耳の聞こえない者

 

目の見えない者口のきけない者

足の不自由な者

 

 

 

 

1.耳の聞こえない者

 

 

1.耳の聞こえない者

 

 

天界の秘義6989

 

真理を認めないし、従って服従しないこと。真理とは何であるかを認めないし、従って服従しない者たちであり、かくて抽象的には、真理を認めないし、従って服従しないことである。「耳しい」にこうした意義があることは、聞くことは認識にも服従にも相応しているためである。すなわち、それは聞かれるものが内的に認められるために認識に相応し、そこから何を為さねばならないかが知られるために服従に相応しているためである。(これが聞くことの相応であり、また耳の相応であることについては、3869,4652−4660,5027番を参照)。ここから「耳しいにより意味されていることが明白である。聖言には「耳しい」により、聖言を持たないため、信仰の諸真理を知らないし、それでそうした諸真理に従って生きることはできないものの、それらを教えられると、それらを受け入れて、それらに従って生きる諸国民もまた意味されているのである。これらの者がイザヤ書に意味されているのである―

 

そのとき目しいの目は開かれ、耳しいの耳は開かれるであろう(イザヤ35・5)

耳しいよ、聞けよ、目しいよ、眺めて、見よ(同42・18)

その日耳しいはその書の言葉を聞き、暗闇から、暗黒から、目しいの眼は見るだろう(同29・18)

目のある目しいを、耳のある耳しいをつれ出せよ(同43・8)

 

「耳しい」により、ここでは主が来られることにより信仰の諸真理を受ける状態へ、すなわち、それらを認めて、それらに服従する状態へ入った者たちが意味されているのである。それと同じ者たちが主からいやされた「耳しい」によっても意味されているのである(マルコ7・31以下、9・25)。「耳しい」はこうした者たちを意味したため、「耳しいを呪い、目しいの前につまづかせるものをおくこと」は、表象的教会をそのもとに設立されていた者たちには禁じられたのである(レビ19・14)。