アグレダのマリア

(1602〜1666)

 

『神の都市』

甲斐睦興 訳

昇る旭日の聖母会 監修・発行

尊者 アグレダのマリアの記録

 

 

アグレダのマリア 神の都市.1

アグレダのマリア 神の都市.2

アグレダのマリア 神の都市.3

 

 

 

 

(本の冒頭の言葉)

神の神秘的な都市

 

神の御母の

尊者アグレダのマリアによる記録

 

G・Yブラッター神父による英語からの抄訳

 

神の神秘的な都市

 人を励ますためにアグレダのマリアに示された、神の母なる乙女の神聖な

生涯と生活の理解し易い平易な抄訳(原著スペイン語からの英訳)

 

 

 

P9

 アグレダのマリアの列聖手続きは、スペインの司教たちや教会の他の有力者たちにより、1666年の彼女の死後すぐに始められた。現在に至るまで尊者の称号が与えられ、列福への道を確保するになった。彼女の著作を敬い、彼女の聖なる生涯を知り、彼女の墓の前の奇蹟を知った信心深い有力者たちの中から、列福推進者を神が任命するよう我々は希望している。

 レデンプトール会神父たちは、1885年、新しいドイツ語訳を出版したが、ラティスボンの司教により次のように認可され、高評を受けた。

「スペイン語の原著『神の都市』著者のイエズスのマリアに教会の認可を喜んで与える。全読者の品性を高め、大いなる霊的祝福を与えるであろう本書を推薦する。」

ラティスボンに於て 1885年9月29日

ラティスボンのイグナチオ司教

 

 

 

 

1.主こそ神

2.人となられた神

3.主こそ御父御自身

4.主こそ天地の創造主

5.主こそ救い主

6.死

7.永遠の地獄

8.主の卑下の状態

9.お前たちがそうだと言う

10.我が神よ、何ぞ我を見棄て給うや?

11.聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません

12.悪霊たちの姿

13.聖母は蛇の頭を踏み砕く

14.なぜ主はマリアを焼き尽くすことがなかったのか

15.聖母の謙遜

16.聖母の智慧

17.理解できても言葉で言い表せない

18.マリアは汝を愛する母、相談相手、女主人、保護者、そして女王

19.先生

20.聖母のご奉仕

21.戦闘の教会

22.神の都市

23.聖母の感謝

24.分配者

25.聖母は平伏される

 

 

 

.元后の御言葉

 

 

 

 

1.主こそ神御自身

 

 

P141

 

御母の最も忠実な夫は言いました、「我が妻よ、神の御前には天の柱も震えます。無価値の私がどのようにして神御自身を抱けるのでしょうか?」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P161

 

御母は麻のような強い糸で靴を織り、幼児の神に履かせました。

 

 

 

 

2.人となられた神

 

 

P136

神は乙女の胎を破ることなく、太陽光線が水晶の神殿を貫くように突き抜けたのです。

幼子の神は、出産以前に自分の身とした身体がありました。至聖なる神の霊魂は、御誕生に於て身体全体から溢れ出し、神々しい変容を示したことは、タボル山で使徒たちの面前で変容された(マテオ17・2)のと同じです。

 

 

 

P140

ベトレヘムの門の近くで天使たちが人となられた神の誕生を祝った後、何位かの天使たちはこのニュースを聞く耳を持つ人たちに知らせに出かけました。

 

 

 

 

3.主こそ御父御自身

 

 

P137

とても多くの秘儀を受け、神々しくなった最も賢い御母は答えました、「永遠の御父、高められた神、主、宇宙の創造主、諸国民の渇望せる御方を私の腕に抱くための許しを私に下さい(ハガイ2・8)」

 

 

 

P141

御母の最も忠実な夫は言いました、「我が妻よ、神の御前には天の柱も震えます。無価値の私がどのようにして神御自身を抱けるのでしょうか? 私は塵で灰です。貴婦人よ、私をましな者にする恩寵を神に頼んで下さい。」聖ヨゼフの目からうれし涙がぽろぽろ流れました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P202

 

苦痛よ、我に来たれ。汝が我が人性を痛め尽すを許さん。真の神、創造主なる御父が、恥辱、十字架の拷問と惨めさの限りに苦しめる様をアダムの子らが見るならば、これまでの思い違いに気付き、十字架に掛けられし神に従うを名誉となさん。

