アグレダのマリア.3

神の都市

アグレダのマリア(神の都市)

アグレダのマリア 神の都市.1

アグレダのマリア 神の都市.2

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P263

第三篇

第七、八書

戴冠

 

アグレダのマリア/神の都市/P264

第七書

聖霊御降臨。救いの豊かな稔り。使徒たちの説教。教会迫害の最初。聖パウロの改心。聖ヤコボ、スペインに到着。

 

第一章

聖霊御降臨。聖母マリアは聖霊を直感視する

 

 聖母がそばにおられ、励まして下さるので使徒たち、弟子たちや信者たちは、慰め主なる聖霊を送って下さるという救世主の御約束を喜んで待ち望みます。人々は愛により一致団結しているので、違う考え、愛情や傾向が全くありません。思考と行動に於て一心同体です。聖マチアを使徒に選出する時も、教会の最初のメンバーたちの間で不一致の印は全くなかったのです。祈り、断食や聖霊待望に於て一致していました。悪い霊を追い散らすことにも一致していました。救い主の御死去以来、地獄に弱り果てて寝ころがっていた悪魔たちは、新しい迫害と恐怖が高間に集合している者たちの徳から起こって来ると感じました。キリストの教義と模範が弟子たちに影響を及ぼすと感じた時、自分たちの支配がくつがえされそうだと思えたのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P265

 

 聖母は、聖霊御降臨の予定された時間を知っていました。我らの救い主の御復活後五十日目に聖霊御降臨となりますが、その日が近づくと、聖母には御言葉の人性が永遠の御父と相談しておられるのを幻視しました。御言葉は、聖霊が恩寵や不可視の賜物をもたらす以外に、目に見える形で聖霊が御降臨になるよう御父に願います。聖霊を見ることにより、世の中が福音の律法を称賛するようになり、神の真理を広める使徒たちや信者たちを励まし、主を迫害し、十字架の死まで主を嫌った人たちを怖がらせることになります。我らの救い主の願いは地上の聖母に支持されます。十字架の形に地面にうつむけになりながら、御母は聖三位の会議に於て、救い主の御要求が通り、聖霊が地への降臨を承諾される様を幻視します。

 ペンテコステ(聖霊御降臨)の朝、聖母は使徒たち、弟子たちや敬虔な婦人たち、総数約百二十人にもっと熱心に祈り、自分たちの希望を更新するように勧めました。第三時(午前九時)、全員が聖母の周りに集まり、熱心に祈っていると、大きな雷や大風が吹きすさむ音が、火または雷の明るさと混じり合って聞こえてきます。全ては高間の家に集中します。光が家を包み、神の火が人々全員の上に注がれます。百二十人、一人一人の頭の上に同じ火の舌が現れますが、この火の舌の中に聖霊が来られ、神の影響力と天の賜物で各人を満たします。その時、高間の人たちやエルサレム全体の人々が受けた効果は、人々の違いにより様々です。

 聖母は聖霊をお受けし、変容し、神により高められます。聖霊を直感的に御覧になります。聖母の受けた賜物は、その他の聖人全員が受けた賜物よりももっと多いのです。聖母の栄光は、天使たちや諸聖人の栄光よりも偉大です。聖霊が教会のため降臨され、教会を世の終わりまで導かれるように計り、計らって下さった主を讃美し、感謝することに於て聖母は、世界中の人たち以上になさったのです。聖母が比類のない素晴らしい被造物でありますから、神は世界を創造したかいがあったと考え、しかも、聖母に恩義を感じられるようです。なぜなら、御父は聖母を御父の娘とお呼びになり、御子にとっては御母であり、聖霊にとっては浄配であります。聖霊御降臨にあたっても、神は聖母に高い威厳を与えておられますし、聖霊のあらゆる賜物と恩寵が聖母の中に於て更新され、新しい効果と働きを起こしています。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P266

 

 使徒たちは聖霊に満たされ、義化する恩寵と聖化する恩寵を頂いております。全員、各人の状況に応じ、上智、聡明、賢慮、知識、剛毅、孝愛、敬畏の七つの賜物を頂きました。この壮大な祝福のお陰で、使徒たちは新約の牧者となり、全世界に祝福を宣教する教会の創立者となり、仕事に励み、最も困難で骨の折れることも喜び勇んで全うすることになります。

 高間に於て聖霊を受けた弟子たちや信者も各自の教会内の役割に応じて異なる程度の賜物を頂きました。同様な違いは使徒たちの間にもあります。聖ぺトロは教会を司牧するため、聖ヨハネは天地の女王である聖母に仕えるため、特別の御恵みを頂いております。聖ルカの聖福音書には、高間の家全体が聖霊により満たされたと書いてあります。中に集合した幸せな人々だけでなく、家自体が素晴らしい光と輝きに満たされたのです。不思議と驚異は有り余り、家の外に溢れ出て、エルサレムと近郊の住民たちに種々の効果を起こしました。何らかの信心があり、我らの救世主イエズス・キリストの御受難と御死去に同情し、主の拷問を批難し、主の聖性を敬った者たちは、内的に新しい光と恩寵を頂き、後に使徒たちの教義を受入れることになります。聖ぺトロの最初の説教で改宗した者たちは、主の御死去を悲しみ、そのような祝福を受ける功徳を積みました。エルサレムの他の義人たちは、心の中で大いなる慰めを受けました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P267

 

 以上の事実に負けない大きな効果は隠されています。恐ろしい落雷、稲妻と嵐が聖霊降臨と共に起きた時、市内の主の敵たちを震え上がらせました。主の死刑を主張した人たちや主に激怒をぶつけた者らの罰は特に明らかでした。これらの人々全員は地にうつぶせになり、三時間身動きできませんでした。主を鞭打ち、主の血を流した者たちは、自分たちの静脈から血が突然流れ出し、気道を塞ぎ、息ができなくなりました。主の御顔を平手打ちにした厚かましい召し使いは、突如死んだばかりか、体も霊魂も共に地獄へ投げ落とされました。他のユダヤ人たちは死を免れたものの、激痛と重病に見舞われました。これらの病気は主の御流血のためであり、子孫にも伝わり、現在に於ても恐るべき病気として子孫を苦しめています。これらの事態はあまり重要でないので、使徒たちも福音史家たちも記録を残していませんし、市の大多数の住民たちもすぐ忘れてしまいます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P267

元后の御言葉

 

 私の娘よ、愛そのものである聖霊の御降臨は、主の愛によるものであり、当時、使徒たちと周囲の人々に御降臨になったことは、同じ恩恵が教会内の他の子供たちにも、望む限り与えられることを誓約しています。私たちの時代には聖霊は目に見えませんが、大勢の義人たちに来て下さいます。心の中に於ける効果は、各人の心の状態によって違います。

 

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P268

第11章

使徒たちの説教。マリアの改宗者たちへの世話

 

 見える印で聖霊が御降臨になったことは、エルサレム全市を沸き立たせました。高間の家に起きた驚くべき出来事は大きなニュースとして伝えられ、大勢の群集が押しかけてきました。当日はユダヤ人の祭日にあたり、市内には世界中の外国人でごった返していました。

 聖なる使徒たちは、この人たちに説教する許可を聖母に願いました。大きな恩寵が直ちに人々に与えられ、創造主なる神の光栄になるためです。使徒たちはすぐさま高間の家を出て、大群衆に向かい、信仰と永遠の生命の神秘について説教します。その時まではとても恥ずかしがり屋で人々から遠ざかっていたのに、今や勇敢に燃えるような言葉を吐き、聞く人々の胸を打ちます。人々は諸外国から来ており、外国語しか知らないのですが、使徒たちの言葉を自国語として聞きました。使徒たちは全員パレスチナ語だけを話したのです。聖ぺトロも他の使徒たちもパレスチナ語で話したことを、他の七、八か国語で繰り返す必要がなかったのです。外国人たちは、自分たちの国の言葉を聞けたのでとても感心しました。高間の家に来た外国人も自国語の説教を聞きました。敬虔に聞いた人々は、神と人類の救いを深く理解しました。真理を求めた人々は自分たちの罪を悔やみ、悲しみ、神の御慈悲と御赦しを願います。目に涙を浮かべ、使徒たちに叫び、永遠の生命を得るには何をすべきかと尋ねます。一方、頑固な者たちは、神の真理に対して何も感じないで、使徒たちに怒り、革新家で向こう見ずの輩だと決めつけます。多くのユダヤ人たちは不信で嫉み深く、使徒たちが酒に酔っ払っているとか、気が狂っているとか言います。聖霊御降臨の時の落雷を恐れ、地面に倒れた後、意識を回復した者たちの何人かも使徒たちの悪口を言います。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P269

 

 聖ぺトロの最初の説教で改宗した三千人は、諸国から来た人たちで、どの諸外国も例外なく、これから救いの実を頂き、教会に集まり、聖霊の恩寵を経験することになります。聖なる教会は、全世界の民により構成されることになっているのです。ユダヤ人たちについて言うなら、教会員の多くは主に従い、主の御受難と御死去に同情した人たちです。主の御受難に賛成していた人々の少数は、後で改宗しました。説教を終え、使徒たちは高間に戻ってきて聖母に報告します。大群衆も聖母に挨拶するために入ってきます。

 聖母は御自分の個室にこもりながら使徒たちの説明を聞いていましたし、聴衆一人一人の心の奥底の秘密も判っていました。その間中、うつぶせに地面に平伏し、人々の改宗のため、涙の祈りを唱えておられました。使徒たちが説教をうまく始めるように、そして聴衆がよく聞くように、聖母は大勢の天使たちを派遣しました。使徒たちが説教と聖霊の豊かな稔りを携えて帰宅した時、聖母は大喜びで出迎えました。

 聖ぺトロは改宗者に聖母を紹介します、「私の兄弟であり、いと高き御方に仕える人たちよ、ここにおられる御方が我らの救い主イエズス・キリストの御母です。あなた方はイエズスを真の神と人として認めました。御母はイエズスに人体を与え、胎内に宿し、産みました。お産の前、間と後、いつでも童貞でおられます。御母をあなた方の御母、避難所として受入れなさい。御母を通して光、方向および罪や惨めさからの救いが頂けます。」 使徒の言葉を聞き、聖母に会い、新しい信者たちは光と慰めで満たされ、心の中で祝福を受け、聖母の御足許に平伏し、涙ながらに御祝福と御助力をお願いします。聖母は、祝福は司祭である使徒たちの与えるものと考えますが、聖ぺトロは聖母に申します、「御母よ、この信者たちの願いを拒まないで下さい。」聖母は教会の司牧者に従い、新改宗者に祝福を与えます。彼らは聖母の御言葉も御聞きしたいのですが、謙遜と畏敬の気持ちのため、直接聖母に言えないので聖ぺトロにお願いします。聖ぺトロは彼らの願いをもっともだと思い、聖母に再びお願いします。

聖母は聖ぺトロの言うことを聞き、皆に話します、「主に於て私の最愛の兄弟姉妹たちよ、あなた方の全心をもって全能の神に感謝と讃美を捧げなさい。神は多くの人々の中からあなた方を呼びだし、あなた方の受入れた信仰の知識に示された永遠の生命への確かな道にあなた方を引き寄せて下さるからです。その道を心からの確信を持って告白しなさい。先生であるイエズス、私の御子、あなた方の救い主が教えて下さった恩寵の律法全てを確固として信じなさい。あなた方を教える使徒たちに熱心に傾聴しなさい。いと高き神の子供たちとして洗礼の印を受けなさい。私はあなた方の婢として、あなた方を元気づけるため、どんなことでもして助けましょう。私は神にあなた方の優しい御父になって下さるように、御顔の喜びをあなた方に示して下さるように、そして、恩寵を与えて下さいますようにお願い致しましょう。」

この優しい御言葉を聞いて新信者たちは喜び、もう一度祝福を頂き、聖母にお別れします。使徒たちや弟子たちは、その日より休まずに説教と奇跡を続けます。最初の日の三千人だけではなく、日々帰依する大勢の人たちに教えます。人々は世界各地から来ますから、それぞれの国の言葉を使徒たちは話します。外国語を話すというこの賜物は、弟子たち、婦人たち、聖霊を頂いた百二十人のメンバーも使徒たちより少し不完全ですが、頂いています。使徒たちの話を聞いた後、多くの人たちはマグダラのマリアと仲間の所に行き、聖い教えを聞き、改宗します。この女性たちの行なう奇跡を見て改宗する人たちもいます。女性たちは両手で触れることにより、あらゆる病気を治し、盲人を見えるようにし、唖の人を話せるようにし、びっこの人を普通に歩けるようにし、大勢の死者を甦らせます。使徒たちの奇跡とあいまって、エルサレム中を驚嘆させます。使徒らを始め、信奉者たちのことは大変な評判となります。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P271

 

 これらが福音の教会の幸せな始まりであり、黄金時代です。教会は神の都市とも呼ばれ、新しい楽園でもあります。この楽園の真ん中にある生命の木が聖母です。当時、信仰は生き生きとしており、希望は堅く、愛は熱く、誠実は純粋で、謙遜は真で、正義はもっとも公正であります。信者たちは貪欲も虚栄もなく、所有欲、誇り、野心もありません。

 初代教会に於ける聖母の偉大な業績は少しばかりお知らせしましょう。全教会とある教会員たちに恩恵を与えることで、一時も休まれませんでした。御子への嘆願に没頭し、決して断られませんでした。祈りの他に人々に勧告、説明、相談したり、恩寵の管理者と分配者にもなりました。聖母の御在世の当時、地獄に堕落した者の数は大変多く、救われた者の数は、その後の時代よりももっと多数です。当時の人々は聖母に会い、お話しを聞けるという幸福を享受しましたが、聖母は天から頂いた知識と愛により、あらゆる時代の人々を全員ご存知です。聖母は、初代教会の人々のために祈り、取り次いで下さったように、現代の我々にもして下さいます。いつも同じ御母として天に於ても同様に取り次いで下さいます。しかし、悲しいかな! 私たちの信仰、熱心と献身が全く実行されなくなってしまいました。私たちが聖母に対する熱心さを取り戻せば、教会は初代教会と同様に聖母の御加護を体験するに違いありません。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P272

 

 多数の信者は聖母の御話を聞き、偉大さに打たれ、宝石とか高価な賜物を持ってきました。特に婦人たちは自分の持ち物を聖母の足許に置きました。聖母は何もお受け取りになろうとしませんでした。全部断っては良くない場合、その人たちの心に話しかけ、使徒たちの所に持って行かせました。使徒たちが公正に、もっとも貧しい信者たちに分け与えられるからです。その時も聖母御自身、贈り物を頂いたかのように感謝されました。貧者や病人に対し、聖母はとても親切で、大勢の病人の難病、慢性病を治されました。聖ヨハネの手を通して聖母は、公言されていない必要品を配るようにしました。使徒たち、弟子たちが説教に熱中している間、聖母は人々のために食物を用意したり、もてなすために大変忙しい思いをされました。使徒たちや他の司祭たちに食物を給仕する時は、跪き、手に接吻したいと申されました。特に使徒たちは恩寵が確保され、聖霊の御働きにより、司祭長、そして教会設立者の威厳を与えられているからです。聖母は時々、使徒たちが素晴らしく輝く着物を着ているのを御覧になり、ますます崇め、敬っておられます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P272

 

元后の御言葉

 私の娘よ、この章で、人々の霊魂の運命の神秘についてよく学びなさい。主の救いは大層豊かで、全人類を救うのに十分であることを確信しなさい(ロマ5・20)。神の真理は、説教を聞くか神人の御業を見た人たち全員が知っています。感覚が見聞きしただけではなく、全員が心の中で真理に達するための御助けを頂きました。大群衆の中で僅か三千人しか使徒たちの最初の説教により改宗しなかったことは驚くべきことです。現代に於て、ほんの少数しか永遠の生命の道に改宗しないことはもっと大きな驚異です。現代に於て、福音はもっと広められ、説教は頻繁であり、司祭たちは多く、教会の光はもっと明るく、神の神秘についての知識はもっと確立しているからです。それにも関わらず、人々はもっと盲目になり、心をもっと頑固にし、誇りがもっと高くなり、貪欲はもっと厚かましく、あらゆる悪徳は神を畏れずに行なわれています。

 主はあらゆる人々に御父としての慈悲を与え、生命の道と死の道を教えておられますから、主に対して不平不満を言えないはずです。神に見棄てられた人たちは、時間のある時に実感できたことや実感すべきであったことを悔やみ、自分自身を責めるしかできません。短い仮の生涯に於て、真理や光に対して目や耳を閉じ、悪魔に耳を傾け、悪意の唆しに身を委ね、主の善意と寛容を濫用するならば、弁解できるでしょうか? 僅かな問題を起こす他人を許さず、お金儲けに腐心し、一時的な楽しみにうつつを抜かし、警告を受けつけないなら、後になって神を逆恨みする権利がどこにあるでしょうか? 自分をごまかさずに痛悔すれば恩寵を得られます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P273

第3章

改宗者たちの洗礼。最初のミサ。聖母マリアの中に聖体が永存し給う

 

 使徒言行録にあるように、七日間の説教や奇跡により、信者数は五千人に達しました。洗礼の準備のための教えは、おもに弟子たちの仕事です。使徒たちは説教したり、ファリサイ人たちやサドカイ人たちと論争したりします。聖母は天使たちや婦人たちと一緒に、御子が最後の晩餐をした広間をきれいにしたり飾ったりされます。翌日行なわれる聖変化により、主が帰って来られるからです。家の主人に家具を持って来させたり、種なしパン、葡萄酒や主の御使いになった同じ皿や盃を準備されます。洗礼のためのきれいな水や、たらいも持って来られます。個室に引き下がると、夜中、熱心に平伏して祈られます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P274

 

翌日、つまり聖霊御降臨後一週間目、朝早く、信者たちや洗礼志願者たちが使徒たちや弟子たちと共に高間の家に集まります。聖ぺトロが集合者たちに洗礼の本質と素晴らしさ、必要性と神の御助け、洗礼により人々が教会の神秘体の成員となること、罪の赦しと聖化の恩寵により神の子となり、神の光栄の相続者になることを説教します。聖ぺトロは、自由意志により承諾した神の律法を守り、いと高き御方から受けた恩恵を感謝するように勧告します。イエズス・キリストの真の御体と御血に聖変化することを祝うミサの神秘的な聖なる真理を人々に説明します。この説教は全改宗者に熱心を沸き立たせます。使徒たちは洗礼を始めます。志願者たちは一方のドア―から入り、洗礼を受け、他方のドア―から出ます。弟子たちや他の信者たちが人々を先導します。聖母は高間の片方のそばに留まり、洗礼式に参列します。授洗者全員のために祈り、讃美の歌を歌います。各人の徳にふさわしく聖霊の効果も違うことが聖母には判ります。子羊の血で洗われ、更新し、神の純粋さと染みが全くない清潔さを頂いたことが聖母には見えます。これらの効果の証拠として、大変透明な光が洗礼を受けた者の一人一人の上に降ったことが皆に見えたのです。この奇跡により、神は聖なる教会の秘蹟の最初を実証されたのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P275

 

 洗礼式は、当日、参会者全員が受洗するまで続けられました。受洗者の総数は約五千人でした。受洗者が感謝の祈りをする間、使徒たち、弟子たちや信者たちは祈りました。全員が床に平伏し、無限不変の神を崇め、祭壇の尊い秘蹟に於ける主を受ける資格がないことを告白し、聖体拝領の準備をします。主が聖変化の前に御唱えになった詩篇と祈りを唱え、主のなさった通りのことをします。聖ぺトロは種なしパンを手に取り、目を天に上げ、キリストの至聖なる御体への聖変化の言葉を宣言します。直ちに高間は無数の天使たちの目に見える輝きで満たされます。光が全部、聖母に集まります。皆によく見えます。そして聖ぺトロは御盃の聖血を奉献します。聖母が前もって指図されたように、聖ぺトロが一番先に拝領し、十一人の使徒たちに御聖体を拝領させ、その後で聖母の番になります。聖母は祭壇に向う途中で三回も平伏し、御顔を床につけます。聖体拝領後、聖母は全く変容され、至聖なる御子の愛の火の中に包まれます。恍惚の状態となり、床の上に浮いています。天使たちは聖母を部分的に隠し、皆の注意を惹かないようにします。弟子たちは御聖体を配りますが、五千人の内、千人が拝領したにすぎません。主を御迎えする準備ができていないか、聖体拝領の意味が判らない人たちが多かったのです。

