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(疲れた――) 強い虚脱感をサフィアは感じていた。正直これほど疲れたのは初めてのことかも知れない。気が張りつめていた間は、それほど苦にはならなかったことだが、ベッドに寝転がると同時にそれは襲ってきた。 (結局ガラフは妙にやる気になるし……、心配した私が馬鹿みたいじゃない……。先生にも相談できなかったし……) そんな愚痴も言いたくなる。振り回されるのはいつもサフィアだ。クリフの師事を受けようとクリフの教室に入ったものの、待っていたのは何故かネレアとテューズ、二人の面倒を見ることだけだ。そしてクリフ教室の生徒に振り回される。そんな毎日だ。 (でも――) それを楽しんでいる自分がいるのにサフィアは気付いていた。普通では味わうことのできない高揚感とでもいうのだろうか。忙しい反面、その中で多くの物を見つけることが出来るのだ。 (先生になりたい) いつしか、そう思うようにさえなっていた。理由の一つは先程の高揚感だろう。自分というものが試せる空間だと言ってもいい。しかしそれよりも、彼女が望んでいることは……。 (先生みたいな教師になりたい……) 人が聞けば笑うだろう。オンリーラックと呼ばれる彼女の師……。そして、一部の教員からは厚い信頼を寄せられている人間……。前者からは侮蔑の言葉を、後者からは無理という一言を打ち付けられるのは解っている。それにサフィアが無理をして飛び級を重ねたのは自分を育ててくれた孤児院に恩返しをするためだ。だからサフィアは早くに学院を卒業し、学院関係の就職を得て、孤児院に仕送りをするつもりだった。 でも……、憧れはとまらない。 『じゃあ、先生の講義に助手として参加してみたら?』 悩んでいたサフィアにそう声を掛けてくれたのは、クリフの教え子だったミーシアだ。彼女とは行き違いでクリフ教室に入ったために同教室に在籍していたことはないが、クリフ教室の内情を教えてくれるなど、いろいろと相談相手になってもらっているのだ。 そして、彼女はクリフの支持者の一人でもある。そんなことがあるために気も合い、クリフに憧れているなどということも話せたのだろう。でもその彼女もサフィアの悩みの根本には答えてはくれなかった。 (結局、自分の道は自分で決めなきゃならない……。そういうことよね) そう思い、何となく吹っ切ると、サフィアは頬をぱんと叩き、意気を高める。 「風にでも当たってこよう」 日も暮れ、昼間よりは幾分か気温は低いが、夏の蒸し暑さは思考力を削ぐ。サフィアはベッドから起きあがると、気分転換にと部屋から出ていった。
「お前もしつこい男だな。決着なら3年前についているだろう」 「納得がいかないと言っている」 そこにいたのは、アーバンとネルスだった。髪の色も、瞳の色も、肌の色さえも違う二人だが、ひどく印象が重なるときがある二人でもある。 何となく気まずい雰囲気に、サフィアは何となく木陰に隠れる。その間も二人の会話は進んでいった。 「3年前、お前が勝った。それが事実だろう。負けたのならともかく、勝利して文句を言われる筋合いは無いと思うのだが」 3年前……。おそらくそれが、ガラフが言っていた試合のことなのだろう。だが話の雰囲気を読む限りでは、敗者であるアーバンよりも、勝者であるネルスの方がその試合に対して執着しているようにサフィアは感じた。 「本気で言っているのか?」 そしてサフィアの予測を肯定するかのように、ネルスは明らかにアーバンの言葉に敵意を示した。自分に向けられたものではなく、距離がかなりあるのにも関わらず、それはサフィアに凄まじい威圧を与えてくる。 (こんな人と、戦うの?) 正直、生きた心地がしなかった。ガラフが彼を恐れたのも解るような気がする。だが―― (踏みは入れない境地じゃない……) そんな感じがした。敵わないかもしれないが、少なくとも勝負にならない相手じゃない。 「あの時、俺が戦いたかったのは冷酷な刃と呼ばれたお前だ。あんな不安定な壊れきった人形ではない」 口調は先程から変わらず淡々としているが、彼が内心が穏やかでないのは見ていて解る。