 

 

 

P233

我らの最愛なるイエズスが山頂に着かれた時は、疲労困憊し、傷だらけ、引き裂かれ、腫れ上がり、見る影もない有様でした。今や救いの神秘が完うされることを感知した聖母は、永遠の御父に祈られます。「私の主なる永遠の神よ、御身は御独り子の御父であられます。御子は永遠に生まれ、真の神、御身御自身でおられます。私の胎内より人間となられ、その人性の故、今、御苦しみになられます。私は御子に乳を含ませ、育て、母として愛しますが、今、母としての権利を御身に御返しし、御子を人間の救いのための犠牲として捧げます。」

 

 

 

 

4.主こそ天地の創造主

 

 

P137

とても多くの秘儀を受け、神々しくなった最も賢い御母は答えました、「永遠の御父、高められた神、主、宇宙の創造主、諸国民の渇望せる御方を私の腕に抱くための許しを私に下さい(ハガイ2・8)」

 

 

 

P141

羊飼いたちが帰った後、御母は御子を聖ヨゼフの腕の中に渡しました。渡す方も受け取る方も跪いたままでした。御母は言いました、「私の夫、私の助け手、天地の創造主を受け取り、私の主なる神と共に喜んでください。」

 

 

 

P204

御母は御子の足許に平れ伏し、答えます、「主なるいと高き神、創造主、御身は私より生まれた御子でございますが、私は御身の婢です。御身が御降りになったことで、私は塵から御身の母に高めて頂きました。」

 

 

 

 

5.主こそ救い主

 

 

P141

羊飼いたちは地面に平伏し、真の神・人である神、人類の救い主を拝みました。

 

 

 

 

6.死

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P344

 

 死は命の延長であり、命の状態と一致しますから、良き死の最も確かな保証は、良き生活です。つまり、この世の愛から心を離して重い鎖から解き放たれて生きることです。原罪の影響から自由になり、生きることです。情欲の重荷や足枷を棄てて生きることです。

 

 

 

 

7.永遠の地獄

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P350

 

死ぬべき騙された人々よ、何をしていますか。何のために生きていますが。私たちの人生の目的は神に面と向かって会うこと、神の永遠の光栄および神との交わりであることを実感していますが。何を考えていますか。誰があなたの判断を邪魔したり励ましたりしていますか。もし、あなたがこの本当の祝福と幸福を逃すなら、何を求めますか。この世の苦しみは短く、その報いは無限の栄光です。罰は永遠です。

 

 

 

 

8.主の卑下の状態

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P161

 

御子の人性が神性を敬い、愛し、讃えるという心の中の行為を感知したのは御母だけの特権です。例えば、御母の目の前で御子イエズスは泣き、血の汗を流しました。ゲッセマニの園でそのように苦しまれる前、何回も苦しみました。御母はその苦しみの原因がよく判りました。つまり、人々が滅びたこと、創造主と救世主の恩恵を感謝せず、主の無限の力と善の御業をその人たちが棄ててしまったことです。また御母は、御子が天の光で輝き、賛美歌を歌う天使たちに囲まれているのを見た時もあります。このような不思議なことは、御母だけが目撃したのです。

 

 

 

 

9.お前たちがそうだと言う

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P222

 

祭司たちは言います、「では、汝は神の御子だな。」主は御答えになります、「お前たちがそうだと言う。」この御答えにより、主は次のように言われているようです、「お前たちは全く正しい考えに到達した、私が神の御子であると。私の事業、私の教義、お前たち自身の聖書、並びにお前たちが今私に対してしていることは、私がキリスト、律法により約束された御者であることを証明する。」

 しかしながら、悪人たちの会議は、自分たちの結論を真理に対する同意と信仰ではなく、死に値する涜聖であると解釈したのです。主の御言葉を聞いて彼らは叫びます、「これ以上の証言が必要であろうか。自分で涜聖の言葉を吐いているではないか。」すぐに全員一致して主を死刑囚として、ローマ皇帝から任命されたユダヤ地方の総督ポンシオ・ピラトの役所に連行することにしました。

 

 

 

 

10.我が神よ、何ぞ我を見棄て給うや?

