人間は永遠の生命について考えなくてはならない
1.永遠の生命にぞくしているものについては何ごとも知ろうとは願わないし、そうした生命について聞くことさえも嫌忌を抱く
2.人間は永遠の生命について考えなくてはならない
3.アグレダのマリア
1.永遠の生命にぞくしているものについては何ごとも知ろうとは願わないし、そうした生命について聞くことさえも嫌忌を抱く
天界の秘義6201
感覚の事物の中で考える者らは感覚的なものと呼ばれ、その者に似た霊たちが彼らに接合しているのである。こうした霊は人間のもとでは、その人間の知覚に降ってくるもの以上のものはほとんど把握しない、なぜなら彼らは他の凡ての霊よりも粗雑なものであるからである。人間は感覚的なものの中にいて、そこから高揚されないときは、身体と世とに属しているもの以外のものは何一つ考えはしないし、そのときは永遠の生命に属しているものについては何ごとも知ろうとは願わないし、そうした生命について聞くことさえも嫌忌を抱くことが認められている。
天界の秘義7738
奈落の者らは悪から発した誤謬の中にいるに応じて益々真理に反抗し、遂には真理については何事をも聞こうとも欲しなくなりさえする程にもなるのである。なぜなら誤謬の源泉となっている悪は彼らの生命の歓喜であるため、真理は誤謬に反し、誤謬は彼らには楽しいものであり、それで彼らは真理を、それが彼らの生命の楽しさと歓喜とに反しており、またもし彼らがそれを聞くなら、責め苛まれるため、その心から全く斥けてしまうからである(7519番)。
天界の秘義6201[2]
わたしはそれが事実であることを知るため、わたしはときどき感覚的なものの中へ引きおろされたことがあるが、そのときそうした物がすぐに現れ、またそのときそうした粗悪なスフィアの中にいた霊たちも卑しい、恥ずべき事柄を注ぎ入れたのである、が、わたしが感覚的なものから引き出されるや否や、そうしたものは消散してしまったのである。身体の快楽に溺れている多くの者や、また自分が見聞きするものを越えては何ごとも全く考えはしなかった者、とくに永遠の生命について考えはしなかった者らは感覚的な生命の中にいるのである。それでこうした人物は凡てこうしたものを軽んじ、そのことを聞くと、それを嫌忌するのである。こうした種類の霊たちは現今他生には満ち満ちている、なぜなら彼らは群をなして世から来ており、人間は彼らから発する流入に動かされてその生来の性向に溺れ、自分自身と世とのために生き、他の者のためには、その者が自分と自分の快楽とを甘やかしてくれない限りは、生きはしないからである。人間はこうした霊から引き上げられるためには、永遠の生命について考えなくてはならないのである。
3.アグレダのマリア
アグレダのマリア/神の都市/P337
元后の御言葉
死の時やその後の審判について忘れることほど大きくて悪い誤謬はありません。この誤謬の門を通って、罪が世の中に入ったことを考えなさい。最初の女エワに蛇が言ったことは、「汝は死なないであろうし、そのことを考える必要がない」(創世記3・4)ということでした。こうしていつも騙され、死について考えずに生き、不幸な運命を忘れて死ぬ人たちの数は非常に多いのです。このような結末を避けるため、あなたの死は取り返しがつかないことを確信し始めなさい。多くを頂き、少ししか返さなかったこと、御恵みが多ければ多いほど審判はもっと厳しくなること、主の御恵みがいつでもどこでもどんな状況でも、忘れず不注意にならず働いていることをよく考えなさい。