た。
 常に沈着で落ち着き払っていて、憔悴している姿を俺に晒すなど、それまで考えられなかった。それが、必死の声で俺を呼び、擦れた声でしがみつくなんて。俄かに信じられず、思考が止まった。
「サクモ!カカシは…」
 増えた声に、ゆっくりと顔を向けると。
「…カカシ!」
 物凄い力で父を放り投げ、渾身の力で俺を抱え込む。
「…生きてる。生きてるんだね?!」
「く…くる…」
「カカシくん?!」
「カカシん坊!………綱手、カカシが窒息する」
「っと。怪我はないかい?良かった。探したんだよ」
 父を追うように現れた三忍に囲まれ、抱き締められ、怪我の有無を確認される。突然戻された日常に、思考も感情もついていかなかった。
「ねぇ!カカシ居たの?…あー!!先生、綱手、大蛇丸どいて!!」
「…せんせ」
 どたばたと(全然上忍らしくない。思えばナルトの騒々しさはこの人譲りだ)現れて、師匠である筈の三忍を跳ね除けて飛びついてきた先生に茫然としてしまう。
「ごめんね。怖かったよね。もう、大丈夫だからね」
 何度も繰り返し言われる言葉に。父達の、自分を包む暖かい空気に。漸く息を吐けるようになったのを知る。
 彼らから切り離されて以来、呼吸すら意識しないと出来ていなかった自分を自覚する。
 全身から力が抜けた。
「…皆、どこにおる。カカシは如何した」
「…じっちゃ」
「こっちです!カカシ、発見しました!無事ですよ!」
 焦ったような声は、三代目。それに先生が嬉しそうに応えると、慌てた様子の三代目が姿を見せる。
「じっちゃん」
「カカシ。無事か」
「ん」
 いつもの笠すら飛ばし、煙管もないまま駆け寄る三代目に微かに笑った。


カカシ発見。
血まみれ。


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