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P237

 

 時は第九時近くとなり、天地は暗くなり、荒れ狂う様子を見せます。主は大声で叫ばれます、「我が神よ、何ぞ我を見棄て給うや?」(マテオ27・46)。この御言葉はヘブライ語でおっしゃるので、理解できない人たちもいます。「エリ、エリ」で始まるので、預言者エリアを呼び出しているのかと思います。主の御悲しみは、全人類を救いたいのに、咎められる者たちの幸福を与えられないということにあります。

 主の聖心のお苦しみは御体の御苦しみとなります。「我、渇く!」アダムの子孫たちが、主の功徳によりもたらされた赦しと自由を受け取るよう渇望しておられますが、大勢の者たちがこの恩寵をないがしろにしています。聖母は御子に御心を合わせ、貧乏人、困窮者、下賎の者、忌み嫌われた人たち全員が救世主のところに集まり、主の渇きを少しでも癒して欲しいと呼びかけます。しかし、不信なユダヤ人たちや処刑役人たちは頑固です。肝を酢に漬けたものに海綿を浸し、葦の枝の先にその海綿をさし、嘲りながら主の口許に持っていきます。「私の渇きのため、酢を飲ませようとした」(預言者9・29。詩篇69・229がダビデの預言の成就を物語ります。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P245

 

 第四の御言葉、「神よ、我が神よ、何ゆえ我を見棄て給いしか?」を聞いた悪魔たちは、主の人類に対する愛が永遠無限であると判ります。神は人類の救いのため、主が極度に苦しまれることを許されます。主は人類の一部が救われないことを予知し、残念に思います。もしも、その反抗的な人々さえも救われるならば、主はもっともっと苦しみたいのです。主の人間に対する愛の故に、ルシフェルたちは嫉妬で気が狂い、神の愛に対して無力であると感じます。

 

 

 

 

11.聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P313

 

 ルシフェルと悪魔たちは、聖母が海に沈み、決して助からないと脅迫し続けます。しかしながら、恐ろしい脅しは的を外れた矢のようなものです。聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません。彼らは、聖母のお顔からいと高き御方の徳が輝いているのを一瞥すらできません。この徳を打ち負かそうとすればするほど、彼らはもっと弱くなり、徳という武器により苦しめられます。

 

 

 

 

12.悪霊たちの姿

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P314

 

聖母が地上よりはるかに高い空に来られた時、全能の主はルシファーと部下全員を女王の前に召喚しました。全員がそろうやいなや聖母はご覧になり、ありのままに彼らを知り、どんな状態にいるのかもわかりました。悪霊たちは嫌悪すべき姿をさらけ出したので、見るに耐えませんでした。

 

 

 

 

13.聖母は蛇の頭を踏み砕く

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P314

 

主は彼らに、敵として迫害しているこの「女」の偉大さと優越さを理解させます。聖母に対抗しようとする馬鹿さ加減を認知することになります。もっと恐ろしいことは、聖母が御胸の中に秘蹟にこもられたキリストを抱いておられることです。神が聖母を抱き、悪魔たちを辱め、投げ飛ばし、滅ぼす、神の全能の中に聖母を包んでおられることでした。悪魔たちに神の御声が聞えます、「不敵で強力な我が腕が支えるこの盾により、我は我が教会を絶えず守る。この『女』、古代の蛇の頭を踏み砕き、蛇の厚かましい誇りに打ち勝ち、我が御名に誉れを帰するなり。」

 

 

 

 

14.なぜ主はマリアを焼き尽くすことがなかったのか

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P88

 

 神の幻視の日が近づいてくるように聖マリアは思いました。見えない火に焼かれましたが、ただ照らされているだけでした。天使たちに尋ねました、「私の友だち、教えて下さい。今、夜の何時ですか? 全てを照らし、生かす正義の太陽はいつ上りますか? 」 天使は答えました、「いと高き御方の浄配、汝の望む光と真理は近くに来ています。」この時、天使たちの姿が見えました。以前のように視覚に頼らず見えます。天使たちは聖マリアに光を当てました。光は以前、仕事や不安で興奮していた聖マリアの心を鎮めるためでした。新しい恩恵により、この天の元后の能力は更に高められました。その時、神は御姿を現わしました。このイメージは直感的ではなく抽象的で鮮明でした。聖マリアは愛すべき御方の腕に抱かれ(雅歌8・5)、高みを目指す鷲が元気を得たように、神の侵すべからざる神の領域に飛び立ち、全人類の到達し得ない高見に達しました。この幻視により、聖マリアは神の奥義を知り、神に告白し、神を礼拝しました。神を知れば知るほど、聖マリアはもっと謙遜になりました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P118

