奈良の古寺巡礼

2002(平成14)1月15日(火)
2013(平成25)年12月27日改訂

 酒田市にある写真家の土門拳氏の作品を展示する土門拳記念館を数回訪れたことがある。

 その館内に展示されていた写真のなかで奈良の室生寺などの古寺が魅力的に写し出されていた。

 それに刺激されていつか奈良の古寺を巡ってみたいと思っていた。 そのように古寺巡礼の機会を待っていたところ,平成13年11月8日(木)と9日(金)に奈良市で日弁連人権擁護大会が開催されることになった。

 これはチャンスだと考え,  平成13年11月6日(火)から10日(土)まで,4泊5日京都に宿泊して奈良の古寺巡礼をしてきた。

 平成13年11月6日に山形空港から大阪伊丹空港までJASの飛行機で午前9時50分に飛び,伊丹空港から京都駅南口までバスで移動した。

 京都は紅葉が始まったばかりで少し色づいただけだった。

 早速京都駅前から定期観光バスに乗り東山3名園巡りをした。

 最初高台寺(こうだいじ)に行き庭園を散策した。太閤秀吉が所有していたとされる茶室2つがあったが,いまにも倒れそうな状態になっていた。

 数年前の晩秋に京都で行われた業務改革シンポジュームの際の夜の京都観光でライトアップされた高台寺の庭園の池に被さっていた紅葉の深紅そしてその直下の池に紅葉の深紅の色が映り非常に艶やかだったのが印象的だった。

 そのようなことを思い出しながら高台寺の別の枯山水の庭園を眺めながら初冬の暖かな日差しを身体全体に受け至福の時を過ごしていた。

 その後南禅寺に移動して枯山水の庭を眺め,別室で抹茶を頂き,仁王門に登った。

 しかし,急ぎの仕事が入り,3番目の庭園巡りをキャンセルしてホテルに戻り,ノートパソコンで事務所とメールのやりとりをした。

 平成13年11月7日(水)は,午前7時過ぎに京都から近鉄京都線に乗り,大和八木駅で近鉄大阪線に乗り換え,近鉄長谷寺駅で降り,徒歩約15分で長谷寺に至った。

 長谷寺は,両側に咲く牡丹の花を愛でながら登る(私が行ったときは牡丹は当然咲いていなかった。)両側の柱や屋根の構成や懸灯が美しい399段の石段がある登楼が特徴的である。

 本堂は清水寺と同じような舞台造りがあり,舞台に立つと眼前に山々が広がり美しい風景を堪能することができた。

 御本尊は重要文化財の十一面観音像である。

 途中参道の左右に草餅屋さんが沢山あり,通常の草餅と焼いた草餅の両方をパックに入れたものを買って,近鉄長谷寺駅のホームのベンチで食べて昼食にした。

 近鉄長谷寺駅から近鉄大阪線で更に名張方面に向かい近鉄室生口大野駅で下車してバスに乗り換えて15分かかり室生寺で下車した。

 室生寺は,深山と清流に囲まれた古刹である。

 女人禁制の高野山に対し,室生寺は女性の参拝を認めて来たので「女人高野」といわれ,入り口の石柱にも「女人高野」と刻んであった。

 土門拳が写真撮影していたところである。

 平成10年の台風により室生寺の五重塔が甚大な被害を受けたが, 私が参拝したときは復旧されていた。

 足を踏み外すと一気に下まで転げ落ちてしまいそうな延々と登らなければならない心臓破りの急な石段を登ると奥の院の御影堂などがあり,位牌堂の廻り廊下の長椅子に腰を掛けて休み,汗をかいた身体に心地よい風が吹いてきて生き返ったような感じになった。

