パンの奇跡
マタイ14・13
奇蹟/
1.聖書
2.スウェーデンボルグ
3.マリア・ワルトルタ
1.聖書
マタイ14・13(ヨハネ6・5、13、23)
イエスはこれを聞くと、舟に乗ってそこを去り、ひとり人里離れた所に退かれた。しかし、群集はそのことを聞き、方々の町から歩いて後を追った。イエスは舟から上がり、大勢の群集を見て深く憐れみ、その中の病人をいやされた。夕暮れになったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、もう時間もたちました。群集を解散させてください。そうすれば、自分で村へ食べ物を買いに行くでしょう。」イエスは言われた。「行かせることはない。あなたがたが彼らに食べる物を与えなさい。」
弟子たちは言った。「ここにはパン五つと魚二匹しかありません。」イエスは、「それをここに持って来なさい」と言い、群集には草の上に座るようにお命じになった。そして、五つのパンと二匹の魚を取り、天を仰いで賛美の祈りを唱え、パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。弟子たちはそのパンを群集に与えた。すべての人が食べて満腹した。そして、残ったパンの屑を集めると、十二の籠いっぱいになった。
食べた人は、女と子供を別にして、男が五千人ほどであった。
マタイ15・32
イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた。「群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。空腹のままで解散させたくはない。途中で疲れきってしまうかもしれない。」
マルコ6・34
イエスは舟から上がり、大勢の群衆を見て、飼い主のいない羊のような有様を深く憐れみ、いろいろと教え始められた。そのうち、時もだいぶたったので、弟子たちがイエスのそばに来て言った。「ここは人里離れた所で、時間もだいぶたちました。人々を解散させてください。そうすれば、自分で周りの里や村へ、何か食べる物を買いに行くでしょう。」これに対してイエスは、「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい」とお答えになった。弟子たちは、「わたしたちが二百デナリオンものパンを買って来て、みんなに食べさせるのですか」と言った。イエスは言われた。「パンは幾つあるのか。見て来なさい。」弟子たちは確かめて来て、言った。「五つあります。それに魚が二匹です。」
マルコ8・2
群衆がかわいそうだ。もう三日もわたしと一緒にいるのに、食べ物がない。
ルカ9・13
しかし、イエスは言われた。「あなたがたが彼らに食べ物を与えなさい。」彼らは言った。「わたしたちにはパン五つと魚二匹しかありません、このすべての人々のために、わたしたちが食べ物を買いに行かないかぎり。」
ヨハネ6・9
「ここに大麦のパン五つと魚二匹とを持っている少年がいます。けれども、こんなに大勢の人では、何の役にも立たないでしょう。」
2.スウェーデンボルグ
追補 真の基督教(『真の基督教の増補』に併録)
1 真の基督教695番の追加2
『奇跡についてはわたしは以下のように彼らに話した、すなわち、自然の三物界に現れている物は凡て霊界から自然界へ注がれている流入により生み出されており、それらのものは、それらのもの自身において観察されるなら、たとえそれらのものの形が見慣れたものであり、またそれらのものは年毎に再起しているため、奇蹟としては見えはしないものの、奇蹟である。