覆われているもので現わされないものはなく、隠されているもので

知られずに済むものはない(ルカ12・2)

第8戒:なんじ、偽証するなかれ偽証

 

 

 

1.聖書

2.虚言を弄する者

3.嘘をついてはいけない

4.偽善者

5.欺く者

6.欺瞞

7.主は嘘をつかれない

8.偽善者は自分を検べることを好まない

9.蜘蛛

10.動作、語調、言葉、顔つきの中に内的に隠れている

11.ヴァッスーラ

12.マリア・ワルトルタ:あらゆる嘘は偽証です。

13.巧妙な詐欺により人間を欺く者らの地獄

14.主は嘘を嫌われる

 

 

 

 

1.  聖書

 

 

出エジプト記23・1−3

 

あなたは根拠のないうわさを流してはならない。悪人に加担して、不法を引き起こす証人となってはならない。あなたは多数者に追随して、悪を行ってはならない。法廷の争いにおいて多数者に追随して証言し、判決を曲げてはならない。また、弱い人を訴訟において曲げてかばってはならない。

 

 

 

レビ記5・20−26

 

主はモーセに仰せになった。

主を欺き、友人を偽る罪を犯した場合、すなわち預り物、共同出資品、盗品を着服または横領し、あるいは紛失物を着服しておきながら、その事実を偽り、人たるものがそれをしたら罪となりうることの一つについて偽り誓うなら、すなわちこのような罪を犯すならば、彼はその責めを負い、その盗品、横領品、共同出資品、紛失物、あるいは、その他彼が偽り誓ったものが何であれ、すべて返さねばならない。彼はそれを完全に賠償し、おのおのの場合につき五分の一を追加する。責めを負うときは、一日も早く所有者に支払わねばならない。それから彼は償いとして、相当額の無傷の雄羊を群れから取って、主にささげ賠償の献げ物とする。祭司が彼のために主の御前で罪を贖う儀式を行うと、責めを負ったすべてのことに赦しが与えられる。

 

 

 

レビ記19・11

 

あなたたちは盗んではならない。うそをついてはならない。互いに欺いてはならない。

 

 

 

詩篇52・3−7

 

力ある者よ、なぜ悪事を誇るのか。

神の慈しみの絶えることはないが

お前の考えることは破滅をもたらす。

舌は刃物のように鋭く、人を欺く。

お前は善よりも悪を

正しい言葉よりもうそを好み

人を破滅に落とす言葉、欺く舌を好む。

神はお前を打ち倒し、永久に滅ぼされる。

お前を天幕から引き抜き

命ある者の地から根こそぎにされる。

 

 

 

箴言10・18

 

うそを言う唇は憎しみを隠している。

愚か者は悪口を言う。

 

 

 

箴言12・22

 

うそをつく唇を主はいとわれる。

忠実を尽くす人を主は喜び迎えられる。

 

 

 

箴言13・5

 

神に従う人は偽りの言葉を憎む。

神に逆らう者は悪臭を放ち、辱められる。

 

 

 

箴言17・7

 

高尚な唇は神を知らぬ者にふさわしくない。

うそをつく唇は高貴な者に一層ふさわしくない。

 

 

 

箴言21・6

 

うそをつく舌によって財宝を積む者は

吹き払われる息、死を求める者。

 

 

 

ヨハネ8・43−47

 

わたしの言っていることが、なぜ分からないのか。それは、わたしの言葉を聞くことができないからだ。あなたたちは、悪魔である父から出た者であって、その父の欲望を満たしたいと思っている。悪魔は最初から人殺しであって、真理をよりどころとしていない。彼の内には真理がないからだ。悪魔が偽りを言うときは、その本性から言っている。自分が偽り者であり、その父だからである。しかし、わたしが真理を語るから、あなたたちはわたしを信じない。あなたたちのうち、いったいだれが、わたしに罪があると責めることができるのか。わたしは真理を語っているのに、なぜわたしを信じないのか。神に属する者は神の言葉を聞く。あなたたちが聞かないのは神に属していないからである。

 

 

 

黙示録14・4−5

 

彼らは、女に触れて身を汚したことのない者である。彼らは童貞だからである。この者たちは、小羊の行くところへは、どこへでも従って行く。この者たちは、神と小羊に献げられる初穂として、人々の中から贖われた者たちで、その口には偽りがなく、とがめられるところのない者たちである。