 聖母があらゆる人々の上に立てられていること、聖母を愛されるが故に神は天地を創造され、御言葉は人となられ、救世の苦しみを受けられたことは前に書き記しました。私たちは聖母の故に、そして聖母を通して神を祝福します。私たちの希望の全てと運命は、聖母の御手の中に任されています。御子は有り余るほどの愛の全てを聖母に向けておられます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P276

 

 聖母は三十三年間を御子なる真の神と共にお過ごしになりました。御受胎の時から御死去の時まで主と御一緒でした。聖母は主を保育し、主に仕え、従い、倣い、そして御母として、娘として、浄配として、最も忠実な召し使い並びに友として行動しました。主の御姿、御話や御教えを喜び、御自分の功徳により勝ち得た恩恵を大切にされました。主が御昇天される時、主の最も愛しておられる御母を一緒に御連れし、そのまま天国に留まって欲しいと思われましたが、御二人とも人々に対する熱烈な愛情があり、御母が地上の教会を確固たるものとするために地上に戻られることに主は同意されました。しかし、御母と別れていることはとうてい考えられないことでしたから、御聖体の中に現存することにより、聖体拝領される御母の中に居続けられることになりました。御母に対する主の愛は、その他の人類全体に対する愛よりも強いのです。もしも福音の中の羊飼いが九十九頭の羊を放置して、迷子になった一頭を探すのであれば、主の最も誠実な一頭のために他の羊たちから別れても不思議ではありません。御母の御目を御覧になると直ちに天より飛んで来られるでしょう(雅歌6・4)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P276

 

元后の御言葉

 人々が騙され、傷つくことの最大の原因は、感覚で感知したことに動かされ、直ちに決意し、理性による思考と判断をないがしろにすることです。感覚的に私たちを動かすものは、動物的な情欲や傾向です。傷つけられ、痛いと感じればすぐに復讐しに出かけます。他人の所有物が欲しくなると、不正な手段を取ります。目の色欲、体の情欲や名誉欲にかられて行動する人々が多いのですが、これらの欲は、世の中と悪魔の提供できる全てです。人々が盲目になり、騙されると、暗黒を光と思い、辛さを甘さと感じ、致死毒を霊魂の薬として服用し、悪魔的現世的無知そのものを智恵として尊びます。このような性質の悪い過誤に対して自分を守り、感覚により支配されないように。神から頂く内的知識と光にまず相談しなさい。神はいつも案内して下さいます。上司や先生に忠告を求めなさい。目上の人が居合わせなければ、目下の人に相談しなさい。情欲により盲目になっている自分の決意に従うよりももっと安全です。内緒で事を運ぶとか、状況や同僚に対する愛徳に動かされて公にものを決める時の規則です。人々との付き合いで危ない海を渡る時、内なる光の北極星を見失うことのないように。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P277

 

第四章

使徒たちや使徒らに対するマリアの配慮

 

 恩寵の新しい律法がエルサレムに広められ、教会の信者が日々、数を増して来ると、聖母の気配りも気遣いも増えていきます。教会の礎石としての使徒たちに聖母は特別な世話をします。ルシフェルの激怒が、主の信仰者、特に永遠の救いの牧者である使徒たちに対抗してますます酷くなるにつれ、聖母の気配りも増えます。聖母が使徒たちのために多くの不思議なことをなさらなかった日はありません。これは聖母の愛と熱心を良く表しています。聖母は使徒たちの偉大な聖性や、司祭、牧者、説教者および福音の創立者としての威厳を心から敬愛しておられ、使徒たちに奉仕し、相談に乗り、教え導きました。教勢がエルサレムの外に進展しても、使徒たちはエルサレムに戻り、なるべくエルサレムに長居するようにして聖母のお会いしました。聖ぺトロがリダやヤッファに行き、死んだタビタを甦らせたり、他の奇跡を行なった後エルサレムに戻りました。パレスチナ一帯で説教し、信仰を確立した使徒たちも絶えずエルサレムに戻り、聖母に報告しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P278

 

 使徒たちの伝導旅行中、地獄の龍は末信者たちに反対させたり、論争を起こさせたりして御言葉の宣布を妨害しようとしました。聖母の直接の保護から離れている使徒たちは、悪魔の攻撃に対して弱かったからです。悪魔から見ると、孤立した使徒は武装解除され、悪魔に屈服し、誘惑され易くなっています。ヨブが言っているように(ヨブ41・18)、悪魔は最も丈夫な鉄鋼を弱い藁と考え、最も硬い青銅を腐った木の杖と見なすほど誇りが高いのです。悪魔は投げ槍も投石機も怖くはないのですが、聖母の御加護だけは恐ろしくてしようがありません。

聖母は、天により高められた知識の歩哨塔から、あらゆる方向を見渡せます。いつも見張っている歩哨として、ルシフェルの攻撃を発見し、すぐに助勢に駆けつけます。または天使たちを派遣して応援させます。天使たちは使徒たちの心を密かに鼓舞しますが、最も美しい光り輝く人間の形で現れ、何をすべきか、聖母の御意向は何であるかを教えます。使徒たちの潔白な心の故に、また彼らが慰めと励ましを必要とするために天使たちが来ます。聖母はこのように使徒たちを助ける以外に、彼らのためにいつも祈り、主に感謝します。

 聖母は他の信者たちも同様の御世話をなさいます。エルサレムやパレスチナに多くの改宗者がいましたが、聖母は各人の必要としていることや苦難を全てご存知でした。霊魂のことばかりでなく、身体もご心配になり、大勢の人たちの重病を治しました。奇跡的に治さないことになっている人々を聖母は訪問し、個人的にお助けになりました。貧乏な病人には病床で食物を口の中に入れたり、ベッドの敷布を洗っておあげになりました。聖母は、謙遜、愛、気配りに於て誰にも負けませんから、どんな奉仕も、最も下級な司牧も、最も卑しいつまらないことも喜んでなさいます。同様な奉仕を天使たちに頼まなければならない時もあります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P279

 

 聖母の母性的なご親切は、死の苦悩にある人々にも示されます。人々が永遠の救いを確保するまで聖母はそばを離れません。煉獄の霊魂のためにも最も熱心な祈りと償いを捧げます。その後で天使たちを煉獄に派遣し、償われた霊魂たちを煉獄から引き上げさせ、天に連れて行かせ、御子に会わせます。この恩恵は現世に於て聖母にまともな態度をとった人たちには現代でも与えられます。

 ここでは聖母が一人の少女を地獄の龍の口からお救いになったことだけを書きましょう。最初に改宗し、エルサレムで受洗した者たちの中に一人の貧しい卑しい出身の少女がいます。家事に精を出し、病気になり、何日間も良くなりません。他の人たちの例のように、熱心な信仰は冷め、幾つかの罪を犯し、受洗の御恵みを失う危険に近づきます。人々を滅ぼすため絶えず止めないルシフェルは、少女のそばに女の姿になって現れます。甘い声で、十字架に釘付けになった者について説教する人たちから離れるように、その人たちの言う嘘を信じないように勧めます。この勧めに従わないと、この対立新宗教の創始者を釘付けにした祭司たちや裁判官たちから罰せられると説明します。少女は答えます、「あなたの言う通りにするわ。でも、あの人たちと一緒に会った貴婦人にはどうしたら良いかしら。あの方は優しそうで落ち着いていらっしゃる。」悪魔は答えます、「この女は他の誰よりも悪い人です。一番先に避けるべき人です。この女の罠にはまってはいけません。」古代の蛇の致死毒を受け、この単純な鳩の霊魂は永遠の死に近づき、体はもっと病気になり、臨終になりそうです。七十二人の弟子たちの一人が少女の大病を聞き知り、訪ねますが無視されます。いくら熱心に勧告しても少女は弟子に背を向け、聞こうとしません。報告を受けた聖ヨハネも少女の霊魂が滅びに向かっていることを知り、すぐさま少女の所に駆けつけ、永遠の生命について話しかけますが、少女は頑固に抵抗します。聖ヨハネは少女の周りを大群の悪魔たちが取り囲んでいるのが見えます。聖ヨハネが近づくと後退しますが、悪魔たちはこの少女を取り逃すまいとします。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P280

 

 少女の頑固さが良く判り、聖ヨハネは聖母の所に急ぎ行き、御助けをお願いします。即座に聖母は病気の少女を幻視し、敵たちが少女の霊魂を引きずっているのをご覧になります。血に飢えた地獄の狼に騙されたこの単純な羊のことを嘆き、床に平伏し、少女の救助のために祈られます。しばらく祈り続けても主から何の御返事もありません。預言者エリゼオが少年を触り、少年の体の上に自分の両腕を延ばさなければならなかったこと(列王下4・34)を聖母は思い出されます。この少女を罪と悪魔による眠りから目覚めさせるために、天使も使徒も十分な力がなかったのです。従って聖母は御自身でお出かけになり、少女を治されることにします。聖ヨハネと共に少女の家に向かいます。天使たちが現れ、輝く雲の玉座に聖母をお乗せし、少女の病室にお連れします。臨終の少女は惨めで、黙りこくりし全ての人たちに見棄てられ、彼女の霊魂を掴み取ろうとする悪魔たちに取り囲まれています。しかし、聖母が姿を現されると、悪魔たちは稲光の早さで逃げ、落胆してお互いの上に折り重なったかのようです。聖母は悪魔たちに地獄に戻り、聖母がお許しになるまでじっとしているように命令します。悪魔たちは従うしか方法がありません。聖母は少女の手を取り、名前を呼び、生命の甘美なる言葉をお語りになると、瞬間的に変り、もっと楽に息ができるようになり、聖母に申し上げます、「私の貴婦人、一人の女がやって来て、イエズスの弟子たちが私を欺いたから早く弟子たちとあなた様から身を引くようにと言いました。もしも、あなた方の道をとるなら、私は大いなる不幸に見舞われるというのです。」 聖母はお答えになります、「私の娘よ、女のように見えた者は、あなたの敵である悪魔です。私はいと高き御方なる神の御名により、あなたに永遠の命を与えるために参りました。神の本当の信仰に戻りなさい。あなたの救いと全世界の救いのために、十字架の上で御死去になられた神である救世主に心より告白しなさい。神を崇め、罪の赦しを願いなさい。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P281

 

 病人の少女は答えます、「このこと全てを以前は信じていましたが、それはとても悪いことであるし、私が告白したら、罰せられるとあの人たちは言いました。」聖母は説明されます、「私の友よ、この嘘を恐れてはいけません。真に恐れるべき罰は地獄の罰で、悪魔たちはあなたをそこへ引っ張って行きたいのです。あなたは今臨終を迎えています。私があなたに勧める治療を受け、地獄の火から免れることができます。」少女は涙を流し、悔いて聖母の助けを願い、聖母の言いつけ全てに従うと宣言します。聖母の助けにより、少女はイエス・キリストの信仰を告白し、告白のための痛悔の祈りを唱えます。聖ヨハネが来ると少女はもう一度痛悔の祈りをし、罪を赦され、イエズスと聖母の御名を唱えて聖母の両腕の中で幸せに息絶えます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P282

 

元后の御言葉

 私の娘よ、もしも罰せられるべき人を誰でも救えるならば、拷問も死も私は拒みません。隣人に罪を犯させないために、あなたが祈り苦労することはあなたの義務です。目的が達成されなくても、あなたは主があなたの祈りを聞き届けられたかどうか判らなくても、確信を持ち続け、忍耐し続けなさい。この祈りは全ての人の救いを望む主を決して怒らせないからです。この時、賢慮と愛徳に叶う手段を用い、祈り続けなさい。いと高き御方なる神は、人々が自由意志で破滅を追及しない限り、あらゆる人々の救いを求めます。あなた自身の霊魂に神は無限の価格をつけています。悪魔の誘惑やあなたの情欲が、あなたにいかに小さい罪でも起こさせようとする時、私がどれほど悲しみ、どれほど涙を流すか覚えておいて下さい。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P282

第五章

聖ステファノの殉教。信経。使徒たちの出発。

 

 聖母のより偉大な愛を受けた幸せ者の中に聖ステファノがいます。七二人の弟子たちの一人で、最初から聖母は目をかけておられ、第一番目のグループの中の者と評価されておられます。聖ステファノが主の名誉と御名を守るため、主によって選ばれ、主のために命を棄てる者であることも知っておられます。この勇ましい聖人は、甘美、平和、優しさ、従順、柔和ですから、御子に似ていると聖母はお考えになり、彼の出生、召し出しと最初の殉教の故に主に感謝されます。人一倍の恩恵を受けたこの聖人は、とても謙遜な方です。聖ルカが書き記したように、賢明で聖霊に満ち、聖母からたくさんのことを教えて頂きます。聖母は警告されます、「ステファノよ、あなたは最初の殉教者となるでしょう。主の足跡をたどり、殉教者の軍隊の先頭に立ち、十字架の旗を立てるでしょう。信仰の盾の後に堅忍という武器を持ち、戦いに於ていと高き御方の助勢を頂きます。」 この御言葉を聞き、聖ステファノは殉教の熱望で燃えました。使徒行録にあるようにエルサレムで大活躍しました。ユダヤ人とあえて論争したのは聖ぺトロと聖ヨハネの他には聖ステファノだけでした。大胆に説教し、ユダヤ人たちを論破し、他の弟子たちよりももっと頻繁に、もっと勇気を出して相手を批難しました(使徒6・9)。望む殉教の機会に恵まれなかったので、彼はラビやモーゼの律法の先生たちと論争大会をすることにしました。地獄の龍は聖ステファノの野心に気付き、悪意ある注目を向け、キリストの信仰の証言として公に殉教するのを妨げようとします。秘密の内に彼を殺そうとするのです。ユダヤ人たちは秘密の内に彼を殺せず、公開論争にも勝てず、憎悪を燃やし、彼に対する偽証を作ろうとします。神やモーゼに対して冒涜したとか、聖なる神殿と律法を激しく批難したとか、イエズスは一方が他方を滅ぼそうとしているとか言ったという訴えをします。証人たちは悪口を言い、人々は嘘の告訴に動かされ、広間に彼を連れてきます。そこで祭司たちが裁判官として待ち構えています。主裁判官は聖ステファノの宣誓証書をとります。聖人は、キリストこそ聖書に約束された真の救世主であることを最高の智恵で証明します。結論として人々の不信と頑固を叱ります。彼らは何も答えられず、歯をきしらせて悔しがり、耳をふさぎます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P284

 

 聖母は聖ステファノの逮捕を知り、元気づけるために一位の天使を論争の場に送り込みます。この天使の助けで彼は主の信仰を告白し、望みどおり主のために自分の生命を捧げます。同じ天使を通して聖母の御助けを願います。聖母は個室に引きこもりながら祝福を送ります。聖母は駆けつけたいと思いましたが、混乱した町中を通り、公衆の面前で聖ステファノに声をかける困難を思い、祈ることだけをされました。平伏して聖ステファノの最後を助けて下さるように懇願されました。いと高き御方は天から大群の天使を送られます。聖母の警護にあたる諸天使と合流し、聖母を光り輝く雲にお乗せし、裁判場にお連れします。他の誰にも見えない聖母を面前に見て、聖ステファノは神の名誉を守るチャンピオンの熱心を新たにします。聖母の輝きは彼の顔の輝きとなります。救世主は御父の右側に立っている御自分を彼にお現しになります。彼は言います、「見よ、天が開き、光栄を現し、イエズスが神の右側におられるのが見える」(使徒7・56)。しかし、頑固で不信なユダヤ人たちはそれを涜聖と見なし、耳をふさぎ、石打刑を宣告します。人々は狼のように取り囲み、彼を市から大急ぎで騒ぎ立てながら引き立てて行きます。聖母は彼に祝福を与え、天使たちに彼に付き添い、天国に送り届けるように命令なさいます。天から降り、聖母をお連れした天使群と共に、聖母の守護の天使たちの内の一位だけが高間まで聖母に従います。個室から聖母は聖ステファノの殉教を見届けます。死刑にすべしと叫ぶ涜聖者の人々の中にサウロがいます。サウロは誰よりも熱心で、投石者たちの脱いだ着物をあずかります。石の雨が聖人に当たり、幾つかの石は頭の中に食い込みます。死の直前に聖人は祈ります、「主よ、我が霊魂を受け取り給え!」 跪きながら叫びます、「主よ、この罪を彼らに負わし給わざらんことを!」(使徒7・60)。主の最後にそっくりになった忠実な弟子をご覧になった聖母は、大きな喜びに満たされました。聖ステファノが息絶えると、聖母の天使たちは彼の忠実な霊魂を神の御前にお連れし、永遠の名誉と光栄の冠を受けさせることになります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P285

 

 聖ルカが書いているように、この日エルサレムでは大迫害が起ります。特にサウロが教会を荒します。市中のキリスト信者を探し回り、捕らえ、政府高官の前で告訴します。大勢の信者が捕まり、痛めつけられ、処刑されました。国王や祭司たちのキリスト信者に対する憎しみ、モーゼの律法を熱心に守るサウロの迫害の他にもう一つの効果が迫害を酷くしましたが、それはどこから由来するのか人々には判りませんでした。

 聖母は、弟子たちが救世主キリストの御名と信仰を伝道するにあたり、信条とか信経など誤りなく自分たちを導くものがないし、信者たちも唯一で同じ真理を信じるための信経がないことに気がついていました。もうじき使徒たちが全世界に宣教し、教会を設立することになっていて、キリスト教的生活を設立するための教義に一致すべきことが明らかでした。使徒たちが教え、信者たちが信ずべき諸神秘を集約した短い信経が必要でした。聖母はこのことを主に相談されました。四十日間以上も祈り、断食し、平服しなどをしました。

 もともとこのことは神から聖母に内的に伝えられたことです。神は、代理者である聖ぺトロを始め他の指導者たちに、教会の普遍的信仰の精髄を書き記すように鼓吹されました。使徒たちは聖母と相談し、十日間続けて断食し祈り、聖霊の息吹を頂くことにしました。十日後、聖ぺトロは皆に語ります、「私の親愛なる兄弟よ、慈悲の神は我らの救世主イエズス・キリストの功徳により、教会を短期間に発展させて下さいました。私たちを御業を行う器として選び、私たちの司牧を通して奇跡や不思議なことをたくさん行って下さいました。これらの恩恵と共に、私たちに悪魔やこの世の苦難や迫害も送られ、私たちが救世主である船長を見習い、教会という船が永遠の幸福の港に確実に着けるように希望しておられます。私たちは祭司長の怒りを避け、近くの都市に私たちの救世主キリストの信仰を説教してきました。今や世界中に宣教する時期に来ています。主が御昇天される前に私たちに命令された通りです(マテオ28・19)。人々がこの信仰を受けるための洗礼が一つであるように、教義も一つでなければなりません。ここに私たちが今回集まり、全世界に明瞭に提案すべき真理と神秘を書くべきです。意見の相違なしに同じ教義を私たちは信じるべきです。ニ、三人が主の御名により集まる時、主が真ん中におられるという主の確かな御約束を信頼し、世の終わりまで存続する主の教会の中に確立さるべき信条を不変の信経として、主の御名により定義できるように聖霊が助けて下さることを心から望みます。」一同賛成し、聖ぺトロの立てるミサにあずかり、平伏して聖霊に祈りました。しばらく祈り続けた後、一同は雷鳴を聞きました。第一回目の聖霊御降臨の時と同じようです。同時に高間は光と輝きで満たされ、人々は聖霊の啓示を受けます。聖母は一人一人に各自の受けた啓示を発表するようにお願いします。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P286

