教えられようとしない

 

知ろうと願わない

 

 

 

1.そのような生活をしない者は教えられようとはしないが、そのように生活する者は教えられることを愛し、死後霊になると、天使から教えられ、喜んで聖言の真理を受ける

 

 

 

神の摂理253

 

今までは我々は、単に自然的な人間に神的摂理に対する不信仰を確認させるところの、237番に前述した事柄のみを説明した。今や我々は238番に記された物を説明しなくてはならない、それは種々の民族の宗教体系に関係していて、単に自然的な人間にはまた神的摂理に対する反証として役立っているものである、なぜなら彼は『もし神の摂理が人類から発する天界を目的とするなら、どうして全世界に一つの真の宗教がなく、かくも多くの異なった宗教が在り得るのであろう』と心に語るから(27−45)。しかし考えられよ、一度生まれた人類は凡て、如何ほどその数は多く、また如何ような宗教を奉じていても、もし、殺人、姦淫、盗み、偽証は宗教に反し、それ故神に反するため、これらの犯罪を禁じている十誡の教えに従って神を承認し、生活するならば救われることが出来るのであって、そのような人間は神を恐れて、隣人を愛しているのである。彼らはそうした事を為すのは神に対する反抗であると信じているため、神を恐れており、また人を殺し、姦淫を犯し、盗み、偽証を立て、他人の家または妻を貪ることは隣人を傷つけることであるため、隣人を愛している。こうした人間はその生涯に神を敬い、隣人には悪を為さないため、主に導かれ、そしてこのように導かれる者は凡てその宗教により神と隣人につき教えられる、なぜならそのような生活をしない者は教えられようとはしないが、そのように生活する者は教えられることを愛し、そして教えられることを愛するため、死後霊になると、天使から教えられ、喜んで聖言の真理を受けるのである。こうした性格の人間について若干の記事が「新エルサレムの聖書の教義」に見ることが出来よう(91−97、104−113)。