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三人が聖珠闘技場の門をくぐったとき、既にそこには生徒達の姿を見ることが出来た。聖珠闘技場は楕円形の闘場に、階段式に客席が並んでいる典型的なものだ。 収容人数は二千五百人程度で、学院にある闘技場の中では最小のものではあるが、ただの講義に普通こんな大きな会場は必要としない。だがそれでもこの会場を使ったのは、今回の試合に出るのが、皆中級以上の魔導師だったという意図があったのかもしれない。 闘場の中には3人の少女が立っていた。短い金髪のコーネリアに、長身で栗毛のゼラ、そして唯一教室の違う、ぐりぐり眼鏡をかけた褐色の肌のネレアである。皆が第六級、すなわち中級以上の魔導師なのだが、彼女らの能力が通常のそれよりも高いことは言うまでもないことだ。 クリフ教室とミーシア教室……、共にバーグ教室の血脈を継ぐ教室であり、それ故かその生徒の能力は非常に高い。特に現ミーシア教室の大半は、第一級魔導師サルビア=イシュタルの生徒であった。既に彼女は学院にはいないが、その生徒達は優れた連携をとることで有名だった。 (それ故にネレアを入れたっていうのが興味があるな) クリフは手に持つ銀色の杖を肩に乗せながら、その場にいる三人を眺める。単純な能力では、確かにもう一人のサルビア教室元生徒であるエレンよりも、ネレアの方が上だろう。だがサルビア教室の連携精度を上回るほどの差ではない。 (まぁ、何をする気かはしらんが、楽しませてもらうか) そんな事を思いながら、とんとんと杖で肩を叩く。そして杖をぶんっと振ると、彼の両脇にいる二人に向かって彼は言った。 「それじゃ、いくか」 二人が頷くのを確かめて、クリフは闘技場の門をくぐる。すると、闘技場の中は一斉に歓声につつまれた。 「おい」 その歓声に、クリフの表情は一気に強ばる。その理由を理解しているのか、サフィアは苦笑を浮かべ、ガラフは呆れたようにため息をついた。その歓声は、明らかに300人程度のものではなかったのである。眺めると、そこには約3倍以上の観客がいる。 「どこの馬鹿だ? 試合の話を広めたのは?」 「多分、受講生徒の口コミだと思いますけど……」 観客を眺めながら、冷静にサフィアがそう呟いた。おそらくは彼女の言うとおりだろう。だが、それにしても、その観客の中に教師までいるのはどうかと思う。 「もし、この試合が夏休暇中じゃなかったらもっと集まったでしょうね」 恐ろしいことを言うガラフを、じろっと睨むと、クリフは面倒くさそうに左手で頭を掻きながら諦めたようにため息を吐いた。 「ま、諦めて下さい。俺だってこんな見せ物みたいなのは好きじゃないけど、講義なんですから」 「大体、観客に制限を加えなかったのは先生でしょう? やる気を出したときくらい、もう少し気を張って下さい」 「ううっ……」 言いたい放題言われ、クリフは呻くが、二人は気にした様子もなく闘場の中央へと歩いていく。思いやりのない自分の生徒をじと目で睨みつつ、クリフもその後を追った。
だがその観客席の中で一部だけ、異質な空気を放っている場所があった。ネルス=パッカードの周囲である。一般の生徒は、その雰囲気に気圧され、その周囲に近づくことは出来ないでいた。 だがそれも仕方がないだろう。彼の側には、次の試合の味方であるテューズ、ヒノクス姉弟の他に、バーグ教室元生徒であるアーシアとラーシェルの姿もあったのだ。 「ああっ、悔しいっ!!」 「どうしたんです、アーシア先輩」 多少荒れた様子のアーシアに、不思議そうにテューズが声を掛ける。するとアーシアは不機嫌そうな表情のまま、彼女に答えた。 「こぉんな面白そうなことするんなら、私も講義を受けるんだったって思ってるわけよ」 本気で悔しそうなアーシアを見て、テューズは思わず苦笑した。赤い瞳をきらきらと輝かせながらそう言う彼女はまるで子供だ。夏休暇が始まる少し前、クリフに敵対していた頃には考えられなかったことである。 「どーでもいいけど、講義の履修申請期間は、お前が先生と試合をする前におわってたんだけど……」 そんなアーシアに、軽い突っ込みをいれたのは栗毛の少年ラーシェルだった。彼の言葉を聞くと、アーシアはふんっと鼻を鳴らし、それに答える。 