アグレダのマリア『神の都市』1.

 

アグレダのマリア 神の都市.2

アグレダのマリア 神の都市.3

アグレダのマリア(神の都市)

 

 

アグレダのマリア『神の都市』

 

第一篇

第一、ニ書

受胎

 

アグレダのマリア/神の都市/P14

第一書

 

キリストと、全被造物中の最高の理想としてのキリストの御母を、神があらかじめ任命されたこと。天使たちと、天使たちの僕としての人間の創造。正しい人々の系図、原罪の汚れなき御宿りと天の元后の誕生。神殿での奉献に至るまでの元后の生活。

 

第一章

神はなぜ、マリアの御生涯をこの我々の時代に啓示されたのか

 

 マリアの聖なる全生涯を簡明にするため、三期に分けます。第一期は、マリアの最初の十五年間で、その最も純粋な受胎から、永遠の御言葉がマリアの乙女なる御胎内で受肉する瞬間までで、いと高き御方がマリアに対してこの時期に何をされたかという歴史です。第二期は、受肉の神秘、我らの主イエズス・キリストの全生涯、御受難、御死去と御昇天までの期間であり、我らの元后が御子との一致の生活と、御子の御生涯中になされたその全ての歴史です。第三期は、恩寵の御母が御一人で我らの救い主キリストなしに生活された時期であり、御母の以降の幸せな時、つまり、被昇天と天の女王として冠を受ける時までの歴史で、天国に於て永遠に御父の御娘、御子の御母、そして聖霊の浄配として生きておられます。この三期を八書に分けたのは、私にとって便利ですし、絶えず私の思考の対象となり、私の意志と日夜の黙想に拍車をかけるためです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P15

 

 私がこの天の歴史を書いた時期に関して、私の父母、後年のフランシスコ・コロネル修道士と、後のカタリナ・ド・アラナ修道女が、神の御命令と御意志に従って「原罪の汚れなき御宿りの裸足の修道女会」を自分の家に創立したことを述べましょう。神の御命令は、特別な幻視と啓示により、私の母に宣言されました。修道会は1619年1月13日、御公現の八日目に創立されました。母と二人の娘は修道服を着衣しました。私の父は我らのセラフィムのような師父、聖フランシスコの修道会に入会しました。そこには二人の息子たちが既に修道士となっていました。父は着衣し、修道生活を送り、模範的に生き、聖なる死を遂げました。母と私は天の元后の御潔めの祝日、1620年2月2日、ベールを頂きました。修院創立後八年目、私が二十五歳の時、西暦1627年、聖なる従順により、私は修道女院長となり、今日まで値しないまま院長を務めておりますが、院長になって最初の十年間、私はいと高き御方と天の元后により、元后の聖なる生涯について書くようにという命令を何回も受けました。怖れと疑いの中で私は終始この天の御命令を拒み続けましたが、1637年、初めて書き始めました。書き終えてから怖れと困難に圧倒され、私の常任聴罪師の不在時に代理となった聴罪師に相談し、この歴史だけではなく、他のたくさんの重大で神秘的な事柄について書いたもの全てを焼き棄てました。聴罪師が、女性は教会内で書き物をすべきではないと私に話したからです。私はこの代理の聴罪師の命令に直ちに従ったのですが、私の人生についてよく知っている総長や常任聴罪師から、非常に厳しいお叱りを受けました。私が再び書き記すため、譴責を受けることになりました。いと高き御方と天の元后も、私が従順になるようにという命令を繰り返し出されました。神の恩恵のお陰で私が再び執筆を始めたのは、1655年12月8日、原罪の汚れなき御孕りの祝日でした。私は神に告白します(マテオ11・25)。神、いと高き王を崇めます。高揚された荘厳さにより、これらの深遠な神秘を智者や教師には隠し、謙遜により、教会の中で最低で無用の婢である私に啓示して下さいました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P16

 

 私には偉大で神秘なしるしが天に見えました。一人の女性、最も美しい貴婦人である后が、星々をちりばめた冠をかむり、太陽の衣を着て月の上に立っておられました(黙示録12・1)。聖なる天使たちは言いました、「この御方は聖ヨハネが黙示録に書いた至福の女性です。救世の素晴らしい神秘がこの御方の中に収められ、保存され、封印されています。至高、最強の神がこの被造物にこれほどまで恵み給うので、我々天使たちは驚嘆しております。この方の特権について黙想し、崇め、書き記しなさい。あなたの立場にふさわしいやり方で、はっきりと啓示されることになっています。」 そのような素晴らしい光景を見て、ものを言うこともできず、崇めること以外に何もできませんでした。私がこれから書くようなことは、この世に生活している人々が理解するのは無理でしょう。ある時には、たくさんの段のついたとてもきれいな梯子が見えました。その周囲には大勢の天使たちがおり梯子を昇ったり降りたりしていました。主は仰せになりました、「これはヤコボの神秘な梯子であり、神の家であり、天の門である(創世記28・17)。もしも、汝が私の眼の前で罪のない生活を真面目に送ろうと努力するなら、私の所に昇りつくであろう。」

 この約束は私に希望を起こし、私の意志を燃やし、私の霊魂を魅きつけます。罪の故に私自身の重荷となったことを、涙ながらに悲しみました(ヨブ記7・20)。私は自分の捕囚生活の終わることを嘆き望み、私の愛を妨害する何物も無い所へ到着するよう待ち望みました。この不安の中で何日かを過ごしながら、自分の生活を改めようとしました。再び総告解をし、私自身の幾つかの不完全さを改めました。梯子の幻視は休みなく続きましたが、説明はありませんでした。主に対し、たくさん約束をし、この世の全てから自分自身を解放し、主の愛のためにのみ自分の自由意志を使うことを申し上げました。自分の意志のどのように小さな部分も、どのような被造物に対しても関わりを持たせないと主に申し上げました。見えるものや五官に感じられるもの全てを棄てました。このような感情や感傷の内に数日が過ぎた後、いと高き御方は、梯子は至聖なる乙女の生涯と諸徳と秘蹟を意味すると説明して下さいました。主は仰せられました、「私の浄配よ、汝はヤコボの階段を昇り、天国の扉を通り、私の所に来なさい。階段やその脇にいる天使たちは、聖母マリアの守護者として、シオンの城の防衛者、歩哨として私が任命したのである。聖母を注意深く眺め、その諸徳について考え、模倣しなさい。」 私は階段を昇り、主の偉大な言語を絶する驚異を見たように思いました。主は人間の形をとり、最大の聖性を備え、全能者の御手により完徳を達成されました。階段の最上段には、万軍の主と全被造物の后がおられました。これらの偉大な秘儀を創造された主に栄光頌を唱え、賞讃と讃美を尽くすよう、そして、これらの秘儀を書き記し、私自身理解するようにと主は望まれました。高揚された、いと高き主は、モーゼ(出エジプト記30・18)に与えられたような、主の全能の御手で板の上に書かれた法律を私に下さいました。それをよく理解し、尊重するためです(詩篇1・2)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P18

 

 聖母のおそばで自分の反抗心を抑え、その御助けにより、聖母の御生涯について書くことを約束するよう、神は私を導いて下さいました。それは次の三点にしぼられます。第一は、被造物は神に対し当然の深い尊敬を表し、主が遜られたのに相応して自分自身を蔑むべきこと、そして、より大きい恩恵の効果は、より大きな畏怖、畏敬、注目と謙遜でなければならないことを、いつも想い出すことです。第二は、自分たちの救いを忘れてしまう我々全員の義務を想い出すこと、救世の御業に於ける信心深い聖母にどれくらいお世話になっているかを学び、考えること。聖母が神に対して示された愛と敬意と、我々が偉大な聖母に捧げる名誉についてよく考えることです。第三は、私の霊的指導者と、必要なら世の中全体に私の小ささ、悪さ、恩知らずさを見つけてもらうことです。

 この三点に関し、至聖なる童貞は答えられました、「世の中はこの教義を必要とします。人々は全能の主に対する畏敬を知ろうとしないし、怠っているのです。この無知に対する主の正義は人々を懲らしめ、遜らさせることになるでしょう。人々は不注意で暗黒の中にいますから、安心と光明をどのように探すべきかを知りません。人々はなすべき畏敬と畏怖に欠ける以上、当然の運命に会います。」 本書に関する主と聖母の御意向を明瞭にするため、いと高き主と聖母はその他の様々な指示を下さいました。聖母の至聖なる御生涯についての執筆上の指示を拒めば、自分自身に対する愚行となり、愛徳の欠如となります。執筆を延期することも同様に不当です。いと高き御方が時期の熟したことを次のように説明されたからです、「私の娘よ、御独り子を世に遣わした時、少数の奉仕者を除き、世の中は創造以来、最悪の状態であった。人間の本性は不完全なので、暗黒と無数の悲惨のどん底へ、強情な罪に達するまで落ちて行くであろう。それを予防するためには、道・真理・生命である私(ヨハネ14・6)に従い、自分自身の判断を棄て、私との友情を失わないように、私の戒めを注意深く守ることによって、私の光に照らされた内的指導と私の僕である司牧者たちの指導に身を任せる以外には方法が無い。創造と人祖の罪の時からモーゼの律法の時まで、人々は自分の好みに従い、数々の誤謬と罪の中に落ち込んだ(ロマ5・13)。 律法を与えられた後も人々は従わず、罪に罪を重ねた(ヨハネ7・19)。このような生き方を続け、真理と光から益々遠ざかり、完全な忘却の地に到達してしまった。父性愛の故に、私は人々に永遠の救いと人性の治し難い弱さの治療をもたらし、私の業の完成をはかった。私の慈悲のより偉大な発現のための好機として、私は現代を選び、もう一度大いなる恩恵を人々に示そう。今がその時である。人々に私の怒りの正当な原因を教え、人々を裁判にかけ、有罪と判決すべき好機である。今や私は怒りを表し、私の正義と公平を実施しよう。早く実現するため、そして、私の慈悲が明らかになり、私の愛が活発になる現在、人々に解決策を与え、人々がこの恩恵に応じるようにと望む。今や、世の中があまりにも不幸な道に来ている。御言葉が受肉されたにも関わらず、死すべき人々は幸福を気にも留めず、ないがしろにしている。仮の生命が時間の終りに向かって早く進んでいる。悪人たちにとっては永遠の夜が身近に迫り、善人にとっては夜のない昼間が来ようとしている。死すべき人々の大多数は、無知と罪の闇の中に深く深く沈んで行き、義人を迫害し、神の子供たちを嘲り笑っている。私の聖なる神法は、国家の不法政治上、嫌われている。政治は摂理に反対するばかりか、摂理を憎む。悪人には私の慈悲を受ける価値がほとんど無い。この運命的な時、義人たちに私の慈悲に到着するための門を開こう。心の眼を覆う闇を追い払う光を義人たちに与えよう。私の恩寵に再びあずかれるように解決策を与えよう。幸いなるかな、解を見出す者よ。幸いなるかな、その価値を知る者よ。幸いなるかな、この宝を得る者よ。幸いにして賢きかな、解決の素晴らしさと秘められた神秘を探し、納得する者よ。死すべき生命を不死の神に与えることによって生命を回復された聖母が、お取次されることがどれほど偉大であるかを、私は死すべき有限の人々に知らせたい。自分たちの忘恩をまざまざと見るための鏡を見るように、私がこの純粋な被造物に全能の手によって作り出した不思議の数々を人々が見るようにしよう。私の高遠な決断により、御言葉の御母についてまだ知られていない事柄の多くを示したい。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P20

 

第二章

神の不可知なる御本性。創造への神慮

 

 ああ、王よ、いと高き、いと賢き主よ、御身の判断は測り知れず、御身の方法は知るべくもない(ロマ11・24)11・34?。無敵の神は永遠に存続し、神の起源は判らない(コヘレト18・1?)。御身の偉大さを誰が理解できようか? 御身の最も壮大な御業に値する者は誰か? 御身がなぜ創造されたかを語れる者がいようか(ロマ9・20)。壮大な王よ、御身は祝福されますように。と言うのは、御身の婢であり、地の塵にすぎない私に、偉大な諸秘蹟と崇高な神秘を教えて下さったからです。

 私は明晰な知力を頂き、神の無限の本性と属性、すなわち、永遠・至高の三位一体なる神を正しく認識できます。御父、御子と聖霊の永遠なる一致です。御父は造られたものではなく、始まったものでもありません。御子は御父と共に永遠に存在します。聖霊は御父と御子の間の愛です。不可分の三位一体には、順番も大小の差もなく、永遠に同等です。光栄、偉大さ、御力、永遠、不変、智慧、聖性のような属性の全てに於て同じです。

 聖三位にはそれぞれ同じ知識があり、相互の愛に於ては無限・永遠です。知識、愛と行為は、単一、不可分、そして同等です。

1.神は御自分の自由と慈愛を行使するに当たり、知性の中に貯えられた無限の宝を被造物に与えて下さいます。神が賜物や恩寵を下さることとは、煙が高く上がっていくよりも、石が落下するよりも、太陽が地上を照らすよりも、もっともっと自然なことです。賜物を被造物に与えることにより、被造物を聖とし、義とし、感化させます。我々一人一人に下さる賜物は、セラフィムを初め、あらゆる天使に下さった賜物よりも多いのです。

2.神が被造物に賜物を下さることは、被造物と関わり合いになることです。この関わり合いは神の偉大さに、より大きな光栄を帰すことになります。

3.関わり合い、又は「交流」には順序、設定や方式があります。順序の第一番が「神の御言葉」が受肉し、人間の眼に見えるようになったことです。第二番は、その他全ての人間の理想が第一番を模倣することです。我々の人性は肉体と生かす霊魂から成立し、創造主を知り、愛し、善悪を区別する能力、同じ主を愛する自由意志を与えられています。

4.賜物と恩寵は、神性を有する我らの主キリストの人性に与えられています。最も豊富に与えられています。「この川の流れは神の国を喜ばす」(詩篇46・5)と言ったダビデの預言通りになりました。賜物は、神人である御方の人性に向かって流れました。この御方は全被造物の頭でもあります。この御方の御母が神の御計画の二番目で、その他の全被造物よりも前になります。至聖なる御子の人性の威厳、優秀さと賜物を備えなければなりません。御母に向かって、直ちに神性の川は勢いよく流れました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P22

 

 この至聖にして至純なる御母が、時の初めから、そして時の始まる前に、神の聖心の中に生まれたのを知って、全能なる神を私は心から崇めます。御母があらゆる被造物により尊敬され、誉め讃えられるべきことは、アレオパキタの人のディオニシウスの言う通りです、「神が御母を創造し、賢い神性の姿に創造できたのは神であるという信仰がなければ、乙女なる御母が神御自身であるかも知れないと私は思い始めるかも知れない」と。御母の創造は、天地全体の創造よりももっと尊いこと、天地全体よりももっと大きな宝物であることを十二分に知らされた私は、この事実が一般の人々に知らされていないことを悲しみます。

 神の御計画は、聖母マリアに聖性、完全、賜物と恩寵が御子により与えられることです。

 

 

五.神は天使を九階級に創造しました。天使の使命は神の光栄を現すこと、神の命令を伝え、神を知り愛すことです。そして、神聖な人間となられた永遠の御言葉に仕え、御言葉を人間の頭として認め、諸天使の元后である至聖なる聖マリアを通して誉め奉ることです。

 善天使の将来や悪天使の反対も神は見抜いています。天使には自由意志が与えられていますから神に従うか、自己愛の高慢と不従順を示して神に反抗するかを選べます。神は御自身の光栄と善天使に対する報酬のために天国を造りました。地球や他の天体は他の被造物のために、そして地獄を悪天使の処罰のため、地球の奥深い中心に造りました。

六.キリストのために人間が御計画通り創造されました。人となられた御言葉が人間を兄弟姉妹にするように、その人たちの頭となるように神がお考えになったのです。人類は一人の男と一人の女から始まり、増えました。救世主キリストのお陰による恩寵と賜物と、またアダムとエワの罪は予見されておりましたが、元后なる聖母は別でした。人々はキリストにより許されることも予見されています。我々の自由意思を尊重して神は決定されました。

 これらの神秘を感知して、なぜ神が御自身を現したか、創造主に対して贖罪者の偉大さを人間に誉め讃えさせようとしたかは、私にはとても明らかに見えました。人々がこの義務を怠ったり、恩恵に対し感謝しない様子がありありと見えました。人々の忘れっぽさについて、いと高き御方が怒っておられることも私はわかります。主は、私が人々の忘恩について罪を負わず、その代わり、主を讃美し、全被造物を代表して主を崇めるように勧告されました。謙遜の徳の偉大さについて無知でした。今でも謙遜ではありませんが、謙遜に通じる道を教えて頂きました。ああ、いと高き主よ、御身の光は我を照らし、御身の燈は道を示す(詩篇118・105)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P24

第三章

天使の創造とルシフェルの墜落

 

万物の創造主なる神は、あらゆる原因の本当の原因です。創造の御業の初めと継続性はモーゼの書いた創世記の通りです。御言葉の受肉と我らの救いの神秘的な初めをよく理解するために、私は創世記を引用しましょう。

一.「初めに神は天と地を創られた。」

 天の創造は天使と人間のためで、地は死すべき人間の巡礼の場所です。天地は、いかにもそれぞれの目的に適しているので、ダビデは言いました、「天は主の光栄を現し、天空と地は御手の業の栄光を宣言する(詩篇19・2)。

 天使は天において創られ、恩寵を頂いており、光栄の報いを第一番に受けるはずであったが、神に従順になるまでは、神の御顔をあからさまに見ることを許されなかった。善天使にも悪天使にも、とても短い試験があったのです。この試験は、美しい被造物として創られた後に、創造主の御意志が伝えられ、主を天使の創り主、そして最高の主と認め、義務を遂行するように命令された時に来ました。この時、聖ミカエルと部下の天使たちは、龍とその追従者たちと大戦争をしたのです。聖ヨハネの黙示録に書かれています。

 第一に、天使たちは神の実体、つまり三位一体について明瞭な知識を頂き、主を造り主、そして至高の主として認めるように命令されました。全ての天使はこの命令に服従したのですが、善天使は愛、善意、尊敬と喜びにより従ったのに、ルシフェルは嫌々ながら、やむを得ず従ったのです。ルシフェルには主の御命令に反対する我意がありました。ルシフェルの従順は傲慢ゆえに行われなかったのです。この時点で恩寵はルシフェルから除かれていませんでしたが、怠慢と延期はルシフェルの悪い状態の始まりとなりました。徳行の弱さと弛みがルシフェルの中に残ったからです。自分の本性の完成は起きませんでした。怠慢は、故意の小罪に似ているように私には思われます。しかし、大罪も小罪も犯したとは言えません。と言うのは、ルシフェルは神の命令に従っていたからです。従い方が怠慢であり、不完全でした。従順を愛する代わりに、無理矢理に引きずられてやるという気持ちからそうなったのです。自分で墜落の危険に我が身をさらすことになりました。

 第二に、天使たちは、神が天使たちよりは低い人性と理性の被造物を、神を愛し、畏れ、敬うために創ると教えられました。人間に大いなる好意が与えられること、聖三位の第二位が受肉し、人性を持ち、人性を神性との一致にまで引き上げること、人間も主を自分たちの頭として、神としてだけではなく神人として認めること、讃美し、尊敬することが天使たちに伝えられました。この神人について予見された功徳を受け入れることは、天使たちがその時所有していた恩寵の源であり、将来受けるはずの光栄の源になることが示されたのです。天使たち自身が主の光栄のために創られたこと、他の全被造物もその通りであることはよく判っていました。神を知り、喜べる被造物は、神の御子の民であるべきこと、主を頭として知り、敬うこと、これが天使たちへの命令となりました。

 従順で聖なる天使たちは完全に同意し、認知し、謙遜に愛をもって自分たちの意志を捧げました。ところが、ルシフェルは嫉妬と誇りのかたまりで、自分の部下たちを反抗するように仕向けました。部下たちはルシフェルに従い、神の御命令に背き、キリストから独立して分離し、ルシフェルを頭にすることになりました。こうして、聖ヨハネが記した(黙示録12・7)大戦争が天において始まりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P26

 

 ここに於て特筆すべきことは、天使たちが受肉した御言葉に従うべしという命令だけではなく、御父の御独り子が宿った「女」を御子と共に上司として認め、「女」は全被造物の元后であり、女主人であることを承諾すべしという命令です。善天使たちは謙遜に自由に従い、いと高き御方の力と神秘を賞賛したのですが、ルシフェルとその叛乱軍は誇りと傲慢の頂点に達し、激怒にかられたルシフェルは、全人類と全天使の首長になろうと欲しました。神が人間のレベルに降り、人間と一致する代わりに、神は自分の中に降るべしと要求しました。彼を受肉された御母より低い地位に置くという御命令に猛反対し、叫びました、「このような命令は不正である。私の偉大さは傷ついた。主から愛され、えこひいきしてもらう人間たちを迫害し、滅亡することにしよう。私の全力を尽くそう。御言葉の母であるこの『女』を主が定めた地位から放り投げ、御身が定めた計画をぶち壊そう。」 主はルシフェルに語られた、「お前が軽蔑するこの『女』はお前の頭を踏み砕き、お前は消え去るであろう」(創世記3・15)。お前の妬みにより死がこの世に侵入したように(知恵2・24)、この『女』の謙遜により、死ぬべき者の生と救いがもたらされるであろう。この『人』(イエズス・キリスト)とこの『女』(聖母マリア)の人格とイメージに基づく人たちは、お前と部下たちがなくした賜物と冠を頂くであろう。」 この神の説明に対し、龍はますます激怒にかられ、全人類を滅ぼすと脅迫しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P27

 

 全能者はもう一つの素晴らしい啓示をお与えになりました。主の御降誕の神秘について充分に明瞭な知識を全ての天使に与えられた後で、至聖なる童貞についての幻視をお見せになったのです。最も完全な「女」に於ける人性の完成が示されたのです。いと高き御方の御手が、他のいかなる被造物よりももっと素晴らしく創造されました。これを見て善天使たちは誉め讃え、受肉された神と御母の名誉を守り、この幻視を無敵の盾として武装しました。悪天使たちは、執念深い憎悪と激怒をキリストと至聖なる御母に対してぶつけました。黙示録第十二章に書かれた通りのことが起こりました。大事なことですから第十二章一から十八を引用します。

 それから壮大なしるしが天に現れた。太陽に包まれた婦人があり、その足の下に月があり、その頭に十二の星の冠を戴いていた。この婦人は身ごもって、陣痛の悩みと苦しみの叫びをあげていた。また天に他のしるしが現れた。七つの頭と十の角を持ち、頭に七つの冠のある赤い龍がいるのが見えた。それは天の星の三分の一を尾で掃き寄せて地上に投げた。龍は出産しようとする婦人の前に立ち、産むのを待ってその子を食おうと構えた。婦人は男の子を生んだ。この子はすべての異邦人を鉄の杖で牧するはずの者であって、神とその玉座のもとに上げられた。婦人は荒れ野に逃れたが、そこには千二百六十日の間、婦人を養うために神が備えられた避難所があった。

 そうして天に戦いが始まった。ミカエルとその使いたちは龍と戦い、龍とその使いたちも戦ったが、しかし龍は負けて天に彼らのいる所がなくなった。大きな龍、すなわち、悪魔またはサタンと呼ばれ、全世界を迷わすあの昔の蛇は地上に倒され、その使いたちも共に倒された。そのとき、私は天にとどろく声を聞いた、「神の救いと力と国とそのキリストの権威はすでにきた。私たちの兄弟を訴え、昼も夜も神の御前に彼らを訴えていた者は倒された。兄弟たちが勝ったのは、小羊の御血と自分たちの殉教の証明によってである。彼らは死に至るまで自分の命を惜しまなかったからである。だから、天とそこに住む者たちは喜べ。しかし、地と海は呪われた。悪魔が自分の時の短さを知り、大いに怒ってお前たちに向けて下ったからである。」

 地上に落とされたのを知った龍は、男の子を産んだ婦人を追ったが、婦人には荒れ野の自分の避難所に飛ぶために大鷲の二つの翼が与えられたので、蛇を離れて一時、ニ時、また半時の間養われた。蛇はその口から川のような水を婦人の後ろに吐いて水に溺れさせようとしたが、地は婦人を助けようとその口を開き、龍がその口から吐いた川を飲み込んだ。龍は婦人に怒り、その子らの残りの者、すなわち、神の戒めを守り、イエズスの証明を持つ者に挑戦しようとして出て行き、砂浜に立った。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P28

第四章

人間の創造と堕落

 

 第六日目に、神はアダムを創造しました。年齢は三十三歳で、キリストの享年と同じです。アダムの体はキリストそっくりでした。アダムの霊魂もキリストに似ていました。アダムからエワが創られました。エワは容姿に於て聖なる童貞に似ていました。神はこの二人にたくさんの祝福を与えました。サタンは人祖の創造をじりじりと待っていたからです。人祖の創造の過程については何も知らされませんでしたが、創造された人祖が他のいかなる被造物よりもはるかに完全な人性を眼の前にしたのです。アダムとエワの霊魂と身体の美しさ、主がかけた愛情、永遠の生命の希望を見て、龍は怒り狂いました。嫉妬もすさまじく、二人を殺そうとしたのですが、神の力に守られている二人に手を出せず、いと高き御方の恩寵を二人から失わせようと陰謀をめぐらしたのです。

 ルシフェルが誤解していたことを説明しましょう。アダムとエワのことを、キリストと聖母マリアであろうと勘ぐったのです。アダムとエワの創造について無知であったように、受肉の神秘と時については何も知らなかったからです。キリストと聖母マリアに対する自分の怒りは明瞭でしたが、御二人に征服されるであろうことは知っていても、納得できませんでした。天の元后は神ではなく単なる被造物でしかないのに、自分を征服するであろうことに我慢が出来なくなり、御二人を自分の罠にかけ、神の御計画をぶち壊すことに全力をかけました。御二人と見間違え、まずエワに近づきました。女性は男よりももっともろく、もっと弱いし、男であるキリストではないことをよく知っていたからです。女については天のしるしがあり、女が神により自分に反対するという脅迫的予告があったので、女、エワに対しては、男のアダムに対するよりももっと怒り狂っていました。ルシフェルにはエワの前に姿を現す前に、エワの心の中に様々な混乱した思いや空想を起こさせ、興奮や執念で自己のコントロールを失わせました。そして、蛇の姿で現れたのです(創世記2・1)。エワは禁じられた会話に引き込まれ、蛇に受け答えしている間に、蛇の言うことがもっともだと思えました。そして神の掟を破り、夫にも神の命令に背かせました。こうして人祖たちは滅亡に向かい、人類全体も同様に幸福な立場を失いました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P30

 

 人祖たちが罪を犯し、醜い姿となった時、ルシフェルは小躍りして喜びましたが、神は人祖たちに慈愛を示し、罪を赦し、罰の償いの機会を与えたのを見て驚きました。人祖たちは悲しみ、痛悔したので、罪が赦され、恩寵が戻ってきました。「『女』は汝の頭を踏み砕かん」(創世記3・15)という神の御言葉を繰り返し聞かされて、ルシフェルはもっと悩むことになりました。楽園追放の後、エワの子孫は増え、善人と悪人は両方とも増加し、キリストに従うかサタンに従うかに分れました。義者はキリストを指導者として仰ぎ、忠実、謙遜、愛徳、その他の諸徳をもって仕え、救世主の功徳により、神の恩寵を受け、助けられ、美しくなりました。それに反し、罪人は偽の指導者から何の恩寵も受けず、語句の混乱と永遠の苦しみしか期待できず、誇り、間違った思い込み、淫らなことや不正を心の中に抱きしめて、嘘つきの父で第一番目の破壊者の後をついて行きました。このような罪人たちの最初はカインで、エワから生まれることを神は許しました。他の子供、アベルは我らの主キリストに似た者として最初の義人となりました。他の全ての義人たちはアベルに従い、正義のため苦しみを受けました(マテオ10・22)。悪人の勝利と義人の苦悩、つまり、神に見棄てられた者たちの国バビロンと神を畏敬する者たちのエルサレムは現在も続いています。

 神は、人祖アダムが御独り子の到来を準備するように望まれ、人類の繁栄を許し、人々が人類の首長であり王である御独り子にいつも従うように計画しました。そのため、選ばれた高貴な民が御言葉の祖先となりました。その系譜は福音史家が書き記した通りです。神の民に示された愛はずば抜けています。信仰の玄義や聖なる秘蹟は聖なる教会に委託されました。イスラエルを見守る神は片時も眠りません(詩篇21・4)。

