稲盛和夫 著 サンマーク出版 生き方  

2008(平成20)年4月1日

二つの世界的大企業京セラKDDIを創業した著者が語り尽くした人生哲学の集大成

1932年(昭和7年) 鹿児島県生まれ
    76才誕生日が来て


鹿児島大学工学部卒業
京都の碍子製造メーカー上司と意見が合わず退職
1959年(昭和34年) 京セラ創業
  27才周囲の方々に創ってもらった会社 名誉会長
1984年(昭和59年) 第二電電設立
  52才(現KDDI設立)au携帯電話 最高顧問

積善の家に余慶あり
積不善の家に余殃あり

利他の心
世のため人のためになる仕事

マイナスの考
利己心
人はどうなっても良い

稲盛の人生
順風満帆の人生ではなかった 逆に失敗と挫折の連続
若年のときはやることなすこと,ことごとくうまくいかなかった
中学受験の失敗
その直後に結核に侵された
大学受験に失敗 第一志望不合格
地元 鹿児島大学工学部入学
大学卒業時 不景気の最中 大変な就職難
就職試験に落ち続けた
鹿児島大学という新設大学の卒業生に試験を受けさせなかった一流企業

稲盛和夫
世の不公平とおのれの不運を呪った

教授の世話で京都の碍子製造メーカーに就職
明日つぶれてもおかしくないおんぼろの会社で,給料の遅配は当たり前
経営者一族の内輪もめもあった

同期で入社した大卒数人が一人やめ二人やめ稲盛和夫だけが残った
稲盛和夫はそこまで進退窮まるとかえって吹っ切れた思いになった
これ以上この境遇を呪っていても仕方がない
ここは180度気持ちを切り替えて仕事に精を出し,
必死に仕事に取り組んでみようと腹を据えた
それからは鍋や釜まで研究室に持ち込んで実験づけの日々を自分に課した
そしてついに当時普及し始めていたテレビのブラウン管の電子鏡に使用する
ファインセラミックス材料を独自の方法で日本で初めて合成・開発することに成功した

心の持ち方を変えた瞬間から,人生に転機が訪れ,
それまでの悪循環が断たれて好循環が生まれた
この様な経験から,稲盛は,人間の運命は決して敷かれたレールを行くかのように決定されているものではなく,自分の意志で良くも悪くもできるのだと確信した
つまり,自分に起こる全てのことは,自分の心が作り出しているという根本の原理が,様々な蹉跌や曲折を経てようやく人生を貫く真理として得心でき,腹の底に収まったのだ

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