正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。

ルカ10・28

行う生活によってのみ行われる

心を尽くし、精神を尽くし(マタイ22・37)

 

 

 

ルカ10・25−28

 

 すると、ある律法の専門家が立ち上がり、イエスを試そうとして言った。「先生、何をしたら、永遠の命を受け継ぐことができるでしょうか。」イエスが「律法には何と書いてあるか。あなたはそれをどう読んでいるか」と言われると、彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」イエスは言われた。「正しい答えだ。それを実行しなさい。そうすれば命が得られる。」

 

 

 

真の基督教286

 

 律法と預言者は聖言の全部を意味する。そして他の個所に「或る教法師イエスを試みて言ふ、師よ、われ永遠の生命を嗣ぐためには何をなすべきや。イエス言ひたまふ、律法に何と録したつか、汝如何に読むか。かれ答へて言ふ、汝は心を尽し、魂を尽し、力を尽し、汝の思を尽して主たる汝の神を愛すべし、また己のごとくに汝の隣人を愛すべし。イエス言ひ給ふ、これを行へ、さらば生くべし」(ルカ10・25−28)。さて、神を愛し、隣人を愛することは聖言の全部であり、且つ十戒の第一の板は神を愛することに係わる凡ゆる物の大要であり、第二の板は隣人を愛することに係わる凡ゆる物の大要である為、十戒は教義と生活に係わる凡ゆる物を含むことが推論される。この二枚の板は互に関連し、神はその板から人間を見そなわし、人間はその板から神を仰ぎ見、それ故それは相互的なものである。神は人間を見そなわし、人間の救いにかかわる凡ての事を為すことを決してとどめ給はない。而して、若し人間はその板の上に記された律法を受け入れ、之に従うならば、相互的な結合が行われ、主の教法師に対する言は実証されるのである。「是を行へ、さらば汝は活くべし。」