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「つまりだ。魔術っていうのは須く何かの運動事象を加速させる物であるわけだ。だから基本的に事象の減速、例えば物を凍らすことなんかは、一部の例外を除いて不可能だといわれている」 それはクリフの講義だった。<精気力学による魔術の原理>、それがその講義に付けられた名前だ。 中身を簡単に説明すると、どのような魔術が実際に使用できて、どのような魔術が使用不可能なのかを理論を用いて説明するという物だ。 如何に魔術士といえども、自分がどのような魔術を使えるのかというのは、自身で明確に解るわけではない。彼らのほとんどは、魔導器という補助的な道具を用いて魔術という事象を起こしているに過ぎないからだ。 つまり魔術士と呼ばれる人間の大半は、単純に道具を扱っているに過ぎないのである。荒っぽい言い方をすれば、術式や構成が云々という物は実際にはただの勘程度のもので充分であるのだ。少なくとも、ただ魔術を使えばいいだけの者にしてみれば。 そんなわけで、魔術士にとって理屈的にどういった魔術が使えるかというのは、非常に重要なことになる。自身がどんな手段を持っているのかというだけでなく、自分の敵になりうる魔術士の手段にもある程度の読みが可能になるからだ。 そういう訳で、実戦にも活かせるだろうという理由をも含んで、この講義を選んだのだが・・・・・・。 「すー、かー、すー、かー」 それまで黒板に文字を書いていたクリフの背後から、規則的な律調の音が聞こえてくる。それが何であるかは、クリフにはすぐに理解できた。というか間違えようがあるはずはない。 クリフは、振り向き様に、机に置いてあった白い物体を手にすると、躊躇うことなくそれを思い切り目標に向かって投げつけた。それは瞬時に加速を生むと、その目標に向かって突進していく。 目標を捕らえ損なうことなど有り得るはずがなかった。クリフの感覚はそれを捕らえていたし、何よりそれが動くはずはない。クリフが投げた白い物体――猫の置物なのだが――は目標の顔面を直撃し、同時に「ふぎゃ」っという蛙がつぶれたような声が聞こえてきた。 「ヒノクスっ!!」 若い女の声が部屋の中に響きわたった。 突然の出来事に、場の雰囲気が慌ただしい物になる。約300人いるその場の人間の中で、クリフが行った一連の動作を理解できた者はわずか数名だっただろう。 それほどクリフの動作は高速のものであったし、何より何の前触れもなく、人間に向かって物を投げつけるという、その非常識な行動を予期していた物は誰もいなかったのである。 「ってぇなっ!! 何するんだよっ!!」 目標であった少年は、目の前に転がっていた白猫を手に取ると、それをクリフに向かって投げ返した。だが置物はクリフが投げたときのような加速は生まず、悠々とそれはクリフの手に戻る。 クリフはそれを手にすると、にこやかながらも、どことなく顔を引きつらせ、すたすたとその少年の側まで歩み寄っていった。 「ヒノクス、一番前の席で昼寝とは、なかなか良い度胸しているじゃないか」 「俺もそう思う」 「やかましいわっ!!」 返ってきた少年の言葉に、クリフは先程教壇から離れる際に持ってきた黒猫の置物を彼に至近距離から投げつけた。 「ぐげっ」 またもおかしな声が部屋の中に広がるが、今度は驚く者はいなかったようだ。ただ、哀れみや、好奇の眼差しがクリフ達に注がれているのはクリフ自身感じてはいたが、それはあえて無視した。 「まぁ寝るのは、いいとしよう。別にこの講義の単位をお前が落とそうが、俺には関係ないからな」 「担当教師なんだからあると思いますけど・・・・・・」 「・・・・・・」 正論をヒノクスと良く似た顔をした少女――双子の姉のテューズにつかれ、クリフは言葉を詰まらせる。