わたしはさらに彼らに以下のように話した、すなわち、聖言に記されている奇蹟も同様に先在の世界から後在の世界へ注がれた流入により起ったのであり、それは霊界に存在しているような物を自然界における相応した物の中へ導入することにより生み出されたのであることを、あなたは知らなくてはならない、例えば、朝毎にイスラエルの子孫の宿営に落ちたマナは、天界からパンがそれを受け入れる自然の容器の中へ入れられることにより生み出されたのであり、同じくパンと魚も使徒たちのかごの中へそのようにして入れられて、それを彼らは数千人の者に分配したのであり、さらに、天からぶどう酒が主が御臨席になられた婚礼の場所に在った壷の中へ注ぎ込まれたのであり、さらに、いちぢくの木が枯れたのは、そのいちぢくの木を根から養っていた霊的な滋養がもはやその木の中へ流入しなかったためであり、最後に、このことは他の奇蹟にも言われるのであり、それは、現今の学者の中の或る者たちの狂った考えに従って、原因が自然の凡ゆる部分から、招集されることによって生み出されたものでないことを知らなくてはならないのである。それで奇蹟は神の全能の結果であって、霊界が自然界へ流入することに従って起きるのであるが、ただ、現実に霊界に存在しているような物は自然界でそれに相応しているような物の中へ現実に導入されるという相違があるにすぎないのである。そしてわたしは最後に以下のように結論したのである、すなわち、このような事が行われ、また可能である原因は、神の全能に起因しており、それが神の指により意味されており、主はそれによりその奇蹟を生み出されたのである、と。わたしが説明を終わると、天使たちはわたしにわたしが彼らに話したことのために接吻して、自分たちはあなたを自分たちの集会へ時々お招きしましょう、と言った。わたしは彼らに謝し、主がわたしに帰って来ることを許されるときは何時でもそのようにしましょう、と約束した。』
3.マリア・ワルトルタ
マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/天使館/第4巻中/P261
273 パンを増やす最初の奇跡。
1945年9月7日。
場所は常にあの場所。ただ太陽だけはもう東方からは来ず、川床の中の湖水の出口近くのこの荒涼たる場所のヨルダン川沿いの森林地帯の間に浸透しながら、だが同等に斜めに西方からやって来て、折りしもその最後の光線で空を突き刺し、赤く染めて落ちてゆく。そしてこの森林の繁茂する枝葉の下では光はすでにかなり制御され、夕暮れの穏やかな色合いを帯びている。小鳥たちは一日中浴びた太陽と境界を接する田園地帯で十分に掠めた食物で満腹し、木々の梢で囀(さえず)りと歌のお祭り騒ぎをやっている。一日のフィナーレの絢爛と共に夜の帳は下りる。
彼に陳述される主題にしたがって常に教えるイエズスに使徒たちはそれを気づかせようとする。
「先生、夕暮れは近づいています。ここは荒れ野で家々と村は遠く、暗くて、湿気が出てきました。もうすぐここは互いを見分けることも出来なくなりますし、月の出も遅く、歩けなくなるでしょう。タリケアに行くかヨルダン沿いの村落に行くように群衆を解散させて下さい」。
「彼らはそこへ行くには及びません。彼らに食べる物を与えなさい。彼らはわたしを待ちながらここで眠っていたように眠れます」。
「わたしたちには五つのパンと二匹の魚しか残っていません。先生、あなたはそれを御存じです」。
「それらをわたしに持って来なさい」。
「アンデレ、あなたは少年を探しに行きなさい。彼が食物袋の番人です。少し前には律法学士の息子と別の二人と一緒にいて王様遊びの花冠造りをしていました」。
アンデレは大急ぎで去る。それにヨハネ、フィリポも、いつも移動している群衆の間にマルグツィアムを探しに行く。ほとんど同時に彼らは、食物を入れた袋を肩から斜めに負い、仙人草の花蔓(つる)を頭部に播き、剣に見立てた仙人草の太目の茎の一節を吊るし、同じ仙人草の蔓のベルトを締めたマルグツィアムを見つける。彼と一緒に同様に奇抜な恰好をした七人の男の子たちがいて、律法学士の息子を従者にしている。体、手足がほっそりして華奢で、幼時から病苦に苛まれてきたらしくとても真剣な目をした少年で、他の少年たちよりも王らしく花で飾られている。
