魔 導 学 院 物 語
〜微笑みの三日間〜

第七章 白狼の親子


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 聖明の庭園。確かそんな名前だったとガラフは記憶している。

 そこは北棟と東棟の中間ほどにある小さな庭園で、ガラフのお気に入りというよりも、そこはクリフ教室生徒のお気に入りである場所だ。思えば、最初にクリフと出会ったのもここだったような気がする。

 ガラフはそこに父ガゼフを呼びだしていた。

「よぉ、ガキ。ゼラ坊相手にいい負けっぷりだったなぁ」

 それがガゼフの第一声だった。発言内容がひどく苛立たせるものである上に、その口調はまるで相手を嘲笑するかのようなものだ。父親のこのような言動は今に始まったことではないが、腹が立つのには代わりはない。加えてそれが事実を曲げたものなので、尚更である。

「負けてねぇよ!! 親父だって見てたんだろう!!」

「そうだったか? 見てはいたんだが、結果はあまり興味がなかったんでな」

「そうかよ」

 苛つきながらガラフはそう吐き捨てる。この男はいつもそうだ。自分本位に話を進める上に、それに対して全く責任を持たない、とにかく身勝手な人間なのだ。

 そんな父親が、ガラフはひどく嫌いだった。だから本当ならば彼を呼び出したくはなかったのだ。

「で、俺に何のようだ?」

 ようやく話題を切り出した父ガゼフに、ガラフは一瞬言葉を詰まらせる。息子から父への用件……、それを言うのがガラフにはひどく躊躇われたのである。

 だが意を決したようにガラフは父親に向き合うと、屈辱を飲み込みながら言葉を吐いた。

「ネルスに勝つ方法を教えて欲しいんだ」

「勝つ方法?」

 息子の口にした言葉があまりに意外だったのか、ガゼフはその言葉を繰り返した。普段の彼ならばそんな面倒なことはしない。それほどそれはガゼフには意外だったのだ。

 だが意外だったのは質問の内容ではない。息子が自分にそんな事を聞くこと自体が、彼には意外だったのである。だがガゼフはそれを悟らせないように、頭を乱雑に掻くと、面倒くさそうに彼に答えた。

「無理だろ。あいつはまだ未熟だがれっきとした戦士だぜ。お前には勝てねぇよ」

 ガゼフは当然とでもいわんばかりにそう答える。だがそれはガラフも理解はしていたことだ。

 戦いの民である獣人にとって『戦士』という単語は非常に重要な意味を持つ。それこそ俗世では英雄と呼ばれる人種と同じ意味を持つ言葉なのだ。父ガゼフが口にした戦士は、獣人が使う意味での戦士なのである。そしてその資格が自分にないこともガラフは理解していた。

 だがそれをこの父親に言われたくはなかった。獣人の英雄ガゼフ=ゼノグレス、世界に名の通った人間ではないが、獣人の中では史上最強と言われたほどの男である。それ故に獣人としては凡才しか持たなかったガラフにとっては、あまりにも大きすぎる父であった。

 しかし彼はそれでも構わなかった。彼の瞳に映る父親が、英雄と呼ばれるに相応しい男だったのならばだ。

 ガラフが何よりも嫌ったのは、英雄と呼ばれるほどの戦士でありながら、それとは全く正反対な理不尽な行動を起こす父の姿だったのだ。もし彼が今より少しでも人徳者であったなら、もっと素直にガラフは父に教えを請うていたに違いないのである。

「そんなこと解ってる。だけど、何か抗える手段くらいあるだろう!!」

 だがそんな父を嫌っていても、今回ばかりはガラフは屈辱を飲み込むことにしたのだ。それほどゾーンがガラフに投げかけた一言は彼の胸を抉っていた。

 しかし――

「無いことはない。が、別にそんなのはどうでもいいだろう?」

「どういう意味だよ」

 父親の台詞の意図が解らなかったのだろう。ガラフは顔をしかめながらそう問い返した。

「お前は別にネルスに勝ちたい訳じゃないだろう。大方ゾーンにでも挑発されて、意地になっている。そんな程度じゃないのか?」

 図星だった。それは寸分も違うことなく、ガラフの戦う理由を明確に表していたのである。

「確かにお前にも勝機がないわけじゃないが、それはお前が戦士の領域にいる場合の話だ。境界の向こう側に行こうと思わない奴が、安易に踏み込んでいい領域でもないし、踏み込める領域でもない」

