社会を破壊しようとする欲念

 

 

ユダヤ民族

ユダヤ民族の頑なさ

憎しみ・憎悪

 

 

 

 

 

1.姦淫を行う者は社会を破壊しようとする欲念の中にいる

2.社会に属しているものを凡て破壊しようと企てることがその民族の中に内在している

3.人間はそれ自身において認められるならば、獣よりも卑しい。もし彼は彼自身の自由に委ねられるならば、彼は彼自身と凡ゆる物の破滅へ突っ込むであろう、なぜなら彼は彼自身と凡ゆる物の破壊をもたらすもの以外の何物をも欲していないから。人間の秩序は人間は自分自身のように他の者を愛さなければならないということでなくてはならない。しかし今は人間各々は自分自身を他の者よりも愛しかくて凡ての者を憎んでいる

 

 

 

 

 

 

1.姦淫を行う者は社会を破壊しようとする欲念の中にいる

 

 

天界の秘義2747

 

姦淫を行う者は社会を破壊しようとする欲念の中におり、その多くの者は残酷であり(824番)、かくて心では仁慈と慈悲に対立しており、他人の悲惨を嘲笑し、たれからでもその者が持っているものを奪おうと欲し、そのことを敢えて能う限りやってのけるのである。彼らの歓喜は友情を破壊することであり、敵意を生み出すことである。彼らの宗教的告白は、自分たちは宇宙の創造者と摂理を―しかし単に普遍的なものを承認しており、信仰による救いを承認しており、自分らには他の者以上に悪い事柄は為される筈はないことを信じているということである。しかし彼らはその心ではいかようなものであるかを点検されると―そのことは他生で行なわれるのであるが―彼らはその告白したことすらも信じてはいないのであり、宇宙の創造者の代わりに自然を考えており、普遍的な摂理の代わりに何事をも考えてはおらず、信仰についても何ごとも考えてはいないのである。このことが凡てそのようになっているのは、姦淫は善と真理とに全く相反しているためである。それでこのような者がどうして天界にいることが出来るかを判断されたい。

 

 

 

 

2.社会に属しているものを凡て破壊しようと企てることがその民族の中に内在している

 

 

(ユダヤ人について)

霊界日記2260

 

 私は或る者がユダヤ人について以下のように話しているのを聞いた、即ち、それは他の国民とは全く相違しているような国民であり、大きな事柄においても、小さな事柄においてさえも、何であれ、社会に属しているものを凡て破壊しようと企てることがその民族の中に内在しているのである、なぜなら何処であれ機縁が与えられる所には、彼らは自らを入り込ませて、秩序の法則を、即ち、社会の法律〔律法〕を破壊することにまさって他のいかようなことをも歓びはしないからである。その理由は彼らは主であるところの愛と秩序そのものに対し憎悪を抱いており、その指導者らもそうしたものである、ということである。そうしたことをまた、私は多くの経験により、事実、二年に亘る経験により教えられて、知っているのである。1748年〔60歳〕6月9日

 

 

 

霊界日記2261

 

 このような国民は陽 の下では与えられてはいない、凡ゆる地域の偶像崇拝者らでも彼らよりは遥かに善良である、マホメットはこうした国民が存在し、しかも存続することが出来たことを怪しんだのである。こうしたことを前の経験から憶い出すことは当を得たことであろう。

 

 

 

 

3.人間はそれ自身において認められるならば、獣よりも卑しい。もし彼は彼自身の自由に委ねられるならば、彼は彼自身と凡ゆる物の破滅へ突っ込むであろう、なぜなら彼は彼自身と凡ゆる物の破壊をもたらすもの以外の何物をも欲していないから。人間の秩序は人間は自分自身のように他の者を愛さなければならないということでなくてはならない。しかし今は人間各々は自分自身を他の者よりも愛しかくて凡ての者を憎んでいる

 

 

天界の秘義637[2]

 

このことがまた主が世に来られた理由であった。もし主がその神的慈悲の中に来られなかったならば、地上の全人類は滅んでしまったであろう、なぜなら教会はその時その最後の末端に達していて、いかような善も真理も殆ど生き残ってはいなかったからである。人類は天界と霊たちの世界を通して主と連結していない限り生きることが出来ない理由は、人間はそれ自身において認められるならば、獣よりも卑しいということである。もし彼は彼自身の自由に委ねられるならば、彼は彼自身と凡ゆる物の破滅へ突っ込むであろう、なぜなら彼は彼自身と凡ゆる物の破壊をもたらすもの以外の何物をも欲していないからである人間の秩序は人間は自分自身のように他の者を愛さなければならないということでなくてはならない。しかし今は人間各々は自分自身を他の者よりも愛しかくて凡ての者を憎んでいるのである。しかし獣の場合は全く異なっており、その秩序はそれに従って獣が生きているものである。かくて獣はその獣がその中に置かれている秩序に応じて生きているが、人間は全くその秩序に反して生きているのである。それで主が人間を憐れみ、天使たちを通して人間を御自身に連結させられないということが仮にもあれば、人間は一瞬も生きることが出来ないのである、しかしこのことを人間は知ってはいない。