先程よりも、彼の威圧は重圧的になっている。だがアーバンはそれを気にすることもなく、目の前にいる彼と同様に淡々とした口調で返した。 「それでも、お前が勝ったという事実には変わりはないだろう」 「それが気に入らないといっている」 「私に一体何を期待している。試合の件ならば、私にはする理由がない。それに私達が試合をするということが、学院内にどれほどの騒ぎを起こすかくらい解っているだろう」 アーバンの言うことももっともだった。バーグ教室元生徒とゾーン教室生徒の試合……。それが実現するとすれば、おそらく先日行われたクリフとアーシアの試合よりも騒ぎになるだろう。それほど彼らの戦いは大きな意味を持っているのだ。 それを言われて、ネルスは言葉を封じられたらしかった。彼はぴくりと表情を曇らせるが、すぐに何かを思いついたように、懐から一枚の紙切れを取り出した。 「ふん、ふぬけになったものだな」 その台詞は棒読みだった。まるで何か用意された文書を読み上げるようにだ。 アーバンは訝しげな表情を浮かべるが、彼が言葉を吐く前にネルスは言葉を続けた。 「やはりクリフせんせいのもとにいるとそうなるのか。おくびょうもの……」 ネルスの台詞は最後まで続かなかった。クリフへの侮蔑の言葉が出るのと同時にアーバンが動いたのだ。 アーバンは一歩踏み出すと、ネルスに向かって物凄い早さで右脚の一蹴を放った。ネルスはそれを左腕で受け止めるが、衝撃は吸収しきれなかった。両者とも闘気能力者であり、この攻防にもそれが加えられていたが、それにはアーバンの方が分があるようだった。 「やめてっ!!」 だがさすがにその出来事には驚いたのだろう。サフィアは思わず声をあげていた。アーバンがクリフへの侮蔑に異常に反応するのはサフィアも知っている。しかしあんなあからさまな挑発に引っかかるとは思っていなかったのだ。 「サフィア=ガーランド?」 呆気にとられたようにそう言ったのはネルスだった。アーバンの方はサフィアの登場にも全く反応せず、ネルスをまるで親の仇に様に睨んでいた。 「次に同じ様な事を言ってみろ。試合などせずとも、その場で叩き殺してやる」 体勢を立て直し、アーバンは重々しい殺気と共にそう言い放った。そして身を翻し、その場を立ち去ろうと足を進める。 「ちょ、アーバン……」 いかに逆鱗に触れたとはいえ、彼の行動はあまりにも非常識すぎる。サフィアはそれを戒めようと口を開くが、意外なことにそれはネルスに邪魔をされる。そしてネルスはアーバンの後ろ姿に向かってこんな言葉を吐いた。 「アーバン、もし俺達が明後日の試合に勝ったならば、俺との試合を受けろ」 突然放たれたその言葉に、アーバンはぴたりと足を止める。 「試合に勝つ? お前如きが先生に敵うとでも思っているのか?」 アーバンが振り返ってそう答えると、ネルスは言葉を続ける。 「負ける気は無い。だが、もし負けたのならば、先程の発言については詫びよう」 その言葉にアーバンは沈黙するが、すぐにネルスの顔に視線を戻しそれに答えた。 「いいだろう。その言葉、忘れるな」 そしてそれだけを言うと、アーバンはそのまま北棟の方へと歩いていった。 「大丈夫ですか?」 アーバンが去った後、サフィアは思い出したようにネルスにそう尋ねた。あの殺人的な蹴りをくらって、無事であるとは考えにくい。事実、闘気によって防御されていたにも関わらず、ネルスの腕は内出血を起こし、ひどく腫れている。だが、彼にとってはそんなことはどうでもよかった。 「ようやく奴を引きずり出せるな」 そう言ったとき、確かにネルスは笑ったのだ。笑ったといっても、表情が微妙に変化しただけだ。しかしそれは普段ネレアが見せるような奇怪な笑みではなく、本当に嬉しそうな笑みだったのだ。 「どうして、そんなにアーバンにこだわるんです?」 それは不意に口から出た言葉だった。彼女が尋ねようと思って尋ねたものではなく、彼女の根底にあった疑問。それが思わず口に出たのだ。 慌ててサフィアは言葉を訂正しようとするが、ネルスは気にした様子もなく、彼女よりも先にその疑問に答えた。 「奴が強いからだ」 おそろしく単純な理由だった。 「君は何かに高揚感を感じたことはないか? 