小さな者

 

無となる恵み

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

4.聖母から司祭へ

5.サンダー・シング

6.ヨゼファ・メネンデス

 

 

 

 

1.  聖書

 

 

マルコ9・33−37

 

一行はカファルナウムに来た。家に着いてから、イエスは弟子たちに、「途中で何を議論していたのか」とお尋ねになった。

彼らは黙っていた。途中でだれがいちばん偉いかと議論し合っていたからである。

イエスが座り、十二人を呼び寄せて言われた。「いちばん先になりたい者は、すべての人の後になり、すべての人に仕える者になりなさい。」

そして、一人の子供の手を取って彼らの真ん中に立たせ、抱き上げて言われた。

「わたしの名のためにこのような子供の一人を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしではなくて、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。」

 

 

 

マタイ18・1−7

 

そのとき、弟子たちがイエスのところに来て、「いったいだれが、天の国でいちばん偉いのでしょうか」と言った。そこで、イエスは一人の子供を呼び寄せ、彼らの中に立たせて、言われた。「はっきり言っておく。心を入れ替えて子供のようにならなければ、決して天の国に入ることはできない。自分を低くして、この子供のようになる人が、天の国でいちばん偉いのだ。わたしの名のためにこのような一人の子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。

 「しかし、わたしを信じるこれらの小さな者の一人をつまずかせる者は、大きな石臼を首に懸けられて、深い海に沈められる方がましである。世は人をつまずかせるから不幸だ。つまずきは避けられない。だが、つまずきをもたらす者は不幸である。」

 

 

 

マタイ20・26−28

 

しかし、あなたがたの間では、そうであってはならない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、皆の僕になりなさい。人の子が、仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのと同じように。

 

 

 

マルコ10・42−45

 

そこで、イエスは一同を呼び寄せて言われた。「あなたがたも知っているように、異邦人の間では、支配者と見なされている人々が民を支配し、偉い人たちが権力を振るっている。しかし、あなたがたの間では、そうではない。あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上になりたい者は、すべての人の僕になりなさい。人の子は仕えられるためではなく仕えるために、また、多くの人の身代金として自分の命を献げるために来たのである。」

 

 

 

 

ルカ9・46−48

 

弟子たちの間で、自分たちのうちだれがいちばん偉いかという議論が起きた。 イエスは彼らの心の内を見抜き、一人の子供の手を取り、御自分のそばに立たせて、 言われた。「わたしの名のためにこの子供を受け入れる者は、わたしを受け入れるのである。わたしを受け入れる者は、わたしをお遣わしになった方を受け入れるのである。あなたがた皆の中で最も小さい者こそ、最も偉い者である。」

 

 

 

ルカ22・24−27

 

また、使徒たちの間に、自分たちのうちでだれがいちばん偉いだろうか、という議論も起こった。そこで、イエスは言われた。「異邦人の間では、王が民を支配し、民の上に権力を振るう者が守護者と呼ばれている。しかし、あなたがたはそれではいけない。あなたがたの中でいちばん偉い人は、いちばん若い者のようになり、上に立つ人は、仕える者のようになりなさい。食事の席に着く人と給仕する者とは、どちらが偉いか。食事の席に着く人ではないか。しかし、わたしはあなたがたの中で、いわば給仕する者である。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界と地獄408

 

私は、天界と天界の喜びとは、自分が偉大なものになることにあると考えていた霊たちと話したことがある。しかし彼らは以下のように告げられた、天界では最も小さい者が最も偉大な者である、なぜなら自分自身からは力も知恵も持たず、また持とうとも願わないで、主からそれを得ようと願う者が最も小さな者と呼ばれており、こうした意味で最も小さい者は最大の幸福を持っている。そしてその者は最大の幸福を持っているため、彼は最も偉大な者であることが生まれている。なぜなら彼はそのことによって主から凡ゆる力を受けて、知恵では凡ゆる者に優れるからであり、そして最大のものであることは、最も幸福であることでなくて何であろうか。なぜなら最も幸福であることが力ある者が力により、富んだ者が富により求めるものであるから。更に以下のように言われた。天界は最大なものになろうと望んで最小のものになろうと求めることにはなく―なぜならそうしたことは最大なものになろうと渇望し、むさぼり求めることであるから―それは自己の善よりも他の者の善を心から意志し[欲し]、報酬を何ら求めないで、愛から、他の者の幸福のために他の者に仕えることにある、と。

