新破壊兵器

 

世に戦争のある理由災い

戦い武器

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

2.ルイザ・ピッカレータ

3.聖母から司祭へ

 

 

 

 

1.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々1P55

 

戦争は人間を罰するための神の罰で、それをする人間は神のまことの子ではないというしるしです。いと高き者は、宇宙をつくったときにすべての事物をつくりました。太陽、海、星座、川、木々、動物などをつくったが、“武器はつくりませんでした”

 

 

 

マリア・ワルトルタ50・3/天使館第1巻P449

 

 イエズスは子供たちに語りかけるヒントを得る。

 

「『その子』の言う通りだよ。戦争は人を罰する神さまの懲らしめであり、人はもうさまのほんとうの子ではないというしるしなのだ。いと高き御者は世界を創造されたとき、万物をお造りになった。太陽、海、星々、河川、植物、動物など。でも兵器はお造りにならなかった。神さまは人を造り、愛の眼差しをもつようにと目をお与えになり、愛の言葉を語るようにと口をお与えになり、それを聞くようにと耳を、助け合い、愛撫するために手を、助けを求めている兄弟のところに駆けつけるために足を、愛することができるように心をお与えになった。なぜだろう? 神さまがお造りになった人間は、神さまが愛であるように、愛でなくてはならないからだ。人は神さまの被造物であり続けていたら、愛のうちにあり続け、人類家族は戦争もせず、死ぬこともなかったのだ」。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」/天使館/P31

 

‘43年11月9日

イエズスは言われる。

(中略)

 「平和は善意の人々に約束された。キリストは平和をもたらすために来臨した。だが、あなたたちがキリストを追い払い善意を持たないとすれば、どうして平和を得ることができよう?あなたたちの周りには一時的な休戦がある。しかしそれは二つの殺戮のあいだにはさまれた中休みにすぎない。それは、サタンに売りわたされたあなたたちの霊魂がサタンから新しい死の教説と、新破壊兵器を学び取るための時間である。」

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」/天使館/P80

 

‘43年8月20日。

イエズスは言われる。

「ここ数年来、とくに第二番目の千年紀を締めくくろうとしている今世紀の初め以来起っていることをじっくり観察するなら、七つの封印が開かれたと考えずにはいられないだろう。わたしが、わたしの選んだ人々の隊列を集め、彼らと出陣するため、わたしの天使たちと力を合わせて、人類に深淵の扉を開こうと画策する神秘的な勢力に戦いを挑むため、わたしの言葉をたずさえ、あなたたちのあいだに戻ってくるに当って今ほど気持ちが高ぶったことはかつてない。

 戦争、飢饉、疫病、殺戮兵器―これらはわたしの最愛の者によって言及された獰猛な獣よりもたちが悪い―地震、天におけるしるし、地球の内臓の噴出、愛のうながしを受けた小さな霊魂たちを神秘的な道に向わせる奇跡的な呼び出し、わたしに忠実な者たちに対する迫害、霊魂の気高さと肉体の卑しさ、わたしの怒りとわたしの正義の時があなたたちに迫っていることを知らせるしるしに欠けるものは何ひとつない。

 

 

 

 

2.ルイザ・ピッカレータ

 

 

ルイザ・ピッカレータ/被造界の中の神の王国/3巻P8

1899年11月6日

 

今朝崇むべきイエスは私を自身の外へと連れ出されるために来られると、私に人間の肉がいっぱいあふれた道を見せられました。なんという残忍性にみちた虐殺でしょう! ただ考えただけでも恐ろしさでいっぱいになります。それから空気中で何かが起こり、多くの人々が突然死ぬのをお見せになりましたが、私はこのことを3月にも見ました。

 

 私はいつものように主にお気持ちをなだめて、このように冷酷な体刑とこれほど血なま臭い戦争の場面を逃れさせてくださるようにお願いしはじめました。主は茨の冠をかぶっておられましたので、主はそれを取り、彼をおなだめするためにそれを私の頭にのせました。ところが遺憾なことに、ほとんど全ての茨は折れて主のおん頭に突き刺さったまま残り、私への苦しみは少ししか与えられませんでした。

 

 

 

 

3.聖母から司祭へ

 

 

1996年10月18日

長崎(日本)

 

―この、街で原子爆弾が炸裂しました。それはほんの一瞬のあいだに何千何万という多くの死者を出し、神を離れたなら、人間にとっては愛すること、信仰心や憐れみを持つことなどが不可能となる、ということの恐ろしいしるしと罰になりました。