低次元の霊魂

良心を持たない者はこのようにとりつかれてしまっている

ウィルソン・ヴァン・デュセン

歪曲

1.スウェーデンボルグ

2.マリア・ワルトルタ

 

1.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義3224

 

 人間はその知的な心が世の光とは全く相違した或る一種の光の中に在ることを未だ知っていないということは驚くべきことではあるが、しかしそれが実情であるため、世の光の中にいる者には天界の光はいわば暗黒であり、天界の光の中にいる者には世の光はいわば暗黒となっているのである。このことは主として愛から起っているが、愛は光の熱である。自己への愛と世への愛の中におり、かくて単に世の光の熱の中にのみいる者は、悪と誤謬にのみ感動するが、これらは天界の光に属している真理を消滅させるものである。しかし主への愛と隣人への愛の中におり、かくて天界の光に属している霊的な熱の中にいる者は誤謬を消滅させるところの善と真理とに感動するのであるが、しかしこれらの人物のもとには依然相応しているものが存在しているのである。

 

 

天界の秘義3224[2]

 

 単に世の光に属しているものの中にのみいて、そこから悪から派生している誤謬の中にのみいる霊たちは、他生で天界から発している光を実際得るには得ているが、しかしそれは迷妄の光のような光であり、あるいは火のついた炭または松明から発してくる光のような光であって、天界の光がそれに接近すると、この光は直ぐにも消滅してしまって、暗闇となるのである。この光の中にいる者は幻想の中におり、彼らは幻想の中に見るものを真理であると信じているのであり、またそれ以外のものは一つとして彼らには真理ではないのである。彼らの幻想はまた汚れた、猥褻なものに固く結びつけられており、そうしたものを彼らは特に歓んでおり、かくて彼らは気が狂って、精神が錯乱している人間のように考えるのである。誤謬については、彼らはそれがそうであるか、否かと論じはしないで、すぐさまそれを肯定はするが、しかし善と真理とについては、絶え間なく論じて、結局は否定してしまうのである。

 

 

天界の秘義3224[3]

 

 なぜなら天界の光から発している真理と善とは、内的な心へ流れ入ってくるが、その心は彼らのもとでは閉じられているのであり、それ故その光はこの心の周囲にまたは外側に流れ入って、彼らには真理のように見える誤謬により専ら変えられてしまうようなものになるのである。真理と善とは、その内的な心が開かれていて、そこへ主から光が流れ入ることが出来る者を除いてはいかような者のもとにも承認されることは出来ない、そしてこの心が開いているに応じて、真理と善とは承認されるのである。この心は無垢の中に、主に対する愛の中に、隣人に対する仁慈の中にいる者のもとにのみ開いているが、しかし信仰の真理の中にいる者のもとには、その者がそれと同時に生命の善の中にいない限り、開かれてはいないのである。

 

 

天界の秘義6884

 

人間もまた(自分に)言われる事柄を自分の考えを凡て占めているものに再三変えており、かくて不潔な物の中にいる者は不潔なものに、清潔なものの中にいる者は清潔なものに変えてしまうのである。

 

 

天界の秘義6949

 

真理に反抗して誤謬を弁護し、善に反抗して悪を弁護する者はことごとく、約言すると、生命の悪の中にいて、そこから何ら信仰の中にいない者は凡て分離された感覚的なものから考えているのである、なぜなら悪い生活をしている者は何事も信じはしないからである。

 

 

天界と地獄479

 

時々私は、ある単純な善良な霊が悪い霊に真理と善とを教えようとしたが、悪い霊はその教えからはるか遠くへ逃げて行き、自分自身の仲間のもとへ来ると、自分の愛に一致した誤謬を大喜びで受け入れるのを見ることが出来たのである。

 

 

 

スウェーデンボルグ/アタナシウス信条について/静思社/P78

 

 彼らは主の御名を口にすることを欲していないし、また口にすることもできない。彼ら凡ての者にとっては、主を崇拝している者を苦しめ悩ますことが極めて楽しいのであり、この彼らの楽しさは極端なものである。

 

 

2.マリア・ワルトルタ

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P37

 

 呪われたものたちよ、わたしが恐ろしい死の雷であなたたちを打つ前に台座から降りて来なさい。せめて、獲物に飽き、死ぬために巣穴に戻る獣のように果てるがよい。わたしが、あなたたちの霊魂ではなく、あなたたちの野獣の体を罪滅ぼしのために引き渡し、また大勢の人々の嘲笑と、あなたたちが今、虐待している人々の虐待の中で死なせるのを、地獄の神々のためのあなたたちの台座の上で待っていてはならない。わたしの憐れみにも限界がある。これを憶えておくがよい。神を猿真似する者、ルシフェルのようになる者にかける情けはないのだ。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P59