 

 

 

天界の秘義1396

 

 世に生きていた頃自分の行為と教えとに対する功績を自分自身に潜取しようと欲した或る霊が一人右手の方へ行って、このような性格を持たなかった者たちのもとへ来た。彼は彼らと共になろうとして、自分はまことに取るに足らないものであるが、あなたたちにお仕えしたいと願っていると言ったが、忽ち、彼が近づくや否や、実に彼がなお遠くにいる間にさえも、彼らはその者がいかようなもであるかを認めて、直ぐに、あなたはあなたが言われているような者ではない、あなたは偉大な者になろうと願っておられる、だから小さい者であるわたしらとは和合することは出来ないと答えたのである。彼はこの言葉を恥じ、彼らが彼をかくも離れているうちにも知っていることに驚きながら、去ったのである。

 

 

 

天界の秘義1419

 

 

天界の秘義1594[]

 

それのみが天界的なものである相互愛は、人間が自分自身については以下のように言うのみでなく、またそのことを承認もし、信じもしていることにあるのである、すなわち、自分は全く無価値なものであり、卑しい汚れたものである、主はその無限の慈悲から自分を地獄から絶えず引き出され、遠ざけておられるが、その人間はその地獄の中へ自分自身を投げ込もうと絶えず努めている、いな、渇望しているのである。かれがそのことを承認し、信じているのはそれが真であるためである、主がまたはたれか天使がかれが服従するためにそれを承認し、信じるように欲しておられるというのではなくて、かれが自分はまことにそうしたものであることを認めて、高ぶらないためである、なぜならそうしたことは排泄物がそれ自身を純金と呼ぶようなものであり、または糞のやまの上を飛んでいるはえが自分は楽園の鳥であると言うようなものであるからである。それで人間が自分自身は自分が実際あるようなものであることを承認し、またはそのようなものであると信じるに応じて、かれは自己愛からその自己愛のいくたの欲念から後退して、自分自身を忌みきらうのである。かれがそのことを為すに応じて、かれは主から天界の愛を、すなわち、すべての者に仕えようとする願望から成っている相互愛を受けるのである。これらの者が主の王国の中で最大の者となるところの『いとも小さい者』により意味されている者たちである(マタイ20・26−28、ルカ9・46−48)。

 

 

 

天界の秘義3417[2]

 

 例えば、教義的なものの中にいて、生命にはさほどいない者らは天界の王国は地上の王国に似ている、すなわち、人間は他の者を支配することにより偉大になるという点で似ているとのみしか考えていないで、この喜びが彼らの知っている唯一のものであり、これを彼らは他の凡ゆる喜びにも勝ったものとしており、それで主はこの外観に応じて聖言に語りたもうたのである、例えばマタイ伝には―

 

 たれでも行って、また教える者は、天国では大いなるものと呼ばれるでしょう(マタイ5・19)。

 

またダビデの書には―

 

 わたしは言った。あなた方は神であり、あなた方の凡ては至高者の息子たちである、と(詩篇82・6、ヨハネ10・34、35)。

 

 そして弟子たち自身でさえ最初は天界の王国[天国]については―マタイ伝18・1、マルコ9・34、ルカ9・46に明白であるように―地上におけるような偉大と卓越について抱かれる見解以外のものは何ら持っておらず、また王の右手と左手に坐ることを考えていたため(マタイ20・20、21、24、マルコ10・37)、それでまた主は彼らの把握とその精神とに応じて答えられて、彼らの中で彼らの中のたれが最大のものであるかについて争いが起こったとき、以下のように言われたのである―

 

 あなたたちはわたしの王国でわたしの食卓について食い飲みし、王座に坐ってイスラエルの十二の種族を審判くでしょう(ルカ22・30、マタイ19・28)。

 

 なぜなら当時彼らは天界の歓喜は偉大と卓越との歓喜ではなくて、謙遜のそれであり、他の者に仕えることに対する情愛のそれであり、かくて最小のものとなることを欲して、最大のものになろうとは欲しないことのそれであることを知らなかったからである。このことを主はルカ伝に教えられているのである―

 

 たれでもあなた方の中で最も小さいものは、偉大なものとなるでしょう(ルカ9・48)。

 

