毒蛇

ファリサイ派

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.ヴァッスーラ

 

1.聖書

 

 

イザヤ11・6−10

 

乳飲み子は毒蛇の穴に戯れ

幼子は蝮の巣に手を入れる。

わたしの聖なる山においては

何ものも害を加えず、滅ぼすこともない。

水が海を覆っているように

大地は主を知る知識で満たされる。

その日が来れば

エッサイの根はすべての民の旗印として立てられ

国々はそれを求めて集う。

そのとどまるところは栄光に輝く。

 

 

 

マタイ3・7−12

 

ヨハネは、ファリサイ派やサドカイ派の人々が大勢、洗礼を受けに来たのを見て、こう言った。「蝮の子らよ、差し迫った神の怒りを免れると、だれが教えたのか。悔い改めにふさわしい実を結べ。『我々の父はアブラハムだ』などと思ってもみるな。言っておくが、神はこんな石からでも、アブラハムの子たちを造り出すことがおできになる。斧は既に木の根元に置かれている。良い実を結ばない木はみな、切り倒されて火に投げ込まれる。わたしは、悔い改めに導くために、あなたたちに水で洗礼を授けているが、わたしの後から来る方は、わたしよりも優れておられる。わたしは、その履物をお脱がせする値打ちもない。その方は、聖霊と火であなたたちに洗礼をお授けになる。そして、手に箕を持って、脱穀場を隅々まできれいにし、麦を集めて倉に入れ、殻を消えることのない火で焼き払われる。」

 

 

 

マタイ23・29−36

 

「律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして、自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮の子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。だから、わたしは預言者、知者、学者をあなたたちに遣わすが、あなたたちはその中のある者を殺し、十字架につけ、ある者を会堂で鞭打ち、町から町へと追い回して迫害する。こうして、正しい人アベルの血から、あなたたちが聖所と祭壇の間で殺したバラキアの子ゼカルヤの血に至るまで、地上に流された正しい人の血はすべて、あなたたちにふりかかってくる。はっきり言っておく。これらのことの結果はすべて、今の時代の者たちにふりかかってくる。」

 

 

 

マルコ16・17−18

 

それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。 信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

天界の秘義4533

 

詐欺漢は蛇、甚だしい詐欺漢は蝮のようであり、他の者もそれぞれ異なった風に現れるのである。しかし天使たちが彼らからその視線を外らすと、たちまち、彼らは彼自身の明るさの中で持っているような、彼ら自身の以前の形をもって現れるのである。天使たちは悪い者らが他の者に危害を加えようとしてその地獄から出て霊たちの世界に入ろうとしているのを認める毎に彼らを眺めるのであるが、そのことにより彼らは見破られて、再び元の所へ投げ込まれるのである。天使たちの視線の中にこのような威力がある理由は知的な視覚と目の視覚との間に相応が在るということであり、それで彼らの視線には鋭い視力が在り、その前には奈落の明るさを消滅して、悪霊らはその者らに属している形と性質の中に現れるのである。

 

 

天界の秘義9013

 

詐欺を伴って行われる悪は最悪のもの。

 

 

 

天界の秘義9013[3]

 

「毒」は詐欺を意味する。

 

「アスプ」(エジプトコブラ、クレオパトラが自殺に用いたと伝えられる)

「コカトリス」「まむし」といった毒蛇は欺く者らを意味している。

 

 

 

真の基督教380

 

 唇では主を贖罪者、救い主として尊敬するものの、心では彼を単なる人間として認めている者がいる。彼等は蜜を塗った唇をもっているが、その心は苦味に満ち、その言葉は砂糖であるが、その思いは毒であり、彼らは毒蛇が一杯入っている饅頭のようなものである。若し、彼等が祭司であるならば、平和な国民の旗を立てて航海して行くが平和な船が近づくと、黒い旗をかかげ、船を捕らえ、船員を奴隷にして売りとばす海賊のようなものである。彼等はまた善悪を知る木の蛇のようなものである。彼らは光りの天使のように装い、手にはその善悪を知る木から取ったものではあるが、生命の木の黄金の果実のように見える林檎を持ち、これを提供して言う「神汝らがこれを食らう日には汝等の目開け、汝等神の如くなりて善悪を知るに至るを知りたまうなり」(創世記3・5)。その犠牲はこれを食うや、蛇に従って地獄に行き、そこに彼と共に住む。近くには、アリウスとソツヌスの林檎を食った凡ゆるサタンがいる。これらは婚礼に出席したが式服を着けていなかったため、外の暗闇に投げ出された者によって意味されている(マタイ22・11,12,13)。