 

 聖マリアはいと高き御方の命令に従い、以前の習慣の通り真夜中に起き上がり、神の神秘を何時間も黙想しました。眠る時間もとり、自分の体調に合わせました。仕事と休息を続けながら、新しい恩恵、啓示、高揚や愛を主から受けました。この三か月間、神の幻視を何回も見ました。降臨により人性と一致した御言葉の幻視が一番多くありました。聖マリアに示された秘儀により、この高揚された貴婦人の霊魂は広大にふくらみました。主の御力によって強くならなければ、愛の激しさのため、何回も聖マリアは燃え尽き果てたかもしれません。

 

 

 

 

15.聖母の謙遜

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P84

 

 悪魔なる龍は、聖マリアの勇気と誠実を知り、神の御助けを感じながらも、私たちの至上の隠れた知恵や賢慮について何も知りませんでした。それにも関わらず、誇り高い龍は神の国を攻撃しました。それはダイヤモンドの城壁を蜂の針が突くようなものでした。私たちの王女はあの強い女でした(箴言31・11)。彼女の飾りは堅忍でした(箴言31・25)。置き場は純潔と愛徳でした。汚い高慢な蛇はこの御方に対し、怒り狂い、殺そうとして大軍を率いて死力を尽して攻めましたが、失敗しました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P88

 

 神の幻視の日が近づいてくるように聖マリアは思いました。見えない火に焼かれましたが、ただ照らされているだけでした。天使たちに尋ねました、「私の友だち、教えて下さい。今、夜の何時ですか? 全てを照らし、生かす正義の太陽はいつ上りますか? 」 天使は答えました、「いと高き御方の浄配、汝の望む光と真理は近くに来ています。」この時、天使たちの姿が見えました。以前のように視覚に頼らず見えます。天使たちは聖マリアに光を当てました。光は以前、仕事や不安で興奮していた聖マリアの心を鎮めるためでした。新しい恩恵により、この天の元后の能力は更に高められました。その時、神は御姿を現わしました。このイメージは直感的ではなく抽象的で鮮明でした。聖マリアは愛すべき御方の腕に抱かれ(雅歌8・5)、高みを目指す鷲が元気を得たように、神の侵すべからざる神の領域に飛び立ち、全人類の到達し得ない高見に達しました。この幻視により、聖マリアは神の奥義を知り、神に告白し、神を礼拝しました。神を知れば知るほど、聖マリアはもっと謙遜になりました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P96

 

隣近所の人たちには聖ヨゼフが会っていましたから、聖マリアを知る人は少なく、その中でも少数の人たちが聖マリアと話しました。聖マリアと話せた幸せな人々は、聖マリアの神々しさに満たされ、聖マリアから来る光が自分たちを照らすことを表現しようとしました。聖マリアはそのことに気づいており、そのような光を照らさないように主に願いました。人々から忘れられ、蔑まれることを願いました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P98

 

第一日目の最後に聖マリアも地球の土から造られ、土に戻る人たちと同じ性質があることを教えましたが、聖マリアが土に戻るとは言いませんでした。この深遠な知識を与えられ、無の深い底にまで聖マリアは自分を低め、あらゆる惨めさを背負うアダムの子孫たちよりももっと自分を低めました。聖マリアの心の中に深い溝ができ、この溝が建物の基礎になるのです。この建物は神性が人性に降臨する所になります。神の母の威厳が限りないので、聖マリアの謙遜も相応して限りないことになります。徳の頂上に達しながらも、聖マリアは自分をそれほど遜らせたので、主はお喜びになり、おっしゃいました、「我が浄配なる鳩よ、人類を罪より救うという我が希望は強い。我が救済の降臨の時は待ち遠しい。この希望の成就のため、絶えず我に祈れ。平伏し、汝の熱願を中止するな。御父の御独り子の御受肉を我に願え。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P104