 

 

 

黙示録21・8

 

しかし、おくびょうな者、不信仰な者、忌まわしい者、人を殺す者、みだらな行いをする者、魔術を使う者、偶像を拝む者、すべてうそを言う者、このような者たちに対する報いは、火と硫黄の燃える池である。それが、第二の死である。

 

 

 

黙示録21・22−27

 

しかし、汚れた者、忌まわしいことと偽りを行う者はだれ一人、決して都に入れない。小羊の命の書に名が書いてある者だけが入れる。

 

 

黙示録22・14−15

 

命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。

 

 

 

 

2.虚言を弄する者

 

 

啓示による黙示録解説52

 

 バビロンとその君らとその賢い者らとにむこう剣、ああ虚言を弄する者らに向う剣、彼らは愚か者となるであろう。ああ力ある者らに向う剣、彼らは狼狽するであろう、ああその馬と戦車とに向う剣、ああ宝に向う剣、それは強奪されるであろう。干ばつがその水の上に臨む、それは乾せ上るであろう(エレミヤ5035−38)

 

これらの事柄はバビロンについて言われ、バビロンにより聖言を誤謬化し、不善化する者らが意味されており、それで愚か者となる『虚言を弄する者』と、剣が臨む『馬と戦車』と、強奪される『財宝』により彼らの教義の誤謬が意味されている。干ばつにあって、渇せ上る『水』は真理を意味していることは前に見ることができよう(50番)。

 

 

 

 

3.嘘をついてはいけない

 

 

マリア・ワルトルタ/受難の前日/P184

 

いや、嘘をつくのはいけません。死にかけている者を慰めるためであっても、気休めの嘘をつくのではありません。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P22

 

 うそをついてはいけません。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス−たそがれの日々/P66

 

しかし目的が間違っていなくても、自分で考えていることと反対のことを言うのは何時も非難されるべきことです。神がメシアを守るために、そんなことを必要とされるとでも思っているのですか。

 

 よい目的であっても絶対に嘘を言ってはいけない。そういうことをしていると、心はうそを考えることに慣れて、唇はこれを外に表わす。ユダ、不誠実は何時でも避けるべきです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P65

 

ユダ:「人を馬鹿にすることは簡単だね。私がうそもつかず、かなりうまくあしらったのが分かったろう!」

フィリッポ:「うそは言わなかったが、今うそをついたよ」

(中略)

アルフェオのユダはそのことが気に入らないようで、

「私にとって、それでも、うそをつくことだと思う」と言う。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス−たそがれの日々/P176

 

 『うそつき!』とおまえに言いました。うそがどんなに悪いかまだ分からない子供なら、二度とうそをつくなと教えるだけだが、大人でしかも真理そのものの弟子である男のうそはゆるせない。

私は一晩中おまえを待ち続け、火打ち金の載っていたテーブルを濡らして泣き、それから星の光の下で心を込めておまえに呼びかけました。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス−たそがれの日々/P87

 

ベンヤミン:あなたは私にうそをつくなと言われました。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3・P90

 

友人にいつも正しくありなさい。友情は心における身内の間柄です。

“見よ、何と美しく、快いことか。

兄弟のようにともに住むことは“(詩篇133・1)

と書かれています。連れ立って善い道を歩むことは美しいことです。利己心から友人を裏切ったり、もてあそんだりする人は、大きな災いを受けます。『あなたを愛しています』と言いながら、友人の権利をないがしろにしたり、利用したりする人があまりにも多い。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリア/P43

 

二心を持つな。神は、からかえるものではなく、まただませるものでもない。人間に対して、神に対してするようにせよ。なぜなら人間に対してする不正、侮辱は、神に対して行ったのと同じことである。人間に見られたいように神に見られるのを望め。(中略)

 

私はおまえたちにも二心がないことを望む。偽りを抱えて私、あるいは兄弟、隣人へとなぜ行くのか。なぜ、偽りをたわむれのようにするか。何? おまえたちはそれほど自尊心が強いのに、『私はうそつきと言われたくない』とどうして誇りをもっていえないのか。何よりも神に対してありのままの自分でありなさい。皆に見せびらかす長い、さまざまの祈りをもって神をだませると思うのか。おお、あわれな子らよ! 神は人の心を見る。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P141