 

1.聖ぺトロ ― 我は、天地の創造主、全能の父なる天主を信じ、

2.聖アンドレア ― また、その御独り子、我らの主イエズス・キリスト、

3と4.聖大ヤコボ ― 即ち、聖霊によりて宿り、童貞マリアより生まれ、

5.聖ヨハネ ― ポンシオ・ピラトの管下にて苦しみを受け、十字架に付けられ、死して葬られ、

6と7.聖トマス ― 古聖所に降りて三日目に死者の内よりよみがえり、

8.聖小ヤコボ ― 天に昇りて全能の父なる天主の右に坐し、

9.聖フィリッポ ― かしこより、生ける人と死せる人とを裁かんために来たり給う主を信じ奉る。

10.聖バルトロメオ ― 我は、聖霊、

11.聖マテオ ― 聖なる公教会、諸聖人の通功、

12.聖シモン ― 罪の赦し、

13.聖タデオ ― 肉身のよみがえり、

14.聖マティア ― 終わりなき命を信じ奉る。アーメン。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P287

 

 この使徒信経は、聖ステファノの殉教後で、救世主の御死去後、一年以内に確立しました。現在、ミサで唱えられるニケア信経は、アリウス派その他の異端を論破するために設立され、使徒信経の神秘をもっと十分に説明しています。両信経とも十四箇条からなり、未来の公教要理の基礎となっています。使徒信経が使徒たちによって全部宣言し終えられた時、「良き決定なり」の御声が聞こえました。聖母と使徒たちはいと高き御方に感謝しました。聖母は使徒たちに聖霊の御助けを得る功績を積んだことに感謝されました。聖母は聖ぺトロの足許に平伏し、使徒たちの宣言したカトリック教義を信じることを声高く申されました、「私の主人よ、私の御子の代理者よ、汚い塵である私は、私の名により、教会の信者全員の名により、あなたがカトリック教会の神の不謬なる真理を設立したことを宣言します。そのため、私は真理の源であるいと高き御方を崇めます。」聖母はキリストの代理者に接吻し、残りの使徒たちの手に接吻します。

 救世主の御逝去後、満一年がたち、使徒たちは神の励ます力を受け、世界中への宣教を思い立ちます。どの王国、どの地域に派遣されるかについて、使徒たちは聖母のお勧めに従い、十日連続して断食と祈りをします。この慣行は、御昇天から聖霊御降臨までの十日間に始まったのです。十日の後、キリストの代理者によるミサ、聖体拝領と聖霊への祈りが終わると御声が響きます、「我が代理者ぺトロが各人の任地を指示するなり、我は我が光と霊によりぺトロを導かん。」この御言葉は、聖ぺトロを教会の頭、普遍的司牧者として確認し、教会は世界中に聖ぺトロと後継者たちの指導下に設立されることを使徒たちに理解させます。いと高き御方は使徒たちに労働に耐える堅忍、距離を克服する敏捷と神の愛の火を与えました。敏捷は天使たちにより度々実現しました。これら全ての出来事に聖母は出席され、他の人たち全員よりももっと多くの賜物を頂きました。キリストの教えが伝えられる所での、各人についての私的個人的なことまで知らされて頂いています。世界全体と住民たちのことは、聖母の祈祷部屋に入って来る人たちと同じように聖母はご存知です。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P288

 

 いと高き御方は聖母の御手の中に教会を置かれましたから、聖母は教会の御母、支配者と君主となられております。聖母は、高い聖人から低い聖人まで、エワの子孫である罪人も含め、全員のお世話をなさいます。御子から祝福や恩恵を頂く者は御母の手を通して頂くのです。聖母は最も忠実な分配者であり、御自分の家族の全員を良くご存知で、全員を御守りになります。使徒たち、弟子たちが布教する時、御母も御一緒です。聖母は御自身の助力を送られるか、天使たちに頼まれるか、または御自身その場にお出かけになります。聖母は人々を幻視によりご覧になられただけではなく、絶えざる神の幻視を生涯中お喜びになられました。幻視の間中、聖母は全能力を保有しておられ、自由に駆使することができました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P289

 

 地球の分割と割り振りの後、パレスチナに任命された者は、最初にエルサレムを出る人たちに属しました。他の者たちはエルサレムにもっと長い間留まりました。主はエルサレムに於て信仰が確立され、ユダヤ人たちの間に信仰が広まるのを望まれました。婚礼の宴のたとえのように、あらゆる人々が招かれましたが、断る人々は異邦人たちの間よりもユダヤ人の中に多かったのです。

 出発する十二使徒一人一人に、我らの主のチュニックに似た上着を聖母はプレゼントされました。御自身で織りましたが、天使たちに手伝ってもらいました。色は褐色と灰色の中間の色でした。聖母は、各人の身長と大きさの十字架を入手し、各使徒に贈りました。全員この十字架を担いで布教に出かけ、死ぬまで手放しませんでした。ある暴君は使徒をその十字架で拷問し、幸福な死を遂げさせました。

 聖母はもう一つの贈り物を用意しました。小さな金属の箱に、御子の茨の冠から取った刺を三つ、幼児イエズスを包んだ産着の一部と、割礼の時と御受難の時に主の御血を拭った木綿の切れ端を入れ、一箱づつ使徒たちに贈りました。これらの聖遺物は聖母が崇敬して大事に保存しておいたものです。聖母の所有物でこれ以上の宝物はありません。使徒たちは慰めと喜びに涙を流して押し頂きました。彼らは聖母に感謝し、聖遺物の前に平伏した後、お互いに抱き合い、別れました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P289

元后の御言葉

 

 私の娘よ、本章のレッスンは、信心深い初代教会と現代の汚れた教会を比較し、悲しみ、嘆き、ため息をつき、できれば血の汗を流すことです。現代に於て教会の聖性の純金は隠され、昔の使徒時代の美しさは失われています。神の善の川の流れを止めるのは人間の自由意志です。人が神の愛を自由意志によって妨げないならば、人間の霊魂は神の本質と属性により充満されます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P290

第六章

聖パウロの改宗

 

 聖パウロはユダヤ教に於て傑出しています。第一の理由は、彼自身の正確で、第二の理由は、彼の自然的に良い優秀さを悪魔が勤勉に利用したことです。聖パウロは寛大、高潔、高貴、親切、活発、勇気と恒常の性質の持ち主でした。道徳的諸徳も獲得しました。モーゼの律法を信奉する教授として、その学問を積み重ねた人として栄誉を受けました。しかしながら、ティモテオに述懐したように、その精髄については無知であったのです。というのは、聖パウロの学問は人間的、現世的であったからです。多くのユダヤ人のように、彼は律法を外側から知っていただけで、その精神を知らず、神から洞察力を頂かず、正しく知ることができませんでしたし、その神秘を探れませんでした。

 キリストの律法を理屈と公式裁判により滅ぼせるように思えましたが、迫害という犯罪に身を落とし、暗殺の片棒を担ぐことは、自分の威厳と名誉にふさわしくないように感じられました。聖母を殺そうと考えると、もっと大きな恐怖を感じました。聖母が女であるからであり、聖母が落ち着いておられ、苦労やキリストの御受難をいつも良く忍耐されたことを目の当たりにしたからです。聖母が高潔な女性で、崇敬に値すると聖パウロは思えたし、公衆の面前で聖母がどれほど悲しまれ、苦しまれたかを知っていて、少しは同情したからです。聖母を殺せという悪魔の非人間的暗示をはねつけました。その反面、改宗しようという気も起りませんでした。ルシフェルの勧めにも関わらず、使徒たちの暗殺にも気が進みませんでした。悪魔の邪悪な考えを排斥しながらも教会を迫害し、キリストの御名も地上から消すように全ユダヤ人に呼びかけました。龍と手下たちはサウロをそこまで決心させたことで満足しました。この男の命をどのようにして保つかについてお互いに相談し合いました。サウロの保護者、そして生命と健康のための医者になったのですが、人間の生死は神の御手にあるという事実を無視しています。サウロがキリストの信仰を受入れ、自分たちの拷問と滅びのために戻って来るとは悪魔たちは想像もつきませんでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P291

 

 サウロの改宗がもっと素晴らしく光栄あるように神はお望みになり、サウロを祭司長たちの所に行かせます。サウロはエルサレムを離れたキリストの弟子たちを追いかけ、捕まえ、エルサレムへ囚人として連れ戻す許可を願います。このためサウロは自分の地位、財産と生命までも提供します。自分の祖先の律法が十字架に付けられた者の新律法を打ち破ることがサウロの希望です。サウロの申し出は祭司長と顧問団に喜ばれます。サウロの意図は、エルサレムを離れてダマスコに引きこもった何人かの弟子たちを捕まえることです。自分の所持金から裁判所の官吏たちや兵隊たちに給料を支払い、旅の準備をします。旅に付き添う大団体は、地獄からやって来た大群の悪魔たちです。教会を火と血で全滅させる意気込みでサウロと同じです。

 この動きは聖母には明らかに見えます。人々や悪魔たちの心の中を見せる幻視や知識の他に、使徒たちから来る報告もあります。迫害はますます激しくなり、サウロの改心は起りそうもないので、聖母は教会のため、サウロの改心のために新しい勇気と信頼を奮い起こして祈られます。主は聖母の御希望を受入れ、ある感覚的苦痛や一種の失神さえも聖母の御身に降りかかることになります。見るに見かねた主は申されます、「御母、御身の御意志は即座に行われましょう。御身の願い通りにサウロを変えます。この時からサウロは自分が今まで迫害してきた教会の守護者となり、私の御名と光栄の説教者となります。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P292

 

 短時間の後、ダマスコ近くの道でサウロに主は現れます。主は偉大な栄光の内にあり、光り輝く雲の上の御自身をサウロにお見せになります。同時にサウロは神の光に満たされ、心臓も感覚も圧倒されます。突然、馬から地面に落ちるやいなや、声が聞こえます、「サウロ、サウロ、何ゆえ汝は我を迫害するや?」 恐怖の驚愕の内に言います、「主よ、御身はどなたですか?」 声は答えます、「我は汝が迫害せるイエズスなり。汝が全能なる我を蹴ること能わず。」 恐れおののきながらサウロは言います、「主よ、私に何をお命じになりますか?」 サウロの仲間たちは質問と返答のやりとりを聞きましたが、救い主を見ることができませんでした。サウロを囲む光輝を見て恐れ、驚きのあまり、しばらく口がきけませんでした。

 この新しい不思議な事件は、それまで世にあったことより重大で、感覚的に知られることよりもっと遠くに達します。サウロは打ちのめされ、無力となり、神に支えられなかったら死んだでしょう。サウロの体の中では、母の妊娠の時の無から有への転換よりも以上の苦しみがありました。過去のサウロからの転換は、闇の中の光の出現、天地の分割よりももっと大きいのです。なぜなら、サウロは悪魔の顔形から、最高位の最も熱烈なセラフィムに転身したからです。この転身の時間は極めて短時間で、ルシフェルが自分の誇りにより、偉大なる美しい状態から大変に醜い姿になり、天国から地獄へ落下したのと同じくらいあっという間の出来事でした。聖パウロの転身は、神がルシフェルと手下たちに勝ったことです。恩寵の回復です。それと共に聖パウロへ光栄も与えられました。神を見るという光栄で、ルシフェルは頂いたこともなく、頂くための功徳も積んだことがありません。聖パウロの場合は一瞬の内に自分を清め、聖とし、恩寵を頂き、更に神の光栄に参加し、神を見せて頂くことになったのです。全ては救い主のお陰です。主の恩寵が罪より強く、聖パウロを本来の恩寵状態に戻しただけでなく、神の栄光に参加させたことは、天地創造よりも、盲目の人に視力を、病者に健康を、死者に生命を取り戻させることよりも偉大です。聖パウロになさったのと同じことは神は私たちにもして下さることができます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P293

 

 聖パウロは地面に平伏している間、聖化する恩寵により全身が更新され、内的能力の全てが回復し、最高天に昇りました。聖パウロは第三天と呼び、そこへ身体ごと昇ったのか、霊魂だけであったのか判らないと告白しています(二コリント12・2)。僅かな時間でしたが、神を明瞭に直感的に見ます。神の本性と無限の完全性の属性、受肉と救世の神秘、恩寵の律法と教会の状況を聖パウロは認識します。自分の義化という誰にも及ばない祝福、聖ステファノの自分のための祈りと聖母の祈りが判ります。自分の改心は聖母のお陰で早くなったこと、自分が神に迎えられたのは、主の次に聖母の功徳によることが明瞭になります。その時からパウロは、聖母への感謝と献身の気持ちで一杯になります。同時に、自分が使徒職に召し出されていることも認識します。聖パウロは神の聖旨に自分を捧げます。至聖三位一体の神は聖パウロを受入れ、異邦人への説教者として、世界中に主の御名を伝えるために選ばれた器として任命します。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P294

 

 サウロの改心と視力損失の後、三日目に主はダマスコに住む弟子アナニアに出現され、市の中のユダという家に行き、タルソのサウロに会うように話されます。同時にサウロは、アナニアが来て自分に視力を回復してくれるという幻視を見ます。アナニアは主の御命令に答えます、主よ、サウロはエルサレムの聖人たちを迫害し、大勢の人を処刑に追いやりました。それでも飽きたらず、サウロは祭司長からの逮捕状を持ってやってきました。御身の御名を唱える者を捕まえるためです。私の如き羊を、食い殺そうとする狼の所へ行かせたいのですか?」 主はお答えになります、「行け、我が敵と見なされる者は、我が御名を諸国民とイスラエルの民に伝えるために選ばれた器である。」 アナニアはサウロの改心のことも教えてもらい、聖パウロに会いに出かけます。祈りに耽っている聖パウロに挨拶します、「兄弟なるサウロ、あなたが旅で会った我らの主イエズスは私をよこし、あなたの視力を回復し、あなたを聖霊で満たします。」 聖パウロは御聖体を拝領し、元気になり、主に感謝します。三日間の断食の後の初めての食事をします。ダマスコにしばらく滞在し、弟子たちと相談します。弟子たちの足許に平伏し、赦しを願い、最も価値のない僕として、兄弟として扱ってくれるように乞うのです。弟子たちの承認を得て聖パウロは、キリストが世界の救い主であることを熱心に、智恵により説教して回ります。ダマスコの多くの集会堂にいるユダヤ人は混乱し、言います、「この人はエルサレムでキリストの名を口にする者たちを火と剣で迫害した男ではないか? そのような者どもを捕まえにここに来たのではないか? 一体どうしたのだ?」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P295

 

 聖パウロは毎日強くなり、ユダヤ人や異邦人にますます強力な説教を続けます。従ってユダヤ人たちは彼の命を狙います。

 聖パウロの改心は一月二五日に起こりました。聖ステファノの殉教後、一年と一か月たってからです。聖ステファノは三十四歳と一日でした。改心した時、聖パウロは三十五歳と一月でした。そして、その年は我らの主の御誕生三十六年目にあたります。

 聖母は聖パウロの迫害からダマスコでの活躍までの様子を誰よりも良くご存知でした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P295

元后の御言葉

 

 私の娘よ、改心の時、聖パウロが叫んだ言葉を味わいましょう。「主よ、私に何をお望みですか? 御身のために何を致しましょうか?」 この時、自分中心の生活から神中心に聖パウロは切り替えました。その時、本気であっただけでなく、生涯、主の聖旨に従い続けました。

 主は大勢の霊魂をこのように劇的にではなくとも目覚めさせます。目覚めた者の内、堅忍を通しおおせる者は少ししかいません。霊的な生活を始めても気が弛み、肉的な生活に終わります。ある人々は最初から中途半端な気持ちで始めます。自己愛を常に持ち続け、名誉欲、所有欲、肉欲や罪を愛する気持ちがある限り、こういう人々はすぐにつまづき倒れます。

 自己を無き者とし、聖旨に身を捧げる聖パウロの言葉、「主よ、私に何をお望みですか」に聖パウロ自身の救いがかかっています。主に選ばれた器が自己主張することなど一体全体考えられるでしょうか?

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P296

第八章

聖母は聖ヨハネと共にエフェゾへ逃れる。ヘロデの死と罰。ダイアナ寺院の崩壊。聖母はエフェゾからエルサレムに帰る。福音史家たちに教える。御死去の前の至純なる御心の高揚。聖母の至福なる被昇天と天国に於ける戴冠。

 

第一章

ヘロデの迫害。神はマリアがエフェゾに滞在することを知らそうとされる

 

 西暦四十年一月五日、聖ヨハネは聖母にエフェゾへの出発の準備ができたことを告げます。聖母は直ちに跪き、高間とエルサレムを去る許可を主に願います。家の持ち主や住人たちに別れを告げると人々は心から悲しみ、全員お供したがるのですが、そういう訳にもいかず、聖母が早くお帰りになることを望みます。

 聖母は我々の救いのための聖所を訪れる許可を聖ヨハネに願います。主がおられ、御血を流された場所の数々へ二人で行き、主を崇拝します。聖母を守護する天使たちも同伴していますので、聖母は天使たちに、これらの聖なる地点をルシフェルたちやユダヤ人たちの手から守るように頼みます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P297

 

 出発にあたり、聖母は聖ヨハネに祝福を願います。このように謙ることは続けられます。主の愛すべき弟子であり主の代理者である聖ヨハネに対し、従順と謙遜を示すことは聖母にとって当然のことのようです。多くの信者たちがお金、宝石、乗り物などを寄付しましたが、聖母は全部断り、海岸までは荷物運搬用のロバに乗られます。以前、御子や聖ヨゼフと共にした旅を思い出されます。港に着くとすぐに他の乗客たちと共に乗船されます。この船旅は聖母にとって初めての船旅です。聖母は、地中海の大きさ、深さ、中の洞穴や隠れたくぼみ、海の砂、潮の満ち干、海の中に棲息している鯨、大小の魚、不思議な生物を明瞭に見ることができます。この偉大なパノラマを見て、創造主の偉大さ、全智全能を表現しているとお思いになった聖母は、いと高き御方に賞賛と感謝の祈りを捧げます。海が荒れて来た時、海の怒りに身を任せざるをえない船客や乗組員のことを同情して、聖母は全能者に保護を願いました。聖母の御名を呼び取次を願う者、聖母のメダイか絵などを所持する者、危険に遭い、死ぬならば、天使たちの女王である聖母から恩恵が得られることを無視したり、荒れ狂う嵐の中で聖母を思い出さなかったり、または信仰や信心を持って祈らなかったためです。主の御約束や聖母の愛が、海で遭難している人を見殺しにはなさらないからです。

 上陸された時、聖母は病人や悪魔憑きの者たちを癒しました。エフェゾには、エルサレムから来たキリスト教信者が少数いました。聖母の到着の知らせを聞いて集まって来て、自分たちの住居や持ち物を提供しました。聖母は、隠居している貧しい女性が二、三人住んでいる家を選びました。女性たちは天使の助けにより、家を聖母のために立派にしました。とても奥まった部屋が聖母の部屋になり、聖ヨハネも一室借りることになります。聖母は家の所有者たちに感謝し、自分の部屋に行き、平伏し、いつものように祈ります、「全能の神なる主よ、無限の御身は天地を充満しておられます(エレミヤ23・24)。御身の卑しい召し使いなる私は、御身の聖なる聖旨をいつどこでも、どのような場合でも実行したいと思います。御身は私の善なる神であり、私の存在と生命であられ、聖旨の方に私の考え、言葉、行いの全てが向います。」 聖母は教会のために祈り、全信者を助けるための御計画を作ります。聖母は天使たちを呼び、悪魔たちや不信心者により起こされた迫害に苦しむ使徒たちや弟子たちに天使たちを送られました。当時、聖パウロはユダヤ人たちから攻撃される前に、かごに乗り、ダマスコの城壁に沿って城壁の下に降ろされました。エルサレムへ向う途中でも聖パウロは天使たちに守護されました。聖パウロに対する地獄の怒り方は、他の使徒たちに対するよりも桁違いに酷かったのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P298