 

 いと高き御方は御自身の傑作である聖マリアを見て有頂天になったかのようにおっしゃいます、「私の浄配、私の最も完全で最も愛らしい鳩、我らの所に来なさい。汝は人間から産まれたから私は人間を創造したことを喜びとする。汝を我が浄配、全被造物の女王として選んだ理由が天使たちも良く判るであろう。我が独り子の光栄の母体となる我が花嫁が私の喜びであることを良く判るであろう。地救の最初の女王エワを不従順の理由で私が罰したのと反対に、至純な謙遜と自己卑下の聖マリアに最高の威厳を与えることも良く判るであろう。」

 至聖なるマリアの準備の最終段階は、新しい性質、習慣と品格に於て、神の生ける姿に近くし、永遠なる御父と本質的に同じ永遠なる御言葉が入る鋳型となるためです。従って、至聖なるマリアという神殿はソロモンの神殿よりももっと美しく、純金で覆われ、神からのものに輝いています。御子の御母は可能な限り御父に似ています。私が全く驚嘆するのは、この天の御方の謙遜であり、この謙遜と神の御力の間の競争です。聖マリアは、神によりますます高く揚げられ、神の次の高みに達すると、自分をますます卑下し、最も下級の被造物の下に自分を置きます。全能者が聖マリアの謙遜に注目し(ルカ1・48)、全人類が「めでたし聖マリア」を唱えるべきです。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P118

 

 手仕事の間も心の中で主にお願いし続けました。偉大なる女王は、先駆者聖ヨハネの産着や布団を縫いました。母である聖エリザベトは、この幸運を我が子のために謙遜に頼んだのです。聖マリアは驚くべき愛と謙遜で従姉妹の聖エリザベトに従いました。謙遜さに於て聖マリアは誰にも負けませんでした。永遠の御言葉の教えを実践したのです。御子は真の神でありながら僕になり(フィリッピ2・6)、聖マリアは神の御母、全被造物の女王でありながら、最も低い人間の召し使いになり、生涯、召し使いで居続けました。この天の物語は、我々の誇りに対する戒めです。私たちは世間の評判を気遣い、理性をほとんど全部なくします。世間から名誉を受けなくなると、理性を完全に失い、気違いになります。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P340

 

聖ぺトロの許可を得た後、長椅子を離れ、聖ぺトロの前に跪き、申されました、「私の主人、全宇宙の司牧者である聖なる教会の頭に、私は私的公的祝福を下さるようにお願いします。私は生涯にわずかな奉仕しかしませんでしたので、この婢をお許し下さい。聖ヨハネが私の着物や二着の上着を、私の世話をして下さった二人の婢に与える許可を下さい。」平伏し、キリストの代理者としての聖ぺトロの足に接吻し、たくさん涙を流し、使徒たちやそばにいる人たちに涙以上の感嘆を起こさせました。

 

 

 

 

16.聖母の智慧

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P97

 

たくさんの秘密が私たちの女王に明らかにされましたが、我々は知り得ないことです。(中略)御独り子をこの世に送り、人類を救って下さるように熱願しました。この熱願は神と聖マリアを結ぶ真紅のレースとなりました。御独り子が宿る神殿を準備するため、全能者の全ての御業について、この選ばれた御母に教えました。第一日目は、創世記に記された第一日目の創造について教えました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P99

 

 第三日目、聖マリアは創造第三日目の様子を勉強しました。天に下に水があり、一か所に流れ集まり、乾いた土地が出てきました。地が新鮮な薬草や果物の木を種子から生み出しました。海の広さ、深さや流れも聖マリアは理解しました。どのようにしてこれら全てが人間の役に立つかも判りました。聖マリアの理解はアダムやソロモンの理解よりももっと明瞭です。医学の最高専門家も、聖マリアに比べると無知に等しいのです。至聖なるマリアは、見えないもの全てを知ったからです(智恵の書7・21)。

 

 

 

 

17.理解できても言葉で言い表せない

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P64

 