だが、とりえあえす都合が悪かったので、それも無視することにした。 「と、とにかくだっ! 寝るのなら一番後ろまで下がって静かに寝てろっ!!」 「いやだっ」 いつの間に立ち直ったのか、ヒノクスはクリフの言葉にそう返す。妙に執着する彼に、クリフは訝しげな顔を見せると、クリフが言葉を吐くよりも先に、彼はその理由を言い放った。 「だって前の方が食堂に近いっ!!」 「・・・・・・」 何故か自信たっぷりで豪語したヒノクスにクリフは絶句した。確かに夏の特別休暇は午前、午後の授業にわかれている。そして場所的に前の席の方が僅かに南棟のラウンジに近いのだ。 その理屈自体は学生身分の連中にしてみればそれほど突飛したものはない。それに、食堂の席の取り合いというのは、かなり熾烈なものだということは、クリフ自身解っているつもりだ。 ただ、それを何の悪ぶれもなく、堂々と答えたヒノクスに、クリフは呆れたのである。 「もういい。寝てていいから、寝息はたてるな」 ひどく疲れた様子でクリフはそう言うと、今更ながらこの講義を引き受けた事を後悔した。目の前にいる少年に対してもそうだが、それよりもクリフは予期していなかった事態にひどく疲れていたのだ。 (大体、何でこんなに受講者がいるんだよ) 普通、夏休暇に行われる特別講義の受講対象者は、教室――正式には専門教室という――に在籍している生徒だ。 正式運用されて4年目の魔導学院には、二千名弱、専門教室在籍者は未だ百数十名の生徒しかいない。であるにも関わらず、この場に300人前後の生徒がいるのだ。 そう、クリフは知らなかったのである。一般教室の生徒達にも、その講義を受けることが出来ることを。 今までの特別講義に、ほとんど一般教室の生徒が参加する事はなかったのを考えれば、クリフがそう間違うのも無理はないことだった。探せば、それを知らなかった教師はクリフ以外にも幾らでもいるだろう。 (だがなんで俺の講義に限って――) そう思わざるを得なかった。第一、オンリーラックと呼ばれている自分が、まともな講義をすると思われているとは、彼自身思ってはいなかったことである。事実、教室在籍生徒はわずか10名程度しかこの講義を受けていないのだ。 何故300名、近い一般教室生徒がこの場に集まったのか・・・・・・。おかしな言い分ではあるが、それがクリフには納得できなかった。 何しろ普段はあまり使わない大講堂なる部屋まで使用されているのだ。そんなことは滅多にあることではない。 だがその答えは、意外な人物の口から出た。 「でも先生。どうでもいいけどさ。この講義、ほとんど意味が解らんないんだけど」 それは、ヒノクスの一言だった。 「え? でも、基礎科目で習ったんじゃないのか?」 きょとんとしながら、クリフは黒髪の少年に向かって、そう尋ね返す。基本的に基礎科目は学院入学から2年から4年で履修することが普通である。初期から教室に在籍する生徒はそれが必須であり、実際それはヒノクスも受けていたはずだ。 「全然。そりゃ、どんな魔術が使えるとかは習ったけど、理屈は凄く難しいからって簡略された」 「え?」 その言葉は、彼にとって意外だった。何しろ、それは2年前サフィアが頭を悩ませていた内容に違いないのだ。当時の彼女はまだ一般教室の生徒であったので、それが基礎科目の内容でないはずはない。 「あの・・・・・・、先生。それ、もしかして」 混乱しているクリフに声を掛けてきたのは、赤みのかかった髪の少女だった。どことなく真面目そうな顔つきで、少し弱々しい感じがする娘だ。彼女こそがこの講義内容をクリフに尋ねた当の本人であるサフィアだ。 彼女はこの講義で、同教室の獣人の青年、ガラフと共に、クリフの助手として参加していた。彼女とガラフは既に先年、卒業に必要である特別講義は履修済みであり、ちょっとした理由もあってクリフの助手の仕事を引き受けたのだ。 