主は預言者を送り続ける

 

主は段階的に啓示される聖書だけで充分か?

あなたたちの息子や娘は預言し老人は夢を見、若者は幻を見る(ヨエル3・1)

 

 

 

1.聖書

2.ヴァッスーラ

3.マリア・ワルトルタ

4.サンダー・シング

5.デボラ

6.スウェーデンボルグ

7.ドレックス教授

 

 

 

1.聖書

 

 

出エジプト記20・18−21

 

民全員は、雷鳴がとどろき、稲妻が光り、角笛の音が鳴り響いて、山が煙に包まれる有様を見た。民は見て恐れ、遠く離れて立ち、モーセに言った。「あなたがわたしたちに語ってください。わたしたちは聞きます。神がわたしたちにお語りにならないようにしてください。そうでないと、わたしたちは死んでしまいます。」モーセは民に答えた。「恐れることはない。神が来られたのは、あなたたちを試すためであり、また、あなたたちの前に神を畏れる畏れをおいて、罪を犯させないようにするためである。」民は遠く離れて立ち、モーセだけが神のおられる密雲に近づいて行った。

 

 

 

申命記18・15−20

 

あなたの神、主はあなたの中から、あなたの同胞の中から、わたしのような預言者を立てられる。あなたたちは彼に聞き従わねばならない。このことはすべて、あなたがホレブで、集会の日に、「二度とわたしの神、主の声を聞き、この大いなる火を見て、死ぬことのないようにしてください」とあなたの神、主に求めたことによっている。主はそのときわたしに言われた。「彼らの言うことはもっともである。わたしは彼らのために、同胞の中からあなたのような預言者を立ててその口にわたしの言葉を授ける。彼はわたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。彼がわたしの名によってわたしの言葉を語るのに、聞き従わない者があるならば、わたしはその責任を追及する。ただし、その預言者がわたしの命じていないことを、勝手にわたしの名によって語り、あるいは、他の神々の名によって語るならば、その預言者は死なねばならない。」

 

 

 

 

ヨハネ16・12


 言っておきたいことは、まだたくさんあるが、今、あなたがたには理解できない。

 


黙示録3・20


 悔い改めよ。見よ、わたしは戸口に立って、たたいている。

 


黙示録3・22


 耳ある者は、“霊”が諸教会に告げることを聞くが良い。

 


ヨハネ21・25


 イエスのなさったことは、このほかにも、まだたくさんある。わたしは思う。その一つ一つを書くならば、世界もその書かれた書物を収めきれないであろう。

 


ヨハネ16・25−26


 わたしはこれらのことを、たとえを用いて話してきた。もはやたとえによらず、はっきり父について知らせる時が来る。その日には、あなたがたはわたしの名によって願うことになる。

 


ヨハネ17・26


 わたしは御名を彼らに知らせました。また、これからも知らせます。わたしに対するあなたの愛が彼らの内にあり、わたしも彼らの内にいるようになるためです。

 

 

 

 

2.ヴァッスーラ

 

 

ヴァッスーラ・ライデン/『私の天使ダニエル』P102

 

 86・12・3


あなたに平和。 私は万軍の主、万物の創り主。 呼び出したのは私です。*

 

どうして古代の預言者たちに話すように私なんかに神が話されることがあるかしらと、また不思議に思っていたところでした・・・

 

そう、あなたの時代にも声をかけ、私自身を現わすことができる。 私は変わらない。 あなたの子孫が祝福されるように。 私を決して見捨てないでほしい。 英知をもって教育する。 すでに教えたものを忘れないように。 あなたの働きを喜んでいる。 私のもとまで はるばるあなたを導く。 あなたのために場所を用意したので そばにいなさい。

 

主よ、その場所はどこですか?(どこか他の国かと思いました)。

 

我が心の中心に住まわせる。 娘よ、私を認めるとは みことばを愛すること。 私が生きていると同じように みことばも生きていることを忘れないように。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P49

‘88・10・11

 

この啓示が初まって以来 伝えているが、我が教会は廃墟と化し この廃墟のさ中にマムシが巣喰い その深みに居座っている、ああ ヴァッスーラ!!(*) 苦しい・・・ 私はやって来て 我が最も神聖な秘跡にからみつき はいずり回るへびどもを解いて 教会の外に放り出さねばならない、そして始めから教会を造り直さなければ・・・ 我が子よ、この荒涼とした荒野で暮らし それに囲まれているのは 本当に困難で 恐怖に満ちている、しかし私を愛し 愛をもって我が名を 礼拝する人びと皆のそばにいる。 私は限りない富であると

