好色の刑罰
同性愛/
1.聖書
1.聖書
レビ記20・13
女と寝るように男と寝る者は、両者共にいとうべきことをしたのであり、必ず死刑に処せられる。彼らの行為は死罪に当る。
黙示録22・12−13
「見よ、わたしはすぐに来る。わたしは、報いを携えて来て、それぞれの行いに
応じて報いる。わたしはアルファであり、オメガである。最初の者にして、最後
の者。初めであり、終わりである。」
黙示録22・14−15
「命の木に対する権利を与えられ、門を通って都に入れるように、自分の衣を洗い清める者は幸いである。犬のような者、魔術を使う者、みだらなことをする者、人 を殺す者、偶像を拝む者、すべて偽りを好み、また行う者は都の外にいる。」
(淫猥な霊魂の刑罰)
霊界日記230/1巻
(わいせつな行為にふける者らも彼ら自身には同じように地下の場所にいるように思われる)
霊界日記386〜387
(真の婚姻愛もなく、または子供を生む願いもなしに性交を行う者らについて)
霊界日記1202
生涯の晩年になって結婚する者が多く、特に基督教国にいるため、また合法的な結婚によらないで、みごもり、子供を生むなら罰しられるため、そこから多くの男女は子供を何ら求めないで性交を求めるといった性質を身に付けてしまい、かくて彼らは結婚の中心と最も内なるものから彼ら自身を徹底的に遠ざけてしまうのである。
霊界日記1203
こうした単なる性交の欲望は、真の婚姻愛を欠いている故、堕地獄のものであるため、彼らは(そうした欲望を抱いている限り)天界から極めて長い間分離され、そのように生きて、死ぬ場合には、死後痛烈な刑罰にさらされる、なぜなら四足獣の、いわば、脈動しているリズムで、しかし他の者らよりは迅速にまた口数も多く話す霊たちがおり、その人間または霊の生殖器の領域に来て、彼らがそうした性質のものであるか、否かを調べ、そうした者をたれか見つけるなら、その霊または霊とともにその領域から、最も内なる天界に対立した中線からやや離れた、前方の、中ほどの深さの辺りに沈むのである。彼らは私に以下のように話した、すなわち、彼らはそこでリンネルの布の上に仰向けにされ、その頭は下の方へぶら下がり、胸は、いわば、開かれて、酷らしく罰せられるのである、と。しかし私は彼らの刑罰を以下のものを除いては見なかった、即ち、彼らはその際頭を下に向けてひっくり返され、その外的な、または形体的な物が引き出され、かくて彼らは長々と上の方へ引きずり上げられているように見え、その内部も―即ち、その霊的な部分も同じ方向へ引き上げられ、かくて彼らは、子供を何ら求めないで、ただ色情のためにのみ性交しようとするその汚れた欲情を剥奪されるのである。なぜなら彼らはこのようにしてその霊らにより(いわば)殺されるのであり、その霊らは自分らは彼らを殺したいと言うのである、なぜならそうしたものがそうした人物らを殺そうとするその霊らの『アニムス〔精神〕』であるからであり、それで彼らは彼らを仰向けにし、いわば、彼らをナイフで切り刻むのである。その霊魂らもまた自分らが殺されている、と考え、そのようにしてその欲念を剥奪されるのである。
霊界日記1663〜1665
霊界日記1663
ある一人の霊が私の頭の上の中間の高さの辺りにいた、彼はその生きている間は好色な生活を送りはしたものの、同時に聖言を熱心に読んだのである。私は彼について彼はその生命の間ではいかような性質を持っていたかを聞いた、即ち、彼は色々な異性を楽しむ歓びを味わったが、いかような者にも変わらない愛を何ら抱きはしないで、その時を娼家で過ごし、そこにいる者らと交渉を持ちはしたものの、後では次々とその各々の者を捨て去ったのである。その結果、彼は多くの者を欺き、その関係を持った者たちが既婚の者であるか、未婚の者であるかは何ら問題とはしなかった。このようにして彼は真に婚姻的な愛をことごとく彼自身から剥ぎ取り、同じくまた子供を持つ願いも剥ぎ取ってしまし、遂にはその行うものを良心の咎めもなくやってのけるようになったため、そこから不自然な習慣を身に着けてしまい、または、不自然な性質を帯びてしまったと言ってもよい者となった。
霊界日記1664
その刑罰は以下のように行なわれた、即ち、頭の上辺りの、霊たちと天使たちから完全に見られる所で、彼は一本のロープが張られている所へ追い立てられ、そのロープに触れると、その下をくぐるため、その頭を下げるや否や、背中をつかまえられて、そのロープにくくりつけてから、その周りをリンネルの上着のように回転させられ、遂にはその片足がそのロープににかわづけにされ、その身体の前の部分が、頭から足までも、霊たちと天使たちとの視線にさらされ、かくてきりきり舞いさせられて、周りの凡ての者からくまなく凝視され、その間苦痛と恥辱で責め苛まれるのを私は見たのである。