「何で親父がそれを決めるんだよ!!」

 さも当然というようにそう言葉を続けるガゼフに、突然ガラフが怒鳴り声をあげた。昔から彼は局地におかれると、こういう風に感情を暴発させることがあるのだ。

「親父はずっとそうだ。どうして親父は頭ごなしに俺が戦士になりたいと思っていないと決めつけるんだ。俺はずっと戦士になりたかった。憧れてた人もいる。なのにどうして俺が戦士であろうとすることを否定するんだよ!!」

 ガラフは半ば感情にまかせて叫んでいた。父親が自分を戦士として育てたくないと思っているのは薄々気付いていた。そしておそらくその理由は自分に才能がないからだと。しかし――

「戦士になりたい? 本気で言っているのか?」

 ガゼフの口調が突然豹変する。それはひどく威圧的な、息子であるガラフですら初めて見る父親の姿だった。

「あ、当たり前だろう」

 そんな父親にある種の恐怖を抱きながら、それでも何とか彼に立ち向かい、それだけをガラフは口から吐き出す。

 全身から脂汗が流れ出すのが解る。話しかけるほどが苦しいほど、その雰囲気は耐えられない物だったのだ。それが『戦士』と呼ばれる種の人間が持つ空気であることをガラフは知っていた。

「俺達が言う戦士の意味を、ちゃんと解って言ってるんだろうな?」

「あ、ああ」

「なら死ね」

「えっ――」

 疑問の声を吐くよりも先に、ガラフは右頬に強い痛みを感じた。同時に激流に流されるような妙な浮遊感、自分が宙に浮いているのが解ったのは、ほとんど地面に叩きつけられるのと一緒だった。

「がぁっ」

 背中を強く地面に打ち付けられ、一瞬呼吸が詰まる。そしてそれまで朧だった頬の痛みが次第に激痛となっていった。

 何が起こったのかは解らなかった。ただ彼の中にあるいくらかの経験の中から、その答えを導き出ていく。

「なにしがやるっ!!」

 ガラフはすぐに起きあがり、『敵』の姿を確かめる。そう、敵だ。それも彼の経験が導き出した答えだ。そして彼の瞳に映っている敵とは……、父ガゼフだった。

「ふざけるなよ、ガキ。あんな下らない戦いをしておいて戦士だと? ゾーン流に言えば不愉快だな」

 少しずつ歩み寄ってくるその敵に、ガラフは凄まじい恐怖を覚えながらも、迎撃の構えをとる。それはもう本能に近い物だった。

「あの試合の中で最も下らない戦いを見せたのがお前だ。試合だったからこそ引き分けだったが、もしあの白線がなかったら、首を刈られていたのはお前だよ。そしてお前はそれに気付けなかった」

 不意にガラフの視界から敵の姿が消える。

(右っ!)

 だが今度は正確に相手の進行方向を捕らえた。ガラフは右腕に闘気を籠めると、凄まじい速さで突進してくる敵に向かって、全力の一撃を繰り出す。だがガゼフはそれを潜り抜けて避けると、左手でガラフの首を掴み、そのまま強引に地面に叩きつける。

「ぐ、が、あっ」

 気管を塞がれ、ガラフはそれから逃れようと敵の腕を掻きむしる。だがその腕はまるで猛獣が噛みついたかのように、ガラフの首を締め上げていた。

「どうした? 早く本気を出さないと死ぬぞ?」

 淡々と表情を変えずにガゼフはそう言った。あと少しガゼフが力を入れれば、ガラフの首が折れるのは必至だ。それが本気であることを悟っていたガラフは、一気に力を解放する。

「があぁぁっ!!!」

 ガラフの身体は一瞬輝くと、彼の身体は瞬く間に白い体毛で覆われた。獣人のライカンスロープという能力である。ガラフはその獣の力を以て、父親の手を力任せに振り解く。そして相手の腹部を足で押し蹴り、取りあえず敵との間合いをとった。

「げほ、げほっ」

 激しく咳き込むガラフに、それ以上の追撃はなかった。少なくとも物理的な追撃はだ。

「これで解っただろう? 右腕がほとんど利かない俺にすら遅れをとるようじゃ、お前に戦士は向いていない。大人しく学院で違う道を見つけろ。それがお前のためだ」

 諭すように言葉の追撃を加える父親に、ガラフはギリッと歯ぎしりをした。

「ふざけんなよ」

 ようやく呼吸が整ってきたところで、ガラフは父親にそう言葉を吐き返す。怒りが、身体全体を覆っていくのがガラフには解った。一番言われたくない相手に、一番言われたくない言葉を言われたのだ。それは当然のことだったのかもしれない。