 

  神は苦悩と痛みに満ちて、大声で叫ばれました。

 

我が天的わざを踏みにじる 全ての人に思い出させたい。 被造物が反逆に陥るのを見た時はいつもみことばを担う使者を送った。 反逆はあなたの住む地を 砂漠に変えてしまう ♡ 先祖たちも反逆したが、選ばれた天使たちに私が語り メッセージを託すのを疑う、あなたの世代ほど激しく疑いはしなかった ♡ 今日、我が子よ、教会には私を信じると主張しながら 聖霊によってあなたの時代に与えている 全ての我が神聖なわざを 拒む僕たちがいる! 自らの不毛により もう非とされており 審判の日には厳しく裁かれよう! この人びとは聖書に戻り 我が霊がどう働き 選ばれた者たちに与える賜物を 私がどう祝福するかを読むとよい(*)。 我が子よ、あなたと私、私とあなたは この荒野、合理主義によってもたらされた 死に至る荒野を渡っている、それは不信仰、愛の欠如、無差別、自己陶酔、虚栄と 聖霊から降る全てに対する 敵意の荒野でもある、彼らは聞こうとしない頑なな態度によって 非とされている、我が聖霊による御わざを拒む者は誰であっても 私を拒んでいる、聖霊と私は一つであり、同じであるからだ! ・・・この人びとは砂漠を押しひろめ そこには何も育たないように念を押す。 花を見ると、踏みにじり つぶしてしまうか、わざと無視して水を与えずに 枯れさせ 捨ててしまう・・・ 我が義の杯が溢れ出し 彼らはすでに 義の最初の雫を感じ始めている。 この人びと、特に仕えていながら、聖霊の御わざをまた拒む僕たちに、求めるのはただ一つ 光と さらに強い信仰が与えられるように 祈り、祈り、祈り求めること。来なさい我が子よ、我が聖なる現存を 常に思い出し 私を喜ばせなさい、

 

 *イエスは一コリント12・1−11を記すように言われました。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/3巻P247

 

今日にいたるまで我が口の代弁者となり 我がメッセージを伝えようと声を上げる者は誰であっても、カインたちに迫害される、彼らに声をかけるが聞こうとしない、懇願するが、誰も振り向かない、我が警告を足げにし、約束を嘲笑う。あなた方の時代に 我が霊を人類の上に注ぎ出すとは言わなかったか? あなた方の心に直接掟を据え 精神に書き記すと? 人間が主体となって成される預言はない、どうしてそのようなことがあり得ようか? みことばは聖霊によって与えられる、こうして人びとに私のことを語らせる。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P15

 

ヴァッスーラ、さまざまな預言者を通して警告を与えてきたと すでに話してあるが、あなたの世代は 私の預言者を真に受けとめていない。今日天が語っていようと それは彼らにとっては一番関心がうすい。私の代弁者を通してひと言語るや 殺到してつぶしにかかる。しかし 貧しい者、不自由な者、目の見えない者や足萎えが 私の家を建て直す。あとから来る者がはじめとなり はじめの者があとになる。私は あなた方のうち最も低い者の目と耳を開き 見えて聞こえると称する人たちの目を見えなくさせ 耳を聞こえなくさせた。私の名は再び貴ばれ崇められよう。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P67

 

 時代よ、今までも そして今でも 私は天使たちを送りつづけている、選ばれた者たちを、天の隅から隅まで、四方から集めるために、花婿が間もなく天から降り来て あなたとともになるので 準備して待つようにと。

 

*天使とはここでは使者のこと。神に選ばれ、主のみことばを持ってこの世に遣わされた人たち。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P95

 

