神を憎む

憎しみ・憎悪毒蛇

1.聖書

2.悪霊と悪魔とは何であれ神的なものはことごとく認識し、知覚はするが、それに反感と憎悪とを抱き

3.蛇

 

 

 

1.聖書

 

ローマ書1・24−32

 

 そこで神は、彼らが心の欲望によって不潔なことをするにまかせられ、そのため、彼らは互にその体を辱めました。神の真理を偽りに替え、造り主の代わりに造られた物を拝んでこれに仕えたのです。造り主こそ、永遠にほめたたえられるべき方です、アーメン。それで、神は彼らを恥ずべき情欲にまかせられました。女は自然の関係を自然にもとるものに変え、同じく男も、女との自然の関係を捨てて、互いに情欲を燃やし、男どうしで恥ずべきことを行い、その迷った行いの当然の報いを身に受けています。彼らは神を認めようとしなかったので、神は彼らを無価値な思いに渡され、そのため、彼らはしてはならないことをするようになりました。あらゆる不義、悪、むさぼり、悪意に満ち、ねたみ、殺意、不和、欺き、邪念にあふれ、陰口を言い、人をそしり、神を憎み、人を侮り、高慢であり、大言を吐き、悪事をたくらみ、親に逆らい、無知、不誠実、無情、無慈悲です。彼らは、このようなことを行う者が死に値するという神の定めを知っていながら、自分でそれを行うだけではなく、他人の同じ行為をも是認しています。

 

 

 

 

2.悪霊と悪魔とは何であれ神的なものはことごとく認識し、知覚はするが、それに反感と憎悪とを抱き

 

(基督教徒の背信について。)

霊界日記1558(第3巻)

 

 多くの霊たちの前で、また、私の考えるところでは、マホメットの前でも、私は私自身のもとで以下のことはいかに驚くべきことであろうか、と考えていた、すなわち、口をつぐんで言っていたのである(なぜなら私の考えは一種の言葉であるから)、すなわち、他生では基督教徒と呼ばれている者たちの中では極めて僅かな者しか主をたずね求めはしないのに、人間を、否、悪魔を信奉している、または礼拝している他の者らはその地的な偶像崇拝の対象を探し出して、そこにおいてすらその崇拝を奉げているのであり、そのことはマホメットを、アブラハムを、ヤコブを、モーセを、または他のたれであれ、偶像として承認された者を尋ね求めている者らの実情から明白となっているのである。しかし私は答えとして以下のことを知らされた、すなわち、悪霊と悪魔とは何であれ神的なものはことごとく認識し、知覚はするが、それに反感と憎悪とを抱き、従って身体の生命の中でも、身体を去った後でもそれに力をつくして反抗するものの、彼らを支配している状態に一致しているもの、または悪魔的なものについては、全く逆なことが起ってくるのであり、そのことは、ちなみに、主が宇宙の神、支配者であられることを豊かに証明しているのである。1748年〔60歳〕3月19日。

 

 

3.蛇

 

天界の秘義251

 

『蛇』が全般的に悪の凡てを、とくに自己への愛を意味している理由は悪はことごとく心の感覚的な部分から、またかの記憶知から発していて、それらが最初蛇により意味されたということであり、それゆえそれはここでは凡ゆる種類の悪を、特に自己への愛を、またそれと同一の、隣人と主に対する憎悪を意味している。聖言ではいろいろな蛇として、例えば憎悪である毒の相違に応じて、『スネーク』、『コカトリス』、『アスプ』、『毒蛇』、『火蛇』、『飛ぶ蛇』、『這う蛇』、『蝮』として記されている。