 

 聖パウロの記述によると(ガラ1・18)、エルサレムに行ったのは三年後であるとなっていますが、「改心後四年」が正しいと私は考えます。と言うのは、聖パウロはエルサレムで聖母や聖ヨハネに会っていないからです。エルサレムで会えたのは聖ぺトロ、聖ヤコボや他の弟子たちです。聖パウロを信用できない彼らに取り入ってくれたのは聖バルナバです。聖パウロはキリストの代理者の足許に平伏し、接吻し、自分の過ちと罪を詫び、仲間として主の信奉者として入れてくれるように乞います。使徒たちは聖パウロの気持ちが長続きするかどうか危ぶみますが、やっとのことで受入れます。全員、謙って神に感謝の祈りを捧げます。聖パウロがエルサレムで説教を始めます。火の矢のように人々の心を突き刺すと、人々は以前のサウロを知っていたので、驚き、恐ろしくなります。二日間で、聖パウロはエルサレム市全体に知れ渡ります。ルシフェルと手下たちは聖パウロの到来により最も苦しみ、もっと無力になり、動けません。しかし、彼らの誇りと悪意は永遠に消えないようです。彼らが聖パウロに神の徳があると認めるやいなや、ルシフェルはかんかんに怒り、悪魔の大軍を召喚し、聖パウロを完全に滅ぼすように、そしてエルサレムと世界中の建物を破壊するように勧告します。悪魔たちはヘロデやユダヤ人たちを扇動し、聖パウロを敵と考えさせ、彼の熱烈な説教に警戒させます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P299

 

 聖母はエフェゾに引きこもられながら、神の御知恵のお陰で、また天使たちの報告により、聖パウロの身の上に起っていることが判りました。エルサレムから離れているため、直接に使徒たちを助けられないことを残念に思い、祈りと願いをもっと増やし、絶え間なく涙を流し、嘆息をつき、天使たちに使徒たちを援助するようにお願いします。主は聖母の祈祷中に御出現になり、聖母の祈願を受入れ、聖パウロの命を守ることを確言なさいました。また主は、神殿で祈っている聖パウロを恍惚状態に高め、直ちにエルサレムから逃げるように命令されました。エルサレムについて十五日のうちにエルサレムを出ることになります。幻視のことを聖パウロは聖ぺトロに告げ、承諾を受け、カイザリアとタルソに密かに行きます。

 聖パウロの脱出について知らされた後、聖母は聖ヤコボの命乞いをされます。聖ヤコボは聖母の従兄弟にあたり、とても親しくされました。サラゴサにいた聖ヤコボは、派遣されてきた天使たちによって、聖母がエフェゾにおられることを知りました。スペインのサラゴサの教会がだいたい建設されてから、司牧を弟子たちに任せ、サラゴサを発ち、諸地方を巡回説教しながらカタロニアに着き、イタリアを通ってアジアに向かい、エフェゾに来ます。聖母の足許に平伏し、涙を流し、主の大いなる御恵みを感謝します。聖母は彼を床から起こし、申されます、「私の主よ、御身は主により聖別された方で、主の牧者であること、私は卑しい塵であることを思い出して下さい。」すぐに跪き、聖ヤコボの祝福を願います。聖ヤコボは自分の兄弟である聖ヨハネにも会い、三人で高潔な会話をします。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P300

 

 その後、聖ヤコボは、エルサレムでヒレトスとヘルモゲネを改宗させ、ユダヤ人たちの怒りを買います。そのため、ユダヤ人たちはローマ軍 百夫長二人、デモクリトスとリジアスを買収し、聖ヤコボを逮捕させることにします。その年の大祭司アビアトルと同心の祭司長ヨジアスが計画を練ります。聖ヤコボが救世の神秘について昔の書物から引用して素晴らしい説明をして聴衆を感動させ、悔い改めの涙にむせさせた時、祭司たちは怒り心頭に発し、大騒ぎを引き起こします。時を移さずヨジアスは聖ヤコボに投げ縄を投げ、首に絡ませ、聖ヤコボが騒ぎを起こした張本人であり、ローマ帝国に新宗教を勝手に作ったと宣言します。二人の隊長は兵士たちと共に駆け寄り、聖ヤコボを縛り上げ、ヘロデ王の所へ引き立てます。ヘロデはアルケラスの息子で、ルシフェルによって憎しみを抱き、悪意と憎悪のユダヤ人たちにより動かされていました。自分の兵士たちを送り、聖ヤコボを苦しませ、牢に入れさせます。聖ヤコボは主のように捕らえられ、縛られて、聖母の予告通り、殉教によって現世から永遠の生命に移る所へ引き立てられることを予見し、嬉しくて仕方ありません。主への感謝と信仰を会衆に公表します。聖母が自分の死の時に付き添って下さるという御約束を思い出し、聖母に心から呼びかけます。エフェゾの家の祈祷室におられる聖母は、愛すべき使徒である従兄弟の祈りを聞きます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P301

 

聖ヤコボの身の上に起こっていることすべてを知っておられましたし、彼のための嘆願もなさってこられました。お祈りしておられると、天から全階級の天使の大軍が降りてきて、一部の天使たちは刑場に向かう聖ヤコボの周囲に集まり、残りはエフェゾの聖母の所へ来るのが聖母には見えます。一位の天使が聖母に挨拶します、「天の元后、私たちの貴婦人よ、いと高き主なる神が御身にエルサレムに駆けつけ、聖ヤコボを勇気づけ、死に直面するのを助け、聖なる希望を叶えさせるように望まれます。」聖母は感謝し、いと高き御方の御慈悲を信頼し、御手に命を任せる者を保護して下さることを讃美します。聖ヤコボが刑場に向かう途中、集まってきた病人や悪魔憑きを治します。この人たちは聖ヤコボの最後の司牧を心から希望したのです。その間、天使たちは最も輝く玉座に聖母をお乗せし、聖ヤコボの刑場にお連れします。聖ヤコボは跪き、いと高き御方に自分の命を献げ、目を天に挙げると心の中で祈り、訴えていた聖母がそばの空中におられるのが見えます。歓喜に満ち、神の御母である全創造の女主人に対する崇敬宣言を言おうとしますと、大天使に控えるように言われます、「ヤコボ、われらの創造主の僕よ、この尊い気持ちを心の中に抑え、私たちの女王の御臨在と御助けをユダヤ人に知らせないで下さい。ユダヤ人たちは女王を知る価値も能力もなく、女王を尊敬する代わりに憎しみの心を固めるだけでしょう。」聖ヤコボは天の女王に心の中で話しかけます、「私の主イエズス・キリストの御母、私の女主人である保護者よ、御身は困る者を慰められ、苦しむ者の避難所となられ、今私に祝福を与えて下さいます。御身の御子なる救世主に私の命を捧げて下さい。主の御名と御光栄のため、はん祭の犠牲となりたいのです。御身の御手が私のいけにえの祭壇になり、私のために十字架上で御死去になった主への献げ物としてふさわしくなりますように。御身の御手に、そして御手を通して創造主の御手に私の魂をお任せします。」 言い終わり、聖母を見つめながら、聖ヤコボは斬首されました。聖母は処刑された使徒の霊魂を受け取り、即座に御自分の隣りに置かれ、最高天に昇り、御子に捧げます。いと高き神は聖ヤコボの霊魂を受け取り、主の民の王たちの仲間入りをさせます。聖母は全能者の玉座の御前に平伏し、使徒たちの中で最初の殉教者のため、讃美と感謝の歌を歌います。聖三位一体の神は、聖母と聖母が一生懸命準備なさった教会に祝福を賜ります。全聖人も同様に聖母を祝福した後、天使たちは聖母をエフェゾの聖母の祈祷室にお送りします。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P302

 

 聖ヤコボの弟子たちは次の夜、遺体を確保し、密かにヤッファに運び、スペインのガリシアに行きます。聖母はそのため、天使を案内役として送ります。スペインは、聖ヤコボと彼を助けて下さった聖母のお陰で信仰を得たのです。聖母のお陰で聖ヤコボの遺体を持ち帰れました。聖ヤコボの御逝去の日付は西暦四十一年三月二十五日で、彼のスペイン宣教開始後五年七ヶ月になります。

 聖ヤコボの殉教は、ユダヤ人たちの最も不敬な残虐行為をますます盛んにするきっかけとなりました。ルシフェルと手下たちは、ユダヤ人たちに聖ぺトロを捕まえるように唆します。聖ぺトロはたくさんの鎖に巻かれ、地下牢に入れられ、過ぎ越し祭の後に処刑されることを待ちます。

 エルサレムに起きていることをよくご存知の聖母は、聖ぺトロの釈放を主にお願いされます。熱心にお願いし、嘆息をつき、平伏し、血の汗をお流しになります。主は聖母の所に出現され、御顔が土にまみれている聖母を引き起こされ、申されます、「私の御母、御身の悲しみを和げて下さい。お望みになることは何でもおっしゃって下さい。私は何でも叶えましょう。お望みの通り御身がなさいますように。私が御身に差し上げた力をお使い下さい。私の教会のために必要なことは何でもなさって下さい。悪魔たちの怒りがすべて御身に向けられることは確かです。」 聖母は感謝して申しあげます、「いと高き主よ、私の霊魂の希望と生命よ、御身の血と生命により買い戻された霊魂のため、働くように、御身の召し使いの心と魂は準備してあります。私は役立たずの塵埃に過ぎませんが、御身は無限の力と智恵を備えておられます。御身の御助けにより、私は地獄の龍を怖れません。御身は教会のために私が行うことを御望みになりますので、私は今、教会を悩ますルシフェルと悪の執行者たちが地獄に行くこと、御身が許可されるまで地上に帰って来ないことを命令します。」 エフェゾにおられる世界の女王のこの命令は、大変強力でしたから、この瞬間、エルサレムにいる悪魔全員は地獄に落ちました。ルシフェルと仲間たちは、この罰が聖母により命ぜられることがわかりましたが、混乱し、落胆し、次の機会を狙います。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P303

 

 聖母は主にお願い申し上げます、「私の御子なる主よ、もし聖旨ならば、御身の天使たちの内の一位を聖ぺトロのいる牢屋に遣わし、聖ぺトロを釈放して下さい。」

 命を奉じる天使は急いで穴牢に行くと、入口には大勢の兵士たちがいて、牢の中では聖ぺトロが二本の鎖に巻かれ、二人の兵士に見張られています。過ぎ越しの祭りは既に終わり、翌朝は処刑と決まっているその前夜でした。聖ぺトロは何の心配もなく眠っています。天使は彼を揺さぶり、目を覚まさせて話しかけます、「早く起きなさい。帯を締め、靴を履き、外套をかけ、私の後についてきなさい。」 聖ぺトロは鎖が外されているのに気付き、何が何だかわからないまま天使について行きます。天使は町の通りを案内してから、全能者が聖母の御取次に答えてあなたを牢から救い出したことを伝えます。やっと我に帰った聖ぺトロは主に感謝します。聖ぺトロは逃げる前に、聖小ヤコボや信者たちの所に行き、自分の救助について報告することにします。ヨハネ、別名マルコの母マリアの家に急ぎます。その家は高間の家で、大勢の弟子たちが滞在しています。聖ぺトロは通りから呼びます。ロデと言う女召し使いが降りて行き、誰が外にいるのか見に行きます。聖ぺトロの声だとわかると、戸を明けもしないで弟子たちの所へ飛んで行きます。弟子たちは信用しません。ロデがしつこく言い張るので、聖ぺトロの守護の天使に違いないと考えます。弟子たちがあれこれ考え、話し合っている間、聖ぺトロは外に立ち通しです。やっと戸を開けて弟子たちは聖ぺトロに会い、大喜びします。聖ぺトロは、天使が助け出してくれたことを皆に報告し、聖ヤコボや他の兄弟たちに密かに知らせるように言います。ヘロデが厳しく探索していることを考え、聖ぺトロは夜中にエルサレムを抜け出すことを全員一致で決めます。聖ぺトロは無事に逃げ、ヘロデの探索は無駄に終わります。ヘロデは番兵たちを罰し、弟子たちをますます憎みます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P304

 

 聖母は祈りと涙にくれ、守護の天使たちの中で最高位の天使に言います、「いと高き御方に仕える者よ、いと高き御方の玉座の所に昇り、私の困難を伝えて下さい。私が主の忠実な僕たちの代わりに苦しむ許可を得て下さい。ヘロデが教会を破壊する企みを実行することをお許しにならないよう、私の名により主に頼んで下さい。」すぐさま天使は天に昇り、聖母の願いを伝えます。聖母が祈り続けておられると、天使は戻ってきて報告します、「天の女王様、万軍の主は御身が教会の御母、女主人、そして女監督であること、そして御身は地上に於いて主の御力を所有することを宣言され、天の女王としての御名がヘロデに刑の宣告を下すことをお望みになります。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P305

 

 最も謙遜な御母はこの報告に戸惑い、愛徳により質問をされます、「主の御姿に像られて造られた人間に対し、私は死刑を宣告すべきでしょうか? 私としましては可能な限り、人々の救いを願い、罰を急いでお願いしたことはありません。天使よ、主の許に戻り、私の法廷も権力も主よりも低級で、主に依存しますから、私の主に相談せず、死刑宣告できません。もし、ヘロデを救いの道に連れて来られるならば、ヘロデの霊魂が滅びないため、御摂理に従い、私はこの世のあらゆる苦労を忍びたいと思います。」 天使は直ちに天に昇り、聖母の第二のメッセ―ジを伝えます。聖母の所に戻り、主の御答えを申します、私たちの女主人なる女王様、いと高き御方は仰せになりました、「ヘロデは悪意に凝り固まっているので、警告も教訓もはねつけるでしょうし、どんな助力者とも協力せず、救いの効果を得ようともせず、諸聖人の取次も御身の努力さえも受けつけないでしょう。」

 聖母は三度目の伝言を天使に託します、「もし、教会を迫害するのを止めるのはヘロデが死ぬことであるなら、ああ、天使よ、全能者が私に取次を願う者は誰でも人類の避難所、弁護人、そして仲介者になる権利を与えて下さいました。あらゆる人々が私の御子の御名により、赦しの保証を得るようにとの御配慮からでございます。もし、私が人々の愛すべき御母であるべきならば、主の御手による被造物となり、主の御命と御血に値する者とは誰でしょうか? その内の一人に対してどのようにして私は厳しい裁判官になれるのでしょうか? 私は審判を任されたことはなく、いつも慈悲を行うように命令されて参りました。愛と厳しい審判に対する従順の対立によって私は混乱しております。ああ、天使よ、私の混乱と心配を主にお伝えし、ヘロデが私の審判なしに死ぬことが聖旨に叶うかどうかよく質問して下さい。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P306

 

 天使は三度目に天に昇り、聖三位にお伝えします。聖母の慈悲を喜ばれる聖三位のお返事を天使は聖母に伝えます、「私たちの女王、私たちの創造主の御母、私の貴婦人、全能なる神は申されます、『御身の慈悲は、御身の強力な取次を願う者たちに与えられるべきであって、ヘロデのように御身の取次を嫌悪する者にはふさわしくない。御身は神の御力全部を備えた教会の女王であり、その力を適宜に使うべきです。ヘロデは死ぬべきです。ヘロデの死を御身が宣告し、命令しなければなりません。』」 聖母は答えられます、「主は正義にして公平であられます。もしもヘロデが自分の自由意志により慈悲に値しない者とならず、身の破滅を選ばないならば、私は彼の霊魂を救うために何度でも死の苦しみを受けたいと思います。ヘロデは、主の御姿に似せて造られたいと高き御方の作品であり、世の罪を除く小羊の血によって救われました。しかし、私はこのこと全てを除外します。ヘロデが神に対する頑固な敵となり、神の永遠の友情に値しないことだけを考え、神の最も公平な正義により、彼がこれ以上教会を苦しめないように、死を宣告します。」

 神の御母が光栄のため、御母を御子と同じ君主として最高権力を全被造物に対して行使する女主人として任命したことの証拠として、主はこの不思議をなさったのです。この神秘は聖ヨハネの第五章によく書かれています。「御父のされないことを御子はできません。御父が御子を愛されるが故、御子は御父と同じことをなさいます。御父が死者を蘇らすならば、御子もそうされます。御父は御子に全ての人々を審判する権利を御与えになりました。全ての人々が御父を誉め讃えるため、御子を賞賛します。御子を誉めないで御父を誉めることはできません。」 そして直ちに付け加えます。御父は御子に審判権を御与えになりました。御子が人の子であられ、聖母を通して人の子となられました。御子が御母に似ておられるので、審判権に関して、御子と御母の関係は御子と御父の関係と同じです。御母は御自身により頼むアダムの子孫全員に対して慈悲と寛大の御母です。それと同時に、御母があらゆる人々を審判する全権を保有し、人々が御子なる真の神を讃えるように御母を讃えるべきことを人々が知るように望まれました。主は聖母が主の御母として、単なる被造物として、御母にふさわしい程度と割合に於て、主と同じ権力を御母に御与えになりました。この権力を行使し、聖母は、天使を神の刑の執行者としてカイザリアに行かせ、そこにいるヘロデを殺すことを命じました。福音史家聖ルカが述べたように、主の使いはヘロデを打ち、ヘロデの体は虫に食い尽くされ、この不幸な男は現世と永遠の死を遂げます。この打撃は内的なものであり、この内面的打撃から腐敗と虫がヘロデの体に湧き出て、惨めな死に成り果てたのです。ヘロデのそれまでの行動を説明しましょう。聖ヤコボを斬首し、聖ぺトロには逃げられた後、ヘロデはカイザリアに行きました。自分とシドンとティロの住民たちの食い違いを是正するためです。ニ、三日してヘロデは王として紫の着物を着て玉座に座り、威張って話しました。人々はお世辞たらたらに彼を勝利者として神として讃えます。虚栄心のかたまりであるヘロデは、人々のへつらいに満足します。神に光栄を帰する代わりに自分を神としたため、主の天使が彼を打ったのです。これが最後の犯罪でしたが、その他数多くの犯罪を過去に犯してきました。使徒たちを迫害したり、私たちの救世主をあざけったり、洗者聖ヨハネを斬首したり、自分の義妹に当たるヘロデアと姦通したりしました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P307

 

 天使はエフェゾに戻り、聖母に刑の執行について報告しました。聖母はヘロデの滅亡を泣き、悲しまれた後、主の裁定を讃え、教会がこの処罰により得た恩恵のために感謝しました。聖ルカの記すように(使徒12・24)、教会は御言葉により成長し、増大しました。迫害者がいなくなった後のガリラヤやユデアだけではなく、聖ヨハネと聖母によりエフェゾの教会も根付きました。祝されたこの使徒の智恵はケルビムの智恵のように完全で、使徒の愛はセラフィムのように燃えていましたし、使徒は智恵と恩寵の女主人である彼の御母兼、先生と一緒だったのです。お陰で恩寵の律法の基礎作りという大事業は、エフェゾやアジアの近隣地域や西洋の境界地帯まで進展しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P308

 

 エフェゾで活動し始めたころ、当地の異邦人たちの間に多数のギリシャ哲学者が輩出していましたが、所詮、人間の学問で、多くの間違いの混合物でした。聖ヨハネは人々に本当の智恵を教え、キリスト教の確実性を説き、奇跡も示しました。彼は聖い教えの宣教者を聖母に送りました。聖母は人々の心中を察し、心に呼びかけ、天の光で満たしてあげたのです。不幸な人たちのために奇跡を行い、悪魔憑きや病人を治し、困窮者を助け、病院にいる病者を見舞い、看護しました。臨終に当たって大勢を助け、最後のあがきにある霊魂を救い、悪魔の攻撃から守り、創造主の所に安全に連れて行きました。非常に多数の霊魂を真理と永遠の生命への道に連れて行き、大変多くの不思議を行ったので、何冊の書物を書こうとも書き尽くせません。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P308

元后の御言葉

 

 全ての人々は天にまします永遠の御父の子供たちであり、兄弟姉妹たちを世話する義務があります。この義務は教会の子供たちに課せられています。キリストの信仰により養われ、全能者の御手から恩恵を頂く者たちに、もっと直接課せられています。キリストの律法により現世的特権にあずかり、肉への奉仕と喜びのため、特権を濫用する者たちは、強い者であるがゆえ、もっと強力に苦しめられることになっています。司牧者や、主の家の監督者が安楽な生活を求め、真面目な労働をしないならば、キリストの群れが殺されたり、地獄の狼共に食い荒らされたりすることになり、その責任を問われることになります。悪い司牧者のため、信者たちはどれほど苦労するでしょうか? 司牧者はカトリックの真理を知っていたし、良心の警告を聞いていたのですから、正義の裁判官の前で弁解することができません。

 教会が御子により建てられ、御子の御血により栄養を受けた後、不幸な時代が訪れています。主御自身が預言者たちを通して語っておられます、「ガザムが残したものは、いなごが食った。いなごが食い残したものは、エレクが食った。エレクが食い残したものはハジルが食った」(ヨエル1・4)。葡萄の収穫の後、主は葡萄園を歩き回られ、少しでも葡萄を集められます。まだ干からびておらず、悪魔たちに持って行かれなかった残りの葡萄を主は探しておられます(イザヤ24・13)。

 私の娘よ、あなたが御子と私に対して本当の愛を持っているなら、御子が御血によってお救いになり、私が血の涙で求めた霊魂が失われるのを黙って見ていることができますか?

