魔 導 学 院 物 語
〜微笑みの三日間〜

第三章 強者の侮蔑


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「正気なんですか! 先生!!」

 それは明らかに怒気を含んだ声だった。ガラフのその怒鳴り声に、クリフは意外そうに、目をそれまで読んでいた本から彼の顔へと移した。顔を見るとやはり彼は怒っている。

 生徒達が大講義室でパーティーを構成しているとき、クリフ、サフィア、ガラフの三人はクリフの部屋にいたのだ。そして集合した途端、ガラフが突然クリフに向かって怒鳴り出したのだ。

「何を怒っている?」

「試合のことです!!」

 やはりクリフには意外だった。サフィアが怒っているいるというのなら理解はできる。彼女は試合には反対だったし、彼女の真面目さを考えれば、それは特に意外な事ではない。だがそれがガラフとなると少し違和感があるのだ。

「お前、試合のことについて大して反応見せてなかっただろう?」

 違和感の正体の一つはそれだ。サフィアは必至で試合を止めようとしていたが、ガラフはあまり気にはしていなかったはずだ。サフィアに怒鳴られるのなら解るが、彼に怒鳴られるのはやはり納得がいかない。

 その場にいるサフィアが目を丸くしていることからも、それは伺える。

 だがその答えはすぐに彼の口から飛び出した。

「ネルス=パッカードまで参加するとなると話は別ですっ!!」

 それはあまりに単純な答えだった。つまりは――

「なんだ、怖じ気づいたのか」

 何気なく言ったその言葉に、ガラフはかぁっと顔を赤く染める。ガラフは何か言葉を吐こうとするが、一度言葉を飲み込んだ後に、クリフに向かって言った。

「当然でしょう! あいつはゾーン教室の生徒ですよっ!!」

「だから?」

「バーグ教室元生徒に匹敵するあいつらに、俺達でどうにかなると思っているんですか!!」

「どうだろうな」

「――っ」

 ガラフの顔は、怒りのためさらに赤く染まる。クリフにしてみれば故意ではなかったのだが、まるでからかわれているような錯覚を彼は受けたのだ。

「はぐらかすなよっ!」

 耐えかねたのか、ガラフは敬語を使うのを止め、そう怒鳴ると、キッとクリフを睨み付けた。

「ちょ、ちょっと、ガラフ!」

 たじろぎながら、ガラフに言葉を掛けたのは、それまで黙っていたサフィアだった。彼女の黒い瞳には驚愕の色が見て取れる。それもそのはずだ。彼が怒りを露わにするのは特に意外なことではない。事実、騒動教室と呼ばれるクリフ教室の中で見ても、彼が関わった事件の回数は多い方だ。

 だが、決してガラフは単細胞馬鹿ではない。関わった回数こそ多いが、それはほとんどが種族的な天敵であるゼラとのものであるし、今回の試合の件にしても、取り乱したのはサフィアの方だったのだ。

 サフィアはクリフ教室に編入してまだ二年目であるため、彼のことを本当に良く知っている訳ではないが、今の彼が普段とは違うことくらいは解る。

「ネルス先輩が強いのは解るけど、今のあなた、普通じゃないわよ」

「お前は知らないからそんなことが言える」

「え?」

「あいつはっ、ネルスはアーバンに勝った男だぞっ!!」

「――っ」

 今度はサフィアが言葉を詰まらせる番だった。そんな話は聞いたことがない。

 バーグ教室生徒、中でもアルフレッド=グロリアス、フォールス=ウィレムス、アーバン=エーフィスの三人は、ガルシア=バーグの育てた生徒の中でも完成された技能を持った戦士達なのだ。それこそ、最上級魔導師に匹敵するほどに。いかにゾーン教室の生徒であっても、信じられることではない。

「なるほど、だから怖じ気づいたわけか」

 そう納得したように言ったのは、やはりクリフだった。怖じ気づくという言葉に抵抗があるのか、ガラフはぴくりと眉を動かす。クリフもそれに気付いたようであるが、あえてそれを無視して言葉を続けた。