 神は立派な預言者や王を育て上げ、預言を送りました。色々な啓示により、神の不変な真髄を選民に教えました。聖なる書物に記された広大な神秘は、受肉された御言葉により完成されたのです。キリストにより教えられた信仰の確かな道や霊魂の糧は、預言者たちや選民が永く待ち望んでいたものです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P31

第五章

人類の繁殖。救世主の待望。聖ヨアキムと聖アンナ

 

 アダムの子孫はたくさん増え、その中には義人も罪人もいます。いと高き御方の民は、主が人性を得て勝利する計画に参加し、救世主の御来臨を待ち望む最終段階に入りました。悪者たちの罪の世の中も今や広がり、その極みに達し、罪の修復の好機も到来したのです。

 その時とは、古来の蛇が毒気により全地を汚染し、理性の光が見えなくなってしまった人間たちを完全にコントロールした時です(ロマ1・20)。人々は昔の成文法が見えなくなり、真の神を求めず、多くの偽りの法律をでっち上げ、自分の好みに従って神を作り上げました。これらの多数の神には、善、秩序と平和に反対し、真の神を忘れさせ、悪意と無知をはびこらせました。誇りが幅をきかせ、愚か者ばかりの世となりました(コヘレト9・15)。神に対する反逆はますます酷くなり、全被造物が全滅すべしという神の審判が下ってもしょうがない時が来たのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P32

 

 神は、計り知れない正義に対し、慈悲の法を秤にかけて均衡を作りました。義人たちや預言者たちの忠実を、他の者たちの罪に対し天秤にかけました。神は恩寵の約束を実行することに決め、我らの主キリスト、正義の太陽の現われる前に、ヨアキムとアンナを地球に送りました。ヨアキムはガリラヤの町ナザレトの出身で、正義と聖性の士であり、特別な恩寵に照らされ、聖書や預言に通じていました。神の御約束の成就を心から願っていました。

 一方、アンナはベトレヘム出身の、純潔で謙遜な美しい乙女でした。幼少の時から諸徳を積み、黙想に終始し、聖書を充分に知り、救世主の御来臨を絶えず祈願していました。「あなたは、ただ一目で、その耳飾りの一粒の真珠で私の心を奪った」(雅歌4・9)と神が仰せられたほどに、アンナは旧約の聖人の中で抜きん出ていました。古来の律法を守り助けてくれる夫を探して下さるよう、アンナは神に懇願しました。ヨアキムも同様な祈りを同時にしました。聖三位一体なる神は両者の祈りを聞き届け、人となられる神の御母の両親となることを定めました。主の命令を受けた大天使ガブリエルは、アンナの前に姿を現しました。光り輝く天使を見てアンナは驚き、喜び、平伏しました。聖ガブリエルは、他の天使たちの知らない啓示、すなわち、アンナが御言葉の御母マリアの母となるべしという啓示を告げたのです、「至聖なる神が召し使いになる汝を祝福します。汝の懇願を聞き届け、救世主の御来臨を待ち望む叫びに耳を傾けて下さいます。汝がヨアキムと結婚するよう望んでおられます。二人は心を合わせ、主に仕え、律法の成就を祈願し、正義の道を歩み、天国に心を開き、救世主の御来臨を待ち望みなさい」と。言い終わると聖ガブリエルは見えなくなりました。

 ヨアキムに対して大天使は夢の中で告げました、「ヨアキムよ、汝がいと高き神の御手により祝福されますように! 神は汝がアンナと結婚するよう望まれます。彼女の面倒を見、いと高き神に誓約して彼女を敬いなさい。神に感謝しなさい」と。直ちにヨアキムはアンナに求婚し、結婚しましたが、二人とも長い間、天使の御告げを隠していました。ナザレトで祝福の正義の道を歩みました。二人の収入は三等分され、三分の一ずつ、エルサレムの神殿への寄付、貧者への分配と二人の生活費となりました。二人の寛大な慈善業をお喜びになった神は、二人の生計を助けました。二人は平和と一致の内に暮らし、喧嘩も不平もありませんでした。同じことを願わないことがありませんでした(マテオ27・20)。子供が生まれずに二十年間が過ぎました。この期間、近所の人たちは子供の授からないこの夫婦を非難し、軽蔑しました。救世主の恵みを受けるに値しない者と決めつけたのです。神は、この夫婦が忍耐して、将来の光栄ある子供の出産を準備するよう望まれました。この夫婦は、子供を恵まれるならば、エルサレムの神殿に奉献するという誓願を立てました。一年間の熱願の後で、町の人々と一緒に神殿に行き、救世主の御来臨と赤ちゃんの出産のための祈りと献げ物を捧げることになりました。神殿で、下位聖職者であるイザカー師にさんざん叱られました、「ヨアキム、お前は子無しだから神に喜ばれないのに、なぜ献げ物をするのか? 団体から離れ、立ち去りなさい。神に迷惑をかけるな。どうせお前の供え物は、はねつけられるに決まっている」と。この聖者は恥と混乱で頭が一杯になり、謙遜に主に話しました、「至聖なる主よ、御命令の通り神殿に参りました。御身の代理者は私を嫌っています。私が罪人だからです。私は御身の御意志に従いますから、見棄てないで下さい」(詩篇27・10)。自分の所有している倉庫のような所に引きこもり、何日間か祈りに明け暮れました、「いと高き永遠なる神よ、人類の生存と救済は御身次第です。私の霊魂の苦悩をご覧下さい。私の祈りと御身の婢アンナの祈りを聞いて下さい。我らの希望は御身によく見えています(詩篇38・10)。私は無価値でも、私の謙遜な妻を嫌わないで下さい。アブラハム、イサクとヤコブ、我らの最初の祖先たちの主なる神、子無しの私が非難され捨てられる者たちの仲間入りにさせないで下さい。ああ、主よ、私の祖先である御身の召し使いや預言者の犠牲や献げ物を思い出して下さい。信頼して祈るように御身はお命じになりました。私が御意志に従えますよう祈ります。私の罪が御身の慈愛を遠ざけるならば、私の罪を取り去って下さい。私は貧しく、取るに足りなくても、御身は最も卑しい者に対しても慈悲を下さいます。御身は何世代にも渡って恩恵を下さいました。もしも、御旨に適うならば、私に子供を恵んで下さい。私は子供を捧げます。子供を神殿で常に奉献します。私は御身に眼を向け、この世の過ぎ行く事柄から眼を背けてきました。御身の玉座から、この汚い塵を御覧になり、拾い上げて下さい。この塵が御身を讃え、敬い、御旨の成就を願いますように。」ヨアキムが人々から離れて祈願している時、聖なる天使がアンナに現れ、子供を授かりたいという彼女の熱願が全能者の御旨に適ったことを告げました。御旨と夫の意志であることを知り、アンナは謙遜と信頼の内に祈りました、「いと高き神、私の主、宇宙の創造者にして管理者、我が霊魂は御身を無限、聖、永遠なる神として崇めます! 私はただの塵芥にすぎませんが、御身の実在の前に平伏し、申し上げます(エステル13・9)。被造物にあらざる主なる神、私の胎内に子供を授け給え。子供が神殿に於て御身に仕えるため献げることができますように(創世記18・27)。ああ、主よ、御身の召し使いなるサムエルの母は産まず女でしたが、御慈愛により本望を得ましたことを思い出して下さい。同じ御慈悲をお願い申し上げます。私の祖先の犠牲、献げ物と奉仕、そして恩恵の報酬を思い出してください。私の最大の献げ物は私の霊魂、私の能力と私の全存在です。私に子供を授けて下さいますならば、私はたった今、子供を聖別し、神殿の奉仕に供えます。イスラエルの主なる神、このいやらしい被造物を眺め、御身の召し使いヨアキムを慰めて下さいますよう、全てに於て御旨が行われますように。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P35

 

 聖三位なる神は天使たちに仰せられました、「御言葉は人体をまとい、あらゆる人々に救いをもたらすであろう。このことを世の中に宣言するように、我らの召し使いなる預言者たちに既に伝えた通りである。生きる者たちの罪と悪意は処罰されるべきであるが、人間に対する我々の愛は消されない。我らの姿に似せて創造した人間を、我らの相続者、参加者にさせるつもりである(一ぺトロ3・22)。我らを誉め、愛する大勢の者たちを認める。全ての人々の上に、選ばれるべき『女』がいる。御言葉を胎内に抱き、人体を与えるからである。この事業の初めより、神のこの宝はこの世に示された。時期到来にあたって受け入れられるべきである。ヨアキムとアンナは我らの恩寵を得た。二人は試練に於て、単純さと正しさに於て、常に忠実である。このことをガブリエルを通して両人と世の中に知らせよう」と。

 主はガブリエルに仰せになりました、「ヨアキムとアンナに明瞭に伝えよ。『二人の願いは受け入れられた。二人は恩恵の子供を授かるであろう。子供をマリアと名付けよ』」と。命を拝したガブリエルは最高天の頂きから降り、ヨアキムの前に立ち、祈っている聖人に声をかけました、「正義の人よ、天の玉座におられる全能者は汝の希望を知り、汝の嘆きと祈りに耳を傾けられ、汝を地上の幸せ者にして下さった。汝の妻アンナは身ごもり、『娘』を産むであろう。『娘』は女性の中で一番祝福された御方である(ルカ1・42)。諸国民に知れ渡るであろう。永遠の神であり、自ら存在し、万物を創造された御方は、最も正しく強力であられる。汝の仕事ぶりと貧者への施しを喜ばれ、汝の家庭を『娘』の出産によりお祝いになる。名前をマリアとせよ。汝が約束したように、幼少の時から神殿の中で神に捧げなさい。神は産まず女のアンナに子宝を授けるという奇蹟を行われる。神に感謝するためにエルサレムの神殿に行け。黄金の門の所で感謝の参詣をしに来る汝の妻アンナに会うであろう。この子の受胎は天と地を喜ばすのである」と。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P36

 

 一方、三回も祝福されたアンナは、御言葉の受肉の黙想に没頭していました。最も酷く自己を卑下し、生き生きとした信仰を持ち、人類の救世主の御来臨を次のようにお願いしました、「いと高き王にして唯一の創造主よ、私は最も邪悪な嫌悪すべき被造物ですが、私に与えられた命を賭けて、我らの救いの時が早く来るよう御身に切願いたします。人類の改革者にして救世主に御目に掛かれますように! 主よ、御身の御独り子を我らに遣わすと汝の選民におっしゃいました。たった今、御出でになりますように! 御独り子が天より降り、この地上に母を持つことは可能でしょうか? どのような御方が御母になるのでしょうか? 誰に御母の召し使いになる価値があるのでしょうか? 御母を見る眼と御母の御声を聞く耳はどんなに祝福されるでしょうか?」

 この時、聖ガブリエルが現われ、アンナに話しました、「汝とヨアキムの謙遜、信仰と貧者への施しはいと高き御方の玉座に報告されました。神は私に伝令の役をお命じになりました。神は、汝が御独り子を産む御方の母になることを望まれます。汝は娘を産み、マリアと名付けなさい。マリアは女性の中で一番祝福された御方です。聖霊に満ちておられます。人間を元気にするため、天の露を垂らす雲のような御方です(列王記1・18・44)祖先の預言が成就するのです。この御方はアダムの子孫のため、生命の門であり、救いであります。私はヨアキムに『娘』の誕生が近づいたことを知らせましたが、『娘』が救世主の御母になることを打ち明けていません。この秘密を守り、神殿に行き、いと高き御方に感謝しなさい。黄金の門の前でヨアキムに会い、知らせを伝えなさい。汝の胎は、人体をまとう不滅者を産む御方を産むのです」と。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P37

 

 アンナの謙遜な心が聖天使の知らせにより、讃美と喜びのショックに参ってしまわないように、聖霊から守られました。すぐさま立ち上がり、エルサレムの神殿に向かいました。そこでヨアキムに会い、共に全能者に感謝し、特別な献げ物と(動物の)いけにえを供えました。聖霊の恩寵に満たされ、帰宅しました。聖ガブリエルのメッセ―ジをお互いに打ち明けました。同時にお互いの結婚を承諾せよという最初の御旨のメッセ―ジも初めて分かち合いました。結婚のメッセ―ジは二十年間もお互いに隠していたのです。改めて娘を神殿に奉献することを誓い、毎年同日を神の讃美、感謝と多くの施しをすることにしました。この誓いは二人の死まで実行されました。

 賢明なアンナは『娘』が救世主の母になるべきことを夫にも他の誰にも知らせませんでした。ヨアキムが死の直前、全能者からこの秘密を教えて頂いたことは後で述べましょう。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P38

第六章

原罪の汚れなき受胎

 

 神の御意志が全被造物の不可欠な源です。万物の存在の条件も状況も神の御命令通りになっています。何事も神意から外れません。万物は、神(父)と人となられた御言葉の光栄のために造られました。神が人間のレベルに降下し、人間と共に住むようになることは最初から神の計画されていたことです。その計画は、人間が神の方に引き上げられ、神を知り、畏怖し、求め、仕え、愛し、讃え、神のおそばにいることを永遠に喜ぶべきことを設定しています。その時機が到来したことは三位なる神の次のような御言葉からはっきり判ります、

 「今こそ我らの秘儀を始める時である。純粋な被造物を造り、他のいかなる被造物よりももっと高い位を与えよう。恩寵の偉大なる宝を与えよう。その他のあらゆる人間は、恩を忘れ、反逆し、人祖と同様に我々の計画を邪魔しようとしているから、全く聖にして完全な女を造ろう。原罪の汚れが全くない女である。我々の全能の仕事を完成し、創造の最後に冠を飾ろう。人祖の自由な意志と決定のため、あらゆる人間が罪人となった(ロマ5・12)が、彼女は人間が失ったものを取り戻す。天使や人間に与えられた元々のあらゆる特権と恩寵は彼女のものである。この第一の命令は違反されることなく、我々の選んだただ独りの人間が実行することになる(雅歌6・8)。死ぬ運命にある人間が服すべき普通の法律によって彼女を縛らない。蛇は彼女に手出しすることができない。私が天より降り、彼女の体内に入り、彼女から人性をもらうからである。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P39

 

 「我々が最も適切で聖なる者を見損ない、劣悪な者を選ぶことはない。何事も我々を妨害できないのである(エステル13・9)。人となり、人を救い、教える御言葉は、恩寵の最も完全な法律を築き、その法律を教えるのである。法律は人間の第二次的原因としての父母を敬うべきことを教える。御言葉はこの律法を成就するのである。御母を敬い、高座に招き、あらゆる恩寵の内で最も感嘆すべき物をプレゼントする。その恩寵の中でも抜き出ているものは、彼女が我々の敵や敵意に負けることがなく、罪の結果である死からも解放されることである。」

 「御言葉には地上に於て母がおり、天に於ては父がいる。神を父と呼び、この女を母と呼ぶために、被造物と神との間に最高の交流が存在しなければならない。龍がこの女よりも上位にあることは断じてない。全ての聖性と完全さは、神の御母に備わっている。神の御母から罪のない人体を頂く神は、自分の人性ではなく、罪に堕ちた人性を救うのである。我々聖三位一体は、人性を持つ御言葉を聖櫃の中でも、人間の住居の中でも、永遠に讃美するのである。」

 「受肉された御言葉が謙遜と聖性の先生となり、そのために苦労し、死を免れ得ない人間のごまかしや虚栄を打ち砕く。同じ労苦と難儀を御母が忍ぶであろう。御独り子と一致して犠牲を捧げる。このことは神にとって悲しいことであると同時に、御母のより偉大な光栄となる。」

「今や時機が到来した。我々の眼に叶う被造物は、原罪の汚れがなく、龍の頭を砕き、永遠の御言葉に人体を着せる女である。神聖な御言葉により、人間が恩寵と永遠の光栄の宝庫を受けられるようにしよう。」

 「人類にとり、修繕者、教師、兄、友である御方が死すべき者の命になり、病人の薬になり、悲しむべき者の慰めになり、負傷者の軟膏となり、困難にあえぐ者の案内役と道連れとなるように。救世主が神から派遣され、人類を救うという預言が成就されるであろう。どのように成就されえるかは天地創造以来、神秘に隠されていたが、マリアを通して成就されることを宣言する。被造物の世界は今後も自然な成り行きを辿るが、これからはもっと大きな恩寵を神から頂くことになる。」

「昔の蛇は、この壮大な女の印を見て以来、あらゆる女性の邪魔をし続けてきた。立派に活躍する女性全員を迫害し、その女性たちの中に自分の頭を砕くことになっている御方(創世記3・15)を見つけようとしている。この一点の汚れなき清き御方を見つけるやいなや、全力を尽くして襲いかかる。しかも、龍の傲慢さは実力以上である(イザヤ書16・6)。神は我々の聖なる国であり、受肉された御言葉の櫃を敵から守る。人類も御母を熱心に敬い、助力し、慰めるように。」

 いと高き御方の御希望を聞いて全天使は平伏し、従順を熱心に誓いました。各天使は奉仕の役を希望し、全員が全能者を誉め、新しい歌を歌いました。天使たちが長い間、渇望していたことの成就の時が迫ったからです。天使たちの祈りは、龍と龍の軍勢を暗黒の中に放り込んで以来、忍耐強く続けられてきたのです。

 新しい啓示を聞いて天使たちは大喜びして主に申し上げました、「至高にして知りつくし得ぬ神なる主よ、御身は、あらゆる畏敬、賞賛と永遠の光栄を受けるべき御方です。私たちは聖マリアの守りと召し使いになるため、純潔と完全さを高めたいと思いました。この大役を神は、九階級のそれぞれから天使を選びました。総数は九百位になりました。その他に十二位の天使たちが人間の姿となり、聖マリアに特別な奉仕をすることになりました。彼らは救世の紋章をつけた盾を運びます。この十二名または十二位が都市の門番であることは黙示録二十一章に記されています。その章を説明する時に、この十二位について触れましょう。神は最高の天使十八位に、ヤコボの神の梯子を昇り降りさせ、元后のメッセ―ジを王なる主に届け、主のメッセ―ジを元后に届けさせることにしました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P41

 

 これらの聖天使たちに加え、神は最高階級から七十位のセラフィムに、自分たちのコミュニケーションと同じように、主や下級天使たちとコミュニケーション(交流)するように任命しました。

 天軍の総指揮官である聖ミカエルは、無敵の軍隊を統轄することになりました。聖ミカエルはほとんど常に元后のそばにおり、しばしば元后に姿を現しました。聖ガブリエルは我らの主キリストの特派大使となり、至聖なる御母の守護者となり、天に於て聖母のための弁護士・管理人のような役を務めました。

 山々が築かれ、その上に神の神秘的な国が建てられることになりました(詩篇86・2)。神の右手は御母のために神聖な宝を既に用意しておきました。千位の天使たちは、自分たちの后のため、最も忠実な侍者となりました。御母の祖先は高貴な王家ですし、御母の御両親は最も聖で最も完全な方たちです。

 御母の人体形成にあたっても全能者は自然の諸要因を良い配分に混ぜ合わせたので、その霊魂の活動を助けました。この素晴らしく構成された気質は、天の元后が終生統治した静けさと安らかさの源となりました。至聖なるマリアの御体は腐ったり衰えたりしませんでした。多過ぎたり、不足したりするものもありませんでした。生き続けるために必要以上の熱さもなく、適当な体温と体液維持のため、必要以上の冷たさもありませんでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P42

 

 次の土曜日、全能者は御母の霊魂を造り、御体の中に吹き込みました。このように、永遠に最も聖、完全である純粋な被造物が世に現れました。創世記には、人間を土曜日(第六日目)に創造した後に神は休息したという表現がありますが、全被造物の中で最も完全な御方を創造したあと休息したというのが本当に意味です。神の御言葉の御業の初めであり、人類の救いの初めです。神にとり、全被造物にとり、この日こそ過ぎ越しの祭日となりました。

 神が、最も聖なるマリアの御体の中に最も祝された霊魂を吹き込まれた時、同時に天使たちの最高位にあるセラフィムの頂いた恩寵以上のもので御母を満たしました。創造主の光、友情と愛は片時も御母から離れません。原罪の汚点ではなく、人祖が元々頂いた以上の最も完全な正義を身につけました。恩寵にふさわしい理性の光を頂き、一時も休まず、創造主の御喜びになる仕事に精を出しました。

 諸徳の内、御母が発揮された三徳は、信、望、愛でした。神についての上智により御母の信徳は曇らされず、望徳は神以外のものに一瞬たりとも注意を惹かれず、愛徳はセラフィムも顔負けの愛情を神に対して持ち続けたのです。

 他の超自然的諸徳は、御母の理性的な部分を飾り、完全にします。御母の道徳的・自然的諸徳は奇跡的・超自然的でしたが、それ以上のものは聖霊の賜物の結実です。御母は自然や超自然の秩序をわきまえ、神を理解することに於て誰よりももっと賢明であり、もっと聡明です。

 御母の素晴らしい知識にふさわしく、御母は神への畏敬と罪に対する悲しみのための諸徳を英雄的に実行しました。悪い天使や人間が主を知ろうとせず、愛そうともしないことを感知したが故に、至聖者への犠牲となりました。熱烈に主を祝し、愛し、誉めました。御母は聖アンナの胎内におられた時、既に人類の堕落を知っており、いと高き善なる神に対する反抗の重大さを思い、悲しみの涙を流したのです。御母は生まれるやいなや、この悲しみと共に人類の救いを求め、仲介と回復の仕事を始めました。神に対し、祖先や義人の叫びを神に捧げました。自分の同朋と見なした死を免れない人々の救いを、神の慈悲が遅れないように願いました。人々に会う前に、熱心な愛徳により人々を愛しました。生まれた時に人々の恩恵者となり、神への愛と同朋への愛を心の中に燃やしました。御母の嘆願は、全聖人と全天使の嘆願を合わせたものよりももっと神の心を動かしました。神の愛と希望は、神が天より降り、人々を救うことを御母は知っていましたが、どのように救済が行われるかについては判りませんでした。神は御母の願いを叶えたいと思い、御母を愛したからこそ人体をまとったのです。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P43

 

元后の御言葉

「被造物が理性を使うにあたり、神に最初に向かうのは永遠なる主の御旨に叶います。知ることにより、創造主にして唯一の真の主として主を愛し、畏敬し、誉め始めます。両親は子供たちの幼少の時から神の知識を与え、知識を育み、自分たちの究極の目的を知り、知能と意志を最初に使う時、知識を求めるように育てる義務があります。幼稚さや幼稚ないたずらから子供たちを遠ざけるようによく見張り、方向なしに放り出されたら、腐敗した性格になってしまうことをよく用心すべきです。父母がこれらの空虚なことや偏狭な習慣を注意してやめさせ、神と創造主の知識を幼少の時から教えるならば、子供たちはたやすく神を知り、崇めるようになるでしょう。私の聖なる母は私の知恵や状況を知らずに熱心でした。私を受胎した時、私の名前を使って創造主を崇め、私の創造を感謝し、私を守って出産の日の光に私をあてられるように祈願しました。両親は神に熱心に祈り、子供たちの霊魂が御摂理により洗礼を受け、原罪の枷から解放されるように願うべきです。もしも人間が、物心がついても創造主を知らず崇めないなら、信仰の光により不可欠な神を知らなければなりません。その瞬間から霊魂は神を決して見失わず、絶えず畏れ、愛し、敬うべく努力しなければなりません。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P44 

第七章

原罪の汚れなきマリアの聖き御誕生とその御名

 

 聖母の至聖なる御心における神への愛は、創造の瞬間に母胎の中で始まり、決して中断されず、光栄の永遠にわたり続けられております。今、聖母は御子の右に座し、その光栄にあずかっております。

 最も幸いなる母、聖アンナは、聖霊の御加護に満たされて妊娠の日々を送りましたが、御摂理は困難の重荷をも与えました。この重荷なしには恩寵は獲得されません。これを理解するために、サタンと一族が天から地獄の拷問の中に投げ落とされた後も、古い律法の間、地上を徘徊し、優れた聖性の女性全員を密かに覗き見していました。「女」の印を満たし、「女」の踵が自分の頭を傷つけ、砕くことになっている(創世記3・15)のを知っていたからです。ルシフェルは人間に対し怒り狂っていたので、この探索を自分自身でし、徳を積み恩寵を頂く点で傑出した女性全員の身辺を一生懸命、見回りました。

 悪意とずるさで一杯になったルシフェルは、優秀な聖アンナの非常な聖性と生涯の全てに眼をつけました。聖アンナの胎内の「宝」の素晴らしさに気づきませんでしたが(他の多くの神の秘密も見ることができなかったのですが)、聖アンナから発せられる強大な影響力を感じたのです。この力の源が判らなかったので、ますます怒り狂いました。この妊娠も普通の妊娠に違いないと自分に言い聞かせて気を静める時もあったのですが、心配はなくなりませんでした。大勢の天使たちが聖アンナの周りにかしずいているのを見て、何とかして探り出したいと焦ったのに阻止され、これは聖アンナの力だけではないと感づいたのです。聖アンナの命を奪いたいが、できなければ妊娠中に問題を起こしてやりたいと決心したルシフェルは、受肉された御言葉の御母や、世界の救世主の命を狙う身の程知らずでした。彼の傲慢さは、天使として人間よりも高い地位と能力があることから由来しています。そして、天使としての自分が神のお陰で存在したことに気づかないのです。そこで彼は、様々な疑いを聖アンナの心に起こさせようとしました。年を取り過ぎているから、実は妊娠していないのだと思い込ませようとしました。しかし、この不屈の女性は、謙遜な堅忍不抜の精神で主に祈り続けました。この信仰のお陰で彼女はより一層の恩寵を頂きました。大天使たちが彼女を襲ってくる悪魔たちを追い払いました。自力を過信している悪魔は聖ヨアキムと聖アンナの家を壊そうとしましたが、聖天使たちにより敗退しました。今度は、一人の女にさんざんの悪口を聖アンナに言わせましたが、聖アンナは優しく応対できるほど確固たる謙遜を保ち続けたのです。彼女がもっと大きな恩寵を頂けば頂くほど敵たちはもっと激怒し、彼女の女性としての弱さにつけ込もうとしましたが、全く手出しできませんでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P46

 

 次に攻撃目標は彼女と夫の家に仕えていた召し使いになりました。この召し使い女は強情で危険なことこの上もなく、この一家を混乱させましたが、またもや聖アンナの勝利となりました。イスラエルの守衛は眠らないで警護したのです(詩篇121・4)。聖アンナ一家の歩哨に立った天使たちは最も強力な天使たちの中から選抜されたので、ルシフェルと部下たちに恥をかかせ、追い払いました。これ以上の妨害をルシフェルたちはできませんでした。天の至聖なる王女の誕生が近づいていたからです。

 この世にとって最も幸せな日となった誕生日は九月八日でした。聖アンナは出産の時間を前もって主より聞かされ、主の御前に平伏し、御助けと御保護を願いました。至聖なる赤子マリアは大きな喜びに包まれ、お産の時、通常は感じるべき感覚を一切感じないでこの世に産まれました。聖マリアは産まれた時から純粋で汚点がなく、美しく、恩寵に満ち、律法と罪とから全く離れていました。同夜十二時に神の光が照らし、昔の律法とその暗さを、夜明けに近づいた恩寵の新しい日から分離しました。聖マリアは他の赤ちゃんと同じように産着を着せられ、世話してもらいましたが、彼女の霊魂は神の中に住んでいました。新生児として面倒を見てもらいましたが、あらゆる人間やあらゆる天使たちよりももっと知恵がありました。聖アンナは自分一人で聖マリアの面倒を見ました。他の家事をする必要がありませんでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P47

 

 全宇宙の中で最も美しい宝物、あらゆる被造物よりも高位にある娘を腕に抱き、娘を主に捧げ、心の中で祈りました、「無限の知恵と力のある主よ、万物の創造主よ、御身の富の中から産まれた我が子を御身に捧げ、永久の感謝をいたします。私の功徳なしにこの子を私に下さいました。母と子を御身の御旨に委ねます。私たちの低さを玉座から御身は眺めて下さいました。この子を永遠なる御言葉の住居と聖櫃として下さいました。御身が救いの誓いを私の聖なる祖先や聖なる預言者たちに、そして彼らを通して全人類に与えられたことを感謝いたします。御身は契約の櫃である娘を私に与えて下さいましたが、私は娘の召し使いになる資格もありません。どうぞ宜しくお願い申し上げます。」

 主は、この聖なる婦人に、天からの授かりものである娘を普通の娘のように育て、愛情と気遣いを示し、それと同時に娘に対する畏敬の念を心の中に持つように教えました。

 我らの王女マリアの生誕に当たって、いと高き御方は大天使ガブリエルを古聖所にいる聖なる祖父たちにメッセンジャーとして送りました。天の大使が降って行き、深い穴を照らし、そこにいる義人たちにこの喜ばしい知らせを告げました。聖なる王たちが待ち望み、預言者たちが予告した人類の救いが始ったこと、すなわち、救世主の御母となるべき方が産まれたこと、人々が救いと神の光栄を近いうちに見ることを教えたのです。

