魔 導 学 院 物 語
〜微笑みの三日間〜

第六章 初戦の行方


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「どっちが優勢だと思います?」

「ん? 今のところは互角ってところじゃないのか?」

 それは何の変哲もない会話だった。クリフ達の目の前では、クリフ、ミーシア両教室の4人の生徒達が、熾烈な戦いを繰り広げていた。そんな中での会話なので、特に変わった会話ではないだろう。

 ただし、それは彼らが暢気にも光の籠の中でくつろいでいることを除けばの話である。この戦いには彼らも参加しているはずなのだ。であるにも関わらず、彼らは悠々とお互いが作り出した結界の中で暢気に一同の試合を観戦していた。

「だが一対一の戦いに持ち込むとは思わなかったな。もちろん、お前も含めてだ」

 それは率直な意見だった。コーネリアとゼラが、サフィアとガラフによく突っかかっているのは良く知っていたし、ネレアが自分のあくどい手を真似したがっていたのも解っていた。

 だが賢明なコーネリアが、敗北の可能性を強めるような手段に出るとは思っていなかったし、ネレアがまさか化かし合いで自分に挑んで来るとも思っていなかったのである。

「元々、それが目的でしたから」

「目的?」

「そうです。一対一の戦いになると確かに私達のリスクの方が大きくなりますけど、それぞれに戦い相手がいたということですよ」

「で、お前が連中をそそのかして、本気にさせたわけだ」

 クリフの言葉に、ネレアは意外な物を見るような眼差しを返す。

「酷い言われ様ですね。私はただあの二人の願望を叶える手伝いをしただけですよ。もっとも」

 そして彼女はふっと鼻で小さく笑うと、言葉を続けた

「先生にこれを仕掛けるために邪魔者を排除したかった、というのはありますがね」

「同教室の先輩を邪魔者か……。相変わらず良い度胸してるな……」

「自称先生の愛弟子ですから」

「…………」

 さすがにこれ以上口論をしても意味がないと思い、そのままクリフは口を噤んだ。だがふと小さな疑問が彼の脳裏を横切った。

「ところで……、これを発動させるための魔奏符はどうやって手に入れたんだ?」

 クリフの疑問は目の前の光の籠を発動させるには、ひどく入手困難な符をかなり多く入手しなければならないということだ。

 クリフの場合、それはフォールスの研究所で作られた物を、余分に製作したからとわけてもらった物なのだが、近寄りがたい雰囲気を持つネレアにそれだけの人脈があるとは思えない。だが、彼女の答えはクリフには意外なものだった。

「ラーシェル先輩の人脈を通じて、フォールス先生に作ってもらったんです。ほら、ラーシェル先輩も符術使いじゃないですか。その繋がりで先輩からは色々と物を卸してもらっているんですよ」

 彼女の答えにクリフは顔を思わず顔しかめた。何しろクリフがフォールスの研究室で徹夜をする羽目になったのは、その符を作るためだったのだから。つまりは――

「あの面倒な仕事はお前のせいか!!」

 クリフが講義の内容を申請する前夜、疲れ果てる原因を作ったのは彼女だということになるのである。あの仕事が突然入らなければ、クリフはフォールスに呼び出されることはなく、講義の内容を煮詰められたといっても過言ではなかったのだ。

「だって、ラーシェル先輩が今なら良い物を仕入れられるって言ったから……」

 その言葉を聞いて、クリフは観客席にいるラーシェルを睨み付ける。もちろん遠く離れた場所から睨まれても当人が気付くわけはないのだが、何となく彼がそのとき異常な寒気を感じたというのは、どうでもいい話だ。

「まぁ、いいさ。お陰でこうやって試合ものうのうと見ていられるしな」

「それでこそ先生です」

 どの辺がそれでこそなのかひどく気になったが、何となくその内容と、尋ねた場合の結果が見て取れたので、クリフはそれ以上追求するのをやめた。

 彼らがそんな会話をしている間に、生徒達の戦いは終盤を迎えていた。



 ドガァッという破壊音とともに、闘場の床石が激しく削られる。学院の闘技場の床石は、その戦闘の過酷さに備え、かなりの強度を持っているはずなのだが、それも彼にはあまり関係のないことだったのだ。