サフィアは頭の良い娘だ。おそらく講義の内容をみてぴんときたのだろう。クリフがこくこくと頷くと、彼女は苦笑いをして、クリフの疑問に答えた。 「先生。あれ、私が一般教室から先生の教室にはいるためのレポートだったんです。第一級魔導師の教室にはいるには、それなりの実力が必要だって担任の先生に言われて、それでこの理論をまとめるのをやらされたんです」 「なっ」 クリフは言葉を詰まらせた。実際には、クリフが行ったこの講義の内容は、学生レベルのものではないのだ。 サフィアがそのレポートを課せられたこと自体、本当はクリフを嫌っていたサフィアの元担任が、無理難題をけしかけ、クリフの教室にだけは行かすまいとしていたためだ。 それは彼女の才能をクリフに潰されることを恐れた担任教師の危惧があったからなのだが、皮肉にもクリフの助けによってそれは脆くも打ち崩されていたのである。 「それにさぁ、ここに来ている連中が、先生にまともな授業を望んでいるわけないだろ?」 「どういう意味だ?」 怒りというよりも、純粋に疑問の念だけを抱いて、クリフはヒノクスに尋ねる。まともな授業を望んでいないのなら、何を望んでいるというのか、クリフには気になったのである。 「俺だって先生が講義するって聞いたから、何か面白いことやるのかなと思ってきたんだから。はっきり言って、ふつーの授業をやる先生なんて、先生じゃないって」 にこやかに笑いながらそう言うヒノクスに、何十人かの生徒がこくこくと頷くのがちらりと見えた。 「それに、先生がまともな授業を出来るなんて、今の今まで誰も想像していなかったでしょうね」 冷ややかな口調でそう呟いたのは、テューズの左側に座っていた褐色の肌の娘だった。度の高い、ぐりぐり眼鏡が印象的な彼女は、クリフの生徒の一人であるネレアだ。 彼女の言葉にも多くの賛同者がいたらしく、様々な場所で頷く姿が見られる。 「大体、その理論、ちゃんとあってるんですか」 これはテューズだ。それほど大きくない口をいっぱいに開けて、彼女がそう笑うと、場はどっと笑いの渦に包まれた。 そしてその中で、クリフも目を細めながらにこにこと笑っていた。初めは誰も気付かなかった。だがその笑顔が、どことなくわざとらしいものであることに、それまで笑っていた一同は気付いていく。そしてその笑顔の不気味さに、連中は徐々に沈黙していった。 「ぐげっ」 しばらくして、最後まで笑っていたヒノクスに、クリフが手に残っていた白猫の置物を投げつけたのは、そんな中でのことだ。それでも彼は微笑んでいた。 「ほう。面白いことをしない俺は、そんなにおかしいか」 どことなく重圧のかかった声で、クリフは未だ微笑みながらそう言った。 「じゃあ御期待に応えないとなぁ」 言い終わると、クリフは教壇の前に戻り、殴り書きをするように、荒々しく黒板に文字を書いていった。 <パーティー構成型戦闘における考察> 黒板にはそう書かれていた。 この時にはさすがにクリフは微笑んではおらず、講義時と同じ様な表情で淡々とそれについて説明する。 「講義を変更する。明日、明後日にわけて、俺とこの講義の助手2名を交えたパーティーと、お前らの中から代表者を選んで試合を行ってもらう」 その言葉に教室内は一瞬にしてざわつく。 試合・・・・・・、それがどれ程の意味を持つ物なのかは、学院生徒ならば皆が知っている。下手をすれば死に繋がるもの。生徒間での自覚はそれほど強くはないが、中級魔導師以上の試合となると、話は別である。 「正気ですか!!」 誰よりも先にその言葉を放ったのは助手であるはずのサフィアだった。彼女は興奮しながら、クリフの方へ歩み寄っていく。彼女が感情を剥き出しにするのは珍しい光景の一つだ。 ちなみにもう一人の助手、ガラフの方を見ると、彼の方はほとんど呆れていた。 