■ 府中陸軍燃料廠 07.11.10 下に同じく、オークション(ebay)に出ていた写真です。 府中陸軍燃料廠(現航空自衛隊府中基地)を、きわめて低空で東側から撮影しています。ジープらしき車両が複数見えるので、占領直後の昭和20年9月頃と思われます。 20年9月下旬、沖縄から調布に移駐してきた米陸軍偵察飛行隊の将兵は、府中燃料廠を宿舎としていました。調布飛行場は空襲被害のために満足な建物はないに等しかったからです。 大東亜戦争末期、燃料廠の裏手に位置する浅間山(せんげんやま)には、いくつもの秘匿燃料タンクが設置されておりましたが、タンクを設置するためにテラス状に成形された場所の一部は、今も確認できます。 この浅間山の山腹には本格的な横穴壕が掘られており、燃料廠(燃本と呼んでいた)に動員された山水高女(現桐朋女子学園)の生徒たちは、「壕は、どんな空襲にも耐えられるから心配はない」と説明されていたそうです。 | |
■ 敗戦後、調布飛行場南地区に集められた皇軍機 07.11.2 これは、最近米国のオークション(ebay)に出ていた写真です。 以前に「勇士のアルバムから…特別編」で紹介した写真1、3、4と同じ場所ですが、まだ飛行機の破壊があまり進んでいないので、前者よりも早い時期、つまり MEATBALLS AND DEAD BIRDS の写真と同じ20年9月中〜下旬の撮影かもしれません。 3式戦(244F)が1機、4式戦(52F)が7機、1式双発高練が2機、99式襲撃機(6F)が2機ぐらい見受けられます。 手前の地面は筋状に見えますが、飛行場大隊が耕作していた畑の畝です。当時は飛行場の至るところが畑になっていました。 左手3式戦の手前には、「肥溜め」か縦穴壕があるようです。後方の松林の中に天文台道路が走っており、その向こうに半地下式の兵站宿舎がありました。 入手した人は、死蔵させずに是非公開してほしいものです。 | |
■ 電撃スケールモデラー11月号 07.9.26 電撃スケールモデラー11月号をご紹介します。私も主に航空整備の視点から、244戦隊における3式戦の運用についての拙文を書かせていただきました。 当サイトを隅々まで読まれている方には特段目新しい内容ではないかもしれませんが、一つの文章として纏まったものは過去になかったと思いますので、ご一読下されば幸いです。 |
■ 軍偵戦記 07.6.16 雑誌「スケールアヴィエーション」7月号を編集長市村さんから送っていただきました。 模型の方は門外漢なので何も言えませんが、「銀翼に輝く日の丸だけが最後の希望だった」と題する元軍偵隊員からの聞き書き戦記は、興味深く読みました。 私は不勉強なもので、軍偵の部隊とは具体的にどんな仕事をしていたのか?…恥ずかしながらよく知りませんでしたが、実に具体的な聞き取りのお陰でよく分かりました。このように体験者たちの生の声を記録することは、非常に重要だと思います。 たぶん商売上の都合から、隼、飛燕、零戦など、飛行機という「物」をストーリーの中心とした出版物が巷には多いのですが、それでは顧みられずに漏れ落ちてしまう事柄が多くあるはずです。 航空戦史研究の観点から言えば、今後は細く深く、部隊史あるいは飛行場史、そして運用、整備、教育、人事など、言わばソフトウェアの記録が主になっていく必要があり、本誌のような企画が更に続くことを期待したいと思います。 | |