 床石を削ったのは白い人狼の姿に姿を変えたガラフだった。半獣化、人に獣の属を授ける、獣人特有の能力である。その能力の加護によりガラフの右手には凄まじい破壊力が籠もっていたのである。

「くっ」

 彼と戦っていたのは、黒い虎の姿をした少女だった。こちらも体格は人間のままだが、上に尖った耳、素肌を覆う黒い毛並み、それらは明らかにその姿は獣を彷彿させる物だった。

「ゼラ、悪いが今日はお前に付き合ってられないんだよ!!」

 そんな言葉を吐きながら、ガラフは果敢に黒虎の獣人――ゼラを攻め続ける。その光景は普段の彼らを知る者はおろか、ゼラ自身にも意外なものだった。

(何でこんなに強いの?)

 半獣化し、特出した身体能力で何とかかわしてはいるものの、ガラフの攻撃はゼラの知るそれではなかったのだ。

 確かにガラフの方が学院に在籍している時間は一年多く、先輩と呼ばれる立場にはいる。だが、彼はクリフからほとんど教えを受けていないはずなのであり、さらに彼の属する白狼族は、ゼラが属する黒虎族よりも明らかに種としての能力は劣るはずなのだ。

 何よりも、先日学院で乱闘を起こしたときには、互角どころかゼラの方が幾分か押している状態であった。それがたった一、二ヶ月でこうも大きな差がつくとはゼラには考えられなかった。考えられるとすれば――

(今まで、本気を出してなかった?)

 怒りという感情が湧き起こってくるのをゼラは明確に感じていた。そして彼女の推測はガラフが吐いた言葉によって確信に変わった。

「お前如きに手こずっているようじゃ、あの野郎には勝てないんだよ!!」

 本人にはゼラが感じたほどの意味は込められていなかったのだろう。ただ戦いに熱くなり、言葉が乱雑になったという方が正確かもしれない。だがそういう状況だからこそ、ガラフは本心を口にしてしまったのである。

 突然ぴたりとゼラの動きが止まる。戦闘中に動きを止めるということは最大の愚行の一つである。何らかの行動を起こすための静止というのもあるが、こうも攻められている状態でそれをするのは愚の骨頂というものだ。致命的な攻撃を喰らってもおかしくはない。

 だがゼラの異常な行為に、ガラフもまた瞬間判断を鈍らせていた。彼も動きを止めたのだ。先程クリフが仕掛けに引っかかったというのも、その要因にはあったのだろう。ネレアが彼女たちに加担している以上、どんな姑息な手があってもおかしくはない。それに、ガラフはゼラを円形の白線の前まで追いつめているのだ。そう急くことはない。

 だが彼女が止まった理由はそんなことではなかった。止まらなければ、感情が処理できなかったのだ。

「じゃあ、なに? 今まで追いつけたと思って喜んでた私を見て嘲笑ってたわけ?」

 それは呟くような口調で、ガラフにはほとんど聞こえなかった。だが、その言葉を吐いたと同時に、彼女の周りに異常な程の精気が収束していくのがガラフにも解った。

「うわぁぁぁっ!!」

 ゼラのそんなかけ声と共に、彼女は凄まじい瞬発力でガラフに攻撃を仕掛けた。その動きは先程の彼女よりも速いものだった。明らかに力が上昇していることが見て取れる。だが……

(対応できない速さじゃない)

 それがガラフの出した結論だった。確かに黒虎族は白狼族よりも高い能力をもった血族ではある。だが黒虎の能力は森などの障害物が多い地で最も大きな力が誇示されるのだ。何の変哲もない、円形のフィールドの中ではその特性は薄れてしまったのである。