「なら出なくていい。3年前の、あの程度の戦いを見た程度で怖じ気づくようなら、邪魔になるだけだ。その程度なら、俺が少し余分に働けば穴が埋まるからな」

 その言葉にガラフはギリッと歯ぎしりをすると、そのままクリフの部屋を飛び出していった。

「先生っ!! いくらなんでも酷すぎます」

 クリフがそんな言い方をするのが意外だったのだろう。サフィアは思わず師に向かって叫んだ。

「ガラフ、今凄く調子が悪くて、落ち込んでいるんですよ。今回講義に助手として参加したのだって、何でも良いから抜け出すきっかけを作りたかったからなんです」

「知ってるよ」

「なら、どうしてっ!」

 彼女の知るクリフは怠け者ではあったが、決して無闇に人を傷つけるような人間ではなかった。それどころか2年前、成績で苦しんでいた彼女に救いの手を伸ばしてくれたのは他でもないクリフだったのだ。

 学院の大半が知らないクリフを知っているからこそ、サフィアには今のクリフの言葉が信じられなかった。彼女自身、ひどく感情的になっているのを感じている。だがクリフは、落ち着いた様子で彼女に答えた。

「あいつが悩んでいるのはそれだけじゃないからさ。今のあいつに俺が言葉を掛けても、あいつはそれを拒む。俺がガゼフの友人である限りな」

「え?」

 そこでガラフの父の名が出てくるのは意外だったのだろう。サフィアは戸惑ったようにクリフを見る。だが、クリフはそれ以上は答えようとせず、サフィアに言った。

「まぁ、それで変な道に走ってもらっても困るからな。悪いが、行ってきてくれるか? 俺が行くよりもいいだろ」

 苦笑しながらそう言ったクリフに、サフィアは彼女が知る師を感じた。普段はひどく怠惰なのに、細かいところで気を遣っている。まったく損な性格だ。

(やっぱり、クリフ先生はクリフ先生よね)

 そんな変な納得をしながら、にっこりと微笑んで頷くと、彼女は急ぐようにクリフの部屋を出た。

 クリフはそれを見送ると、ゆっくりと椅子に背を預け、目を閉じて、ふぅっとため息をついた。

 しばらくそのままでいると、不意に部屋の中に人が入ってくるのを感じる。

「ミーシア、入るときはノックくらいしろよ」

 椅子から少し身体を起こし、クリフは部屋に入ってきた人間にそう声を掛けた。目を開くと、目の前には思った通りの赤い瞳の、法衣姿の少女が立っていた。クリフと同じ学院の担当教師であるミーシア=サハリンだ。

 彼女はにっこりと微笑むと、まるで悪戯っ子のような表情でクリフに言った。

「いいんですか? ガラフ、試合に出ないかもしれませんよ。ま、私はそっちでもいいですけど」

 彼女にしてみれば、それはそれで面白いという意味なのだろう。クリフはにこやかな笑みを浮かべている彼女に、あからさまに顔をしかめながら、答えた。

「そうならそうで仕方ないだろう。あいつにとってはずっと悩んできた問題だ。親の名声のせいで、自分がその子供としてしか見られない。獣人の英雄ガゼフ=ゼノグレスの息子に生まれた宿命だよ」

 それがガラフの根底にある悩みだった。ガゼフ=ゼノグレス、ガラフの父親である彼は、学院の中では能天気な実技教師と知られる男だが、獣人の中では知らぬ者がいないほど偉大な戦士だった。

 獣人の中ではそれほど血統的な力が強くない白狼族でありながら、当代最強と言われた獣人。そして龍帝の反乱以後、反乱を起こした種として、さらに強い迫害を受けた獣人を守り抜いた戦士なのだ。

「何においても出来て当たり前、出来なければ白い目で見られる。そんな中でコンプレックスを抱くなって方がおかしいだろ。しかも対象にされている父親の性格がちゃらんぽらんだから尚悪い。どうやってあれを尊敬しろって言うんだ」