 

「主よ、なぜ、あのように話されたのですか? きっとあなたを憎むでしょう」と使徒たちが言う。

「妥協して、うそをついてまでも愛を求める必要はありません」

「では、来ないほうがよかったでしょう」

「いや、どんな疑問も残さないように語ったまでです」

「だれかが、あなたの話に納得したでしょうか?」

「今のところ、だれもいません。しかし近いうちにこう言うでしょう。『我々は警告を受けたのに何もしなかった。だれに文句を言えよう』そのとき、もし自分たちに罰を下される神を恨もうとしたなら、その恨みは冒涜と同じことになります」

 

 

 

トマス・ア・ケンピス/キリストに倣いて/1・15・1

 

 この世のどんな物事のためにも、またどんな人を愛するためにも、悪いことは決してしてならぬ。

 

 

 

 

4.偽善者

 

 

マリア・ワルトルタ/マグダラのマリアP367

 

しかし私は偽善者をきらう。私とともに、私のように生きるか、それとも私に反して生きるか、あなたたちは私をだますことはできない。敵との妥協までに下がることはできない。もしあなたたちが彼を選ぶならば同時に私を友人として考えてはならない。彼か、それとも私を選べ。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/天使館第3巻上P138 /171・3

 

偽預言者や間違ったことを教える学者たちを警戒しなさい。彼らは羊の皮を被ってあなたたちのもとに来るが獰猛な狼であり、聖者を装ってやって来るが神を嘲笑する者たちであり、真理を愛すると言いながら嘘を常食としています。彼らについて行く前に、彼らを仔細に観察しなさい。

 

 

 

天界の秘義2269

 

これが他生で詐欺漢と偽善者とが他の者が受ける以上の凄惨なものを受ける理由となっている。

 

 

 

真の基督教381

 

偽善者は時としては、説教家になる。その時、彼は小児および青年時代に信仰について学んだものを記憶に留めているが、信仰に関する彼の考えは今は霊性を欠き、それ故、それに基づく彼の説教は空虚な饒舌である。それは真面目に聞こえるかも知れないが、それは自己と世に対する彼の愛が聴衆を雄弁を以って魅了しようとの欲望をもって彼をたきつける故である。

 

偽善的な説教家が講壇を降り、家に帰ると、信仰に関する己が説教と聖言からの引用とを嘲笑し、恐らくかく独言するであろう、「おれは水の中へ網を投げ入れて、かれいと貝とを生け捕った」と。何故なら、これが彼の会衆の中で、真の信仰をもつ凡ての者に対して、彼の抱いている見解であるからである。

 

(中略)

 

偽善的な教職者は老練な喜劇役者、道化者、俳優であり、彼らは王、大公、大僧正、監督の役目を演ずることが出来るが、その芝居衣装を脱ぎ捨てるや否や、淫売窟に行って、娼妓と交わる。

 

(中略)

奇妙なことではあるが、彼はその聖職に従事し、聖言よって真理を教えている時は地獄に向かって戸が閉じられる故、彼らは自分ではそれを閉じていると想像するが、家に帰ると戸は天界に向かって閉ざされる故、何物も信じないのである。徹底した偽善者は悪魔が天使を嫌忌するように、真に霊的な人間を嫌悪する。

 

彼らはこの世に住んでいる間は、このことに気づかないが、それは死後、彼らが由って以って自らを霊的な人間として通用させることの出来たその外的なものが取り除けられることによって明らかにされる。しかし私は「羊の粧して来れども内は奪い掠むる狼」(マタイ7・15)のような霊的偽善者は、天界の天使に如何ように現れるかを語ってみよう。

 

彼らは手で歩いて悪魔に祈り、これを賛美し、空中で雨靴を打ち叩き、かくして天に向かって音を立てる軽業師のように現れるが、自らの足で立つと、その眼は豹のように歩み、口は狐のようであり、歯は鰐のそれの如く、信仰については禿鷹同様いささかもこれを持たない。

 

 

 

 

5.欺く者

 

 

天界の秘義5388

 