 この偉大な元后の誕生後八日目に、祝福された母アンナの前に現れた天使たちは、アンナの娘はマリアと名付けられること、この名前が天から運ばれてアンナと夫のヨアキムに与えられることを神がお望みになったことを話しました。アンナは夫を呼びにやり、夫と話し合いました。夫ヨアキムは大喜びしてこの名前を拝領しました。夫婦は親戚や祭司を招いて厳かに命名式を執り行いました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P48

 

元后の御言葉

「汝の弱さと貧しさにも関わらず、私の弟子と伴侶として私が採用したのは、汝が全力を尽して聖務を行なうにあたり、私を模倣すべきであるからです。私は誕生の瞬間から全生涯を一日でも怠ることなく堅忍不抜に聖務を実行しました。毎日明け方、いと高き御方の御前に平伏し、主の不変、無限の完全さと、私を無から創造したことに感謝しました。自分自身を御手がお造りになったものとして認めながら主を祝福し、崇めました。崇高な主として、私と全ての創造主として讃えました。謙遜と自己放棄の意志をもって私自身を捧げ、今日も死ぬまでの毎日も私を御旨のままに使って下さるように、御旨を教えて下さるようにお願いしました。この祈りを声に表し、心の中で話し、何度も繰り返しました。神に相談し、助言、許可と祝福を私の全ての行為のためにお願いしました。

 私の最も甘美なる名前に対し献身しなさい。全能者が私の名前に大いなる特権を与えました。私の名前が呼ばれるたびに私は深く動かされ、ふさわしい応答をすることになりました。まず神に感謝し、主に仕える決心を新たにします。汝、アグレダのマリアは私と同じ名前です。この名前が汝の心の中に同じ効果を現し、この章で学んだことを毎日怠らないように。もし弱さのために失敗するなら、主と私の前で非を認め、悲しみ、告白するように。心を尽してこの聖務を何回も繰り返しなさい。不完全さは許され、御旨に適う完徳に邁進するようになるでしょう。主の下さる光に従い、あらゆることに於いて主の御言葉を拝聴するようになるでしょう。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P49

第八章

マリアの幼年期

 

 この王女である子供は同年の子供たちと同様に育てられました。違った点は、食事の量が少量で、睡眠時間も短く、両親を困らせることなく、決して自分のことで泣きませんでした。最も可愛らしい子供でした。世の罪のため、救い主の御降臨のため、しばしば泣き、嘆息しました。普段は快活で、荘厳さがあり、決して子供っぽくありませんでした。賢慮なる母アンナは誰とも比較できない心配りと愛情深さを示しました。ヨアキムも同じでした。子供も神から大変愛されている父を愛しました。父は他の人たちよりももっと娘を愛撫しましたが、尊敬、謙遜、控え目の気持ちを決して忘れませんでした。

 幼子の元后は恩寵に充ち満ちていました。自然の理と恩寵とはお互いに協力しました。眠っている時、愛徳も他の徳も感覚に頼らずに行われました。この特権は神の御母で全被造物の女王にとり特別ですが、他の人々にもある程度、与えられているようです。

 普通の子供が生後一年間話せないのは、知能が発達せず、会話に必要な他の能力もないからです。幼子である元后は御みごもりの時以来、諸能力が完備しており、口を開け、舌を動かして話すことができたのに話さなかったのは、人々を驚かさないという聖マリアの知恵と英雄的な謙遜のためです。子供のマリアは両親の手に恭しく接吻しました。この接吻は両親が生きている限り続きました。両親に対する尊敬は従順によって示されました。両親の考えは、言葉に出さなくとも、マリアにはすぐ判りましたので、お考えに添うよう努力しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P50

 

 二歳になった時、貧者に対する特別の同情と愛徳の行ないを始めました。母アンナから施し物をねだり、心の優しい母から何でも頂きました。貧者のため、そして至聖なる娘のためでした。慈悲と愛徳の女主人であるマリアが貧乏人を愛し、敬うためでした。頂いた物だけではなく、自分たちの食物も貧者に分配しました。ヨブの評判と同じです。幼い頃から同情の心が育ちました。(ヨブ31・19)。施しの時には、貧者のため取り次ぎ、身体と霊魂から重荷を取り除くというもっと大きな恩恵を与えたのです。

 もっと崇むべきことは、同年輩の子供たちと一緒に読み書きを習うという謙遜と従順です。読書などは両親から教わりましたが、聖なる母アンナは、この天の王女に見とれていました。同時に、王女を通していと高き御方を祝福しました。全能者が定めた三年の終わりが近づくことの恐れと、自分の誓願が時間通りに守られるという自覚が強くなってきました。アンナと夫が頂いた恩恵の数々を思い出しました。娘マリアが神殿への奉献を自分から言い出した時、アンナは御旨の通り娘を主に捧げることに決めた反面、掌中の宝物を失いたくない強い感情に悩まされました。この大きな悲しみでアンナは死んだかもしれないほどでした。マリアは自分の命以上に大切でした、「私の愛する娘よ、長年お前の誕生を願いました。三年間しか一緒に住めませんでした。しかし、御旨が行なわれますように。お前を神殿に送るという約束を違えたくありません。行く日が来るまでどうぞ辛抱して下さい」とアンナは娘に言いました。

 至聖なるマリアが満三歳になるニ、三日前、神殿への出発の時が来たこと、神の奉仕に奉献されることを教えられました。マリアの至純なる霊魂は、喜びと感謝の内に神に申しあげました、「アブラハム、イサクとヤコブの最高なる神、私の永遠にして最高なる神、私はあなたを讃美する価値がありませんので、私の代わりを天使たちにしてもらいます。御身は何も必要とされないのに、地をはいずる卑しい小さい婢である私に尽きることのない慈悲を下さいました。私は地上の最も卑しい所にさえも住む価値がありませんが、私を御身の家の中に召し使いとして招いて下さいました。私が実家を離れることを悲しむ両親に、御身の御意志に従うように鼓舞して下さい。」

 同時に、聖アンナは娘が満三歳になる時の奉献の様子を幻視しました。アブラハムが息子のイサクをいけにえに捧げようとする時よりも、アンナには悲しいことであったに違いありません。主はアンナを慰め、娘がいなくなる後アンナを助けると約束しました。聖ヨアキムも同じ幻視を頂きました。お互いに話し合い、主の意志に従うこと、謙遜に実行することを決心しました。ヨアキムにとっても悲しいことでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P51

 

元后の御言葉

私の愛すべき娘よ、生きている者全員が死ぬべき運命にあること、いつ死ぬか判らないこと、生きている間の短いこと、死後の永遠には終わりがないこと、永遠の生か死かはこの世に於て決定されることをいつも思いなさい。この世の危なっかしい巡礼に於て、神の愛を頂くか、神の怒りを招くか、誰も判断できません。この不確実さのために理性を正しく用いるならば、同じ主と友情を得ようと最大の努力を払うでしょう。考える力がつくほど育った子供は、神から徳に向かう道の案内をして頂き、罪から離れさせてもらいます。善を選び、悪を棄てるように教えて頂きます。更に神は絶えず、秘蹟、教義や戒律を与えます。天使たち、説教師、司祭や教師を通して特別な苦難や恩恵、他人の例、審判、死や御摂理による出来事により、人間を前進するよう励まします。生活の出来事は人々を神に近づけるため、救われるためなのです。恩恵の助力は、人間が自由にもらえます。これに反対するのは、罪の助長にかぶれた劣悪の傾向です。五官に傾き、卑しいことを喜び、理性を混乱させ、コントロールの利かない欲望の偽の自由へと意志を魅惑します。悪魔も魅惑やごまかしで人間の内なる光を暗くし、きれいな外側の下に毒を隠します。いと高き御方は人間を見棄てず何度も呼び戻します。人間としての器に応じ、もっとお与えになります。霊魂が自己をコントロールして得た勝利の報酬として、情熱や性欲の力は弱まり、霊魂は自由に高く舞い上がり、自分自身の価値や悪魔たちよりも高く昇ります。しかし、人間が自分の低い望みや忘れっぽさよりも高く昇るのを怠るならば、神や人の敵に負けます。神の善から離れ、いと高き御方の呼びかけに応じなくなり、神に助けを頼まなくなります。悪魔たちや人間の欲情が人間の理性を誘惑し、全能者の恩恵を受けつけなくさせます。主の訪問を歓迎するか拒否するかが、救いか亡びかを決めます。この教義を忘れないように。敵には激しく抵抗し、主をいつも求め、神の光に照らされた戒律を守るように。私は両親を深く愛しましたが、両親を離れることが御旨であることを知り、実家を出て神殿に入りました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P53

 

天の王女が神殿で奉献され、神の恩恵を頂き、戒律を完全に守り、英雄的諸徳を修め、神の幻視を頂くなど、神の子の受肉までの出来事。

第一章

聖母の神殿における奉献

 

 三年の月日が満ち、ヨアキム、アンナに抱かれた契約の真の生ける聖櫃なる至聖マリアとニ、三人の親戚がエルサレムに旅立ちました。この質素な一行は人々に注目されませんでしたが、目に見えない天使たちが付き添っていました。天使たちはいと高き御方の栄光と讃美を歌いました。天の王女は天使たちを見聞きし、アンナの腕から降り、早足で歩きました。エルサレムに到着し、両親は大喜びでした。神殿に着くと聖アンナは娘の手を取って歩きました。ヨアキムも付き添いました。この三人は熱心に祈り、娘を主に捧げ、この至聖なる子供も恭しく自分を主に捧げました。マリアだけがいと高き御方の声を聞きました、「愛する者よ、私の配偶者よ、私の神殿によくぞ来ました。私を讃え、拝みなさい。」三人は祈り終え、立ち上がり、祭司の所へ行きました。両親は子供を祭司に引き渡すと、祭司は三人を祝福しました。皆は一緒に神殿の特別な場所に行きました。そこで大勢の少女たちが隠遁と徳行に励みながら成長し、結婚できる年齢まで暮らすのです。ユダ族の王家やレビ族の聖職者階級の長女たちのための特別に設けられた隠遁の場所です。この住まいに通じる十五の階段を他の祭司たちが降りてきてマリアを歓迎しました。マリアを迎える役を仰せつかったのは下級の祭司ですが、この祭司はマリアを一番下の段に立たせます。マリアは祭司の許しを得てくるりと向きを変え、父母の前に跪き、祝福を願い、両親の手に接吻し、神への仲介の祈りを唱えて下さるように頼みました。聖なる両親が涙ながらに祝福を与えると、マリアは十五階段を助けなしに昇りました。比べられない熱心さと喜びで、後を振り返らず、涙を流さず、両親との別れを悲しまず、急ぎ足で昇ったのです。幼い少女が不思議な威厳としっかりした気持ちを示したのを見て、見守る人たちは感嘆するばかりでした。祭司たちはマリアを少女たちに仲間入りさせ、聖シメオンは女預言者アンナや他の先生たちのクラスに入れました。聖なる預言者は主の特別な恩寵と教示により、マリアを受け持つ準備ができていました。神の母、そして全被造物の女主人となるべきマリアを、教え子にする任務を特別な恩恵であると痛感したのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P54

 

 マリアの両親は、マリアという家宝を失い、悲しみながらナザレトへ帰ることになりました。しかし、神に慰められました。

 当時、聖祭司シメオンはマリアの秘密を知りませんでしたが、マリアの聖性と主に選ばれたことを神から教わりました。他の祭司たちもマリアを心から敬いました。マリアは十五階段を昇ってヤコボの夢を実現しました。この階段でも天使たちは昇り降りしており、一団の天使たちはマリアに付き添い、他の天使たちは上で出迎えました。最上段で神は娘として配偶者としてのマリアを待っておられました。マリアは満ち溢れる愛を感じ、ここが神の家であり、天の門であると判りました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P55

 

 子供マリアはアンナ先生の前に跪き、恭しく祝福を願い、先生のクラスに入れて下さるよう、また困難な時、寛容に取り扱って下さるように頼みました。預言者は喜び、言いました、「私の娘よ、母の代わりにお前の面倒を見たり、教えてあげましょう。」聖なるこの子供は同じような謙遜で、同席の少女たちに挨拶しました。自分を召し使いとして扱い、自分に教えたり用を言いつけたりするように頼み、クラスに入れて下さった親切を感謝しました。シメオン先生は、アルコーブ(壁に設けたくぼみ)を一つづつ学生一人一人の小部屋にしました。天の王女は石の床の上に平伏して接吻し、主が神殿の一部を与えて下さったこと、この聖なる場所を大地が提供してくれたこと、自分がこの場所にいる価値がないことを主に話し、感謝しました。天使たちに言いました、「天の王子たち、全能者のメッセンジャー(伝言役)、私の親友たちよ、この聖なる神殿で私から一時も離れず、私に義務を思い出させて下さい。私の先生とも、道案内ともなり、私がいと高き御方の御旨を果たし、祭司、先生やクラスメートたちに従順であるように見守って下さい。」黙示録の十二位の天使たちにマリアは言いました、「私の天使たちよ、もしも全能者が許可して下さるなら、悲嘆にくれている私の両親の所に行き、慰めて下さい。」十二位の天使たちがこの命令に従っている間、マリアは強い力と甘美を感じ始めました。霊化され恍惚状態に入りました。直ちにいと高き御方はセラフィムに命じ、マリアの至聖なる霊魂を照らさせました。マリアの身体と霊魂が聖三位一体にお会いするための準備でした。この接見はマリアの三年間の生涯にとって二度目です。御父は御子の御母に将来なられる方に言われました、「私の愛する者よ、汝が私の不変性と無限の完全さを見て、私の光栄の後継者として選ばれた者たちや小羊の生ける血により救われた者たちが、頂くことになっている隠された宝を見て欲しい。遜る者を敬い、貧者に施し、踏みにじられた者を助け起こし、人間として私の名の下に行ない、苦しむ全ての者たちのため私が蓄えて置く宝物の数々を、私に選ばれた汝がよく見て、その証人になって欲しい。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P56

 

 その他多くの秘密がこの聖なる子供に見せられました。至聖なるマリアは答えました、「至聖崇高永遠なる神よ、御身は壮大さに於て測り知れず富に溢れ、秘密については言語を越え、約束を厳守し、真実を語り、御業は完璧です。御身こそ精髄と完全さに於て無限永遠なる主でおられます。至高なる主よ、いと小さき者の私が御身の壮大さを見て何をすべきでしょうか? 私は御身の偉大さを見せて頂く資格がありません。御身の御前には全被造物は無です。私は御身の召し使いで塵に過ぎません。御身の御望みで私を満たして下さい。人間が忍耐すべき困難や迫害、謙遜や柔和が御旨に叶うならば、そのような大宝物や御身の約束を私から取り除かないで下さい。ああ、私の愛する御方。しかし、艱難の報酬は御身の召使いたちや友だちに与えて下さい。私は何もしていませんので、その方たちの方が頂く資格が私よりもあります。」お喜びになったいと高き御方は、この天の子供は神を愛するため生涯苦しみ、労働しなければならず、いつどのように苦しむかを教えてもらえないであろうと言われました。天の王女は、神の光栄のため働き苦しむため選ばれたことの祝福と恩恵を感謝しました。貞潔、清貧、従順、一生涯神殿に隠れ住む誓願をする許可を主に願いました。主は答えました、「私の配偶者よ、汝は一生の間に何に出会うかを知らず、汝の現在の希望をそのまま全部成就できないことも理解できない。地上の富から離れることと貞潔を喜んで許可しよう。他の乙女たちも汝を見習うべきであり、汝は彼女たちの母となるのである。」この至聖なる子供は誓願し、他の誰よりも熱心に忠実に実行することになりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P57

 

 ここで主の幻視が終わり、主に最も誓いセラフィムの幻視が始まりました。セラフィムたちはマリアのそばに来て彼女を飾り、着物を着せました。まずマリアの全感覚が輝かしい光に照らされました。この上もなく壮麗なマントがお肩に掛けられ、色々な色の透明な宝石の帯がつけられ、うっとりとする美しい首飾りが掛けられ、つながった三つの大きな宝石が御胸の所に来ており、信望愛の三大徳を象徴しています。御手には見かけたことのない美しい指輪が七つ飾られ、聖霊の最も傑出した賜物を意味しています。御頭には世には知られていない材料で作られ、最も貴い宝石がちりばめられた王冠が載せられ、神の配偶者、天の女王を表します。白い輝く着物に、金色の文字できれいに書かれている言葉は「マリア、永遠なる御父の御娘、聖霊の浄配、そして真の光の御母」です。最後の称号はマリアには理解できませんでしたが、天使たちはよく判り、主の方を向きました。聖三位一体の玉座から御声がマリアにかかりました、「汝は我らの浄配なり、永遠に全被造物の中より愛され選ばれし者なり。天使たちは汝に仕え、全世界と全人類は汝を祝福されし者と呼ぶべし」(ルカ1・48)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P57

 

 神に一番近いセラフィムもケルビムも全く考えつかないことでした。いと高き御方が神の唯一人の浄配としてマリアを迎え、神なる御言葉がマリアに宿られるからです。マリアは申しあげました、「御身は至高の王、人智を越える神であられます。御身が、御身の慈悲に値しない私を御覧になって下さるとは、私は何者でしょうか? 私は自分の卑しさと汚さを間違いなく見、御身の無限を崇めると共に、自分の無を軽蔑します。御身を見る時、全被造物の中で忘れられ、蔑まれるべき塵の私の側に、無限の王が屈み込んで下さったことに驚きのあまり私は消えてなくなります。塵である私を高め、天使の群れに加えて下さるという御身の慈悲、無限の富と壮大さを理解できるのは天使です。ああ、私の王、私の主よ、御身は私の配偶者であり私は御身の婢です。私の最高善であり、私の唯一人の愛しき方である御身以外のいかなるものを理解したり、記憶したり、楽しんだりいたしません。御身だけが御身の浄配である私のためであり、私は御身だけの者であります。」天の王女の同意を喜ばれたいと高き御方は、御自分の配偶者である全被造物の女主人に、恩寵の全てを与えられ、更に彼女の希望するものは何でもプレゼントしたいと考えられました。最も謙遜な鳩は直ちに御前に進み出て、人間の救いのため御独り子を世に送って下さるよう懇願しました。全人類が神を正しく知るように、自分の父母が御手からもっとたくさんの贈物を頂くように、貧しく困っている人々が慰められるようにお願いしました。その他の切願もなされた後、全ての天使たちはいと高き御方を誉め讃える新しい歌を歌い始めました。この合唱の最中、多くの天使たちは最高天からマリアをマリアが預けられた神殿へ連れて行きました。

 マリアは主に約束したことに取りかかりました。ニ、三の書物と着ている着物以外の全てを聖アンナ先生に渡し、貧乏人に与えるようにお願いしました。神意を感じ取った先生は、マリアを一文無しの貧乏にしてしまい、特別に面倒を見ることになりました。他の少女たちは、着物や必要な物を買うお金を持っていました。

 この聖なる先生は、主任司祭に相談してからマリアに生活指針を与えました。マリアは神を熱心に愛することと自分自身を卑下することだけに専念しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P59

元后の御言葉

 

 私の娘よ、全能者が私に下さった大いなる筆舌に尽くせない恩恵の中には、汝が今書き記したことが含まれています。神をはっきりと見、隠された神秘を知り、神の最も甘美なる御働きを私の中に感じました。私の清貧、従順、貞潔と隠遁の誓願は、神のお喜びとなり、教会の中で恩寵を受け、神を畏れる人たちもこれらの誓願を立てるようになり、現在の修道生活の初めとなりました。彼女の後をついて、乙女たちは王の許へ行った」とダビデが詩篇四十五に歌った通りです。私は自分が主に提案したことを全て完全に果たし、どのような被造物にも心を惹かれず、私の夫ヨゼフや天使たちにも注意を集中せず、神に直接に、または私が自由に自分を捧げた従順を通して間接に、私の全てを任せました。

 注意し、恐ろしい危険を知りなさい。恩寵により自分自身を越え、どのような混乱した感情にも同意しないように。全く霊化され、自分の情熱を殺し、地上のあらゆるものに対する関心を棄てなさい。キリストの浄配という名前のために、人間の限界を超え、神の住居まで昇りなさい。汝は土ですが、祝せられた土であり、主のためにだけ実を結びなさい。汝が崇高最大の主の配偶者でありながら、人間という被造物なる奴隷に目を向けるならば、どのような傲慢であるかを考えなさい。考えられないほどの恐ろしい罰を受けるか。それを私が汝に見せたら、汝は驚きに堪えられず死ぬでしょう。私の弟子として私を見倣い、汝の修道女たちにこのことを諭し、守るように説明しなさい。

 この世に於て私に下った最大の幸せは、全能者が御自分に奉献された神殿に私を招いて下さったことです。危険な奴隷の境遇や世の苦役から私を救って下さいました。世の中には本当の自由がなく、食べるためにあくせく働かなければならず、ずるい悪魔や偏狭な人間たちの作った嫌悪すべき最もたちの悪い法律や習慣に縛られてしまうとは、何と危ないことではありませんか? 最善のことは修道生活と隠遁です。修道生活には安全があり、その外では拷問や荒れ狂う海があり、悲しみと不幸に満ちています。心の頑なになった人々は自分自身を忘れ、この真理を知らず、この祝福を望みません。汝の霊魂よ、いと高き御方に耳を傾け、御命令を実行しなさい。主の呼びかけを邪魔することは、悪魔の最大の罠の一つです。修道服を着て、修道生活に入る時、熱心に純粋な気持ちがなくても、地獄の龍や部下たちは激怒するのです。彼らは誓願式が主の光栄と聖天使たちの喜びとなり、誓願者を聖性と完徳に導くことを、よく知っているからです。この世の人間的動機で着衣したものでも後で恩寵を頂き、完徳に向かうことがしばしば起きます。恩寵を受け、誠実に熱心に神を求め、仕え、愛する修道生活の戒律を守ることは、もっともっと偉大です。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P60

第二章

修道誓願に関して元后から与えられた教え。聖母の神殿での初期の日々

 

 私の愛すべき娘よ、私の説明を熱心に聞きなさい。賢人は言います、「私の息子よ、友だちと約束するならば、汝はその人につながり、自分の言葉の捕らわれの身となる」(箴言6・1)神に誓う者は、自分の自由意志を縛り、自分を捧げた御方の意志と命令に従うことしかできない。自分自身の誓いの鎖に繋がれる。霊魂の亡びまたは救いは、自由意志の使い方にかかっています。大抵の人々は自由意志を悪用し、自由意志を堕落させたので、いと高き御方は誓願による修道生活を設けました。お蔭で人間は自由を完全な賢明な選択に用いることにより、主にお返しすることができます。誓願により悪を行なう自由は消え、善行の自由が保証されます。くつわのように危険を避け、平で確かな道へ導きます。情欲の奴隷や従属という境遇から解放され、情欲を支配する力も獲得し、自分の霊魂を治める女主人・女王としての地位に戻り、聖霊の恩寵と鼓吹の法にだけ従い続けます。聖霊が修道女の全機能に命令します。こうして人間は、奴隷の地位からいと高き御方の子供の立場へ、この世的生命から天使的生命へと移ります。全力全心を尽くして聖職の誓いを完うしようとする霊魂は、どのような祝福や宝を頂くかを汝は理解できないでしょう。聖務を時間正しく厳守する者たちは、殉教者と同じまたは、より以上の功徳を積みます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P61

 

 聖務の第一は、義務の時間を厳守することです。第二は、特権と呼ばれる自由な信心業を行なうことです。自由奉仕は普通あまり恩恵につながりませんが、修道女たちは熱心さと完全さに於て飛び抜けようと密かに望むのです。これは悪魔の企みによることで、結果は完徳の初めよりもはるかに手前の段階にしか過ぎません。第一の課された義務を遂行した上で、第二のそれ以外の徳行を積めば、汝の魂を美しくし、完全にするでしょう。

 従順の誓願は、自分の意志を放棄することです。自分自身を上長の手に委ねます。自負心と自己主張を棄て、信仰と同じように上長の命令を批判せず、敬い、実行することです。自分の意見、生命、発言権は存在しないと考え、自分から動かず、上長の望みを行なう時だけ動かなければなりません。上長の命令を吟味したり、不賛成の言動を取ったりすることなく直ちに従いなさい。上長は神の代理であり、上長に従う者は神に従います。神は上長の理性を照らし、命令が修道者たちの救いのためになるようにします。上長に耳を傾ける者は神に耳を傾け、上長を拒む者は神を拒みます(ルカ10・16)。聞き従う人の言葉は勝利を話します(箴言21・28)。神は従順な者の過ちを審判の日に赦し、従順の犠牲を見て他の罪も赦します。私の至聖なる御子は、従順な者を特別に愛し、苦しみを受け、死にました。従順な者全員の成功と完徳のため特別な恩寵と特権を獲得しました。へりくだって死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順であった(フィリッピ2・8)。主は永遠の御父にそのことを再び申し上げ、御父は従順な者たちの欠点を大目に見ておられます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P62

 

 清貧の徳は、この世の物を諦め、その重荷から解放されることです。霊魂を軽くし、人間の弱さから解放し、永遠な霊的祝福に向かって励む高貴な心の自由です。自主的清貧には他の諸徳がありますが、この世の人たちは地上の富を愛し、聖なる富める清貧に反対するので、諸徳を全く知りません。大地に自分たちを縛りつけ、金銀を採掘するため、自分たちを地中に陥れる富の重さに気づいていません。金銀を入手するために不安、不眠、労働、汗に苦しみ、何をしているのか知らないようです。富を入手するのにこれほど打ちのめされる一方、入手した後もっとたくさん苦しむのです。富の重荷と共に地獄に堕ちた人たちは数知れません。富の所有が霊魂を窒息させ、神と永遠の財貨を追う最も貴い特権を失わせる一方、他方で自主的清貧は人間の貴さを回復し、邪悪な奴隷状態から解放し、貴い自由を再び与えます。富を所有したくないとき富への欲望はなくなり、神の宝を蓄えることができます。世の中の物はいと高き御方により、我々の生命維持のために造られました。例えば、食物を入手して食べれば我々は生きていかれ、それ以上の食物を必要としません。食物や富を必要以上に欲しがるのは、しょっちゅうのことで、中止することがなくなる傾向にあります。手段と目的が混ぜこぜになる傾向もあります。しかも、我々の大事な生命もどれくらい続くか、いつ終わるか誰も知りません。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P63

 

 貞潔の誓願は、身体と霊魂の純粋さをも誓願します。貞潔は簡単に失われます。ときには貞潔を失うまいとするのは難しく、失った後、回復するのは不可能です。この大きな徳は城に置かれ、城にはたくさんの門や穴があります。よく護らなければこの宝は失われます。失わないためには、五官を用いないという破れない契約が必要です。理由のあるときや創造主の光栄のためには、例外はあります。五官を殺すと汝の敵は手出しできなくなります。

 キリストの花嫁である者たち(修道女たち)には、いかなる徳も欠如すべきではありませんが、最も大事な徳は貞潔の徳です。この徳は修道女を霊化し、この世の腐敗から遠ざけ、天使的生命に近づけ、神御自身に似るようにします。この徳は他の凡ゆる徳の飾りになります。私の御子が十字架の上で勝ち取った救世の特別な果実ですから、乙女たちが小羊に付き添い、お供した(黙示録14・4)と聖書に書かれている通りです。

 隠遁の誓いは、愛徳や諸徳の囲壁になります。キリストの配偶者たちに天より与えられた特権です。世の中の危険な誉め言葉から遠ざけ、安全な港を与えてくれます。狭い場所に詰め込まれるのではなく、神の知識の広大な徳の野原にいるのです。修道女はこの野原で楽しみ喜ぶのです。神の知識と愛の頂上に向かって昇りなさい。そこには汝を押し込める所はなく、無限の自由があります。そこから被造物を眺めれば、どんなに小さく汚らしいかが判ります。いと高き御方は私に説明なさいました、「神人の母となられるべき御方の業は完全そのもので、全人類、全天使たちがいくら考えても理解できないものである。彼女の内的徳行は大変貴く、セラフィムができる全てに勝る。汝は理解できても言葉で言い表せない。この世の巡礼に於て至聖なるマリアを汝の喜びの第一番としなさい。人間的なもの、見えるもの全てを諦め棄てる荒れ野の旅の間、マリアについて行きなさい。汝の力と才能の限りを尽くしてマリアを模倣しなさい。マリアを導きの星、監督にしなさい。マリアは汝に我が意思を伝え、御手によってマリアの心に書かれた聖なる律法を見つけなさい。マリアが取り次によりキリストの人性という巌を打つ(民数20・11)と、恩寵と光の水がほとばしり出てきて、汝の乾きを癒し、理解を深め、意志を燃え立たせるであろう。マリアは汝の行く手を照らす火の柱(出エジプト13・21)であり、情欲の熱さや敵の猛攻に打ち勝つ陰と憩いを与える雲である。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P64