 婚礼の服とは神の子、天地の神、父と一なる者としての主に対する信仰である。唇をもって主を尊ぶが、しかし心では彼を単なる人間として認める者らが他の者達を説きつけて、自らが考えるように考えさせようとするならば、霊的殺人であり、その最悪な者は霊的食人種である。何故ならば、人間の生命は主に対する愛と主に対する信仰から発するが、若し主は神なる人であり、人なる神であるとの信仰と愛とのこの要素が取り去られるならば、彼の生命は死に変わるからである。かくして人間は羊が狼に食い尽くされるように殺されるのである。

 

 

天界と地獄579

 

こうした魔鬼は、その詐欺と狡知とを暴露されると、蝮のように見える。

 

 

 

啓示による黙示録解説455

 

聖言の『蛇』により、前のように(424番)、人間の生命の究極的なもの[最も外なるもの]である感覚的なものが意味されているが、その理由は、動物は凡て人間の情愛を意味し、それでまた、霊界では、天使たちと霊たちの情愛は遠方では動物として現れ、単に感覚的な情愛は『蛇』として現れているが、これは蛇は地面を這って、ちりをなめているためであり、感覚的なものは理解と意志との最低のものであって、世に密接に接触し、身体の物質的な感覚にのみ影響を与える世の対象と歓喜で養われるためである。種類の多い毒蛇は、悪の誤謬のために発狂した者らの心の内部を構成している悪い情愛に依存した感覚的なものを意味し、無害な蛇は、善の真理から賢明である者たちの心の内部を構成している善い情愛に依存した感覚的なものを意味している。

 

 

 

 

 

3.ヴァッスーラ

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P49

‘88・10・11

 

この啓示が初まって以来 伝えているが、我が教会は廃墟と化し この廃墟のさ中にマムシが巣喰い その深みに居座っている、ああ ヴァッスーラ!!(*) 苦しい・・・ 私はやって来て 我が最も神聖な秘跡にからみつき はいずり回るへびどもを解いて 教会の外に放り出さねばならない、そして始めから教会を造り直さなければ・・・ 我が子よ、この荒涼とした荒野で暮らし それに囲まれているのは 本当に困難で 恐怖に満ちている、しかし私を愛し 愛をもって我が名を 礼拝する人びと皆のそばにいる。

 *神は苦悩と痛みに満ちて、大声で叫ばれました。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P111

 

♡ その考え方は 私のとは違う。 我が都市の略奪と 破壊を目指している ♡ ああ カイン! カイン? あなたに与えた霊はどうしたか? 再び自らの破滅に向ってはいないか? 生まれた日から乱暴だった、それに私にとって初めてでないと知っていて、ここに大祭司として仮装し 着飾ってやって来た、金銀の、我が祭服で身を纏い、暗黒の野獣に与えられた、暗い衣装を隠して着ている、あなたのうちには光がない、そして身の毛もよだつ顔を隠すために、仮面をつけ、忌むべき顔を隠した、その外観は我が正しい者たちでさえ、すっかり騙し通せるが、その仮面で 私は騙せない、仔羊の仮面の裏に、広大な破壊を覆い隠しているのが、私の眼には分かる、あなたは悪のよろいに すっかり身を固めた! そして今は 世界を征服し、わずかに残る光を かき消そうと、企てている。 その意図は不法状態を広げ 聖なるもの全てを根絶し、力ある人びとを排斥し 我が聖所を独占すること。この人びとが 我が子よ 幻視によって示した毒蛇で、我が聖なる秘跡と 聖櫃の周りを這い回っている ♡ 彼は多くを欺き 人びとは眼をくらまされる、詐欺師の衣装にまどわされて。 この気の毒な霊魂たちは まさに彼らの時代に 目の当りにしているのが、大祭司そのものだと思い込むであろう! 栄えある変装によって、我が教会全体に 大いなる背教をもたらし、荒廃を招くが、全ては奇跡や、大空に現れる 前兆と印によって覆われ 見えなくさせられよう。 我が永遠の生けにえを 彼は踏みつけ 廃止するが、全ては覆い隠されたまま、悪意をもって行われ、我が聖なる都は カインの力に屈する、私の警告を拒んだからだ、私は思いがけない時に、素足で、訪れた、しかし彼らは私を 嘲笑した。祈りながら 自らを犠牲にして、贖う 我が愛する霊魂たちにより、 カインの力はほんのわずかな期間で終わる。 この全てを、私は考慮し あなた方の犠牲は無駄とはならなかった ♡ あなた方の祈りによって 罪と悪を押しとどめることができよう。

 

主よ、あなたの聖なる方がたはどうなるでしょう?