「試合がそんなに軽々しく口にしていい言葉じゃないことは、先生だって良く知っているでしょう」 「いや、でも夏休暇中だから、担当教師の了解要らないし・・・・・・」 「そういう問題じゃないですっ!!」 「別にいいじゃない」 興奮しながら言葉を吐いていたサフィアに、そんな声が掛けられる。 「コーネリア・・・・・・」 訝しげに声の方を振り向くと、そこには自分と同期である、短い金髪の娘がいた。背はサフィアと同じくらいだろう。同い年のはずだが、どことなく大人びた雰囲気を持っている娘である。 コーネリア=ラヴェニス、それが彼女の名前だ。ミーシア教室に所属している彼女もまた、クリフを快く思っていない人間の一人である。 だがそんなことよりも、サフィアが声を曇らせたのは、彼女が苦手だったからだ。その彼女の言葉に、内心不安を覚える。 「元々どんな内容か決まってなかった講義じゃない。少なくても、一部の人間にしか理解できないような講義よりはましでしょう? ま、私はなかなか楽しめたけど」 「でも試合は・・・・・・」 得意そうにそう言ったコーネリアに、サフィアは困ったような表情で返すと、金髪の少女はむっと顔をしかめ、サフィアに言った。 「うるさいわね。そんな堅い性格だから、男の一人もできないのよ」 「なっ!」 意外な一言に、コーネリアは言葉を詰まらせる。異性に対しての冷やかしに顔が紅潮し、大きなお世話だ! と瞬時に怒りがこみ上げる。彼女はそれを吐き出そうと、空気を大きく吸い込んだ。だが―― 「講義で遅れました」 唐突に教室の扉がガラリと開き、一人の男が入ってきた。そして、その男の姿を見て、またも教室内の生徒達はざわつく。 「ネルス、パッカード・・・・・・」 そう呟いたのが誰であるかなどはは、誰も気にしなかった。それが褐色の肌の、淡々とした表情をした彼の名であることは誰もが知っていたし、彼がここにいるということは、それほど意外なことであったためだ。わずか5人しかいない、魔導学院第八期生の一人。第一級魔導師ゾーン=ウィンディアの生徒である彼がこの講義を受けているとは誰も思っていなかったのである。 出鼻をくじかれて、口をぱくぱくとさせているサフィアを余所に、クリフはにやりと不敵に微笑むと、ある種の緊張を帯びた場の中でこう言った。 「とにかく、試合は行う。形式は3対3のパーティー戦を明日、明後日にわけて2回。お前達は出場者の選出は、パーティー1つの総学年数が18を越えなければ、どういう組み合わせでも許可する。ただし同じ生徒の2度の出場は不可だ」 サフィアの口が止まっているのが好機だと感じたのだろう。クリフは休まずに続けて言葉を吐く。突然クリフが話しはじめたので、場は呆気にとられたように静まり返っていた。 「出場者6名以外の連中は、その試合を見て考察をレポート10枚以上で作成。出場者は2回のうちどちらかでも勝てば、レポートは免除。勝てなければ負けた理由についての考察を25枚以上で記述すること。もちろん内容によっては単位はやらん」 だがその言葉には一同が不満の声をあげた。しかしクリフはそれを気にする様子もなく、浮かべていたその微笑みを更に強めてこう言った。 「どうだ? 少しは刺激的に、面白くなっただろう?」 その笑みは、先程の怒りを全て皮肉に変えたような、悪魔の微笑みだった。 顔を引きつらせる生徒一同に満足したのか、クリフは表情を戻すと、淡々とした口調で言葉を続ける。 「それじゃ、ここらで午前の講義は終了する。午後には黒板に大体の内容を記しておくから、午後の講義はお前らで勝手に面子を決めてくれ。それじゃ、以上!!」 それだけ言うと、クリフは持っていた数冊の本をまとめ、教室を出ていった。
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