「咬み切られろ!!」

 その言葉とともに、ガラフの右腕には淡い光が灯る。言葉にそれほどの意味はない。だが彼らは強く自らの種族の特長をイメージすることで、その特長を能力として発動させることができるのである。ガラフの場合、右手に狼の顎の力を宿したのだ。

 ガラフはその右手の指に宿した五本の牙によって、狼がそうするように、ゼラの首を食いちぎろうとする。無論それは相手に致命傷を与える可能性すらある一撃だ。だがこの時のガラフにはそれほどの余裕はなかったし、本気で殺らなければ自分が殺されるという確信が、漠然とではあるがあったのだ。

 そして、観客一同が息を呑む最中、その場では誰も予測しなかったことが起こった。ゼラが突き出したガラフの腕を支点にして跳んだのだ。

 ゼラの脚は弧を描き、約一回転したところで地面を踏みしめる。ゼラはガラフの攻撃を読み、全ての集中力をここに集結させていたのだ。突撃はその伏線に過ぎなかったのである。認めたくはなかったが、自分の今の力ではガラフに勝てないことを彼女は悟っていたのである。

 背後にまわられたガラフは、舌打ちをしながら相手を視界の範囲に捕らえるべく、素早くきびすを返す。だがその僅かな時間の間にゼラは次の攻撃に移っていた。残る全力を以ての体当たり、それが彼女が選んだ最後の一撃だった。

「くそぉっ!!」

 迎撃することはおろか、かわすことすらできないと悟ったガラフは、そう毒づきながら全身に闘気を巡らせ、彼女の突進に耐えようと態勢を立て直す。刹那の後、二人の肩は衝突し、力の均衡が生まれる。

 全力の体当たりと、全力の防御……、それを制したのは……、ゼラだった。

 二人は白線の外側にもつれ合うように倒れていた。僅かばかりであるがゼラの力が勝った証拠である。ガラフがもう少し早く態勢を立て直すことができ、闘気を完全に巡らせることが出来たのなら、もしかしたらそれを防ぐことは可能だったのかもしれない。だがそれに移るまでの経緯が、ガラフの力を圧倒したのである。

「ガラフ=ゼノグレス、ゼラ=イクシュリ、ともに場外により失格」

 そしてフォールスのその言葉によって、彼らの戦いは終わりを告げたのだった。

 ゼラはすくっと立ち上がると、未だ倒れているガラフを見下ろして彼に言った。

「残念だったわね。私程度に引き分けて」

 彼女の双眸には明らかに強い侮蔑が籠められていた。それは彼の裏切りに対する、彼女の怒りだったのだが、次の戦いに気がいっているガラフには、それが解らなかった。



 ガラフとゼラが引き分けたのをきっかけに、それまで座っていたクリフがすっと立ち上がった。

「意外な結果ですね」

 ネレアのそんな一言に、彼は「そうだな」とそれほどでもないように答える。

「予想の範疇にはあったようですね」

 クリフがこんな答え方をするときは、大体が状況を見過ごしていたときだ。だがクリフは「まさか」と苦笑すると、言葉を続けた。

「今回の試合に集中していなかったあの馬鹿を相手なら、ゼラのことだ。何かやってくれるとは思っていたが、まさか引き分けだとは思わなかった。お陰で俺まで予定外のことをしなきゃならなくなった」

 面倒そうにそう言ったクリフに、ネレアは不思議そうな表情をする。

「何をする気ですか? 術を解除する気はないですよ?」

 おそらく何かをする気なのだろうが、クリフの能力ではネレアの生み出した結界をどうにかできるとは、彼女は思っていない。当然である。108枚、それだけの数の符をクリフの下に仕掛けてあるのだ。予定では一日が過ぎても強度を保ち続けるだけの力はもっているはずなのだ。

