幼児虐待

 

狼は子羊と共に宿り、豹は子山羊と共に伏す(イザヤ11・6)

無邪気荒し

 

 

 

 

 

天界と地獄283

 

無垢の善にいる者は凡て無垢に感動し、たれでもその善にいるに応じて、感動するが、無垢の善にいない者らは感動はしない。そうした理由から地獄の凡ての者は無垢に全く対立しており、また彼らはその何であるかを知りもしない、彼らはたれかが無垢であるに応じて、益々その者に危害を加えようと燃え立つ程にもそれに対立しており、そこから幼児を見るに耐えることが出来ない、彼らは幼児を見るや否やこれに危害を加えようとの残酷な欲望に燃え上がるのである。そこから、人間自身のものと、引いては自己への愛は無垢に反したものであることが明白になったのである、なぜなら地獄にいる者は凡てそのもの自身のものにおり、それゆえ自己愛にいるからである。

 

 

 

天界の秘義2126

 

さらに今教会の中にいる者らは仁慈そのものにいかに対立しているかが表象された。一人の美しい無垢な小さな子供が現れた。これを見ると、魔鬼と悪霊とを忌まわしい行為から抑制している外なる束縛がやや緩められた、すると彼らはその小さな子供を最もむごたらしい方法であしらい始めたのである、即ち、各自さまざまの方法で、その子供を踏みにじり、彼を殺そうと欲し始めたのである、なぜなら他生では仁慈は幼児により表象されるからである。私はこうした人間についてはその者らの身体の生命の間ではそうしたことは現れはしないことを語ったが、しかしそうしたものが彼らの内部であり、もし民法により、また財産を、名誉を、名声を、生命を失いはしなかとの恐れといった他の外なる束縛により妨げられないなら、彼らは無垢であるすべての者に向って同じように猛り狂って飛びかかるであろうと答えられたのである。今言ったことから私たちは現今の人間の性質はいかようなものであるかを、また最後の時が切迫していることを認めることが出来よう。

 

 

 

「悪霊どもは特に幼児を憎悪することについて。」

霊界日記2284

 

 悪霊どもは幼児を特に憎悪することは多くの経験により私はまた知ることを与えられたのである、なぜなら私が幼児を見た折しばしば彼らは幼児を色々な方法で害おうと欲し、実に、殺そうとさえ欲したのであり、そのことを私は彼らの幻想〔妄想〕から知ることを与えられたのである。幼児たちが楽しんでいるあどけないものをすらもこうした霊共は憎悪しており、約言すると、彼らは、幼児は無垢であるという理由から、何であれ、あどけないものはことごとく憎悪し、かくて無垢な者を非常に追い、憎悪し続けている。私はあなたらはまたあなたら自身の幼児にもそのようなことをなさるおつもりか、と尋ねた。彼らは、そんなことはない、他人の子供を憎むのであり、自分らは自分ら自身の中ではそうした憎悪を和らげることは出来ない、と言った。その理由は、彼らは主を―その方のみが無垢であられるが、その主を―憎悪しているためである。1748年〔60歳〕6月10日。