神学
サンダー・シング/イエス・キリスト封印の聖書/P301
わたしは、人を神学者の元へ行かせるようなことは、けっしてしない。彼らは、霊的実在を感じ取る力を失っている場合が、あまりに多いからである。ギリシャ語、ヘブライ語、それに類することがらを説明することはできるが、彼らは本に埋もれて時間を費やし、キリストとの間に十分な時間を費やしていない。神学と神学者のすべてを非難するのではない。そこには聖徒も少なからずいる。しかし、何事も疑い、否定し、われらの主を批判し、主の神性をあれこれ論じるのが今の風潮である。このような傾向に反対するのである。
真の神学研究は、イエス・キリストの御足下で始まる。誤解のないよう、ここで、神学校について一言述べておきたい。わたしは軽率なことを言っているのではない。わたしは、神学校を卒業してキリストのために働き始める頃には、すっかり情熱を失ってしまった青年たちを知っている。いったい何事が起きたのか、とたずねると、彼らはこう答えた。『批評と不信という害虫に魂まで喰い尽くされてしまったのです』。わたしは、この世の人生については神学校で良いことをk学んだが、聖霊の教えについては主の御足下ですべてを得た。わたしは、教育のすべてに反対しているのではない。しかし、生命なき教育は確かに危険なのである。頭(ヘッド)と胸(ハート)とが調和よく働き合うときのみ、神の栄光にとって大いなる結果が生まれるのである。