 

 

天界の秘義3417[3]

 

かくて知識の記憶知の中にいるが、仁慈の生命の中にいない者らは卓越から生まれてくる歓喜以外の何らかの歓喜の在ることを知ることが出来ないのであり、それが彼らの心に居座っている唯一の歓喜であって、彼らの生命の凡てを作っているため、それで謙遜[へりくだり]と他の者に仕えることに対する情愛から由来してくる天使の歓喜を―すなわち、主に対する愛と隣人に対する仁慈の歓喜を―全く知ってはおらず、従ってそこから由来してくる祝福と幸福とを知っていないのである。このことが主が彼らの弱さ[欠陥]に応じて語られた理由であって、彼らがそのことによって、善を学び、教え、行うように、善へ目覚めて、そこへ導かれるためであったのである。それと同時に主は天界の偉大と卓越との性質を教えられているのである(マタイ19・30、20・16、25−28、マルコ10・31、42−45、ルカ9・48、13・30、22・25−28)。これらのものが、またそのようなものが低い度の真理の外観である、なぜなら彼らは以下の理由から実際相対的に偉大になり、卓越し、力あるものとなり、権威を持つからである、すなわち、ただ一人の天使でも数万の奈落の霊よりも大きな力を持っているが、しかしそれもその者自身から持っているのではなく、主から持っているのであり、彼は彼自身からは何ら力を持ってはいないことを、かくて彼は最小のものであると信じるに比例して益々主からその力を得るのであり、しかも彼はそのことを彼が謙遜になり、他の者に与えることを求める情愛の中にいるに応じて、すなわち、主に対する愛の善と隣人に対する仁慈の善の中にいるに応じ、益々信じることが出来るのである。

 

 

 

天界の秘義9039

 

天界にいて信仰の真理からこの上もなく理知があり、また知恵のある者たちは、力の一切を主に帰して、何一つ自分自身には帰してはいないほどにもへり下っており、かれらは光栄と喜びとを支配することにはおかないで、仕えることにおいており、かれらはこうした状態にいるときは他の者にまさって支配しているのであり、また光栄と喜びを覚えているのであるが、それでもそれは支配を求める愛から発しているのではなくて、他の者に仕えることを求める情愛であるところの、愛と仁慈とに対する情愛から発しているのである。なぜなら主はへり下っている者たちのもとへ力をもって流れ入られるが、自負の念でふくれ上がっている者らの中へは流れ入られはしないからである。それは前の者は流入を受けるが、しかし後の者はそれを斥けてしまうためである。

7489−7492

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P109

‘88・1・18

 

主よ、皆の中でもジェームズ神父とディビッドに主は光を与えられました。

 

 

私を見て 聞き分け 感じるように 二人を照らした、誠実である証しを立てる者には光を与える、知者は誠実さに欠けるがため 光を与えないのだ、主なる私は貧しく卑しい者を探し求めている、あなたが小さいほど、私は偉大さのうちにあなたの方へ屈み 引き上げようと手を差しのべたくなる、あなたが小さく つまらない者に見えるほど、私の聖心の奥深くに入りやすくなる、ヴァッスーラ! 見えるか?

 

(イエスはあるヴィジョンを下さり そこには廊下と通路を遮る大きな岩の塊がありました、その向うには強いまぶしい光が見えますが、その岩があって廊下には光が射していません。)

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P276

‘88・8・15 被昇天の祝日

 

主イエスよ、祝福をお受け下さい。

 

♡ 主なる私はあなたを祝福する ♡ 我が聖心は痛みにあえいでいる、私を愛し祝福し 探し求めるすべての人は、茨の棘に包まれた私を癒し 慰めてくれるように、私は小さな霊魂たちのほうを向き そのほうに行く、そこには小さいがゆえに憩いがある、安らぎがある、

 

ああ イエス、そのように苦しんでおられるのを感じて私はとても辛い・・・

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P118

‘89・2・9

 

♡ 我が小さな霊魂たちは幸い、この者たちを特別に愛している。 小さく単純なままでいなさい、何者かになろうとはしないように、我が聖心の深奥に 忍び込めるよう 小さいままでいなさい。 幼児の−ような−信仰を持つ、子どものようでありなさい、御父はそれを喜ばれる ♡

