聖書だけで充分か?
1.それで新しい啓示を受け入れないのです
2.聖霊を所有していないなら、聖書だけでは 不十分
3.聖書だけをもとに 神を知り理解するのは十分ではありません
4.そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように
5.聖言を聖いものとして認め、再三それを通読し
申命記4・2
あなたたちはわたしが命じる言葉に何一つ加えることも、減らすこともしてはならない。わたしが命じるとおりにあなたたちの神、主の戒めを守りなさい。
申命記13・1
あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。
黙示録22・18−19
この書物の預言の言葉を聞くすべての者に、わたしは証しする。これに付け加える者があれば、神はこの書物に書いてある災いをその者に加えられる。また、この預言の書の言葉から何か取り去る者があれば、神は、この書物に書いてある命の木と聖なる都から、その者が受ける分を取り除かれる。
1.それで新しい啓示を受け入れないのです
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/2巻P92
‘88・1・2
わが神 どこかで読んだのですが、教会が新しい啓示をなかなか受け入れようとしないのは、知るべきことがすでに聖書にすべて書かれてあるからだということです、それで新しい啓示を受け入れないのです、新しいといっても、テーマが新しいのでなく、聖書とは別だという意味で新しいので、聖書からはみ出すことを恐れています、新しい個人的な啓示は道を逸らせはしないかと考えて・・・
ヴァッスーラ 被造物が目の前で今にも敵の罠に落ちそうになっているのを見るとき、急いで助けたいと思うかわりに ただ座って落ちるのを眺めているだろうか? 安息日に水腫の人を助けたのを覚えているか? ファリサイ派の人たちに何と尋ねたか?
主よ、聖書の中を調べなければなりません。
では 私のみことばを取って来なさい ♡ (そうしました、そして調べました(*)。―ルカ14・1−6) ♡ そうだ 娘よ、私は尋ねた、「安息日に人を癒すのは 法に背いているか いないか?」 彼らは答えなかった、私は言った、「ここにいるあなた方のうちで、自分の息子や牛が井戸に落ちたときに、安息日だからといって引き上げるのをためらう者がいるだろうか?」 これに対し 今日まで彼らは答えを見出せないでいる(*)。 今日この啓示を拒む者たちにこの問いを投げかける、 ♡ 「あなたの時代に 今日の摂理によるわざによって 私たちの被造物を転落から救うことは 私の法に反するか?」 ヴァッスーラ、私はイエスであり イエスとは救い主を意味する ♡♡♡
* この一文は、私たちの時代にとって象徴的です。
皆に知らせてください 主よ、それなら皆に 主よ 今言われたすべてを思い出させて下さい。
愛する者よ 彼らは私の心に茨の冠をかぶせた、私の聖心は血を流している
イエス、皆はこのことに気づいているでしょうか?
♡ 私はそっと彼らの戸口に立ち 前触れなく家に入り 私の聖心を示す、誠実な人なら自分の誤りに気づく ♡♡ 来なさい 娘よ、「私たち」(us, we)?
はい 主よ、一致のうちに。
2.聖霊を所有していないなら、聖書だけでは 不十分
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P191
‘01.11.13
誰に対しても 厳かに尋ねよう、聖書を どうしてしまったのか? 聖書は 私を映す鏡。 どうして、聖書を知っていると言いながら、私の語り口が見分けられないのか? なぜそれほどにも簡単に 真理を否定するのか。 言っておく、今与えられている我が言葉の中で私を見分けられないなら、それはひとえに 聖霊が鍵である聖書を 知りもせず 理解もしていないため。
もし誰かがこう言う人が いたとする、 「私たちはこの預言的な啓示を必要とはしない、それに 耳を傾けたり読んだりする義務もない 聖書があれば十分で すべての知識はそこから学べる」と。 このように疑い深い者たちには 尋ねよう、「自分がどうして信じないかが分かるか そして なぜ無関心に心を閉ざそうとするのか 分かるか? その先を探し求めない理由が 分かっていようか?」 それはあなたが聖霊を持たないからで 聖霊は 闇から自らの光のうちへとあなたを甦らせ 霊魂を照らして 自らを顕している御父と御子が見えるようにして下さるはずだった。 聖霊は あなたのうちに復活の息吹を吹き込んで 活気づけ、こうして私のうちなるいのちを与えるはずだった。 死んでいる霊魂は 聖書を理解し それを実践できようか もし霊魂が生きていないとしたら?