霊界日記1665
彼は釈放されると、私の右側へ来て、私と話し、自分はその生きている間はそうした性格のものであったと言いはしたが、それでも恥じながらそのことを告白し、敢えて目を上げようともしないし、または私の傍から去ろうともしなかった。彼は自分はどうして身を支えることが出来るかが分からないほどにも痛めつけられたと言ったが、それでも慎ましく、またその生活がいかようなものであったかにかんがみ、明らかに痛悔のしるしを見せもして話したのであり、それで彼はその同じ過酷な責め苦をそうした種類の好色な生活を送った他の者らとは共に受けはしなかった。1748年[60歳]3月23日。
「好色の刑罰について」
霊界日記1694〜1698
霊界日記1976〜1980
霊界日記1976
或る女性の霊たちが私のもとへ来たが、彼らは、私の考えるところでは、身体の生命から他生へ最近入って来たのである、なぜなら彼らは自分らが他生にいることを依然知らなかったが、しかしその事実が彼らに示されると、その時彼らは振り返って反省することが出来たからである。彼らの性質は最初は善良であるように見えた、なぜなら彼らはそうした態度を見せていたからである、しかし彼らがその場から去ってしまった際、私は他の者から以下のことを知ったのである、即ち、彼らは忌まわしい輩であり、男と女の交わりは合法的なものであるのみでなく、聖いものであるとすら考え、自分らは罪の中に生まれていて、こうした種類の放埓を避けることは出来ない、と言いつつも、自分らと全く同じような心を持っている者ら以外の者とそうした交渉を持つことは不潔なこととして認めている部類の者らに属しているのである。実に、彼らは、彼ら自身が汚れたものであるため、結婚を罵り、そうした関係を不潔なものとして考えるほどにもなっていた。私は以下のように言われた、人間社会には男も女にもこうした人物がおり、彼らは結婚、結婚愛、また子供の目的も無しに、全く好色のためにのみこうした種類の交渉に執着して、自分らは子供時代からこのようにして極めて歓びに満ちた生活を送ってきた、と言っているのである、と。
霊界日記1977
私がこうした者らを待っている刑罰の種類について尋ねた際、彼らは極めて激しく罰しられると言われはしたが、しかし彼らはその刑罰の性質は洩らそうとはしないで、単に、それは極度に激しいものであって、彼らが、生きていない、すなわち、殆ど生きていることを意識しない、そうした汚れた行為と忌まわしいことをやってのけたことを完全に忘れてしまう心の状態へ追いやられる、とのみ言ったにすぎなかった。なぜなら彼らは神聖を装って混乱を引き起こし、同じ仮面の下に、人類を生み出すという目的である普遍的な、主要な目的を消滅させるからである。こうした混乱からは痛ましい刑罰が生まれないわけにはいかないのであり、その霊的な生命の、謂わば、消滅が生まれないわけにはいかないのである。実に、彼らはソドムの輩とは余り隔たっていないのである、それでこうした生活行路を自らに意識している者らは警戒されたい、なぜなら彼らは他生では容赦はされはしないからである。1748年[60歳]5月16日。
霊界日記1978
こうした聖い考えと汚れた考えとを混同し、混合させることはその後にいかような刑罰を引き起こすかはたれでも予測することが出来よう、なぜなら色々な考えが連結することにより心が形作られるからである。1748年[60歳]5月16日。
霊界日記1979
これらの刑罰の一つが明らかにされた、それは彼らの好色の器官〔恥部〕を、謂わば、火に焼くことから成っており、しかもそれには耐えることも出来ない苦痛が伴っていたのである。
霊界日記1980
火で、謂わば、こうして焼くという行為は、そのことが霊たちについて言われているため、背理のように思われるであろう、しかし私が他の所で言いもし、示しもしたように、人間の感受性は凡て他生に残っているように、その知覚もまた残っているのである。そのことは火を知覚することにさえも言われるのであり、そのことは或る一人の霊は最初は信じようとはしなかったが、特殊の経験を通してそれがそうであることを知ったのである。1748年[60歳]5月16日。
霊界日記2704−2710
霊界日記2704
目覚めるとすぐ前に、私が依然目覚めているよりもむしろ眠っていた際、たれかが手紙を読んで、私がそれを聞いたが、その手紙の中には処女の糞尿のことが取り扱われていたように私に思われた、私は目覚めると、心は、処女の糞尿についてこのことは何を意味しているかについて、占められてしまった。すると或る霊たちは私と話して、そのことは何を意味しているかを説明した。即ち、世には処女を犯すことにまさって何一つ求めはしないといったかの邪悪な欲念に取り憑かれている者らがおり、処女性または処女の花を盗み取ることが彼らには最大の歓喜であり、それで彼らは処女性を奪い去り、青春の最初の花をもぎとってしまった際、後では彼らを棄て去り、憎悪し、斥けてしまい、或る者らは、ダビデの息子のアモンについて記されているように、また彼らを憎悪し、かくてその生涯の間、処女性を秘かに奪い去る回数が多くなるに応じ、かくて処女を犯す数が多くなるに応じて、益々彼らはそのことを誇るのである。こうしたものが処女の糞尿により理解されている欲情であったのである。
