富は、天に積みなさい

マタイ6・20

 

清廉な裕福

 

 

 

1.聖書

2.スウェーデンボルグ

3.マリア・ワルトルタ

 

 

 

 

1.聖書

 

 

マタイ6・19−21

 

 あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。

 

 

ルカ12・33−34

 

自分の持ち物を売り払って施しなさい。擦り切れることのない財布を作り、尽きることのない富を天に積みなさい。そこは、盗人も近寄らず、虫も食い荒らさない。あなたがたの富のあるところに、あなたがたの心もあるのである。

 

 

 

 

2.スウェーデンボルグ

 

 

天界の秘義10776

 

世における卓越と富とは、たとえその中に在る快楽から人間はそれを神の祝福と呼んではいても、真の神の祝福ではないことを知ることが出来よう。なぜならそうしたものは過ぎ去ってしまい、また同じく多くの者を迷わせ、彼らを天界から離れ去らせてしまうからであるが、しかし天界における生命[生活]とそこの幸福とは神的なもの[]から発している真の祝福である。このことを主もまたルカ伝に教えられている―

 

 天界に消え失せはしない宝をあなたたち自身のために作りなさい。そこでは盗人は近づかないし、しみも食いはしないからである。あなたらの宝の在る所には、あなたらの心もまた在るのである。(ルカ12・33,34)

 

 

 

神の摂理217(ロ)

 

「名誉と富とは祝福である時は霊的で永遠のものであるが、しかし呪いであるときは一時的なものであって、移ろい易い」。天界にもこの世のように名誉と富とがある、なぜならそこには政治があり、従って司政と任務とがあるから、そこにはまた商業があり、それゆえ富がある、なぜなら天界には諸々の社会と共同体があるから。全天界は二つの王国に分かれ、その一つは天的王国と呼ばれ、他は霊的王国と呼ばれ、各王国は大小無数の社会に分れ、その社会の凡てはそこに住む人々と共に、愛の相違に応じ、従って知恵の相違に応じ、排列されている、即ち天的王国の共同体は天的愛、即ち主に対する愛の相違に従って排列され、霊的王国は霊的愛、即ち隣人に対する愛の相違に従って排列されている。このような諸々の共同体があり、そこに住む者は凡てこの世の人間であったのであり、それゆえ世で持っていた愛を保有しているため(彼らは今は霊的であり、名誉と富とは霊的王国では霊的であり、天的王国では天的であるとの相違はあるが)、他の者よりも偉大な愛と知恵とを持つ者は更に偉大な名誉と富とを受け、世の高貴と富とが祝福となっていた者であることが推論される。このことから霊的な名誉と富とは任務に属し、人物に属さないことを認めることが出来よう。そこに高貴な地位にある人物は実に地上の王の壮麗に似た壮麗を以て囲まれているが、しかし彼らは高貴そのものを何ら顧みず、ただその司って、遂行している用のみを顧みるに過ぎない。彼らはその地位に属する名誉を受けるが、それを自分自身に帰さないで、用に帰している。そして用は凡て主から発しているため、彼らはその用の起原である主にその用を帰している。それ故こうしたものが永遠の霊的な栄誉と富である。しかし世の名誉と富とが呪いとなった者の実情は異なっている。彼らはそれを自分自身に帰して、用に帰することをせず、用が彼らを支配することを欲しないで、彼らが用を支配することを欲し、用が彼ら自身の名誉と栄光とに役立つ時にのみ、用を用として認めたため、地獄におり、そこに侮蔑され、貧に苦しんで、共有の奴隷となっている。さてこの種の名誉と富とは消滅するため、それは一時的なものであり、移ろい易いものと呼ばれる。この二つの部類の者について主は以下のように教えられている、『自分のために地で宝を貯えるな、そこでは虫と錆とが腐らせ、盗人は破って入り、盗むのである、自分のために天に宝を貯えよ、そこでは虫も錆も腐らせず、盗人は破って入って、盗みもしない、あなたたちの宝のあるところには、心もまたあるからである』(マタイ6・19−21)。

 

 

 

天界の秘義10227

 

黙示録講解  173

 

 

 

天界と地獄467

 

 

主に対する愛と隣人に対する仁慈にいる者たちは、世に生きている間に、己がもとに、また己が中に天使の理知と知恵とを持っているが、しかしそれは彼らの内なる記憶の最も深い所に貯えられている。彼らが身体に属したものを脱ぎ捨て、自然的な記憶が眠りに就き、彼らが目覚めて、内なる記憶に入り、その後続いて天使の記憶とそのものの中へ入らない中は[彼らの内なる記憶に貯えられた]その理知と知恵とは彼らからは全く見られることはできない。

 

 

 

 

3.マリア・ワルトルタ

 

 

マリア・ヴァルトルタ/私に啓示された福音/2卷P520/127・7

 

わたしは言います。『心は宝のあるところにあり、宝は心のあるところにある、したがって宝は心にあります』と。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/聖母マリアの詩 上/P164

 

神との友情、信者の幸福は、他のどんな富にも比べられないもので、その富を持っている人は、いつでも孤独ではなく、絶望、落胆の苦さを感じることがありません。しかし聖なる友情よ、あなたは苦しみを皆無にするのではありません。苦しみは肉体となった神のはからいで、人間の運命でもありうるからです。

 

 

 

マリア・ワルトルタ/手記/P37

 

 わたしに結ばれていなさい。わたしのうちには正義と平和と愛がある。ほかの教説を探し求めてはならない。福音を生きなさい。そうすればあなたたちは幸せになるだろう。わたしによって生き、わたしのうちに生きなさい。あなたたちは肉体的な大きなよろこびは味わわないだろう。わたしはそんなよろこびは与えない。真のよろこびを与える。それは単なる肉のよろこびであるだけでなく、わたしが授け、承認し、共有するのを拒まなかった霊魂のよろこび、誠実で祝福された、聖なるよろこびである。

 家族、子供たち、清廉な裕福、穏やかに栄える祖国と、兄弟たちとの国々との好ましい調和。こういったものをわたしは聖なるものと呼び、祝福する。それらによってあなたたちは健康をも享受する。なぜなら誠実に生きられる家庭生活は肉体に健康を与えるからだ。それらによってあなたたちは心の平静を得る。なぜなら誠実に行われた取引や職業は良心の安らぎを与えるからだ。それらによってあなたたちは祖国と国々の平和と繁栄を得る。なぜなら同胞や隣国の人々と好ましい調和のうちに生きることによって、あなたたちは怨恨と戦争を避けるからだ。