「そんなに俺を戦士にしたくねぇなら、殺してでも止めればいいだろうがっ! 逃げてるのが嫌だから今日の試合にも出たんだ。ゾーンの鼻をあかしたいから屈辱覚悟で親父に助言を求めにきたんだ。こうまでしてまた逃げるくらいなら、いっそ殺された方がましだっ!!」

 吐き出すように言ったその言葉に、ガゼフは俯きながら肩を振るわせる。そして――

「わーっ、はっはっは」

 ガゼフは突然狂ったように笑い出したのだ。

「な、何だよ、いきなり」

 瞬時に変化した場の雰囲気に、ガラフは思わずきょとんとする。一方ガゼフは未だ笑いながら、ガラフの横に歩み寄って来、彼の肩をばんばんと叩く。

「さすが俺の息子だ。それだけ吐けるんなら及第点だな」

「は?」

 訳が解らず、ガラフは間抜けな声をあげた。父親が訳の解らない行動をとるのは常だが、何年もこの男の息子をやってくれば、いくらかは慣れてきたはずだった。だが今回の行動に対しては、何一つ理解できなかったのである。

「いや、ミミの遺言でな、お前は戦士にしたくないって言ってたからよ。なるべく辞めたくなるようには努力したわけだ」

「お袋は死んでねぇよ!!」

 いきなりとんでもないことを言う父親に、ガラフは思わず突っ込んだ。ミミというのはガラフの母親の名前なのだが、今も学院で元気に働いている。というよりも、ガゼフは毎日顔を合わしているはずなのである。

「ん? 誰が死んだなんて言った?」

「遺言って言っただろうがっ!!」

「おう、言ったな」

 自分の間違いに気付く様子もなく、そう答える父親に、ガラフは思わず顔に手をやる。

「…………。もういい。で、何だよ」

 さすがにこれ以上会話をしても無駄だと思ったのだろう。取りあえず切れた話を繋げるように話題を持っていく。

「で、ミミと約束したんだが……、お前が戦士になりたいような事を言ってきたら、取りあえず俺が試験みたいなものでお前を試そうということになったわけだ」

「それでこれがそうかよ……」

「いや、これはマジでさっきの言葉がむかついたから仕掛けただけだ」

「………………」

 やるせない怒りを、何とか抑えつつ、ガラフは肩を振るわせる。

「でもまぁ、何か理由もないのに息子を殴った何て言ったらミミに怒鳴られそうじゃねぇか。だからこれが試験ってことでいいよな」

 笑いながらそう言う父親に、さすがにガラフの我慢も限界を極める。

「いいわけねぇだろぉっ! このクソ親父っ!!」

 ガラフは即座に右腕に闘気を籠めると、そのままガゼフの顔めがけて拳を放った。だがガゼフはそれを悠々と避けると、そのままカウンターの一撃を息子に放つ。

「ぐげっ」

 蛙がつぶれたような声を発するガラフに、ガゼフは高らかに笑いながら言った。

「わーっ、はっはっは! その程度の速さで俺を捕らえられるかよ。大体な、親父様を殴ろうなんざ100年早いわっ!!」

「ふざけんなっ!!」

 それでもガラフは態勢を立て直すと、そのまま父親に向かって再び殴りかかる。そして結局、そんな感じで始まった親子ゲンカは朝日が学院を照らすまで続いたのだという。その間、ガラフの攻撃は一度も当たることはなかった。

***

 クリフの講義最終日の午前中、クリフの部屋には昨日と同じようにクリフ、サフィア、ガラフの三人が集まっていた。昨日と異なることがあるとすれば、サフィアもガラフもひどく疲労していたということである。

「サフィアは昨日の試合の疲れが残ってるんだろうが……。ガラフ、お前は猛獣とでも喧嘩したのか?」

 不思議そうに尋ねるクリフを、ガラフは鋭い眼光を輝かせながら睨み付ける。もっとも本人に睨み付ようという意志はなかったのだが、父親の理不尽な行いに加え、彼に一撃も浴びせることができなかったのでひどく苛ついていたのである。

「脳味噌が足りない愚犬とちょっとじゃれあっていただけです」

 不機嫌そうに答えたその言葉で全てを理解したようで、クリフは哀れな眼差しをガラフに向けたまま、それ以上は何も聞かなかった。

「まぁ……、それはいいとして。この様子じゃ作戦を変えなきゃならんかな?」

 作戦というのは、クリフとサフィアでヒノクスとテューズを抑え、ガラフがネルスと一対一で戦うというものだった。それはガラフが望んでいたものだったし、何より能力的なものではガラフが思っているほどネルスに負けてはいない。