霊界日記2705
これらの者らについて私はその際霊たちと話し合い、以下のことを知らされた、即ち、こうした者らは他の霊たちの間では容赦はされないで、彼らの社会から糞尿のように斥けられてしまい、そのこともまた自然的なものと霊的なものと天的なものとの秩序の法則から確認されて流れ出ており、そのことについて彼らはまた私と話したのである、なぜなら天的な社会はことごとく婚姻愛[結婚愛]に基礎づけられており、その愛から善良な愛と情愛とが凡て発生しており、かくて彼らは無垢に基礎づけられているのである。こうした輩はその欲念をもって無垢の原理のみでなく、愛の原理をも破壊しようと躍起になるのである、なぜならこれらの者は婚姻愛の凡てに全く対立して、これを憎悪するのみでなく、また無垢にも対立して、それを殺すほどに害うからであり、更に彼らは婚姻愛に浸透することが出来る無垢な者たちを後には娼婦として生きるようにしむけてしまい、かくて彼らは内的な性質の殺人者である、なぜなら愛の最初の花は処女を婚姻愛へ導き入れて、夫と妻の心を連結させるものであるからである。霊たちはこうした事柄について私と話したのである。
霊界日記2706
さらに私は以下のことを話された、即ち、こうした欲情とこうした欲情を実際にやってのけることは聖霊に対する罪により理解されるものである、なぜなら天使たちの聖さは、すでに言ったように、婚姻愛に、また無垢に基礎づけられており、婚姻愛と無垢とは凡ゆる霊的な、また天的な愛と善の情愛との原理であり、こうした欲念[色情]は聖さの原理に反しているため、それでこうしたものが聖霊に対する罪により主として理解されるものである。
霊界日記2708
それで他生における彼らの刑罰は極めて痛ましい、なぜなら彼らは社会へ入れられることは出来ないからである。その刑罰もまた私から見られた、即ち、彼らは狂暴な馬に乗っているように彼ら自身に思われるが、馬は彼らを上へ投げ上げるため、彼らはその馬から投げ出されて、その生命がおびやかされ、後では馬の下に、包み込まれたものとして表象される。私はなぜ彼らが包み込まれたものとして表象され、その馬の腹の下に立つかが未だに分からない、その馬は上にいて、同じく狂暴で、彼らを殺してしまうように彼ら自身に見えるのである。ついで彼らはその馬の腹の内部を通ってその腹の中へ入って行くように彼ら自身に思われ、
霊界日記2709
次いで突然、恰も彼らが売春婦の腹の中にいるかのように彼らに思われるが、その売春婦は間もなく、異邦人の或る者らが崇めているような大きな竜または蛇に変わってしまうように彼らには見え、そこにそうした霊は拷問にかけられ、包み込まれてとどまっている、なぜなら彼らは包こまれているように彼自身には思われ、かくて呼吸を奪われているように見えるからであり、このようにして彼らは剥奪されるのである。こうした刑罰は幾度も起こり、数百年または数千年ではないにしても、数年続き、遂には彼らはそうした欲念はもはや憶えなくなり、いかほど多く、その生涯をそうしたものの中に過ごしたにしても、自分自身をさえも憶えなくなるのである、と私は話されたのである。
霊界日記2710
子供たちについては、彼らは他の者たちの幼児よりも悪いと私は話された、なぜなら彼らもまたその両親から遺伝によりそうした原理を取得しているからである、それでそうした者らからは多くの幼児は生まれはしないのであり、生まれても、生きながらえはしないのである。1748年[60歳]7月30日。
台所について
霊界日記2711
私はこれらの者は幼児と非常に小さい少女たちとを汚す最も醜悪な欲情を歓んでいる者らであることを教えられた。(こうした事柄が人間に考えられないためには、そうしたことを公に話すことは適切ではない)。時々、また、そこに半歳、一歳、三歳、五歳、六歳位の幼児たちであった者も示された。こうした者がこうした台所の中にいて、互いに相手を煮えたぎっている湯の中で料理し、最も凄惨な方法で拷問にかけられるのである。
ゲヘンナについて
霊界日記3206
しかし後にはそれは恐ろしい蛇に変わり、その蛇は、彼らが私に報告しているところでは、彼らの胸と性器とを噛み、食い尽くすのである。
姦通者らの地獄について
霊界日記4563
姦通者らの地獄は尻の下に在る。そこにいる者らは糞尿の中にいる。