 だがクリフはにぃっと笑うと、用意していた銀色の杖を両手でもち、何かを呟きはじめる。

「選定者ジュデッカよ、汝の力を以て第一の扉を開け」

 クリフのその謎の言葉をきっかけに、突然クリフの周りに凄まじい精気が収束していく。そしてネレアは見たのだ。その杖から透明な女の姿が現れるのを。

「なっ」

 滅多なことでは驚かないネレアも、一瞬自分の目を疑った。そしてネレアがもう一度それを確認しようと、また、突然の精気の収束に驚いた生徒達がクリフの方に視線を向けたときには、その女の姿はなかった。

 クリフはまるで槍を扱うように、杖を引くと、一気に籠にめがけて突きを打ち込んだ。如何に闘気使いであろうと、それをうち破るのは不可能なはずだった。それこそクレノフやガゼフ、ゾーンやミーシアのような、圧倒的な破壊力を持った攻撃を有する人間を除いては。

 だがネレアの結界は、まるで硝子が崩れるような儚い音をたてて崩れていったのだ。正直、第一級魔導師とてそうそううち崩せるものではないのにも関わらずだ。

「いいところまでいったと思ったんですけどね」

 と残念そうなネレアの呟きを聞き、クリフも苦笑して言った。

「悪いな。運だけの男の俺になら、良い線までいってたんだけどな」

 そう言って、クリフは未だ戦っているサフィアとコーネリアの方へ歩いていった。

「あとでちゃんと解放してくださいね」

 後ろから聞こえてくる『愛弟子』の声に、クリフはひらひらと右手を振って答えた。



 残る最後の戦い、サフィアとコーネリアの戦いは熾烈を極めていた。彼女らは場の精気の高まりと共に、最高潮まで自身を高めていたのである。だが――

「悪いなコーネリア」

 不意に、コーネリアの首筋に冷たい物が突きつけられる。目測はできなかったが、それは小さな刃物のようなものだとコーネリアは確信する。

「邪魔しないで下さい、先生!」

 その言葉を放ったのはコーネリアではなく、サフィアだった。普段はこれほど高揚することのない彼女であるが、好敵手と呼べる相手との戦いによって気分が高められたのだろう。もっとも、そのお陰で生徒達の注目はクリフ達から反れ、クリフは結界からでる準備をできたのであるが……

 クリフとしても、この戦いは続けさせたかったというのが本音ではあった。ここまで自身の能力を超えた戦いをできるというのは、そうそうあるものではない。確実に彼女らにとって大きな経験になることには違いがなかった。

 だがそれは同時に彼女らの命にすら関わる問題でもある。現に今、彼女らはひどく疲労しているのだ。下手に緊張が解ければ、それこそ死すら有り得るのだ。そして何よりも……。

「サフィア、悪いが俺達は明日も試合がある。俺が判断する限り、この辺りがリミットだ」

「…………」

 普段の彼女ならば、その言葉で納得するはずだった。だがサフィアは何かもどかしいような眼差しでクリフに視線を送っている。まだ続けたいという、彼女の意思の表れだ。だがクリフはそれを許さなかった。

「何もこれで終わりだというわけじゃないだろう。心の内は決まったのだろう?」

 まるで全てを理解しているような一言だった。それでも諦めきれない何かが、彼女の胸の内にはあった。だがその彼女の心境を変えたのは、意外にもコーネリアだった。

「いいじゃない。また今度やれば。もちろん一対一で。その時のセッティングは先生どうにかしてくれるみただし、それにこの状況、結構冷や汗ものなのよね」

 コーネリアにそう言われて、サフィアは彼女の喉元に突きつけれれている青い小刀を思い出す。

(状況が許している以上、この試合に固執するのは賢明とはいえないか)

 諦めたようにそう思いこむのと、コーネリアが降伏を宣言するのは、ほとんど同じだった。

 結局、ネレアも戦闘不能とみなされ、夏休暇の特別講義、二日目は幕を閉じた。



 その夜――

 ガラフはお気に入りの庭園にいた。そしてもう一人、その場には男がいたのである。ガゼフ=ゼノグレス、ガラフの父親であった。



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