 その非常に高い場所からしばし室生村の山々の風景を楽しむことができた。

 心臓破りの石段の上り下りでふくら脛がパンパンに腫れてきた。

 室生寺の金堂は国宝になっている。

 この寺はシャクナゲが沢山植えてあり,紅葉も楽しめる花の寺である。

 近鉄大阪線の室生口大野駅から戻り桜井駅で下車して,バスで明日香村に入った。

 石舞台古墳のバス停で降り,石舞台古墳を見物した。

 巨石30個を積み上げた石室古墳で日本最大級のものである。

 この古墳最大の巨岩の天井石は77トンもの重量があるとのことである。

 天井岩の下に細長く天井が高い石室があり,その中に下から入ることができる。

 石舞台古墳から高松塚古墳に行きたいと思ったが,バス路線がないことからタクシーを呼んで高松塚古墳に向った。

 途中朱雀の壁画が見つかったキトラ古墳の脇を通ったが,キトラ古墳は一部を青いビニールシートに覆われただけの小さな塚であった。

 高松塚古墳は塚の一部が縦にコンクリート壁が設置されていたが,頂上は竹林になっている小さな古墳だった。

 高松塚古墳の隣に高松塚古墳の壁画を複製して展示している展示館があった。

 高松塚古墳からまたタクシーで飛鳥寺に行った。

 飛鳥寺は蘇我馬子が建立した推古天皇4(西暦596)年当時は,現在の法隆寺の3倍位の規模を有した極めて大規模な寺院だったとのことである。

 飛鳥寺には日本最古の仏像の飛鳥大仏がある。

 この寺は他の寺院と違い飛鳥大仏の写真撮影を許可している。

 それで私も持参したコニカの現場監督というタフなカメラで2枚撮影させてもらった。

 この飛鳥大仏の頬には何カ所か金属のバンドエイドを貼ったような修理の跡があった。

 飛鳥大仏は長顔細面で他の日本の仏像とは少し面立ちが異っている。

 飛鳥寺で11月7日の古寺巡礼を締めくくった。

 平成13年11月8日(木)は,大変な一日だった。

 昨夜からノートパソコンでインターネットに接続できなくなった。

 それで,朝私の事務所が開いてから事務所に電話してなぜインターネットに接続できないか確認したところ,プロバイダーのビッグローブのアクセスポイントが変更になっていたのだった。

 ノートパソコンのアクセス番号を変更設定して何とかインターネットにアクセスできるようになった。

 ところが,前日の事務所からの報告メールの一部が送信されなかったので,再送信してもらったり,私が返信したメールの暗号を私の事務所の事務局で解読できなかったりのトラブルが立て続けに起こってしまった。

 更に急ぎで私が起案しなければならない文書があり,その起案を大急ぎでやった結果古寺巡礼の出発が午前11時過ぎになってしまった。

 京都から近鉄京都線で行き,バスで斑鳩(いかるが)町の法隆寺に行き参拝した。

 法隆寺は,聖徳太子と推古天皇が推古天皇15(西暦607)年に創建したとされる。

 世界最古の木造建築群が現存し広大な境内を有する寺院で世界遺産に登録されている。

 五重塔や金堂,大講堂等が配置され広大な境内に建築群を構成している。

 国宝の百済観音像があり,玉虫厨子や夢違(ゆめちがい)観音像がある。

 西院と東院に別れ,我が国最古の八角円堂の夢殿がある。

 丁度救世(くぜ)観音が公開されていた。

 法隆寺の隣に中宮寺(ちゅうぐうじ)があり,国宝である弥勒菩薩 半跏思惟像(みろくぼさつはんかしいぞう)が本尊である。

 この本尊は,モナリザ,スフィンクスと並んで世界3大微笑像の一つに数えられる美しい像である。

 私が参拝したときはこの本尊の弥勒菩薩像は貸し出されておりコピー像が鎮座していた。

 法隆寺及び中宮寺の参拝でたっぷり3時間を要し,広い境内を隅々まで歩き回ったので足が棒になってしまった。

 棒になったというより足が攣りそうになった。

 法隆寺から西大寺に向おうと法隆寺からタクシーに乗ったが,途中に薬師寺があったのでタクシーを降り,薬師寺に参拝した。

 薬師寺には五重塔が2塔あり,創建当時の唯一の遺構で白鳳時代の様式を伝える東塔は優美な塔である。

 西塔は再現されたものである。

 また,玄奘三蔵法師を祀る院が建立され,そのなかに平山郁夫画伯の中国の西域シルクロードの風景を描いた絵が展示されていたが,今までの寺院の襖絵等の美術と趣が異る美術鑑賞ができた。

 ちなみに,平山郁夫画伯の生誕の地は広島県生口島(いくちじま)である。

 平成13年11月22日(木)広島市で行われた日弁連業務改革シンポの公式観光(平成13年11月23日(金))でバスでしまなみ海道を行き,生口島で平山郁夫美術館を見学した。

 タリバンによって破壊された アフガニスタンのバーミヤン磨崖仏の絵画もあり,また,シルクロード西域の絵も多数展示されていた。

 薬師寺に入ったのが夕方近くで,足早に広い境内を歩き回った。

 これでも足が攣りそうになった。

 そして,薬師寺を出たが,薬師寺のすぐ近くに唐招提寺があり,その閉門時間(午後5時00分)まで1時間くらいあったので急いでタクシーで近鉄西ノ京駅前から唐招提寺に行った。

 唐招提寺の金堂は修復中であった。

 従って,金堂にある東山魁夷画伯が描いた中国の楊州の大河に柳の風景や桂林の深山幽谷の墨絵風の襖絵の実物は見ることができず,大型のテレビ画面で東山魁夷画伯の襖絵をCG画像で鑑賞した。