私の言葉をこだまさせ 聞こえないその耳を貫くように 私は次から次へと天使たちを送った、ああ・・・しかしあなた方の多くは 人間的な基準で彼らを裁いてしまい、がさつなその心には 何も沁みとおっていかない。まことに今や いのちが死によって迫害される時がきた。私の天使たちを、実は私の敷地である、あなたの敷地内から追い出しては、虐待し、ペテン師のように扱う そして私に聖なる務めを果たしたつもりで、我が霊ともども 彼らの霊を殺そうと 無残なほど躍起になる。しかし彼らにたいしては 力およばないであろう、彼らの発する言葉はいのち そしていのちは死よりも強く、彼らは同伴者として我が霊に付き添われているがゆえ 愛は悪より強い力を持つ。こうして私の天使たちは 行く先々へ、我が霊を伴っていく。私は始めから 愛し合うように、私の愛のうちに和解し、聖なる生き方をして私の名を聖とするようにとメッセージで述べてきた。今でも同じメッセージを述べつづけている、しかし ああ、耳を傾け 従ってきた人はほとんどいない・・・

―どうしてこの移ろいやすい世間を 今だ離れようとしないのか? いのちを心配しないようにと教えてきた、あなたの必要を 私が面倒みないだろうか?

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/7巻P136

94・7・4

 

我がヴァッスーラ ♡ この時代にたいする、あなたの証しを 私が力づよいものとする。私がメッセージの面倒を見て みことばは あなた方一人ひとりのうちに住まいを見いだそう。はっきり言っておく:私の名によって証しをしなさい そして怖れないように、私がともにいる。弟子たちを立ち上げ、形造っては、我がメッセージの証しをさせに遣わそう。私のメッセージには 救いの力がある。それゆえ、サタンは多くのれ霊魂が手中からのがれるのを知って、道に迷う霊魂たちを戦いに巻き込んでは用い あなたの人生と生き方を、彼らの嘘つく筆で、偽って伝えさせる! しかしいずれは暴かれよう、子よ! 迫害が大きいほどいっそう あなたに代わって私自身を顕し あなたと私の民を励ます:あなたは私のこだま、御父に最も愛された者のこだま。言ってきたように、これは、我がヴァッスーラよ、あなたを励まし、同時に我がメッセージの封印となる、至高者からの贈物 ♡

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/9巻P226

 

ヴァッスーラ注:

預言者たちが送られてこなくなる日はないと理解しました。そして預言者エリヤは死なずに引き上げられたという事実は、預言が決してすたれないことを象徴しています。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P66

‘00・2・12

 

*5

ヨハネ福音書16・12−13。イエスはこう言われています、「まだたくさん言うことがあるが、今、あなたたちは理解できない。しかし、真理の霊であるその方が来られると、真理のあらゆる面であなたたちを導いて下さる・・・」これを言葉の羅列と見なして啓示が終わったと言うのは間違っています。神は活動し生きておられ、聖霊を通してご自分を示しつづけ、それをやめられることは決してありません。ラテン語で「complere」という場合、それはキリストが十全な、全き神の啓示であることを意味し、もう人類にご自分を現すのをやめることを意味してはいません。聖書とはイエス・キリストの体験を証しする書です。それが神の「最後の」み言葉ではありません。

 

 

 

ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P192

 

だが、まことに言っておく、私を進んで受け入れた者は誰であろうと、私が話している今も、祝福されている、あまりに不思議な仕方で、知識と知恵を私より受けているゆえ、それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう! その人自身 恵みを通して得られる聖なる霊感を自らのうちに携え 声高に話す書物となる。 こうして、我が娘よ、その人は聖書を読むとき、その字づらだけではなく、むしろ、ヴァッスーラ、あなたも経験したように、霊的な目で 内容の深い意味が見えてくる ♡

 

そこで、預言的任務を持ち、声高に話す書物のような我が使者たちには 反対しないように、私がこの者たちを遣わした。 聖書に含まれる以上のものは啓示しないが、あなた方にとっては 道案内。 私のうちなる真のいのちを生きるよう 新しい生き方を手引きする ♡ 人生をよりよくし 希望と慰めを与えて。私は誰であっても 悲惨な存在からカテドラルへと変えられる。

 

裁いてはならない そうするなら私が訪れて 我が言葉を実現しよう。 聖書は、あなたの神なる、私の肖り、だから見くびってはならない そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように。私のヴィジョンが見えるように掟を守り、そこに述べたことを果しなさい。 我が言葉を行う霊魂は 私を知るようになろう。 そのとき、そしてそのとき初めて、あなたは決まりによってではなく 私に与って神となる。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P117

