益々青春の花盛りへ

栄化

 

天界と地獄414

 

 天界にいる者たちは絶えず生命の青春に向って進んでおり、数千年生きれば生きるほど、その到達する青春は喜ばしく、また幸福になり、しかもこれは永遠に続き、彼らの愛、仁慈、信仰が進むに応じ、またその度に応じて増大している。年をとって、老齢のためやせ衰えて亡くなった婦人たちも、もし主に対する信仰と、隣人に対する仁慈とに生き、夫と幸福な結婚愛に生きたならば、年の経過につれて、益々青春とうら若い女性時代の花盛りに入り、地上の美からは考えることもできない美に入って行く。善良と仁慈とが彼らの中にその善良と仁慈そのものの姿を形作り、また示しており、仁慈の喜びと美とをその顔の凡ゆる線から、実にその最小の線からも輝き出させ、かくて彼らは仁慈そのものの形となっている。仁慈の形は、天界ではそのあるがままに見られるが、それは仁慈そのものが表現し、またその表現されたものであり、しかもそれは天使全体が、とくに顔が、いわば仁慈であり、それが明らかに目に見え、また明らかに認められるようになっている。この形は、目に映じると、言うに言われぬほど美しく、その最内部の生命そのものに仁慈を覚えさせる。約言すれば、天界では老いることは若くなることである。主に対する愛と隣人に対する仁慈とに生きた者たちは他生ではこうした形、またはこうした美になる。天使たちは凡てこうした形であって、それは無限に変化しており、天界はこの形から成っているのである。

 

 

天界の秘義553

 

 天界に相互的な愛の中にいる者たちは絶えずその若い青春期へ進んでおり、数十年間生きるに応じて益々喜ばしい幸福な春へ進んで行くのである。年老いて死に、身も衰弱したものの、主に対する信仰と隣人への愛とその夫との幸福な結婚愛に生きた女性達は年が経つにつれ益々青春の花盛りへ進み、自然的な視覚に認められることができるような美の凡ゆる観念さえも凌駕した美しさに入って行くのである。なぜならそれは善と仁慈とがそのもの自身に似た形を形作り、示し、その容貌の最小の造作の各々からさえも仁慈の歓びと美しさとを輝き出させているものであり、かくてそれらは仁慈の形そのものとなって、或る者はそれらを眺めて、驚嘆するからである。他生で、そのあるがままに見られる仁慈の形はこうしたものであり、表現し、また表現されるものは仁慈そのものであり、しかしそれは天使全体が、とくにその顔がいわば仁慈となり、仁慈が明白に眼前に現れもし、心に認められるようにもなっているのである。こうした形が見られるとき、それを見る者の心の最も内なる生命そのものを仁慈をもって感動させるものはその言い尽くし難い美である。この形の美を通し信仰の諸真理は映像となって目のあたりに示され、そこから認識されさえもしている。主に対する信仰の中に、すなわち、仁慈の信仰の中に生きた者はこうした形にまたはこうした美になるのである。天使は凡て無数の変化をもったこうした形であり、天界はこうした者から成っているのである。

 

 

 

黙示録講解1000と1001の間

 

(続き、第六の戒めについて)

 

〔4〕

真の婚姻愛にいる者たちは、死後、天使となる時、その初期の成人時代に、青春時代に帰り、男は、いかほど年を取って身体は衰え切っていても、青年となり、女も、年を取って身体は衰え切っていても、若い女となるのである。各配偶者は、婚姻愛が新しい歓喜をもって生命を高揚し、子を生み出すために陽気さを吹き込み初める年令の花と楽しさとに帰るのである。

 

 

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ27・1/天使館1巻P217

 

天使たちは年老いることがありません。彼らは、そのうちに反映するの永遠の今によって、永遠の若さによって、永遠に美しいものたちなのです。

 

 

老年参照