中央アルプスの木曽駒ケ岳の御来光、宝剣岳のロッククライミング、そして駒ヶ根名物ソースカツ丼など(登山)(長野県)(清里)(北杜市)(山梨県)

2007(平成19)年8月20日

 2007(平成19)年7月末の梅雨明けに,中央アルプスの木曽駒ヶ岳と宝剣岳に登りましたので,それについて書きます。

 なお,詳細な記述のために,大関義明著「3000m級へのステップアップ,こうすれば登れる!憧れの名山」JTBパブリッシング発行,昭文社発行の「2007年版山と高原地図40,木曽駒・空木岳,中央アルプス」,堤信夫著・中尾雄吉作図「全図解レスキューテクニック[初級編]」山と渓谷社発行,そして,笹原芳樹監修,大久保忠男・砂永純子文「山歩きはじめの一歩(3)山の用具」山と渓谷社発行を参照させていただきました。

 なお,高度表示は,大部分駒ヶ根観光パンフレットにより表示しました。

 第1日目の早朝6時に,私の自宅近くのセブンイレブンのコンビニの駐車場に,T氏の車でスキー仲間のT氏とY氏が迎えに来てくれた。

 3人で出発したが,私は前の日に酒を飲み過ぎてしまい,二日酔い状態だったので,ひたすら後部座席で体力回復のために眠っていた。

 山形蔵王インターチェンジから山形自動車道に入り,村田ジャンクションを経て東北自動車道,郡山ジャンクションから磐越自動車道に入り,新潟から北陸自動車道に入り,上越ジャンクションから上信越自動車道に入った。

 T氏の車にはETCが付いていたので,朝の通勤割引(100キロメートル以内)を効率的に利用して,福島県までを半額の高速料金で通過した。

 朝の8時過ぎに新潟の黒崎サービスエリアに車を停めて,朝食を食べた。

 そこの食堂に珍しい栃尾名物ジャンボ油揚げがあったので,それを皆でわけて食べた。

 とにかくすさまじく大きい油揚げで,上に削った鰹節とネギが沢山トッピングされているあつあつの油揚げを醤油をかけて食べる。なかなかに乙な味である。

 私が大分前にアルプス登山をやっていた頃,下山した栃尾でこのジャンボ油揚げを食べた記憶がある。

 また,黒崎サービスエリアの食堂には新潟もち豚ギョウザがあり,豚肉にうま味があり美味かった。

 黒崎サービスエリアを出発して北陸自動車道をしばらく行くと,今年の7月16日に新潟中越沖地震で大変な被害にあった柏崎を通った。

 柏崎付近は先の地震で高速道路が損傷して,その復旧工事で片側1車線通行になっており大分渋滞した。

 高速道路から見える柏崎の民家の屋根に青いビニールシートがかけてある家が沢山あり,地震の被害の大きさを感じた。

 北陸自動車道から上越ジャンクションで上信越自動車道に入り,ひたすら走り続けた。この間私はひたすら寝ていた。

 私の不摂生でT氏及びY氏に大変な負担をかけてしまった。

 長野県に入り,上信越自動車道の松代パーキングエリアで昼食にした。私はそこの食堂でタイ風イエローカレーを食べた。

 松代パーキングエリアの食堂には女性を含めた地震災害復旧支援の自衛隊員が多数昼食をとっていた

 そして,更埴(こしょく)ジャンクションから長野自動車道に入りひたすら南下した。

 岡谷ジャンクションで中央自動車道に入り,諏訪湖を左に見ながら,甲府方面に向かい,午後1時に八ヶ岳パーキングエリアでS氏と合流する予定だったが,柏崎付近での渋滞もあり,30分位遅れてしまった。

 中央自動車道の上り線の八ヶ岳パーキングエリアにはS氏の姿が見えなかった。しばらく待ったが,S氏から何の連絡もないので,八ヶ岳パーキングエリアの上り線ではなく,下り線の八ヶ岳パーキングエリアで待っているのであろうとの結論になり,一旦長坂インターチェンジで高速道路から降りて,再度中央自動車道に入り,下り線に車を乗り入れ,下り線の八ヶ岳パーキングエリアに入った。