 唐招提寺は,聖武天皇に招かれて12年間に5回の難船に遭い,両眼失明という苦難の後来日を果たした唐の高僧鑑真が建立し,その生涯を終えた寺院である。

 鑑真和上のお墓も奥にあった。

 国宝鑑真和上像は現存する日本最古の肖像彫刻で晩年の鑑真和上の深い精神性を感じさせる優れた彫像であり,非常に印象深い彫像だった。

 また,国宝の四天王像の彫像も見事だった。

 閉門が午後5時だったが,閉門時間ギリギリまで滞在し鑑真和上の精神性が満ちているような寺院の雰囲気に包まれていた。

 もう暗くなったなかを薬師寺の脇を通り近鉄西ノ京駅まで歩いて帰途についた。

 この日は京都を出発した時間が遅かっただけに大変忙しい一日だった。

 また,両足のふくら脛が腫れて痛くなった。

 極めてハードな一日だった。

 平成13年11月9日(金)は京都を午前7時過ぎに出発した。

 最初は近鉄大和西大寺駅で降りて,すぐの西大寺(さいだいじ)に参拝した。

 西大寺は盧舎那仏の大仏で有名な東大寺と対をなす寺院であり,往古は東大寺と同等の規模であったとのことである。

 大きな茶碗でお茶を回し飲みする大茶盛り行事で有名な寺でもある。

 数々の国宝や重要文化財が展示してある。

 西大寺からタクシーで秋篠寺まで行った。

 この秋篠寺は奈良時代に建立された最後の寺であるとのことである。

 比較的規模の小さい寺であるが,その本堂は国宝である。

 そして,国宝の本堂の左端に立つ伎芸天(ぎげいてん)立像は,柔和な微笑みをたたえた譬えようがないくらい美しい仏像である。 私もあまりの美しさに見とれてしまい時間が止ってしまったような感覚に陥った。

 秋篠寺で最も名高い仏像である。

 バスで大和西大寺に戻り,近鉄大和西大寺から近鉄奈良駅に行った。

 近鉄奈良駅から歩いて興福寺に行った。

 途中の公園には鹿が寝そべっていたり,散歩していた。

 数分で興福寺に着いた。

 興福寺の五重塔に圧倒された。

 国宝館では,有名な阿修羅像があり,若やいだ凛とした面立ちを見せていた。

 また,非常に大きな千手観音像があった。

 その後,奈良国立博物館の本館に行って仏教美術の特別展を見学した。

 仏教美術の粋を集めた特別展だった。

 多数の仏像が集められていた。

 その後,奈良国立博物館の別館で秋の正倉院展を見た。

 大変な人出で,入り口が人で溢れ,外に大勢の人が行列をつくって並んでいた。

 展示内容は古い布切れや絨毯,そして,各種工芸品や,税金に関する古文書だった。

 それから,有名な東大寺に行き,金堂(大仏殿)に安置された盧舎那仏(るしゃなぶつ)(奈良の大仏)を見た。

 さすがに大きい。

 昔の人はよくこれだけ大きいものを鋳造したものだと感心した。

 東大寺の裏手にある正倉院にも行き,正倉院の外観だけを見た。

 その後に,タクシーで元興寺(がんごうじ)に行った。

 元興寺極楽坊は,蘇我馬子が飛鳥に建立した法興寺(飛鳥寺)がその前身と言われており,元興寺の本堂と禅室の屋根は飛鳥寺から持って来たとされる日本最古の瓦で一部が葺かれている。

 また,境内には元興寺総合収蔵庫があり,中世から江戸期にかけて の貴重な庶民信仰資料を見ることができる。

 元興寺からバスでJR奈良駅に行き,ようやく本来の行事の日弁連人権擁護大会会場に到着し,その大会に参加した次第である。

 以上,女人高野といわれる室生寺や牡丹寺と言われる長谷寺,明日香の里の飛鳥寺(日本最古の仏像の飛鳥大仏がある。),法隆寺,薬師寺,唐招提寺(鑑真和尚),西大寺,秋篠寺(東洋のビィーナス像と言われる神秘的な美しさで有名な伎芸天の仏像),興福寺(阿修羅像が有名。その他に国宝の仏像多数),東大寺(盧舎那仏の大仏),正倉院,元興寺(飛鳥寺が奈良に移転し名前が変わったもの。)など奈良にある世界遺産に指定されている古寺等を巡礼してきた。

 奈良の1000年以上の歴史を認識することができた3日間だった。

 足が攣りそうになるほど歩き回り,古寺巡礼をした思いで深い人権擁護大会だった。

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