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P310

第二章

使徒たちの会議

 

 不幸なヘロデの死後、エルサレムの初代教会はかなりの間、無事平穏でした。その頃、聖バルナバと聖パウロは小アジア、アンティオキア、リストラ、ペルゲなどの諸都市で説教し、大成功を収めました。聖ぺトロは牢獄から解放された後、エルサレムから脱出し、ヘロデの治めていないアジアの一地方に引きこもりました。アジアやパレスチナの成長しつつある教会は、聖ぺトロをイエズス・キリストの代理者、教会の頭として認めました。信者たちは聖ぺトロにいろいろなことを質問しました。質問の中には、聖パウロと聖バルナバがエルサレムやアンティオキアで割礼やモーゼの律法に反対していることも挙げられています。エルサレムにいる使徒たちや弟子たちは、聖ぺトロの帰国と教義問題の解決をお願いします。彼らは聖母のご帰国もお願いします。全信者は聖母にお会いしたいし、聖母を通して主の励ましを受けたいし、聖母のご滞在により教会が繁栄することを望んでいます。聖ぺトロは帰国を決意し、聖母に手紙を書きます。

 「童貞にして神の御母なる聖マリアへ。

 イエズス・キリストの使徒、御身の僕、神の僕たちの僕なるぺトロより。

 貴婦人よ、信者たちは、御身の御子なる我らの救世主の教えと共に、モーゼの昔の律法も信じるべきかどうかについて質問しています。答えを先生である神から聞きたいのです。私の兄弟なる使徒たちと協議するため、私はエルサレムに参ります。全信者の希望と御身の教会に対する愛のため、御身のご参加をお願い申し上げます。エルサレムはヘロデの死後、信者にとり安全になっています。御身のお助けにより、信仰と恩寵の律法に貢献するものは何かを見分けたいと思います。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P311

 

 聖母からこの手紙を見せてもらった聖ヨハネは、聖母がキリストの代理者に対して何を書かれるかを尋ねます。聖母は答えられます、「私の息子である主よ、あなたが適当と考えることを取り計らって下さい。私はあなたの召し使いとして従います。」 聖ヨハネは申し上げます、「教会の頭に従うことは正当なことです。」 聖母は答えます、「出発の準備を始めましょう。」

 聖ヨハネに言われた通り、聖母は婦人たちを集め、信仰のために忍ばなければならない事項を教えます。

 出発の日、聖母は聖ヨハネの祝福を願います。二年半滞在したエフェゾを後にするにあたり、聖母の護衛天使千位が人間の形をして現れ、武装して隊列を整えているのが聖母に見えます。大龍と同盟軍攻撃に対し、準備するようにという印です。海辺に着く前に、地獄の大軍が待ち構えていて、その真ん中に龍がいるのが見えます。龍は七つの頭があり、恐ろしい形相を示し、大きな船よりも大きいのです。これらの恐るべき敵に対し、聖母は堅い信仰と熱烈な愛により、御自身を強固にし、御子の御言葉や詩篇を繰り返します。聖母は天使たちに守備を命令します。聖ヨハネはこのような事態を全く知りませんでした。

 御二人は乗船し、船に帆が立ちます。船が港から少し離れると、地獄の龍たちは海に暴風を起こします。その物凄さは今まで見たことも聞いたこともありません。波は恐ろしいうなり声と共に高まり、風に乗り、雲の上に達するようで、水と泡の山を作り、海を大きく広げるみたいです。船は波にここかしこ、叩かれ続けます。一回叩かれただけでも船はばらばらになるほどの強さで叩かれるのです。船は雲の中に投げ込まれたかと思うと、海底に落とされたり、帆も帆柱も泡の中に埋もれます。言語を絶する暴風の最初、船は天使たちの手により空中に保たれました。お陰で海底に押し落とそうとする大波から船を救いました。乗組員も船客もこの助けに気がつきましたが、気違いになって迫って来る死を嘆き悲しみました。悪魔たちは人間の形となってそばの船の上にいるように見せかけ、人々が船を棄て、悪魔たちの船に避難して来るよう呼びかけます。他の船も暴風に痛めつけられましたが、悪魔たちの怒りと暴力は、聖母の乗っておられる船に集中したのです。聖母は全て御存知でした。船乗りたちは声に騙され、自分たちの船を守ろうとはせず、海の怒涛に任せ、他の船に救ってもらおうと思ったのです。しかし、天使たちは乗組員の代わりに舵を取り、船を守りました。この混乱と危機の間、聖母は威厳と徳により心の静寂を保ち、英雄的諸徳を実行しました。前回の船旅の時と同様、航海の危険を再び実感し、航海者全員への同情を更新し、前からの祈りや嘆願を全てもう一度申し上げました。海の不敵な力を嘆願し、この無生物である被造物により表現された正義の神の怒りに思い至りました。神の怒りは人間の罪のせいであることが明瞭ですから、世の中の救いと教会の成長のために熱心に祈りました。聖母はこの航海の難儀を主に捧げました。御自身のため、この迫害と苦難を受けている乗船者たちのことを思い、御心が大変痛みました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P312

 

 聖ヨハネは、自分の本当の御母である世界の女主人のご苦労を思い、とても心配になりました。二、三度、聖母をお慰めしようとしました。普通はエフェゾからパレスチナまで約六十日かかるのに、今回は十五日だけで、そのうち十四日は暴風雨でしたから、聖ヨハネは度を越えた困難の毎日に落胆し、聖母にある日質問します、「これはどういうことですか。私たちは海に沈むのですか。どうぞ御子に御憐れみの御眼を私たちに向けて下さるようにお願いして下さい。」聖母はお答えになります、「私の息子よ、心を騒がせないように。私は主のために戦い、堅忍により主の敵を打ち破らなければなりません。私たちといる人たちを一人として海に沈まないように、イスラエルを見守られる神が眠られないように懇願します。天軍の中で強力な天使たちが私たちを守護します。全人類の救いのために十字架にかかられた主のために苦しみましょう。」 これを聞いて聖ヨハネに元気が出てきます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P313

 

 ルシフェルと悪魔たちは、聖母が海に沈み、決して助からないと脅迫し続けます。しかしながら、恐ろしい脅しは的を外れた矢のようなものです。聖母はルシフェルたちを避け、聞くことも見ることも話しかけることもしません。彼らは、聖母のお顔からいと高き御方の徳が輝いているのを一瞥すらできません。この徳を打ち負かそうとすればするほど、彼らはもっと弱くなり、徳という武器により苦しめられます。

聖パウロと聖バルナバはエルサレムに入ると、聖母のご帰還を知り、直ちに聖母のもとに参り、平伏し、喜びの涙をぽろぽろ流します。聖母も神の御名を高め、信仰を広めるため全力を尽す使徒二人に特別な愛を持っておられます。聖母も二人の足許に平伏し、二人の手に接吻し、祝福を願います。この時、聖パウロは素晴らしい知的幻視を頂き、この神秘的な「神の都市」つまり、聖母マリアの偉大な神秘と特権について啓示を受け、聖母が神性により完全に包まれているのを見ます。

 教会の頭である聖ぺトロは、エルサレムの中や近隣にいる使徒たちを集め、聖母の臨席の下に会議をすることにしました。全員に向って挨拶します、「我らの救世主なるキリストにおける兄弟たちと子供たちよ、我々が集まり、困難を解決し、我らの兄弟なるパウロとバルナバが知らせてくれた事態について決定し、その他、信仰を増大させるための他の事柄を決めることは必要であります。そのために聖霊の御助けを願い、今までの習慣のように十日間の祈りと断食を続けることは適当であると考えられます。最初と最後の日、我々は神の光を受入れるようにミサ聖祭を行います。」全員、このやり方を認めました。翌日のミサのため、聖母は高間を掃除し、装飾を付け、用意万端整えます。聖ぺトロがミサを立て、他の使徒たちや弟子たちはぺトロから御聖体を拝領します。聖母が一番最後でした。大勢の天使たちが高間に降って来たのが全員に見えました。聖変化の時、高間は素晴らしい光と芳香に満たされ、その中で主は人々の霊魂の中に素晴らしい効果をもたらしました。最初のミサの後、全員は何時間か祈り続けました。聖母は一つの所に引き下がり、十日間飲食を絶ち、誰とも話さず、一人きりで身動きもしませんでした。その間、主は天使たちに命令し、最高天にお連れしました。体も霊魂も共に天に行かれたので、天使が高間で聖母の代わりになりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P314

 

聖母が地上よりはるかに高い空に来られた時、全能の主はルシファーと部下全員を女王の前に召喚しました。全員がそろうやいなや聖母はご覧になり、ありのままに彼らを知り、どんな状態にいるのかもわかりました。悪霊たちは嫌悪すべき姿をさらけ出したので、見るに耐えませんでした。聖母は神の徳により武装されていたので、恐るべき、呪うべき様子をご覧になっても傷つきませんでした。主は彼らに、敵として迫害しているこの「女」の偉大さと優越さを理解させます。聖母に対抗しようとする馬鹿さ加減を認知することになります。もっと恐ろしいことは、聖母が御胸の中に秘蹟にこもられたキリストを抱いておられることです。神が聖母を抱き、悪魔たちを辱め、投げ飛ばし、滅ぼす、神の全能の中に聖母を包んでおられることでした。悪魔たちに神の御声が聞えます、「不敵で強力な我が腕が支えるこの盾により、我は我が教会を絶えず守る。この『女』、古代の蛇の頭を踏み砕き、蛇の厚かましい誇りに打ち勝ち、我が御名に誉れを帰するなり。」 絶望と痛みに堪えかね、悪魔たちは叫びます、「全能者の力よ、俺たちを地獄に投げてくれ。この『女』の前に俺たちを留め、火よりもつらい目に遭わせないでくれ。ああ、無敵、強力な『女』、立ち退け。全能者の鎖に繋がれ、御前から飛び離れられないのだ。俺たちの終わりが来る前、どうして俺たちを苦しめるのか(マテオ8・29)。全人類の内でお前だけが俺たちに反抗する全能者の器だ。お前のお陰で俺たちがなくした永遠の至福を人類はもうけやがった。神を永遠に見えないと絶望した者共は、お前のせいで救世主の確かな善業の報いをもらった。お前は俺たちにとって苦痛と罪だ。俺たちを放してくれ。全能の主なる神よ、天からの墜落という罰の繰り返しを中止してくれ。この強力な武器で俺たちは罰せられる。」 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P315

 

 この嘆きと脱出の試みは長い間続きます。主は聖母が彼らを釈放する権威を行使されるように望まれます。女王として釈放をお許しになると、彼らは天から地獄の穴へまっしぐらに飛び込みます。彼らは恐ろしいうなり声を上げ、地獄に落とされている人々を震え上がらせます。負けを否定できないという落胆と苦痛で、人々の前で、全能者と御母の御力を宣言します。御母はこの勝利を獲得した後、最高天を目指されます。最高天では、新しい敬うべき歓待を受け、二十四時間滞在しました。

 聖母は主の御前に平伏し、聖三位一体を崇め、教会のため、使徒たちが福音の律法を樹立し、モーゼの律法を終了させるため何が適当であるかを理解し、決定するように祈ります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P316

 

 聖三位の別々の御声が次々に響き、使徒たちや弟子たちを助けることを御約束になります。御父は全能により教会の体制を指導され、御子は教会の頭として御智恵により教会を助けられ、聖霊は教会の浄配として愛と啓示により援助されることを聖母に保証されます。次に御子の人性が、聖母が教会のために捧げた祈願を御父に御知らせになり、御認めになり、祈願が成就されるべきことをお勧めになります。福音の信仰と主の全律法が世界中に神の御意志により確立されるべしとお勧めになるのです。直ちに我らの救世主キリストの提案を実行するにあたり、神の不変の真髄により、ダイヤモンドが輝く水晶で建立され、エメラルドやレリーフで飾られた教会が出て参ります。諸天使と諸聖人は叫びます、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、強力なるかな、主の御業よ」(黙示録4・8)。聖三位一体はこの教会をキリストの人性の御手にお渡しになり、キリストは聖母にお渡しになります。すると同時に聖母は新しい輝きで満たされます。

 長時間この喜びの中に留まられた後、聖母は天使たちにより高間にお帰りになりますが、御手には御子より頂いた神秘的教会を持っていらっしゃいます。その後九日間、聖母は身動きされずに祈り続けられます。聖母がなさった神秘的なことの中には、救いの宝を教会の子供たちに分け与えたこともあります。御子は全教会の統治と全恩寵の分配を聖母に任せられたのです。

 さて十日目が来ると、聖ぺトロはミサを立て、全員が聖体拝領しました。全員、聖霊に祈り、教会の諸問題の解決について相談を始めました。頭としての聖ぺトロが最初に話し、聖パウロ、聖バルナバ、聖小ヤコボの順で話しました。この会議の第一の決定は、割礼の律法とモーゼの律法は受洗者に強制されないということでした。永遠の救いは、洗礼とキリストの信仰により与えられるからです。他の決議は、例えばある信者の不適当な信心業を中止するために教会の祭儀の規定を作ることなどです。信経を決定した会議では、使徒だけが出席しましたが、今回の会議には弟子たちも参加しました。また、今回は決定の仕方も公式決定でした。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P317

 

 会議の決定事項を手紙としてアンティオキア、シリアやキリキアの教会に、聖パウロ、聖バルナバや他の弟子たちにより送られました。アンティオキアでこの手紙が信者に発表された時、聖霊が目に見える火となって降りて来られたので、全信者は勇気づけられ、カトリックの真理を確信しました。

 聖母は主に感謝し、聖パウロなど遠方に行く者たちに、我らの主キリストの着物の一部などまだ残っていた物を贈り、聖母の守護と祈りを約束して彼らを勇気づけました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P317

元后の御言葉

 

 私の娘よ、人性と天使のペルソナの違いについて説明しましょう。人生は弱く、疲れ易く、仕事の途中で諦めます。徳の業が難しいとわかると落胆します。ある日は喜んで徳に進みますが、次の日には徳を批難します。今日は熱烈でも明日はぬるま湯のようになります。ところが天使も堕天使も霊であり疲れません。悪霊はいつも霊魂を誘惑する時、決して疲れません。神は悪霊たちの行動を制限し、人間を支持して下さいます。恩寵と力を私たちに与えてくださるので、私たちは悪霊たちに抵抗し、打ち勝つことができます。

 誘惑に対抗して同じでいられないこと、善行と悪霊に対する戦いの苦労を耐えられないことは弁解できません。欲望にかられると感覚的な楽しみに引かれ、悪霊の側につき、禁欲の辛苦や嫌悪を誇張するようになり、禁欲が健康や生命に危険であると見なすのは悪魔的なずるさから来るのです。このように悪魔は無数の霊魂に自分自身を地獄の低い穴の方にどんどん落として行くように騙します。人々は悪魔に仕えるため、徳を積むよう神の律法が命令するよりも、もっと困難で骨の折れる罪の業を行うのに忍耐強く、いつも準備しています。自分の霊魂を救う行為をする時はぐずぐずし、自分に永遠の罰を科する時は熱心です。

 私の娘よ、悪霊たちは私の胸の中にこもっておられる御聖体を感知して、大変な恐怖に襲われたことをあなたは書き記しました。あらゆる秘蹟は、悪霊たちを怖がらせるための最強の手段です。特に御聖体の秘蹟がそうです。信心と敬虔をもって秘蹟に度々あずかる者は悪霊たちを支配します。秘蹟の中の神の火は純粋な霊魂の中で霊魂と同化します。私の中で神の火は、単なる被造物としての可能性の極限までとても活発です。

 

 

 

第三章

福音書

アグレダのマリア/神の都市/P318

 

 いつも書きますように、私は聖母のなさったあまりにもたくさんのことを全部書き記すことはできません。福音書の成立にあたり、聖母が取り計らって下さったこと、福音書に記されるべきあらゆる神秘について聖母は良く知っておられたことは特筆に値します。この知識を聖母は何度も頂きましたが、特に御子の御昇天の時に頂きました。その日以来、聖母は何度も主の御前に平伏し、使徒たちや福音史家たちに神の光を与え、時期が熟した時、書くことを命令して下さるようにお願いしました。

 前章で述べたように、聖母は天に挙げられ、主より教会を委託された後、高間に戻り、割礼などに関する討議、決定すべき会議の前に祈りに入られました。その時、主は聖福音を書く時が来たので、教会の女主人としてそれを取り計ることを聖母にお命じになりました。聖母は深い謙遜から、主の代理者兼教会の頭である聖ぺトロがそれをすべきことで、そのように重要なことに関して神の啓示を頂くべきことを主から同意していただきました。会議が割礼の問題を解決した後、聖ぺトロは我らの救世主にして師なるキリストの御生涯の神秘を書き記す必要性について参会者たちに提案しました。書物ができれば、使徒たち、弟子たちは、信者たちに相違しない同じことを説教し、古い律法を廃止し、新しい律法を樹立できます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P319

 

 このことは、聖ぺトロが聖母に前もって相談してあり、全参会者の賛成を得ました。一同は聖霊に祈り、誰が書くべきかを聖霊に指示していただくことにしました。すぐに光が聖ぺトロの上に降り、御声が聞えました、「司祭長なる教会の頭が、世の救い主の御業と御言葉を記録する者、四人を任命すべし。」聖ぺトロと全員は平伏して主に感謝します。全員起き上がると聖ぺトロは話します。「我らの愛すべき兄弟マテオが自分の福音書を御父、御子と聖霊の御名により書き始めなさい。マルコが二番目で、同様に福音を御父、御子と聖霊の御名により書きなさい。ルカが三番目の福音を御父、御子と聖霊の御名により書きなさい。我々の最も愛すべき兄弟ヨハネは、御父、御子と聖霊の御名により、我らの救世主なる師の神秘を記す第四番目、最後になります。」この決定が主により承認されたことは、聖ぺトロの宣言がもう一度繰り返され、任命された者たちにより承諾されるまで天の光が聖ぺトロに留まっていたことにより確かめられました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P320

 