 

大変悲しいかな、仔羊の仮面をつけた、その外観ゆえに、多くは騙され、彼に組みしよう、しかし彼の中身の実態がどうであるかを、あなたが見るのを許した、それは毒蛇であり、死にいたらしめる・・・ヴァッスーラ、私は大いなる雷鳴 そして我が火によって この反逆者と手下どもを打ち倒す、偽りで造り上げられたその隠れ家を踏みつけ、基礎が虚偽で出来ている その避難所は塵の山となろう。

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/4巻P198

‘90・7・31 (まだネクタリオ修道院にて)

 

ヴァッスーラ、あなたを豊かに恵み、引き上げ 我が聖心のうちに置こうと待ちかまえている ♡ 私の金言に十分注意を払ってさえいたなら あなたの霊は我が霊とたえず一致していたであろう。 あなたはこぼしたり、うめいたりする、それでもこの聖心は あなたへの愛と哀れみで溢れ出す 霊魂よ! 与えたすべてを生かしなさい! 我が現存を忘れないように、努力しなさい! 私でないすべてから距離を保ちなさい、目を私に 私だけに向けていなさい。 あなたはみことばの器です、しかしそこで打ち寄せる時の流れにすぐ足をとられないように! あなたを呼び出し 契りを結び 私のものとしたのです。 たとえこうした流れを通り抜けようが、ともにいる、大嵐の中であろうが、これらはあなたを根こそぎにはしない。 たとえ毒蛇の巣の中を歩もうが、噛まれはしない。 あなたの道を歩きやすくした。 刺と茨に出会うたびに持ち上げよう。 あなたの弱さ そして唖然とするほどの無力に気がついている、それゆえあなたへの寛容も大きい。 

 

 

ヴァッスーラ・神のうちの真のいのち・8巻P222

‘96・10・22

 

我が教会の娘よ、教会に従順なら、私をがっかりはさせない・・・たびたび赦しの秘跡を受け、自分を罪びとと認めなさい、そうするなら毒蛇、偽りの父は、あなたを騙せない・・・悔い改めのうちに ふさわしい果実:愛の実を常に実らせよう、こうして我が愛のうちに 成長していきなさい・・・さあ来て 私のメッセージを書くように:

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P233

‘02・6・1

 

教えてほしい、毒を飲み込んでしまったのが分かったなら いのちを危険にさらしたまま放っておき 何もしない人がいようか? この死に至る一服から癒されるには 頭を低くして自分が罪人だと認め、私に悔い改めを捧げなければならない、そのとき毒の苦みはすっかり取り除かれ 生涯にわたって臓腑に飼っていた 毒蛇も含めて追い出せよう(*1)、そして解放されたあかつきには こうした悪を 私の甘美に置きかえる・・・そう、ひとたびそのような悪が出ていったなら、あなたは回復する、そしてひとたび回復したなら 私の掟と相容れない者ではなくなる。 あなたは 喜んでこの世に背を向けよう 目前に、我が栄光と荘厳を見るがゆえ。 私の輝ける現存が あなたの内にも外にも輝き出る。

 

*1: うちなる「毒」と「大蛇」あるいは悔い改めによる清めというイメージ全体から、私は 抜魔式の際、悪霊に憑かれていた人が釘や、ときにはガラスの破片、ワイヤなどを吐き出すのを思い出しまします。

 

 

わたしのことばを書きとらせた理由/イエズスが口述された福音書の最後の言葉/

マリア・ヴァルトルタ/天使館/霊のパン第4号/P16〜32

 

わたしを追い返さないでください。わたしはあなたたちにわたしを与えたいと渇望しています。あなたたちを愛しているからです。わたしの癒し難い渇きです。天での婚姻の宴にあなたたちを支度させるために、あなたたちにわたしを授けたいという熱い思いに駆られています。あなたたちは、無気力にならないために、子羊の婚姻の時に飾られた衣装を着るために、落とし穴と茨と蛇で一杯の地球というこの砂漠での試練を乗り越えた後の、の大いなる祝祭のために、その害を蒙らずに火の間を通り、爬虫類を踏みつけ、あなたたちのうちにわたしを有することによって、死ぬことなく毒を吸い取らねばならぬために、わたしを必要とするのです。