 案の定,S氏はその下り線の八ヶ岳パーキングエリアで待っていたのである。

 その間30分間程度時間をロスしてしまった。

 八ヶ岳パーキングエリアから中央自動車道の下り車線に入り,岡谷ジャンクションから今度は中央自動車道の小牧ジャンクション方面に向い,中央自動車道の駒ヶ根インターチェンジを降りた。

 この日は梅雨明けの快晴で日差しが強く非常に暑い日だった。

 山登りにはすごくラッキーな日程選択になった。

 私たちが下山した2日目の午後から山の上が曇ってきて見晴らしが悪くなってきたからである。

 木曽駒ヶ岳に登るには,通常駒ヶ岳ロープウェイを使用して一気に標高2612メートルの千畳敷駅に登ってしまう。

 しかし,その駒ヶ岳ロープウェイに行くためには,一般のマイカーは,菅の台バスセンターの脇にある,1000台収容の大駐車場に車を駐車させて(駐車料金は一日400円だった。午後3時過ぎから翌日朝10時頃まで駐車したがそれでも400円だった。)バスに乗る必要がある。

 マイカー乗り入れ禁止なのである。

 それで,大駐車場に車を停めて,車のトランクからリュック(カリマー製)やステッキ(レキ製,2本,伸縮可能,スプリング内蔵)や登山用衣服(ノースフェイスのTシャツに半ズボンにトレッキングスパッツ,このトレッキングスパッツは膝の周りを伸縮性のある生地でしっかりホールドしてあり,膝の痛みが出にくいのでお薦めです。)を取り出し,登山の身支度をした。

 登山靴は,山形北ジャスコの東側にある登山家の間で有名な後藤靴店から購入したハイカットの黒色革製の登山靴で,踝(くるぶし)まで靴がカバーしているので,岩場などでの歩行が非常に楽で足首を痛めにくい優れ物である。

 ただ,革製だからゴアテックス系の軽い登山靴と比較すると非常に重い。

 私は,各1.4キログラムのアンクルウエイト(足につける重り)を両足に日中着けていて,その重さと登山靴は同じくらいなので,それほど負担ではない。

 4人の中で一番の軽装は,ロッククライミングをやっていて,木曽駒ヶ岳や宝剣岳に登るのが2回目位だというY氏で,Tシャツに半ズボン,靴はヨーロッパ製の短靴である。

 リュックもミレー製の小さいデイバッグであり,極めて身軽で,山登りを極めていて必要最小限の道具しか持っていかなかった。

 それに比べると私の装備は,30メートルのロープやカラビナ(ロープを通す金具,持っていったのは,変D型安全環付きカラビナ2本),スリング(カラビナを固定したり,安全ベルト(ハーネス)に使用する輪になっている紐,予め縫い込んで輪にしてあるソウンスリングを持参した。)等その外にシュラフカバーやツェルト(ビバーク(露営)時に使用する簡易テント)など通常は必要のない用具を持参したので,一番重く大きなリュックになってしまった。

 さすがに,ガスバーナーは持ってこなかった。

 今回は,山小屋泊まりで食事は出るので自炊する必要はないし,3000メートル級の山の頂上ではガスバーナーを使い湯を沸かしてコーヒーを飲む余裕はあまりないだろうと思ったから持参しなかった。

 各人が装備を整え,そこから,駒ヶ岳ロープウェイ(しらび平)行きのバスに乗った。

 菅の台バスセンターからしらび平・駒ヶ根高原駅までは,非常に狭い山道をうねうねと登り,バスと乗用車でもすれ違いができないほど狭い山道だった。

 バスとバスとは無線で連絡を取り合いながら,各カーブの手前に設置してある待機場所にバスを停車させてバス同士がすれ違うように工夫していた。

 約30分位バスに揺られ,ようやく駒ヶ岳ロープウェイ,しらび平・駒ヶ根高原駅に着いた。

 ロープウェイの料金とバス代金がセットになっていて,往復で一人当り3800円だった。

 午後4時過ぎにしらび平・駒ヶ根高原駅から駒ヶ岳ロープウェイに乗って,約7分間で一気に千畳敷駅(2612メートル)まで登った(標高差950メートル)。

 これだけ一気に約2600メートルの高度まで上がると,高度順化できずに高山病になる人もいる。

 幸い私たちのパーティは誰も高山病にはならなかった。

 二日酔いの私が高山病にならなかったのは,酔っていたことが幸いしたのかも知れない。

 午後4時過ぎだったので上りのロープウェイは私たち4人の貸し切り状態で外の乗客は誰もいなかった。

 ロープウェイから見える途中の急峻な山々の佇(たたず)まいは感動ものだった。

 久しぶりの中央アルプスである。

 千畳敷駅に着いたら,アナウンスが流れていて,下りのロープウェイは2時間待ちであり,午後6時前にはロープウェイの運転が終了するとのことで,千畳敷駅付近は登山客や観光客でごったがえしていた。