 聖マテオは二、三日後に最初の福音を書き始める前に、高間の奥の部屋で祈り、主の歴史の初めについて啓示を願っていると、偉大な威厳と光輝の玉座に腰かけられた聖母が、ドアが閉められているのに入って来られます。聖母は彼に立ち上がるようにおっしゃいます。彼は立ち上がり、聖母に祝福を願います。聖母は申されます、「私の僕なるマテオよ、あなたが福音を書くという幸運を頂き、神の祝福により福音を書き始めるようにいと高き御方が私をお遣わしになりました。あなたは聖霊の御助けを頂きます。私の全心からそれを請い願います。しかし、人となられた御言葉の受肉と他の神秘を現すため、そして、主の教会の基礎として世界に主の信仰を確立するために絶対必要なこと以外は書かないで下さい。この信仰が樹立された後で、主の強力な御手が私になさった神秘と祝福を信者たちに示す他の人々を、後ほど主は見つけられるでしょう。」聖マテオは聖母の指示に従う意志を明らかにし、福音を作成することを聖母と話していると、聖霊が目に見える形で降りて来られます。聖母のそばで聖マテオは書き始めます。聖母が去られた後、書き続け、ユダヤで書き終えます。ヘブライ語で書き、完成したのが我らの主の四十二年目です。

 福音史家マルコは、主の生誕後四十六年目に自分の福音をヘブライ語でパレスチナで書きました。書き始める前に自分の書き始める意図を聖母に知らせ、神の啓示を得て下さるように聖母に願うことを守護の天使に頼みました。聖母はお聞きになり、主は直ちに天使たちに、最も美しい光輝く玉座に聖母をお乗せし、聖マルコの許にお連れするように命じました。聖母の前に平伏し、聖マルコは言いました、「救世主の御母なる全被造物の女主人様、私は御子と御身の僕であり、御身の御来訪の価値がない者です。」聖母はお答えになります、「あなたが仕え、愛するいと高き御方は、あなたの祈りが聞き届けられ、聖霊があなたの福音を書くにあたってお助けになることを保証するため私をお遣わしになったのです。」聖母は聖マテオにおっしゃったように、聖母御自身のことは書かないようにおっしゃいました。即座に聖霊が目に見える輝く姿となり、聖マルコの上に御降りになり、お包みになり、内的啓示により満たされました。聖母のおられる間に聖マルコは書き始めました。その時、聖母は六十一歳でした。後に、聖マルコはローマの信者たちのためにもラテン語で書きました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P321

 

 聖母が六十三歳になられた年、聖ルカはギリシャ語で福音を書きました。聖ルカが書き始めようとした時、聖母が出現されました。人となられた御言葉の受肉やキリストの自然な母としての威厳について書くことになりました。聖霊が聖ルカの上に御下りになり、聖母のそばで聖母から直接事実を教わりました。聖母が玉座に腰かけておられる姿を書くことは、聖母の御要求通りしませんでした。その時、聖ルカはアカイアに住み、長い間、聖母と一緒でした。

 最後で四番目の福音史家、聖ヨハネは主の暦で五十八年の時、聖母の被昇天の後、ギリシャ語で、異端や誤謬に対し書きました。聖母の被昇天の後、ルシフェルたちは御言葉の受肉の信仰を弱めるため異端の種を撒いたのです。この信仰は過去において彼らを征服したからです。このため聖ヨハネは我らの救世主キリストの真で疑うことのできない神性を論証したのです。

 聖ヨハネが書き始めようとした時、聖母は天から降って来られました。全階級の何千もの天使たちがお供しました。聖母はお話しになります、「ヨハネ、私の息子、いと高き御方の僕よ、全人類が御子を永遠の御父の御子として、真の神として、そして真の人間として認めるようにあなたが書く時が来ました。私の神秘や秘密を書く時はまだ来ていません。世の中は、私を偶像崇拝するかもしれませんし、ルシフェルは救い主や聖三位の信仰を頂く人々を混乱するかもしれません。聖霊があなたを助けるでしょう。」聖母は聖ヨハネを祝福し、聖ヨハネを生涯守ることを約束し、天にお昇りになりました。聖母が神の知識と神の知的幻視により高められるにつれ、教会に対する世話と気配りも多くなりました。日々、信仰は地上に広がりました。真の御母なる先生として、使徒たちのことを心から気遣いました。聖ヨハネと聖小ヤコボ以外は全員、会議後エルサレムを離れました。聖母は使徒たちが外国で苦労することを心配しました。司祭として、御子の使徒として、教会の創立者として、教義の説教者として、いと高き御方の光栄に仕える者として選ばれた者としての使徒たちに最高の崇敬の気持ちを持っていました。聖母は天使たちに、使徒たちや弟子たち全員の世話をし、苦労している時は慰め、困難に当っては助けるように指名しました。使徒たち、弟子たちが今何をしているか、着物が不足していないか、天使たちに報告してもらいます。聖母は、彼らがエルサレムを出る時、着ていた物と同じ着物をいつも着れるように手配されました。これは御子の着ておられた物と同じ形と色の着物です。天使たちの手を借り、御自身の手で上着を織り、天使たちに、旅に出ている使徒たちに届けてもらいました。使徒たちは主と同じような格好で、主の御教えや御生涯について説教しました。食物に関しては、彼ら自身で托鉢するか、自給するか、施し物をもらうか自分たちで決めさせました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P322

 

 異邦人、ユダヤ人や、悪人たちをいつも唆す悪霊たちによる迫害から、使徒たちは天使たちにより助けられます。聖母の御名により、天使たちは人の姿になって彼らに現れ、慰めます。時には心の内部に働きかけます。牢獄から救い出したり、危険や罠について警告したり、旅に付き添い、場所や人に応じて何をすべきか教えたりします。天使たちは全てを聖母に報告します。聖母は、大変な労働をされ、使徒たちの全労働よりももっとされます。聖母が使徒たちや教会のために奇跡を行なわない日も夜もありません。これら全ての他に聖母は使徒たちに手紙を何回も書きます。天からの勧告や教義、慰めや力づけのための手紙です。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P323

元后の御言葉

 

 私の親愛なる娘よ、いと高き御方の司祭を畏敬、尊敬しないベリアルの娘たちから離れなさい。司祭、主により聖別された者、キリストを代表する者、キリストの御体と御血を聖別する者が、悪徳、不純、現世的女たちに仕えることは何ということでしょうか? 貧乏人の司祭は金持ちの司祭よりも威厳がもっと少ないですか? 私の御子が司祭や司牧者に与えるものよりも、金持ちはもっと多くの威厳、権力、優秀さを与えるでしょうか? 天使たちは司祭の高められた威厳を尊敬します。

 司祭が自分の威厳を忘れ、他の人たち、特に女たちに奴隷奉公するなら、司祭は大変罪深く、批難されるべきです。司祭が貧乏人であるので、金持ちが司祭を僕として奉仕させることは、私にとり大変不愉快なことです。神の母として私の威厳は偉大ですが、私は司祭たちの足許に平伏し、司祭たちの歩いた所を接吻したことを大いなる幸福と考えます。天国の玉座から、私は司祭に同じ崇敬を捧げます。司祭が祭壇に面しているか、又は手に最も祝された御聖体を手に取っている司祭のことを考え、敬うのです。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P324

第四章

キリストの受難と御聖体に対する聖母の信心

聖母が汚れなき御宿りと他の祝日をどのように祝われたか

 

 教会の実際の運営に注意を怠らない一方、聖母は密かに苦業、善業に励み、いと高き御方より無数の賜物と祝福、及び全信者の恩恵や霊魂の救いを頂きました。天の偉大なる女王として多くの特権を頂いているにも関わらず、聖母は御子の生涯の行動や神秘をいつも記憶しました。晩年、神やあらゆることを見せる知的幻視の他に、主は聖母の御宿り以来、何事も忘れないという特権を聖母にお与えになっています。

 前述したように、聖母は我らの救い主イエズスの御受難のあらゆる苦痛を心身共にお感じになりました。主の御受難の傷跡は聖母の内部に刻み込まれています。御心の中に御受難により傷つけられ変形した御子の御姿をいつも保存しました。主があらゆる状況、時と場所で受けた傷、暴行、侮辱や涜聖を聞きましたし、御受難をありありと見ました。一日中この悲しい幻視は聖母に徳行を積むきっかけとなり、悲しみと同情を引き起こし、更に別の苦行を天使たちと共に行なわれることになります。我らの主キリストが受ける傷や苦痛の一つ一つのため、聖母は特別な祈りと挨拶を唱えます。特別な讃美と礼拝の祈りです。ユダヤ人や他の敵たちの侮辱の一つ一つのため、涜聖の言葉の一つ一つのため、聖母は特別な讃美歌を作曲します。軽蔑の仕草、あざけりや個人的中傷のため、聖母は最も深い謙遜、跪きや平伏しを実行し、それらの侮辱を償おうとなさいます。こうして聖母は御子の神性、人性、聖性、奇跡と教義を告白します。全てのため、聖母は光栄と荘厳さを御子に帰します。聖母の善業に参加する天使たちは、単なる被造物におけるこのような智恵、忠実さと愛の一致を崇めます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P325

 

 聖母が御生涯にこれだけの善業しかなさらなかったとしても、諸聖人が神のために耐え忍んだことの全てよりももっと成し遂げられ、もっと大きな功績になります。愛の力による聖母の御悲しみは、殉教を何回も繰り返したことと同じです。もしも、主が生き永らえさせて下さらなかったなら、聖母は何回も御死去になったことでしょう。これら全ての徳行を実際に教会のために捧げて下さったので、信者たちはこの献げ物を不幸な人たちのために自由に使えます。この救いの宝に信者たちは感謝しなければなりません。聖母の黙想の効果も驚くべきほどです。聖母は血の汗を何度も流されました。血は御顔を覆いました。苦しみの時、血の汗を全身に浴びました。血は床に落ちました。時々、心臓は極度の御悲しみのためにねじられました。このような時、御子は天から下りて来られ、新しい生命力を御与えになり、御悲しみを和らげ、傷を癒して下さったので、聖母は同情の業を続けることができました。

 主は御復活節に聖母が悲しみを除くよう望まれました。しかし、喜びや主に対する感謝の時でも、主の御苦痛を決して見失わず、同情の他の効果も感じておられました。主の恩恵の甘美さの中に、主の御受難は苦しみを混合させました。聖ヨハネの承諾の許に、毎週金曜日、御子の御死去と御埋葬を記念するため、祈祷部屋に引きこもられました。その日の訪問客を聖ヨハネが応対しました。聖ヨハネの都合が悪い時は、他の弟子が代わりました。聖母はこの徳行のために木曜日午後五時、自室にこもられ、日曜日の昼まで外に出て来られませんでした。教会の運営が疎かにならないように、聖母は天使に聖母の姿になってもらい、急ぎの件は早くしてもらい、教会員に対する愛徳業や家事も十分に果たしてもらいました。聖母のこの苦業の全貌は主のみ御存知で、いつか私たちに理解させてくださるかもしれません。主がなさったこと全て、足を洗うことから苦痛の数々を受け、御復活までの全てを記念し、体験されることを毎週毎週、聖母の御在世中続いたのです。この業により聖母は大きな恩恵と祝福を頂いたので、私たち全員に御受難の宝に参加するように御勧めになります。聖母は教会がこの記念を続け、保つように希望されたので、教会の大勢の信者が見習うように主は命じられました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P326

 

 聖母はこの徳業において、御聖体の秘蹟を特に祝うように強く望まれました。主を崇め奉る聖母に、守護の天使たちや最高天の天使たちが参加するようにお望みになりました。いと高き御方は天使の大軍をお遣わしになり、キリストが聖母の中に秘蹟的に留まり給う不思議をお見せになります。聖母の中にキリストがおられるため、聖母はどの天使よりも、セラフィムよりもっと純粋でもっと聖であることがわかり、天使たちは光栄と讃美を神に唱えます。

 聖櫃に御聖体を安置するように、聖母が御自身の中に保有するに値すること以上に素晴らしいことは、聖母が聖体拝領の準備を毎日なさったことです。拝領の前日の夕方から祈祷部屋に入り、神の不変の真髄を拝み、御自身が卑しい身であるにも関わらず聖なる秘蹟における御子を頂くことを許してくださるように祈られます。秘蹟の内に教会内に留まり給うが故に、教会を愛する主に訴えられます。主に対し、御自身の御受難と御死去、主の人性と神性の一致、主の御生涯中の功徳、天使の徳と過去、現在、未来の義人の徳を捧げます。次に最も厳しい謙遜の業を行なわれます。神の無限に比べれば、塵と灰に過ぎない自分であることを公言されます。主を秘蹟の内に拝領することを黙想し、心から感動し、天に昇り、セラフィムやケルビムを越えて高く上り、御自身は全被造物中最下等であると判断され、守護の天使たちおよび他の全天使たちに、御自身を聖体拝領を受けるに値するように準備できるよう、主に嘆願することをお願いします。天使たちは聖母の言いつけに喜んで従い、聖母の嘆願にお供します。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P327

 

 ミサの終わり近く、聖体拝領台に近づくにあたり、三度も恭しく跪き、愛に燃え、秘蹟の中の御子を拝領し、心から歓迎されます。拝領後、引きこもり、大事な用事のない限り、三時間一人きりでおられます。この時間、聖ヨハネは聖母から光が太陽光線のように照射しているのを見ることがしばしばありました。

 聖母は、ミサの無血犠牲を祝うため、使徒たちや司祭たちが普段とは違う飾られた神秘的着物を着るようにしました。御自身の手で飾りや秘蹟用衣類を作り、教会の伝統を始めました。ローマ・カトリック教会で使われてきた物とだいたい同じで、材料はもっと良く似ていて、リンネルや絹で、聖母に与えられた施し物や贈り物で買われました。これらの衣料を縫ったり、大きさに合わせたりしている時は、いつでも跪いたり立ったりしていました。これらを天使以外の聖具係には助けを頼みませんでした。これらの飾りや祭壇に使用される物を大変良く整頓し、きれいにしておきました。御手から天の芳香が出てきて、司祭たちの魂を燃やしました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P328

 

 使徒たちが説教していた諸国、諸地方から、大勢の改宗者がエルサレムに来て、世の救い主の御母に会い、話しました。訪問者の中には地域の監督である首長が多くの高価な贈り物を持参し、聖母や使徒たち、弟子たちに贈りました。聖母は御自身が御子のように貧乏であり使徒たちも主を倣い、貧乏であり、これら高級品は自分たちの生活に不適当であることを答えました。訪問者たちは贈り物を貧者のため、そして、礼拝のために受け取って下さるように乞いました。繰り返し頼まれたので、聖母は贈り物の一部を受け取り、高価な絹を使って祭壇の飾りを作りました。残りは貧者、病者に分配しました。聖母はそのような所を訪れる習慣になっていて、世話をしたり、両手で貧者の体を洗ってあげたり、跪いて施し物を分配しました。可能な限り困窮者たちを慰め、病人の最後の苦しみを和らげました。実際に愛徳を実行するか、自室で人々のために懇願するかして聖母は愛徳業を休んだことはありません。

 晩年になって聖母は寝食を極端に減らしました。聖ヨハネが少しでも眠るようにと頼んだので、少しは眠りました。しかし、この眠りは少しうとうととするくらいで、三十分以上は続かず、その間も神の幻視を失いませんでした。聖母の食べ物は普通のパンを二口、三口、口にされるのと、小さな魚一匹です。聖ヨハネが口やかましく言われるため、そして、聖ヨハネの食事の時、同席するためでした。聖ヨハネは聖母と共にいるだけではなく、聖母の料理された物を聖母が一人息子にするように給仕され、聖母から司祭として、キリストの代理者としての尊敬を受けたのは全く嬉しいことでした。聖母にとって、わずかばかりの寝食は生命の維持に必要ではなかったのですが、人間性を尊重するため、従順と謙遜を実施するために行なわれたのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P329

 

 聖母が教会の中で保っておられる全ての義務と称号、すなわち、元后、女主人、御母、女監督、先生(教会博士)は、全能者より与えられたもので、意味もない名前ではなく、恩寵の山を意味し、全能者がその一つ一つの恩寵を名指しされるのです。この豊富さは次のようになります。元后としての聖母は、統治権とその領域を全て御存知です。女主人として権力の大きさを知っておられます。御母として、教会の終わりまでの全時代における教会員全員、一人の例外もなくよく覚えておられます。女監督として、聖母に従う者全員をお知りになっています。先生として、聖母の御取次ぎにより、聖霊の御導きにより、聖なる教会を教え、案内すべき智恵と知識を備えておられます。

 聖母以前と以後の全聖人の生涯、業績、死と天国における報いばかりではなく、教会のあらゆる儀式、決定や祝日が、教会が発足して以来、何の理由、動機、必要性、機会のため、聖霊の御助けにより設定されたことを明瞭に知っておられます。聖母の全知識とそれに釣合う聖性により、地上の戦闘の教会に、勝利の天の教会の礼拝、崇敬や祭礼を紹介されました。天使たちがいつも見聞きしていて、聖母御自身、天国においていと高き御方の讃美と光栄のための礼拝に何回も参加されました。

 このようなセラフィム的精神により、聖母は多くの儀式、祝典や徳業を実践し始めました。これらは後に教会に紹介されました。これらについて使徒たちに教え込まれました。前述した御受難の信心業は聖母がお考えになったものです。その他も全ては後ほど、教会、信者や修道院に導入されました。主の礼拝と徳を積むことに関して知っておられることは何でも実行されました。知るべきことは全て知っておられました。主と御自分の祝日や、人類に関する一般的な恩恵のため、感謝と崇敬のお祈りをお忘れになりません。御自身の汚れなき御宿りと御子の御誕生をどのようにお祝いになったか、私は説明しましょう。両祝日を、御言葉の受肉の時から、特に被昇天の時から祝い始めました。十二月八日の汚れなき御宿りの祝日は、その前の晩から準備します。一晩中平伏し、主を讃美し、御自分がアダムと同じ土から作られ、自然の法則に従ってアダムの子孫になったことを深く黙想しました。御自身は同じ罪で圧迫されず、多くの恩恵を与えられて受胎されたのは、全能者により他の人たちから選り分けられたゆえであることに思いを致しました。御自身、守護の天使たちに一緒に感謝の歌と讃美の歌を交互に歌うように頼みました。夜中、歌い通した後、キリストが天より降りて来られ、天使たちが聖母をキリストと御一緒に天に御連れしました。天のエルサレムでは、主の宮廷全体の新しい光栄と喜びと共にお祝いが続けられました。聖母は平伏し、聖三位を崇め、御自分を原罪から離し、汚れなき御宿りをして下さったことを改めて感謝しました。聖母は御子なる主御自身の右に坐しました。聖三位は聖母の特権を今一度確かめられ、承認され、喜ばれたのです。次のような繰り返しの証言がありました、「ああ、王女よ、御身の足跡は美しい、罪なくして宿りたり。」 御子の御声は申されました、「我に人を救わんため、人体を下さりし御母は全く純にして罪の汚れなし。」 聖霊の御声が聞えました、「我が浄配は美しい、御身は美しく、宇宙の罪の汚点なし。」 御声と御声の間に全天使、諸聖人の合唱がありました、「至聖なるマリア、原罪なくして御宿られし。」 最も賢慮なる聖母は、感謝、礼拝と讃美を最も謙遜にいと高き御方に捧げられました。聖母は聖三位の直感的至福の幻視にあずかりました。何時間か神の光栄をお喜びになった後、天使たちに連れられて高間に戻られました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P331

 

元后の御言葉

 私の娘よ、一生を通じて私は御子の御受難と御死去を感謝しながら思い出しました。御受難を記憶しているだけでなく、苦しみました。人々は救いの理解できないほどの恩恵を忘れています。恩を忘れ、感謝しないことは、軽蔑することです。御子を犠牲にしてまで御父は私たちを愛してくださり、御子も私たちのために死を受入れてくださるのに、この愛を人々は嫌います。

