魔 導 学 院 物 語
〜微笑みの三日間〜

序章 愚者の計画


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 彼にとって、教壇に立つということは特別なことだった。

 彼自身が学校などに通った覚えはない。そんな時代だったと表現してしまえばそれまでの話なのであるが、それでも同年代の子供達のほとんどは学校に通ってはいたし、望めば、おそらく自分も学校に通うことは出来ただろう。それをしなかったのは、それ以上に彼にすべきことがあったからだ。

 そうはいっても、彼が誰の教えも請うていなかったというと、それはまた異なる話になる。彼には師と呼べる人間がいたからだ。

 本人はあえて話そうとはしなかったが、師に対する周りの人間の対応を見ていれば、彼が高名な魔術士だったということは、幼い彼にも理解することが出来た。実際、彼は五皇士と呼ばれる英雄達にも劣らないほどの名声を持っていたのだ。教壇に立つのに資格がいるとしたら、その師事を受けていた自分はそれがあるだろう。

 それはともかく――

(どうするかな)

 クリフはいつものように机の上に伏せ、朧気な意識の中でそんな事を考えていた。

 そこは学院から与えられた彼の部屋である。部屋は狭く、ひどく殺風景だ。元々が物置であったのだから、それも仕方がないことだろう。

 世界でも有数の第一級魔導師である彼の肩書きを考えれば、その部屋は明らかに不相応に違いなかった。更にいえば北側に窓があるため、日当たりすらも最悪だ。

 だがそれでもその部屋が小綺麗に見えるのは、その部屋には余計な物が置かれていないためだろう。本棚の中にぎっしりと詰められている本を除けば、本当に必要な物意外は置いていないという感じがする。

 その部屋を望んだのは、当の本人であるクリフだった。彼にとって最低限の日常品さえあれば、それほど困ることはない。必要な物があれば、向かい側の部屋にいる彼の元生徒に借りればいいのだから・・・・・・。

 そんなわけで、彼にとって不自由していない部屋の話はどうでもいいことだった。それよりも重要なことは、彼が今直面している事情についてだ。



 事の始まりは少し前のことだが、彼はふとしたきっかけで、夏休暇中に行われる特別講義の講師として依頼を受けることになった。

 依頼主は魔導学院元学院長クリーム=ヴァルギリス。魔導同盟の盟主にして、五皇士の一人に数えられた女性なのだが、借金の部分的帳消しをちらつかせるのだから、その意地の悪さは相当な物だ。

(まぁ、そんな物は今に始まった事じゃないが・・・・・・)

 それは既にもう諦めている。そんなことよりも問題なのは、講義で何をするかだ。夏休暇に行われる特別講義は教室在籍の生徒――主に中級魔導師以上が対象となっている講義だ。それなりにレベルをあげても大丈夫なのは解るが・・・・・・。

(問題は幼稚になりすぎないかだな)

 担当教師といっても、クリフは生徒達のことはほとんどクラスリーダーのアーバンと、六期生のサフィアに任せている。こまめに生徒の状態を見、二人に指示を出しているので、全くというわけではないのだが、知識ということについては彼らが何を教わっているのか全然知らないのだ。

(むぅ、どうするかな)

 伏していた身体を起こし、背筋を伸ばしながら、クリフは再び呻いた。

 別に連中の勉強になるかどうかはどうでもいいのであるが、あまりに情けない講義をして、自分の悪評を高めるのはいただけない。かといって他の教師連中に話を聞くのもひどく億劫な話だ。大半の教職員が自分をいい目で見ていないということを考えれば尚更の話である。

 そんなことを考えていると、また眠くなってくる。だがここで眠るわけにはいかないのだ。なにせ講義は明日からなのだから。

 いい加減に講義内容を提出しないと、事務部の副部長にまた怒鳴られてしまう。折角待ってもらったのだ。少しくらいは彼の血圧が上がらないように協力してあげたい。

 そんな下らないことはすぐに思い浮かぶのに、思い浮かんで欲しいことは、思い浮かばない。誰が言ったのかは忘れたが、世の中という物は理不尽なものだ。

(そういえば、前にサフィアに教えたことがあったな)

 だが下らないことを思い浮かべていたことも、全くの無駄ではなかったらしい。ふとクリフはちょっとした事を思い出していた。

 二年前の話だが、まだサフィアが自分の教室に編入する前、悩んでいたサフィアに、ちょっとした助言をしたことがあったのだ。

(二年前のサフィアってことは大体四期生が学ぶレベルの話だよな。まぁ、サフィアが悩んでたくらいだから、四期生の勉強でも結構レベルが高かったんだろうが・・・・・・。復習って意味も兼ねてそれを講義することにするか)

 あまりに適当な理屈の付け方であるが、今の彼にはこれが精一杯だった。

 悩みも解決して、すっきりしたのか、クリフは満足そうな表情を浮かべると、再び机の上に伏し、そのまま眠りにつくことにする。

 夏の蒸し暑い気温は多少鬱陶しく感じたが、そんなものは彼の眠りの欲求を妨げることは出来なかった。

 それは無理もなかったのかもしれない。何せ彼は昨日の昼、学院某事務員の観察保護の任を解かれ、それからずっと今の今まで第二研究所の手伝いをしていたのだ。昼寝が日課となっている彼にはひどく辛い難行だったに違いない。

 だが彼はこの時気付くべきだったのである。自分が予定した講義の内容に、致命的な欠点があったことに。

 しかし彼がまともな状態であったとしても、それに気付けたかどうかはまた別の話であった。

 とにかく、この選択こそが、全ての始まりであったことには違いないのであった。

 後に、翌日からの三日間は、生徒達の間でこう呼ばれるようになる。

『悪魔が微笑む三日間』と。



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