 

 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・9巻P162

‘98・6・22 (つづき)

 

あなたのうちに私は増し加わり その一方であなたを小さな者にしていくという 惜しげない好意を示そう。 あなたのうちは夜明けとなり 夜闇は消えていく。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P25

‘99・3・3

 

私のうちに、我が心のうちに引きこもり、たえざる観想の状態でいてほしい、霊魂は静けさのうちにとどまり 我が甘美さに酔って。 我が心より啓示と指示を求めつづけて、それらをこの世代や 後につづく全ての人びとに伝えなさい。 ♡ 聖霊はこれからも その崇高な光をあなたの知性に注ぐという好意を示され この光によってあなたは教会を美しく飾ろう。 小さいまま、本当に小さいままでいなさい、そうするなら聖霊はいっそう有効に力を発揮される。 愛をこめて使徒信条(クレド)を宣言し 私どもの光のうちに前進して 私どもの豊かさ、慈悲、あなたに示している優しさを決して疑わないように。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P105

‘00・6・6

 

確かに、あなたには何の徳もないのに あなたのうちに踏み入ったが、あなたを見たとき、私は愛した。あなたには 我が恵みを拒まないと私は決めた そして我が十字架も。 我が心の中心に連れて来るにはあなたを小さくする必要があったが、鞭も声も振り上げなかった。 愛深くそっと 私のもとに連れて来た。

 

生まれ変わるや直ちに 我が霊は あなたにこう言わせた、「アッバよ!」 我が霊は私と御父ともども歓びに溢れ あなたを三たび祝福し その後直ちに、天の延臣たちを招集して 皆にこう言った:

「私どもは 弱い者によって大きな誉れを勝ち取ろう。 やがて勝利は 私どもの手に入る、だが(*)、教会を害する者たちに知られたなら、悪意をもって 私どもの子どもに向ってこよう。 心の頑なな人びとが群れをなして その悪意ある心を残忍にも示すだろう、だが彼女は私どもにしっかりと結ばれ 彼らに対しては三位一体の神が 共にいる明らかな印となる。 そして一時は 敗者に映ろうが、間もなく 自分たちの計略は一切虚しかったと 彼らは気づこう。

 

私どもの救いの計画のために、彼女の霊には勇気を授け 私どもに代わって話すときは、王の命に従って話すがゆえ 彼女は権威をもって話すだろう。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P116

‘00・8・5

 

自分の声ではなく 私の声を聴く人は誰であっても 私の知恵を深く理解し、我が言葉は太陽に向けられた鏡のように 霊魂のうちに輝きを放つ。 我が言葉を読んで自分を小さくし 寛大と愛をもって私を尊ぶ者は誰であっても、目の鱗が落ちて 近づき難い栄光のうちなる 私を見よう。そう、その目は 見えてはいなかったもの 到達しがたく 聖人たちだけに取っておかれたものを くまなくはっきりと見よう。

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P117

‘00・8・5

 

宇宙の花婿なる私は、全き荘厳をもって 自分を完全に小さくした者のもとを訪れる そして我が愛の霊が包み込んで まこと聖なる三位一体のふところに引き入れよう。 その時、このような霊魂は 強烈な光を受け 秘められていた天国のあらゆる神秘や富を得て この地上にいながら、天国で生きるかのように生き始める、至福のヴィジョンの中に 足を踏み入れたがゆえ。 言い換えるなら、その霊魂は 至福のヴィジョンがどんなものかを 前もって味わい 彼が天国に入るや直ちに このヴィジョンは完璧になる・・・

 

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P118

‘00・8・5

 

我が言葉を読む多くの人にとって その意味が神秘的で封印されているゆえ その意味を深く理解しないと、娘よ、あなたは言う。 今や我が言葉を理解するには どうしなければならないかを あなたには説明した。 自らを小さくするなら 私が霊魂のすべてとなろう、あなたのいのち、健やかさ、あなたの霊感、善意、希望、愛、信仰、歓び そして倚りかかれる花婿、あなたの復活となる。

 

 

 

 

4.聖母から司祭へ

 

 

聖母から司祭へ

1975.9.12

 