「先生が講義するって知ったのが、実家に帰った後だったの。やろうと思えば助手として参加できたわよ!」 「足引っ張るのがおちじゃねーの?」 「俺もそう思う」 「うるさいわね!!」 あからさまにからかうラーシェルと、奇妙な連携を見せるヒノクスに、アーシアは顔を紅潮させながら怒鳴りつける。だがアーシアはふと自分たちを見ているネルスの視線に気付き、にやりと不敵な笑みを浮かべ、彼に言った。 「助手として参加できれば、あんたとも戦えたのにね」 ガルシア教室とゾーン教室、片方は既に解体はしているが、お互い学院設立以前に設立した教室として、それなりの感慨というものはどちらにも存在する。ネルスの、アーバンに対するそれとまではいかないが、アーシアも少なからず、ゾーン教室の生徒と戦ってみたいとは思っていたのである。 だが、これまでゾーンの『今の君と戦わせるつもりはない』という一言によって、それが実現することはなかったのだ。しかし―― 「そうだな、今のお前となら、面白い試合ができそうだ」 ネルスは迷うことなくそう言った。そうもあっさりと言われると、逆にアーシアの方が戸惑ってしまう。だが彼女も解っていた。前と今の自分、その二つの違いを明確に理解しているのは、他ならない彼女自身なのだ。 「まぁ、楽しみにしているわ。それよりも、今はこっちよね」 そう言ってアーシアは闘場の方へと目を戻した。そこでは多くの人間が見守る中、今まさに試合が始まろうとしていた。
暑くはないのだろうかとクリフはふと思うが、とりあえずその考えは横に置いておくことにした。試合がもうすぐ始まる。そうなるとクリフは他のことに気を回さなければならない。それはある意味、目の前の連中との戦いよりも難しいものだ。 (前のアーシアとの時は、危うく出るところだったからな) そんなことを思いながら、クリフは手に持った杖を握りしめる。手に汗が滲んでいるのが解ったが、それを気にするよりも先に、フォールスにより試合の開始の号令が成されていた。そして戦いは始まった。
「魔奏散走迅!」 試合の開始とともに、ネレアの声が試合会場に響いた。彼女は試合が始まるとすぐに、着ていたローブの下から、十数枚の符を取り出すと、それをクリフ達に向かって投げつけたのだ。 放たれた符は、まるでネレアの声に反応するかのように突然淡い光を放ち始めると、凄まじい加速によってクリフ達に襲いかかってきた。 (魔奏流魔導符術か!) クリフは迫ってくる十数枚の符を目の前に、ひどく冷静に思考を巡らせていた。確かにネレアの放ったそれは、大した威力を持つ攻撃だ。魔奏流魔導符術といえば、声によって始動する符術の一つで、かなり名の通った術である。 だが使い手が異なれば、当然の事ながらその精度、威力は共に差が生まれる。確かにネレアは高い魔導技能の持ち主ではあるが、所詮は第五級魔導師だ。クリフや、助手の二人にどうにかできないレベルではない。 三人は難なくそれを避けると、相手を確認するべく、視線を彼女らに向けた。見ると、コーネリアが何か呟いているのが見える。そして同時に彼女の周りには精気が収束していくのが解った。 「セイントマーク!」 刹那、彼女の右手から一筋の閃光が放たれた。それはクリフに向けられたものだ。だが最初の一撃により距離もそれなりに出来ている。クリフはそれを再び難なくかした。 しかしクリフはその中で何気なく違和感を感じていた。あまりに攻撃が単調すぎるのだ。それは連携というには、あまりにも稚拙なものだ。仮にもサルビア教室の生徒が加わっているというのに、それはひどくわざとらしいとクリフは感じたのである。そして、彼のその予測は正確に的を得ていた。 「魔奏籠縛陣」 再びネレアの声が闘場に響く。そして同時にクリフが立っている地面が、突然目映い光を放ち始めたのだ。それが何であるか、クリフは理解していた。知らないはずはない。何しろ、彼女に魔奏流魔導符術の本を与えたのはクリフなのだから。 クリフの目の前には、瞬時に淡い光を放つ籠が出来上がっていた。籠縛陣、その名の通り、籠に似た結界を生じさせるための術である。試したことがある術なので、それがどのようなものであるかも、クリフは理解していた。 (地面に特定の配列で護符を並べることによって構成される、魔奏流でもトップクラスの束縛術……。