正直
1.聖書
2.マリア・ワルトルタ
3.サンダー・シング
1.聖書
シラ書2・14
内的な清さで 身を飾りなさい、正直をもって 身を飾りなさい、我が聖霊があなたから身を退いてしまわれないように・・・耐え忍ぶ強さを失った者たちは 悲しいかな。
2.マリア・ワルトルタ
マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P136
正直さなしに行われることは成功することはない。なぜなら、言葉、行い、または宗教においての偽りは、偽りの師であるサタンとの同盟のしるしだからである。
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P291
私はあなたたちをだましたことはない。何時も本当のことを言いました。
マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P345
しかし少なくとも神には正直に告白しなさい。
マリア・ワルトルタ/受難の前日/P85
イエズスは、その咎め立てに対して、こう応える。
「私は本当のことを言って、自分の義務を果しただけですから、間違ったとは思っていません。彼らは今はまだ分からないが、近いうちに私が正しかったと悟るでしょう。あの時、彼らの言うままになるよりも、もっと彼らを愛したから、そうしたのだと分かる時が来るでしょう。そして私を尊ぶことになるでしょう」
マリア・ヴァルトルタ/天使館第4巻上P77
例えば、どんな特殊な学派あるいはセクトの新教師になったのかと尋ねられると、ただ次のように答えられました。「神の学派です。わたしが聖なる律法において従うのは神であり、これら小さき者たち(そして愛情深くヨハネと、ヨハネのうちにすべての正直な心の者たちを見つめて)のために、主なる神がシナイ山上でそれを発布されたあの日にそうであったように、その本質をすべて一新しようとしてわたしが心を配っているのは彼のためです。わたしは人間を再び神の光に連れ戻すのです」と。
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/6卷下P121/421・6−7
人間のあらゆる行為にも、同じことが言えます。少なくとも、ひと方、神は、それに気づいて準備されます。暗闇で話したことはすべて、明るみで聞かれ、奥の部屋で耳にささやいたことは、広場で計画されたかのように述べ伝えられます。なぜなら、すべての人が見張られているからです。すべての人が、神によって見られています。神は、介入し、違反者の正体を露わにされます。
ですから、人は常に正直に生きなければ、平和に暮らすことはできません。正直に生きる人は、この世でも、来世でも、怖れる必要がありません。そうです。友よ、私は言います、正しく生きる人は、怖れる必要がありません。殺人者を恐れる必要はありません。彼らは体を殺すことはできても、それ以上何もできないのですから。
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P208
「しかし、商売人は、キリスト教はこの世では実用的ではないといいます。自分の立場を守るために不正直にならなければならない、例えば、自分が解雇されないために、そうではないとわかっていながらある商品を品質良好といわなければならないような人については、あなたはどう思われますか」
「正直でありたいと思う気持ちによって、最初のうちは苦しむ。しかし、やがて人々は彼のことを尊敬し始め、神もまた彼を豊かにしてくださる。わたしは、真正直なために苦しんだインド人商人を知っている。この人は、二、三年は苦しんだが、それから誠実であることが知れ渡り、人々は彼から買うようになった。今は、大金持ちになっている。
人が真実、キリストとともに生きていてば、悲運も病も、迫害も、虐待も彼を損なうことはない。逆に、自分にも人にも良き結果を生むような方法で、その人はこれらのことに対処する。ある子供が、木に石を投げつけ、果物がそこから落ちてきた。父は、子にいった。『おまえは木を傷つけようとしたのに、木はおまえのために果実を落としてくれた。キリストに生きる者もそうである』と」