 ちなみに,千畳敷駅にはホテル千畳敷が併設されており,このホテルは山小屋ではなく,快適なホテルであるようだ。

 千畳敷駅直下の千畳敷カールは,氷河が山頂付近の地面を削り取った巨大なすり鉢状に窪んだ地形である。


  • 千畳敷駅前広場後ろに
    千畳敷カールが見える

  • 千畳敷カールから八丁坂
  •  沢山の登山客が下ったり上ったりしていた。

     残雪も若干あった。

     驚いたのは,2612メートルの千畳敷駅や千畳敷カールにも沢山のブヨがいて,人の周りを旋回して血を吸おうと狙っているのである。

     ブヨもこれだけ人が集まると,人間の血に引き寄せられて高度順化して2600メートル以上の高山でも生息できるようになったのであろう。

     千畳敷カールは,下りるのは楽だが,すり鉢状の底に下りると,そこから一気に急登坂になる。

     これがきつい。

     息を切らしながら一歩ずつ上り続けた。

     このような登りでは,レキ製の伸縮自在のスプリング内蔵のショックアブソーバー付きのダブルステッキが威力を発揮する。

     2本足だけで登るのではなく,両手に持ったステッキを使い,腕の力で体を持ち上げて登るので,言わば4つ足で登るような感じになり,登るのが楽だしすごく早く登れる。

     ずっと上の方を30人くらいの女性中心のパーティが九十九折(つづらおり)の急登坂の山道を上っていたが,私たち4人のパーティがそれに追いついた。

     小豆島から来たという,その女性中心のパーティは私たちが追い越せるように止まってくれた。

     30人以上のパーティを九十九折りの花崗岩の砂礫がゴロゴロしていて非常に登山道が狭く急登坂の崖のようなところで追い越すのだから,時間がかかり大変だった。

     いつも思うが,どの山に行ってもどの行楽地に行っても,元気な中高年のおばさん方が非常に多いのには感心する。

     やはり,金と暇と元気があるのは中高年のおばさん方である。

     ようやく千畳敷カールの八丁坂を上り詰めた。

     この急登坂の箇所を八丁坂(2655メートル)というらしい。

     鞍部(乗越浄土)にさしかかり,間もなく宝剣山荘(2870メートル)が見えて来た。

     左前方に明日登る急峻な岩山の宝剣岳(2931メートル)が見えた。

     宝剣岳は,ほとんど絶壁の岩石が切り立っている険しい山である。

     宝剣山荘まで来たときは,日差しは傾いて夕方の凉しいというより寒い気温に変化していた。

     この時点で午後5時頃になっていた。

     宝剣山荘から中岳(2920メートル)を目指した。

     大きな岩がゴロゴロと積み重なったような登山道を登れば中岳山頂である。

     中岳山頂から木曽駒ヶ岳山頂(2956メートル),そして中岳と木曽駒ヶ岳の間の鞍部(2870メートル)にある駒ヶ岳頂上山荘が見えた。

     今日はこの駒ヶ岳頂上山荘に泊まることになった。

     駒ヶ岳頂上山荘の外に,木曽駒ヶ岳頂上付近の「頂上」と名前の付く山小屋は,木曽駒ヶ岳の頂上から木曽前岳方面に3分間下りるとすぐの「頂上木曽小屋」がある。

     駒ヶ岳頂上山荘に着いたときに,菅の台バスターミナルから宿泊予約をしている旨告げたが,駒ヶ岳頂上山荘にはその連絡がなかったとのことだった。

     駒ヶ岳頂上山荘の係の人は,「予約はもらっていない。」と返事して,「頂上小屋なら,木曽駒ヶ岳の頂上を越したところに「頂上木曽小屋」があるので,そこに予約したのではないか。」と言ってきた。