 

おきてなき人類(2テサロニケ2・1−12)

 

 兄弟の皆さん、わたしたちの主イエズス・キリストの再臨と、そのとき、わたしたちが主のもとに集まることについて、あなたがたにお願いがあります。あたかも、わたしたちが受けた霊感、わたしたちの説教や手紙によるものであるかのように、「主の日はすでに来ている」と言われているのを耳にして、すぐに理性を失ったり動揺したり、うろたえたりしないでください。だれにも、また、どんな手段によっても、だまされてはいけません。なぜなら。まず初めに、への反逆が起こり、のおきてに逆らう人、いわゆる「滅びの子」が現れ出なければならないからです。彼は、と名の付くもの、あるいは、礼拝の対象となるものすべてに敵対して傲然と立ち、ついには自分自身をであるとしての聖所に座を占めるまでになります。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P107

 

 肉の、また野獣のようなあなたたちの生きざまのごみが、たとえを見ることを妨げるためにあなたたちの霊魂の眼に被膜をかけたとしても、の眼にはベールはかけられない。わたしが出るようにつよくすすめ、出るための手段を与えているにもかかわらず、泥のなかにいることを楽しみ、そこにずっと留まろうとする人々の上に、わたしの手は重量をかける。彼らは泥のなかの泥になるだろう。というのも彼らは罪の泥を好んで食べ、彼らの不潔な飢えを満たすからだ。

 を否認した子供たちよ、その日は近づいている。地球の時間は長いようで短いのだ。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P109

 

 現世におけるわたしの短い王国において、統治するのはわたしであろうし、わたしとわたしの民の残りの人々、すなわちほんとうに忠実な人々、キリストを否認せず、サタンの三重冠でキリストのしるしを隠匿しなかった人々であろう。そのとき、強大な勢力を恃みとする嘘吐きの神々、全能なるであるを否定する卑猥な教説は失せるだろう。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P139

 

 それは霊の王国となるだろう。あなたたちが主の祈りのなかで―そしてあなたたちはついぞ反省することがないから求めているものが何かを知らない―求めている神の王国であろう。あなたたちの心のなかでなかったらあなたたちは神の王国をどこに望むのか? 地球上のわたしの国が始まるのはまさにそこからなのだ。大きな国だ。しかしそれは常に限りがある。

 ついで地上にも時間にも境界のない国が到来するだろう。あなたたちを永遠の天の住民とするであろう永遠の王国だが、当然のことながら、わたしはわたしの臣下に話しているのであって、すでに彼らのおぞましい王サタンを仰いでいる堕落した者たちに話しているのではない。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P171

 

 人間のころもを着た蛇たちよ、もしあなたたちが、わたしの聖なる人々から仲間はずれにされ、わたしの善良な人々から爪弾きにされることなど、落ちてきても痛くない雀の羽毛のようなものだとみなすならば―というのも、あなたたちの心が石のように硬いからなのだが―今からわたしの呪いはあなたたちを貫通し、あなたたちを責めさいなむだろう。なぜならわたしはわたしの思惟の欲するままに、谷々を開き、山々を引き裂き、海を分け、大地を揺るがせる者であり、あなたたちの心の火打ち石を貫通し、それを吹きガラスの壊れやすい泡のように、粉々にすることができるからだ。

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P215

 

そのためにこの究極の福音宣教は、時宜に適った時に新しい方法で実現されるだろうし、生命を今か今かと待ち侘びる人びとは、イエズスとマリアという二人の贈り主のみが知っている方法で、余すところなく、完全にそれを享受するだろう。ただ自分のために闇と泥、異端と、に対する、またマリアに対する憎しみを選んだ者のみが、すなわち死者である前にすでに死者であり、腐敗した霊魂、サタンとその手下たち、すなわち反キリストの先駆者たちと彼自身に売られた霊魂たちは、来たるべきが来るであろう時、泥と闇と責め苦と永遠の憎しみに呻吟することになろうが、いかにも正義に適ったことではないだろうか。

 

 

マリア・ワルトルタ/天使館第3巻上P138 /171・3

 

偽預言者や間違ったことを教える学者たちを警戒しなさい。彼らは羊の皮を被ってあなたたちのもとに来るが獰猛な狼であり、聖者を装ってやって来るが神を嘲笑する者たちであり、真理を愛すると言いながら嘘を常食としています。彼らについて行く前に、彼らを仔細に観察しなさい。