 

あなたたちは頭を下げ、礼拝せよ。人類の存在がなくなる前、キリスト以前とキリスト以後の預言、または創世の書の最初のことばから始まる聖書の象徴するところが知られるべきであるので、私はまだ説明されていないところについて説明する。この贈物を快く迎え、豊かな実となるようにせよ。私が人間の中にいた時に、私の訓戒に対して心を閉じ、超自然の奥義と真理とについて、私と肩を並べることができなかったために、私のことを悪魔憑き、冒涜者と言ったあのユダヤ人のようになるな。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズスたそがれの日々/P169

 

「実に預言者たちはこの世に人間がいる限り、何時もいるであろう。彼らはこの世の闇を照らす松明である。彼らはこの世の冷たさを温める囲炉裏である。彼らはまどろむ人々を目覚めさせるラッパの響きである。彼らは時がたつに従って忘れられ、ないがしろにされる声、神の直接の御声を人々に運び、忘れっぽい無関心な者さえ、感動に身震いさせるだろう。彼らは様々な名前を持っているが、使命は同じであり、人間的な苦しみと超人間的な喜びの運命に出会うであろう。世間に憎まれても神に二重に愛されるこの霊魂がいなかったら、大きな災いが起こる。苦しむため、ゆるすために、主に全く服従して愛の活動をするこの人々がいなくなったら、世間は闇と氷の中に死のまどろみを続け、野蛮な無知な野獣に変わる。そのために神は預言者を送り続けられる。」

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P356

 

私も霊魂の儲けをしに来たのだから、そのために相手に愛があろうが、軽蔑と頑なさに突き当たろうが、それは気にしません。商売の盛んな町では、売買しても何時でも儲かるわけではありません。しかし相手といい商売ができたら、その旅行は無駄ではなかったと分かり、後でまた戻って来ます。もし最初のときに何も得られなかったとしても、三回、七回、百回も行けば、何か儲けがあります。私も天の儲けを考えて、あなたたちの売買と同じことをします。大きな儲け、小さな儲けも気にしません。一人の霊魂だけでも救えば、それだけでも大きなことで、私の苦労の充分な報いです。霊魂の王として、一人でも得たなら、旅も苦労も無駄であったとは言えません。私は嘲りも、侮辱も、非難も、聖なる愛すべきものだと考えています。岩のような固い邪魔があって尻ごみするなら、よい討伐者とは言えません・・・

(中略)

私も同じように固い心の石をだれよりも多く、何回も何回も打ちます。世の終わりまで私が送る後継者によって一筋の道が開かれ、そこに私の律法は太陽の光線のように入るでしょう。

 

(中略)

正義のために、あるいは興味のために歓迎してくれる望みのある所だけを選んだら、私の仕事は不完全でしょう。なぜなら、働きに変わりはありませんが、苦労はほとんどなく、その代わり自己満足を得ただけでしょう。愛が豊かで、刻むべき霊魂の柔らかい所で働くのは、つらいことではありませんが、苦労がないなら、功徳もなく儲けも少ない。正義に生きている人々にだけ呼びかけるなら、儲けは少ない。まず、すべての人を真理へ導き、それから聖寵をもって贖わないなら、もう私の存在は必要がなくなります。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P245

 

それなのに偽預言者奴、わざと私が何者かと聞いたのか。確信のために知りたいと言っていたが、今度はヨハネが最後の預言者だったと言うのか? これは二重のうそだ。うその一つは真の預言者のことばは拒んだことがないと言うのと、もう一つのうそは、ヨハネが最後の預言者だと言うことだ。預言者を信じていると言いながら、私が真の預言者であることさえも否定する。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/イエズス―たそがれの日々/P244

 

私はこの世が偶像崇拝とならないように、何時までも話し続ける。そのために選んだ人々に、私のことばを繰り返せと言い残す。神の霊が話されるから、知恵ある者は、人間に理解できないことをも理解する。また学者は私のことば、構文、場所、道具などを研究するだろうが、“選ばれた人々”は、このような研究に時を費やさず、ただ愛に満たされて、みことばを聞く。

 