自分で自分の存在を明確に実感できる瞬間というものだ」 どきんと、サフィアの胸が鼓動する。それは彼女が悩んでいることだったからだ。 「とにかく、当面の相手は君達だ。明日、君達が負けると俺達の試合すらなくなる恐れがある。負けないでもらいたいものだな」 「え? は、はい」 突然掛けられたそんな言葉にサフィアは戸惑いながらも返事をする。それを確かめると、ネルスはもう一度だけ先程と同じ笑みを浮かべると、ひどく優しい表情でサフィアに言った。 「それと、君には妹のことで感謝をしている。あんな小難しいのを相手にしてくれているとな。ありがとう」 「い、いえ」 「だが、だからといって明後日の試合、手加減はせんよ。ゾーン教室、褐色の風の名にかけて勝利してみせる」 「わ、私達だって負けません」 何故か妙に対抗意識を燃やす自分に違和感を覚えつつ、サフィアはそう言った。自分の生き方を何の迷いもなく言えるネルスが羨ましかったのかもしれない。 「そうか。ならば楽しみにしている」 その言葉を最後に、ネルスも北棟の方へと歩いていった。 サフィアは、何か自分の中で変化が起こっていることに、うっすらと気付いていた。 (もう少しで、答えが出せるかも知れない) そう思いながら、彼女もまた、部屋への帰路についた。
翌日、クリフの部屋にはガラフとサフィア、そしてクリフがいた。試合は午後からだ。午前中は作戦を練るために集まったのだ。 「結局、連中のパーティーは予想通りだ。ガラフも参加することだし、戦力的には互角程度だろうな」 「教師が混じっててその言葉は情けなさ過ぎます。先生」 楽観的に語るクリフに、ガラフはそんな言葉で突っ込むが、クリフはあまり気にした様子もなく言葉を続けた。 「まぁ、とにかくだ。今日の試合はサフィアはコーネリア、ガラフはゼラをメインに担当しろ。俺はネレアを叩く」 「能力的に似通った相手と戦うわけですね」 「そうだな」 クリフの言葉に、二人はこくりと頷く。どちらとも彼らにとっては互角の能力者だ。つまり試合の鍵を握るのは、クリフの支援によるところが大きくなる。 「俺達の目的は連携を重点とした戦いに持ち込むことだ。連携はパーティー戦の醍醐味だからな。でだ、指揮はサフィア、お前に任せる」 「わ、私ですか?」 意外なクリフの言葉に、サフィアは驚愕の眼差しをクリフに向ける。だがやはりクリフは気にせず、それに説明を加えた。 「ネレアは俺に似て、まぁ、なんというか、策謀が上手いというか……」 「ねじ曲がったような、非常識であくどい、卑劣な手段が得意、ですね」 「……うるさいガラフ。とにかく、食わせ者だから、俺もあいつの動きに集中したい。それに、連中のブレーンはおそらく彼女が務めるだろうからな」 「ですね……」 それに対しては皆が納得していたことだった。コーネリアは間違いなくサフィアと同じ質の能力者だ。実際に攻防に関わる能力者ではなく、集団をまとめあげる能力を有した戦士。それが彼女たちだ。 「相手が使うであろう戦略を、そのまま使わせてもらう。問題は、ネレアの奇策がどう動くかだ。サルビア教室時代からの連携技術を削ってまでネレアが出るんだ。ある程度の覚悟はしておいた方がいいからな」 「変な薬、使ってこないといいですがね」 「確かにそれは嫌だな」 何気なくガラフが言ったその言葉に、クリフも苦笑する。 「というわけで、そろそろ会場の準備があるからな。俺は先に行っている」 「はい」 二人の返事に、クリフは頷くと、似合わない伊達眼鏡を外して、教室を出ていった。 「眼鏡を、外した……」 クリフのとった意外な行動に、二人は驚愕する。眼鏡を外すのは、クリフが真面目に力を振るうときの証拠だ。サフィアはもちろん、3年以上クリフ教室に在籍しているガラフも、それをほとんど見たことがない。 「もしかして、先生、まだ根にもってんのかな? 講義で言われた事」 「さ、さあ?」 二人が嫌な予感を覚えてる間にも時間は刻々と過ぎていく。 そして、それから数時間後、学院の昼休みを終える鐘が、学院の中に鳴り響いた。
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