私の肖(かたど)りを、鏡のように、映す聖書を 理解していたなら、「私にとって聖書だけで十分」とは 言わなかったであろう。 そう、我が友よ、聖霊を所有していないなら、聖書だけでは 不十分。 聖霊の光によってはじめて黙示録が理解でき そのときは聖書の、封印され 推し量りがたい神秘と見えたすべてが、知り得るものとなってはっきりしてこよう 聖霊が知識の鍵を与えてくれるゆえ ♡
3.聖書だけをもとに 神を知り理解するのは十分ではありません
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P248
‘02・9・13
聖書だけをもとに 神を知り理解するのは十分ではありません。
神を理解し知るには 神のうちに分け入る必要があるのです。
「神を味わう」と言われているのはこのことです。
そう、あなたが 我が深淵のうちで変容する必要があると同じように あなたの心の内奥で私が結晶する必要がある。
子よ、私はヤハウェ、貧しいあなたを訪れるのを悦びとする。 あなたに自由を与え 闇の谷間より引き上げて 私どもの眩しい光のうちに住まわせた。
あなたの王に仕えているのを 今悟りなさい。 我が王宮を自由に出入りできるよう、私の栄光をまとわせ、我が驚きであなたを満たしているのに 気づいていようか? 私と安らかに会話し 我が好意を喜んで受けなさい!
子どもの心をもち 英知より与えられたこれらのメッセージをどれも疑わず、これからも疑わない者たちは幸い。 この人びとは恵みに心を開き うちに我が光を招きいれた。 この霊妙な仕方で人類にご自分を顕しているお方とは み言葉を通して私とともに多くの人を真のいのちに引き戻された あなたの造り主意外のどなたでもない。
目を天に上げ もう罪を犯さないようにと勧めたのは 私。 繰り返し同じことを語っては 私自身への十全な知識を与えてきた こうして私を知ることによって 我が王国も受け継ぐように。 あなたにたいしてきつい口調で語ったことはなく、私は この世のものではない慈悲をもって、あなたを情け深く扱った。我が言葉は 聖なる書物の教えと一致する。
私を試さずにこの現実を受け入れ 我が使者を乱暴に扱わなかった人たちは幸い、預言者の報酬を受けよう。 我が使者は我が名によって語るものだと 当然以前にも聞いていたであろう 彼らを信じないで、偽者として扱い、あるいはその使命を非難さえする者たちは、彼らを通して語る私にたいして 罪を犯す。
前にも強調したように、私は 聖書に矛盾することは何も言っていない、むしろ口にした言葉は皆 すでに与えたものと調和する、だが多くの者は 我が言葉への知識のうちに十分 分け入っていないようである。もしそうしていたなら、今日の我が頌歌を見分けたであろう。 これまで与えてきた言葉と違(たが)うことのない我が頌歌に 我が肖りを見いだしたであろうに。 実に 聖書を読んだだけでは誰もこの神秘、すなわちあなたの神が語りかけており、しかもこの日々に十分生き生きと あなた方の間にいるという神秘に分け入って 理解はできない。
我が言葉の内奥へと分け入るには それ以上が必要である。 霊的知識は聖霊によって得られ 聖霊はあなたに光与えて 聖書を明かす。 夜光が消えた中で読書する人のことなど 聞いたことがあろうか? 明かりをつけて初めて言葉が見えて 読み取れる。 光がなければ何も見えず、思いを越え、すべての星座を合わせたよりも彼方におられる方 聖霊なしには、我が言葉のうちなる英知の言辞や表現は あなたにとって隠されたまま。 聖霊だけが 天からの語りかけを理解するに必要な光をあなたの心のうちに与えて下さる。 でなければ我が言葉は封印され 閉ざされたままであろう。 この愛の頌歌のうちに 多くの人が私を見いだせないわけがそこにある。
言ってきたように、聖書は 神なる私の肖りを映している、そして今日、愛深い慈しみによって与えられた我が頌歌のうちに 私が見えないとするなら、私の慈しみ深さをまだ経験したことがなく、我が甘美を味わったこともないゆえである。 あなたのいわゆる知識が 私を見えなくさせている。 心を私に開いて 単純な心で私を受け入れた人は幸い、その人は我が頌歌を 単なる言葉としてではなく、力 聖霊 および全き確信として見いだそう。 そしてつけ加えるなら、あなたにうたって聞かせる我が頌歌は それを信じる者たちの間では 生きた力となる。