 ある一人の霊がわたしとともにいて、わたしと語った。かれは身体の生命の中では何ら信仰を持たず、死後の生命を全く信じていなかった。彼もまた抜目のない者の一人であった。彼は他の者の心を甘言と同意を与えて捕らえることができた。そのためその性質は最初はその話しぶりからは明らかではなかった。彼は立て板に水を流すようにまた善良な霊のようにのべつまくなく話すことができた。

しかし彼の性質は彼が信仰と仁慈の事柄については話したがらなかったことから先ず明らかになった。なぜならそのときは彼の考えはそれについて行くことができないで、後ずさりしたからである。後になって、彼は他を欺こうという目的から同調していたことが幾多の徴候から認められた。なぜなら同調は目的に応じているからであり、もしその目的が友情であり、または会話の楽しさというようなものであり、または正当な利得であるなら、その中にはそれほどの害はないが、しかしその目的が秘密を探り出して、そのことによって他の者を悪い仕事にしばりつけることであるなら―全般的に言って、もしその目的が危害を加えることであるなら―それは悪である。

そうしたものがこの霊が企んでいた目的であり、彼はまた腎臓と尿管の領域にいる者たちと対立していた。彼もまた、自分は尿の匂いを他の凡ゆる匂いにもまさって愛していると言い、腹部の下の辺りをしめつけたり、または痙攣させたりして苦痛を与えたのである。

 

 

 

 

6.欺瞞

 

 

真の基督教169

 

三人の神的な人格があるが、しかも一人の神であり、この神は一人であるけれども、しかも一人の人格ではないという一般的な神秘的な叙述の不合理さを認めない者があろうか。しかも麻痺した知性は、口を強いてオウムのように語らせる。そして知性が麻痺する時、口の言葉は単なる饒舌以外の何ものであろうか。理性が否定するものを口が語る時、言葉は欺瞞でなくて何であろうか。

 

 

 

スウェーデンボルグ/アタナシウス信条についてP52

 

 キリスト教徒は神性の三人格いついていかような種類の考えを抱いているかをたしかめるために、調べられた、以下のことが明らかにされたのである、すなわち、かれらは色々な考えを持っており、或る者は、一人の人格を他の人格の近くにおいて共に協議しており、第三の人格がその二人の人格から送り出されている、と考えており、或る者は、共になって話し合っていて、キリストが仲介役を買って出ておられる、と考えており、或る者はその三人格を継続した秩序においており、或る者は他の方法においているが、しかしこれらは三人の神々であるため、マホメット教徒と異教徒がその場に現われると―この者たちはキリスト教徒の考えを認めているため―かれら恥じ入って、警戒するのである。

 

 

 

 

7.主は嘘をつかれない

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P194

 

(イスカリオテのユダ)「ええ、そうですね。私があなたを愛していることはよくご存知でしょう」

(主)「おまえは私を愛している、そう言いたいところだが、私は無駄なことをする習慣がないのと同じように、うそも言わない。だから、おまえが私を愛していると知っているとは言わない」

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P197

94.11.9

 

私が偽りをいかに嫌っているか 聞いていよう?

 

 

 

 

8.偽善者は自分を検べることを好まない

 

 

真の基督教519

 

このような者達は自分を検べることを特に好まない。それ故彼らは腹の中の糞尿を、それが厠に落ちる前に感じないように、または認めないように己が内なる悪徳を感じないし、または認めもしない。

 

 

 

 

9.蜘蛛

 

 

霊界日記4735

 

一本の糸がくもの巣に結びつけられているのが見えた。それは高くのびて、内的な天界の中へも入っていた。この糸が下へ引き下げられ、その後から一人の悪魔的な霊がついて来た、彼は天使たちの目には一匹の大きな、恐ろしいくものように見え、下に引きおとされると、石の上に坐って、見られた。するとその頭の半分以上がかかとでおしつぶされ、頭の他の部分は棒のさきで押しつぶされ、それでそのくもはすっかり押しつぶされて、砕かれてしまったように見えた。このことはその石の上で起ったのである。

 

 

 

霊界日記4736

 