いと高き御方は私に説明なさいました、「神人の母となられるべき御方の業は完全そのもので、全人類、全天使たちがいくら考えても理解できないものである。彼女の内的徳行は大変貴く、セラフィムができる全てに勝る。汝は理解できても言葉で言い表せない。この世の巡礼に於て至聖なるマリアを汝の喜びの第一番としなさい。人間的なもの、見えるもの全てを諦め棄てる荒れ野の旅の間、マリアについて行きなさい。汝の力と才能の限りを尽くしてマリアを模倣しなさい。マリアを導きの星、監督にしなさい。マリアは汝に我が意思を伝え、御手によってマリアの心に書かれた聖なる律法を見つけなさい。マリアが取り次によりキリストの人性という巌を打つ(民数20・11)と、恩寵と光の水がほとばしり出てきて、汝の乾きを癒し、理解を深め、意志を燃え立たせるであろう。マリアは汝の行く手を照らす火の柱(出エジプト13・21)であり、情欲の熱さや敵の猛攻に打ち勝つ陰と憩いを与える雲である。」

 

 

 

 

18.マリアは汝を愛する母、相談相手、女主人、保護者、そして女王

 

アグレダのマリア/神の都市/P64

 

「汝はマリアを通して、汝を護り、導き、バビロンやソドムの危険から救い出す一位の天使を受け取るであろう。マリアは汝を愛する母、相談相手、女主人、保護者、そして女王である。御独り子の母が神殿で修行した功徳の中に、最高で完全な生活の要約を見るであろう。すなわち、マリアの本当の姿、童貞の美、謙遜の愛らしさ、即座の献身と従順、堅固な信仰、確信ある希望、愛の火と御手の御業の表現を見るであろう。この規則に従い、汝の生活を整えなさい。この模範の鑑により、生活を飾りなさい。汝の配偶者なる主の部屋に入る花嫁の美と優雅さに付け加えられるべきである。」

 

 

 

 

19.先生

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P65

 

「先生の崇高性が生徒たちに拍車をかけ、教義を受入れ易くするとしたら、汝の配偶者の御母に勝る先生は他にいない。この崇高な女主人の言うことを聞きなさい。マリアをよく模倣しなさい。マリアの崇むべき諸徳を絶え間なく黙想しなさい。マリアの隠遁生活の言動は、マリアの後で修道院入りした者たち全員の模範である。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P69

 

聖マリアは祭司長、預言者、使徒、殉教者や世の終わりまでキリストの教義を信じる者たちを初めとし、全人類の先生です。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P177

 

今日から私を先生にしなさい。何事もする前に、母であり先生である私に相談し、許可を願いなさい。私の返事を聞いたらすぐに主に感謝しなさい。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P322

 

聖母は聖ヨハネを祝福し、聖ヨハネを生涯守ることを約束し、天にお昇りになりました。聖母が神の知識と神の知的幻視により高められるにつれ、教会に対する世話と気配りも多くなりました。日々、信仰は地上に広がりました。真の御母なる先生として、使徒たちのことを心から気遣いました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P329

 

聖母が教会の中で保っておられる全ての義務と称号、すなわち、元后、女主人、御母、女監督、先生(教会博士)は、全能者より与えられたもので、意味もない名前ではなく、恩寵の山を意味し、全能者がその一つ一つの恩寵を名指しされるのです。この豊富さは次のようになります。元后としての聖母は、統治権とその領域を全て御存知です。女主人として権力の大きさを知っておられます。御母として、教会の終わりまでの全時代における教会員全員、一人の例外もなくよく覚えておられます。女監督として、聖母に従う者全員をお知りになっています。先生として、聖母の御取次ぎにより、聖霊の御導きにより、聖なる教会を教え、案内すべき智恵と知識を備えておられます。

 

 

 

 

20.聖母のご奉仕

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P268〜

第11章

使徒たちの説教。マリアの改宗者たちへの世話

 

 

 

 

21.戦闘の教会

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P197

 

聖ぺトロはキリストの代理者、戦闘の教会の頭になることになっていましたし、聖ヨハネは主の御受難の後、主の代わりに御母の世話をすることになっていました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P242

 