私を皆が見るようにと、被造物よ、私は望む、それゆえ あなたが生まれ出たその日以来 絶え間なく我が愛を示している。 いつの日か あなたがこう言うのを聞こうか、「ご自分の計り知れない慈悲を私たちに示し その全善を味わうのをお許し下さった、神の讃えます。 私たちの心のうちにあなたの聖なるみ顔を現わして下さらなかったなら、私たちは、この世の知恵と研究だけで あなたを見いだせると信じる人たちと同じでしたでしょう。 あなたの神秘は 霊的事柄への知識があると主張し、その実 あなたを知らない博識な学者たちには、あなたの宝は 主よ 隠されています。」
霊界日記1464
私はまた世で、自分たちには聖言が在り、新しい啓示は何ら必要ではない、と単に言うのみで、天界から発して、降ってくるこれらの事柄を斥けてしまう者らとも話したが、それでもここではそれは〔新しい啓示は〕聖言の純粋な意義と理解を、信仰の性質を取り扱い、さらに他生における者たちの状態に特にかかわりのある多くの事柄を取扱っているのである。なぜなら究極の、または文字の意義における聖言は単に地獄と天界を、地獄における呪われた状態と天界における浄福とを記しているのみであるものの、その何れにも[天界にも地獄にも]無限の物が在るからであり、それで彼らはこうした知識を単に(文字の意義の中に)啓示された事柄のみから得ることが出来るという反対は無効である、なぜならたれでも、聖言の文字にのみ執着している限り、そこから何かを取り出して、それをその者自身の意見に従って解釈することが出来、多くの事柄から明白であるように、それをその者の好むままにその外的な意義において説明することが出来ることもまた良く知られているからである。1748年[60歳]3月17日。
4.そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように
ヴァッスーラ/神のうちの真のいのち/10巻P192
‘01・11・13
だが、まことに言っておく、私を進んで受け入れた者は誰であろうと、私が話している今も、祝福されている、あまりに不思議な仕方で、知識と知恵を私より受けているゆえ、それはまるで聖書を全部読んでしまったかのよう! その人自身 恵みを通して得られる聖なる霊感を自らのうちに携え 声高に話す書物となる。 こうして、我が娘よ、その人は聖書を読むとき、その字づらだけではなく、むしろ、ヴァッスーラ、あなたも経験したように、霊的な目で 内容の深い意味が見えてくる ♡
そこで、預言的任務を持ち、声高に話す書物のような我が使者たちには 反対しないように、私がこの者たちを遣わした。 聖書に含まれる以上のものは啓示しないが、あなた方にとっては 道案内。 私のうちなる真のいのちを生きるよう 新しい生き方を手引きする ♡ 人生をよりよくし 希望と慰めを与えて。私は誰であっても 悲惨な存在からカテドラルへと変えられる。
裁いてはならない そうするなら私が訪れて 我が言葉を実現しよう。 聖書は、あなたの神なる、私の肖り、だから見くびってはならない そして私を知るに遠く及ばないあなたが 聖書を知っているとは言わないように。私のヴィジョンが見えるように掟を守り、そこに述べたことを果しなさい。 我が言葉を行う霊魂は 私を知るようになろう。 そのとき、そしてそのとき初めて、あなたは決まりによってではなく 私に与って神となる。
5.聖言を聖いものとして認め、再三それを通読し
聖書61
私は多くの者とそお死後話し合うことを許されたが、彼らは自分たちは天界では星のように輝くであろうと信じていたのである、なぜなら彼らは、その言ったことではあるが、聖言を聖いものとして認め、再三それを通読し、そこから多くのものを集めて、それにより彼らの信仰箇条を確認したのであり、かくして世では学者としてもてはやされていたからである。そのため彼らは自分たちはミカエルにもラファエルにもなるであろうと信じていたのである。