「マルグツィアム、おいで。先生があなたを呼んでおられる!」。
マルグツィアムは友人たちを置き去りにして、彼の・・・花のサインを付けたまま敏捷に去る。だが他の少年たちも彼の後を追い、イエズスは見る見る花で身を飾った少年たちの輪に囲まれる。彼は少年たちの頭を撫で、その間フィリポは袋からパンの入った包みと、袋の中央にある二キロあまりの二匹の魚を取り出す。十七人の、いやマンナエンを入れて十八人のイエズスの仲間たちのためにはとても不十分だ。
彼らは食物を先生の許に運ぶ。
「よろしい。今、バスケットを持って来なさい。十七個、あなたたちの人数分です。マルグツィアムは子供たちに食物を配るでしょう・・・」。イエズスはいつも自分の近くにいる律法学士をじっと見詰め、尋ねる、「腹を空かしている人たちにあなたもパンを配りたいですか?」。
「それができればうれしいでしょうに。でもわたしはそれを持ち合わせていません」。
「わたしの食物を配りなさい。それをあなたに譲りますよ」。
「でも・・・あなたは、この二匹の魚と五つのパンで女・子供を加えて五千人もの人の食欲を満たすおつもりなのですか?」。
「もちろんです。疑ってはなりません。信じる者は奇跡が起きるのを見るでしょう」。
「おお! それではわたしも食物を配りとうございます!」。
「それではあなたもバスケットをお持ちなさい」。
使徒たちがバスケットと幅が広くて浅いパン籠や深くて縦長のパン籠を持って戻って来る。また律法学士はどちらかというと小さめの取って付きのバスケットを持って戻る。そのバスケットを最高のものとして彼に選ばせたのは彼の信仰かそれとも彼の懐疑心か彼には分かる。
「よろしい。バスケットを全部ここにわたしの前に置きなさい。そして群集をなるべく順番に並ばせ座らせなさい」。
そしてそれが行われている間にイエズスは二匹の魚を上にのせたそのパンを手にもって持ち上げ、それを捧げ、祈り、祝福する。律法学士は一瞬たりとも彼から目を離さない。その後イエズスは五つのパンを十八等分にちぎり、二匹の魚を十八等分にちぎり、その魚の小片―いかにも貧弱な切れっぱし―をそれぞれのバスケットに入れ、十八等分にしたパンを一口分にちぎり、多くの一口分にする。多くのといっても相対的に二十個ぐらいでそれ以上ではない。それぞれにちぎられた小片の魚と一緒に一つのバスケットの中に入れられる。
「さて、今、あなたたちはこれを取り、たっぷりと与えなさい。行きなさい。マルグツィアム、食物をあなたの仲間たちに配りに行きなさい」。
「ううっ! 何という重さだ!」と、彼のバスケットを持ち上げながら、そしてその小さい友人たちのところへ直行しながら、重量を運ぶ人のようによろめき歩きながら、マルグツィアムが言う。
使徒たちとヨハネの弟子たち、それにマンナエン、律法学士はよろめきながら行く彼を見詰める・・・それから自分のバスケットを取り、首を横に振り、互に言う、「あの子はふざけてやがるんだ! 重さは以前と変わっていないじゃないか」と。また律法学士はバスケットの中も覗きこみ、そこに片手を入れ底を掻き回す。というのも、ずっと彼方の林間の草地にはまだ明るい光が漂ってはいたものの、イエズスのいる森の茂みでは最早光は薄れていたからである。
だが、しかしこの確認された事実にもかかわらず彼らは人びとの所へ行き、分配を始める。そして与え、与え、与える。そして時折ますます遠くなるイエズスの方を、驚き茫然自失して振り返る。イエズスは腕組みをして、一本の樹木に背をもたせかけて彼らの驚愕に対して細やかに微笑んでいる。