     宿泊予約をしたS氏が,予約の連絡をした携帯電話の番号を記録していたので,それを確認したら,宝剣山荘に電話していた。

     宝剣山荘が駒ヶ岳頂上山荘も経営していることから,宝剣山荘から駒ヶ岳頂上山荘に私たちの宿泊の連絡が無線でいくはずだったが(ちなみに駒ヶ岳頂上山荘には直接電話はつながらない。),その無線での宝剣山荘からの連絡がなかったことがわかり,ようやく私たちは駒ヶ岳頂上山荘に泊まることができた。

     その頃にはもう夕方6時頃で外は鳥肌がたつほど寒くなっていた。

     やはり3000メートル級の山の上は違う。

     これ以上歩きたくなかったので駒ヶ岳頂上山荘で泊まることができて助かった。

     当初他の宿泊客と同室だったが,S氏が交渉して布団部屋に4人だけで泊まることになった。

     さすがに長年アルプスに登っているS氏は山小屋に慣れている。

     夕食は7時過ぎに出たが,山小屋にしては立派なものでご飯とみそ汁そしてフライ等がでた。

     夕食が出来るまでは,4人で食堂の片隅で下界から持参したチーズ等の酒のつまみを食べ,ビールとウイスキーを飲み,極めて幸せな気分になった。

     駒ヶ岳頂上山荘のトイレは,山荘に泊まらないで山荘付近にテントを張っている人達は1回使用すると200円支払うことになっている。

     宿泊客はただである。

     宿泊料は一人当り8000円だった。

     トイレはバイオトイレになっていたが,勿論水洗トイレではないのでトイレの匂いは結構きつかった。

     私たちが泊まった部屋は布団部屋だったので,布団はふんだんにあった。

     その日は宿泊客(全部登山客だ。)もそれほど多くなかった。

     しかし,布団は湿っぽかった。

     私は,シュラフカバーを持参していたので,敷き布団と掛け布団との間にシュラフカバーを入れて,シュラフカバーに入って寝たので快適だった。

     前記の「こうすれば登れる!憧れの名山」の本に記載してあった,「シュラフカバーを山小屋でシーツ代わりに使えば快適」とのアドバイスに従い,シュラフカバーを持参したのは正解だった。