 だがこれほどガラフが疲弊していると、それも絶望的に思える。しかしそれを拒絶したのはガラフだった。

「構わないで下さい! あの馬鹿犬への怒りを全部あいつに注いでやります!!」

「そ、そうか? ならいいんだが……」

 多少気負いすぎのような気もするが、クリフはあえてその作戦を施行することにした。気負いの中に、何か違う感覚がある。漠然とではあるがクリフはそう感じたのだ。

(まぁ、自分の勘なんざあてにならないことは解っているが……、楽しくはなりそうだな)

 それは漠然とではったが、確信でもあった。これまで息子の成長には全く関わろうとしなかったガゼフ、彼が動いたのが何よりの証明のようにもクリフは思う。

「それじゃ、いくか」

 ひどく疲労しているはずなのに、妙に安心感を持たせる助手の二人を引き連れて、クリフは闘技場へと向かった。

***

 赤珠闘技場で試合が始まる少し前、小さな庭園の中に、二つの人影があった。

 両者とも学院教師という肩書きを持つ二人である。もし、彼らを知る者が一緒にいるところを見れば、わずかではあるが疑問をいだいたかもしれない。

 片方は機国大戦時に名を残した人間、そしてもう片方は獣人の中では名が通っているものの、世界的には無名に近い戦士である。それが表すように、後者ガゼフには魔導師としての肩書きはない。

 接点すらあるように思えないその二人が、共にいることは正直珍しいことだ。

「どうして、初めから息子を戦士として育てなかった?」

 ゾーン=ウィンディア。彼の投げかけた疑問に、ガゼフは小さいため息をつきながら言葉を返す。

「ガキの意志に任せただけだ。結局、人にひかれた路線を歩いても本人が嫌がれば違う道をいくさ。それは元家出少年のお前が良く知っているんじゃないのか?」

「……確かにな」

 家出少年、という単語にはひどく不満そうな顔を見せたが、すぐに表情を戻して、ガゼフの言葉を肯定する。

「それに、元々戦士として育てたかったのならクリフには預けんさ。俺が自分で育てるか……、お前に任せている」

「俺に?」

 ゾーンは疑問の表情を隠すこともなく、獣人の戦士にそう尋ね返した。

「クリフは甘すぎる。戦士を育てるには適さない。それに」

 ガゼフは苦笑のような笑みを浮かべると、過去を懐かしむかのように答える。

「うちのガキは昔のお前にそっくりだからな。牙も生えそろっていないくせに、妙なところで勝てない相手に牙を剥く。さっきあれが吠えたときに、昔のお前を思いだした」

 それはもう10年ほど前の話だ。まだゾーンが戦士としての目醒めを迎えておらず、ガゼフの最盛期だった頃の話である。二人は、その頃に出会っていたのだ。

「余計な事は忘れろ。どうせあの時の約束は守れまい?」

 ゾーンにとってはそれは苦い思い出だった。完敗というものを経験した始めての戦いであり。そして二度と果たされることのない約束をした戦いだったからだ。

「悪いな。右腕さえ壊れてなきゃ、いくらでも再戦は受けてやるんだがな」

 そう言ってもう一度ガゼフは苦笑する。

 彼らの交わした約束、それは再戦の約束である。だがそれが叶うことはないのはゾーンも理解していた。ガゼフの右腕は、もう自由には動かないのだ。

『ただの再戦ならいくらでも受けてやるが……、それはお前が納得はすまい?』

 それが学院で再会したときにガゼフが言った言葉だった。普通の生活にはそれほど支障はないものである。それにガゼフは学院の実技担当教師を受け持っているし、ある程度は回復しているはずなのだ。

 しかしゾーンは自身でそれでは納得しないことを理解している。おそらく今のガゼフにならば九割九分負けはしない。だがそれでは彼が知る、ガゼフ=ゼノグレスに勝ったことにはならない。

 だが……

「貴様のツケは貴様の息子にでも払ってもらうさ。もっとも、それだけの能力を今日の試合で見せればの話だが……」

 ゾーンはそう言うと、不敵な笑みを浮かべた。そして丁度その頃、少し離れた赤珠闘技場ではクリフの講義による最後の試合が始まろうとしていた。



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