分配は長く続き、また食物は有り余るほどだ・・・多くの貧しい子供たちの懐をこぼれるほどパンと魚で一杯にする幸せに笑うマルグツィアムは、驚いたり呆れ返ったりしない唯一の人間である。またイエズスの許に最初に戻って来たのも彼である。そして、「ぼくはたくさん、たくさん、たくさん配りましたよ!・・・だってぼくはひもじさがどんなものかを知ってるもの・・・」と言いながら今は栄養失調ではない顔を上げる。だがわたしの記憶の中からは、痩せ細り、目だけが大きく見開かれた青ざめたかつての幼い彼の顔が浮かび上がってくる・・・だがイエズスは彼の頭を撫でてやると信頼に満ちた少年の顔に明るく微笑が広がり、彼の先生、守護者イエズスに向って体を寄せる。
驚愕の余り口が利けなくなった使徒たち、ヨハネの弟子たちが少しずつ帰って来る。最後に何も言わぬ律法学士が帰って来る。だが演説の一くさりに優る一行為をする。跪き、そしてイエズスの衣の裾に接吻をする。
「さあ、あなたたちの分を食べ、わたしにも少し下さい。神の食べ物を戴きましょう」。
実際その通り、各自は必要にしたがってパンと魚を食べる・・・
その間、満腹した人びとは彼らの受けた印象を互に話している。イエズスの周りにいて、彼の魚を食べ終わりながら他の少年たちとふざけているマルグツィアムを観察し、あえて話す者もいる。
「先生」と律法学士が尋ねる、「なぜあの少年は直ぐあの重量を感じたのにわたしたちは感じなかったのですか? わたしはバスケットの中を掻き回してもみました。いつもあのいくつかの一口パンとたった一切れの魚でした。わたしは群集の方へと行きながらバスケットの重さを感じ始めたのです。でももしわたしがそれを分配したほどの重量であったのなら、それを運ぶのにバスケットなんかではなく、二頭の騾馬(らば)に引かせた食物を満載できる山車(だし)一台が必要だったでしょう。初めにわたしは公園に行きました・・・それから与え、与え始めましたが、自分は不公平であってはならないと、最初に与えた人たちのところに戻り再び配りました、というのも最初の人たちには少ししか配らなかったからです。それなのに十分に足りました」。
「わたしも人びとの所へ向う間バスケットが重くなるのを感じ、直ぐにたくさん配ることにしました、というのも、あなたは奇跡をなさったのだと分かったからです」と、ヨハネが言う。
「わたしはそれに引き替え、立ち止り、この重い荷物を膝の上にひっくり返して見てやろうと地べたに座り込みました・・・わたしは次から次へと出て来るパンを見たのです。そしてわたしはそれを配りに行きました」と、マンナエンが言う。
「わたしはそれらのパンを数えてもみました。人びとの前で恥をかきたくなかったので。五十個の小ぶりのパンがありました。そこでわたしは自分に言ったのです、『よし、俺はこれを五十人に配り、その後引き返そう』。そしてわたしは数えました。でも五十数えても重量はまだ同じでした。わたしは中を覗き込みました。まだたくさんあったのです。わたしは前に進み、百人ぐらいの人に配りました。なのに決してその数は減りませんでした」とバルトロマイが言う。
「わたしは告白しますが、わたしは信じませんでしたし、一口大のパンと一つまみの魚を手に取り、『これが誰に役立つのか? イエズスはふざけようとされたのだ!・・・』と言ってそれを見詰め、一本の樹木の後ろに隠れて、それが増えるのを希望しつつ、絶望しつつそれを見詰めました。しかしそれは以前のままでした。わたしが引き返そうとしているちょうどその時、通りがかったマタイが言いました、『どんなに素晴らしいか、あなたは見ましたか?』。『何が?』とわたしは言いました。『パンと魚がだよ!』。『お前さんは馬鹿か? わたしにはいつものパンのかけらです』。『信仰をもってそれを分配しに行きなさい。そうすれば分かるでしょう』。わたしは大きなバスケットの中にあの僅かな一口大のパンを再び放り込んで不承不承行きました・・・そしてその後・・・イエズス、わたしを赦して下さい、わたしは罪人です!」と、トマが言う。