 

「汝はマリアを通して、汝を護り、導き、バビロンやソドムの危険から救い出す一位の天使を受け取るであろう。マリアは汝を愛する母、相談相手、女主人、保護者、そして女王である。御独り子の母が神殿で修行した功徳の中に、最高で完全な生活の要約を見るであろう。すなわち、マリアの本当の姿、童貞の美、謙遜の愛らしさ、即座の献身と従順、堅固な信仰、確信ある希望、愛の火と御手の御業の表現を見るであろう。この規則に従い、汝の生活を整えなさい。この模範の鑑により、生活を飾りなさい。汝の配偶者なる主の部屋に入る花嫁の美と優雅さに付け加えられるべきである。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P65

 

「先生の崇高性が生徒たちに拍車をかけ、教義を受入れ易くするとしたら、汝の配偶者の御母に勝る先生は他にいない。この崇高な女主人の言うことを聞きなさい。マリアをよく模倣しなさい。マリアの崇むべき諸徳を絶え間なく黙想しなさい。マリアの隠遁生活の言動は、マリアの後で修道院入りした者たち全員の模範である。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P65

 

 マリアの生活の具体的事例を述べることにします。マリアを指導する祭司と先生は、上からの特別の啓示を得て、たった三歳になる子供を呼び出しました。天の王女は二人の前に平伏し続けました。立つように言われても平伏する許可を願いました。最高者の祭司と先生の義務と威厳の前に敬意を表したかったのです。祭司は語りかけました、「私の娘よ、とても幼い子供として主は汝を神の家に招きました。この恩恵を感謝し、真に、そして正しい心で一生懸命仕えなさい。諸徳を積み、この世の困難と危険に対して打ち勝てるよう準備して、この世に戻るように。アンナ先生の言うことをよく聞き、徳の甘美な軛を我慢し、この世でこれほど易しい軛はないと判るように。」天の王女は答えました、「神の祭司として神殿を護る私の主人、そして私の女主人、どうぞ間違いをしないように私が何をすべきかを命令し、教えて下さい。全てに於てあなた方の言いつけを護ります。」この天の王女に特別な世話をせよという、神からの啓示を祭司とアンナ先生は受けました。マリアの神秘については知らず、マリアの心中の動きと霊感について予想さえもできませんでした。祭司はマリアに仕事の規則を与えました、「私の娘よ、心からの尊敬と献身で主の名誉のための歌を歌いなさい。この神殿や神の民の生計のため、救世主の御来臨のため、いと高き御方にいつも祈りなさい。八時に就寝し、明け方に起き、第三時(午前九時)まで主を讃えなさい。九時から夕方まで手仕事、そして色々な仕事を覚えるように。日課の後で頂く食事を多く摂り過ぎないように。その後で先生の訓話を聞きなさい。残りの時間は聖書を読みなさい。全てに於て謙遜で愛想よく、先生の言いつけを護りなさい。」祭司の言葉を聞きながら、至聖なるこの子供は跪いていました。祭司の祝福を願い、叶えられた後、祭司の手と先生の手に接吻し、神殿に於て自分に与えられた義務を果たすことを胸に刻みました。聖性の女主人であるマリアは、謙遜に自分の立場を保ちました。彼女の希望と熱愛は自身を多くの外的な行動に駆り立てました。これらは上長から命令されたものではありません。主の代理者の命令に心から従順でした。完徳の女主人である彼女は、神の御旨が他の諸徳の鼓吹よりも、謙遜な黙従の遂行であることを知っていました。従順に於て神の希望や喜びを知りますし、上長の言葉は神の言葉です。自分の興奮や気まぐれを追及すると、誘惑、盲目の情欲やだまかしに乗ぜられます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P66

 

 自分に課されていない仕事でも、我らの女王は他の少女たちよりも抜きん出ていました。全員に仕え、部屋を掃除したり、雑巾掛けをしたり、皿を洗ったりするのを先生に申し出ました。最も賎しい仕事をしたり、他の人たちの仕事までしたりしました。神殿の秘密や儀式については神から知らされていましたが、それを勉強したり、実行したりするのに熱心でした。儀式にあずかる時、どんな小さなことでも失敗しませんでした。人から軽蔑されることにも、自分で自身を批判することにも、大変熱心でした。毎朝毎晩、そして仕事を言いつけられるたびに、先生の祝福を願い、先生の手に接吻しました。恭しく先生の足にも接吻しました。他の少女たちに対しても尊敬と親切を尽くし、自分の女主人に接するかのように、自分自身を忘れました。自分の同僚である少女たちに尽くすため、賎しい仕事をするため、神意に添うため、どのような好機も失いませんでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P67

 

 下の者が上の者に仕えるのは大きな徳であり、同じ地位の者に従うのは大きな謙遜であると、普通私たちは考えます。天地の元后が、女の中でも小さい人たちに全心を捧げるならば、困惑しない人はいるでしょうか? 従順の誓願をした者でも、神から任命された上長から我意を棄てよと言われると、どれほど困るでしょうか? 何回か従順であったら、自分は従順なのだという思い込みを棄てなさい。全ての人よりも偉大なマリアは、自分の同僚よりも劣っていると考えたのです。

 私たちの元后の美しさ、上品、優雅、礼儀は他の人たちとは比べものになりません。自然と超自然の賜物が組み合わされています。マリアと話しをする人たちが感じた愛情は、神により、ほどほどに表現するように抑えられています。

 元后は寝食を過度に摂らないようにしたばかりでなく、減らそうとしました。しかも、上長に従い、定刻に就寝し、質素な長椅子でセラフィムや守護の天使に囲まれて、もっと高い黙想やもっと強い愛の恍惚を楽しみました。

 元后は時間割を作り、賢明に仕事の割り振りをしました。昔の聖なる書物を読み、天から教えられ、深遠な秘儀をよく知っていました。聖天使たちと談義し、比べものにならない知能と鋭さで天使たちに質問しました。元后が勉強したことを書いたならば、聖書はもっと大部になったでしょう。私たちは聖書を完全に理解できたでしょう。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P67

元后の御言葉

 

 私の娘よ、人性は不完全で、注意深くなく、徳行を怠ります。人間はいつも休もうとし、仕事をしないようにします。霊魂が肉体の言うことを聞くと、肉体に支配され、肉体の奴隷になるでしょう。この秩序の欠損は嫌悪すべきことであり、神の最も嫌われることです。人間は霊戦に於て不注意で、しばしば負けると身動きできなくなり(脳卒中患者のように)、偽の保証を勝手に作り上げ、易しい徳行をするだけで過信するのです。悪魔たちは他の誘惑もしてきます。自信過剰にさせ、真の徳を見失わせます。この過ちに陥らないように私は切望します。一つの不完全さに不注意であると、他の諸欠点も出てきます。小罪を犯すようになり、小罪は大罪へと汝を導くことになります。奈落の底に落ち込みます。この不幸に遭わないために、聖務や秘蹟(祭式)に参加しなさい。どんな小さな聖務でも、悪魔を寄せつけない要塞となります。要塞がないと悪魔は内部に侵入し、霊魂を滅ぼそうとします。聖寵の力なしには、霊魂は悪行や悪習慣で弱くなり、堅忍を失い、悪魔に抵抗できなくなります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P68

第三章

信徳について至聖なるマリアがどのように実行されたか

 

 徳行の美しさと均衡について聖マリアは啓示を受け、いと高き善に捧げられていたので、徳をいつも忘れることなく、喜びながらすぐに行ないました。このことは私たちの理解を越えるのですが、一つ判ることは、聖マリアは全被造物よりももっと素晴らしい美であり、神御自身の次に位置することです。聖マリアの完全さには欠けることがありません。神より頂いた諸徳の他、聖マリアは実践により諸徳を獲得しました。私たち人間は、何回も良い行為をした後、一つの徳を得るのですが、聖マリアの一つ一つの行為は完璧で、私たち全員の諸徳よりも優れています。聖マリアの行為の目的は神御自身です。主なる神の御光栄を少しでも増やせるかどうか、はっきりしない行為は何一つしませんでした。

 神から頂く諸徳には二種類あります。第一は、神を直接の目的とし、対神徳と呼ばれる信徳、望徳と愛徳です。第二は、その他の全ての徳で、神に向かうための手段を与える徳です。道徳的諸徳と呼ばれる四つの枢要徳である賢慮、正義、堅忍と節制に集約されます。これら全ての徳は、聖マリアに於て完全で、聖霊の賜物により強化されています。聖マリアの御孕り(おんやどり)の時から、神はお与えになったのですが、それに加えて、聖マリアは御自身の功徳ある行為により、諸徳を更に育て上げました。

 聖エリザベトは聖マリアの信仰の偉大さを歌いあげました、「幸いなるかな、御身の信仰よ、主の御言葉と御約束は御身に於て成就せり」(ルカ1・45)。聖マリアの信仰は神の御力の姿です。我々の信仰の不足を補います。

 諸国民が信仰の祝福を失った歴史も思い出しましょう。自分たちが資格がないのに、頂いた信仰をないがしろにしたので、この驚くべき損失を回復するため、少なくとも一人の人間が信仰の徳を完成し、全人類の模範となることが必要でした。聖マリアは信徳の本来の姿を完全に修得したので、全人類が各自の信徳を測る物差しとなりました。聖マリアは祭司長、預言者、使徒、殉教者や世の終わりまでキリストの教義を信じる者たちを初めとし、全人類の先生です。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P70

 

 聖マリアは信じたことを全て知っていましたし、知っていたことを全て信じました。信仰の神秘が信頼されるべきことを神から教えられ、この信用を完全に理解していました。聖マリアの知識はいつも現実でした。一度覚えたことを決して忘れませんでした。理解の賜物は深い信仰の絶えざる実践につながりました。聖マリアの信仰と愛は、全天使たちや諸聖人のそれよりも優っていました。聖マリアが神により、神の直視と認識を与えられたことは天使たちにも理解できないのですから、地上の人間は、完全な信徳を得た天上の聖マリアから信徳の価値について教わりたくなるでしょう。不信心者、異端者、異教者や偶像崇拝者が聖マリアの所に来て、自分たちの間違いに気づき、人生の目的に達する道を発見しますように。カトリック信徒も、使徒たちと共に信仰を深めますように(ルカ7・5)。聖マリアの信仰に到達できませんが、聖マリアを見習う望みを起こしますように。

 太祖アブラハムは全信者の父です。希望するすべもなかったときに、なおも望みを抱いて信じ、「あなたの子孫はこのようになる」と約束されていた通りに多くの民の父となりました(ロマ4・17−18)。アブラハムの妻は、医学上、妊娠できない体でしたし、高齢に達していたにも関わらず、主は御約束通り独り息子イサクをお与えになりました。この大事な独り息子をいけにえに捧げよと言う神の命令にアブラハムは従う信仰がありました。この信仰により、アブラハムは全信者の父となり、信仰のしるしである割礼を受けたのです。

 アブラハムの称号よりももっと偉大な称号である「信仰の御母」と「全信者の御母」が聖マリアに与えられています。聖マリアの信仰と威厳は、アブラハム以上です。処女懐妊と出産は、高齢・不妊者による出産よりも、もっと理解しにくいです。アブラハムはイサクをいけにえにすることに確信はありませんでしたが、聖マリアは至聖なる御子が必ずいけにえになることを確信していました。聖マリアは全教会がいと高き御方を信じ、救いの御業を信ずべきことを示します。我らの救い主にして先生であるキリストは、聖マリアを御自分の教会の信仰の共同創立者、教会の母の模範に任命しました。最後の審判に於て、御母がキリストを信じなかった人たちを審判する副裁判官になることを決められました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P71

元后の御言葉

 

 私の娘よ、世の中が偉人、権力者、賢者として誉めそやす人たちの中で、どれほど多くの人々が信仰の光を持たず、不信の暗闇から最も憎むべき罪の中に、そして地獄の永遠の暗黒の中に落ちて行ったでしょうか? どんなに多くの国々が盲目であり、盲目の指導者の後について永遠の苦しみの地獄の底に落ち込んだことでしょう。信仰の恩寵と祝福を受け取ったのに、なくしてしまった悪いキリスト信者は、これら不信心者のお供をしているのです。

 私の親愛なる友よ、主の聖なる教会の花嫁の部屋に入り、後に主の永遠の祝福を頂くため、汝に下さった持参金と結婚の賜物としてのこの宝石について感謝しなさい。信仰の徳をいつも積みなさい。信徳は汝が目指している最終目的に汝を近づけるでしょう。信仰は永遠の救いに至る確かな道を教えます。この巡礼中の闇を照らす光です。不信と罪によって光が消えることがないように。信仰はあらゆることを可能にします。信仰は、人間の知力では全く判らないことを、誤ることのない確実さで私たちに理解させます。自分の限りある知力だけを頼みとする者の狭い了見から解放します。自分の感覚を使って獲得した知識に閉じ込められることから解放します。私の娘よ、神が与えてく下さったカトリック信仰の測り知れない宝を大切にしなさい。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P72

第四章

望徳について乙女なる我らの貴婦人はどのように実践されたか

 

 主が、地位の貴賎や年齢の高低を問わず、あらゆる人たちに、神と神の神秘と約束を教えるなら、各人は神が自分の最終目的であることを知り、その目的に達したいという熱望にかられることでしょう。これが希望です。洗礼の時にこの希望をもらって以来、この永遠の喜びに達すべく努力し、それを得るための困難に打ち勝たせて頂く恩寵を願っています。まだ目的を獲得していないので、人間は、キリストの功徳と自分の努力の両方で追及することになります。望徳は、信徳と主の間違いのない約束に賢明に頼ることにより進歩します。思考力に基づく望みは、絶望と推測の間に宙ぶらりんとなっており、自分一人の力に頼ることを許しません。御旨を邪魔する怖れや諦めも許可しません。絶望は神の約束を信じないことから、また信じるが、約束したものをもらえないと思い込むことから起こります。この絶望に対抗し、希望は、神が御約束を破棄しないこと、我々は功徳を積む能力を与えられており、実際に功徳を積むことによってのみ約束が成就されることを教えてくれます。神から与えられた諸能力を乱用することによって、喜ばしい約束が叶えられるなどと考えないで下さい。諸能力は人生の目的に到達するため、徳を積むため、この世に於て神を求めるため善用されるはずのものなのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P73

 

 神に直接お会いするという人間の最終目的のため、聖マリアは誰よりももっと頑張りました。そのための妨げになるようなものは棄てました。私が以前述べたように、聖マリアはこの世に住んでいた時、天に挙げられ、神に拝謁できたこともありましたが、その時以外は、日常生活の連続で、神との面接を思い出し、もっと熱心に神を求めました。聖マリアは、将来、神の許に行くという自分が頂く御褒美は諸天使、諸聖人の受ける報酬よりももっと大きいということを知っていました。この知識は聖マリアの望徳を他の誰よりも強いものとしました。自分の目的を達成するため、崇高な信仰、賜物、そして聖霊の特別な御助けをお願いしたに違いありません。聖マリアの素晴らしい信徳と望徳に相応した素晴らしい賜物の数々を頂きました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P73

 

 望徳は、聖マリアのために神が創造しました。その後で全人類に分配して下さいました。このため聖霊は、聖マリアを美しい愛と聖なる希望の母と呼びます(シラ25・24)。キリストの御母となったように、希望の御母となりました。教会のメンバーたちに希望をもたらしました。聖マリアの御孕りの時に既にキリストの死により確実となった神のお約束について、恵みの分配者とされておりました。自由意志でキリストを懐妊し、出産した時、頂いたお約束を私たち全員に手渡し、私たちに希望を下さったのです。聖霊が聖マリアに言われたことは成就しました、「汝の木は楽園である」(雅歌4・13)。恩寵の母である聖マリアから由来するもの全ては、私たちの幸福、私たちの楽園と私たちの希望であるからです。御父の御旨に従った御子の苦しみにより建てられた教会は、聖マリアによって養われます。母は優しく愛撫して、母性的愛情をもって小さな子供たちに乳房を吸わせる(一コリント3・2)。教会が建てられた時から聖マリアは慈愛の母として、神から頂いた教えという甘い乳を私たちに下さっています。世の終わりまでキリストを取り次ぎ、我らの主キリストは慈悲の御母のお願いを聞き入れて下さいます。聖マリアは私たちの甘美なる御母、私たちの生命、そして私たちの希望です。我々が頂く祝福の根源です。聖マリアは私の模範です。御自分の御子の功徳により与えられる私たちの永遠の幸福のための保証です。私たちがその幸福に辿り着くように助けて下さいます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P74

元后の言葉

 

 私の親愛なる娘よ、汝は望徳について偉大なる啓示を受けました。私が望徳を実践したように、汝も神の恩寵に助けられ、絶えず実践しなさい。いと高き御方の約束をいつも思い出しなさい。お約束の真実について、揺るぎない確信を持ち、汝の心を熱望に向けなさい。天の祖国に住み、いと高き御方の御顔を拝する将来は、キリストの功徳により保証されています。私の霊魂には、信仰により理解し、経験により味わったものだけが持てる熱望がありました。この熱望の激しさは、言葉では表現できません。

 神の御姿に象られ、神の栄光にあずかるべき人たちが、自分の欠点により、その真の幸福を得ないという不幸を、心からの悲しみでよく考えましょう。聖なる教会の子供たちが悪業をやめ、暗黒から自分たちを引き離し、盲目の不信者たちから区別して下さる間違いのない信・望の祝福を重んじるならば、忘恩を恥じ入るでしょう。キリストが流された御血を嫌い、神と諸聖人の前で最も汚い姿に成り果て、最も恐ろしい審判にかけられるであろうことに気がつきますように。この真実が単なる空想であると考えている多数の人々が、自分たちの危険な状態を少しでも考えるように祈りなさい。そのための汝の努力は、王なる主により報いられます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P75

第五章

我らの貴婦人、至聖なるマリアに於ける神愛の徳について

 

 愛徳は全ての徳の女王、母、命と美です。愛徳は他の諸徳を支配し、動かし、最終目的の完成に向かわせます。愛徳は諸徳を啓蒙し、美しくし、生命と効果を与えます。愛徳は完全であり、他の諸徳を完全にします。愛徳なしには、諸徳は生気がなく、効果もなく、少しの価値しかないのです。愛は怒らず、利を求めず、全てを与え、あらゆる善を生み、悪に同意しない(一コリント13・4)。愛徳だけが天国の鍵を持っています! 愛徳は永遠の光の夜明け、永遠の昼間の太陽、浄めの火、新しい喜びで酔わす葡萄酒、嬉しさをもたらす甘露、いつも満たしてくれる甘美、霊魂の憩い、神に我々を結びつけてくれるものです。この結合は御父と御子の一致、御父・御子・聖霊の一致と同じです(ヨハネ17・21)

 神御自身が愛です(一ヨハネ4・16)。カトリック教会は、御父の全能、御子の知恵、聖霊の愛を教える理由を持っています。聖ヨハネが書いた通りです。神の内なる働きは聖三位一体の相互の一致と愛ですが、神の外なる働きは被造物で、被造物は神の愛により造られ、愛を神に返します。神を私たちの希望、忍耐と知恵と呼ぶ時は、それらを神から私は頂きます。神が愛であると私たちが言う時は、愛を神から頂くだけではなく、それらを神から私は頂きます。神が愛であると私たちが言う時は、愛を神から頂くだけではなく、神御自身が愛であり、溢れ流れ出る愛であるからです。神の他に完全な愛は至聖なるマリアにあります。愛の最高の働きは、我らの主キリストがなさったこと、そして永遠になさること、愛がキリストにいつも存在することです。愛の次の場所は至聖なるマリアです。この選ばれた人、聖マリアは、罪により汚れた人間たちの欠点や欠損はなく、人類の欠点を補い、人類のために可能な限り大きな愛を神に返します。聖マリアだけが愛に於ける正義の太陽を模倣するために、全人類の中から選ばれました(雅歌4・9)。聖マリアだけだ知っています。全人類よりももっと熱烈にもっと完全に愛することを、神を神自身のため純粋に激しく欠ける所なく愛することを、そして全人類を神のため、神が愛するように愛することを知っています。聖マリアだけが愛の衝動に従い、最高なる神を最高なる神として愛しました。聖マリアの愛は、全人類と全天使の愛の総合よりも重いのです。聖マリアだけだ愛なる神の精髄を知っていますから、充分な完全さで、理性的である人類の全能力を越えて神を模倣します。聖マリアの愛は、神の御子の御母としての聖マリアに与えられた素晴らしさと同じく偉大です。聖マリアの愛に応じて、永遠の御父なる神は聖マリアのため、そして全世界の救いのため、至聖なる御子をいけにえにしました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P76

 

 聖霊が聖マリアを希望の母と呼ぶように、美しい愛の母と呼びます。この意味は、聖マリアが私たちの愛する主、救い主であるキリストの御母であることです。主は人間の中で最も美しく、人間として欠点も汚点もなく、神と交流する恩寵の美が不足していません(一ぺトロ2・22)。聖マリアは愛の御母として地上の私たちに愛をもたらし、私たちのために愛を育て、私たちに愛を教えました。全ての聖人は聖マリアの愛を知れば知るほど愛を実行します。全ての聖人は、聖マリアの愛をもっと正確に模倣しようとします。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P77

 

 聖マリアの愛の源は、聖マリアの深遠な知識と知恵です。それは頂いた信仰と希望、聖霊の賜物である知力と知恵、そして神の幻視に由来しています。このようにして聖マリアは神を神のために愛し、人間を神のために愛し、最も激しい熱望を持って愛徳を実践することを学びました。神は、元后の意志には何の妨げや不注意、無知、不完全、遅滞もないことを御存知でした。神の御力が聖マリアの中で充分に働きました。「汝の神を全心、全霊、全力で愛せよ」という偉大な掟は聖マリアだけが実行できました。この掟は聖マリアに与えられました。他の人間はこの世にいる間、そして神にお会いするまでこの掟を完うすることはできません。聖マリアが私たちに代わってこの掟を頂き、実行したのです。

 ああ、最も甘美にして最も美しき愛の御母! 創造されたことのない愛が御身を造り、太陽のように輝くように選びました。御身は最も美しく、最も完全な愛をお持ちです(雅歌6・9)! エワの惨めな子供たちである私たちは、この太陽に照らされ、燃え、愛により再生し、愛、愛情、愛徳について教えて頂くように願いましょう。聖マリアは教えて下さいます。愛は愛される者により喜び、満足することです。愛情は愛される者を同類の他者より選び分けることです。そして愛徳はこれらニ者に加え、愛される者の善良さに敬服することです。聖マリアから私たちは、神のために愛し、全心で神に満足し、神でない全てから神のための場所を分離すること、他のこととごちゃ混ぜにすると神への愛が減ることを学びます。神に比べたら、金も貴金属・宝石類は汚らしく見えます。至聖なるマリアの愛は天地の隅々に及んでいます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P78

元后の御言葉

 

 私の娘よ、汝が私の後を追って、あらゆる徳行に於て私を見習うよう母として希望します。愛徳はあらゆる徳の終極目標で冠です。信仰と理性の燈を灯し、無限の価値あるこの貨幣(ドラクマ)を見つけなさい(ルカ15・8)。見つけた後は、この世のものであり、朽ちるもの全てを忘れ、嫌いなさい。この限りない価値のある思考と目的は、何ものにもまして神のお喜びになるものです。神を完全に愛するため、次のような自己反省をしなさい。自分はいつも神を考えているか、神の御旨と御勧告を疎かにしていないか、神の言いつけに背くことを恐れているか、背いたあと直ちにお詫びしたか、神が除け者にされているのを悲しむか、神が皆に尊まれているのを喜ぶか、神の愛についていつも話すのを望み、喜ぶか、神のお側にいることを喜ぶか、神を忘れ、神のお側にいないことを嘆くか、神が愛することを愛するか、神がお嫌いなことを嫌うか、神の恩恵を粗末にせず神の名誉と光栄のために善用しているか、自分のあらゆる情欲の火を消そうとしているか、情欲は自分の徳行への鼓吹を遅らせることをよく考えなさい。

 この掟の順序は、第一番目に、あらゆる人間を越えて神を愛すること、第二番目に自分自身を愛すること、第三番目に自分の隣人を愛することです。よく理解し、ごまかさず、手を抜かず、忘れず、けちることなく、怠らず、心から神を愛しなさい。神を愛する者は神の善を愛します。その次に隣人を愛し、敵味方の区別をしなくなります。神の顕れを他の人々に見るようになります。その人たちが親しかろうとなかろうと、恩恵者であろうと迫害者であろうと、その人たちの中に神の善があることを見つけるようになります。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P79

第六章

神殿に於ける元后の試練と御両親の逝去

 

 年齢に於ては小さな子供なのに、知恵に於ては大人である聖マリアは成長し、神と人からますます愛されました。聖マリアの熱情は自然の制限を越え、恩寵は神の企画と目的に対応しました。神の恩寵の流れは激流になって聖マリアの中に流れ込み、神の働きの全部が聖マリアのためだけであったかのように思えます。聖マリアの威厳も相応して増大し、主の聖心を完全に充分に満たし、天の全天使を讃嘆させました。聖マリアは地を祝福し、御言葉の芽を出させ、百倍の実、つまり聖人たちを次々に稔らせました。

 聖マリアは聖書を読んで神について勉強しました。特にイザヤ書やエレミヤ書と詩篇を読み、救世主と恩寵についてよく判りました。何回も御言葉の人性の秘儀について、天使たちととても優しく話しました。御言葉が乙女なる母から産まれ、大人となり、アダムの子孫たち、つまり人類のために苦しみ、死ぬことを愛情深く話したのです。聖マリアと話した聖天使たちやセラフィムは、聖マリアの至高なる威厳について聖マリアには決して打ち明けませんでした。聖マリアは、主と幸せな御母の婢になりたいと何度も申し出ました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P80

 

 いと高き神は幻視の中に現れ、聖マリアに話されました、「私の配偶者、私の鳩よ、私は汝を限りなく愛し、私の眼に最も叶い、私の希望する全てを汝に与えたい。艱難辛苦の中に隠れた宝を汝は気づいています。私の御独り子が人間性をまとい、十字架の道を言葉と行いにより教え、選ばれた人たちへ遺産として残し、苦しみに於ける謙遜と忍耐を十字架の法の土台とすることを汝は知っています。人性が非常に多くの罪により悪に傾き退廃してしまった現在、十字架の道は必要です。私の御独り子が人間となり、困難と十字架により光栄の冠を獲得したように、人間も自ら努力すべきです。私の配偶者よ、私は汝を選び、汝に賜物を与えましたが、その賜物を汝が活用し、その実を稔らせ、私の選民の頂く遺産を受けるべきです。従って、汝が私への愛のために率先して困難に当たるよう、私は望みます。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P80

 

 神のこの提案に、誰にも負けない王女マリアは世の中のあらゆる聖人たちや殉教者たちよりももっと勇敢に答えました、「主なる神、私のいと高き王、私の能力の全てと私という人間、それ自身は御身の無限の恩恵の一つですが、御身を喜ばせたい一心でいけにえになる用意ができています。御身の限りない知恵と善のため、私の犠牲が捧げられますように。御身が私に選択の自由を下さいますなら、御身の愛のため、苦しみ続けて死ぬことを選ばせて下さい。私の唯一なら神、御身のこの婢をいけにえとして苦しみのはん祭に使って下さいますように。最も寛大な主よ、どんな人よりももっと多くの負債を負っている私の苦しみを受け取って下さるなら、死のあらゆる悲しみと苦しみを私に与えて下さい。御身の御前に平伏し、私を保護し、見棄てないようにお願いします。ああ、私の主よ、御身が私たちの祖先や預言者に約束したことを思い出して下さい。御身は義人を恵み、苦しむ者たちのそばに立ち、慰め、保護と守護になることを。御身は真実を語り、約束を違えません。人間の悪意は御身の慈悲に頼る人々への御身の愛を妨げられません。御身の聖にして完全な意志を私の上に実行されますように。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P81

 