「正しい選ばれた者たちは、罰せられるべき者たちや悪魔たちの上に立ち、私の敵たちを怖がらせ、従わせる。理性的、非理性的被造物の主人となる。天、惑星や星、また地、地上の自然や動物は選民たちを大切に扱い、生命を与える。私の所有物であり、私に仕える被造物全部は彼らのものであり、彼らを私の子供たちとして大切にする(1コリント3・22.智恵16・24)。彼らの祝福は天の露となり、地の果物となる(創世記27・28)。彼らは私の喜びである。私は彼らに私の秘密を教え、話し合う。戦闘の教会に於ては、パンと葡萄酒の形色の中で彼らと共に生きる。永遠の幸福の相続者として認め、天国に於て私と共に喜ぶようにする。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P260

 

御母がそのまま留まり、地上に戻らないことにするか、または、一旦戻るか、御母御自身が決定することになりました。そのため、御母は地上の戦闘の教会の様子を御覧になります。信者たちが孤児になっていることを見て、主が地上で人々のために尽したことを思い浮かべ、玉座から降り、聖三位の御足許に平伏して申し上げます、「永遠全能なる神にして我が主よ、御親切に私に下さる報いを今受け取りますことは、私の安息の保証になりますが、地上に戻り、アダムの子らや教会の信者たちに働きますことは御身の聖旨に叶い、地上に追放され、旅している私の子供たちのためになると思います。私は労働し、人類に対する御身の愛のために苦しみたいと思います。私の主よ、この犠牲を受入れ、私を助けて下さい。御身への信仰が広められ、御名が崇められ、御身の教会が大きくなりますように。御独り子と私の血により教会は建てられました。御身の光栄と霊魂の獲得のため、もう一度働きたいと思います。」主は御喜びになり、御母に浄化と啓示を下さいました。至福の幻視と天の賜物は、人間には想像できません。

 

 

 

 

22.神の都市

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P197

 

聖ぺトロはキリストの代理者、戦闘の教会の頭になることになっていましたし、聖ヨハネは主の御受難の後、主の代わりに御母の世話をすることになっていました。使徒たち全員が御母に対して献身することは、私たちの理解力を越えます。福音史家聖ヨハネは、神の都市である御母の神秘にもっと深く立ち入り、御母を通して神の啓示を他の使徒たち以上に受けました。受けたままに聖書に書いたのです。聖ヨハネは純潔の他に、鳩のような単純さ、優しさ、謙遜と柔和の諸徳も備えていました。柔和で謙遜な者は御子を一番良く見習う者ですから、聖ヨハネは御母から一番愛される使徒となりました。聖ヨハネも御母に一層の愛情を持って仕えました。主に召し出されて以来、一貫して聖ヨハネは他の使徒たちよりももっと良く御母に仕え、時々、奉仕の競争を天使たちと共にしました。一方、御母は謙遜に励み、諸聖人・諸天使以上に謙遜でした。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P271

 

これらが福音の教会の幸せな始まりであり、黄金時代です。教会は神の都市とも呼ばれ、新しい楽園でもあります。この楽園の真ん中にある生命の木が聖母です。当時、信仰は生き生きとしており、希望は堅く、愛は熱く、誠実は純粋で、謙遜は真で、正義はもっとも公正であります。信者たちは貪欲も虚栄もなく、所有欲、誇り、野心もありません。

 

 

 

 

23.聖母の感謝

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P336

 

諸天、諸惑星、恒星、自然とその他全ての被造物に私は感謝致します。御旨のままに被造物は功徳の無い私を養ってくれました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P340

 

次に聖ヨハネのもとに行き、跪き、申されました、「私の息子、私の主人よ、主が十字架からあなたを私の息子として、私をあなたの母として任命されたのに、私は母としての義務を遂行できなかったことを許して下さい。あなたが息子として示して下さった御親切を心より感謝申し上げます。

 

 

 

 

24.分配者

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P288

 

 いと高き御方は聖母の御手の中に教会を置かれましたから、聖母は教会の御母、支配者と君主となられております。聖母は、高い聖人から低い聖人まで、エワの子孫である罪人も含め、全員のお世話をなさいます。御子から祝福や恩恵を頂く者は御母の手を通して頂くのです。聖母は最も忠実な分配者であり、御自分の家族の全員を良くご存知で、全員を御守りになります。使徒たち、弟子たちが布教する時、御母も御一緒です。聖母は御自身の助力を送られるか、天使たちに頼まれるか、または御自身その場にお出かけになります。聖母は人々を幻視にいよりご覧になられただけではなく、絶えざる神の幻視を生涯中お喜びになられました。幻視の間中、聖母は全能力を保有しておられ、自由に駆使することができました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P352

