サイレン(妖婦)

 

 

姦淫姦通好色の刑罰

自分らは憐れまれなくてはならない

 

 

 

 

研究社新英和中辞典

[ギリシャ神話]セイレーン

Sicily島近くに住み美しい歌声で近所を通る船人を誘い寄せて難破させたという半女半鳥の海の精。

魅惑的な美人。(特に男をとりこにする)妖婦。

 

 

 

天界の秘義831

 

 自分のもって生まれた気質に溺れた生活を送って、自分自身と世のことのみを顧慮し、生活の凡てと生活の歓喜とを外面的な体面に置き、その結果上流社会に大いに名声をかち得た女たちが居る。かくして彼らは尊いことを繕って、しかし他の者らを支配しようとの目的から、その者らの欲望と快楽に取り入る才能を、実行と習慣から獲得したのである。それ故彼らの生活は見せかけの、欺く生活となってしまったのである。彼らも他の者のように教会に再三出入りしたが、しかしそれは自分が有徳な敬虔な人間であるように見られたいというただそれだけの目的からであり、さらに彼らは良心を持っていないで恥ずべき行為と姦淫に、それを隠しておくことが出来る限り、容易に傾いたのである。こうした女どもは他生でも同じことを考え、良心とは何であるかを知っておらず、それを口にする者を嘲笑するのである。彼らはその他の者を欺く手段である徳、敬虔、憐憫、無垢をいつわり装うことにより、他の者たちの情愛に、それがいかようなものであろうと巧みに取り入るが、しかし外面的な拘束が除かれると必ず最も邪悪な、淫猥なことに突入するのである。

 

 

 

天界の秘義831〔2〕

 

これらは他生で妖術者または魔法使い〔妖婦〕になる女であり、そのある者はサイレンと呼ばれ、世に知られていない術の達人となる。彼らは不埒な術策を吸収するスポンヂのようなものであって、それを直ぐに実行に移す才能を持っている。この世では知られてはいないが、他生で彼らが学ぶ妖術とは以下のようなものである。彼らは他の場所に居るかのように語ることが出来、かくてその声はそこでは善い霊から発しているように聞こえてくる。彼らは同時に多くの者といわば居ることが出来、かくて自分が恰も至る所に居るかのように他の者に思い込ませている。彼らは良い霊たちから流れ入ってくるものを、実に天的な霊たちから流れ入るものをさえ傍らにに外らし、直ぐにそれを種々の方法で自分に都合の良いように歪めることが出来る。彼らは他の者について思いつき、また考案もする色々な考えでその者に似た形のものを身につけることが出来る。彼らは他の者の情愛そのものに巧みに取り入って、彼ら自身に対する情愛をたれにでも吹き込むことが出来る。彼らは不意に視界から消え去り、人目をかすめて逃げることが出来る。彼らは霊たちの目の前に、天使のしるしとなっている白色の焔を頭のまわりに表すことが出来、しかもそれを多くの者の前に表すのである。彼らは幼児を表し、それに接吻さえもしてみせ、色々な方法で無垢を装うことが出来る。彼らはまたその憎んでいる者をけしかけて、自分を殺すように仕向け(なぜなら彼らは自分が死なないことを知っているからである)それからそれを人に洩らして、彼らを人殺しだと言って非難する。

 

 

 

天界の秘義831〔3〕

 

 彼らは私が考えまた行いもした悪のことごとくを私の記憶から呼び覚ましたが、しかもそれは極めて巧妙に為されたのである。私が眠っている間に、彼らは他の者たちと話したが、それがちょうど私が話しているように話したのであって、そのためその霊たちはそのことを確認し、それで誤った淫猥な事を思い込んだのである。彼らは他の多くの術を知っている。彼らの性質は疑う余地がその中には少しも無い程にも説得力を持っており、それで彼らの考えは他の霊たちの考えのようには伝えられない。彼らの眼は蛇に帰せられているような眼に似て、似て、同時に凡ゆる方向を眺め、また凡ゆる方向に注意を払っている。これらの妖術者〔妖婦〕またはサイレンは、ある者はゲヘンナで、ある者は蛇の間に在る一種の庭で、ある者は最大の苦痛と責苦とともに、色々と身体をねじまげられ、また色々とぶっつけ合わされて、甚だしく罰せられる。時がたつと彼らは凡ての交際から引き離されて、頭から足まで骸骨のようになる。この主題については本章の終わりに続いて述べよう。

 

 

 

天界の秘義959

 

 

 

真の基督教533

 

凡ての人々を支配せんとする愛と、凡ゆる富を所有せんとする愛の二種類の愛は長く人類に深く根を下ろしてきた。この二つの愛は、抑制されない時には、何らの制限も知らず、前者は天界の神たらんとの欲望を吹き込み、後者は世界の神たらんとの欲望を吹き込むのである。他の凡ての悪しき愛はこの二つの愛に従属し、その名はレギオンと呼ばれる。然しこれらのものは深く内部に隠れ潜んでいる故、それらを点検することは困難である。それらは岩の裂目に隠れていて、そこに身を休める者に向って飛び出し、これに致命傷を加え、再び己が隠れ家に退く蝮のようなものである。それらはまた人々を歌をもって魅了し、次にこれを殺して了うた女神サイレンのようなものである。この二種の愛は、自らを華麗な衣装を以って飾るが、それは丁度悪魔がその欺こうと欲する者達に感銘を与えようとしてその魔術によって華麗な衣装を以って自らを飾る様に似ている。

 

 

 

姦通者である妖婦について

 

霊界日記3194

 