 いと高き御方は聖なる子供マリアの捧げ物を受け取り、言われました、「王の娘、私の鳩、愛され選ばれた者よ、よくぞ言いました。汝の願いの第一は、汝の父ヨアキムの近い将来の死として叶えられます。彼は平和な死を遂げ、リンボ(古聖所)に降り、諸聖人の仲間入りをし、人類の救い主を待ちます。」父に対する子供の愛情は自然の負債ですから、この至聖な子供の心も父の死を悲しみました。父、聖ヨアキムのために熱心に祈り、祝された死の瞬間、父を悪魔から護り、義人たちの群れに加えて下さるよう熱願し、自分の苦難をそのために捧げました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P81

 

 主は天の子の願いを聞き入れ、父上は神を愛し仕えたことの報いを得、アブラハム、イサク、ヤコブと一緒になると伝えました。ヨアキムの死の八日前、神は彼の死の日時を聖マリアに教えました。彼の死は聖マリアの神殿での生活が始まって六か月後でした。この予告を聞き、聖マリアは十二位の天使たちに、父ヨアキムを助けるように頼みました。彼の枕元に立った天使たちは神に願い、姿を現し、彼を慰めました。偉大な首長であるヨアキムは、何千もの天使たちが聖マリアを護っているのを見ました。全能者の命令を受けて、天使たちはヨアキムに言いました、「神の僕よ、最も高く最も強い主が汝の永遠の救いとなり、主が汝の霊魂を救い給わんことを。汝の娘マリアが私たちを寄こし、死の負い目を汝の創造主に返すこの時に、汝を助けるように頼みました。聖マリアは全能者へ最も信仰があり、最も強い取り次ぎ手であります。主は汝を聖マリアの父にし給うた故、汝はこの世より平安に旅立つであろう。理解を越える主は、今まで秘密を隠してきましたが、今、汝が主を讃え、死の苦しみ、悲しみを乗り越えるよう、この秘密を明かします。汝の娘マリアから神の御言葉が人性をとります。聖マリアは救世主の母となり、あらゆる被造物の中で祝された者となるのです。聖マリアは神の次になります。原罪により人類が失ったものを取り戻します。主が太祖シメオンより汝を祝し給わんことを」(詩篇128・5)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P82

 

 聖天使たちが聖ヨアキムに話している時、聖アンナは彼の枕元に立って聞きました。話しが終わると聖なる首長は、話しの喜びと死の痛みの闘いに入り、愛、信、讃嘆、感謝、謙遜などの英雄的諸徳の祈りをして、聖人の尊い死を遂げました。彼の聖なる霊魂は天使たちにより古聖所に運ばれ、主の最後の使節としてそこにいる義人たちに、永遠なる日の夜明けが近いことを告げました。ヨアキムとアンナの娘、至聖なるマリアにより、朝日が世の中の上に昇ったこと、聖マリアが全人類の救い主、御独り子キリストを産むという大ニュースを聞いて、義人たちは感激していと高き御方に感謝の歌をたくさん歌いました。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P82

 

 私たちの王女の最初の苦労は、主が絶えず与えた幻視の中止でした。聖天使たちも姿を消しました。聖天使は見えなくても聖マリアの周囲で守護していましたが、聖マリアは見棄てられ、暗夜に独りぽっちになったような気になりました。これが聖マリアにとって苦痛の一つになると知らされていませんでした。謙遜と比べ物のない愛で、このことを考えました。自分が忘恩のため、主の幻視を失ったと考える一方、燃える愛をもって祈りました、「いと高き神、全被造物の主、悪い被造物である私は、忘恩と友情喪失の責任を取ります。私を生き生きさせた太陽のかげりは、私が感謝の仕方を知らず、御旨を遂行する方法を知らなかったため起こりました。御身の御手が私を造りました(ヨブ10・8)。御身は私のことをよくご存知です(詩篇103・14)。私の霊魂は苦しみのため、だめになります(詩篇31・11)。御身以外誰もこの衰えていく生命を回復できません。生命が消える時、誰が私を死から護るでしょうか?」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P83

 天使たちにも嘆き続けました、「天の王子たちよ、いと高き王の天使たちよ、私の親友よ、どうして私を置いてきぼりにしたのですか? どうぞ私の欠点を直し、私の主から御許しを得て下さい。私の愛する御方がどこにおられるか、どうぞ教えて下さい。どこに隠れておられるのか、どうぞ教えて下さい。」

 他の被造物全員にも聖マリアは言いました、「恩知らず者の私のことを怒っていますね。汚い私があなた方の中に留まることを主は許して下さいました。天よ、あなたは大変美しく広い。惑星も他の星も美しく輝いています。元素(空気、水、土、金)は強く、地球は香ぐわしい植物で飾られ、水中の魚は無数であり、鳥は速く、鉱物は隠れ、動物はとても強いのです。これらは調和の内に私の愛する御子への道を教えます。しかし、廻り道を教えるのです。被造物の上を速く動き回っても、どこにも主を見つけず、悲しみも苦しみも、喘ぎも減りませんし、私の望みはますます強くなり、私の愛はもっと燃えます。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P84

 

 悪魔なる龍は、聖マリアの勇気と誠実を知り、神の御助けを感じながらも、私たちの至上の隠れた知恵や賢慮について何も知りませんでした。それにも関わらず、誇り高い龍は神の国を攻撃しました。それはダイヤモンドの城壁を蜂の針が突くようなものでした。私たちの王女はあの強い女でした(箴言31・11)。彼女の飾りは堅忍でした(箴言32・25)。置き物は純潔と愛徳でした。汚い高慢な蛇はこの御方に対し、怒り狂い、殺そうとして大軍を率いて死力を尽くして攻めましたが、失敗しました。

 地獄の攻撃は、他のどんな人間に対するよりも酷いものでした。神は地獄の力やずるさを減らしました。ルシフェルの傲慢さは実力以上です(イザヤ16・6)。

 ずるい蛇は、聖マリアの同僚たちの心の中に嫉妬と対抗意識を密やかに燃やしました。聖マリアの時間厳守の徳が抜き出ているため、同僚たちは先生から注目されないこと、自分たちの怠慢ぶりがもっと目立つこと、聖マリアがえこひいきされ、自分たちが叱られることを思わせたのです。同僚たちは霊的なことに無頓着でしたので、悪魔の言うままになりました。至純なマリアを毛嫌いし、憎みました。同僚の少女たちは、悪魔に唆されているなど露知らず、悪巧みを立てました。この世の知られざる王女を迫害し、神殿から追い出そうという考えです。彼女たちは聖マリアを取り囲み、ののしりました。聖マリアを偽善者と決めつけ、祭司たちや先生に取り入り、他の少女たちの悪口を告げ口し、一番役立たずだと言って責め立てました。聖マリアは言いました、「私の友だちと女主人であるあなた方のおっしゃる通りです。私は皆さんの中で最低で、一番駄目な人間です。私の姉妹である皆さん、私の欠点を許し、色々と教えて下さい。私がもう少し、ましになるように指導して下さい。あなたたちの助けが必要です。私はあまりにも駄目な人間ですが、良くなりたい一心です。何事に於ても従います。どうぞ言いつけて下さい。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P85

 

 聖マリアの謙遜で甘美な言葉は、同僚たちの頑固な心を和らげるどころか、少女たちをもっともっと怒らせました。迫害は長いこと続きました。天の貴婦人は謙遜、忍耐、寛容を続けました。悪魔たちは勇気を奮い起こし、少女たちに向こう見ずな考えを起こさせ、この最も謙遜な小羊に暴力を振るい、殺すようにけしかけました。しかし、主はこの涜聖を許しませんでした。少女たちがののしることはお許しになりました。この騒ぎは祭司たちや先生には聞こえませんでしたので、聖マリアは神と人間に対して比べることのできない諸徳を積みました。聖マリアは、悪に対し善を与え、ののしりに対し祝福を返し、涜聖に対し祈り、愛徳と謙遜の英雄的行為をしました(一コリント4・13)。神の律法の最もすぐれたことを遂行したのです。聖マリアは迫害する少女たちのために祈りました。自分がこのような待遇を受けるべき極悪人の立場にまで遜ったことは、天使たちを感嘆させました。全てに於て、人間の考えやセラフィムの最高の功績を聖マリアは越えたのです。

 悪魔の唆しに動かされた少女たちは、聖マリアを離れ部屋に連れ込みました。そこでは気兼ねなくいじめることができました。ものすごい侮辱を浴びせ、聖マリアを弱らせ、怒らせ、乱暴しようとしましたが、一時も聖マリアは悪に負けず、不動のまま、偉大な親切と甘美で少女たちに答えました。思い通り行かず、我慢し切れなくなった少女たちは、目茶苦茶に騒ぎ立てたので、神殿中に響き渡りました。祭司たちや先生が駆けつけ、何事か問い質すと、聖マリアは無言でした。少女たちは腹立たしげに言いました、「ナザレトのマリアが騒ぎを起こし、嫌らしい振る舞いで私たちに喧嘩を売ったのです。祭司方のおられない時、私たちをイライラさせ、怒らせたので、彼女がこの神殿にいる限り、おちおち生活できません。優しくすればつけあがるし、注意すれば私たちの足下に平伏して見せかけの謙遜を示して私たちをからかうのです。そして喧嘩を仕掛け、皆をめちゃめちゃにするのです。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P86

 

 祭司方と先生は、地上の女主人を他の部屋に連れて行き、厳しく叱りつけました。他の少女たちの訴えを本気にし、神殿に住む者として行ないを改めるよう勧め、もし改めないなら神殿から追い出すと脅しました。この脅迫は一番手厳しい罰です。何の責任もないのですから、もっとひどいです。

 私たちの女王は、最も甘美なる無邪気と謙遜の気持ちで従いました。先生と祭司たちから放免されるやいなや、聖マリアは少女たちの所に戻り、平伏し、許しを願いました。聖マリアが涙を流すのを見て、祭司たちや先生に叱られたのだと考え、少女たちは親切にしてあげました。この騒ぎを企んだ龍は、不注意な少女たちをもっと思い上がらせたのです。少女たちは祭司たちを丸めこんだので、至純なる乙女の御名を貶めようともっと頑張りました。新しい告訴や嘘を少女たちにでっち上げさせました。いと高き御方は、御独り子の至聖なる御母に対して大変失礼になることを許可しませんでしたから、少女たちはとても小さな欠点を空想し、誇張し、告げ口しました。しかも、ねちねちやりました。このようなことで、私たちの最も謙遜な貴婦人マリアは徳を積みました。この息を止めるような火煙の迫害の中で、聖マリアは謙遜の灰の中から何度も自身を更新しました。悪魔の罠にはまった少女たちの盲目的嫉妬が止みそうになった時、主は眠っている祭司に話しました、「私の婢、聖マリアは私の眼に叶う、完全な選ばれた者である。告訴された全てに於て全く無罪である。」同じ啓示がアンナ先生にも与えられました。翌朝、祭司と先生はお互いが受けた啓示について相談し合い、確信し、騙されたことを後悔し、王女マリアを呼び、間違った報告を信用したことへの許しを乞い、迫害と苦痛から聖マリアを護るため、改善をはかると申し出ました。聖マリアは答えました、「先生方、私は叱責に値します。叱責は私にとり一番必要ですから、取り止めないようお願いします。少女たちとの関わりあいは、私にとり一番高い賞品です。感謝のため、私はあの人たちにもっと忠実に仕えたいと思います。しかし、あなたの意志に従います。」祭司と先生は喜び、聖マリアの遜った願いを聞き入れ、新しい敬畏と愛情をもって聖マリアを注目するようになりました。習慣により祭司と先生の手に接吻したあと、引き下がる許しを頂きました。祭司と先生がよく見張るようになると、聖マリアは少女たちからいじめられなくなり、困難という宝を失うことになると心配でした。しかし、違う困難がありました。主は聖マリアから約十年間隠れました。この間、ニ、三回、主が御顔を見せましたが、また以前のような恩恵は少なくなりました。聖マリアがいと高き御方の威厳に値するまで修業しなければなりませんでした。この本の第十四章に述べるように、聖マリアが主の幻視をいつも見せて頂いたならば、人間としての苦労はなくなったでしょう。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P87

 

 この期間、主と天使が見えず、聞かれず、恩寵が以前よりも減ったようでしたが、この恩寵は全聖人が受けた恩寵よりも多く、聖マリアの霊魂を幸せにしました。十二歳になった時、天使の声が聞こえてきました、「聖マリア、汝の聖なる母アンナの生涯が今終わろうとしています。王なる神は聖アンナを朽ちるべき体から引き離し、今までの労苦を完成するでしょう。」この思いがけない知らせを聞いて、聖マリアは平伏し、熱心に祈りました、「あらゆる時代の王、見えない永遠の主、不死・全能なる宇宙の創造主、塵と灰に過ぎない私は、有り余る御恵みを受けておりますが、またもや私のお願いをお聞き届けて下さいますように。ああ、主よ、御身の尊き御名を絶えず口にした御身の婢を平和に逝かせて下さい。私の母が敵の攻撃に勝ち、御身の選民のための門を通れますように。この世に於て母を護って下さった御手が、母を御身の恩寵の平和の中に迎え入れて下さい。」その晩、主は守護の天使たちに命じ、聖マリアを御母の病床に運ばせました。聖マリアは御母の手に接吻して言いました、「私の母上、いと高き御方により母上が元気づけられ、照らされますように。母上が私に最後の祝福をして下さるので、私は大変幸せです。」聖アンナは聖マリアを祝福し、娘である至聖なるマリアの腕に抱かれ、帰天しました。聖マリアは天使たちに運ばれ、神殿に戻り、悲しみと淋しさの中で神を誉め讃えました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P88

 

 神の幻視の日が近づいてくるように聖マリアは思いました。見えない火に焼かれましたが、ただ照らされているだけでした。天使たちに尋ねました、「私の友だち、教えて下さい。今、夜の何時ですか? 全てを照らし、生かす正義の太陽はいつ上りますか?」天使は答えました、「いと高き御方の浄配、汝の望む光と真理は近くに来ています。」この時、天使たちの姿が見えました。以前のように視覚に頼らず見えます。天使たちは聖マリアに光を当てました。光は以前、仕事や不安で興奮していた聖マリアの心を鎮めるためでした。新しい恩恵により、この天の元后の能力は更に高められました。その時、神は御姿を現しました。このイメージは直感的ではなく抽象的で鮮明でした。聖マリアは愛すべき御方の腕に抱かれ(雅歌8・5)、高みを目指す鷲が元気を得たように、神の侵すべからざる神の領域に飛び立ち、全人類の到達し得ない高見に達しました。この幻視により、聖マリアは神の奥義を知り、神に告白し、神を礼拝しました。神を知れば知るほど、聖マリアはもっと謙遜になりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P89

第七章

聖ヨゼフとの素晴らしい婚約

 

 神が聖マリアに現れ、聖ヨゼフと結婚するように言われた時、終生乙女の誓願を何回も繰り返していた聖マリアにとって意外中の意外でしたが、自分の判断を棄てました。望みのない時に望み(ロマ4・18)、主に答えました、「永遠の神、理解を越える王、天地の創造主、風も海も全ての被造物を支配する主よ、御身の卑しい婢をお使い下さい。私には御身に従う義務しかありません。御旨ならば、結婚という苦境から解放して下さい。」この答えには少しの気がかりがうかがえますが、聖アブラハムが神により、息子イサクをいけにえにするようにと言われた時、聖アブラハムが示したためらいよりはずっとましです。聖マリアは悲しみましたが、もっとも英雄的従順を発揮しました。自己を放棄し、主に委せました。王なる主は答えられました、「マリアよ、心配するな。自己放棄した汝を引き受けよう。私の力は律法に縛られない。汝にとり最善のことを私は行なう。」

 聖マリアは神の命令に従う気持ちで一杯でした。愛、確信、信仰、謙遜、従順、純潔、その他数え切れない諸徳はますます増えました。そうしているうちに神は、祭司長聖シメオンの夢の中に現れ、ナザレトのヨアキムとアンナの娘、聖マリアの婚姻を準備するように言いました。聖なる祭司は、どなたが聖マリアの夫になりますかと尋ねました。主は、他の祭司たちや学者たちに説明するようにと答えました。つまり、この乙女は今、孤児になっており、今まで結婚しないつもりでいたが、長女は結婚するまで神殿にいるのが習慣であるから、この乙女も適当な人と結婚すべきであると。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P90

 

 最も思慮深く謙遜な聖マリアは祭司に申し上げました、「私の気持ちだけ申し上げるなら、神に御恩を返すため、生涯この神殿で私を捧げたちと思いました。結婚のことは夢にも考えませんでした。私の御主人様、あなたは神の代理者でいらっしゃいます。どうぞ神の御旨をお聞かせ下さい。」祭司は答えました、「私の娘よ、汝の聖なる願いは主のお喜びになるところである。しかし、救世主来臨の預言がある以上、イスラエルのあらゆる娘たちは結婚しなければならない。我が国民の中で子供を産む全ての者たちは幸せであり祝福されている。婚姻に於て汝は神に本当に仕えるのである。汝の希望を叶える将来の夫は、神のお喜びになる人であり、ダビデ家の血統を引かなければならない。汝も我々も、汝の夫が見つかるように祈ろう。」

 その後九日間、聖マリアは泣きどうし、祈りどうしで、祝福の御旨が成就されることだけしか頭にありませんでした。主は聖マリアに現れ言われました、「我が浄配、我が鳩よ、汝の心を騒がせないように。私は汝の心からの望みの面倒を見よう。祭司にも知らせよう。汝の聖なる希望に添い、汝が繁栄すべき夫を我が僕たちの中から選ぼう。我々は汝をいつもどこでも保護しよう。」

 至聖なるマリアは答えました、「私の霊魂の最高善と愛の御方、御身は私の誕生の時から私の胸に与えた希望を御存知です。私が御身のため御身により願います。我が主、我が神よ、私は役立たずの小さな婢です。弱くて嫌悪すべき者です。もしも私が婚姻に於ける徳からはずれると、御身と私自身をがっかりさせることになります。私を護り、私の不徳を大目に見て下さい。私は無用の塵です(創世記18・27)が御身の偉大さに頼り、御身の限りない慈悲を信頼します。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P91

 

 私たちの王女マリアが十五歳になった時、ユダ族でダビデ家の血統にあたる男たちでエルサレムにいた者たちは神殿に集合しました。女王もダビデ家の子孫でした。ナザレト出身のヨゼフも神殿に集まった男たちの一人でした。三十三歳で男前も良く、快活で謙遜、重厚さがありました。考えも行動も大変貞潔であり、あらゆる点で聖人でした。十二歳の時から純潔の誓願を始めました。

 神殿に集まった独身者全員は、祭司たちと共に聖霊の御導きを祈願しました。いと高き御方の御声に従い、祭司長は一人一人の手に乾いた杖を置き、聖マリアの配偶者に選ばれるよう、王なる神に願うよう申し渡されました。聖マリアの聖徳と高貴の香り、美しさ、謙遜などは全員に知れ渡っており、全員心から憧れました。ただ一人、謙遜実直なヨゼフはそのような祝福を受けるに値しないと考え、自分の純潔の誓願を思い出し、全てを神の御旨に委せ、同時に、最も高貴なマリアを崇めることに於て誰にも負けませんでした。

 皆が祈りに耽っていると、ヨゼフの手中にある棒から芽が出て、真っ白で輝く鳩が降りてきて聖ヨゼフの頭にとまりました。神が彼の心の中に語りました、「ヨゼフ、私の僕よ、マリアを汝の妻とすべし、マリアを尊敬して受入れ、何事もマリアの言う通りにしなさい。」天のこの印を見て、祭司たちは聖ヨゼフが乙女マリアの夫として神から選ばれたと宣言しました。呼び出され、聖マリアは皆の前に現れました。天使たちよりも美しく、高貴と優雅に溢れていました。祭司たちは婚姻の式を執り行いました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P92

 

 天の王女は天空の星よりも清く、涙を流し、悲しそうでしたが、女王としての威厳があり、最も謙遜でした。祭司たち、先生や少女たちの祝福を受け、赦しを乞いました。神殿生活の間に親切にして下さったことを感謝しました。短い重みのある言葉でした。こうして神殿を立ち去ることは聖マリアにとって悲しいことでした。神殿奉仕者の代表たちと一緒に、夫の聖ヨゼフに付き添い、ナザレトに行くことになりました。

 ナザレトに着き、天の王女は両親の残した財産や不動産を相続し、両人の友だちや親戚から歓迎されました。この聖なる二人は人々から解放され、二人きりになり、しきたりに従い、ニ、三日の間、お互いをよく知り、お互いを助けるよう相談しました。聖ヨゼフは聖マリアに言いました、「私の妻、貴婦人よ、私はあなたのそばにいるに値しませんが、主が私にあなたの夫とする恩恵を下さいました。主の恩恵に報いるため、私を助けて下さい。あなたの僕として私を側に置いて下さい。私の本当の愛情によりお願いします。私の欠点を補い、私が身の回りの世話をしてあなたを喜ばせられますように。」天の妻は傾聴し、すがすがしい面持ちで答えました、「私の御主人様、いと高き御方があなたを私の夫に選び、私があなたに仕えるべしという御旨を知らせて下さったので幸せです。」けだかいマリアの言葉を聞き、聖ヨゼフは神の愛をますます燃やして言いました、「何でもおっしゃって下さい。あなたの僕はお言葉を待っています。」この時、千位の天使たちが聖マリアを守護していました。しかし、聖マリアにしか見えませんでした。男の人と二人きりでいるというのは、祭司長と偶然に一緒だった以外、今までになかったので、聖マリアには恥じらいと怖さが当然ありました。天使たちに取り囲まれ、聖マリアは言いました、「私の御主人様、神なる創造主を誉め奉ることは正しいことです。神の善は無限で、神の審判は悟り得ません。哀れな私たちに対し、神は偉大さと慈悲をお示しになり、私たちを召し使いとして選んで下さいました。全被造物の中で一番、全被造物の頂いたもの全部よりももっと私に下さいました。私には受ける資格がありませんから、私の贈り物は全被造物への贈り物よりも多いのです。幼い時、このことやこの世の物のごまかしを神から教えて頂き、私の霊魂と身体の童貞の終生誓願をたて、私自身を神に捧げました。私は神のもの、神は私の浄配で主です。御主人様、私は生きている限りあなたの召し使いです。どうぞ私の誓願を全うできるようお願い申し上げます。私の決心を認め、あなたも同じ決心をされ、お互いを私たちの永遠なる神にいけにえとして捧げましょう。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P93

 

 最も貞潔な夫、聖ヨゼフは心から喜び、聖マリアに答えました、「私の女主人様、あなたのお言葉で私は深く感動しました。私の考えを初めて打ち明けます。私も他の男たちよりもっと主の御恩を頂きました。主は、私が実直な心で主を愛するよう啓示されました。十二歳の時、私は終生童貞でいと高き御方に仕えるという約束をしました。あなたの誓願を助けるために、私の誓いを新たにします。あなたが心から主に仕え、主を愛するのをお手伝いいたします。主の恩寵により、私はあなたの最も忠実な召し使いになります。あなたが私の童貞としての愛を受入れ、私をあなたの兄と思うようにお願いします。神が第一で、その次が私です。」神は聖ヨゼフの純潔の徳を更新しました。聖マリアは自分の賢慮に従い、聖ヨゼフの心を更に豊かにしました。至聖・至純なるこの夫婦の喜びは何も比べるものがありません。聖ヨゼフの心には肉欲的欲望の一かけらもなく、妻の聖マリアに仕えることだけしかありませんでした。二人は聖マリアの両親から相続した遺産を三分し、神殿と貧者に寄付した後、残ったものを生活にあて、聖ヨゼフが管理しました。私たちの女王は聖ヨゼフに仕え、家事に従事しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P94

 

 聖ヨゼフは大工で貧乏でした。同じ職業を続けて生計を立て、貧乏な人たちに施しをしてもよいかどうか聖マリアに尋ねたところ、承諾してもらいました。二人はお互いを主人にする競争を始めましたが、聖マリアが勝ちました。男が一家の主(あるじ)ですから、聖マリアは全てに於て聖ヨゼフに伺いを立てました。貧者に施し物をするのも、まず聖ヨゼフに許可を請いました。聖ヨゼフは喜んで承知しました。聖ヨゼフは、聖マリアの賢慮、謙遜、清純、その他の諸徳が自分の想像以上に素晴らしいことを知り、いつも感嘆し、聖マリアのそばにいる光栄を神に感謝しました。聖マリアは神と密接に交流していますから、お顔の輝きはシナイ山で神に会ったモーゼの顔の輝き(出エジプト24・30)よりももっと素晴らしく、もっと威厳に満ちています。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P94

元后の御言葉

 

 私の娘よ、神に信仰と希望を持つものは不可能がありません。私は夫の家に住みながら、神殿にいるのと同じように完徳を実行しました。夫の世話をしても、神への奉仕を怠らないよう神に頼みました。神は私の願いを聞き届けられました。結婚している人全員に神は恩寵を下さいます。虚栄心や不要な心配をし、主の甘美さを忘れ、我意を通そうとする気持ちが完徳に進むのを妨げます。

 

 

第二編

第三、四、五、六書

御託身と聖母の御悲しみ

 

アグレダのマリア/神の都市/P96

第三書

至聖なるマリアの御胎内に御言葉が受肉される。この秘儀の背景。聖母の高揚。聖エリザベトを訪問。洗者ヨハネの祝別。ナザレトへ帰還。聖なる乙女とルシフェルの戦いの記念。

 

第一章

御託身前のノベナ

 

 隣近所の人たちには聖ヨゼフが会っていましたから、聖マリアを知る人は少なく、その中でも少数の人たちが聖マリアと話しました。聖マリアと話せた幸せな人々は、聖マリアの神々しさに満たされ、聖マリアから来る光が自分たちを照らすことを表現しようとしました。聖マリアはそのことに気づいており、そのような光を照らさないように主に願いました。人々から忘れられ、蔑まれることを願いました。結婚してから御言葉の御受肉までの六か月間と十七日の間、聖マリアの愛徳、謙遜と信心や施しの忙しい生活は、いと高き御方の御目に叶ったのです。人間の言葉で表現すると、神は大喜びで、聖マリアに駆け寄り、両手を差し出し、世界開びゃく以来の最大の奇蹟を行なうことになります。すなわち、御父の御独り子がこの婦人の汚れなき胎の中で受肉されるという奇蹟です。そのため、その前九日間、神は聖マリアに準備させました。神の川が激流となってこの神の国の中に流れ込みました。私はこの奇蹟を目の当たりにして、人間には到底書き表せないと考えます。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P97

 

 この聖なる第一日目、天の王女マリアは少し休んだあと真夜中に起き、いと高き御方の御前に平伏し、定められた祈りを唱えました。この幻視で王女マリアは神の秘密、特に創造の秘密を習いました。天地が神の善と寛大さの御陰で造られたが、神を補足しないこと、神は天地創造の前、永遠から永遠に栄えていることを知りました。たくさんの秘密が私たちの女王に明らかにされましたが、我々は知り得ないことです。女王はあらゆる自然(空気、水、土、金属)がその中心に引きつけられるという衝撃を感じていました。神の愛の中に引き込まれながら、御独り子をこの世に送り、人類を救って下さるように熱願しました。この熱願は神と聖マリアを結ぶ真紅のレースとなりました。御独り子が宿る神殿を準備するため、全能者の全ての御業について、この選ばれた御母に教えました。第一日目は、創世記に記された第一日目の創造について教えました。目撃以上に明瞭に聖マリアは理解したのです。主が天空と地球を最初に造られ、どれだけ離れているか、どれだけの空間があるか、奈落の表面を暗黒がどのように覆っているか、主が水の上へ来られたり、光が造られ、暗黒が分けられ、夜と呼ばれ、第一日目が終わった様子が聖マリアに示されました。聖マリアは地球の大きさ、経度、緯度、深度、穴、リンボ(古聖所)、煉獄、それぞれの場所の住人たち、諸国、気候、世界の分割、諸国の住民たちを知ったのです。同じ明瞭さで聖マリアは、下の天、高い天、天使たちが第一日目に造られたこと、天使たちの性質、状態、多様性、階級、義務、能力や徳も知りました。悪天使たち、彼らの墜落、その状況と原因について聖マリアは知りましたが、自分のことは何も知らされませんでした。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P98

 