 友人である男を思い出しながら、クリフは疲れたように言葉を吐いた。

「大体、あいつは人の話を聞かないし、嫌味も皮肉も通じない。俺はガラフの面倒を見るのは断ったんだぞ! それがあいつが強引に笑いながら話を押し進めやがって!!」

「愚痴になってますよ」

「愚痴りたくもなる。俺が奴の子供だったら、違う意味でコンプレックスを持つよ」

 クリフはそう言いながら苛ついたように頭をかいた。その光景を見ながら可笑しそうに微笑んでいるのミーシアが、余計にクリフの苛立ちを高める。

「笑い事じゃないぞ、まったく」

「でも、そんなガゼフ先生を気に入っているんでしょう?」

 まるでクリフの心を見透かすようにそう言ったミーシアに、クリフは言葉を詰まらせる。それを見て、ミーシアはさらに優しく微笑む。

「ガゼフ先生も、クリフのことが好きだからガラフを任せたのよ。先生、ガラフを戦士として育てたくはないんでしょう?」

「本人の希望に任せたいとは言っていた」

「きっと、クリフなら導いてくれると思ったんじゃない? もし戦士としての道を歩むのでなくても、ガラフが望んだ道を」

「いい迷惑だ」

 そう言いながらも、それほど悪くないといった様子でクリフはそっぽを向いた。それが照れている証拠だと知っているミーシアは、その子供っぽいクリフの仕草を見て、くすくすと小さく笑う。だがクリフが気にすると思ったのか、すぐに笑みを抑え、ミーシアは言葉の調子を戻し、話題を変えた。

「でも、3年前のあの試合をガラフに見せたのは失敗でしたね」

 3年前の試合、その言葉を聞いてクリフはぴくりと反応する。

「確かにな。ガラフはアーバンのことを雲の上の住人だと思っているからな。わざわざ負けると解っていた試合を見せることはなかったのかもな」

「あの頃のアーバン、一番精神的に不安定でしたからね」

「だが逆に言えば、アーバンが本調子でないことが解らなかったくらい、あいつは重傷ってことだ。いいきっかけがあれば吹っ切れるんだろうけどな」

 そう言ってクリフは窓の外を見る。戦士としての道を歩むにしろ、そうでないにしろ、抜け出させてやりたいと思う。だがそれが如何に難しいことであるかは、クリフは良く知っていた。

「血のさだめか」

 小さく呟いたその言葉は、夏の青空に吸い込まれるように消えていった。

***

 ガラフは東棟と北棟の間にある小さな庭園にいた。ベンチが3つあるだけの特徴のない庭園、魔導学院が出来て真新しい施設であることを考えると、逆に珍しい場所だ。ガラフはその中の一つに腰掛けていた。

 ここはガラフのお気に入りの場所で、あまりしられていない場所でもあるので、他に何もすることがないときはここにいるときが多かった。特に、一人になりたいときは。

 魔導学院に入ったのは別に戦士になりたかったからではない。戦士になりたいのであれば、こんな所に来なくても十分に事は足りる。

 ただ、他の獣人の目から逃れたかったのかもしれない。獣人の英雄ガゼフ、あそこにいる限り、ガラフはずっとその息子としての存在でしかなかった。初めて自分を個の存在として認めてくれたのは――

「やっぱりここにいたのね」

「サフィアか」

 相手を確認するわけでもなく、億劫そうにガラフは声の主の名を呼んだ。彼女とは同教室の同期生というだけで、それほど親しい仲でもない。だがそれでも、教室内でも孤立している彼にとっては、幾分か知った顔ではある。声を間違えるはずはない。

 ガラフは俯いていた顔をゆっくりとあげると、ようやく彼女の顔を確かめる。

「あのね、先生もそんなに悪気があった訳じゃないと思うのよ」

「解ってる。あの人は、何も見てないようで、色んなものを見ている人だよ」

 クリフを肯定するような、ガラフの一言にサフィアは一瞬驚いたような顔をする。

「お前も、だから先生の教室に入ったんだろ?」

「――うん」

 サフィアは穏やかな笑みを浮かべている自分がいることに気付いていた。彼女がクリフの教室に入ったのは、一期生だった頃に飛び級の件で悩んでいた自分に、クリフが勉強をみてくれたのがきっかけだ。