魔奏流は全て音声が発動条件になっているから、発動した理由は解る……) 妙に冷静に、自分の置かれている状況を分析する。大抵のことは瞬時に理解できたが、一つだけ納得いかない事がクリフにはあった。 「おい、何でここに符が敷かれているんだ?」 「試合前に仕込んでおいたからにきまっているじゃないですか。試合前の仕込みが駄目とはいわれていませんよね?」 まるで世間話である。ネレアの背後では他の四人が戦っている姿が見えるが、かなり距離があるので、すぐにこちらに影響が及ぶということはないだろう。それよりも問題は、ネレアのとった行動である。確かに仕込みを制限した覚えはない。だが―― 「まさか、仕込んだ場所まで同じとはなぁ」 「え?」 「魔奏籠縛陣」 クリフが投げやりで呟いた言葉に、今度はネレアが立っていた地面が反応する。後はクリフの時と同じ状況が展開するのみだった。光の檻がネレアの前にも出現した。 「…………」 「…………」 符術はその符の枚数によって持続性と効果が決定することが多い。おそらく、クリフもネレアも相手の力を見越した程度の枚数は仕込んでいるだろう。ということは、その結界の効果が切れるか、結界を構成する術式を解除しなければならないのであるが、それは期待するだけ無理だろう。 結局――、クリフとネレアは、観客の呆れた眼差しを受けたまま、光の籠の中に捕らわれることになったのだった。
ひゅん、という風切り音をたてながら、少女の一蹴が空を切った。ゼラ=イクシュリ、黒虎族という獣人種族の末裔であり、ミーシア教室で唯一の闘気使いの少女である。彼女の蹴りは確実にガラフを捕らえるが、ガラフは左腕をたてて、その蹴りを受け止める。 「なめるなっ」 ガラフはその衝撃に耐えきると、右腕に力を込めた。淡い光が彼の右腕を包み込む。闘気という力である。手法によっても違うが、それは凄まじい力を生むことが多い。そしてガラフが右腕に込めたそれも、明らかに強力な破壊力を生じさせるものだった。 右肩を後ろに引き、ガラフは攻撃に備える。相手を捕らえられるかは五分五分のタイミングである。だがそれはゼラの後ろから迫ってくる閃光によって阻止された。 「ちっ」 攻撃に対する反応が遅れたことに、ガラフは思わず舌打ちをする。ゼラの身体によって遮られ、直前までそれが迫ってきた事に気付かなかったのだ。避けることの出来る間合いではない。ガラフは直撃を覚悟した。が―― 「光の子らよ!」 強い意志が込められた声と共に、ガラフの背後で精気が収束していくのが解る。 「ライトカーテン!」 薄い光の幕がガラフの前に展開する。それがサフィアが発動させた魔術であることをガラフは理解する。だがそれを気にするよりも先に、彼には次の攻撃が迫っていた。態勢を立て直したゼラの拳が迫ってきていたのである。 闘気が込められた彼女の一撃を止められるほどの能力は、目の前に展開している光の壁にはない。だがそれによって僅かなタイムラグは生まれるはずだ。ガラフはそれを見越し、とにかく体勢を立て直す。そして生じたその一瞬の刹那の間に、ガラフは再び防御態勢に入った。 まるで鈍器で殴られたかのような衝撃がガラフを襲う。もし拳を受け止めた腕に闘気を込めていなければ、それは難なく折られていただろう。ガラフは凄まじい衝撃に後ずさりながらも、サフィアに視線を送った。そしてサフィアも彼の意図をくみ取ったようで、こくりと頷く。 二人はコーネリア、ゼラとの距離をとると、それぞれ別方向に駆け出す。お互いの実力が伯仲している以上、連携で遅れをとるサフィアとガラフでは、正攻法では敵わないと踏んだのだ。分散して片方に集中したところを挟み撃ちに、もしくは一対一の戦いに持ち込めることが出来たのなら、能力は伯仲する。そう考えたのである。 だがそれはコーネリアとゼラが望んだ展開でもあった。彼女たちの打ち合わせにおいての戦いの展開、それはネレアがクリフを抑え、コーネリアとサフィア、ゼラとガラフの一騎打ちを仕掛けるというものだった。相手がこちらの連携を警戒する以上、その展開には持ち込めるはずだった。たとえそれが自分たちに劣勢になろうとも、彼女たちにはそれをする理由があったのだ。 そしてコーネリアはサフィアに、ゼラはガラフの後を追った。