第一日目の最後に主は、聖マリアも地球の土から造られ、土に戻る人たちと同じ性質があることを教えましたが、聖マリアが土に戻るとは言いませんでした。この深遠な知識を与えられ、無の深い底にまで聖マリアは自分を低め、あらゆる惨めさを背負うアダムの子孫たちよりももっと自分を低めました。聖マリアの心の中に深い溝ができ、この溝が建物の基礎になるのです。この建物は神性が人性に降臨する所になります。神の母の威厳が限りないので、聖マリアの謙遜も相応して限りないことになります。徳の頂上に達しながらも、聖マリアは自分をそれほど遜らせたので、主はお喜びになり、おっしゃいました、「我が浄配なる鳩よ、人類を罪より救うという我が希望は強い。我が救済の降臨の時は待ち遠しい。この希望の成就のため、絶えず我に祈れ。平伏し、汝の熱願を中止するな。御父の御独り子の御受肉を我に願え。」天の王女は答えました、「主、永遠の神、御身の力と知恵に適う者は誰もいません(エステル13・9)。ああ、私の愛する御方、御身の祝福は人間の功徳のためではありません。人類の罪は増え、人類は御身にますます反抗しています。私たちは恵みを頂く資格がありません。御身の無限の慈悲だけが恵みのもとになります。預言者、祖先たちや諸聖人が嘆き、全員が叫びます。私は塵で恩知らずですが、御身に心の底からお願いします。速く御身の救世がなされ、御身の光栄になりますように。」

 この祈りの後、天の王女は自然の状態に戻り、一日中、同じ嘆願を続けました。地に平伏し、十字架の形をとる日課を繰り返しました。この姿勢は聖霊から教わったのです。

 第二日目、真夜中、聖マリアは神に会いました。幻視により神は御自身を示し、創造第二日目の様子を見せました。どのようにして水が分かれ、大空ができ、その上に天の水と呼ばれる水晶ができたかを聖マリアは見ました。たちまち神の最も透き通った光が聖マリアを満たし、神の善と力を讃嘆するように心を燃やしました。神のような素晴らしさに変容し、諸徳を英雄的に実行したので、神は聖マリアを全能の業に参加させ、天、惑星や自然を従わせる力を聖マリアに与えました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P99

 

 第三日目、聖マリアは創造第三日目の様子を勉強しました。天に下に水があり、一か所に流れ集まり、乾いた土地が出てきました。地が新鮮な薬草や果物の木を種子から生み出しました。海の広さ、深さや流れも聖マリアは理解しました。どのようにしてこれら全てが人間の役に立つかも判りました。聖マリアの理解はアダムやソロモンの理解よりももっと明瞭です。医学の最高専門家も、聖マリアに比べると無知に等しいのです。至聖なるマリアは、見えないもの全てを知ったからです(智恵の書7・21)。

 第三日目に聖マリアは、神が人類を助けて悲惨な状態から救い出すために来たいということを知りました。その目的のため、神は神自身の属性の、ある種のものを聖マリアに与えました。この属性により、将来聖マリアが御母として罪人の弁護者として神に取り次ぐことになります。神の愛に参加することは、聖マリアの希望でありますが、この希望があまりにも強力なので、聖マリアには神の御助けなくしては耐えきれなかったでしょう。この愛のため、聖マリアは自分自身を焼き殺されたり、切り殺されたり、拷問のために殺されたり、何回も何回も苦しみ殺されたいと思いました。このような恐ろしい殺され方は、聖マリアが罪人の身代わりになるためでした。そのような死は、人類が始まって以来の苦しみに比べれば、取るに足りないと聖マリアは考えたのです。この日から聖マリアは、親切と慈悲の御母になりました。人類に御自分の恩寵を分け与え、御独り子の御母に将来なるため、聖マリアは全身全霊で慈悲、親切、敬虔と寛容になったことを特筆しておきます。類は類を呼ぶというように、この御母にしてこの御子ありと言えます。御母の人性は御子に受け継がれました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P100

 

 この日の幻視により、いと高き御方は救世主が設立する恩寵の法律、恩寵の秘蹟、そのための新しい教会、人類への賜物と全ての人間が救われて欲しいという希望を聖マリアに伝えました。このことは聖マリアの深遠広大な勉強となり、詳述すれば何冊かの本になるでしょう。

 聖マリアはいと高き御方が全人類に恩寵の宝を与え、全人類が永遠に恩寵にあずかるように望んでおられることを知りました。反面、人々が盲目になり、神性にあずかるのをやめ、地獄に落ちるのを見ました。誰も地獄に落ちないように、聖マリアは祈願、犠牲、謙遜、愛徳を英雄的に実行しました。

 第四日目、天の王女は、太陽と月が昼と夜を分け、季節、月日、年数を示すことを知りました。第八天の星は夜を照らし、昼夜に影響を及ぼすことを見ました。輝く天体の実体、形、大きさ、性状、運行や惑星の類似と相違、星の数、星が地上の生物や無生物に与える影響も全部知りました。

 第五日目、以前と同様、神の神秘のベールは次々と落ち、聖マリアは新しい秘密を発見しました。聖寵のもっと強い光が聖マリアの霊魂に入り、この天の聖マリアを、もっともっと神の似姿らしくしました。この日、罪人たちが永遠の御言葉の御来臨を遅らせていることを知り、王なる主に言いました、「私の主、無限の神、人間の悪業は測り知れないことを私に教えて下さいました。この人たちは御身の宝と愛を棄てることができますか? いいえ、人間の悪意は御身の慈悲をコントロールできません。天地は消えても御身の御言葉は存続します(イザヤ51・6)。預言者を通して御身は救世主を送るという約束を何回もされました。御身の約束が成就するように、私も誰も何もできません。御身だけが約束を実行できます。御身が人となられるのも御身次第です。人類創造の理由も御身だけが知っています。私たちには罪の償いをする資格も功徳も全くありません。」

 いと高き御方は答えられました、「その通りである。私が人となり、人と共に住むという約束は私の善意から出た。どの人間の功徳によるものでもない。しかし、人々の忘恩はあまりにも酷いので、約束は反古になってしまった。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P101

 

 聖マリアは、全人類の過去、現在、未来にわたる所業と各人の最後を神から見せて頂きました。とても堪えられない幻視でしたが、神の永遠の愛に参加し、取り次ぎを続けました。「主、永遠なる神、私は御身の正義を宣言し、御業を讃えます。私が御身の人々への賜物と、人々の御身に対する忘恩を見る時、私の胸がつぶれそうになります。御身は全員が永遠の生命を得ることを望むのに、少数の者たちしか、推定できないほどの恩恵に感謝せず、大勢が悪意により亡びます。御身は人々の罪や悪意を予見したように、御独り子が無限の価値の業をなすことを最初から御存知です。御子の御業や罪よりもはるかに強力です。」

 神は聖マリアの謙遜な愛すべき熱願に感動し、答えられました、「私の最も愛すべき浄配、選ばれた鳩よ、汝の願うことは大きい。汝へ与えられた祝福がこれらの不適格者たちに与えられるべきか? 私の友よ、悪者たちが当然の報いを受けることは私に委せなさい。」私たちの強力で親切な弁護者は返答しました、「いいえ、私の主、私は引き下がりません。御身は慈悲深く、力強く、約束を違えません。私の祖先ダビデは御身について言いました、『主は誓った、そして後悔しない。御身はメルキゼデクのような永遠の祭司です』(詩篇110・4)。その祭司が来ますように、そして私たちを助けるため犠牲となりますように。御身は約束を後悔しません、約束する時、全てを御存知ですから。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P102

 

 この討論の時、私たちの女王は何という名前かと尋ねられました。聖マリアは言いました、「私はアダムの娘です。そこらの塵から御手により造られました。」いと高き御方は答えられました、「これより汝は『御独り子の御母に選ばれた』と呼ばれるであろう。」しかし、『選ばれた』というところしか聖マリアの耳に入りませんでした。神が人となる永遠の御言葉を送るという明瞭な約束は、聖マリアに伝えました。この約束を聞き、大喜びした聖マリアは、いと高き御方の祝福を願い頂きました。ヤコブが神と討論して勝った時よりも、もっと大きな勝利を聖マリアは獲得しました。神は聖マリアを愛するため、御胎内に入り、人間の弱さを身につけることになるのです。御自分の死により私たちに生命を与えらるため、神性を変装で隠されたのです。人間が救われたのは、第一は聖マリアの御子のお陰、第二は聖マリアのお陰です。

 この幻視の時、私たちの偉大なる女王は創造の第五日目を見ました。天の下に水が造られ、地上には不完全な爬虫類が這いずり、翼のついた動物が飛び、ひれのある動物が水中をすいすいと泳いでいるのを見ました。あらゆる動物の起源、格好、生活状態、習性なども見て、諸動物がどのような目的を持ち、生を終えるかも判りました。王なる神は、聖マリアに全動物を支配する権力を与えました。

 この幻視の後すぐに創造の第六日目を聖マリアは見ました。地から動物が産まれて出てきました。魚や鳥よりももっと完全な動物で、重要な特性に従って名前がつきました。ある動物たちは家畜となり、他は野生のままでした。全ての動物に対する支配権を聖マリアは頂きました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P103

 

 理性のない被造物の創造を見た後、聖マリアは、「我々の姿に似せて人間を造ろう」(創世記1・26)と神がおっしゃって、土から私たちの最初の親を造った様子を知りました。人間の身体と霊魂や諸機能の調和、霊魂の創造と人体内への注入と両者の密接な結合が判りました。人体の諸部分、例えば骨、静脈、動脈、神経や関節の数、食物の機能、成長や動作も理解し、調和の崩れが病気を起こすことと病気の治し方も習いました。全てこれらを少しの誤りもなく理解したのは、世界の諸専門家より以上で、天使たちさえも及ばないほどです。

 主は最初の両親アダムとエワの最初の正義に於ける幸福な状態を聖マリアに示しました。二人がずるい蛇によってどのように誘惑されたか(創世記3・1)も判りました。二人の罪の結果がどうであったか、人類に対する悪魔の憎悪はどれほど激しいかも知りました。恩知らずの人祖アダムとエワの娘として自分が産まれたことも判りました。原罪を自分の責任と考え、泣きました。この涙は主の御目に大変貴重ですし、私たちの救いを確かなものにしましたから、原罪は幸せな過失といえるかもしれません。

 聖マリアの準備の第七日目、天の王女は天使たちにより最高天に運ばれました。そこで玉座から声がかかりました、「我らの浄配、選ばれた鳩、何千人もの人たちの間から選ばれた我らの花嫁として汝を新たに迎えたい。我らの計画にふさわしい者として汝を飾り、美しくしたい。」

 謙遜な者たちの中でも最も謙遜な者である聖マリアは、いと高き御方の御前で人間にはとても考えられないほど自分を無にしました、「ああ、主よ、御身の足下に、塵であり、御身の卑しい婢は御身に捧げられました。ああ、永遠なる善よ、御身のこの取るに足りない器を御旨のままにお使い下さい。」いと高き御方に命ぜられるままに、二位のセラフィムがこの天の乙女にはべっています。他の天使たちと一緒に見える姿となっています。聖マリアは天使たちよりももっと神の愛に燃えています。聖マリアの優しい愛と望みに感動した神は、聖マリアの純潔な胎に入り、五千年間以上も延期された救いを成就すると宣言しそうになりましたが、御告げはもう少しの準備がなされた後に執り行われます。その準備は、天の王女が受肉される御言葉の御母であると同時に、御言葉の御来臨のための最も強い仲介者となり、エステルがイスラエルの救い手であった(エステル7・8)以上に人間の救い手となるための準備です。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P104

 

 いと高き御方は御自身の傑作である聖マリアを見て有頂天になったかのようにおっしゃいます、「私の浄配、私の最も完全で最も愛らしい鳩、我らの所に来なさい。汝は人間から産まれたから私は人間を創造したことを喜びとする。汝を我が浄配、全被造物の女王として選んだ理由が天使たちも良く判るであろう。我が独り子の光栄の母体となる我が花嫁が私の喜びであることを良く判るであろう。地救の最初の女王エワを不従順の理由で私が罰したのと反対に、至純な謙遜と自己卑下の聖マリアに最高の威厳を与えることも良く判るであろう。」

 至聖なるマリアの準備の最終段階は、新しい性質、習慣と品格に於て、神の生ける姿に近くし、永遠なる御父と本質的に同じ永遠なる御言葉が入る鋳型となるためです。従って、至聖なるマリアという神殿はソロモンの神殿よりももっと美しく、純金で覆われ、神からのものに輝いています。御子の御母は可能な限り御父に似ています。私が全く驚嘆するのは、この天の御方の謙遜であり、この謙遜と神の御力の間の競争です。聖マリアは、神によりますます高く揚げられ、神の次の高みに達すると、自分をますます卑下し、最も下級の被造物の下に自分を置きます。全能者が聖マリアの謙遜に注目し(ルカ1・48)、全人類が「めでたし聖マリア」を唱えるべきです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P105

元后の御言葉

 

 私の娘よ、わがままで奴隷根性の愛しかない人たちは、いと高き御方の浄配になる価値がありません。給料のために働くものではありません。汝の浄配なる神はどんなに気前がよいかを考えなさい。神に仕える人々の役に立つため、神は色々なものを創造しました。神に偉大なる甘美さのために、たくさんの宝物を用意していることを考えなさい。神の全ての宝を一人一人に用意してあるのです(詩篇31・20)。人々が神の愛に注目しないのは弁解できませんし、人々の忘恩も許されません。

 私の親愛なる者よ、汝は主の所帯の一員であり、キリストの浄配です。汝の花婿の全ての財宝は汝のものです。主が全ての恩恵を汝だけのため、取っておいたのです。汝自身のため、汝の隣人のために主を愛し、敬いなさい。全能者が私に下さった驚くべき恩恵を思い、主を誉め奉って下さい。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P106

第二章

神の御子の受肉

 

 聖マリアの準備が整い、救いの時が来たことを王なる主が全天使に宣言した時、全天使は新しい讃美歌、シオンの聖歌を繰り返し歌いました、「聖なるかな、聖なるかな、聖なるかな、万軍の主なる神(イザヤ6・3)。いと高き所に在します我らの神なる主、御身は正しく、力あり(詩篇113・5)。地上の卑しき者たちを顧み給えり。御身の御業は誉むべきかな。御身の御旨は高遠なり。」

 最高位天使ガブリエルは神命を拝し、見える姿になった最も美しい何千もの天使たちと共に最高天より舞い降りました。天使たちは最もハンサムな若人たちでした。聖ガブリエルは輝き、重厚で威厳があり、動作が優雅で力のこもった話し方をし、他の天使たちよりももっと神々しく見えます。彼は輝く王冠をかぶり、色とりどりに輝く着物を着て胸にはきれいな十字架があります。この十字架は御受肉の神秘を示します。天使たちはガリラヤの町ナザレトにある至聖なるマリアの家に向かって飛びます。この粗末な小屋には聖マリアの小さな部屋があり、家具が見えません。天の王女はこの時十四歳でした。九月八日の誕生日から六ヶ月と十七日が過ぎていました。

 天の元后の御体は均整がよくとれており、同年の少女より背が高く、極めて優美で全身完全です。御顔は少し面長で痩せてもいず、粗野もなく、きれいな肌で少し褐色がかっており、広い対照的な額があり、眉毛は完全な弓なりで、御目は大きく真剣で、筆舌を絶する美しさと鳩のような甘美さがあり、御鼻は真っ直ぐで上品であり、御口は小さく、薄くもなく厚くもありません。どのような人よりも美しいです。聖マリアに会うと、喜び、真剣さ、愛、畏敬を感じます。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P107

 

 聖マリアの着物は粗末で貧弱ですが、清潔で灰色がかっています。天の使いたちが近づきつつある時、聖マリアは九日間の啓示について深く黙想していました。主は、御独り子がもうじき天より降り、人間となることを聖マリアに請け合いました。その成就を心から願うこの偉大なる元后は、謙遜な愛を持って独り言を言いました、「永遠なる御父の御言葉が産まれ、人間と話すその時が本当に来たのでしょうか? 世の中にその御方がいて、御姿が見られるのでしょうか?(イザヤ40・5)。暗黒に住む者たちを照らすのでしょうか?(イザヤ9・1)。ああ、誰がその御方に会う価値があるでしょうか! 御足が踏まれた地面を誰が接吻することを許されるでしょうか!」

 「喜べ、諸天よ。慰めよ、地よ(詩篇96・11)。その御方を崇めよ。その御方の幸福は近い。ああ、罪に汚れたアダムの子孫よ、汝らは我が愛する者の被造物なり。頭を上げ、昔の奴隷の軛を投げ棄てよ!(イザヤ14・25)。古聖所に抑留され、アブラハムの胸の中で待っている祖先、預言者や義人よ、汝らは慰められるであろう(シラ2・8)。待ちに待った救世主は、もはやぐずぐずしておられないであろう! 皆で主を讃え歌おう! この御方が自分の御母と指さす女の方の奴隷に誰がなるであろうか?(イザヤ7・4)。ああ、エマニュエル、真の神にして真の人! ああ、閉められた天の扉を開けるダビデの鍵!(イザヤ22・22)。ああ、永遠の智恵、新たなる教会の律法者! ああ、主よ、来たり給え。御身の民の捕囚を終わらせ給え。全人類に御身の救いを示し給わんことを!」(イザヤ40・5)。

 黙想に耽る聖マリアの部屋に人の姿をした天使たちが入りました。木曜日の夕方でした。謙遜な王女は、聖ガブリエルの見分けがつきましたが、伏し目にしました。聖なる天使は自分の女王に対し、深く御辞儀をしました。アブラハムが天使にお辞儀をしたように、人間が天使に礼を尽くすという昔からの習慣がこの日から変わったのです。御言葉の人性により、人性が神の威厳にまで引き上げられたので、人間は養子の地位をもらい、天使たちの兄弟となりました。天使が福音史家聖ヨハネにより崇められるのを拒否したのです(黙示録19・10)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P108

 

 聖なる大天使は挨拶しました、「めでたし聖寵充ち満てるマリア、主は御身と共に在します。御身は女の内にて祝せられ給う」(ルカ1・28)。この挨拶を聞いて聖マリアは当惑しましたが、混乱していませんでした(ルカ1・29)。当惑は、自分が最も卑しい者と思っていたのでこのような礼辞を考えていなかったことと、どのように応対してよいか考え始めたからです。その時、神が神の御母として聖マリアを選んだことを聖マリアの心の中に話されたので、ますます驚いたのです。天使は主の宣言を説明します、「恵まれた方、恐れるな。御身は主の恩寵を得た(ルカ1・30)。見よ、御独り子を懐胎し、出産し、イエズスと名付くべし。御子は偉大にして、いと高き御方の御子と呼ばれるべし。」

 この新しい末聞の秘儀の真の価値を理解できる方は、私たちの思慮深く謙遜な女王以外にはいません。聖マリアがこの秘儀の偉大さを実感すればするほど、もっと讃嘆の気持ちが起きました。聖マリアは自分の謙遜な心を主に挙げ、教えと助けを願いました。いつもの恩恵や内的高揚は中止されたので、普通の人間と同じように、信望愛をもってあたるしかありませんでした。聖マリアは聖ガブリエルに答えて言いました、「私はどのようにして妊娠するのでしょうか? 私は男を知りませんし、知ることができません。」この時、聖マリアは乙女の誓願を結婚前にも結婚後にも主に対して行い、主に祝福されたことを無言で主に話しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P109

 

 聖ガブリエルは答えました(ルカ1・35)。「私の女主人様、男の協力なしに御身を妊娠させることは、神にとって容易なことです。聖霊が御身の上に留まり、いと高き御方の力が御身を覆います。聖者中最も聖なる方が御身より産まれ、神の御子と呼ばれます。御覧なさい、従姉妹エリザベトも長年の不妊の後で男児を懐妊して、今は六か月目です。神にとり不可能なことはありません。産まず女を妊娠させる御方は、御身を御自身の御母とし、しかも御身の乙女を保存し、純潔を増大されます。」

 聖マリアは御旨に従って答えるよう考えを巡らしました。聖三位一体の約束、預言、最も効果的な犠牲、天の門の開通、地獄に対する勝利、全人類、神の正義の充実、人間の光栄、天使たちの喜び、そして御父の御独り子が自分の胎内で僕の姿をとることに関係する全ては、聖マリアの承諾(フィアト)にかかっていることを黙想しました。これら全てを全能者が謙遜な少女に委せたのです。この勇気ある乙女の賢く強い決定に委せたのです(箴言31・11)。御自分に関することは被造物の協力に依存しませんが、外的な御業は被造物の関与を必要とします。つまり、御子の受肉は聖マリアの自由意志による承諾なしには行われません。

 この偉大な婦人は、神の御母の威光(箴言21・16)について深く考えました。聖マリアの霊魂は神の愛の畏敬に没頭しました。この時の激しさにより、聖マリアの至純な心臓が強く収縮し、圧迫されたので、三滴の御自身の血液が絞り出され、胎に向かって移動し、聖霊の御力により、我らの主キリストの御血になりました。御言葉の人性を形成する基の実質が聖マリアの心臓により造られた瞬間、謙遜に頭を少し傾け、両手を組み合わせ、聖マリアは「仰せの如くなれかし」(ルカ1・38)と宣言しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P110

 

 「フィアト」の宣言により、四つの事態が同時に起きました。第一、我らの主キリストの至聖なる御体が、前述の三滴の血により造られました。第二、キリスト御自身の至聖なる霊魂が、他の人間の霊魂と同様に創造されました。第三、この霊魂とこの身体が結合し、御子の完全な人性となりました。第四、神は御自分を人性と一致させ、御降臨による一致となりました。かくして、真の神人なるキリスト、我らの主なる救世主が形成されました。三月二十五日のことです。世界史の5199年目にあたります。アダムの創造されたのも三月でした。こうしていと高き御方の御業は完成しました(申命記32・4)。彼の御子は聖マリアの御胎内で聖母の血により栄養をもらい、自然に生育していきました。聖母は原罪の汚れなく、諸徳の実践に励みましたので、御体の血と他の体液が御子の成育に必要なものとなり、最も清いものとなりました。

 我らの主キリストの至聖なる霊魂は、神性が人性に結合しているのを見、神性を愛し、人性の劣りを知りました。謙遜のうちに霊魂を創造し、神性に一致させることにより、神にまで引き上げて下さった神に感謝しました。自分の至聖なる人性が苦しむこと、救世の獲得のため適応することを知りました。人類のための犠牲となり救世主として自分を捧げました(詩篇40・8)。自分と人類の名に於て永遠なる御父に感謝しました。諸徳の完成により、自分の人性の実質を形成した御母を永遠の御父が創造したことを感謝しました。キリストは至聖なる御母と聖ヨゼフの救いのため祈りました。神人としての祈りの一つ一つは無限の価値があります。従順の行為一つだけでも私たちの救いに充分です。人間に対するキリストの愛は無限で、愛そのもの以外の何物によっても満足できません。愛がキリストの命の目的であり、愛の印として自分の命を使い尽くすのです。このことは人間にも天使にも理解できません。キリストが世の中に来られたという瞬間が、世の中を測り知れないほど豊かにしたので、三十三年間の労働の後、御受難と御死去により、私たちに遺した功徳はどれほど偉大でしょうか? ああ、無限の愛! ああ、最も寛容で親切! ああ、測り知れない慈悲! それに比べ、人間の忘恩! 主のご苦労を私たちは粗末にします。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P111

 

 我らの主キリストの妊娠の一瞬の次の一瞬、聖母は明瞭に神性の降臨による人性との一致の神秘の幻視を見ました。至聖三位一体は、真理のあらゆる確実性に於て、神の御母の称号と権利を確認しました。御子は確かに人間であり、確かに神ですから、御母は御子の実母であり、神の御母です。御母は御子となるべき実体を提供し、男の助けなしに母となるにあたって神の関与がありました。神の関与は普通の妊娠による生命の開始にも必要であることを考えましょう。

 御母は、御父の御独り子の御母としてのとしての役目を遂行するため、全能者の指示を一生懸命お願いしました。全能者は答えられました。「私の鳩よ、恐れるな。私が助け導こう。」この約束を聞き、御母は恍惚の境地に入りました。我に返るやいなや、御母は平伏し、至聖にして神人なる御子を崇めました。その時以来、新しい神の影響が御母の上に起こり、御母は一層神々しくなりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P111

 

元后の御言葉

 私の親愛なる娘よ、私の胸の中に燃える愛を何度も汝に打ち明けました。幸いなるかな、いと高き御方の御旨を聞く者よ。更に幸いなるかな、御旨を遂行する者よ。人間に対し神は、福音書、聖書、秘蹟、聖なる教会の律法、諸聖人の書き物や模倣や司祭の案内を通して、永遠の幸福に至る道を教えました。「司祭の話しを聞く者は私に聞く。司祭に従う者は主に従う」と、王なる主は言われました。謙遜と従順の翼をつけ、空中を飛ぶように早く、命令を実行しなさい。

 この他の指示は、いと高き御方が直接に霊魂に教えます。これには諸々の程度があります。主は秤りにかけて光を分配します(智恵11・21)。主は心の中に命令を下したり、説明、訂正、助言したり、心を動かして主に質問させたり、望みを打ち明けたり、神秘を鏡に映し出したりします。この偉大で無限の善なる主は優しい命令を出し、従順な者を力強く助け、実行に必要な情勢を設定してくださいます。

 この超自然の示しを受けるため、汝は注意深くなり、義務遂行を早く勤勉にしなければなりません。汝の霊魂がこの世の汚れから清められ、主の御旨のままに生きなければなりません。神の秘密に注目しなさい(イザヤ34・16)。耳を傾け、見える物事から心を離しなさい(詩篇45・11)。愛を育てなさい。汝の心が準備すれば、愛の効果が出てきます。霊魂が子羊の血の無限の価値によって買い戻され、永遠の救いを得たことを記憶しましょう。汝自身の卑しさ、恥、無用さなど心配しないで下さい。いと高き御方は富んだ者、強力偉大で何でもおできになります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P113

第三章

至聖なるマリアのエリザベト訪問

 

 聖マリアは立ち上がり、山村に急ぎ行き、ユダの市へ向かいました(ルカ1・39)。「立ち上がる」という叙述は、聖マリアの眼に見える行動だけではなく、聖マリアの霊魂の動きと神の命令を意味しています。ダビデの言葉(詩篇123・2)のように、女主人の動きを注視し、命令を待つ婢として聖マリアは、いと高き御方の足許から立ち上がりました。聖エリザベトの胎に宿っている御言葉の先駆者(洗者ヨハネ)を聖別することがこの旅の目的でした。山岳地帯にあるユダの聖ザカリアと聖エリザベトの家に向け、聖マリアと聖ヨゼフは旅立ちました。ナザレトから約百二十五キロの行程で、道の大部分はゴツゴツしており、所々で道がなくなっていて、きゃしゃで力が弱い王女には無理でした。この険しい道で助けてくれるものは一頭のロバだけでした。王女はロバに乗って進みました。このロバは王女だけのためでしたが、王女は何回も降り、聖ヨゼフに代わるように勧めました。分別のある夫は決して王女の提供を受けつけませんでしたが、時々この天の王女を歩かせ、決して疲労困憊しないように注意しました。歩いて少しすると、夫は王女に対し心からの尊敬の気持ちを表し、ロバに乗るように勧め、王女は従いました。二人は人間と道連れになりませんでしたが、千位もの天使たちが至聖なるマリアの護衛についていました。天使たちの姿は聖マリアにしか見えませんでした。聖マリアは野原や山々に御自分の甘い芳香や、絶えず心に思っている神の讃美を充満させました。天使たちと話したり、交互に、神、創造、受肉の玄義についての讃美歌を歌いました。原罪の汚れなき御心は神の愛の熱烈さで燃えました。聖ヨゼフは沈黙を守り、愛すべき妻の霊魂の活動を見守りました。深く黙想しながら、妻の霊魂の思いを知ることができました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P114

 

 ある時は、二人は霊魂の救い、主の慈悲、救世主の来臨、主についての預言やいと高き御方の秘儀について語り合いました。聖ヨゼフは、純潔で聖なる愛により妻を愛しました。聖ヨゼフは最も高貴で礼儀正しい性格で、魅力のある振る舞いをしました。熱心に聖マリアのことを気遣い、疲れていないかどうか度々問い質しました。天の女王が胎内に御言葉を宿していたことを知らずに、聖ヨゼフは愛すべき女王の言葉から出る何かを経験していました。神の愛に燃え、会話により秘儀を知り、全身全霊がこの内的光により刷新霊化されました。話を進めれば進めるほど、聖ヨゼフの愛は強くなり、神の熱烈さにより自分の意志を燃やし、心を愛で満たすものは妻の言葉であることに気がつきました。四日旅を続け、二人はユダの町に着きました。福音史家聖ヨハネ(翻訳のまま。ルカ1・39の誤り?)はユダと書きましたが、批評家たちは、それは町の名ではなく、群の名であると考えます。エルサレムの南にある連山をユデアというのと同じ理由からです。実はキリストの死後何年かたってユダ町は亡び、学者たちはユダ町を見つけられなかったのです。私はユダの町が正しいと聖マリアから教わりました。