そして彼らは、話すのが愛であると理解するであろう。彼らは学者たちの美辞麗句、あるいは偽予言者、または自分で実行してもいない教えを教える偽教師の教えを、私から与えられる単純な真理のことばと区別できるだろう。世間は愛を行う彼らを憎むだろう。世間は光である私を憎み、光の子らを憎み、同時に自分の罪を受け入れてくれる闇を好んでいるからである。

 

私の羊たちは私を知る。未来の羊も私を知る。私が先達として歩む血と苦しみにも従い、私の後を歩む。それは人間の霊魂を知恵へ導く道である。それは正義を教え、世間とサタンの闇を照らし、探し求める人を道と、真理と、命へ導く血と涙の道である。霊魂は何よりも自分たちを命、真理、正しい道へ導いてくれる人を必要とする。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/復活/P205

 

私の教会では、何時でも司祭たち、預言者たち、諸聖者たちによって、神感されている奇跡があるであろう。

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/7卷中P216/472・8

 

 多分、あなたがたは、わたしに質問したとき、わたしが律法を否定すると思っていたことでしょう。それで、わたしを探したのです。あなたがた自身と、あなたがたを送った人に言いなさい、わたしは律法を否定するためではなく、完成させるために来たのだと。あなたがた自身と、他の人に言いなさい、神の国を宣教する者は、神の国において恐怖になることや、そこで受け入れられないことについて、教えることはできません。あなたがた自身と、他の人に言いなさい、申命記を思い出しなさいと。「あなたの神、主はあなたの中から、あなたの兄弟たちの中から、わたしのような預言者をあなたのために立てられるであろう。あなたたちは彼に聞き従わなければならない。これこそホレブで集会の日に、『わたしが死ぬことがないように、もう二度とわたしの神、主の声をわたしに聞かせたり、この大いなる火を見せたりしないでください』と言って、あなたが、あなたの神、主に願ったことである。その時、主はわたしに告げられた、『彼らが言ったことはもっともだ。わたしは、彼らのために、彼らの兄弟たちの中から、お前のような預言者を立てて、彼らの口にわたしの言葉を授けよう。その者は、わたしが命じることをすべて彼らに告げるであろう。わたしの名によって彼が告げる言葉に聞き従わない者があれば、わたしはその者に責任を問う』」。

 

 

 

 

 

マリア・ヴァルトルタ「手記」抜粋/天使館/P103

 

 声は相次いで起こる、いや、むしろわたしは次のように言うことが出来る、の栄光を証言するために聳える聖なる建物のなかでのように、それらの声は小尖塔から小尖塔へと、キリストに先立つ預言者から預言者へと上昇し、御言葉が人間として生きているあいだに語るその言葉で最高頂にまで達し、それから幾世紀にわたって、キリストの後に来る預言者たちの口を通して小尖塔から小尖塔へと、下降する、と。

 

 

 

 

4.サンダー・シング

 

 

サンダー・シング/聖なる導きインド永遠の書/P198

 

「多くの信者はまた、イエスを預言者、人の子とみることはできても、神の子キリストとみることは出来ずにいる。わたしが力をもってふたたび彼らに啓示されるときに、初めてそれがわかるのである。」

 

 

 

 

5.デボラ

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻下P24

 

あなたが『主は決して話すことを止められない』と分かるまでに、いったいあなたはいくつのしるしと、何人の殉教者を欲しいのか?

(中略)私の言葉と私の霊が、全ての世代の人々に広まるように、私はあらゆる年令の道具をあなたたちに提供する。

 

 

 

デボラ/生ける神より明かされた英知/1巻下P74−75

 

デボラ:「お父様、何人かの神父様方は、聖書によっておおやけの啓示は終わったと私に言われました。このことについてあなたはどうおっしゃいますか?」

イエズス:「書きなさい、書きなさい、わが魂よ。『私が肉体をもって地上に生きていた限り、私はもはやしるしはないであろうと約束した。しかし、私が父の元にいる今、私のしるしは地上にあるのみでなく、それはさらに二倍、三倍に増すだろう。なぜなら父親は、自分の子どもたちを孤児にして残すことはできないからである。さらに現代は、私の存在が不可欠となる『時のうちの時』だからである。さもないと、私の敵が、今まで決して彼らのものではなかったものについてまで、所有権を獲得するからである。

 

 

 

デボラ/生ける神よりあかされた英知/1巻上P155

 

