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天界の秘義1388
前に言ったように、第二の種類の認識は凡ての者に共通しているものであり、天使には最も完全に、霊たちにはその特質に応じて共通しているものである。それは他の者が先ず近づいてくると、たとえその者が話さないにしても、その者の性質を知ることにあるのである。その者はその者自身を或る驚嘆すべき流入によって直ちに明らかにするのである。善良な霊については、その霊は如何ような善良さを持っているかが知られるのみでなく、また如何ような信仰を持っているかも知られ、その霊が語る時は、そのことはその霊の言葉の各々から知られるのである。悪い霊についてもその者は如何ような悪を持っているか、また如何ような不信仰を持っているかが知られ、その者が語ると、それは言葉の各々から知られ、しかも誤りが全然ありえない程にも明白に知られるのである。これに似たことが人間のもとにも現れている、なぜなら人間も同様に他人の身振り、目つき、または言葉から、その者の考えていることを、たとえそれが彼の言っていることとは相反していても、時には知ることができるからであり、こうした認識は人間には生来具わっていて、その起原と性格とを霊たちの性質から得ており、引いてはその人間自身の霊からまたその霊が霊たちの世界と交流していることから得ているのである。こうした交流から伝達される認識は主は凡ゆる善が伝達されることができて、凡ての者が相互愛により動かされ、かくして幸福になるようにと望まれているという事実にその起原を得ているのである。そこからこのような認識はまた遍く霊たちを支配しているのである。
天界の秘義1394
霊たちと天使たちとがその一致[和合]に応じて結合して社会を形成し、その不一致[不和]に応じて友情から分離しており、しかもそれが最小の相違でも分離されており、または結合させているほどにも精妙に行われているのは、たれにでも他の者の性質が愛と信仰との方面でいかような性質をもっているかを一瞬に知らせるような認識が存在しているためである。そこから諸天界の諸々の社会は互に他から、それ以上に明確に区別されているものを何一つ考えることができないほどにも明確に区別されており、しかもそれは主に対する愛と信仰との、数えることも出来ない凡ゆる相違に従っているのである。ここから一人の人間を表象しているといった天界の形が生まれていて、この形は絶えず完成されつつあるのである。
天界と地獄236
このことから、天使たちは他の者の性質を、それがいかようなものであるかを、単にその言葉から知るのである、即ち、その者の情愛のいかようなものであるかは、その語調から知り、その者の心のいかようなものであるかは、発音された音、または語から知るのである。賢明な天使たちは、その者を支配している情愛のいかようなものであるかを、ただ一連の言葉からでも知っている、なぜなら彼らは主としてそれに注意を払っているから。各人は種々の情愛を持っていることは知られている、即ち喜んでいる時とか、悲しんでいる時とか、寛大と慈悲を抱いている時とか、誠実と真実である時とか、愛と仁慈にいる時とか、熱意または怒りを持つ時とか、偽り、欺く時とか、名誉を求める時とか、そういった時の情愛は、それぞれ異なってはいるものの、しかしその者を支配している情愛または愛はそうした情愛凡ての中に存在しており、それで賢明な天使たちは、そのことを認めているため、その言葉から人間の状態の凡てを知るのである。それがそうであることは、私は多くの経験から知ることが出来たのである。私は天使たちが他の者の生命をただその者の言葉を聞くのみで明らかにするのを聞いた。彼らはまた言った、私たちは他の者の思考の僅かな観念からでも、その者の生命の凡ゆる物を知るのである、なぜならその観念から私たちは、その者を支配し、凡ゆる物を秩序正しく含んでいる愛を知るからであり、人間の生命の書とはそれ以外のものではない、と。