 この状態をルシフェルと手下たちは次のように言います、「この霊魂は神の救いを覚えないし、敬わないから、我らの側に引き入れられる。そのような祝福を記憶しないほど馬鹿なら、我らの企みに気付くまい。一番強力な防衛をなくしているから、誘惑して滅ぼしてやろう。」この考えは間違っていないことを経験上知っているので、悪魔たちは熱心にキリストの御受難と御死去の記憶を消そうとし、説教や講演を軽蔑させようとします。これまで霊魂に恐るべき害を与えることに大成功しています。他方、キリストの御苦痛を黙想したり、思い出す者たちに対して油断せず、恐れています。キリストの御苦痛から勢力と影響力が出て来るのを悪魔たちは感じるのです。

 私が主の御母でありながら、主の御体を拝領する価値のない人間であると考え、非常に多くの手段で何とか自分を浄めようとしていますから、とても貧弱で色々な悲惨や不完全さを抱えているあなたも、自分の内部をきれいにすべきです。神の光により内部をよく調べ、大きな徳により内部を飾りなさい。諸天使、諸聖人の取り次ぎを願いなさい。とりわけ、私の助けを呼ぶことを勧めます。私は聖体拝領のために浄めたいと思う者の特別な弁護者であり、守護者です。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P332

第五章

大天使ガブリエルが聖母に死を告知する

 

 聖母は六十七歳になられましたが、御活動にぐずぐずしておられませんし、神に近づくことをやめませんし、愛の炎を消しませんし、功徳を積むことを減らしません。聖母の御生涯の一瞬間ごとにその御活動の全ては成長し続けたので、それに応じて主の賜物や恩恵も増え、聖母は完全に神々しく霊的になりました。聖母の最も純潔なる御心の愛情深い熱心と希望は、愛の中心の外における休息を許しませんでした。聖母は肉体の限界に留められることを嫌悪されました。聖母と永遠の一致を願う神の御希望は最高潮に達しました。地も人々の罪により、天の宝である聖母を主から引き離し、地にお引き止めする価値を失いました。永遠の御父は唯一、真の御娘の来られることをお望みになりました。御子は最も愛すべき御母のお出でを待ち望まれ、聖霊は最も美しい浄配の一致を願われます。天使たちは自分たちの元后を、諸聖人は偉大なる貴婦人を待ち焦がれ、全天は皇后の御臨席を待ちます。聖母が世の中や教会に留まるべしという弁解は、アダムの惨めな子孫たちがそのような御母、女主人を必要としていることです。

 神は御母に光栄を与えるため、天にお迎えになる時を決定されました。聖三位は、大天使聖ガブリエルにその日時を聖母に伝えさせます。大天使は他の天使たちと共に、エルサレムの高間に降りて来た時、聖母は床の上に十字架の形をして平伏し、罪人たちのために祈っておられました。天使たちの音楽が聞こえ、天使たちがそばにいるのを感じ、跪きの姿勢で起き上がり、天の大使と随員たちに敬意を表しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P333

 

 天使たちは白い輝く着物を着て、喜びと畏敬の気持ちを示しながら聖母の周囲に集まっています。全員が冠と棕櫚の枝を持っていますが、違う冠や棕櫚で、計り知れない美しさと価値の種々の賞与と報酬で、全て天使たちの元后である貴婦人に差し上げるものです。聖ガブリエルは、アベ・マリアと言って挨拶します、「私たちの皇后なる貴婦人様、全能なる最も聖なる御方が、御自身の御名前により、あなた様の地上における巡礼と追放の生活に最も幸せな終わりが来ることをお知らせするため、私たちをお遣わしになりました。ああ、貴婦人様、自然な死により、永遠な不死の生命をあなた様がお望み通り獲得されるその日その時が近づいています。光栄ある私たちの神なる御子の隣における生活が、御身のために準備されています。今日から丁度三年目、御身は天に挙げられ、主の永遠の御喜びの中に迎えられます。天国では全員が御身のお出でになるのを御待ち申しております。」

 このメッセ―ジを聖母は言葉に尽せない喜びと共に御聞きになり、地面に平伏し、御言葉の受肉の時と同じ言葉を申し上げます、「主の婢を顧み給え、御旨が成就せんことを」(ルカ1・38)。聖母はセラフィムや他の天使たちと交互に歌のやりとりを二時間にわたりなさいました。天使たちは霊として、本性も超自然の賜物において大変微妙、賢く、優秀ですが、聖母の方がもっと上です。両者を比較すると、侍従と国王の違い、又は生徒と先生の差があります。歌い終え、御自身を改めて謙らせ、天使たちに御自分の現世の命から永遠の命への移転を助けるように願い、そして、天にいる全天使や諸聖人に同じ願いをなさいます。天使たちは約束し、聖ガブリエルと随員たちは暇乞いをし、最高天に戻ります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P334

 

 全宇宙の偉大な女王は、祈り部屋で一人きりになり、謙遜な喜びの涙を流しながら地面に平伏し、母として地面を抱くようにしておっしゃいます、「地よ、私は汝に当然の感謝をします。六十七年間、功徳のない私を生き永らえさせてくれました。汝はいと高き御方の被造物で、いと高き御方の御旨により今まで、私の生命を保ってくれました。汝の上に住む残りの時間、私を助けてくれるように頼みます。私は汝を通して汝の上に造られ、汝の所から私の造り主に御目にかかる所へ挙げられます。」聖母は他の被造物にも声をおかけになります、「汝ら、諸天よ、惑星たちよ、諸恒星よ、自然よ、私の愛する御方の強い御手により造られた物よ、神の偉大と美の忠実な証人であり、公言者よ、私は汝らにも私の生命の借金があります。今日から後も私を助けて下さい。神の御助けにより、私の命の残された間、私の命の完成を開始し、私と汝らの創造主に私が感謝できるようにして下さい。」

 聖ヨハネや千位の守護の天使たちと一緒に、聖なる史跡を巡礼することになりました。被昇天前のこの旅のため、聖母はこの世の様々な用事を延期されました。我らの救いの記念すべき場所全てを訪れ、甘美なる涙を滝のように流され、御子の御苦難を悲しく思い出され、愛の熱烈な行為と、全信者が将来信心深く敬虔に聖地を訪れるようにという嘆願をなされ、御苦難の効果を更新なさいました。カルワリオの丘ではもっと長い間、立ち留まられ、御子の御死去が、大勢の霊魂の破滅から救いのために完全な効果を発揮するよう、御子にお願いされました。聖母のお祈りが最高潮に達した時、その激しさのため、聖母のお命は神の御助けなしには無くなったと思われます。

 聖地を守る天使たちや聖ヨハネに、この最後の巡礼において御自分を祝福するようにお願いした後、祈り部屋に戻られ、最も優しい愛の涙を流されます。地面に平伏し、教会のための長い祈りをされます。辛抱強く続けられると、主の知的幻視において主が出現され、聖母の御祈りが聞き届けられたことを保証されます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P335

 

 聖母は主に地上の教会を離れる許可を願い、与えられます。そして、教会に向かい挨拶します、

「聖なるカトリック教会よ、将来、ローマという名前がつくでしょう。私の母、女主人、私の霊魂の真の宝よ、御身は私の追放の間、唯一の慰めでした。避難所、私の労働を容易にして下さる御方、私の楽しみ、喜びと望み、御身は私の人生の旅程において私を支えて下さいました。御身の中で祖国へ帰る巡礼として生活しました。御身の頭、イエズス・キリスト、私の御子である主による恩寵のお蔭で、御身の中で私の存在を受けた後、御身は私を養って下さいました。主の無限の功徳の宝と富が御身の中にしまってあります。主の忠実な子供たちが約束の地へ向かう確かな道が御身です。危険で難しい巡礼において子供たちを守って下さいます。私たち全員が尊敬すべき諸国民の女主人は、御身でございます。御身の財産は、不安、労働、侮辱、困難、苦痛、十字架と死の富める計り知れない宝石です。これらは全て私の主、御身の先祖、御身の主人により聖別され、主のより優れた僕たちに予約されています。御身はこのような宝石で私を飾り、お金持ちにして下さいました。御身は私を繁栄させ、幸せにして下さいました。御身の至聖なる秘蹟の中に御身の造り主がおられます。私の幸せな母なる戦闘の教会よ、御身はおびただしい財宝を所有しておられます。御身のことを私はいつも心にかけてきましたが、今、御身から離れ、御身の甘美なるおつき合いからお別れする時が参りました。私の愛すべき教会、私の名誉と光栄よ、私のこの世における御身からお別れするところです。永遠の生命からあらゆる善を含む存在の中に喜ぶ御身が見えるでしょう。かしこより、愛を持って御身を見つめ、御身の増大、繁栄と進歩をお祈りしましょう。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P336

 

 次に、聖母が遺書を発表されるにあたり、聖三位が御降りになり、励まされました。次のような遺言となりました、「いと高き主なる永遠の神よ、地の塵である私は、御父、御子と聖霊、不離一体、永遠の精髄における明確な聖三位を心より宣言し、崇めます。王としての御臨席の下に、私は最後の遺言を申し上げます。地上の生活の何物も私は所有しておりません。御身以外の何物も所有しませんでした。御身は私の全財産でございます。諸天、諸惑星、恒星、自然とその他全ての被造物に私は感謝致します。御旨のままに被造物は功徳の無い私を養ってくれました。被造物は、御身に仕え、御身を崇め奉るようにお願いします。被造物が私の同朋を養い、恩恵を与えるようにお願いします。理性のない被造物の所有と統治は、主が私に下さいましたが、私は人類に譲ります。これら被造物が人類によく仕えるように希望します。二枚の上着と一枚の外套は、私の息子である聖ヨハネに残します。私の体は地に渡します。地は共通の母親であり、御身に仕える被造物ですから、私の体を御身のために使うでしょう。体や全ての見えるものから引き離された私の霊魂を御身の御手に委ねます。私の霊魂が御身を永遠に愛し、崇めますように。御身の恩寵により私の働きが得た功徳や宝は、聖なる教会、私の母である女主人に相続してもらいます。この相続はもちろん御身の許可を得た上でのことです。この宝がより一層増えるように希望します。この宝のお陰で、将来御身の御名を高め、御旨が天に行なわれるように地にも行なわれるようにし、全世界の人たちが御身を真の神と知り、愛し、崇めるようになりますように。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P337

 

「第二番目に、これらの功徳や宝を現在と未来の使徒たちや司祭たちに捧げます。御身の素晴らしい寛大さが、彼らを適切な司牧者にならせ、義務や立場に値するものにし、智恵、徳と聖性に満たされ、御身の御血により贖われた霊魂たちを教化、聖化できますように。第三番目に、私はこれらの功徳を私の名を呼ぶ私の僕たちが、御身の保護と恩寵を、最終的に永遠の生命を得るために捧げます。第四番目に、私の奉仕や労働により、罪を犯すアダムの子孫たちが罪から遠ざかるよう、御身の御慈悲に訴えます。この時より、この世が続く限り、御身の御前で人々のために祈り続けるつもりでございます。主なる我が神よ、これが私の最後の意志で、いつも御身の御旨に従わせます。」聖三位は聖母の意志を確認されました。救い主なるキリストは御母の心に「御身が望まれ、命ぜられるように、なれかし」とお書きになりました。私たちアダムの子孫が、聖母の広大な功徳を頂くという恩義をこうむるならば、この借金は私たちが最も勇気ある殉教者や聖人のように、生命を献げ、苦痛を忍んだとしても、決して私たちは払い切れません。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P337

 

元后の御言葉

 死の時やその後の審判について忘れることほど大きくて悪い誤謬はありません。この誤謬の門を通って、罪が世の中に入ったことを考えなさい。最初の女エワに蛇が言ったことは、「汝は死なないであろうし、そのことを考える必要がない」(創世記3・4)ということでした。こうしていつも騙され、死について考えずに生き、不幸な運命を忘れて死ぬ人たちの数は非常に多いのです。このような結末を避けるため、あなたの死は取り返しがつかないことを確信し始めなさい。多くを頂き、少ししか返さなかったこと、御恵みが多ければ多いほど審判はもっと厳しくなること、主の御恵みがいつでもどこでもどんな状況でも、忘れず不注意にならず働いていることをよく考えなさい。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P338

第六章

乙女マリアの光栄ある移行

 

 聖母の至高なる御死去の三日前、使徒たちや弟子たちはエルサレムの高間に集まりました。聖ぺトロが一番最初で、天使によってローマから連れて来られたのです。高間におられて聖母は、神に対する愛の力により、御体が少し衰弱しておられました。御死去が大変間近であったからです。御自分の祈り部屋の入口の所まで出て来られ、我らの救い主キリストの代理者を迎え、彼の足許に跪き、彼の祝福を請い、申されました、私はいと高き御方に感謝と讃美を捧げます。神が臨終の私を助けるため、聖なる父(教皇)を送って下さいました。次に聖パウロが到着しました。聖母は同じ出迎えの態度を示されました。使徒たちは聖母を神の御母、彼らの女王と呼んで挨拶しました。この尊敬と同じくらいの悲しみがありました。聖母の臨終に立ち会うために高間に集まったからです。他の人たちも集合しました。三日後、一堂に会した人々全員に聖母は深い謙遜、畏敬と愛をもって接し、一人一人の祝福を願われました。一人一人、聖母の御要望に応じ、感嘆すべき畏敬の挨拶をしました。聖母から色々受けた御指示に聖ヨハネは従い、聖小ヤコボの助力で人々は歓迎と宿泊のもてなしを受けました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P339

 

 天使たちにより運ばれ、会合の意味を知らされた使徒たちの中のある者は、自分たちの唯一の保護と慰めを失うことを考え、大変悲しくなり、涙を流し続けました。他の人たち、例えば弟子たちは、天使たちから告知されず、内的鼓舞と神の強力な勧めを感じただけでやって来たのですが、すぐに聖ぺトロの次のような説明を聞きました、「私の最も親愛なる子供たちと兄弟たちよ、主が遠方にいる私たちをエルサレムにお呼びになったのは他でもありません。主の至福の御母、私たちの女主人、慰め人である保護者が、永遠の光栄ある玉座に今昇られることをいと高きお方が望んでおられます。そのため主は私たちをお呼びになりました。私たちの主人である救い主が御父の右に昇られた時、主の御母なる私たちの光を地上に残されました。今、御母が私たちを孤児にされるにあたり、私たちは何が出来ますか? 私たちの巡礼を励ます希望はあるでしょうか? 私は時が来次第、御母の後を追うこと以外に何の希望もありません。」 涙にむせて聖ぺトロは話しを続けられませんでした。長い間、参会者たちも心の奥底でうめきました。やっと気を取り戻した聖ぺトロは続けます、「私の子供たちよ、私たちの御母である貴婦人にお会いしましょう。御母に残された時間、私たちのそばにいていただき、私たちを祝福していただきましょう。」 人々が御母の祈り部屋に行くと、御母は長椅子の上に跪き、美しく、天の光に満ち溢れ、千位の天使たちに取り囲まれていました。聖にして童貞なる御体は、三十三歳の時と同じで、年をとっても変らず、御顔にしわもなく、衰弱とか変色などありません。成人した時の元気に溢れる姿から加齢と共に段々しなび、弱々しくなる私たちアダムの子孫とは全く違います。聖母の不変性は聖母にだけ与えられた特権で、聖母の至純なる霊魂の安定性と一致し、アダムの罪に汚染されていないためです。室内では、使徒たち以下全員が秩序を保っています。聖ぺトロと聖ヨハネが長椅子の頭の所にいます。聖母は皆に敬意を表し、申されます、「私の最も親愛なる子供たちよ、あなた方の召し使いである私に一言話させて下さい。」 聖ぺトロは、聖母に皆が傾聴すること、何でもおっしゃるように答え、跪くのをやめ、長椅子に腰掛けるように御勧めしました。聖ぺトロは、聖母が長時間跪きながら主にお祈りされて、お疲れになられたであろうと思ったのです。この時、聖母は死に至るまで謙遜と従順の師としてこの二つの徳を実行されました。聖ぺトロの許可を得た後、長椅子を離れ、聖ぺトロの前に跪き、申されました、「私の主人、全宇宙の司牧者である聖なる教会の頭に、私は私的公的祝福を下さるようにお願いします。私は生涯にわずかな奉仕しかしませんでしたので、この婢をお許し下さい。聖ヨハネが私の着物や二着の上着を、私の世話をして下さった二人の婢に与える許可を下さい。」平伏し、キリストの代理者としての聖ぺトロの足に接吻し、たくさん涙を流し、使徒たちやそばにいる人たちに涙以上の感嘆を起こさせました。次に聖ヨハネのもとに行き、跪き、申されました、「私の息子、私の主人よ、主が十字架からあなたを私の息子として、私をあなたの母として任命されたのに、私は母としての義務を遂行できなかったことを許して下さい。あなたが息子として示して下さった御親切を心より感謝申し上げます。私をお造りになった神のおそばにいるため、あなたの祝福をお願いします。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P340

 

 一人一人の使徒たちと何人かの弟子たちにお別れの挨拶をした後で、立ち上がられ、参集者全員に話されました、「最も親愛なる子供たちである御主人様、私は絶えずあなた方のことを思い、私の心の中に書き記しました。あなたは御子の選ばれた友だちであり、あなた方の中に御子を見ます。御子が私に下さった優しい愛情と愛徳をもってあなた方を愛しています。御子の聖なる永遠の御意志に従い、永遠の住いに参ります。その住いにおいて、神の最も透き通った光により、あなた方を母として見守りましょう。あなた方に私の母なる教会、いと高き御方の御名の讃美、福音の律法の公布、御子の御言葉の名誉と尊敬、御子の御受難と御死去の記憶、御子の教義の実施をお任せします。私の子供たち、教会を愛し、愛徳の結びによりお互いを愛しなさい。あなた方の主がいつも教えられた通りです。聖なる教皇のぺトロよ、あなたに私の息子ヨハネと他の全ての人々を宜しくお願い申し上げます。」聖母の御言葉は神の火の矢のように全員の心を貫きました。聖母が話し終えられた時、全員はらはらと涙を流し、慰め切れない悲しみにうち沈み、地面に倒れ、嘆き、うめき、大地を震わせました。全員が泣き、聖母も泣かれました。しばらくして聖母はもう一度話され、黙祷するようにおっしゃいます。全員の黙祷中、輝く王座におられる御子が諸聖人や無数の天使たちに付き添われてお出でになりました。高間の家は光栄で満たされました。御母は主を崇め、主の御足に接吻しました。平伏して地上最後の最も深い信仰と謙遜の態度を示されました。全人類が自分たちの全ての罪のために謙るよりももっと深く御自身を低くされました。主は仰せになりました、「私の最も親愛なる御母、この死に至る生命から、御父と私の光栄の中に、御身がお移りになる時が参りました。私の力により、私の御母として、御身に触れる権利も許可も持っていません。もしも、御身がこの世の出口を通過されたくないならば、私と共に来られ、御身の功徳が獲得した私の光栄に参加して下さい。」聖母は御子の足許に平伏し、喜ばしい御顔でお答えになります、「私の御子にして私の主よ、私もアダムの他の子供たちと同様に、自然の死の共通の門を通って永遠の命に入らせていただきたいと思います。私の真の神である御身は、何の恩義も負っておられないのに死の苦しみをお受けになりました。私が生きることにおいて御身に従ったように、死においても御身に従うことは当然と思われます。」 救世主キリストは御母の決意、犠牲を承認され、その成就に賛成されました。そして、全天使たちはソロモンの雅歌や新しい歌を合唱しました。救い主キリストの御出現について啓示されたのは、聖ぺトロと聖ヨハネだけでした。他の人々は神からの強力な効果を内心に感じました。天使たちの歌声は全員が聞くことができました。神の芳香は広がり、外の通りにも達しました。高間の家は素晴らしい光に満たされ、誰にも見えました。主は街路に集まったエルサレムの住民たちがこの光景の証人となるように望まれました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P342

 