     こうして二日酔いで最悪だった体調での第一日目は無事に終わり,快適な眠りについた。

     翌日の午前4時過ぎの空が白んで来た頃,仲間が起き始めて,予定には全くなかったが,御来光を見に行こうという話になった。

     私は眠くて半分寝ぼけている状態で身支度をして,長袖のシャツを着て,その上に寒さ避けにゴアテックスの雨具の上着を着て,シングルステッキで出掛けた。

     寝ぼけていてメガネをかけるのを忘れて裸眼で出掛けた。

     なお,私は普段メガネをかけているが,裸眼でも結構視力があるのでメガネがなくても大丈夫なのである。

     駒ヶ岳頂上山荘を薄暗い中出発してゆっくり直登すると,20分位で木曽駒ヶ岳(2956メートル)の頂上に到着した。

     雲が多かったので今朝は御来光は無理かなと思ったら,午前5時頃朝日が東の山並みにかかっている雲海から上ってきた。

     久しぶりに見る御来光である。

     木曽駒ヶ岳山頂には沢山の人がいた。

     木曽福島中学の生徒約70人も先生方に引率されて御来光を見に来ていた。

     彼ら(彼女ら)は,木曽駒ヶ岳頂上から歩いて3分のところにある「頂上木曽小屋」に泊まっていたのである。

     木曽駒ヶ岳の頂上まで歩いて3分なので「頂上木曽小屋」は御来光を拝むには大変便利な位置にある。

     木曽駒ヶ岳の頂上には,駒ヶ岳神社や方位盤があり,千畳敷カールの方向を見ると,中岳やその向こうに宝剣岳の岩峰そして,遠くに空木岳が見えた。

     また,東の方向には八ヶ岳や甲斐駒ヶ岳などの山々,そして遠くにかすかに富士山が見えていた。

     朝の淡い光の中で下の方の盆地には白い雲が漂っていて幻想的な風景を見せていた。


  • 木曽駒ヶ岳の御来光 右が私

  • 木曽駒ヶ岳山頂御来光

  • 木曽駒ヶ岳の御来光 左が私

  • 朝日を受けてほほえむY氏

  • 頂上木曽小屋をバックにして

  • 木曽前岳方面の頂丁木曽小屋
  •  木曽駒ヶ岳山頂には30分くらいいて,御来光を堪能して下って駒ヶ岳頂上山荘に戻った。

     朝食には,ご飯とみそ汁,漬物,海苔等が出て,簡素だが立派な朝食をいただいた。

     午前7時頃には駒ヶ岳頂上山荘を出発して,昨日登った中岳を登らず,中岳の巻き道に入った。

     中岳の巻き道は,ルートは水平だが,進むにつれて右側の谷が急峻になり,高度感のある景観が足元に広がってくる。

     すなわち,足を踏み外せば数百メートル転落する崖が続いていた。

     この巻き道は,断崖絶壁の岩だらけの危険な場所で高山植物が沢山咲いていた。

     岩場が連続して鉄製の鎖を掴まないと転落してしまうような危険な箇所が結構あった。

     しかし,次の宝剣岳の急峻な断崖と比較するとここはまだ穏やかだった。

     ちなみに,この巻道は荒天時や残雪時は避けた方が無難と前記の本に書いてある。


  • 中岳の巻き道

  • 中岳の巻き道

  • 中岳の巻き道直下の沢
  •  中岳の巻き道を過ぎるとすぐに昨日通過した宝剣山荘(2870メートル)になる。

     そこから,いきなり岩だらけの宝剣岳に登り始めた。

     宝剣岳(2931メートル)は,岩だらけの急峰で途中いくつもの箇所に鉄の鎖や鉄の足場が設置してある。

     その鉄の鎖や鉄の足場がなければ,自分でハーケン(鉄)を打ってロープとカラビナを頼りに登るロッククライミングの世界になってしまう。

     特に宝剣岳の頂上直下西側の難所は,山頂の下から切れ込んだ深い沢の最上部(少なくとも数百メートル下にしか沢は見えないし,それも沢が真下に見える断崖絶壁である。)をトラバースするところだ。

     前記の「こうすれば登れる!憧れの名山」の本には,「クサリに頼り過ぎて体重を預けていると,足を滑らせた場合,勢いが付けば,自分の体重は両腕の力で支えきれるものではない。確実な三点確保で慎重に進みたい。」とある。

     また,「岩場の通過は三点確保を基本において,クサリやロープは補助的に使うようにする。また,岩場においても姿勢は垂直に保ち,岩から少し身体を離すようにすると,スタンスも安定し視界も広くなる。」とある。

