■河口湖自動車博物館

 

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そして今回の特別展示のメインがこの零戦。この機体は52型。全幅11m、全長9.1m、自重1,894kg、エンジンは中島「栄」21型(1,130馬力)、最高速度559km/h。武装は7.7mm機銃×2、20mm機銃×2。各シリーズを合計すると1万機以上生産され、大戦全期を通じての日本海軍の主力戦闘機であった。

 

 
   
 
 
展示場になっているこの格納庫が狭かったので、引いた写真が撮れず少々残念。想像していたよりもかなり大きなものだった。F1マシンを間近で見た時も、思っていたよりも大きくてびっくりしたが、逆に大きなものは実際見てみると思っていたより小さく感じたりする。一式陸攻の胴体は逆に想像していたよりも小さく感じた。
靖国の「彗星」を見たとき同様、これに乗って空中戦を戦ったんだなあ、と思うより、これが何百キロものスピードで敵艦に体当たりしたんだなあ、という思いが先に浮かんでくるのはなぜか。自分の中では開戦当初の「無敵のゼロファイター」としての零戦よりも、大戦末期の特攻機の零戦のイメージの方が強いからだろう。
  
  

 
零戦のフレーム。そういえば中学生の時作ったプラモデルも、内部はこの「青竹色」で塗った記憶がある。徹底した軽量化により無類の格闘性能と航続距離を誇った零戦だったが、このフレームを見ても、当時の技術者の苦心のあとが窺える。
 
 
エンジンの下には垂れ落ちるオイルを受けるバットが置かれている。フライアブルの機体から外したか、これから搭載する予定なのかも知れない。右は零戦の増槽(予備燃料タンク)。いざ空戦となったときは落下させる。初期はジュラルミンでできていたが、戦況の逼迫とともにベニヤで作られるようになった。左下は20mm機銃。当初は初速が遅く、携行弾数も少なかったので(60発)使い勝手が悪かったが、この52型では125発を搭載した。が、その他さまざまな改良により機体重量が増加し、開戦劈頭の「キレ」は戻ってこなかった。
 

  
  よく他人から兵器マニアと思われそうになると、「男の子的にはかっこいいなと思うよ」とか言って茶を濁すが、この博物館はそうした「男の子」の部分を大のオトナからも引き出し楽しませてくれるステキな場所だったと思う。子供連れで行ってみようと思っているそこのお父さん、自分が夢中になってお子さんに手を引かれないよう注意してください(笑)。
情報によると今年もこの特別展示は開催されたようで、ファンにとってはうれしい限りなのではないだろうか(この項終わり)

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■番外編■

 
 
館内を埋め尽くす名車の数々に終始びっくりうっとりのおじさん連であったが、唯一爆笑したのがこれ。左写真の板2枚には、この博物館を訪れた著名人のサインが記してあり、本田宗一郎や坂井三郎(零戦のエースパイロット)ら、ここの展示物にゆかりのある人物の名も見える。そしてその中に、あのユリ・ゲラーのサインも!もちろんお約束の曲げたスプーンも一緒に展示してあった。「すばらしい場所だね。2人の子供も大満足だったよ」だって。よかったね。

 

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探訪日;2001/08/25 所在地空撮
2002/08/11 新規掲載、2007/08/24 再掲載
データ、情報は当時のものです。