その際その者らはたれであるかが言われもし、示されもした、即ち、彼らは自らを内的な天界の方へもたげる[高揚させる]ための技術を学ぶ者らであり、そのことは他の者たちの心の中へ入りこんで、殆どその心に満ち、しかもそのことが、その他の者たちのように考えるほどにもなる慣わしにより主として起るのである。特に彼らは信仰の諸真理を学び、真理に対する情愛の中へ入ることを学ぶのであり、そのことを、そうした事柄の中に思いを長い間とどめることによって行うのであるが、しかしそのことを、絶えず欺き、愚弄し、支配しようとする目的からやってのけるのであり、かくてその目的は狡猾と悪意とに満ち満ちているのである。こうした事柄により、彼らは天界の天使達の間へ秘かに入りこむのであり、こうした者らは内的な天界の社会へ秘かに入りこむ者らである。彼らはヴェリン派の者らである。

 

 

 

霊界日記4738

 

 こうしたことが主により許されているのは、そうした霊らがその社会にいて、その社会を試みるといった、対立した事柄を注ぎ入れ、そうした事柄をその社会は払い落とさなくてはならないためであり、引いては、真理と善とのスフィアを強固にして、それを拡げるためである。その天使たちは以下のように言った。彼らは、また、ときおり、目に触れるが、隅に坐っていて、現れるときもあり、現れないときもあり、その投げ落とされる時がこない中は、そこから遠ざけることは出来ないのである、と。

 

 

 

 

10.動作、語調、言葉、顔つきの中に内的に隠れている

 

 

神の摂理224

 

 

 

 

11.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ/『私の天使ダニエル』P184

ヴァッスーラ:私の耳は邪悪な者たちの吠える声に聞き飽きました、
       その悪意に満ちた舌で次つぎと嘘を言い立てるのです。

主:偽りの非難をする者たちはいつか私の前に立たなければならない・・・

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P158

‘89・4・5

 

聖ミカエルです。

 

神の子たちよ、サタンに耳を傾け 話しかけないように、嘘をつくとは 悪魔と話をすることです、怒りを溜めこむと、悪魔に足場を与えます、舌があなたを陥れる原因とならないように。 私に祈りなさい あなたのために執り成します。 神に信頼し ♡ その無限の慈しみを信じなさい。 あなた方皆を祝福します ♡♡♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P197

 

私が偽りをいかに嫌っているか 聞いていよう?

 

 

 

 

12.マリア・ワルトルタ:あらゆる嘘は偽証です。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音2巻P552

130アックヮ・スペツィオーザでの説教。

『あなたは偽証してはならない』。小さなアスラエル。

 

あなたたちは、言うかもしれません。『だが偽証はどこにあるのだろうか?』と。あらゆる嘘は偽証です。法律上のそれだけではなく。

 神とこの坊やが単純であるように、あなたたちは単純でありなさい。あなたたちの人生の一刻々々、真実を述べなさい。あなたたちは評価される善人でありたいですか? 真実のうちに生きなさい。たとえある誹謗家があなたたちの陰口を聞こうとしても、百人の善人が言うだろう。『いいえ。それは本当ではありません。彼はいい人ですよ。彼の行いが代りに雄弁にそれを語っています』と。

 

 

 

 

13.巧妙な詐欺により人間を欺く者らの地獄

 

 

天界の秘義830

 

巧妙な詐欺により人間を欺く者らは、他の者の地獄よりは更に恐ろしい、実に殺人者の地獄よりも恐ろしい地獄に居る。彼らは蛇の間に住まっているように彼ら自身に思われ、その詐欺が悪質であるに比例して、更に恐ろしい、有毒な、また更に多くの蛇が現れ、それが彼らを取り巻いて、彼らを苦しめる。

 

 

 

14.主は嘘を嫌われる

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/7卷下P59/481・2

 

ヨハネは、兄に自分の袋を渡し、駆けだそうとする。だが、ヤコブが引き止めて言う、「先生に、ユダの嘘のことを話さないで。良い目的のためであっても、嘘は嘘だ。先生は嘘がお嫌いだ・・・」。

「言いません」と、ヨハネは走って行く。

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/7卷下P109/485・5

 

イエズスは言う、「そうしなさい。でも、議論や嘘はいけません。沈黙しなさい。嘘をつかずに。では、行きましょう。マルタが呼んでいます。マルグツィアム、いらっしゃい。元気になったようですね・・・」。そして、イエズスは、少年の肩を抱え、話しながら行く。