主は各々の者をその者の幾多の情愛により導かれる

 

情愛

善に対する情愛真理に対する情愛

 

 

 

天界の秘義4364[2]

 

 霊的な事柄の場合も、また信仰の事柄の場合も、そうした事柄が仁慈の善に連結しつつある時も同一である。人間は、善と真理とは天界から直接に流れ入り、かくて人間の中に媒介物が無くて流れ入ってくると信じているが、しかしそれは非常な誤りである。主は各々の者をその者の幾多の情愛により導かれるのであり、かくて彼を暗黙の摂理によりたわめられるのである、なぜなら主は彼を自由を通して導かれるからである(1937、1947番)。自由はことごとく情愛または愛のものであることは前に見ることが出来よう(2870、2873番)、ここから善が真理と連結することはことごとく自由の中に行われるが、強制の中には行われないのである(2875−2878、2881、3145、3146、3158、4031番)。それで人間が自由の中に善へ導かれていると、その時は真理は受け入れられて、植付けられ、彼はその真理に感動しはじめ、かくて徐々に天界の自由へ導き入れられるのである。再生した者(即ち、隣人を愛し、更に主を愛している者)がその過去の生活を反省する時、彼は彼がその思考の多くの事柄とその情愛の多くの事柄により導かれてきたことを知るであろう。