 聖ザカリアの家の前につくと、聖ヨゼフは先に行き、声を掛けました、「主があなた方のそばにおられ、あなた方を恵みで満たされますように。」聖エリザベトは、ナザレトの聖マリアが自分の所に来るために旅に出たという幻視を既に見ていました。この天の貴婦人がいと高き御方の御目にとって一番喜ばしい方であることも知らされていました。聖マリアが神の御母であることは、二人だけになった時、聖エリザベトは知りました。「主はあなたと共におられます。私の親愛なる従姉妹よ」と挨拶する聖マリアに聖エリザベトは答えました、「私に会うために来て下さったことで、主があなたに報われますように。」挨拶の後、家に二人きりになった時、聖マリアは言いました、「神があなたを救い、恩寵と長命を賜いますように。私の親愛なる従姉妹よ」(ルカ1・40)。これを聞いて聖エリザベトは聖霊に満たされ、最も高揚された神秘が判りました。聖エリザベトだけでなく、胎内の聖ヨハネも感動したのは、実は聖マリアの御胎内の御言葉の存在のためでした。受肉した御言葉は聖マリアの声を道具として使い、救世主としての御言葉は、霊魂の救いと義化のため、永遠なる御父から与えられた力を胎内から発揮し始めました。御言葉は人間として活動しますが、受胎後、まだ八日しか経っていない人間として御父に祈願しました。将来の先駆者の義化の願いは聖三位一体から聞き入れられました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P115

 

 この祈願は聖マリアの挨拶よりも前に主に捧げられました。神は聖エリザベトの胎内の赤ちゃんを見、理性の活動を与え、神聖な光により、赤ちゃんがじきに受けることになっている祝福についての予告を与えました。この準備と共に、赤ちゃんは原罪から清められ、聖霊の最も豊富な恩寵と充分な賜物で満たされ、諸能力は聖化され、理性に従い、大天使ガブリエルがザカリアに、息子は母の胎内で聖霊に満たされるであろう(ルカ1・17)と語ったことを真実にしました。同時にこの幸せな赤ちゃんは母胎の壁を透き通して見、受肉した御言葉がはっきり見え、跪いて自分の救世主・創造主を崇めました。赤ちゃんは大喜びで飛び跳ねました。聖エリザベトは胎動を感じました(ルカ1・44)。二人の母たちが話している間、この赤ちゃんは信・望・愛、礼拝、感謝、謙遜やその他の諸徳の務めを達成しました。この瞬間から赤ちゃんであるヨハネは功徳を積み始め、聖性を成長させ始め、決して聖性を失わず、恩寵の生き生きした力のお陰で聖性の行為を決して中止しませんでした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P116

 

 聖エリザベトは受肉の神秘、我が子の聖化、この新しい奇蹟の神秘的目的を教えられ、至聖なるマリアの乙女としての清純さと威厳に気がつきました。この天の女王は、神と御子の行われる神秘の幻視に没頭し、全く神々しくなり、神の賜物の透明な光に包まれました。女王としての威厳に満ちた聖マリアが、聖エリザベトの目の前におられたのです。神の神秘を見聞きして聖エリザベトは感嘆し、聖霊の喜びに浸りました。世界の女王と御胎内の赤ちゃんを見て、彼女は讃美の言葉を叫びました。「御身は女の内にて祝せられ、御胎内の御子も祝せられ給う。我が主の御母が訪れ給いしは我が主のご配慮ならん。御身の御挨拶が響くやいなや、我が胎内の幼児は喜びて跳べり。信ぜし御身は祝せられ給う。主の御身に話給う全ては成就すべきなり。」至聖なるマリアの貴い特権を預言した聖エリザベトは、主の御力が聖マリアに何をなさったか、これから何をなさるかを神の光により判ったのです。聖エリザベトの声は胎内の聖ヨハネにも聞こえました。二人は智恵と謙遜の御母がマグニフィカトを美しく優しく言い表すのを聞きました。(ルカ1・46−55)。

 「我が霊魂は主を崇め奉り、

 我が精神は我が救い主なら天主によりて喜びに堪えず。

 そは御召し使いの卑しきを顧み給いたればなり。見よ、今よりよろず世に至るまで、人われを幸いなる者ととなえん。

 けだし全能にまします御者、我に大事をなし給いたればなり。

 聖なるかな、その御名。

 その御あわれみは、世々これをおそるる人々の上にあり。

 自らの御腕の権能を現わし、おのが心の思いにおごれる人々を打ち散らし、

権力ある者をその座より降ろし、卑しき者をば高め、

飢えたる者を佳き物に飽かせ、富める者をば手を空しうして去らしめ給えり。

御あわれみを忘れず、その僕イスラエルを引き受け給い、

我らの先祖に宣いし如く、そをアブラハムにも、その子孫にも世々限りなく及ぼし給わん。」

 この讃美の歌を聞いた最初の人として聖エリザベトは、それを理解した最初の人でした。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P117

 

聖マリアは、神によって見、各人が栄え、喜ぶのは、神のみが全人類の完全な幸福と救いであること(ニコリント10・17)を語りました。いと高き御方が遜る者を優遇し、神の光を惜し気もなくたくさん送って下さる(詩篇138・6)ことを明らかにしました。聖マリアの頂いた賜物を知り、理解することは、人間にとってどれほど価値があるかを聖マリアは納得しました。全ての謙遜な者が一人一人の器を満たす同じ幸せを頂くのです。聖マリアの頂いた慈悲、恩恵と祝福は「大いなる事」です。決して小さくありません。

 天の門である聖マリアを通して、私たち人類はいと高き御方の慈悲を受け取り、神の国に入ります。高ぶる者を引きずり下ろし、遜る者を代わりに高座に引き上げる主の正義は、高慢なルシフェルと部下の天使たちを天から蹴落としたことで発揮されました。空虚な誇りは求めるべきではないし、求めても得られないのです(イザヤ14・13)。

 聖マリアと聖エリザベトが二人だけの会話をした後、二人は皆の居間に出てきました。聖エリザベトは自分自身、所帯全員と家全部を聖マリアに提供し、静かな奥まった部屋を聖マリアに見せました。ここで聖マリアは謙遜に感謝して、自分の部屋として使うことになりました。お返しとして自分の訪問は、聖エリザベトの召し使いとして働くためであることを述べました。その時はもう夜になっていました。聖マリアは、自分の前にいる聖ザカリアに祝福を願いました。彼が神により唖になっていることを知り、それを治そうとはしませんでした。聖ヨゼフは、聖エリザベトの歓待を受け、三日間滞在した後、聖マリアをそこに残し、ナザレトへ戻ることになりました。聖エリザベトがたくさんの贈り物を下さったのですが、ほんの一部だけ受け取り、感謝しました。ロバも一緒に連れて帰りました。ナザレトの家では、近所に住む自分の従姉妹から世話してもらい、自分の仕事に精を出しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P118

 

 聖マリアはいと高き御方の命令に従い、以前の通り真夜中に起き上がり、神の神秘を何時間も黙想しました。眠る時間もとり、自分の体調に合わせました。仕事と休息を続けながら、新しい恩恵、啓示、高揚や愛を主から受けました。この三か月間、神の幻視を何回も見ました。降臨により人性と一致した御言葉の幻視が一番多くありました。聖マリアの乙女である胎が、絶え間ない祭壇、至聖所となりました。神の力の涯しない野原の中で、聖マリアに示された秘儀により、この高揚された貴婦人の霊魂は広大にふくらみました。主の御力によって強くならなければ、愛の激しさのため、何回も聖マリアは燃え尽き果てたかもしれません。

手仕事の間も心の中で主にお願いし続けました。偉大なる女王は、先駆者聖ヨハネの産着や布団を縫いました。母である聖エリザベトは、この幸運を我が子のために謙遜に頼んだのです。聖マリアは驚くべき愛と謙遜で従姉妹の聖エリザベトに従いました。謙遜さに於て聖マリアは誰にも負けませんでした。永遠の御言葉の教えを実践したのです。御子は真の神でありながら僕になり(フィリッピ2・6)、聖マリアは神の御母、全被造物の女王でありながら、最も低い人間の召し使いになり、生涯、召し使いで居続けました。この天の物語は、我々の誇りに対する戒めです。私たちは世間の評判を気遣い、理性をほとんど全部なくします。世間から名誉を受けなくなると、理性を完全に失い、気違いになります。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P119

 

 御母マリアが極みまで遜り、蔑まされるのを心から喜んでいるのを見ておられる主は、御母が全被造物の前で名誉を受け、尊敬されるように取り測ろうと思えばできたのです。御母が賎しい仕事につき、何も命令できない立場にいることは不公平でしょう。しかし、これは普通の人の考えであり、諸聖人には通用しません。

 正義の太陽の前に現れ、恩寵の律法の待ちこがれた日を宣言する暁の星の時がやって来ました(ヨハネ5・35)。預言者よりも偉大であると称され、小羊を指さす(ヨハネ1・29)洗者聖ヨハネは、世の救いのため準備します。聖エリザベトの胎内にいる間に、この赤ちゃんには完全な知性があり、受肉された御言葉のそばにいて、神の知識を頂きました。

 聖エリザベトから頼まれて、天の女王は産まれたばかりの聖ヨハネを腕に抱き、永遠の御父に捧げました、「原罪の結果と昔からの敵(悪魔)から救われました。この赤ちゃんが聖霊により満たされ、御身と御独り子の忠実な僕となりますように。」聖霊に満たされた至福の赤ちゃんは、自分の女王に対し、心の中の尊敬をお辞儀して表しました。女王の胎内の御言葉をもう一度崇めました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P120

 

 この赤ちゃんの割礼の日が近づくと、親戚の人が集まり、名前を決めることになりました。聖エリザベトの奇跡的出産は、神の偉大な御業であると皆は感じていましたし、神秘の勉強や天の女王との交流により、その霊魂は刷新されて顔が輝き、魅力があり、神々しくなっているのを皆は気づきました。人々はザカリアに合図すると、唖の彼は筆をもらい、板の上に書きました、「子供の名前はヨハネ。」この瞬間、至聖なるマリアは彼が唖から解かれるように心の中で命令しました。ザカリアが話し始め、集まった人々を驚かせました。聖霊と預言の賜物に満たされ、聖ザカリアは言葉をほとばしらせます(ルカ1・68−79)。

「主なるイスラエルの神を讃えよ。

主は御自ら訪れてその民を解放し、我らのため、しもべダビドの家に力強い救いを起こされた。

古くから、聖なる預言者の口を借りて言われたように、我らを敵から、憎む人々全ての手から救い出すために。

主は我らの先祖を憐れみ、その清い御約束を思い出され、父アブラハムへの誓いを忘れず、我らを敵の手から救い、主の御前に、生涯、聖と義をもって、恐れなく仕えさせ給う。

幼子よ、あなたはいと高き者の預言者といわれる。なぜなら、罪の赦しによって救いの来たことを、その民に教えるからである。

それは、我らの神の深い憐れみによる。

そのために、朝日は上から我らに望み、闇と死の影に座る人々を照らし、平和の道に導き入れる。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P121

 

 約三ヶ月間の聖マリアの滞在が終わる頃、聖エリザベトは聖ヨゼフを呼び出しました。聖ヨゼフが到着したとき、聖エリザベトと聖ザカリアは、聖ヨゼフをイエズス・キリストの守護者として心からの尊敬を示しましたが、聖ヨゼフはそのことをまだ知りませんでした。聖マリアは聖ヨゼフの前に跪き、夫を疎かにしたことを詫びました。これは謙遜の礼儀正しい愛すべき行為です。ニ、三日後、お別れにあたり、聖ザカリアは神の御母に言いました、「私の女主人よ、御身の創造主を永遠に誉め称えなさい。主は御身を全ての被造物の中から神の御母として、主の偉大なる祝福と秘蹟の全ての保管者として選びました。神が、御身の僕である私にこの世の流浪を平和の内に導き、永遠の平和に到達させて下さるよう、神の御前で思い出して下さい。私が神に会えますように。私の家族、とりわけ息子のヨハネのことを思い出し、また御身の家族のため神に祈って下さい。」

 聖マリアと胎内の御言葉の滞在のお陰で、ザカリアの家の全員の品性が高められました。出発にあたり、聖マリアは聖ヨゼフの前に跪き、祝福を願いました。そうするのが聖マリアの習慣であったからです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P121

元后の御言葉

 聖ザカリアが預言したのは祭司として当然でした。祭司職の威厳と名誉が重んぜられるべきことは、いと高き御方の御旨です。世間は、司祭が選ばれた者、香油を塗られた者として尊敬すべきです。主の神秘は司祭に対し、もっとよく打ち明けられました。司祭が威厳ある生活をするならば、司祭の仕事はセラフィムや他の天使たちの仕事のようになります。司祭の顔は主と話したモーゼのように光り輝くべきです。司祭は地上に於けるキリストの代理者です。

 今日の話しの締めくくりとして、主の愛は誠実、聖、純で持続性があり、私たちを遜らせ、平和にし、照らすことを述べます。これに反し、世間のお世辞は虚無で、一時的、ごまかしで嘘です。嘘つきの口から出てきます。ごまかしは全て私たちの敵のすることです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P122

第四書

 聖ヨゼフは至聖なるマリアの妊娠を心配する。我らの主なるキリストの生誕。主の割礼。王たちが主を崇める。幼子イエズスを神殿で奉献する。エジプトへの避難。聖なる幼児たちが虐殺される。そして聖家族がナザレトに帰る。

 

第一章

聖ヨゼフの婚約者との離別の決意

 

 妊娠五か月目になって、聖ヨゼフは聖マリアの体の変化に気づきました。ある日、聖マリアが祈り部屋から出てきた時、聖ヨゼフは、もっと特別にこの変化を知り、聖マリアの妊娠を見て自分の聖マリアに対する愛と純潔が傷つきました。自分が聖マリアの妊娠の原因ではないことは確かでした。この事実が世間に知れたら、不名誉なことです。姦淫の事実を聖ヨゼフは祭司たちに報告する義務があります。報告すると姦淫者は、投石の死刑になりますから、聖ヨゼフは報告をしたくありませんでした。一方、聖ヨゼフの「嫉妬はとても強かった」(雅歌8・6)のですから、どれほど苦しんだことでしょう。神に一生懸命祈りました。「今まで聖マリアの謙遜と諸徳を疑ったことはありません。今や、彼女の妊娠を疑えません。彼女が私に不貞を働き、御身の掟に背いたと考えるのは、彼女の純潔と聖性を知る私には無理です。私が目撃することを否定することもできません。私の理性は、彼女が批難さるべきでないと言いますが、私の目は彼女の罪を見ます。彼女は妊娠について何も言いません。私は悲しくて死にそうです。この悲しみを犠牲として神に捧げます。私の心を御身の光で照らして下さい。」自分の知らない神秘があると聖ヨゼフは思いましたが、聖マリアが救世主の御母であるかもしれないとは夢にも思いませんでした。聖マリアは、そのことを聖ヨゼフに告げよという天の命令を受けていませんでした。真相を知らさずとも聖ヨゼフを宥め、安心させることはできましたが、賢慮と謙遜により、ただただ、前よりも一層の愛を込めて聖ヨゼフを主人として仕えました。聖ヨゼフは、彼女が食卓で食物を置いたり、彼の身の回りの世話をしてくれるのを身近に見て、彼女が妊娠している事実をますます明瞭に見せつけられ、心から動揺し、彼女に対する畏敬の念と愛を決して失わなかったものの、心の悲しみと辛さは彼の言葉のはしはしに出てきました。彼がついに密かに離別を決心した時、聖マリアは悲嘆の涙にくれ、天使に訴えました、「いと高き王の召使いたち、私の守護者として神の命令に従う聖なる天使たちよ、私の夫、聖ヨゼフの苦しみを慈しみ深い神に訴えて下さい。主が彼を慰めて下さいますように。無限なる神に対し、私の胎内で人性を得る神に向かい、私の最も忠誠なる夫を苦しみからたった今救い、私を見棄てるという決心を止めるように、御身に心からお願い申し上げます。」このメッセ―ジを受けた選ばれた天使たちは、直ちに聖ヨゼフに教えました。聖ヨゼフが彼女の過ちを信じられないこと、神の御業は理解できないし、神の判断は隠されていること、神は神を信頼する者たちに対し、いつも忠実であること、決して困っている忠義者たちを見棄てないことを言い聞かせたのです(詩篇34・18)。これを知り、聖ヨゼフは少し安心しましたが、自分の悲しみの原因が目前にある限り、何の保証も見出せないし、霊魂を鎮めるものもないし、妻から離別するしかなくなりました。聖マリアは、このことに気づき、この危険を何とかして回避しなければならないと大決心をしました。胎内の御子に訴えました、「我が霊魂の主なる神、私は塵と灰ですが、御身の目から隠せない私の嘆きを申し上げます。御身がめあわせた私の夫を助けるのは私の義務です。御身が送られた困難は、私の夫を打ちのめしています。私は黙っていられません。人類の救いのため、召し使いの私の胎に宿った御身が、御身の僕、聖ヨゼフを慰め、御業の成就のため、私を助けるような立場に聖ヨゼフを置いて下さい。私の守護者である夫が、私を一人ぼっちにしないように心よりお願い申し上げます。」いと高き御方は答えられました、「我は私の僕、聖ヨゼフを慰め、この秘儀を天使たちにより伝えさせよう。その後で汝は彼に打ち明けなさい。聖ヨゼフは自分の立場を理解し、汝に協力するであろう。」聖マリアは心から感謝し、聖ヨゼフが神を信頼することの試練を受けたことがよく判りました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P125

 

 その頃、聖ヨゼフは二ヶ月間にも渡る混乱と苦難と闘っていました。その苦しみにうちひしがれ、彼には一つの逃げ道しかありませんでした。「聖なる妻の評判を傷つけ、妻を犯罪人にすることはできない、一方、私は妻とは暮らせない」と思い切り、真夜中に夜逃げすることに腹をくくり、主に報告しました、「我らの祖先アブラハム、イサク、ヤコブのいと高き永遠なる神、御身は悲しみ苦しむ者にとって、本当のただ一人の保護者です。私は潔白の身でありながら、悲しんでいることは御存知の通りです。私の妻が姦通者であるとは思いもよらないことです。彼女は完徳に達しています。しかし、妊娠しています。私が誰が、どのようにして、妻を妊娠させたか判らず、私の気持ちが休まる時がありません。妻の身の危険を避け、私も何とか悩まなくて済むように、私は砂漠に行き、一生涯隠れたいと思います。御身の御摂理に私を委せます。どうぞ私を見棄てないで下さい。」聖ヨゼフは床に平伏し、聖マリアを神が人々から守って下さるよう、エルサレムの神殿に少しばかりの献金をすることを誓いました。

 神の御旨は正しく、聖であり、完全です。御旨について三つの説明を私は述べましょう。第一、聖ヨゼフは賢明で天の光に照らされていたので、聖マリアの胎内に御言葉が宿ったことを証拠立てる必要はなかったと思われます。第二、聖ヨゼフは自分の視覚に頼ったので、天使的視覚を持たず、疑うようになりました。第三は、第二によって引き起こされた苦しみです。

 ここに於て、この聖なる聖ヨゼフが視覚を正しく使い、聖霊の御働きを受入れるよう、浄められるように、天使が主の御旨を聖ヨゼフに伝言しました。聖ヨゼフは目が覚めると、妻が神の真の母であると判りました。自分が授かった恵みに感謝の祈りを捧げました。平静を取り戻した聖ヨゼフにとり、ニ、三ヶ月間の疑いと不安の体験は、謙遜を教え、生涯の教訓となりました。聖ヨゼフは祈りました、「ああ、私の天の妻よ、いと高き御方の御母として選ばれた御方、御身の価値なき僕が御身の忠実をどのようにして疑ったのでしょうか? 塵であり灰である私が、御身の奉仕を頂くことがどのようにして可能になったのでしょうか? 御身は天の女王で、宇宙の女主人です。御身の御足が踏んだ土に接吻し、跪いて御身に奉仕すべきでした。ああ、私の主なる神、聖マリアに赦してくださるようお願いする恩寵を与えてください。痛悔の悲しみにあるこの僕を、聖マリアが嫌いになりませんように。」

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P126

 

 至聖なるマリアは、聖ヨゼフが主の秘儀を信頼したことを喜びました。それと同時に、困ったことになったと思いました。聖ヨゼフの召し使いとして、従順に遜る機会がなくなりそうになったからです。謙遜の徳は一番大事にしていたものです。「私の主人なる夫よ、私こそ御身に赦しを請わなければなりません。私は御身を悲しませ苦労をかけさせました。私を赦して下さい。いと高き御方が私の祈りを聞いて下さったので、もう心配しないで下さい。私は御身に私の秘密を打ち明けることができませんでした。私の胎内にいる主の御名に於て、私への態度を変えないように心からお願いします。人々から仕えられるためではなく、人々の召し使いになるため、私は主の御母となりました。」聖ヨゼフは恩寵の特別な啓示を頂き、言いました。

「幸いなるかな、御身は女の内にて選ばれたり。諸国民に先立ちて選ばれ、末永く幸いなるかな。天地の創造主は永遠に誉めまつらるべし。昔の王や預言者との約束を守りしは主のみなり。全世代は主を誉むべし。聖マリア御身の謙遜に於てのみ、主の御名は高められたり。屑人間なる我を御身の僕に抜擢し給えり。」これを聞いて聖マリアは、聖エリザベトの祝辞に答えたようなマグニフィカト(主の讃美)を歌いました。聖マリアは恍惚の中で燃え、この光景を見て聖ヨゼフは讃嘆と喜びの気持ちでいっぱいになりました。このような光栄にある聖マリアを見たのは、後にも先にもこの時しかありませんでした。天の王女の完全さと清純さと、幼子である神の人性が聖マリアの胎内に宿っていることが、聖ヨゼフに明らかになりました。聖ヨゼフは主を自分の救世主として崇め、主から主の養父という称号を頂きました。智恵と天の賜物の数々も頂きました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P127

元后の御言葉

 

 私の娘よ、私の言葉の一部を書き記しました。私の言葉全部を汝の鑑として使いなさい。私の良い生徒として実行しなさい。私の夫、聖ヨゼフの謙遜な奉仕や御旨への従順を見習いなさい。

 今回、いと高き御方が人間に対して怒っておられることを知らせましょう。批難の原因は、人間がお互いに謙遜ではなく、愛し合わないという非人間的邪悪です。第一、人々は天にまします同じ御父の子供たちであり、御手により造られ、同じ人間性を与えられ、御摂理により生存し続け、主の御体と御血により養われているのに、これを忘れ、地上のつまらないことにうつつを抜かし、理由もなく興奮し、怒り狂い、喧嘩し、最も劣悪な仕返しをお互いに繰り返します。第二、人間の弱さと自己放棄のないことから、悪魔の誘惑に負け、過失を犯し、お互いを赦そうとはしません。お互いの仕返しよりももっと早く主の審判が下るでしょう。第三、他の人たちが和解を求めてやってくるのに、はねつけます。王なる神の満足することで満足しません。このような人たちが、傷ついた神に対し謙遜になり後悔し、罪の赦しを得るように願いなさい。

 お互いの罪を赦し合わないほど大きな罪はありません。そのような人たちは、首に粉ひきの石臼をかけられ、海に投げ込まれた方が良いでしょう。私の至聖なる御子は助言しました。両目がえぐり取られ、両腕を切り落とされる方が、小さき者たちに対する罪を犯すよりも良いと。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P128

第二章

マリアの配偶者に対する優しい謙遜

 

 御言葉の受肉の秘儀を告知されて以来、最も忠実な聖ヨゼフは新しい人間になりました。聖マリアに家の掃除や皿洗いなどをさせようとしませんでした。謙遜な者たちの中で一番謙遜な聖マリアは、このような事態を何とか切り抜け、いつも謙遜の競争に勝ちました。聖ヨゼフが跪くのは御胎内の主に対してでしたが、外から見ると聖マリアに対して跪くようにも見えるので、聖マリアは跪かないように聖ヨゼフに願いました。聖ヨゼフは仕方なく、聖マリアに気付かれないように跪きました。主を拝むだけではなく、主の御母を崇めるためでした。この聖なる夫婦は、お互いに奉仕するチャンスを取り合いました。聖マリアが黙想している間に、聖ヨゼフが聖マリアの家事を横取りしたので、聖マリアは神に、聖ヨゼフが彼女の仕事にまで手を出さないように懇願しました。神は謙遜な聖マリアの願いを聞き入れ、天使を遣わしました。天使は聖ヨゼフに伝えました、「天地の被造物の全てよりも崇高である聖マリアの謙遜な望みを邪魔しないように。外面的には、普段は彼女に仕えないように。そして、内面的には、いつもどこでも聖マリアに一番の尊敬を払いなさい。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P129

 

 聖ヨゼフの貧しい祝福された家には、三部屋ありました。一つの部屋に聖ヨゼフが寝泊りし、もう一つの部屋は聖ヨゼフの大工部屋で、三番目は天の女王の居間兼寝室でした。自分の妻が天の御母であることを知る以前は、聖ヨゼフは滅多に聖マリアの所に行きませんでしたが、秘儀を知らされてからは、聖マリアの世話をもっとしたがるようになりました。

 この所帯には召し使いも誰もいなかったので、両人の素晴らしい生活ぶりは外部に洩れませんでした。聖マリアは必要な時は、隣家の女性に助けを請いました。この女性は、聖マリアが聖エリザベトの家に滞在していた間、聖ヨゼフの世話をしました。自分が病気の時、聖マリアに見舞ってもらいました。この女性の家族全員が天の祝福を受けました。

 聖ヨゼフは、聖マリアが寝ているのを見たことがありません。聖マリアの睡眠は短い時間でした。聖ヨゼフの作った長椅子が寝台で、長椅子に掛けてある布が布団代わりになりました。聖マリアは、神殿での生活の時と同じ下着をいつも着ていました。上着や頭巾は時々取り替えました。聖マリアは汗を流さず、汚しもしませんでしたが、時々着替えて人々に好奇心を起こさせないようにしました。聖マリアの着物はすり減ることもありませんでした。肉の料理を聖ヨゼフに出しましたが、自分は決して肉を口にせず、果物、魚、普通のパンや料理した野菜を食べて健康を保ちました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P130

元后の御言葉

 

 私の娘よ、謙遜の学校で一生懸命勉強しなさい。威張る者たちには見えない光の宝を与えられるでしょう。世の中の智恵の思い上がりや誇りが修道者たちの心を掴みます。世の称讃を得るために必死です。倦まずたゆまず頑張り、偽の宝を得ます。しかし、このごまかしはとても強力に堕落する人々を動かします。選ばれた人々を動かす真理よりも強力です。全ての人が招かれますが、選ばれる者は少数です(マテオ20・16←22・14?)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P130

第三章

ベトレヘムへの旅

 

 不変の御摂理は、御父の御独り子はベトレヘムの町に生まれると決められました(ミカ5・1)。諸聖人や書預言者も予告しました(エレミア10・9)、神の絶対なる意志は誤りませんし、何ものも妨げられません(エステル13・9)から、天地が消失しても、神の御命令は成就します(マテオ24・35)。古代ローマ全帝国のアウグスツス皇帝が、人民登録、又は国勢調査を発令した(ルカ2・1)ことで成就したのです。当時、世界の大部分を占領したローマ帝国は、人々に税を納めさせるため、出身地に行き登録するように命じました。このことを外出先で聞いたヨゼフは、悲しそうな顔で家に戻り、聖マリアに報告しました。聖マリアは答えました、「どうぞ心配しないで下さい。私たちに起る全ては天地の王なる主により命令されています。全てに於て御摂理が私たちを助け、導いて下さいます」(シラ22・28)。御父の御独り子がベトレヘムで生まれることになっているという預言を聖マリアは知っていましたが、聖ヨゼフに話しませんでした。話すなと命令されていることを話さず、聖ヨゼフの指導に身を任せました。月は進み産期は近づいていました。聖ヨゼフは言いました、「天地の女王なる我が主人、全能者から反対の命令がなければ私だけで行きます。ローマ皇帝の命令は、所帯主だけ行くように言っています。でも私は御身を私の助けなしにしておけませんし、御身なしには私はあまりにも不安ですし、御身のそばでやっと安心できます。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P131

 