 

この全てを総覧し、我らは御身を我らの富の保管者、我らの財産の会計係、我らの恩寵の分配者に任命する。我らが世に与えたいもの全ては、御身を通して与えられる。御身の与えたいものを我らは決して反対すべからず。天地のおける恩寵の拡散は御身の御口の命令による。いづこにても天使と人間は御身に従うべし。我々の所有せるもの全ては御身のものなり。御身は常に我らに属せるが如く、御身は永遠に我らと共に統治すべきなり。

 

 

 

元后の御言葉

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P323

 

元后の御言葉

 私の親愛なる娘よ、いと高き御方の司祭を畏敬、尊敬しないベリアルの娘たちから離れなさい。司祭、主により聖別された者、キリストを代表する者、キリストの御体と御血を聖別する者が、悪徳、不純、現世的女たちに仕えることは何ということでしょうか? 貧乏人の司祭は金持ちの司祭よりも威厳がもっと少ないですか? 私の御子が司祭や司牧者に与えるものよりも、金持ちはもっと多くの威厳、権力、優秀さを与えるでしょうか? 天使たちは司祭の高められた威厳を尊敬します。

 司祭が自分の威厳を忘れ、他の人たち、特に女たちに奴隷奉公するなら、司祭は大変罪深く、批難されるべきです。司祭が貧乏人であるので、金持ちが司祭を僕として奉仕させることは、私にとり大変不愉快なことです。神の母として私の威厳は偉大ですが、私は司祭たちの足許に平伏し、司祭たちの歩いた所を接吻したことを大いなる幸福と考えます。天国の玉座から、私は司祭に同じ崇敬を捧げます。司祭が祭壇に面しているか、又は手に最も祝された御聖体を手に取っている司祭のことを考え、敬うのです。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P337

元后の御言葉

 死の時やその後の審判について忘れることほど大きくて悪い誤謬はありません。この誤謬の門を通って、罪が世の中に入ったことを考えなさい。最初の女エワに蛇が言ったことは、「汝は死なないであろうし、そのことを考える必要がない」(創世記3・4)ということでした。こうしていつも騙され、死について考えずに生き、不幸な運命を忘れて死ぬ人たちの数は非常に多いのです。このような結末を避けるため、あなたの死は取り返しがつかないことを確信し始めなさい。多くを頂き、少ししか返さなかったこと、御恵みが多ければ多いほど審判はもっと厳しくなること、主の御恵みがいつでもどこでもどんな状況でも、忘れず不注意にならず働いていることをよく考えなさい。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P344

元后の御言葉

 

 私の娘よ、私が御子の人間としての死を見習い、自然死を遂げたことを御子なる主は御喜びになり、一つの恩恵を教会の子供たちに与えて下さいました。私に信心する者たちが死に際して私を呼び、私の幸せな死と主を模倣したいという希望を思い出し、私の弁護を望むならば、私の特別な保護を受け、悪霊たちに対して私によって守られ、主の慈悲の法廷に共に出廷し、私の取り成しを受けることになります。従って主は、私に新しい権力と任務を御与えになり、私の貴い死の神秘を崇め、私の助けを願う全ての人たちに良き死と、より純粋な生活のために恩寵を下さることを約束して下さいました。それゆえ、私はあなたが今日よりこの神秘を心の奥底で信心し、愛すること、私と三人の罪人の奇跡をなさった全能者を祝い、讃え、崇めることを希望します。

 死は命の延長であり、命の状態と一致しますから、良き死の最も確かな保証は、良き生活です。つまり、この世の愛から心を離して重い鎖から解き放たれて生きることです。原罪の影響から自由になり、生きることです。情欲の重荷や足枷を棄てて生きることです。

 

 

 

 

25.聖母は平伏される

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P97

 

 この聖なる第一日目、天の王女マリアは少し休んだあと真夜中に起き、いと高き御方の御前に平伏し、定められた祈りを唱えました

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P98

 

この祈りの後、天の王女は自然の状態に戻り、一日中、同じ嘆願を続けました。地に平伏し、十字架の形をとる日課を繰り返しました。この姿勢は聖霊から教わったのです。