淫行と姦淫には何ら不当なものがないと思い込んでいる者らがおり、こうした信念を彼らは多くの考えから確認し、かくてその中に正当な生命[生活]をおいている。こうした者らは妖婦の姦通者らである、なぜなら彼らは自分らは礼儀正しい、敬虔な者であるという信念[自信]をもっと、そのときは天使的な霊たちをさえも殆ど迷わせる[たらしこむ]ことが出来るが、しかし天使たちにはその性格を認めることが与えられている。これらの者について、私は霊たちと話したが、そうした者らは基督教が行きわたっているヨーロッパから来ていて、アジア、アフリカ、アメリカの地域からは来てはいない、と言われたのである。1748年[60歳]9月19日

 

 

 

霊界日記3195

 

 彼らの最も痛ましい刑罰について非常に多くの事柄が述べられもしようが、それは極めて痛ましいものであり、それでまた、身体、頭、自然的な心が色々と切り刻まれて、多様なものとなっており、それに抵抗が伴うため、そこから心労と頑なさとが生まれ、そのため彼らは死以外には何ごとも求めはしないが、しかし死ぬことは出来ない。こうした多くの刑罰が、上方に、頭の上の高い辺りにやや前面の高い辺りに私から見られはしたが、しかしその残酷さのために、記すことは出来ない。これらはいく時間も続けて私に示されたのであり、次々と罰しられたのである。1748年[60歳]9月19日

 

 

 

霊界日記3198

 

 また婚姻の責務を認めてはいるものの、その夫を愛しはしないで、これを軽蔑し、遂には彼らを無意味な者として考えている女たちが先ず私に雄鳥として、後には虎または猫のようなものとして表象されたが、それは鈍い色をしていて、その中には多少灰色がかった色合いが混ざっていた。かくてこうした者らはこのように雄鳥のように初めて、大いにしゃべりまくり、しかりとばしたり、後にはそうした虎の性質に変わってしまうことが意味されたのであるが、それでも彼らはその子供たちを愛してはいる、実に彼ら自身よりも愛しているのである。その自然的なものの中に何ら霊的な原理を持ってはいない者らはこうしたものである。1748年[60歳]9月19日。婚姻愛の一閃光すらも持ってはいなかったこうした者らもまた前面の、やや上方にいた。彼らもまたこうした愛は何ら持ってはいないため、婚姻的なものは抑えつけている。後で色々と考えて、自分らはこのようにして夫を抑えつけることが出来ると思い込むのである。

 

 

 

 

妖婦について

霊界日記3205

 

ゲヘンナについて

霊界日記3206

 

ゲヘンナの妖婦について

霊界日記3207

 

 

妖婦について

霊界日記4344

 

 かの妖婦らはぶらつきまわっているが、そのことが彼らに許され、また善良な者たちを魔術と説得力をもって術策で悩ますことも許されていることは私を驚かせたが、しかしその理由は、主はたれ一人をも地獄に投げ込まれはしないが、彼らが彼ら自身でそのことを行うのであり、彼らの悪が、その頂点に達する時、彼らを地獄へ投げ込むということである。それが共通の受ける器となっており、それで悪い者らは霊たちの世界に非常な期間にわたって住んでおり、或る者は早く、或る者は遅く自分自身をそこへ投げ込むのである。その間彼らが得ている善いものと真のものとは分離して、内部の方へ引き寄せられ、その者を支配している悪が頂点に達し、同じような重さのために彼らは引き下ろされるのである。私は、妖婦らが霊たちの世界に長い間とどまって、多くの者たちを悩ましているが、いつも他の者たちの心を支配して、妖婦ら自身に従わせようとの意図からそうしたことを行っているのを見たのであるが、遂には彼らはいかようなものになるかを示されたのである、即ち、彼らは最初は髪の毛のかたまりのように現れているが―それは彼らの醜悪な形体的なもののみが彼らを支配しているというしるしである―後には顔が黒くなって現れ、かくて人間としては現れはしないのである。1749年[60歳]8月8日。彼らは、自分らは憐れまれなくてはならないという考えをその説得力のある魔術をもって吹き込もうとするが、しかし以下のように答えられた、即ち、たれ一人彼らを憐れむことは出来ない、彼らから害われようとしている者が憐れまなくてはならないのであり、そうした者の中の一人が彼らのような者の全集団よりも関心の的となるのであり、同じくまた、他の者たちに絶えず危害を加え、秩序を破壊しようと絶えずたくらんでいる悪に対し憐れみを感じることは秩序に反しており、そのことは丁度、裁判官が公共の善のことを、秩序の法則のことを考えているため、その断罪する者らを憐れむことが出来ないことと正(まさ)しく同一である。現在の場合もまたそれと同じである。もし彼らがその説得力をもった魔術により何かを仮にも得るとするなら、依然危害を加えることを止めはしないのである、と。1749年[60歳]8月8日。

 

 

 

妖婦の地獄について

霊界日記4573

 

彼らを探し求めても、見出すことは出来ない。

 

いわば、蛇のとぐろのようなものを形作って、その中に彼ら自身をおいており、

 

 

 

妖婦の一味とその地獄について

 

霊界日記4594

 

男どもの自己愛を、または自己尊重の念をすらかきたてることにより、男どもの情愛の中へ入り込む方法以外のものを何一つ考案しないで、男どもを支配しようと欲し、男どもにより利益を得ようと欲し、そのため、男どもは徐々にとりことされて、自らが女どもにより支配されるままになり、その権力をことごとく女どもに捧げはするものの、その女どもはその男どもには些かの愛すらも抱いてはいないで、その心の中では男どもを全く軽蔑しているのである。

 

 

彼らは善悪は問題としない。

 

 

霊界日記4595

 

 

霊界日記4596

 

 

 

妖婦と観念とについて

 

霊界日記4598−4601

 

 

妖婦について

 

霊界日記4624