 二人は出発の日を決めました。聖ヨゼフは世界の女主人を乗せるロバを探しにナザレトの町に出かけましたが、他の人たちもロバが必要なので、なかなかロバが見つかりませんでした。やっと見つけたロバはありきたりのロバでしたが、御母と御子を運ぶという大任と幸福をいただいたロバです。二人は旅の必要品を五日分準備しました。聖マリアは、御子の出産のための布や産着を持っていくことにしました。二人の旅姿は貧しく見すぼらしいものでしたが、永遠なる御父の無限の愛に価する御子と二人は、天使たちから崇められました。自然は新約の生ける真の聖櫃(ヨシュア3・16)を認識しました。ヨルダン川は水を左右に分け、二人とその後に続く天使たちに道を開けました。天使たちは総数一万位で、聖マリアには見えました。多数の太陽よりももっと輝いていました。その他に御父と御母の間を行き来している天使たちも参加しました。

 しかし、皇帝の命令で旅してきた人たちが旅籠屋に集合している様子は、聖マリアと聖ヨゼフにとり、大変不快で困らせました。二人が貧しくおどおどしていたので、他の人たち、特に富者よりも冷遇されました。どの旅館からも次から次に叱りつけられました。旅で疲れ切った二人はそっけなく断られるか、廊下の片隅か、もっとひどい所をあてがわれました。そんな所に天地の女主人が留まると、天使たちは最高の王と女王の周りを固め、警護にあたりました。聖ヨゼフはそのことを知り安心し、聖マリアに休むよう勧められ、その間、聖マリアは天使たちと話をしました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P132

 

 このように苦労しながら、二人がベトレヘムに着いたのは第五日目、土曜日の四時でした。冬至の時で、太陽は沈みかかり、夜のとばりが落ちてきました。二人は街に入り、一夜の宿を探しながら、たくさんの道を通りました。知人や親戚の家に行き、断られ、ののしられました。最も謙遜な女王は、人混みの中を家から家へ、戸口から戸口へ、夫の後についてまわりました。人々の心も家も二人を締め出していると知っており、身重の自分を衆目にさらすのはもっと辛いことでしたが、夫に従い、この恥を忍ぶことを望みました。街をさすらいながら、人民登録の役所の所に出てきました。名前を登録し、献金しました。その後も家々を訪ねました。五十軒以上もまわったのに、全て無駄足に終りました。聖マリアの忍耐と温和、それにひきかえ、人々の頑なな心に天使たちはあきれ返ってしまいました。

 追い払われ、心臓が破れそうになった悲しい聖ヨゼフが妻の所に来たのは夜の九時でした。「私の最も甘美なる貴婦人、私の心は悲しく、裂けそうです。御身を泊める所を探せず、厳しい天候から御身を守れません。疑いもなく、天は秘密を隠しています。ところで、市の城壁の外に洞穴があるのを思い出しました。羊飼いたちや羊たちのための避難所です。そこへ行ってみましょう。天は地が与えてくれなかった助けを与えるかもしれません。」最も思慮深い聖マリアは答えました、「私の御主人様、このような事態になったことを私の胎内にいる神に感謝して下さい。御身のおっしゃる所は私にとり最善と思われます。御身の悲しみの涙は喜びの涙に変わるでしょう。貧乏は私の至聖なる御子の計り知れない貴重な宝です。貧乏を抱きしめましょう。喜んで主の御導きになる所へ参りましょう。」聖なる天使たちは、道を明るく照らしました。城壁の外の洞穴は空になっていました。二人は主に感謝しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P133

元后の御言葉

 

 私の親愛なる娘よ、今日より、世の軽蔑と無視を新たな尊敬で抱きしめなさい。その代わりに、神は最も甘美なる眼差しで汝を見て下さいます。神の愛、私の愛と天使たちの愛を汝は受けます。私の至聖なる御子は、現世の虚栄と誇りを軽蔑し、謙遜を愛するための先生として私を任命しました。窮乏と貧困は神に至る最も確かな近道です。御子の言葉を引用しましょう、「私が天の御父の完全なるが如く、汝らも完全なれ」(マテオ5・48)、この完徳に汝を招待します。どんなに難しくても、困惑しないように。自分の救いだけでなく、他人の救いと御子のために。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P134

第四章

我らの救い主キリストが乙女マリアからユダヤのベトレヘムで生まれたこと

 

 王の中で最高の王、主の主が永遠の御子の生まれるために選んだ所は、最も貧しい洞穴でした。どんな旅人でも考えつかなかった宿泊所ですが、謙遜と貧乏の先生である我らの救い主と御母にとって望まれた場所です。何もなく荒れ果て見すぼらしい所が光の最初の神殿となり(詩篇112・4)、輝く聖マリアの心から出る正義の太陽の家となりました。二人は喜びの涙を流し、跪き、主を讃え、感謝しました。聖マリアは街の人々によって無視されたために、広大な謙遜の恩恵を受けたので、街の住民全員に神の祝福をお願いしました。天使たちは、王宮の衛兵のように自分たちの女王を守りました。天使たちの姿は聖ヨゼフにも見え、彼を元気づけたのです。聖マリアは洞穴をきれいにして、まもなく玉座となるように準備しました。聖ヨゼフも早速手伝いました。天使たちも二人の手伝いをしました。洞穴はまたたくうちに清められ、芳香に満ちました。聖ヨゼフは火を起こしました。その夜はとても寒かったからです。二人はこれから起こる出産のことに夢中になっていたので、食事をしようとしなかったのですが、聖ヨゼフにしつこく勧められたので従順に食事をしたのです。食後、感謝の祈りをし、聖マリアは最も祝されたお産が近づくのを感じ、聖ヨゼフに就寝するように勧めました。聖ヨゼフは聖マリアにも就寝を勧め、羊飼いたちが置いた飼い葉桶に自分の着物敷き、生まれてくる赤ちゃんのベッドにしました。聖ヨゼフは聖マリアから離れ、入口の隅に行き、祈り始めると直ちに聖霊に満たされ、恍惚となり、楽園にアダムが住んでいた時よりももっと素晴らしい眠りについたのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P135

 

 全被造物の女王にいと高き御方は大声で呼びかけました。たちまち聖マリアは新しい啓示と神の御力で満たされ、神の御姿をくっきりと見ました。自分の至聖なる御子の神性と人性についてのあらゆる知識が更新され、神の御旨について書かれた広大な巻物が聖マリアに示されました。神の秘儀はあまりにもたくさんあるので、人間の言葉では言い尽くせません。

 いと高き御方は御降臨の時が来たこと、どのように御降臨が起きるかを宣言しました。素晴らしい神秘の説明は、主御自身についてであり、そして恩恵を被る人間についてです。マリアは玉座の御前に平伏し、神に自分と全人類のため、感謝と讃美を捧げました。同時に、将来自分の腕に抱き、乙女の乳を飲ます人となられる御言葉に仕え、拝み、育てることができるよう、新しい光と恩寵を神にお願いしました。最高のセラフィムさえもできない、神の母としての役目に値しないことを理解し、心からへりくだりました。塵にまでなり下がり、自分の無であることを認めた乙女は、この謙遜の故に王なる神により引き上げられ、改めて神の御母となります。神の御母であると同時に、自分の胎内から生まれる神の御子の御母となります。この恍惚の状態が一時間以上も続いた後、マリアは意識(五官)を回復しました。幼児なる神が乙女の胎内で動き始め、乙女なる母体から出る準備を始めました。陣痛は全くないばかりか、マリアは喜びに満ち、それほどまでに高揚された神の御力が起きてきました。マリアの身体は天の美により霊化され、御顔は光線を発し、まるで太陽の化身のようになり、言い表せない熱心さと威厳に輝き、熱烈な愛を燃やしました。マリアは飼い葉桶に跪き、天を見つめ、手を組み、胸に当て、神に包まれ、全身、全く神々しくなりました。この姿勢で御父の御独り子、御自身の御子、我らの救い主イエズス、真の神人を出産しました。時は真夜中、日曜日、創世の時から5199年にあたりました。この出産に於て、聖マリアは処女の完全さと清純を傷つけず、もっと神に近くなりました。神は乙女の胎を破ることなく、太陽光線が水晶の神殿を貫くように突き抜けたのです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P136

 

 幼子の神は、出産以前に自分の身とした身体がありました。至聖なる神の霊魂は、御誕生に於て身体全体から溢れ出し、神々しい変容を示したことは、タボル山で使徒たちの面前で変容された(マテオ17・2)のと同じです。御生誕の時の光り輝く御変容は、乙女に真の神人なる御子に対して心からの畏敬を改めて起こさせましたし、御子への愛のため、世の事物から背けたマリアの至純なる御目を喜ばせたのです。

 マリアは御子を産着に包み、桶の中に横たえました。二位の大天使、聖ミカエルと聖ガブリエルはその手伝いをしていたのです。二位の天使たちは人間の姿をしてそばに立っていました。受肉された御言葉が乙女なる母の胎を貫き出て光り輝いた時、天使たちは心からうやうやしく御言葉を受け取りました。司祭がホスチアを高く挙げ、信者たちに拝ませるように、天使たちは御言葉を御母の眼前にお運びしました。御言葉は光り輝く太陽でした。神の御子の目と合った時、御母は甘美なる幼子をしっかりと見つめ、幼子の輝きで包まれました。天の王子は天の王女に抱かれ、御母に言われました、「御母よ、私のようになりなさい。御身が私に人性を与えて下さったので、今日より私は神人としての私に似た姿を御身のものにしましょう。」最も賢い御母は答えました、「主よ、私を起こし、持ち上げて下さい。私は御身の芳香の後を追いかけます」(雅歌1・3)。親子の話しはもっと続きます、「私の愛する御方より私へ、そして私より私の御方へ、私の御方は私に近づきたいのです(雅歌2・16)。「見よ、私の母なる友よ、御身は美しい、御身の目は鳩のよう。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P137

 

 聖マリアは御子を見習うことにより、御子のようになれると理解しました。どのようにして模倣するかも教わりました。永遠の御父の御声も聞こえました、「これぞ、心より愛せる我が子なり」(マテオ17・5)。とても多くの秘儀を受け、神々しくなった最も賢い御母は答えました、「永遠の御父、高められた神、主、宇宙の創造主、諸国民の渇望せる御方を私の腕に抱くための許しを私に下さい(ハガイ2・8)。御身の価値なき母、賎しい婢なる私に御旨をお聞かせ下さい。」直ちに御父の御声が響きました、「汝の独り子を大切にし、見習い、育てなさい。私が命令する時、御子を犠牲にしなければならないことを覚えておきなさい。」御母は答えました。「御手の中の被造物を御覧下さい。御身の恩寵により私を飾って下されば、御身の御子なる私の神は、私を使って下さるでしょう。御身の恩寵により私を助けて下されば、私は御子に忠実に仕えられるでしょう。この何でもない人間が御子を腕に抱き、哺乳することを無礼と思わないで下さい。」

 この会話の後、神の御子は光り輝く御変容を中止し、苦しみを受けられる普通の人間となりました。その有様を見て、また跪きながら、御母はうやうやしく御子を天使たちから受け取りました。御母は腕の中の御子に言いました、「私の最も甘美なる愛すべき御方、私の目の光、私の霊魂の全て、御身は正義の太陽としてこの世に時機が熟していらっしゃいました。罪と死の闇を追い払われます。真の神よ、御身の僕たちを救い給え、全人類が救い主の御身を見ますように(イザヤ9・1)、私が御身にお仕えできるように、御身の婢である私の不足を補って下さい。」御母は永遠なる御父に向かって言いました、「全宇宙の崇められる創造主よ、御身に御目に叶ういけにえと祭壇がここにあります(マラキ3・4)。今より、人類に慈悲をお与え下さい。人類が御身の御怒りを受けることになっているのと同様、御身は御子と私により宥められます。御身の審判が中止され、御身の慈悲が私たち人類に与えられますように。御言葉が罪に染まった肉体をまとい(ロマ8・3)、人間が罪人の兄弟になったので、私は主の兄弟たちのために心より仲介致します。主よ、御身は無価値の私を御身の御独り子の母にして下さいました。私が母となったのは人類のためですから、人類に対し、私は愛することをやめませんし、人類の救いのため世話をし、見張りをすることをやめません。永遠の神よ、私の懇願を受入れて下さい。」慈悲の御母は人類に向かって言いました、「悲しむ人たちは慰められます。堕落した人たちは引き上げられ、不安の人たちは安息を得ます。義人や聖人に喜んでもらいましょう。古聖所にいる預言者や王は新しい希望をもらい、全人類が主を崇めましょう。生命に近づき、救いをいち早く受け取りましょう。私は全ての人たちのため、救いを預かっています。」そして、至福の御母は、御自分の最も貞潔な唇を御子の唇に合わせました。御子もそれを願っていたのです。

一部始終を見聞きした天使たちは歌いました、「天には栄光、神にあれ、地には平和、善意の人々にあれ」(ルカ2・14)。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P138

 

 聖ヨゼフを起こす時間になりました。恍惚の眠りの中で御子の誕生を知らされていましたが、実際に自分の目で見ることを他の誰よりも先に許されたのです。聖ヨゼフは聖マリアの腕に抱かれた御子を恭しく拝み、御足に接吻しました。聖ヨゼフから産着や掛ける布を受け取り、聖マリアは御子に着せ、くるみ、桶の中に横にしました。聖マリアはこの桶に前もって藁や干し草を置いておきました。近くの野原からやって来た牛は、既にそこにいたロバと一緒になって主の両側に平伏し、自分たちの息で主を暖めました。「牛はその飼い主を知り、ロバは主人の飼い葉を知るのに、イスラエルは知らず、私の民は悟らない」(イザヤ1・3)と預言された通りです。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P139

元后の御言葉

 自分たちの神が貧困により蔑まれ、誰にも知られずこの世に生れ、飼い葉桶の中に横たわり、動物たちに囲まれ、極貧の御母しか頼りにならず、威張りくさった世の人々から追い払われているのを見て、それでも無視できる人がいるでしょうか? 天地の創造主が嫌悪し、批難する虚栄や誇りを誰が好きになれるでしょうか? 謙遜、貧乏は、永遠の生命に至る道として主が愛します。この真理と模範を考慮する人は少数ですし、これらの偉大な秘儀の実を稔らす人は少数です。

 私の模範を見習い、主を畏敬し、畏れなさい。私が御子を抱いたように、御聖体を汝の心に受け取りなさい。聖体拝領に於て、主を本当に頂き、所有するのです。神が汝の心の中に入られると、私に勧めたように、「我のようになりなさい」とおっしゃるのです。主は天より降り、謙遜と貧窮の中に生まれ、その中で生き、死に、この世とそのごまかしを軽蔑するというまれな模範を示されました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P140

第五章

羊飼いたちの礼拝。御割礼

 

 ベトレヘムの門の近くで天使たちが人となられた神の誕生を祝った後、何位かの天使たちはこのニュースを、聞く耳を持つ人たちに知らせにでかけました。大天使ミカエルは古聖所(リンボ)に行き、聖なる首長たちに知らせました。そこに留まっている聖母の御両親には特別の挨拶をしました。人々は永遠の救いをもたらす神人に対し、新しい讃歌を作曲して歌いました。

 一位の天使は聖エリザベトと息子の聖ヨハネに知らせに行きました。二人とも平伏し、人となられた神に向かい、遠くから拝みました。神の先駆者となる聖ヨハネは、エリアよりももっと燃え上がり、内的更新を遂げたので、天使たちは感嘆しました。

 ベトレヘム地方にいた羊飼いたちは、キリストの誕生の時、特別な祝福を受けました。大変な仕事を甘受し、貧しく、へりくだり、世間から嫌われ、救世主を待ち望むイスラエルの民に属していました。良き羊飼いである主と同じく、羊を知り、羊から知られていました。従って、世間一般よりも早く主の誕生のニュースを聞いたのです。この知らせを届けたのは大天使ガブリエルで、人間の姿をして羊飼いたちの前に現れました。この天使の光に突然包まれ、羊飼いたちは恐れました。大天使は彼らに優しく言いました、「正義の民よ、恐れないように。大きな喜びの知らせがあります。今日、ダビデの町に救い主キリスト、我らの主が生まれました。この真実の印として、幼児が産着に包まれ、飼い葉桶の中に横になっているのを見るでしょう」(ルカ2・10−12)。大天使が言い終わると、天の大軍がたちまち甘美なハーモニーでいと高き御方に向かって歌いました、「天には光栄、神にあれ、地には平和、善意の人々にあれ。」

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P141

 

 王様が飼い葉桶の中にいるというのはおかしいと普通の人は思うでしょうが、羊飼いたちはこの神秘を理解し、すぐにベトレヘムへと急ぎました。天使の言ったように、赤ちゃんが桶の中にいるのを見ると、「赤ちゃんである御言葉」も羊飼いたちを見、御顔から輝く光を発し、羊飼いたちの誠実な心に愛を刻み、恩寵の新しい状態を与え、受肉と人類の救いについての教えを授けました。羊飼いたちは地面に平伏し、真の神・人である神、人類の救い主を拝みました。御母はこれを見て昔の預言と照らし合わせ、思い巡らしました。聖霊の器として幼児の代理者として、御母は羊飼いたちに神を愛し、神に仕えるにあたり、一歩も退かないよう教えました。羊飼いたちは同意し、いろいろな神秘が判ったと答えました。食物を御母から頂き、昼まで留まっていました。

羊飼いたちが帰った後、御母は御子を聖ヨゼフの腕の中に渡しました。渡す方も受け取る方も跪いたままでした。御母は言いました、「私の夫、私の助け手、天地の創造主を受け取り、私の主なる神と共に喜んで下さい。人類の祝福に参加して下さい。」御母は心の中で御子に言いました、「私の愛すべき御方、私の友なる夫、聖ヨゼフの腕に抱かれ、話して下さい。私が頂いた善いものを、準備できている全ての人に分配したいのです」(智恵7・13)。御母の最も忠実な夫は言いました、「我が妻よ、神の御前には天の柱も震えます。無価値の私がどのようにして神御自身を抱けるのでしょうか? 私は塵で灰です。貴婦人よ、私をましな者にする恩寵を神に頼んで下さい。」聖ヨゼフの目からうれし涙がぽろぽろ流れました。御子は聖ヨゼフを見つめ、彼の霊魂を更新しました。聖ヨゼフは新しい讃歌を大声で歌いました。跪いたまま、跪いている御母に御子を返しました。二人が御子に近づく時は跪き、地面に接吻しました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P142

 

 御母に選ばれたことを知った時から、御母は御子にどんな苦労が待ち受けているかを考えました。御子の将来の苦しみについて、一切を予知したので、神の犠牲の小羊の御母にとり、長年月の殉教生活を送ることになったのです。御誕生の後で行われる割礼については、永遠なる御父より命令が来なかった間、御子が自分の律法に従うこと、人間として苦しむことを決心してこの世に来た以上、割礼の苦痛を喜んで受けることを知っていました。その反面、苦しみから我が子を免除したいという親心も強く、また、原罪から新生児を浄める割礼は、御子には不必要であることも良く知っていました。このような色々な思いで胸が一杯になりながら、御母はへりくだり、待ち受けました。神にも天使にも質問しませんでした。御母も御養父も、割礼中止という神の指示を得なかったので、律法に表されている神の御意志に添うべしと考えました。一番完全な先生である救い主が、他の人々と一緒に律法に従いたいと思っているに決まっています。御母は、普通の割礼が御子になされるべきこと、しかし、御母がその間、御子を抱いていることを聖ヨゼフに伝えました。普通の赤ちゃんたちにもつけられる鎮痛の軟膏が御子にもつけられること、主から切り落とされる包皮(聖遺物)を収めるガラスの入れ物を用意することを聖ヨゼフに頼みました。出血の時、御子の御血を受ける布を御母は用意しました。我らの救いのための御血の一滴も地面に落ちないようにするためです。用意万端整った後、聖ヨゼフに祭司を呼んでくるように頼みました。割礼の時、何という名前を御子につけるか、聖ヨゼフに尋ねました。聖なる夫は言いました、「私の貴婦人よ、いと高き御方の天使が御割礼について知らせた時、御名はイエズスとすべしと言いました。」御母も言いました、「御子が私の胎内に宿った時、同じ名前が神から私に告げられました。イエズスという名前を祭司に提案しましょう。」この時、無数の天使たちが人間の姿になって天から降りて来ました。輝く白い着物を着、美しい赤の刺繍が施されています。手に棕櫚の葉を持ち、頭に冠をかむり、多数の太陽よりもまぶしく輝きました。しかし、一番輝いているのは胸につけた盾で、イエズスの御名が刻まれています。この盾からの光は、全天使から出る光よりももっと輝きます。天使たちは洞穴の中で二列に並びます。天使たちの首長は二位の天使、聖ミカエルと聖ガブリエルで、他の天使たちの字よりも一段と光り、イエズスと書いた板のような物を手に持ち、この字が他の天使たちの字よりも一段と大きく、際立って見えます。二位の天使は全員の前に進み出て言いました、「貴婦人よ、これが御子の名前です(マテオ1・21)。永遠の昔から神の御心の中に書かれています。全人類の救いの印になります。御子は同時にダビデの玉座に座り、治め、敵を打ち負かし、御自分の足台とし、審判する一方、友だちを御自分の右手に座らせます。全ては御自身の苦難と流血により可能となります。今、御血を流されるのは、救世主として永遠なる御父に従うためです。私たちは主にいつも仕え、天国に凱旋の帰還をされる時、お供致します。」御母と御養父は喜び、主を崇め、讃歌を歌います。

 

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P143

 

 やがて祭司が生誕の洞穴にやって来ました。二人の役人も助手としてついて来ました。洞穴のあまりにも見すぼらしさに驚きましたが、御母の高貴な威厳に感嘆し、何も判らないまま御母と御子の眼差しに感動しました。祭司は御子に割礼をしました。御父に対し、御子は罪人の立場をとり、この割礼を受けたこと、第二に、割礼の苦痛を喜んで受けたこと、第三に、人類のために御血を流したこと、この三つを献げ、人間になったからこそ、この苦痛に遭えたことを感謝しました。御父の御喜びとなりました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P144

 

 御母はこの神秘がよく判りました。御子の苦痛は一番ひどいものでした。割礼のナイフは火打ち石に使う石で、人間の頑固さよりももっと鈍かったのです。御母は泣きながら御子を抱きしめ、聖遺物と御血を受け取りました。

 祭司は御両親に向かい、御子の名前を何とするか尋ねました。御母は聖ヨゼフに礼を尽し、名前を発表するように頼みました。聖ヨゼフは恭しく御母に向かい、御母が御子の甘美なる名前を最初に口にすべしと説明しました。神の御導きにより、御両親は同時に、「この子の名前は『イエズス』です」と言いました。祭司は答えました、「両親が同意しています。お子様の名前は偉大です。」祭司は他の子供たちの名前の登録簿に御子の名前を書き記しながら、心の奥底から感動し、涙があふれ出ました。訳がのみ込めないながら祭司は言いました、「お子様は主の偉大な預言者であると私は確信しています。よく注意して育てなさい。私にできることがあれば申し出てください。」聖マリアと聖ヨゼフは祭司に感謝し、ロウソクを何本かと他の品物を贈り、祭司は帰って行きました。

 聖マリアと聖ヨゼフは割礼の神秘を祝い、イエズスの御名を誉め、甘美なる歌を歌い、喜びの涙を流しました。御母は御子の割礼の傷に薬をつけ、痛みのある間、昼も夜も御子を抱き続けました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P144

元后の御言葉

 

 私の娘よ、御子に尽くした私を見習いなさい。汝は弱い身ながらも、熱心に、早く遅れることなく主を愛し、主に感謝し、全力を出して仕えなさい。汝が私から教わった神秘について感謝し、忘れないように。天国にいる聖人たちは生前、このような事柄にあまり注意しなかったことに驚いています。もし、聖人たちが苦痛を感じることができたら、救世の大業に注意深くなかったことを深く悲しむでしょう。まして普通の人々は、主の苦しみについて同情していません。この無関心について気がつくときどれほど悲しみ、苦しむことでしょうか?

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P145

第六章

王たちの礼拝

 

 三人の王たちが神の子を探しに来ました。パレスチナの東の国々、ペルシャ、アラビアとサバ(詩篇72・10)の王たちです。このことはダビデと、その前にバラムによって預言されています。バラムはモアブ人の王、バラクに雇われ、イスラエル人を呪うことになっていましたが、その代わりに祝福しました(民数記23・11)。バラムの何世紀か後の子孫たちがこの三人の王たちです。バラムは、ヤコブの家から起き上がる星はキリストであり、ヤコブの家を治める(ルカ1・33)と言いました。この三人の王たちは、天使から神の子についての啓示を聞きました。天使が作った良く見える星を見ました。この星は昼間でも見えました。それぞれの国から見える星に導かれて旅してくると、ある場所で三人は落ち合いました。お互いに話し合ってみると、お互いが聞いた啓示は全く同じで、神の子を拝むという熱烈な信心に燃えました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P146

 

 天の御母は信心深い熱心な王たちを待っていました。王たちが洞穴の中に入り、光り輝く御子と御母にお会いし、地面に平伏し、御子を真の神である人間、人類の救い主として崇め、拝みました。御子から新しい啓示を頂きました。王の王に仕える大勢の天使たちがいるのに気付きました。上半身を起こし、跪きの姿勢で全人類の女王を、永遠の御父の御子の御母として誉め称えました。膝で歩み寄り、御母の御手に接吻しようとしましたが、御母は御手を引っ込め、その代わり、世界の救世主の御手を差し出し、言いました、「私の霊魂は主を喜び、崇めます。諸国民から、あなたたちを主は選び、あなたたちを招いて下さったからです。大勢の王たちや預言者たちには、人となられた永遠の御言葉である主に会うという望みが叶えられなかったのです。神の神秘を成し遂げられた主の御名を誉め讃え、主のおられるこの地を接吻しましょう。」この言葉を聞き、王たちは御子を伏し拝み、正義の太陽なる御子が闇を照らすために来られた(マラキ4・2)時に生きていることを感謝しました。聖ヨゼフに向かい、神の御母の夫に選ばれた幸運を祝いました。その後、エルサレムの宿舎に行き、自分たちの見聞きしたことを話し合いました。「神の全能の偉大さが世間に知られず、清貧の中に隠されている! この謙遜は人間には想像もできない! これを見る幸運を掴むため、あらゆる人たちが来るであろう!」王たちは聖家族の貧乏ぶりを思い出し、贈り物を召し使いたちに送らせました。これは自分たちの国から用意してきた物の他に、旅で買った物です。聖マリアと聖ヨゼフは贈り物をていねいに受け取り、王たちのために多くの霊的贈り物をしました。王たちからの贈り物は、貧乏人や訪問者たちに、聖マリアによって分配されることになりました。王たちはその晩は眠り、天使たちから別の道を通って帰国するように教えられました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P147

 

 翌朝、明け方、王たちは生誕の洞穴に戻り、平伏し、黄金、乳香、没薬を主に捧げました(マテオ2・11)。王たちは、神秘、信心、両親や善政の問題について御母に質問しました。御母は心の中で御子に相談し、上智の先生として王たちに教えました。教えの美しさに魅惑され、王たちはお側から離れたくありませんでしたが、天使が現れ、自国に戻る義務を諭しました。帰る前に、王たちは御母に宝石を差し上げようとしましたが、御母は、黄金、乳香と没薬だけを受け取ると言われ、王たちに、御子の産着を一枚ずつ贈りました。王たちは恭しく頂き、金と宝石の箱の中に収めました。産着から芳香が溢れ、約三マイル(約五キロ)四方に広がりましたが、不信心の人たちは嗅げませんでした。産着はそれぞれの国で大奇跡を起こすことになります。

 なお、王たちは出発に先立ち、御母がお受け取りにならなかった贈り物の代わりに、家を建てたいと申し出ました。御母は聖なる王たちの厚意を感謝し、受け取りませんでした。出立に於て、王たちは御母に、自分たちのことを覚えてくださるようにお願いし、御母の御約束を頂きました。聖ヨゼフの御約束も頂きました。御子、御母と御養父の祝福を受け、王たちの心は全く溶け出し、洞穴の中に定着してしまったようでした。王たちは泣き、悲しみながら、聖家族を後にし、天使たちに教えられたように、他の道をとり、ヘロデ王に会わなくて済みました。

 

 

アグレダのマリア/神の都市/P147

元后の御言葉

 

 私の娘よ、王たちの贈り物は素晴らしく、贈り物と一緒に捧げた愛情はもっと素晴らしいです。汝も同様の贈り物をするように。一番の贈り物は清貧です。この世の金持ちは、自分の兄弟である貧乏人にも、神にも、自分の持ち物を上げようとせず、独り占めしています。汝は、自分の生計に必要なものの一部を貧乏人に与えることができます。汝の絶え間ない献金は、愛であり黄金です。続けて祈ることは乳香です。労働と本当の自己放棄は没薬です。主に対する献げ物は、熱心に即座に捧げなさい。そのために、神の信仰と光がいつも汝の心を燃やし続けるように。