 当時からクリフの評判はいいものではなかったが、根気よく勉強に付き合ってくれたのはクリフだけだった。だからこの教室に入りたいとサフィアは思ったのである。

 そしてガラフも――

「でも、さすがに今回はな・・・・・・、相手がアーバンに勝ったような化け物を相手にする気は俺には無いよ」

「そう・・・・・・」

 残念そうな表情をするが、サフィアはそれを止める気は無かった。ネルスの強さ云々は別にしろ、今のガラフには休息が必要だと思ったのだ。この前も女創師に負け、彼は精神的にひどく疲れているのはサフィアも知っていた。

 だが――

「賢明な判断だな」

 不意に二人に声が掛けられた。ほとんど聞き覚えのない声――、初め、それが誰のものかは二人には解らなかった。しかし振り向いた二人の目に、意外な人物の姿がはいってくる。

「ゾーン、先生」

 驚愕の声で答えたのはサフィアだった。黒く長い髪、鋭い褐色の双眸、背の丈はクリフと同じくらいだろう。だがクリフとは全く異なり、ひどく強い威圧感を放っている男だ。腰に帯びている一本の刀が、それを更に研ぎ澄まされたものにしているような感覚さえある。

 ゾーン=ウィンディア、一流の魔術士であり、一流の剣士である戦士だ。何よりも、彼は魔導師としての名よりも魔物、という眷属を狩る魔物狩人としての名が知れ渡っている男である。

「どういう、意味ですか」

 ガラフはゾーンの一言に明らかな敵意を示していた。だがゾーンはそれを軽く受け流すと、淡々とした口調で彼に答えた。

「簡単なことだ。折角クリフの戦いが見られるんだ。足手まといは少ない方がいい」

「足手まといだと」

 明らかにガラフは興奮していた。彼は戦士の一族、獣人の一人だ。自信を無くし、戦いに戸惑いを感じていても、足手まといという言葉には耐えられなかった。

 だがゾーンはさらに淡々と言葉を続ける。

「何だ? お前は自分がクリフと対等な戦力を持っているとでも思っているのか? ガゼフの息子か何だかは知らないが、不愉快だな」

「親父は、関係ないだろっ!!」

 ガラフが、最も聞きたくない自分の評価を口にされ、彼の瞳には抑えることの出来ない怒りが籠もる。

「当然だ。ガゼフの強さは良く知っている。下らないことにこだわり、自分の在り方もしめせん様な下らない男とは比較にもならんよ」

「いわておけばっ!!」

 そう言葉を吐き出すとともに、ガラフの身体は淡い光に包まれる。それは半獣化という獣人が持つ能力だった。

 ガラフはその身を白い体毛に覆われた人狼に変えると、自らの右手に鋭い狼の牙の属を与える。そしてその力をもってゾーンの首を掻ききろうとするが――

「なっ――」

 ゾーンの身体が風のように速く動き、鞘に封じたままの剣がガラフを捕らえる。ガラフはすさまじい力に押し切られ、そのまま後方へ弾き飛ばされた。飛ばされたガラフの身体はベンチと衝突し、それが壊れる音が周囲に響く。

「ガラフ!!」

 サフィアは声をあげながらガラフの側に寄っていく。強い衝撃により、半獣化は解かれていたが、外傷はほとんどなかった。

 ゾーンは剣をもう一度腰に戻すと、吐き捨てるようにガラフに言った。

「はっきり言っておこう。お前の師も、父親も、お前が思っている程度の人間ではない。今のお前が、自分との比較に奴等を用いるのは不愉快だ」

 そう言ってゾーンはガラフ達に背を向ける。あまりの言い分に、サフィアが何かを言おうとするが、それを遮ったのはガラフだった。

「言いたい放題言いやがって! 上等じゃねぇか! あんたの愛弟子をぶったおして、訂正させてやる。下らない男ってやつをっ!!」

 ガラフはよろめきながらも立ち上がり、ゾーンにそう言い放った。ゾーンは振り返ることはなかった。だがそれが更にガラフの闘志に火を付けることとなったのだった。



 ガラフ達から幾分か離れたところで、ゾーンはぴたりと立ち止まる。そして誰に言うわけでもなく小さく微笑み、呟いた。

「憎まれ役までかってやったんだ。面白い戦いを期待している。ガラフ=イグレイド」

 そしてゾーンは北棟への道を進んでいった。



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