私は度々その足取りを導き、私の親密な者たちを通して示し、今もまだ示しているのに、その恩恵を拒否して私の子羊たちを散らしてしまったのは、私が選んだ牧者たち自身であった。

 

 

 

 

6.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義9372[]

 

聖言は内意では、またはそれが天界で把握されるような意義では、外なる意義における、またはそれが世で把握されるような、またはバプテスマのヨハネが教えたような意義における聖言よりは度においてまさっていることは、『天国の小さい者でも彼よりは偉大である』により意味されているのである、なぜなら天界で認められているように聖言は人間の把握をことごとく超えている程にも大いなる知恵を秘めているからである。主と主が来られることに関わる予言は、また主とその王国を表象するものとは主が世に来られたとき終わったことが『予言者の凡てと律法とはヨハネまで予言した』により意味されているのである。聖言はエリヤにより表象されたように、ヨハネによっても表象されたことは、彼が『来ることになっているエリヤ』であることにより意味されている。 

 

 

 

啓示による黙示録解説880

 

例えばイザヤ書の以下の記事から明らかである―

 

シオンのためにわたしは黙しはしない、エルサレムのためにわたしは休みはしない、

(後略)

(イザヤ62・1−4、11、12)。

 

 

 

 

7.ドレックス教授

 

 

天使館/天使のパン16号P27

 

『信仰は従順より偉大である』ドレックス教授への救い主の御言葉 

1972年10月6日早朝の主の御言葉

 

 わが唯一の真の教会は内部からの迫害に苦しんでいる。真の教会に召し出された司祭、修道者、修道女たちが自らの召命の恵みを捨て去り、彼らの良心にとって平和を見出すことが出来ないこの世俗に自らを与えている。

 私が山上の説教の中で義のために迫害される者は天国で報いを得ることを予告したことが、この時代において成就している。「わたしのために人々があなた方をののしり、迫害し、またありとあらゆる、いわれのない悪口をあなた方に浴びせるとき、あなた方は幸いである。喜び躍れ。天におけるあなた方の報いは大きいからである。あなた方より前の預言者たちも、同じように迫害されたのである。」(マタイ福音書5・11)。

欲のために羊の群れを捨て、十字架の敵となり、裏切り者となった不忠実な羊飼いについて私は貴方に語ったことがある。そのことについて、善良で、忠実な人々は悲しみ怒っているかもしれない。しかし、私が神の力と確実性をもって宣言したように、このような人々は実際は喜んで良いのである。

 この世においては、また今のような時代においては、争いがあるであろう。何故なら、ルシファーと堕天使たちが神に逆らって戦いを挑み、人々のあいだにも戦いを仕掛けているからである。しかし、善良で忠実な者たちは私と私の聖言を持っているので、決して不幸ではない。

 私は私の羊を知り、私の羊も私を知っている。弟子たちが嵐に遭って不安になった時、私は次のように言わなかっただろうか?「私が貴方たちと一緒に居るではないか」と。今の時代、このように私が貴方たちを嵐の中に置き去りにするのは、私の現存と愛の神秘の証人とするためである。

 更に、私はヨハネが人類を代表して十字架の下に佇んだ時、私は貴方たちに聖なる聖母を与えた。歴史の中で、最も暗かったその時、しかし最も憐れみに満ちたその時に、私は「貴方たちの母を見よ! この私の御母は信者すべての母であり、教会の母である」と言ったのである。この私の御母こそが争いの時、必要の時の道しるべなのである。聖母はサタンやすべての悪の力の征服者である。

 多くの聖堂で、たくさんの人々が祈っている。こうした場所から、祈りの声が父と子と聖霊へと立ち昇っているのである。すべての善良で忠実な者たちには目に見えない霊、即ち天使たちが傍に居り、聖人たちが友となり、道を照らす光となっていることに気付くであろう。それというのは、新しい異端者、無神論者、真の教会と信仰からの逸脱者などが天使の存在と影響を否定することで災厄を引き起こすからである。霊的被造物としての天使は、人間のために恵みの賜物として、また人々を助けるために御父により人間に与えられているのである。そのため、大きな力が聖ミカエルの指揮下にある目に見えない軍団である。従って、『聖なる天使の言葉』(注:ドレックス神父の著書の一つ)は、今の時代及びこれからの時代にとって重要性が高まるであろう。