     宝剣山荘から宝剣岳頂上までは,約20分間の登りだが,私の個人的な時間感覚からすれば,1時間以上急峻な岩場と格闘していた感じだった。

     前記の「山と高原地図40,木曽駒・空木岳,中央アルプス」の5万分の1の地図には,「クサリ場あり注意,滑落事故多い」との注意書きがある。

     滑落すれば死亡する確率が極めて高い危険な場所である。

     千畳敷駅の登山の案内板にも,前記の中岳の巻き道と並んで宝剣岳は赤字で目立つように「危険箇所」に指定されていた。

     さすがに,宝剣岳には中高年のおばさん方はほとんど来ていない。

     宝剣岳の山頂に来るのは,若い男性がほとんどで,たまにアベックで若い女性が来るくらいである。

     ロッククライミングで鍛えていて,荷物も小さなデイバッグの身軽なY氏はひょいひょいと軽やかに岩山を登った。

     毎週のように八ヶ岳などを日帰りで登っているS氏もスイスイと岩山を登った。

     私とT氏は,リュックが重いのと比較的体重が多いことから,「ゼーゼーハーハー」と息を切らしながら登った次第である。

     なお,T氏はその翌日からも脚が全く筋肉痛にならなかった。

     さすが今回の登山のために毎朝1時間速足で散歩して鍛えたT氏である。

     私とY氏はその翌日の朝から太ももとふくら脛がパンパンに張って筋肉痛になった。

     宝剣岳山頂には大きな岩がそびえている。

     そこには,ロッククライミングで慣れているY氏がするすると登り,最上部の岩の上にすっくと立った。

     私は,そこまでは登らず,記念撮影をして,Y氏から私が持参した30メートルのロープとカラビナ,そして,スリングを使用した実践的なロープワークの手ほどきを受けた。


  • 宝剣岳途中

  • 宝剣岳の岩場

  • 宝剣岳の岩場

  • 宝剣岳の頂上

  • 宝剣岳の頂上に立つY氏

  • 宝剣岳山頂に座るY氏
  •  宝剣岳の頂上 宝剣岳の頂上に立つY氏 宝剣岳山頂に座るY氏

     宝剣岳の帰りは,登ったときと反対側の宝剣岳東面の千畳敷カールにそのまま垂直に落ちている断崖をクサリと鉄の足場を頼りに下った。

     下りは,上ぼりと違い,下を見ながら下りるので,断崖が数百メートル下まで落ちているのが嫌でも目に入る。

     この恐怖感やスリルは行った人でなければ実感できない。

     興味のある人は是非宝剣岳に登ってみてください。

     凉しくなります。

     上ぼりよりも下りのほうが,はるか下まで続く断崖を見ながら下るので高度感に溢れていた。


  • 宝剣岳の下り

  • 宝剣岳の下り
    千畳敷カールが眼下に見える

  • 宝剣岳の下り
  •  宝剣岳東面を約1時間かけて下り,極楽平にようやくたどり着いた。

     極楽平からは,だらだらと下る段々の階段を約20分で下りて,ようやく駒ヶ岳ロープウェイの千畳敷駅(2612メートル)に着いた。

  •  午前9時頃に着いたが,千畳敷駅は沢山の人達で賑わっていた。

     千畳敷駅前の広場で一休みしてスモモを食べたりして寛(くつろ)いだ後,駒ヶ岳ロープウェイに乗って下界に下りた。

     駒ヶ岳ロープウェイのしらび平・駒ヶ根高原駅に下りたら,また沢山の登山客や観光客が上ぼりのロープウェイに乗る順番を待っていた。

     1時間半待ちとのことだった。

     丁度臨時バスが菅の台バスターミナルまで出たので,それに乗り,狭い山道を縫うようにバスが走り,菅の台バスターミナルまで到着した。

     午前10時頃だった。

     菅の台バスターミナル側の駐車場に停めておいた車を開けて,登山の服装を着替えて,Tシャツと短パンとサンダルの軽装となり,早速近くの近代的で大きい公衆温泉「こまくさの湯」に入った。

     入湯料は一人600円だった。

     大浴場は相当に広くて露天風呂もあり,サウナも薬湯もある近代的な公衆温泉だった。

     約1時間温泉につかり汗を流して,さっぱりしてリラックスした。

     こうなると,腹が減ってきた。

     昼食である。

     駒ヶ根名物はソースカツ丼である。

     有名店が沢山あるが,今回は老舗の明治屋にした。

     お昼の12時前に明治屋に入ったにもかかわらず満員だった。

     会計のところに名前と人数を書くノートがあり,それに名前と人数を記入して待つこと40分で駒ヶ根名物のソースカツ丼(1050円)を食べた。

     私は長野県産のワサビと温泉卵がついたソースカツ丼(1150円)を食べた。

     甘いコクのあるソースが丼からはみ出すほど量が多い分厚いトンカツの上にかかっていた。

     ソースが足りないときは,各テーブルにソース壜が置いてあるのでそのソースをかけ足して食べる。

     登山と温泉で汗をかいたので,喉が渇き生ビールを一気に飲んで豪快にカツ丼を食べた。旨かった。


  • 駒ヶ根の名物明治屋のソースカツ丼

  • 駒ヶ根名物ソースカツ丼の明治屋
  •  腹一杯になり,その後近くの養命酒駒ヶ根工場を見学した。

     工場は休みだったが,養命酒の瓶詰機械の工程(稼働していない状態)を見学した。

     工場案内の映画も見た。

     広大な林の中に整然と立ち並んだ清潔な工場だった。

     工場の敷地内に渓流が音を立てて流れていた。

     養命酒の外に,クロモジの焼酎とローズヒップの焼酎を買った。

     クロモジの焼酎はドライマティーニのような味で,また,ローズヒップの焼酎は甘い感じの焼酎でなかなかのものである。

     その後,中央自動車道駒ヶ根インターチェンジから岡谷ジャンクションを通り,諏訪湖を左に見ながら中央自動車道を甲府方面に向い,長坂インターチェンジで下りて,清里の近くのS氏の家に宿泊した。

