パンの奇蹟
ヨハネ6・5
奇蹟/
1.聖書より
2.主は実際にパンを増やされた
3.サンダー・シング
4.落穂拾いの奇蹟
1.聖書
ヨハネ6・5−13
イエスは目を上げ、大勢の群衆が御自分の方へ来るのを見て、フィリポに、「この人たちに食べさせるには、どこでパンを買えばよいだろうか」と言われたが、こう言ったのはフィリポを試みるためであって、御自分では何をしようとしているか知っておられたのである。フィリポは、「めいめいが少しずつ食べるためにも、二百デナリオン分のパンでは足りないでしょう」と答えた。
弟子の一人で、シモン・ペトロの兄弟アンデレが、イエスに言った。「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」イエスは、「人々を座らせなさい」と言われた。そこには草がたくさん生えていた。男たちはそこに座ったが、その数はおよそ五千人であった。さて、イエスはパンを取り、感謝の祈りを唱えてから、座っている人々に分け与えられた。また、魚も同じようにして、欲しいだけ分け与えられた。人々が満腹したとき、イエスは弟子たちに、「少しも無駄にならないように、残ったパンの屑を集めなさい」と言われた。集めると、人々が五つの大麦パンを食べて、なお残ったパンの屑で、十二の籠がいっぱいになった。
2.主は実際にパンを増やされた
黙示録講解617イ
主は、女たちと子供の他に、五千人に五つのパンと二匹の魚を食べさせられたこと、かれらは食べ、満たされたとき、十二のかごの残ったものを取り上げた(マタイ14・15−22、ヨハネ6・5,13,23)。
また主が四千人を七つのパンと若干の魚から養われたこと(マタイ14・32以下)。
この奇蹟が行われたのはその前に主はかれらに教えられ、かれらは主の教義を受け入れて、それをかれら自身のものとしていたためであり、このことが彼らが霊的に食べたものであり、それで自然的な食べることがそれに続いて起こったのであり、すなわち、天から彼らのもとに、マナがイスラエルの子孫のもとに流れ入ったように、彼らに知られないままに流れ入ったのである、なぜなら、主が欲しられるときは、霊的な食物は―それはまた真実の食物であるが、単に霊たちと天使たちとのためのものであるにすぎないが―自然的な食物に変化するからであり、そのことはそれが毎朝マナに変化したことと全く同一であったからである。
3.サンダー・シング
サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P236
6、多くの者に救いをもたらす偉大な奉仕がなされるときに、わたしはこの世界からはほとんど評価されない者たちを、自分の目的のために選びとることがある。それは、彼らが自らの力と知恵を誇ることなく、わたしに全託し、自分の持つささいな能力がどれほど無価値なものであるかを知って、自分のもつすべてを、人々に向けられたわたしの仕事に注ぎ込むためである。例えば、荒野で五つのパンと二匹の魚で五千人に給食したとき、わたしが弟子たちの手を借りずにこの奇蹟を行なったことをあなたは覚えているだろう。弟子たちは疑いと当惑でいっぱいになり、群集を飢えたまま帰そうとしていたからである。あのとき、わたしに仕えたのは、中風から癒された一人の少年だった。わたしの話をききたい一心で、彼はわたしに付いてゆく決心をしたのだ。貧しかった少年の母は、ニ、三日分の食糧にと、何枚かの大麦パンと乾し魚二匹を布にくるんでもたせた。群集に食べさせる食糧探しが始まったときに、この少年は自分のもっているものすべてをすぐさま差し出し、弟子たちの足元にこれを広げたのである。小麦パンのようなはるかに質のよい食物を携える裕福な者たちもいたが、彼らは自分の食物を放棄しようとはしなかった。そこで、この少年の大麦パンとわたし自身の祝福によって、五千人の群集は最善の食糧を得たのである。
4.落穂拾いの奇蹟
マリア・ワルトルタ/イエズスに出会った人々3−P199
イエズスはせっせと落穂を拾う。そのすぐそばでヨハネが、やや離れてトマとヤコボも落穂を拾っている。
「先生、どうして、こんなに落穂が見つかるのですか。私はすぐ隣の畝で拾っているというのに、ほんの少ししかありません」と、息を切らしながらヨハネが不思議がる。
イエズスはふっとほほえむだけで黙っている。誓えるわけではないが、神が見る所には落穂がどんどん現れるようである。