予測の範疇にあった展開の一つではあった。だが、彼女たちがそれを選択するとはサフィアは思ってはいなかったのだ。コーネリア達が選んだのは、一対一の戦いだった。だがそれは彼女たちの高い連携能力を無視したものだ。予測の範疇にはあったが、正気とは思えない。 「何? 一対一では私達は貴女達に敵わないとでも言いたいわけ?」 ひどく敵対的な口調で、コーネリアはサフィアにそう言った。サフィアにはそんな気は毛頭ない。確かに単純なデータでは、サフィアもガラフも、それぞれコーネリア、ゼラに勝ってはいる。だがその実力が伯仲しており、そしてほとんど同質であるのも確かだ。結果は運による……、としか言いようがない。 「貴女、教師になるかどうか、迷っているんですって?」 突然、コーネリアは試合とは関係ないであろうそんな言葉をサフィアに投げかける。 「な、なによ、突然」 「エレンが貴女とミーシア先生が話しているのを聞いていたのよ」 「だからどうだって言うの!」 最初は戸惑ったものの、サフィアは敵意を込めた口調でそう答えた。そんなことはコーネリアにどうこう言われることでもないし、それをを今持ち出す彼女の非常識さも信じられなかったのだ。だが―― 「勝ち逃げなんて許さない……」 コーネリアが口にした言葉の意味は、サフィアには解らなかった。だが確かなのは、コーネリアを取り巻く精気の流れが早くなっていると言うことである。精気は感情に左右されやすい媒体である。つまり――、それは彼女の感情が高まっていっていることの証明であった。 「来なさい、炎の槍」 そしてコーネリアは突然攻撃態勢に入る。サフィアは驚きながら、守護系の魔術を構成する。 「ファイアランス!」 「ライトカーテン!」 二人の魔術が発動するのはほぼ同時だった。一瞬の後に、場に爆炎が巻き起こる。そしてその炎が消えた後、コーネリアはサフィアに突撃をかけていた。 「ずっと屈辱だったわ。一般教室だった貴女に毎年首位を奪われていたことが」 未熟な体術を繰り出しながら、コーネリアは彼女に向かって叫んでいた。 「このまま勝ち逃げなんて絶対に許さない。後二年、教師過程を受けなさい」 「な、なんで私が貴女の言い分に付き合わなきゃならないのよ!」 彼女の滅茶苦茶な言い分に戸惑いながらも、サフィアはそれに応戦する。二人とも魔導闘気という疑似闘気の技法を修得はしているものの、体術においてはほとんど素人に近い。そのために離れた所で行われているガラフとゼラの戦いのような派手さは無かったが、彼女たちの戦いには何か言葉では言い表せない緊迫感が生まれていたのだ。 「目的を持っていないような人間に、今年の首席争いで勝っても嬉しくないのよ!」 「だから私がそれに付き合う義理はないって言ってるのよ!」 サフィアはコーネリアとの間合いをとると、魔術の構成に入る。だがコーネリアはそれを許さなかった。 「なら、貴女はそれで良いわけ? 何かに縛られて、やりたいことも充分に出来ない、私はそんなのは絶対に認めない」 特に認められたいとは思わない。だが、彼女の言葉はサフィアの心の中で眠っていた何かを穿った。魔術の術式が狂ったのが解った。そしてその間にコーネリアの魔術は完成していたのだ。 「セイントマークっ」 一筋の閃光がサフィアの頬をかすめる。そこから血がにじみ出し、サフィアの頬を伝った。だがそれよりも、サフィアは彼女の中で目覚めた何かに、気を取られていたのだ。ようやく、決心が付いたような気がした。 「…………。さっきから好きな事ばっかり言って……」 俯きながら、絞り出すようにサフィアがコーネリアにそんな言葉を投げかける。 「冗談じゃないわっ! 貴女なんかに、意地でも負けるもんですかっ!」 そして顔を上げて、彼女にそう言い放つと、サフィアは笑った。そしてそれを見てコーネリアの表情にも、笑みが浮かぶ。 「そうでなきゃ、面白くないわ」 コーネリアがそう言うのと、二人の戦いが再開するのは同時だった。 正直、何が変わったのかはサフィアにもまだ良く解らなかった。だがそれは確かに律動し始めていたのだ。そして、それがサフィアが教師になることを決意した瞬間でもあった。
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