「そうではない。あなたは世の一つの霊です。世の理(ことわり)によって物事を考えます」。
「主よ、それではわたしもです。わたしは『人びとは他の場所で食べるだろう』と考えて、パンと一緒に通貨を与えようと考えたほどです」とイスカリオテは言う。「わたしはあなたがもっといい恰好をなさるのをお助けしようと望んだのです。それではわたしは何ですか? トマと同じですか、それとも彼よりもっと?」
「あなたはトマよりも遥かにずっと『世』です」。
「でもわたしは天国にいるために施しをするということも考えました! わたしのプライベートなお金でした・・・」。
「あなた自身のための、あなたの傲慢のための施しです。そして神への施しです。この最後の御方は施しを必要とはなさいませんし、あなたの傲慢への施しは功徳がないどころか罪です」。
ユダは項垂(うなだ)れ、黙す。
「それに引き替え、わたしはあの一つまみの魚、あの幾つかのパンの切れ端をあの人たちにゆきわたらせるにはパン屑にしなければならぬと考えました。しかし数にしろ栄養にしろ十分であることは疑いませんでした。あなたから戴いた一滴の水は一回の宴会よりも栄養に富み得るのです」とシモン・ゼロテが言う。
「では、あなたたちは何を考えましたか?」とペトロがイエズスの従兄弟たちに尋ねる。
「わたしたちはカナを思い出しました・・・そして疑いませんでした」と、真面目なユダが言う。
「では、わたしの弟ヤコブ、あなたはそれだけを考えたのですか?」
「いいえ。あなたがわたしにおっしゃったように、これは一つの秘蹟ではないだろうかと考えました・・・そうですか、それともわたしは間違っていますか?」
イエズスは微笑む。「そうであり、そうではありません。シモンによって言われた一滴の水の中の養分の力という真理に、遠い未来の一象徴によるあなたの考えは結び付くべきです。でも、まだ一つの秘蹟ではありません」。
律法学士は指の間にパンの皮のかけらを持っている。
「あなたはそれで何をするのですか?」
「一つの・・・思い出の品に」。
「わたしもそれを持っています。小さな袋に入れてマルグツィアムの首にかけてやります」とペトロが言う。
「わたしはわたしたちの母にそれを持って行くでしょう」と、ヨハネが言う。
「で、わたしたちは? 全部平らげてしまいました・・・」と、他の者たちは面目なさそうに言う。
「さあ、みんな立ちなさい。バスケットを取ってもう一度踵(きびす)を巡らし、残った食べ物を集め、人びとの中から最も貧しい人びとを分け、バスケットと一緒に、ここに連れて来たら、あなたたち、わたしの弟子たちはみんな舟で湖を渡り、ゲネサレの野に行きなさい。わたしは最も貧しい人たちに施しをした後、人びとに別れを告げるでしょう、そしてあなたたちに追いつきます」。
使徒たちは従順する・・・そして残った食べ物を一杯詰めた、取って付きの十二のパン籠を抱え、三十人ほどの物乞いと赤貧の人びとを同伴して帰って来る。
「よろしい。あなたたちも行きなさい」。
使徒たちとヨハネの弟子たちはマンナエンに挨拶し、残してゆくイエズスに後ろ髪を引かれる思いで去ってゆく。マンナエンは、群集が一日の最後の光の中を村落に向かい、あるいは高くて乾燥した葦の間に眠る場所を探す時、イエズスから去るのを待っている。その後別れを告げる。彼よりも一足先に最初の一人、いや息子と共に律法学士は使徒たちの列の最後尾について去る。
皆が出発したり、眠りに落ちるとイエズスは立ち上がり、眠る者たちを祝福し、ゆっくりと湖の方に、湖の中に押し出された丘のギザギザの飾りでもあるかのような湖の上に数メートル高いタリケア小半島の方に向って歩いて行く。そしてその麓に着くと町には入らず町に沿って進み、小山に上り、一つの崖の端に立って月の照りわたる青く白い夜の祈りに沈潜する。
イエズスは言われる。「ここに1944年3月4日のヴィジョン、すなわち水の上を歩くイエズスを付け加えなさい」。