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■交信・太宰治■

 康成サマのページを、おこがましくも運営させて頂いている身にあって、太宰のことを書いて良いものかは。でも太宰も好きなんでーす。好き、なんてあまりおおっぴらには言えませぬが。そういえば、おおっぴらに「太宰を尊敬している」と言っていた人を発見した。その御方の名は「林家ペー」さん。がちょーん。それで外枠ピンクってわけじゃないですが。

 太宰は、私が文学離れをした、一番のきっかけ人物です。えへ。
 はじめて太宰を読んだのは、中学生の時、例によって教科書に掲載されていた『走れメロス』が、最初で。話の内容は、なんとなく知っていた。読んで、そのまんまだった。ので、感想を書けと言われて、困った。なーんにも、浮かばなかった。中学生だし教科書だし、どんなような感想を書けばよいかはなんとなくわかるけれど、書く気になれなかった。結局、どんなことを書いたか覚えていないけれど、とりあえず青春とか友情とかそんなことを書いてみた。そうだ、犬が、可哀想と思ったんだ。犬を蹴っちゃいけないだろうと。犬を蹴ったあたりから、なんかテンションおかしくなってるんですよね。途中までは、立派(かな?)だけど、犬を蹴ったあたりから、狂気の沙汰に、なってるように思った。「なんか、感動しなきゃいけないっぽい」っていうのが、すごい気持ち悪く。で、だからなんだ?と思った。わからなかった。それで、「文豪」と呼ばれる人の作品って全部こうなのか?と思った。で、それなら読まん!と思ってしまった。以来、太宰をはじめ、芥川も漱石も、康成サマまでも!読むことはありませんでした。どうしてくれるんだ?太宰!!

 その後、同じく教科書に載っていた中島敦の『山月記』がものすごく好きになって(クラスメイトの反応、特に男の子の反応もすごい良かった)、何回も読み返したりしてて、そろそろ文学作品いけるのかも!(文学がわかるくらい成長できたのかも!という意味です)と思い、中島敦と顔が似ていた(写真で見ると似てたのです)というだけの理由で、堀辰雄のなにかを、読んだのですが、やっぱりだめでした。以後、高校生になるまで、本を、買ったり借りたりしてまで読むなんてことはありませんでした。
 で、高校の、やっぱり教科書に載っていた、梶井基次郎の『檸檬』にいたく感動して、文庫を購入しました。こう考えてみると、教科書の影響ってすごいですね。最初に太宰の『走れメロス』を読んでいなければ、とちょっと思う今日この頃。別に『走れメロス』が悪いわけじゃないのですが、太宰一発目が『走れメロス』って。どう受け止めていいかわからないです。お寿司を初めて食べるのにいきなりカリフォルニア巻きから食べさせられても。どんなもんかわからないじゃないですか。『女生徒』とか『親友交歓』とかの方が中学生の教科書向きじゃん!なんてこんなところで力説してもしょうがないですけど。

 で、高校生になって、現代社会の先生が「太宰治の『人間失格』を本屋で手にしている人を見たら、かなり陥ってる人だと思え」のような発言をされていて、なるほど、と思ってしまい、いよいよ太宰を敬遠するようになってしまった。
 で、浪人している時だろか、『人間失格』を読むと救われる、とかそんなことを聞いて、そうかと思って、ちょっと死のうかと思っていたらしい私はやっとこさ、でも絶対死なない覚悟で『人間失格』を読んだ。ら、ほんとだ、救われた。というか死ぬ気が、うせた。でもなんかもっと、人生の教示のようなことが、書いてあって、それで救われるのかと思っていたけれど、なんだかヘラヘラ笑えて、スクワレタ。涙が出た。似たようなこと抱えてる人が結構いることを、私はそれまで知らなかった。太宰は血祭りに自ら上がってしまったみたい。太宰は人間的な、ヒユーマニチーなキリストだ。(いろんな意味で。というか諧謔的に)私にとっては、ある意味十字架。と、いうのは冗談でってことにしつつ。えへ。ぐるぐる。はぁ。

 で、『人間失格』を読んで、やっとこさ、『走れメロス』を受け入れる事ができました。怒られるかもしれないけれど、『走れメロス』は笑うところだ、と思えて。かっこ良すぎて笑える。小林旭さんとかトウキョウNO.1ソウルセットとか杉良の「ポリスメン」とか、かっこ良すぎるものって笑えてしまって。バカにしてるわけではけしてなく、むしろ圧倒的に憧れなんですけど。

 高校生は『人間失格』をきっと読むべきだ。グルグルを抱えてる人はきっと、救われるはずだ。太宰をわかるのは俺だけだーとか、思っちゃったらきっと逆効果だけれど。みんな死にたいし、みんな生きたいのだ。4回(でしたっけ?)も心中やら自殺やらを繰り返した、太宰はすごいよ。七転び八起きだよ。七転八倒だよ。はちゃめちゃだよ。あばれハッチャクだよ。もうずーっと、千年くらい、心中しちゃあ、生きかえって、作品書いたり、というか、生活をしていてほしかった。生きていてほしかったな。そうか、作品の中に生きているのか。文学ってスバラシイ!にゃんて。テンションおかしくなってしまいました。ごめんね、太宰。

 ところで、デニス・キ―ンさんとおっしゃる(ドナルド・キ―ンさんではないですよ)、一部の外国人の方が日本をどう受けとめているのかが、よくわかる、日本文学者(なのでせうか)の方が、いらっしゃいますが、その方が著書の中で「太宰はポップシンガーだ」と書いてらっしゃいます。なるほど、と思ったのですが、よく読んでみると、太宰の文学性は一応、まぁ認めるといった程度に認めていらっしゃるようなのですが、太宰が今でも、特に女子大生に人気があるのは、その美貌のためだ、と。なので太宰が何を書いていようともてはやすのだ、と。で、このことが日本の文壇状況を端的に表している、と、日本において文学者は顔が命だーっというような意味のことが書いてありました。オーマイゴッ!太宰の顔が好きで、その付属品として作品が好きなんだ、とお?と、ちょっと怒りに震えました。太宰に失礼だ。太宰の顔なんか好きじゃないわよ!(こっちの方がよっぽど失礼かもしれない)でもそれだけ、太宰はアメリカの方々に受け入れられないってことなのでせうか。誤解、されてる、のかな、可哀相な太宰。でも私が太宰なら、顔を誉められてちょっとうれしいかもな。えへ。ちょっとよかったね、太宰。

 すごいおかしなテンションになっちゃった。それだけ太宰が好きってことで許してください。えへ。それにしても私のワード、「だざい」と打つと「堕罪」とか「堕剤」とかと変換されてしまう。堕剤なんて言葉あるのでせうか。なんかやばげな薬っぽい。

 というわけで、大変失礼いたしました。

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