     S氏の家に行く前に,日本に初めてアメリカンフットボールを紹介したポール・ラッシュ博士が開いた,酪農場とホテルと売店等がある「清泉寮」に行った。

     「清泉寮」はソフトクリームで有名だが、他にもさまざまな施設,農村センター、教会、保育園、自然ふれあいセンター、ポールラッシュ記念センター、日本アメリカンフットボールの殿堂、やまねミュージアム等々があります。

     そのソフトクリーム(300円)は大人気で観光客が行列を作って買っていた。

     私とY氏も並んで人気のソフトクリームを買って食べた。

     さわやかな酸味のある甘さ控えめのソフトクリームで美味しかった。

     これなら並んでも買って食べたくなる。

     俳優の柳生博氏が経営する八ヶ岳倶楽部に立ち寄った。

     雑木林の中にはオリジナルの工芸品、山野草のコーナーの他にレストラン(女性に人気があるそうだ。)も併設されていた。

     桁一つ違う高額な家具が沢山置いてあった。

     S氏の家に到着して,庭に設置された丸太を半分に切って作った椅子に座り,木製のテーブルにT氏が山形から御土産に持参した「だし」(なすやきゅうりやみょうがを細かくきざんで,削り鰹節を混ぜて醤油味にした夏の山形名物の料理)を肴にビールを沢山飲んだ。

     1時間位してから,辺りが暗くなる頃,その日丁度近くの小淵沢の山梨県馬術競技場で「八ヶ岳ホースショーinこぶちざわ」のお祭りがあるというので,S氏が3人を山梨県馬術競技場まで案内してくれた。

     さまざまな馬の出し物があり,流鏑馬(やぶさめ)もあり,圧巻は甲斐の武田の騎馬軍団で,20人くらいの騎手がそれぞれ鎧兜に旗指し物を背中に着けて,分かれたり合わさったりのさまざまなフォーメーションを鮮やかに見せるショーだった。

     さすが,戦国時代最強と言われた甲斐の武田信玄の騎馬軍団を彷彿(ほうふつ)とさせる出し物だった。

     見物客も大変な人出で,どこから人が集まってきたのだろうと不思議に思うほどの群衆だった。

     その後に花火があったが,花火はS氏の家に帰って,ビールを飲みながら見た。

     翌朝3日目は,早朝4人で散歩した。

     S氏の家の近くには,沢山の別荘が立ち並んでいた。

     すぐ近くに八ヶ岳が見えた。

     S氏手作りの数種類のジャムでパンを食べ,美味しい牛乳を飲み,果物を食べて豪華な朝食をとった。

     朝食後に,有名な三分一湧水を見に行き,清里近くの白樺派の理想を実現した美術館のある清春芸術村近くにある非常に有名な日本ソバ屋「翁」の建物を見て,それから,NHKが現在放映している大河ドラマの風林火山のロケセットがある風林火山舘(観覧料一人300円)に入り記念撮影をした。

     ここで,山形に御土産に,かの有名な山梨土産の桔梗信玄餅を購入した。


  • 三分一湧水

  • 風林火山館

  •  午前11時近くにS氏に別れを告げて,私たち3人は,山形に向けて車で出発した。

     二日酔いが治ったので,今度は私が車を運転して,清里方面から野辺山高原に出て,佐久甲州街道をひた走り,佐久インターチェンジから上信越自動車道に入り,碓井軽井沢を通り,藤岡ジャンクションから関越自動車道に入った。

     そこから,ひたすら北上した。

     赤城高原パーキングエリアで上州の沼田名物団子汁を食べた。

     豚汁に耳たぶ大に小麦粉を練った団子を入れた料理で美味しかった。

     隣で食べている人の料理を見たら,赤城ポークを使用した特大トンカツ丼だった。

     これも食べたかったがまたの機会に食べることにして,また,車でひた走った。

     水上温泉,湯沢スキー場,ガーラ湯沢,塩沢石打を通り,長岡ジャンクションから北陸自動車道に入り,新潟から磐越自動車道に入り,元来た道を山形に向い突っ走った。

     途中会津若松から宮城県の川崎まで土砂降りの雨にたたられ,運転に苦労した。

     往復1600キロメートルを超えるロングドライブだった。

     さすがにハードな登山だった。

     帰りも,夕方のETC通勤割引を効率的に利用した。

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