私はあなたが小さく貧しいものであるからあなたを選びました。イエズスは小さくて、心の清らかな素朴な人だけを喜びの目でまた特別な愛をもって見ておられます。

いつでもそうであってください。

そして自分を決して見つめないでください。なぜならあなたの欠点がそのまま残るという恵みをあげたいと思いますから。

わが子イエズスは、あなたが何かできるからではなく、あなたが、あなた自身であること、ありのままの、あなたを愛しておられます。あなたの功徳ではなく、あなたを強く引きつける御自分の愛によってのみあなたを愛しておられます。

わけても母である私は、あなたがあなたであることで愛しています。もしあなたに欠点を治そうとする努力がいつもあるなら、あなたの欠点と共にあなたを愛しています。そしてもしこの欠点が、あなたの小さなものであることを認めさせるならば、これもあなたが、私のものになるためにいっそう役立つことでしょう。

私の運動の司祭たちよ、私があなたがたに示した理想からまだ遠く離れていると分かっても心配しないでください。私にはあなたがたの謙遜、信頼、善意で充分です。

 

 

 

聖母から司祭へ1976.8.22

 

 それであなたがたの中の誰もが頭になることはできません、あなたがたは愛の中にますます成長し、一致する兄弟です。

 もし誰かが、もっと偉大なものになりたいと思うなら、もっと小さいものになりなさい。よりいっそう愛し、奉仕し、私の云うことを聞き、そして私の汚れなき心の中に消えてしまうほど、小さくなる人を、私自身が偉大な人にしましょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1976.11.8

 

 あなたは、自分の小さいことを自覚しています。あなたは、自分が貧しく欠点だらけで、私に捧げるものがないと思っています・・・。そのとおりです。

 おお! あなたの愛だけで十分です。

 

 

 

聖母から司祭へ1977.8.4

 

 自分自身をみつめないでください。謙遜に柔和な心で、自分の小さいことを認めなさい。主に、こう言ってください。私は、あなたの一番小さい子供です。私の貧しさを知って、感謝しています。

 そして愛しなさい。小さなものであればあるほど、愛することができるのです。

いつも愛しなさい。イエズスと私は、あなたがたから愛だけがほしいのです。何ものも、あなたがたのものではありません、しかし、心臓の動悸は、あなたがたのものです。

 おお、特に愛されている私の子らの心よ、わが子イエズスと、私と、霊魂のためだけに愛の鼓動を打続けてください! あなたがたは、それによって、この地上でも私の完全な悦びとなるでしょう。

 

 

 

聖母から司祭へ1994.9.8

 

 この最も小さな子らによってだけ、天の母は、その勝利を得られます。かれらによってのみ、イエズスは、世界における、ご自分の栄光ある王国を定めることがおできになります。

 

 

 

 

5.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書P100

 

 聖人:「あのギリシャの名高い哲学者ソクラテスが、一生をかけてただ一つのこと、つまり“自分は無知である”ことを学びとったと告白したのを、覚えておいででしょう。それをきいて人々は、哲学者のくせに無知だというのなら、他の俗人とどこが違うのかと迫りました。ソクラテスは、一つだけ違うところがある。それは、自分は無知であることを知っているが、人々はそれさえ知らずにいるのだ、と答えました。

 わたしの場合も、これと非常に似通っています。わたしは、自分が弱く罪人であることを知っていますが、人々は自分が罪人であることに気づいていないのです。そのため、罪を癒す薬にまったく気づかず、罪の中で死んでしまっているのです。人々がわたしのことを聖人と呼んでいるとすれば、それは誤っています。わたしは、神との密なる交わりに生きることによって聖人になろうと努めてはいますが、聖人になってなどおりません。もちろん、次のことだけはいつでも堂々と証しを立てられます。わたしは、愛する聖なるキリストと交わる中で、どのような理解も超えたあの平和を楽しんでいる。この天上の歓喜はこの世の言葉では表現できないものであり、現世的な人々には決してそれがわからないということです」

 

 

 

 

 

6.ヨゼファ・メネンデス

 

ヨゼファ・メネンデス/愛の招き/P106

 

“きょうは非常な慰めをうけた。それはおまえがわたしを決して離れなかったことと、それにおまえの小ささがわたしを喜ばせた。このように、おまえは常にわたしと一っしょにいなければならない。おまえが自分自身をみじめで小さいと思うほど、わたしがおまえについて満足していると思いなさい”