天使たちが合唱を始めた時、聖母は長椅子の上に横になられ、上着は御体のそばにたたんでおかれ、両手をお組になり、御目は御子を見つめられ、神の愛の火に全身が燃えました。天使たちが雅歌の第二章の何節か、「立て、急げ、我が愛せる者、我が鳩、我が美しき者よ、来たれ、冬は去りぬ」などを歌った時、聖母は十字架上の御子の御言葉、「ああ主よ、御手に我が霊魂を任せ奉る」を宣言されました。御目を閉じられ、息が絶えられました。聖母の命を奪った病気は愛です。他の弱さとか、偶発的な干渉は何もありません。神に対する燃える愛をその時まで制御していた助力を神がお止めになった瞬間、聖母は逝去されました。この制御がなくなるやいなや、聖母の愛の火は、心臓の生命の液を蒸発しつくし、この世における御生命に終止符を打ちました。

 天使たちの歌声が天に上がっていきます。諸天使、諸聖人の行列が王と王女に従い、最高天に昇ります。聖母の御体は素晴らしい光で輝き続け、今まで聞いたこともない芳香を発し、そばにいる人たち全員の内部、外部を満たします。聖母の守護に当たっていた千位の天使たちは留まります。使徒たち弟子たちは、見聞きした不思議で涙と喜びに我を忘れ、しばらくの間、感嘆し続けます。それから、たくさんの賛美歌や詩篇を聖母の光栄のために歌います。聖母が御逝去されたのは、八月十三日、金曜日、午後三時で、聖母の享年は七十歳でした。救い主キリストの御死去の後、二十一年間生活されました。聖母の御死去の時、日食が起こり、何時間か継続しました。色々な種類の鳥がたくさん高間の周囲に集まり、悲しげに鳴きました。エルサレム全市が騒ぎました。驚いた群集が集まり、神の力を声高く告白しました。他の人たちは驚愕のあまり、放心状態になりました。使徒たち、弟子たち、信者たちは涙を流し、ため息をつきました。煉獄の霊魂たちは釈放されました。最大の奇跡は、高間のすぐ近くに住んでいた二人の女とエルサレム市内の一人の男に起こりました。三人は罪を犯し、悔い改めないで死んだので、地獄に堕ちるはずでしたが、キリストの法廷で彼らが審議された時、主の御母が取り成したので、彼らは生き返りました。彼らは自分たちの行状を改め、その後、恩寵の内に死亡し、救われました。この特権はエルサレムで聖母と同じ時刻に死んだこの三人だけに与えられたのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P343

元后の御言葉

 

 私の娘よ、私が御子の人間としての死を見習い、自然死を遂げたことを御子なる主は御喜びになり、一つの恩恵を教会の子供たちに与えて下さいました。私に信心する者たちが死に際して私を呼び、私の幸せな死と主を模倣したいという希望を思い出し、私の弁護を望むならば、私の特別な保護を受け、悪霊たちに対して私によって守られ、主の慈悲の法廷に共に出廷し、私の取り成しを受けることになります。従って主は、私に新しい権力と任務を御与えになり、私の貴い死の神秘を崇め、私の助けを願う全ての人たちに良き死と、より純粋な生活のために恩寵を下さることを約束して下さいました。それゆえ、私はあなたが今日よりこの神秘を心の奥底で信心し、愛すること、私と三人の罪人の奇跡をなさった全能者を祝い、讃え、崇めることを希望します。

 死は命の延長であり、命の状態と一致しますから、良き死の最も確かな保証は、良き生活です。つまり、この世の愛から心を離して重い鎖から解き放たれて生きることです。原罪の影響から自由になり、生きることです。情欲の重荷や足枷を棄てて生きることです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P344

第七章

乙女の埋葬と被昇天

 

 使徒たち、弟子たち、信者たちが聖母の御死去をあまりにも深く悲しまないようにするために、また誰かが悲しみのために死なないために、神の慰めが必要になりました。聖母に御会いできなくては呼吸もできないほどに悲しんでいることをよく理解された主は、密かに人々を勇気づけて下さったので、人々は聖母の貴い御体の埋葬の準備をすることになりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P345

 

 この任務を担った使徒たちは相談し、新しい墓を選びました。この墓は御子の御旨により神秘的に建造されてあったのです。ユダヤ人の慣習により、主キリストの尊い御体が貴重な油や香料で塗られ、聖なる埋葬の布に包まれたことを思い出し、聖母の童貞なる御体に全く同じことをしようと考えました。生涯中、聖母に付き添い、聖母の上着二枚を形見としていただくことになった二人の婢を呼びだし、心からの畏敬と謙遜により、神の御母の御体を塗り、布で包むように指示しました。非常に恐れながら、二人が聖母の部屋に入ると、御体から発散する光で目がくらみ、何も見えませんでした。恐れおののき、二人は部屋を出て使徒たちに事の次第を伝えました。使徒たちは神の息吹を感じ、契約の聖なる櫃は触るべきではないと結論しました。聖ぺトロと聖ヨハネは祈祷室に入り、光輝を見ると共に、天使の歌が聞えました、「めでたし聖寵充ち満てるマリア、主御身と共にまします」、「御子の御誕生の前、御誕生の時と御誕生の後、童貞なる御方。」この讃美の言葉はその時から信者たちの祈りとなり、聖なる教会に認められ、私たちに受け継がれています。これを最初に見聞きした二人の聖なる使徒たちは、賛嘆のあまり、しばらく我を忘れました。跪き、何をすべきか主にお聞きしました。主の御言葉が聞えました、「聖なる御体は脱衣も塗油も無用なり。」

 御旨の通り、御体を着衣のまま恭しく上着の上下両端の所で持ち上げ、棺台にお乗せしたので、長椅子の上におられた時と全く同じ姿勢でした二人が御体を持ち上げた時、上着の重さ以上の重さを感じませんでした。棺台上の御体は芳香を発し、童貞の御顔や御手は周囲の人々によく見え、生前親しく御顔や御手を見た人々のこの上もない慰めとなりました。

 主は御自身の御体についてあまり注意を払わず、御受難、御死去において脱衣の御体を衆目にさらしましたが、聖母は女性ですから、同様の経験をなさることを主は御許しになりませんでした。

 聖母の御埋葬は、エルサレム中の全信者に知れ渡り、人々はたくさんのローソクを持って来て棺台に立て、火を灯しました。ローソクの火は三日間続き、どのローソクも少しも減少せず変形もしませんでした。この奇跡以外にも多くの奇跡が起こり、信者だけでなく、大勢のユダヤ人たちを引きつけました。使徒たちは棺台を肩に担ぎ、聖なる御体、神の聖櫃、神の託宣と祝福の仲介者を市の高間からヨザファトの谷まで行列しながらお運びしました。天使たちも人目に触れず行列に参加しました。沿道で種々の病人たち全ては完治し、大勢の悪魔つきも悪魔を追い出してもらいました。ユダヤ人や異邦人たち多数が改宗し、私たちの救い主キリストを真の神として公言し、洗礼の要求を公に叫びました。この日改宗した人たちに聖い教えを教え、洗礼を授けるために、使徒たち、弟子たちは何日も忙しい思いをしました。沿道の人たちは皆、芳香、甘美なる音楽、その他の不思議に感嘆しました。人々はこの被造物なる聖母において力を示された偉大な神を公言し、胸を打ち、悲しみと悔やみの態度を示しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P346

 

 ヨザファトの谷の聖なる墓に、聖ぺトロと聖ヨハネは天の宝である御体を安置し、リンネルの布をかけました。実際には両使徒よりも天使たちが主になってこの埋葬を遂行したのです。墓の前に大きな岩を置き、入口を封じました。天の宮廷に仕える天使たちは天に戻り、女王のおつきの千位の天使たちは御体を警護し、音楽を奏で続けました。人々は家に帰り、使徒たちは泣き崩れた後、高間に戻りました。芳香はその後一年間、家に存在し、祈祷部屋では何年間も匂いました。この聖所は労働や困難にうちひしがれている人々の避難所になり、病人も奇跡的に助けを頂きました。何年間かこれらの奇跡が続いた後、エルサレムの住民たちの罪が罰を招き、この計り知れない御恵みも途絶えました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P347

 

 話を埋葬後の時に戻しましょう。使徒たちはお墓を天の音楽が聞える限り守ることにし、いつまで音楽が続くのかわかりませんでした。何人かはすぐにお墓に引き返し、他の全員は次の三日間何回もお墓をお参りしました。聖ぺトロと聖ヨハネは最も熱心で、高間をしょっちゅう留守にしたのです。

 我らの救い主イエズスが御母の霊魂を御自分の右の玉座にお連れした時、人類が出席しなければならない裁判から免除されました。御母が女王に選ばれた時、アダムの子供たちの律法を越える特権を受けたのです。裁かれる代わりに、主と共に全人類を裁くため、主の右に着座しておられます。御孕りの最初の瞬間に、セラフィムの明るさよりももっと明るい神の光と共に輝くオーロラでしたから、後に御言葉を胎内にお受けした時、更に輝きました。御母が永遠に主の伴侶となり、主の似姿をとり、神人なるイエズスと被造物なる御母の間に誰も介入しないことは理解できます。主は御父に御報告されます、「永遠の御父よ、私の最愛の御母、御身の愛しき娘である聖霊の憧れた浄配が、この王冠と光栄を今ここでお受けします。御母の御功徳のため、我々はこの報酬を準備しました。御母は刺の中のバラとして生まれ、汚されず、純粋で美しく、我々に抱擁され、他の人間の到達できない玉座に付けられるに値します。御母こそ我々の選んだ唯一の御方、何物よりも卓越し、我々の恩寵や完全と交わります。我々の計り知れない神性と賜物を御母に預けました。御母は最も忠実にこの宝を保管し、この宝を増やします。御母は我々の意志から決して離れませんし、いつも我々の恩寵を保ちます。私の御父よ、我々の慈悲と正義の法廷は公平であり、我らの友人たちは奉仕に対し過剰の恵みを払っていただきました。私の御母が御母の報酬を頂くのは正しいことです。御生涯に被造物として可能な限り、私に似た者となられたので、私に似た者として光栄と玉座を頂くことになります。」御父と聖霊は御賛成になりました。即座に御母は、御子なる真の神の右横に挙げられ、聖三位の玉座をお占めになります。人間も天使もセラフィムでさえもこの最も高い特権を得られません。御母は聖三位一体の神と玉座を共有され、皇后としての地位を保ちます。御母は聖人、天使の誰よりももっと深く永遠の神と神の属性を理解され、神秘や最奥の秘密をもっとお喜びになります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P348

 

 御戴冠後三日目に主は、御母が地上に戻り、御体を蘇らせ、御自身を御体に結合し、御体、御霊魂一体となり、主の右に昇るという御意図を諸聖人にお知らせになりました。この復活も死者一般の復活の前に行なわれます。諸聖人は御母の復活の正確な日時を明瞭に知りました。時至って、我らの主キリストは御母を伴われ、大軍の天使たち、先祖たちや預言者たちを従えて地に御降りになりました。ヨザファトの谷の墓に来られて、主は諸聖人に仰せになります、「私の御母が罪の汚れなく御孕りになったのは、御母の童貞の御体から私が人体を頂き、人間となり、この世を罪から救うためでした。私の体は御母の体です。私の救世の御業に御母は協力して下さいました。私が死者より復活したように、同じ時刻に御母を復活させます。あらゆることにおいて御母に、私に似た者になられるように望みます。」 昔の預言者たち全員はこの新しい恩恵のため、主に対する讃美と光栄を歌って感謝しました。感謝の気持ちを他者より抜きん出て表した人たちは、私たちの人祖アダムとエワ、聖アンナ、聖ヨアキムと聖ヨゼフで、主の全能のこの奇跡に他者よりももっと近く参加していました。主の御命令により、女王の至純なる霊魂は童貞の御体に入り、活動を開始させ、起き上がり、不死と光栄の新しい生命を与え、明瞭、物体通過、敏捷と微妙の四つの賜物を追加しました。これらの賜物は霊魂の賜物と一致し、霊魂から体内に流入したのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P349

 

 これらの賜物を身につけ、聖母は御体と霊魂一体で墓から出て来られます。岩の戸も御体を覆っていた上着も外套も動かされません。御母の美しさは、御体を頂いた主が美しい御体をお返しになったからです。墓から最も厳かな行列が天の音楽と共に空中を最高天に向かいます。これは主の御復活と同時刻、真夜中を過ぎたばかりに起こり、墓番をしていた幾人からの使徒たちが目撃しました。天国で我らの救い主キリストの右に着座された聖母は、種々の金でできた着物を着ておられ、大変美しく、天の宮廷全員の賞賛の的になりました。全員が聖母を見つめ、喜び、賛歌を歌いました。ソロモンの賛歌も歌われました、「来たれ、シオンの娘たちよ、明けの明星が讃え、いと高き御方の子息らの歌うお前たちの女王に会いなさい。芳香の柱のように、砂漠から来られる御方は誰ぞ。オーロラのように昇り、月よりも美しく、太陽よりも正義であり、密集せる軍隊よりも強い御方は誰ぞ。砂漠より来られる御方は誰ぞ」(雅歌3・6−9、8・5)。神があらゆる被造物以上に御喜びになり、天の全ての上に挙げられた御方とは一体どなたでしょうか。

 聖三位は次のように聖母に挨拶しておられます。永遠の御父はおっしゃいます、「高く昇れ、私の娘、私の鳩よ。」 人となられた御言葉は話されます、「私の御母、御身から私は人体をとり、御身の完全な模倣と共に私の仕事を終えました。私の御手より、御身の功徳による報いを今受けて下さい。」聖霊は言われます、「私の最も親愛なる浄配、御身の最も忠実な愛に一致する永遠の喜びの中にお入り下さい。御身の愛を心配せずにお喜び下さい。苦しみの冬は過ぎ、御身は我々の永遠の抱擁にお着きになりました。」聖母は神性の涯しない大海の深みの中に入ったかのようです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P350

元后の御言葉

 

 私の娘よ、人々が永遠の光栄を無視し、忘れてしまうのは嘆かわしく言い訳できないのです。人々の悪性の忘却をあなたが嘆き悲しむように私は望みます。永遠の光栄や幸福をわざと忘れる人は、誰でもそれを失う明らかな危険にさらされています。人々はこの幸福の記憶を求め、保つために労働も努力もしないだけでなく、人々の創造の目的を忘れさせるようなことに血道を上げていますから、決してこの罪がないとは言えません。疑いもなく、この忘却は生活の誇りとか、目の貪欲や肉欲に自分たちを絡ませることから来るのです。永遠の幸福について考える暇も気遣いも全くないのです。人々は盲目の情熱に駆られ、名誉、物欲や一時的な楽しみを追い求めますが、このようなものはこの世の生命と共に終りますし、多くの人々はどんなに苦労しても入手できません。これほど悲しいことはありません。比較になるものがないくらいの不幸で、この不幸から救えません。私の御子の御血により償われた多くの霊魂が滅びることについて、何の慰めも得られず、苦しみ、嘆き、悲しみなさい。私は世界中にメッセ―ジを送りたいと思います、「死ぬべき騙された人々よ、何をしていますか。何のために生きていますか。私たちの人生の目的は神に面と向かって会うこと、神の永遠の光栄および神との交わりであることを実感していますか。何を考えていますか。誰があなたの判断を邪魔したり励ましたりしていますか。もし、あなたがこの本当の祝福と幸福を逃すなら、何を求めますか。この世の苦しみは短く、その報いは無限の栄光です。罰は永遠です。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P351

第八章

神の母の戴冠

 

 天国において救世主イエズス・キリストは王、主、最高裁判官であられます。聖人たちはあらゆる人間の推測を越える栄光を頂きますが、近寄り難い王の僕であり、家来です。聖母は、神、人であるキリストに非常に近い一介の被造物にふさわしく、そして人間の言葉を越える程度にキリストの次の下の位置におられます。御子の右隣で女王、貴婦人、全被造物の女主人として永遠に王を助けておられます。聖母の統治領域は御子のそれと同じです。統治の仕方は両者は違います。

 主は天の宮廷人全員に対し、聖母が主の王権に参与すべき全特権を宣言されました。永遠の御父は諸天使、諸聖人に仰せになりました、「我々の娘聖マリアは、全被造物の中から選ばれた者であり、我々の御旨に叶う第一の者、真の娘の称号と地位から落ちない者である。彼女が我々の統治に関与することは、合法的比類のない貴婦人かつ君主として戴冠することにより、我々が認めるところである。」人となられた御言葉はおっしゃいます、「私の真の自然の御母に、私が創造し、救った全人類が所属します。私が王として治める全てを、御母も合法的最高の女王として治めます。」聖霊は宣言します、「彼女が私の愛すべき選ばれた浄配である以上、永遠にわたる女王として冠を受けるに値します。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P352

 

 かく語り終えた後、聖三位は聖母の御頭の上に新しい光輝と価値の冠を載せます。玉座から御声が聞えてきます、「被造物の中より選ばれし愛すべき者よ、我々の王国は御身のものなり。御身はセラフィム、奉仕の霊たち天使たちと被造物の全宇宙の貴婦人であり、君主である。被造物を世話し、運営し、被造物が繁栄するように統治されたし。我らの最高法院で我らは御身に権力、王権と主権を与えよう。他の全ての者たちを越えて恩寵に満たされ、御身は最低の地位に謙った。今や御身に値する最高の威厳を受け、我らの神性への参与として、我らの全能による全被造物の統治を引き受けられよ。御身の玉座から地の中心に至るまで御身は支配する。我らが今、御身に与える力によって、御身は地獄、悪魔たちとその他の住民を支配するなり。我らの敵の生息地や穴の皇后兼女主人として彼らを恐怖に陥れるべきなり。御身の御手に我らは天の支配力や影響力、雲の湿度や地上の生物を任す。御身の御旨のままにそれを全てを動かしなさい。我ら自身の意志は、御身の御旨に従わん。御身は戦闘の教会の皇后にして女主人、保護者、弁護者、御母にして師なり。御身はカトリック教国の保護者となり、その国民の心から御身に願うこと全てを聞き届けるべし。御身は全ての義人並びに我らの友の友、防衛者とあるじなり。彼ら全員を慰め、祝福せん。この全てを総覧し、我らは御身を我らの富の保管者、我らの財産の会計係、我らの恩寵の分配者に任命する。我らが世に与えたいもの全ては、御身を通して与えられる。御身の与えたいものを我らは決して反対すべからず。天地のおける恩寵の拡散は御身の御口の命令による。いずこにても天使と人間は御身に従うべし。我々の所有せるもの全ては御身のものなり。御身は常に我らに属せるが如く、御身は永遠に我らと共に統治すべきなり。」この戴冠式は、諸天使、諸聖人に歓喜を与えました。とりわけ大喜びされたのは聖母の最も幸せな夫、聖ヨゼフ、御両親の聖ヨアキムと聖アンナ、女王の他の親戚、そして女王の護衛であった千位の天使たちでした。

 聖母の栄えあるお体の中、心臓の上に美しい小さな球または聖体顕示台があります。これを見る聖人たちは心から賛嘆しました。秘蹟の中におられる御言葉は聖母の中に住んでおられます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P353

元后の御言葉

 

 私の娘よ、もし何かが私の至高の幸福を減らすとしたら、それは現在の教会の状況です。人々は私を御母として知りながら、私に呼びかけず、私を怠け者にしています。そのため多くの霊魂が滅びに向かっています。私は全ての人々を救う能力があることを何千回もの奇跡で示しました。私に助けを願った者には十分すぎるほどの助力を与えましたし、主も私のために大変寛大であられました。いと高き御方は神への私の取り次ぎを願う者全てに主の無限の宝を与え、恩恵を与えることを望んでおられます。これこそ教会を発展させ、カトリックの統治を改良し、信仰を広め、家族や国家の福祉を進展し、霊魂を恩寵と神の交わりにもたらすための確かな道、強力な手段です。